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旅のつれづれ
小説「長吉」
天井の染みは見る気分によっていろんな形に姿を変えた。まだ元気で働いていた時は、単なる染みでしかなかった。だが、今では日々見るたびにその形は長吉に様々な形を見せていた。それは長吉のこれまで歩んできた人生の縮図にように長吉以外は誰も気にはとめなかった。
体を動かすとぎしぎしとなるベッドは町の福祉課から妻の幸が借りてきたものであった。白いパイプのベッドは介護しやすいように病院のベッドのように、足元に着いているハンドルを回すとベッドの上半分が持ち上がり起き上がることができるようになっている。長吉は自分ひとりでは起き上がることも食事さえできない。妻の幸の助け無しでは何一つできないと言うことである。できないと言うよりはしないと言った表現が正しいのかもしれない。長吉はまだ完全に自分の自由は奪われていなかったのだ。動かそうと思えば動かせるのだ。だが、いつの頃からか動かすのが億劫になりいつのまにか妻の幸にすべてを任すことに慣れてしまったのだ。今でも長吉は俺が動こうと思えば・・・と心の中で思っていた。
突然の脳梗塞で寝たきりになって、もう10年になろうとしている。
亀が裏返しになって、手足をばたばたと動かしている姿のようにして、長吉も手足をばたばたと動かす時がある。それが唯一の自己主張だという風に。そんな時、幸は、何も言わずに子供の要求にこたえるように、おしめを換えてあげ食事の世話などをする。
長吉は時々訳のわからない言葉を発する。それは、聞いている幸にも何を言っているのかは分からない。ボケているのではない。それは、幸にもわかっている。病気の後遺症で口が思うように回らないだけなのだ。そして、そのことが長吉のイライラをいっそう募らせるのだった。
どこにも行けない、妻の幸以外誰も長吉には訪問客は無く、誰もいない部屋で結局、誰にもあたれない不満のはけ口を、妻の幸への暴力と言う形で表現することになる。
天井の染みを見ながら長吉は自分の今までの生きてきた人生を思っていた。
大正十三年に長吉は山形のAと言う町に生まれた。家は船大工だった。兄弟は妹と弟が三人の五人兄弟だった。
子供の頃の長吉は年下の子供を集めては悪さをする、いわゆるガキ大将だった。気が強く向こう見ずな性格は、時として自分よりも強い相手との喧嘩に駆り立てもした。また、弱い人間を見るとついイライラとしていじめたりもした。が、自分の子分的存在になるとそんな子供でも逆にいじめられていると助けると言う親分肌の一面もあった。そんな長吉も尋常小学校を出るとすぐに、船大工に見切りをつけてこれからは大工だと言う父親に親戚の大工の親方に弟子入りをさせられた。あまり器用ではない長吉は一人前になるのに十数年かかった。
その間に戦争による徴兵、終戦を経験した。
兵隊に行ったといってもわずかニ年ほどだった。長吉にとってはその二年が長くつらいものであった。頑固な性格から上司によく殴られた。だから、終戦と同時に逃げるようにして故郷に帰ってきた。そして、親の薦める縁談で二歳年下の幸と結婚
した。長吉にとっては結婚なんてどうでもよいことだった。
だから、長吉は幸に「おめは俺がもらってやったんだ」と事あるごとに言った。それでも子供は男二人に女二人を設けた。子供のためと言う名目で長吉は金のいい北海道の札幌に出稼ぎに行った。
札幌は長吉に合っていた。長吉にとって故郷を離れるのは戦争で満州に行った以来である。満州が生まれて始めての故郷山形以外の地であった。だが、そのときは戦争であったので訳もわからずにただ通り過ぎてきただけで、土地に対する思い入れは無かった。むしろ、その当時耳にしたり直接見たりした、中国人に対する略奪や侵害等の話が耳について戦争に対する悲惨な思いしか浮かばなかった。
戦争について長吉は何の疑問も疑いも無く過ごしていったように思えたが、思い出したくない思い出として心の奥底に鍵をかけてしまってしまった。だから、戦友会等の会合には一切出席しなかった。それが、長吉の戦争に対する精一杯の解答なのかもしれない。
生まれて初めてと言っていい都会での生活は、田舎でのそれとは比べ物にならないくらいに華やかで楽しいものであった。遅くまで灯りがともっている街灯を見るだけでもなぜだか心がうきうきしてきた。今までいた田舎では夜の九時にもなるともう真っ暗で人っ子一人、外にはいないのである。チョッと飲みに行くにも町まで出かけなければならない。飲んで帰るにもバスは早い時間で終ってしまうので、暗い路を一時間以上かけて歩かなければならない。だからほとんど外の飲食店で飲み食いすると言うことは無かった。
ところが、札幌では飲みに行くにも少し歩けば飲食店がある。それに夜遅くまで営業している。長吉は毎日飲み歩く生活が続いた。
このころ長吉は一緒に出稼ぎに来ていた仲間を集め小さな工務店を始めた。それが、山形の大工は仕事がうまいと言う評判が立ち、けっこう繁盛したのだ。会社も大きくなり株式会社にまでなった。
その頃になると長吉の予後との遊びはいっそう拍車がかかり山形の家の存在など眼中になくなっていた。
仕送りも滞りがちになっていた。長吉の実家では滞りがちな仕送りに対して幸が子供たちを長吉の母である祖母に預け働きに出ていた。ここでは子育てと仕事は、出稼ぎ家庭の一般的な姿であった。幸は何の疑問も抱かずに働いた。この地域の女性の幸せとは何だったのかを考える時、誰もがそんなことを考える余裕など無かったと答えるだろう。それほどほとんどの家庭では出稼ぎと主婦の稼ぎとで生活を支えている現状だったのだ。
それでも、長吉は何年かに一度は思い出したように正月に帰ることがあった。幸は北国の女性特有のやさしさで長吉を迎えた。ところが父である長吉に子供たちはあまりなつかなかった。たまに帰ってくる父長吉に向かって次男の真一が「あの人誰?」と思わず母に聞いたことがある程だった。
長吉にとっては何か他人行儀な家族に囲まれて、あまり居心地のいいものではなかったのであろう。ほんの少しいたかと思うとすぐに札幌に帰って行ってしまった。
そんなことがあっても長吉は何年かに一度はやっぱり田舎に帰った。
そんなある日、長吉の会社経理の女性に金を持ち逃げされた。長吉の愛人だった。金庫の鍵を預けたのがいけなかったのだ。それからだった、長吉の会社が傾きだしたのは。悪いことは重なるもので、取引先の会社が倒産してそのあおりで長吉の会社も多額の負債を抱えてしまった。
もう、長吉一人の力ではどうすることも出来なくなっていた。
長吉は、なんとそのまま田舎に逃げ帰ってしまった。そしてしばらく身を潜めるようにして息を殺して暮らした。妻の幸はなにも聞かなかった。子供たちも父には近づかなかった。
一方、札幌ではいっしょに働いていた長吉の弟が長吉が逃げ帰った後を引き継いで何とか倒産は免れていた。
そして、ここが山形県人のよいところだろうか、長吉に連絡をとりもう一度戻るように弟は説得をした。しかし、さすがに長吉は自分のしたことに恥じて札幌には戻らなかった。
長吉の長男はすでに高校三年生になっていた。長男の秀一とは特に意見が合わず衝突が絶えなかった。長吉は長男を地元に就職させて家督を継がせる気でいた。しかし、秀一は父がいない間に気ままに育ったせいかわがままで何一つ自分では出来ないですぐに人にあたる粗暴なところがあった。そこへ急に頑固な父親が帰ってきて自分の思いどうりにならない生活が続いた。最初のうちは母親の幸が間に入って何とか収まっていたが、就職の話しになるとどうしても幸も長吉の意見にしたがわざるおえなかった。それでも何とか三年と言う約束で長男を東京に就職させることに落ち着いた。
その後、長男の秀一の後を追うように次男長女と東京に就職して、家を出て行った。後に残った末娘のあやも高校を卒業すると東京に就職口を見つけて出て行ってしまった。
約束の三年はとうにすぎていたが、長男の秀一は家に戻る気配も無かった。
子供たちがいなくなって二人きりの生活になっても長吉は妻の幸に、やさしい言葉の一つもかけることは無かった。
長吉は北海道から逃げ帰ってからは、親戚の工務店で働いた。長吉の仕事振りは札幌にいた頃の覇気は感じられなかった。ただ、仕事をこなすと言うだけのものだった。希望だの情熱だのと言う言葉は長吉の中からは消えていた。その分家に帰ってからはどこにもはけ口の無い憤りを家族にぶつけた。
長吉の母が生きていた頃はまだ、子供たちの間に入ってくれていたので、それほど大きな問題は起きなかった。しかし、長男が高校三年生のときにその祖母も亡くなってしまった。それからは、妻の幸が間に入るのだが、長吉の母のように長吉に真正面からものが言えなかった。そんなこともあり家族と長吉の溝が深まっていってしまった。
二人きりの生活も10数年になった。長吉の性格も変わるわけも無く相変わらず、自分の憤りを幸にぶつける日々であった。
そんな時であった、長吉が脳梗塞で倒れたのは。
子供たちも見舞いにきてくれたが、うわべを繕うものだった。かたちだけの見舞い品と心のこもらないお見舞いの言葉であった。それでも幸は見舞いにきてくれた子供たちに心から喜んだ。たとえそれがうわべだけのものでも、長吉以外の家族に会えることが幸にとっては嬉しかったのだ。ただ、幸にはその喜びを素直に表現するすべを持たなかった。長い間感情を心の中にしまいこんでしまった生活をしていたので、喜びや悲しみを素直に表現することを忘れてしまったのである。
幸にとっての幸せとはなんだったのだろう。幸は、幸せなどと言うものを考えてもみなかった。長吉との生活に幸の幸せがあるとは周りのものは誰も思わなかった。長男は長吉に尽くすことが幸の幸せだとしたらあまりにも可哀想なことだと思っていた。だから、長吉が倒れる前に、東京に幸を引き取ろうと思い、話しをしたことがあった。当然幸は、長吉を一人残して自分だけが東京に行くことは出来ないと断った。
一回目の脳梗塞は軽い左手の麻痺だけですんだ。仕事はすでにやめていた。わずかばかりの二人の年金で生活をしていた。それでも子供たちには頼ろうとはしなかった。子供たちも子供たちで、親の心配よりも自分たちの生活に追われ、思い出したように盆と正月にわずかばかりの金を送ってきた。
次の年に長吉は二度目の脳梗塞で倒れた。一ヶ月の入院の後これ以上の回復は望めないと、病院を追われ自宅に戻ってきた。長吉は自分ひとりでは食事をすることも出来なくなっていた。頑張れば食事ぐらいは出来ないでもないのだが、その気力がなくなってしまったというのが、本当のところのようだった。
このときも子供たちは最初だけで、何時の間にかまた、長吉と幸との生活に戻っていた。
最初のうちはおしめをするのにも恥じる気持があったのか、おとなしくされるがままになっていた。が、そのうち慣れてきたのか、幸がオムツを交換しようとするときに、機嫌が悪いと幸に対して蹴ったり殴ったりして暴れたりした。幸は、最初のうちは蹴られても、長吉のジレンマを感じていたのでじっと耐えていた。それでも、あまりにも度々殴る蹴るの暴力がやまないので、たまらず「なして、わがってくれねなや」と強い口調で懇願することがあった。
幸が面倒を見なければ、誰も長吉を介護する人はいない。なぜ、それを分かってくれないのか、幸にはそのことがくやしかった。
長吉には、そんな幸の気持は痛いぐらいわかっていた。でも、それを表現するすべを長吉は持っていなかった。だからこそ余計に暴力と言う手段でしか自分を表現できないでいた。
長吉はふと、長は一体何月何日なのかと突然思った。日にちを気にしなくなってからだいぶたつ。寝たきりになって、テレビもあまり見なくなっていた。元気なうちは時代劇や相撲などは好きでよく見ていた。それが何時の間にか見るのも億劫になっていた。幸には楽しみにしている番組があった。毎週欠かさずに見ているドラマだ。始めのうちは長吉も一緒になって見ていたが、長吉がテレビに興味を示さなくなったので隣の居間にテレビを移して、幸一人で見るようになっていた。だからといって、幸が居間でテレビを見ていると長吉は寂しいのか大声を出して、亀のように手足をばたつかせて暴れた。
「そういえば、つい何日前かに居間のテレビが広島、長崎の原爆と言っていたのが聞こえた。そうか、八月なんだ。この暑さは八月の暑さなんだ」と一人納得して天井のしみを眺めて長吉は一人、にやっと笑った。
いつも無表情の幸が珍しく怒った表情で部屋に入ってきた。
町の役場に来年の介護保険の書類を出しに行ってきたのだ。その窓口の奥の机の上に頭を乗せて気持ちよさそうに寝ている職員が数人いたのだった。保険課のある一階は省エネのためか半分以上の電気を落としていて薄暗かった。かといって、冷房は十分に効いていたのだった。なんだか昼寝のために電気を落としているように幸には思えた。対応に出てきた課長らしき人は「何か町にご要望はございませんか」と聞いたそうだ。後ろではすやすやと税金と言う枕に寝息を立てている職員の姿を目の前にして、何か白々しいものを感じていた。冷房も無い家に住んでいる年寄りが汗だくになりながら、一時間に一本しかない不便な路線バスで役場まで来ているのに、役場の職員は冷房の効いた部屋で堂々と昼寝をしている。そんな暇があったら、書類を取りに来てくれてもいいのに、そう思いながらも来年の介護保険で何か不都合なことにでもなったらかなわないと思い何も言わずに帰って来たのだ。普段から怒ることが無い幸がベッドの脇で長吉相手に愚痴をこぼした。
長吉にはどうでもよいことだった。まともに歩くことも話すことも出来ない俺には関係ない話しだ。天井のしみを眺めながら思った。
「おいがいなぐなったら、介護保険のお世話にならねばね。そん時そんだ人たちが、おめのこと何とかしてくれるとは思えね」と長吉の無関心にくぎをさすように幸が言った。
言っても無駄だと悟ると居間に行ってテレビを見始めた。
長吉は、天井の染みを見つめながら幸の姿が見えなくなってから一体幾日経つのかを考えていた。
長吉の前から幸の声が聞こえなくなってから、丸二日たっていた。
二日前のこと、いつものように夕食を食べさせていた幸に対して、いつものようにわがままな態度をとっていた。その日は、長吉がいつもにましていらだっていた。幸がドラマの特番を見ていて夕食が遅れたのが原因だった。長吉は寂しさを声に出して訴えた。しかし、その声は幸には何を言っているのか聞き取れなかった。一生懸命に判ろうと何度も聞き返した。それが、はがゆくていつにもまして手足をバタバタとさせた。その足が運の悪いことに、幸の後頭部を直撃した。いくら病人と言えども足の力は相当なものだった。そのまま幸は仰向けに倒れていった。そして、柱の角に思いっきり頭を打ち付けボコッと言う鈍い音とともに、幸の体は畳に沈み込んでいった。
長吉は何度も幸の名を呼んだ。返事の変わりに聞こえてくるのはひゅーひゅーと言うのどの奥から搾り出すようなか弱い息づかいだった。
部屋の中には長吉の幸を呼ぶ声と幸の喉のおくから搾り出される弱弱しい息吹だけだった。
長吉の家は高台にあり、あまり人の行き来が無いところにあった。それに、来客があると長吉が言葉にならない声で悪態をつくので本当に酔うがあるとき意外は、人が訪ねてくることは無かった。
幸は薄れ行く意識の中で、長吉の幸を呼ぶ声を聞いていた。他の人が聞いたら何を言っているのか判別に苦労するであろう叫びにも似た声であった。それでも、幸には「さち」とはっきりと聞き取れた。幸は今までの自分の人生で初めてまともに幸の名を呼ぶ長吉の声を聞いた。幸はその声を聞いて、これまで生きてきてよかったと思った。そして、幸は遠のいてゆく意識の中で長吉の名を呼んだ。だが、声にはならなかった。幸はそのまま息絶えた。
長吉は声を失っていた。あまりにも長く叫びつづけたために、もう声が出なくなっていた。手と足ももうくたびれ果てて動かなかった。時おりピクリと動くのが生きている証であった。
長い夜であった。ずいぶんと前から幸の気配もしなくなっていた。起きて様子を見ようにも、思うように体が動かない。暗くなっても電気一つつけられないもどかしさに長吉は、どこへもぶつけられない苛立ちを感じていた。
長吉を静かな闇が包む。長吉の体がゆれるたびにベットのきしむ音が空しく響く。自分の出した音に驚き、目を見開いても何も見えぬ闇におののいた。今まで経験したことの無い目に見えない恐怖だった。
夢ではなくこれが、現実であると実感していた。見えない闇を見つめながら長吉は幸を思い感じていた。幸がいなければ長吉の人生そのものが空であり闇なのだ。どうして俺は気づかずにいたんだろう。何でもっと早く気づいてやれなかったんだろう。長吉の顔がゆがみ涙がほほを伝って落ちた。
やがて、長吉の体は朝の日の光に照らし出されていった。それは、長吉を現実に引き戻すカーテンでもあった。夏の暑さは、長吉の神経にも変化をもたらしていた。
「めし」長吉は答える人のない部屋で叫んでいた。何度も何度も叫んでいた。
もう二度と目覚めない幸の体を長吉の言葉は通り過ぎていった。いくら暴力をふるわれても、食事のめんどうやおしめの面倒をしてくれていた幸は、二度と長吉の目の前には起き上がってはこれないのだ。かつて暴力という自己表現しか出来なかった長吉の惨めな姿だけが芋虫のようにもぞもぞと体を動かしていた。
誰も訪れる人もなく時はすぎてゆく。
長吉の涙はかれていた。
天井の染みが幸の顔に見えた。幸の顔は笑っていた。長吉も笑っていた。
やがて漆黒の闇が長吉の体をを包む。
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