『尋ね人の時間』



人はなんのために生きるのであろうか。
そもそも「生きる」とはどういうことなのであろうか。

主人公の神島は性的不能者である。
人間は性の欲求をコントロールできる唯一の生き物である。
なんのために?
子供ができた後の夫婦間の性交渉は何のために行うのか?
いや、そもそも子孫を残したあとの性交渉に何の意味があるのか。
主人公はある日突然リビドー自体失ってしまう。
自分は今、「生きて」いるのであろうか。

死んだ紋白蝶が風に吹き上げられ宙を舞う。
それを見た幼きころの妹が「生き返った」と喜ぶ。
ペットショップでインコを買ったとき、飛んでいかないように羽のある部分を切断する。
インコは「生きて」いる。
でも飛べない。。。
飼い主に「生かされて」いるだけ。。

「生きる」ということは他人によって価値付けられることなのであろうか。
主人公の神島は精神的に追い詰められる。
主人公の娘、月子は生理的に否定する。
生と死、過去と未来。男と女。。
さまざまな対比の中で「生きる」ことの意味が変わってくる。
説明を求めれば求めるだけ、助かろうと思えば思うだけ、深みにはまっていく。
絶望にも似た厭世観。
やがて人は自分の意思であれどうであれ「沈黙」する。
それでもやはり「生きて」いる。
いや、それでしか「生きて」いけないのかもしれない。
「沈黙」することでしか「生かされる」ことに対して拒絶できない。
「沈黙」して一所懸命「生きて」いる。
自分の「沈黙」を理解できる人、「尋ね人」を待つように。。
待って待って待って。。。しずかに年を取り、向こう側へと引き込まれていく。
リゴドン、リゴドン、リゴドン。。。。


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