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2007.08.12
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テーマ: 韓国!(18173)
カテゴリ: 韓半島
回避と拘泥


第3回平壌国際映画祭に、日本映画人の友好訪問団の一
員として参加しました。今回は、『回避と拘泥』
(1994年)で発表された旅行記の一部を紹介します。

切れ切れの記憶が浮かびあがる。ネオンだけが光輝く、
無人の夜の目抜き通り。わたしの乗ったバスにむかって
、誰に命令されるまでもなしに一心に手を振り続ける子
供たち。客の姿をまったく見かけず、ただ品物だけが整
然と並べられたデパート。映画館の裏側にきちんと整列

若者たち。午後7時半には店を閉じるレストラン街と、
その暗闇の彼方に聳え立つチュチェ思想塔。「偉大なる
朝鮮労働党万歳」とハングルで赤く大書された、建物の
表示。軍隊詰所の屋根のうえにびっしりと並べられた唐
辛子……。

結局のところ、旅行の期間中、われわれは四六時中二人
の案内人の思うがままにスケジュールを管理された。案
内人たちはその場で次々と予定を変更してはわれわれを
混乱させた。また機会があるたびに、さまざまな口実を
見つけてはわれわれに日本円をせびり、その金を用いて
上司の接待に使うのだった。彼らの間にさえ厳しくも踏

は卑屈で、平然と嘘をつき、情報を思うがままに操作す
ることでわれわれを統率しようとした。わたしは最初腹
を立て抗議したが、旅の終わりにはしだいにそれを受け
容れるようになった。彼らもまた彼らなりに情報が完璧
に操作された階級社会のなかにあってなんとか生き延び

卑屈とも見える振舞いは、北朝鮮の日常生活における処
世術の表現だったのだと思いあたったのである。

だが、それにしても恐怖を感じたのは、案内人と対話を
していてあるところまで話が発展すると、それから先は
どうにも見えない壁に突きあたってしまったかのように
彼の思考が停止し内閉してしまうことを、目前で何回も
見てしまったときだった。彼らは金日成将軍の偉大さに
ついて、アメリカ人の生活風俗の愚かしさについて、金
剛山の景勝の美しさについて、いかにも自信ありげに滔
々と語った。だが、わたしがつい素朴な質問をひとつふ
たつ尋ねてみると、その瞬間に意表を突かれたように黙
りこくり、慌てて質問をはぐらかすか、でなければ断定
口調で質問の無意味を宣言した。彼の思考は、思考が可
能な狭い領域のなかでどこまでも不毛に循環していた。
もちろんそれだからといって、彼が祖国への狂信に満ち
た人物であったというわけではない。後天的に獲得され
たシニシズムが幾重にも彼を覆っていて、けっしてこち
ら側にその本心を悟らせまいという配慮が感じられた。

9日の間に、わたしが案内人の目を盗んで平壌市内を自
由に散策できた時間は、わずか2、3時間にすぎなかっ
た。早朝に同行者と示しあわせてホテルを出、一番近い
地下鉄の駅に飛びこむと、もっとも遠い駅まで乗って外
へ出てみた。平壌では電力節約のために、学校も職場も
午前7時に始める。すでに地下鉄は満員だった。しかし
、金日成総合大学の周囲には、なぜか学生の姿が見られ
なかった。

しばらくぶらぶらと散策し、ふと眼についた一般の食堂
に入ると、少なからぬ人たちが昼食のためにチケットを
もって行列していた。彼らは一様に黙りこくっているか
、ひそひそと話しあうばかりで、笑い声はけっして聞こ
えてこなかった。わたしは食券をもっていなかったが、
片言の朝鮮語で事情を説明し、食事がしたいと申し出る
と、給仕の女性が何人も集まって興味深そうに、最初は
こわごわと、次に少し落ちついた調子で、こちらに話し
かけてきた。おそらく外国人と口をきくのが生まれて初
めての体験だったのだろう。差し出された昼食はつねづ
ね予想していたものの、それ以上に貧しく、お世辞にも
腹が満たされるというものではなかった。穀物の粉をわ
ずかに塗した、薄ぺらい5センチ角の餅4枚。キャベツ
の代用キムチ3片。小指の大きさほどの鶏肉を浮かせた
スープ。それだけだった。居合わせた誰もがそれを黙々
と口に運んでいた。帰国した直後にわたしは、この国の
あちらこちらで食糧暴動が生じていると知らされたが、
正直にいってこの食事の貧しさでどうやって労働ができ
るのかを大いに疑問に思った。マシッソヨ(おいしい)?
と給仕の女性が小さい声で尋ねた。わたしは彼女が声を
かけてくれたことに少し感動した。マシッソヨとわたし
は答えた。そもそも他の答えを思いつくことができるだ
ろうか。

これが9日間の旅行の間で一般の朝鮮人と曲がりなりに
も口をきくことのできた、数少ない、貴重な機会のひと
つであった。わたしが、外国人が滞在を義務づけられて
いるホテルに戻ると、ロビーにはいつもの案内人が立っ
ていた。どちらへ行きましたか、と彼は尋ねた。わたし
は大学と凱旋門ですと答えた。他にも行ったところがあ
るでしょう、と彼はいった。住民から苦情の通報が入っ
ています。彼は無表情にそう付け加えた。すでに誰かが
わたしを密告していたのである。

北朝鮮が、韓国はもとより地上のいかなる国家とも本質
的に異なっている点について論じておかなければ、本稿
はどこまでも不充分なことになるだろう。それは、この
国家が金日成(キム・イルソン)を超越神とする、一種、
神聖なる宗教原理によって統治されているという事実で
ある。

平壌に滞在して日数が経つうちに了解されてくるのは、
この都市では表向きの、偽りの言説や映像があり、それ
とは別に、どこかに隠された真実なるものがあるという
のではなく、ひとたびある言説なり映像が国家の手によ
って真理として認められてしまうと、それが時間を超え
て永遠に、不朽の真理と化してしまうという現象である
。歴史は次々と新しく「発見」されて、従来の歴史に付
け加えられるのであって、もとより歴史的な時間を超越
した、崇高にして英雄的な物語と同義である。

たとえばあるとき、中国国境に近い白頭山中で、金日成
の抗日闘争を賛美する言辞を木の皮に刻みこんだという
樹木が、いっせいに何千本と発見される。ただちにそれ
は1930年代から40年代にパルチザンが作成したも
のだという認定がなされる。樹木の1本1本が永遠に現
状を留められるようにと、内側にオゾンを充満させた特
殊なガラスケースが取りつけられることになる。刻みつ
けられた言葉のなかに、金日成の息子・金正日
(キム・チョンイル)の、白頭山における誕生を賛美する
ものが多数存在していたことから、彼が今日行ないつつ
ある権力の「世襲」がすでに半世紀以上も前に予言され
ていたことが、高らかに報告される。

80年代後半にソ連で生じたペレストロイカは、日本敗
戦の時点で単にソ連軍の一大尉であった金日成が45年
9月にハバロフスクからウラジオストック経由でソ連船
に乗って「祖国」へ送りこまれたとか、金正日がハバロ
フスクから80キロほど離れたヴャツコエの野営地で誕
生したという事実を、いとも簡単に明るみに出してしま
った。だが、今日の北朝鮮を理解するうえで重要なのは
そうした事実ではなく、むしろ北朝鮮側が主張してやま
ない真実、いうなれば神話化された「真実の映像」のほ
うである。

わたしが知りたいと思うのは、祖先が(李朝の身分制度
において坐女や芸人と並ぶ賤業のひとつの)墓守りであ
ったと、金日成が回想録のなかでさりげなく書きつけた
ことの意味である。わたしはここに、東アジア的に一般
な貴種流離譚の物語的伝統が影を落としているように思
う。先祖が墓守りであったと口にすることは、北朝鮮と
いうブルジョワ階級の価値観の転倒のうえに築きあげら
れた国家にあっては、先祖が高貴なる一族の出身であっ
たと語ることと同じ意味をもつのではないだろうか。ま
して李朝時代には大いなる抵抗者である林巨正の物語が
存在している。金日成回想録の冒頭に示されたこの指摘
は、いうなれば逆立ちした名門意識であり、それは墓守
りの息子であった祖父がアメリカ帝国主義の尖兵であっ
たシャーマン号焼き打ちに加わったという、今ひとつの
輝かしい「伝説」へと素直に直結する性質のものである


「明けることもわからない夜の漆黒のなかで三千里疆土
が限りなく悶え苦しんだとき、1912年4月15日、
万景台の小さな藁屋では死に瀕した国と民族の運命を救
ってくれる傑出した英雄の誕生を知らせる呱々の声が世
に轟いた。民族の偉大な太陽であられる金日成同志が誕
生されたのである! 偉大な首領の誕生、それは間違い
なく万景台の限りない喜びであり、民族最大の慶事であ
り、祖国光復と民族再生の未来を約束する新しい朝の曙
光であった。」

金日成の藁小屋での誕生物語の背後に、キリスト教のイ
エスの誕生をはじめとする、英雄神話の冒頭と同じ構造
を見てとることは困難ではない。それは、金日成が両親
の信奉するキリストの伝統のもとに少年期の精神形成を
成しとげたことと関係しているかもしれない。だが同時
に想起しなければならないのは、世界中にあまねく存在
している太陽神話との類縁性であり、それは金日成の生
涯を一挙に宇宙論的な規模の登場人物に仕立てあげるこ
とになる。万景台での彼の生誕は神話的始源児の誕生で
あり、幼年時代のさまざまな逸話は悪戯好きの童児神に
は欠かせないものである。抗日闘争は悪と暗黒の支配す
る世界に対する、新世界創生の苦しみの物語に他ならず
、その結果創造された朝鮮民主主義人民共和国は完成し
た新世界であって、そこでは本質的に時間は停止、とい
うより消滅してしまう。

それにしても興味深いのは、「日成」と「正日」という
固有名詞が主張する太陽神信仰の正統性であって、その
命名のあり方は、日本近代の天皇たちのそれとどれほど
似通っていることだろう。昭和のあとを平「成」が継ぐ
ように、日「成」の後を正「日」が継ぐというわけだろ
うか。平壌のいたるところに貼られた金日成の肖像写真
と人々が着用を義務付けられている金日成バッジは、戦
前の日本に存在していた「御真影」を思い出させる。神
話的想像力が映像を統轄するさいに生じる奇怪な現象と
して、この二つの例は世界史的に記憶されることだろう


平壌への旅から1ケ月ほど経ったころ、もっとも興味深
く、また思いがけない反応があった。われわれの通訳兼
監視の役を勤めた案内人のひとりが、60年代の中頃に
単身で、日本から「祖国」へ渡ったということを知らさ
れたのである。少年は金日成総合大学をきわめて優れた
成績で卒業し、やがて映画の輸出業務部に勤め、外国の
貴賓来賓の接待と案内を担当することになった。わたし
は彼が、この地で帰国者として、文字通り「生き延びる
」ために、けっして人前で頭角を現わしてはならないと
自分に強くいい聞かせるに至った日のことを、ある痛ま
しさをもって想像する。

今、この奇妙な旅の直接的な興奮がいくぶん遠のいたあ
とで少しずつ了解できてくるのは、北朝鮮全体を覆って
いる神話論的枠組であり、これは日本のマスメディアに
横たわる卑小な紋切型とは比較にならないほどに巨大に
して空虚な宇宙論的規模を誇っている。実現されたユー
トピアにとうとう来てしまったのだ。わたしもまた、そ
う思った。だが、ユートピアが本来「ありえない地」を
示すギリシャ語であるとすれば、この表現はなんと滑稽
なことか。そして現在、このユートピアは平壌中央に聳
え立つ巨大な三角形の高層ホテル(金正日の指示で着工
された、高さ300メートル、3000の客室と
2000人収容の大宴会場をもつ朝鮮最大のホテルだが
、突然工事が打ち切られた)のように、みごとに奇怪な
残骸を晒している。





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Last updated  2019.05.13 22:36:19
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