『限りなく透明に近いブルー』



主人公のリュウは福生の米軍基地のそばに住み、薬、黒人との乱交パーティ、私刑など、一般的な社会から外れた世界で生きている。
これらの無法的生活は、彼らにとっては日常であるはずなのに、リュウにとっては身体を伴った現実味を帯びていない。
村上の描き方がもちろんそのような距離を置いた日常の描写をしており、リュウの感情が描写されることはほとんど無い。
淡々と淡々とこの狂気じみた日常が流れていく。。

リュウの感じる乾いた日常に対し、彼を取り巻く友人達の日常は熱い。
狂気じみた日常を彼らはねっとりと粘っこく生き抜いていく。
まるで彼らの命のすべてがそこにあるかのように。。
いや、リュウの命も確実にそこにある。
彼はそんな狂った日常にすら生きている実感を見出せない。

リュウの感情が二度だけこの物語の中で表れる。
どちらも薬を飲んでトランスしたときだ。
薬によるトランスした状態は、明らかに非現実的である。
日常はいくら狂気じみていたとしても、所詮現実味を帯びた日常である。
トランスは非日常だ。
ところがその非日常に対してだけ、リュウの感情は芽生えていく。
非日常のトランスした世界にだけ、リュウの体はなじんでいく。

限りなく透明に近いブルーとはガラスの破片だ。
リュウはそのはかなく乾いたガラスの破片になりたいと思う。
でも実際にはリュウはガラスの破片の縁に着いた血だ。
透明なガラスの破片を肉を持って形を顕在化していく。。。。

リュウが最後、トランス状態で見た鳥はなんだったのであろうか。
リュウは眼下に広がる街をさして鳥と叫ぶ。
それを現代社会を暗喩していると捉えることもできる。
いや、それだけでない。
リュウを押さえ込んでいる狂気じみた日常も指している。
生きるってそういうことなのか?
体制に従うのか?反体制に従うのか?
従うことなのか?
リュウの日常の中に答えは無い。
それすらラリらないと気が付かない。
ラリって答えがないことにリュウの精神は壊れかける。
壊れかけてはじめてガラスの日常を真っ赤な血で染めていくことができるようになる。。


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