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2009.08.11
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カテゴリ: 台湾
聖明宮 龍


赤いTシャツを買いました。故宮博物院では、古代から
清代までの玉、銅器、陶磁器のなかに描かれた龍を発見
して、ミュージアムショップで龍の絵を購入。翌日の6
月9日(火)に訪問した九份(ジューフェン)の山頂では、
再び龍づくしの寺院・聖明宮にたどりつき、土産品店の
片隅に埋もれていた龍の置物を買いました。

台北の北東に位置する九份と、となりまちの金爪石(ジン
グワシィ)は、1893年に金鉱が発見されて、ゴールド

万5千人以上の人々が暮らしていました。しかし、やが
て金脈は尽き、1970年代に金鉱が閉鎖されると、町
からは人が消え、もとの静かな町に戻っていったといい
ます。

静かになった町が、今日のような観光地としてのにぎわ
いを取り戻したきっかけは、侯孝賢(ホウ・シャオシェ
ン)監督が発表し、大ヒットした映画『悲情城市』のロ
ケ地に九份が選ばれたから。もう少し正確に言うと、侯
孝賢監督の右腕として脚本を執筆してきた呉念眞(ウー
・ニエンジェン)氏は九份の出身であり、自分の青春時
代の話を侯孝賢監督『恋恋風塵』(1987)に、194

党政権が首都を台北に移すまでの話を侯孝賢監督『悲情
城市』(1989)に、日本統治時代の1920年代の話
を王童監督『無言的山丘』(1992)に、それぞれ映像
化して、九份の歴史を広く一般に紹介したのです。
九イ分の街並み
<九份の街並み>


日本語の台湾ガイドブックで、「九份は、宮崎駿監督
の『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルである」と紹
介されたからとのことでした。

山の上の聖明宮の龍たちとともに、基隆(ジーロン)の
港町を見下ろしていると、福建省泉州から渡ってきた
人々によって見い出された龍が、黄金色に輝きながら
、山の稜線を走り降りていく様子が見えるような気が
しました。
九イ分から基隆を望む
<九份から基隆を望む>

前回、龍という架空の霊獣は、生命の気の威力を具体化
させた観念図像であることを見てきました。今回は、そ
のような気の流れが、山頂から稜線を走り降りて、台湾
の社会に、どのような影響を与えていったのかを見てい
きたいと思います。

「中国の秘密結社は、数百年どころか数千年の歴史を持
ち、その伝統は地下を脈々と流れているのだ。そして中
国の秘密結社はドラゴンにたとえられる。竜の頭がちら
りと地下からのぞく。やがてとめどなく長大な、果てし
ない竜尾が彼方ではねあがる。ニューヨークで頭をもた
げた竜は、はるかにその尾を、香港から中国本土の奥深
くまでのばしているのである。秘密結社は犯罪や陰謀と
結びつけられて、幻想的なイメージをふくらませてきた
。だがその一方、それが民衆の助け合いといった役割を
果す組織という面を持つことを忘れてはならない。秘密
結社は超越的でもあるが、日常的でもあり、社会の非常
に広い範囲において考えることができる」と、古代中国
の三国志演義や水滸伝から、少林寺、現代ニューヨーク
のチャイニーズ・マフィアまで、中国の秘密結社の歴史
を追った『ドラゴンの系譜』を著した海野弘氏は語って
います。

侯孝賢監督の『悲情城市』は、港町・基隆で船荷を預か
る廻船問屋を営む林家の親子三代にわたる物語。台湾に
おける『ゴッドファーザー』の物語です。

映画の冒頭、昭和天皇の玉音放送が流れるなか、林家の
長男の文雄(ふみお)は、妾が自分の子供を産むのを、神
様に祈りながら待っており、生まれた子を「光明」と名
づけます。また、いままで日本人を相手に経営していた
、女性が接待を行う酒家を、日本の敗戦を機に大陸から
渡ってくる中国人をターゲットとするため、「小上海」
と改名して新装開店します。これらのシーンは、日本の
敗戦で、明るい未来が開けるのではという、当時の台湾
人の期待感を表現しています。
『悲情城市』小上海の人々
<『悲情城市』小上海の人々>

林家のゴッドファーザーは、75歳の阿禄老人。彼は義
侠心に富み、日本統治時代は流氓(やくざ)と呼ばれ、し
ばしば入牢の経験をもつ、筋金入りの人物です。彼には
、長男の文雄を含めて4人の息子がいます。次男の文森
は、軍医としてルソン島に従軍したまま行方不明。三男
の文良は、戦時中に日本軍の通訳を務めており、日本の
敗戦によって基隆に戻ってきたものの、精神状態に異常
をきたし金爪石の病院にしばらく入院。四男の文清は、
幼少時の事故で耳が聞こえなくなり、話すこともできな
いため、金爪石で写真館を開店しています。

1945年9月1日、蒋介石率いる国民党政権は、陸軍
大将の陳儀を台湾省行政長官兼台湾警備総司令官に任命
。陳儀は10月24日、上海から米軍機で台北入りし、
翌25日、「今日より台湾は再び中国の領土となり、す
べての土地と人民は中華民国国民政府の主権下におかれ
る」との声明を発表しました。

国民党政権の官僚は、元台湾総督府、元日本軍の施設、
日本の公営企業、民間企業、私有財産を接収しましたが
、接収に際しては官僚の着服が横行。また、日本統治時
代に差別され、行政機関や日本企業の上級職に登用され
なかった台湾人は、祖国復帰により活躍の場が与えられ
ると期待しましたが、重要なポストや管理職は、外省人
(戦後、大陸から渡ってきた人々)が独占。台湾人の就労
機会は減少し、30万人以上の失業者が巷にあふれ、治
安が悪化しました。

中国経済は、対日抗戦に続く内戦で疲弊を極めており、
物資の欠乏とインフレで、物価の上昇は天井知らずの状
況にありました。それまで日本に移出していた米や砂糖
は、不当な低価格で中国に移出・密輸され、中国からは
日用雑貨や工業製品が移入されましたが、中国の物価高
に連動し、台湾の物価を押し上げました。中国への米の
移出で、台湾は深刻な米不足となり、米の価格は吊り上
がりました。

日本の教育が浸透していた台湾人の胸中には、祖国・中
国と国民党政権への失望と軽蔑が芽生え、日を追ってふ
くらんでいきましたが、国民党政権は、日本統治時代の
教育を「奴隷化教育」と決めつけました。

九份の酒家の一室では、四男・文清を取り巻く台湾の知
識人たちがこうした議論を繰り広げ、国民党政権を批判
しています。彼らは、やがて1947年の二・二八事件
(国民党政権への市民の抗議行動)に参加したため、粛清
の標的となり、命を落とすことになります。

一方、他の酒家の宴席では、精神錯乱状態から回復した
三男・文良が基隆に賭博場を開いている幼なじみの阿城
から上海ギャングを紹介され、阿片の密輸や偽札づくり
を持ちかけられます。そして、これらの利益の取り分を
めぐって、基隆の幼なじみのファミリーや新興勢力の上
海ギャングとの抗争がくり広げられ、林家のゴッドファ
ーザーである阿禄老人の抵抗もむなしく、長男・文雄は
殺され、三男・文良は、再び精神錯乱状態に戻ってしま
います。

日本統治時代から国民党政権時代へうつる4年間、九份
の山頂から稜線を走り降りたドラゴンは、基隆や台北の
街を駆けめぐり、血を流し、歴史の表舞台から姿を消し
ました。

しかし、1949年5月10日に施行された戒厳令が、
1987年7月15日に解除されると、これを契機に呉
念眞氏が構想をあたためてきた『悲情城市』の製作が進
められました。1989年に完成したフィルムは、夏の
ヴェネツィア映画祭に出品され、グランプリを獲得。
10月には、台湾で一般公開され、九份のドラゴンは、
40年ぶりにその姿を現したのでした。

その後、九份のドラゴンは、宮崎駿監督作品『千と千尋
の神隠し』(2001)のなかで、龍の化身であるハクと
いう名の少年として登場し、私たちを勇気づけてくれた
のは、皆様ご存知の通りです。
千と千尋の神隠し





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Last updated  2019.05.16 02:30:37
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