嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(喧嘩別れ)



玄関先で吐血し、救急車で運ばれたと妹の理恵から聞いたのは
その翌朝の事だった。

とにかくオレは走った。

運動不足の中年に片足突っ込んだオレの無様な動きは
とても走りなんて呼べる代物じゃなかったろうけど。

その証拠に、駅までの一本道の行く先に
片手で奏を抱き、もう一方の手でバッグ引っ張る由香子の背中に
なかなか追いつく事が出来なかった。

ガガラガラ・・・・トランクの悲鳴。
うえぇー・・・・奏のぐずる泣き声。
がしがし、コンクリートを踏む由香子の足音。

そして、小さくしゃくり上げる息遣い。

「待て、待ってよ!由香子。」

後、数歩のところで由香子の背中に声をかける。

当然のように振り向いてもくれない。

ぐっと足を大きく動かし、由香子の肩に片手をおいた。

「・・・・なんやねんな・・・・。」

毒づくような台詞なのに、由香子の声にはまったく力が入っていない。

「一緒に。一緒に帰ろう・・・!」

「いややっ・・・。
 帰るんやったら一人で帰ったらええやん。
 ウチはもう無理やから。
 後のことはお義母さんらと勝手に決めて。」

「違うよ。
 一緒に、大阪へ帰ろう。」

見る間に由香子の真っ白な顔が赤く変わっていった。

「あほ言いなや!!あんたがっ!?
 あのお義母さん置いといて、大阪へ帰る言うん?
 どないなるかわっかってんの?」

「・・・さぁ、勘当とかされちゃうのかもな・・・?
 でも今、由香子と奏を2人で帰したりしたら
 それこそ取り返しがつかないって、そう思ったから・・・。」

「バツイチは体裁悪いってワケ?」

「そんなんじゃないよ。」

「見ててよぉわかったやろ?
 ウチとお義母さんではもう全然ムリやねん!!
 どないもならんわ。日本語通じへん!
 家族なんてやっとれん。
 あんたかて、正直しんどいやろ?嫁姑サンドの中身は。」

「由香子。
 一緒に大阪に帰ろう・・・・。
 だけど、由香子が納得できないなら
 今日は東京駅のあたりでホテルとって、ゆっくり話だけでもしようよ。」

「もう、あんたの口車に乗せられるんはイヤや。」

「ちゃんと考える。これからのこととか。
 マジメにちゃんとお前の話も聞くから。」

「どっちつかずのコーモリオトコの言う事なんか信用でけへんわ。」

・・・・どっちつかずのこうもり男。
あたってるだけに、キツイ・・・・。
なけなしの根性が根こそぎえぐられる気になる。

「頼むよ。オレの態度がよくなかったのはわかったから。  
 もう今日こんな時間から帰ったら遅くなるし、な。」

ばんっ!!

派手な音を立てて、由香子の手から小さなトランクが倒れた。

取っ手を持って引き上げると、今度は空いた方の腕に奏が押し付けられる。

「ちゃんと運んでや!」

その声の方を向くより早く、由香子はクルリときびすを返し
どんどん駅に向かって歩いていった。

「言うとくけど!抱っこして荷物持って歩くんしんどいだけやから!」

お怒りは続行中らしい・・・・。

怖い・・・・でもオレのほうはそれでも一安心したんだろう。

ほろ酔い状態で、全力疾走したツケが今頃やってきた。
足元も目の前も世界がぐるんぐるん回ってる。
奏を落っことさないように抱くのがいっぱいいっぱいで
どうやって駅まで彼女の後について行ったのか・・・。

多分、おそろしくみっともない状態で歩いたろうと思う。

品川にある、勤め先のデパートと提携しているホテルに
チェックインした頃にはもう8時を過ぎていた。

チェックインし、部屋に通されると
お茶の一杯も飲む暇もなく、由香子は奏人の世話に追われはじめた。

トランクの荷物は怒りに任せていい加減に突っ込んであるせいで
どれが洗濯が済んでいる奏の衣類か、って事すらわからない。

ともかく新品のオムツとオシリ拭きだけはピックアップして
由香子にわたす事が出来た。

吐き気と、疲れ・・・と言うか悪酔いの感じで
妙な汗が噴出してきて、まともに立っていられないのが実のところ。

かがんでオムツを引っ張り出しただけでも頑張ったほうだと思う。

・・・思っているのはオレだけのようだけど。

母親ってすごいよなぁー。

今日の由香子なんて精神的にも肉体的にも疲れきってるはずなのに
泣いてグズる奏を着替えさせ、おっぱいをやり
満腹で重くなった子供の体を抱いて立ち上がり
そのままユラユラ揺らして寝かしつけてやってる。

今、この状態でグズられたりしたら、オレだったら怒鳴るか
悪くすればほっぽり出すか・・・虐待めいた事をしてしまうかも知れない。

こんなときでも母親って・・・・母親なんだよなぁ。

かあさんも同じようにオレに愛情を傾けたんだろう。

初めての子供で男の子で、まるっきり同じじゃないか。

由香子がなにより奏人を大切にしている気持ちと
かあさんがオレを思う気持ちの何が違うんだ?

「貴信を立てて欲しい」って、亭主関白のススメはあんまり普通じゃないのか?

由香子だって両親から愛されて愛されて育ってきたのに。

余計な心配もおせっかいも干渉も、親なればこそと思う。

愛情があるから口も手も出るんじゃないのか。

それに甘えたり頼ったりがダメなのか?

独り立ちってのと親の気持ちを拒絶するのは違うだろ。

由香子がかあさんの立場になったとき。
かあさんと同じことを言ったりしたりしないって
そういい切れるんだろうか?


じゃあ親の思いに応えない子供が自分勝手なのかって言うと
それはまた違うと思う。

他人同士が結婚して家族になって行くなかで
考え方の違いや家族のスタイルとかでぶつかったりするのは当然。

由香子はかあさんのやり方考え方に合わせる努力をしてきてくれたけど
したくてしてたんじゃなく
オレがそうしてくれと仕向けてきたから我慢してただけで・・・。

一方的に我慢をさせたのが悪いのか?

オレがもっと何かすればよかったのか?

実際かあさんは古臭い。
今時「家」とか「嫁」とかはないだろう。

自分がばぁちゃんで苦労してきたからそうなっちゃたのかも知れないけど・・・、手厳しいよな。

まぁ、だから「由香子」を結婚相手にしたってところはある。

家柄はいい、見た目も、学歴も申し分なし。
うるさいかあさんの眼鏡に十分かなうはずだ、と思った。

デパート勤務でどうしようもない客のクレームやら
わがままをうまくさばいて、それを持ち越さない明るい気性の由香子なら
かあさん相手でもうまくかわしたりしてくれると思ってた。

「お金もろてプロとしてやってることと家庭は違うわ。」

後になってそう言われたけど
何が違うと思うのかがわからなかった。

そんなに四角四面に考えなくっていいじゃん、とか・・・・。

グダグダと、まとまらない思考のまま
何を由香子にどう話したのか、自分でもよくわからない。

オレの声がうるさいのか奏人が起きかけた。

由香子は奏のベッドに横になってぽんぽんと胸を叩いてやっている。

「オレ・・・オレが由香子だったら自分の事でいっぱいいっぱいになって
子供ほったらかしにしてるかも。」

「そやな。ウチも一人やったらそうかもな・・・・。」

「怖い事いうなよ。ニュースの虐待ママじゃあるまいし。」

「虐待ママってそんな特別ちゃうよ、多分。
なんかわかるって思うときあるもん。

夜中全然寝てくれんで、近所に泣き声響いたり
昼間でも理由もわからんとずーっと泣かれて何時間も抱っこしてたら
落としたろか!ってホンマに思うって。

 今でもめっちゃイライラしとったけど、人目があるから自分を抑えられるって感じ。」

「そうなんだ・・・。」

「座ってやんとちょっと位抱っこ変わってくれたってええやんとか。」

「・・・うん。」

「お茶入れてくれるとか。オヤツでも出してみるとか。」

「う・・・うぇ!?
 お茶ならティーバッグあるけど、オヤツ?」

「嘘や。
 せやけど母乳やったら水分欲しくなるし、お腹すくときもあんねん。」

「オレ・・・なんも知らないよね。」

「せやな。」

「男がさ、ちょろちょろ家のこととかすんの。 
 みっともないって言われてたんだ。女に恥をかかせるのかって・・・。」

「なんでそんなん恥なんやろ。」

「どう思う?」

「あんた次第ちゃうん?
 貴信が男は家で動くもんじゃないって思ってるならそうしたらええ。

でもお義母さんがそう言うてたから、って言うんやったら納得いかん。」

「そう言われて育ってきたからしょーがないってのは?」

「・・・・本気でそない思てんねんやったらウチも真面目に離婚考える。」

「ごめん。・・・オレ今日ダメ。
なんか自分で言ってる事がよくわかんないけど
だいぶ変なこと言ってる・・・。」

「案外、本心がそれやったりして。」

「・・・外でて頭冷やしてくる。
なんか買ってこようか?」

「んー・・・・じゃあ、レモンティ。冷たいのん。
それと甘いもの欲しいなぁ・・・・チョコはいらんけど。」

「コンビニスィーツとかでいいなら見つくろって来るけど。」

「んー・・・・シュークリームはいらんなぁ。
クリームブリュレみたいなん。」

「・・・そんなのあるかどうか知らねーぞ。
とりあえず一服してくるわ。」

財布と携帯だけ持って11階の部屋からロビーに降りた。

タバコは自販機で買えたものの、ライターがない。
フロントに言うとホテルのライターをくれた。

今時はマッチじゃないんだな、と変な感心をする。

ロビーの不必要なまでにやわらかいソファに腰掛けて
タバコの封を切る。

灰皿に手を伸ばすと、やわらかすぎるソファに体が沈んで取りにくい事この上ない。

上半身をかがめるようにしたときに、胸からケータイが落ちた。

「着信:理恵」

3回も着信があったんだ・・・・まったく気がつかなかった。

しかしどうしてもかけ返す気分になれず、ガラステーブルにケータイを捨てた。
そこに備え付けのライターがあるのが妙に気まずい。

「ふはぁー・・・・・。」

タバコの煙と一緒に胸の重苦しさが少しは抜けるかと思ったけれど
なかなかそう簡単にはいかないらしい。

夕刊を斜め読みしながら2本、きっちり根元まで吸い
なんとか普通に歩ける気分になったオレはコンビニを探しに
・・・行く前にフロントに尋ねる。

ビンゴ。

ホテル内にパティスリーショップがあった。
21時まで営業。
併設のティーラウンジでルームサービスもOK。

よし。

同じ失敗はしない。

オレだって学習するのだ。

フロントで教えられたパティスリーショップには
閉店ぎりぎりと言う時間だって言うのに、まだたくさんのケーキが陳列されていた。

(売れ残ったらどうするんだ。もっと数字見てロス抑えろよ。)

街中でケーキに比べてデコラティブで小ぶりな作りだ。
見た目はいいけど・・・これで500円単価かよ。

ホテルメイド、有名パティシェのブランド料なんてもう流行んねーぞ。

おまけに旬素材が少ない。

おそらくコレでフルラインナップだろうけど・・・。
待て、この時期に国産和栗はねーだろ。

ベリーだけじゃ仕掛けが平凡すぎ。

甘夏か、いっそ和歌山からレアものの三宝柑でも入れてこい。

ロールケーキに和三盆と黒豆!?
パクリはいいとして、地味だろっ!!春だろ!!考えろ!!

・・・・って、オレ一体何を考えてんだ?
ケーキ屋のバランスシートも販売計画も関係ないっての。
小さく笑いがこみ上げる。

まったく!
身にしみついてるよなぁ。

あぁ、帰って仕事してぇ・・・・。

会社行きてー・・・・・・。

オレってダメ夫ちゃんだよなぁー。
いいや、ダメ夫で。

なーんて。

冗談でも言えないけど。

なんか全部ほっぽり出して一人でどこかに消えたい、のがホンネかも。

超後ろ向きな気持ちを抱えつつ
由香子サマ御所望のブリュレのルームサービスを注文する。

パティスリーに配置するには一番そぐわない若い男の店員が
ごつい手でカフェのメニューを渡してくれた。

アイスティ。
オレ用にホットコーヒー。
軽食も大丈夫と言うのでローストビーフのサンドイッチもひとつ。

伝票にサインしてぷらぷらと部屋に戻った。

「おかえり。フロントの人から電話あったよ。」

「え?なんだろ?」

伝票のサインに間違いでもあったのか?

「ケータイ忘れてないですかって。」

「あ・・・っ!!」

そう言えばポケットが軽い。

「部屋まで持ってきてくれたらウチのんかどうかわかるって言うてんけど
 ケータイは本人に直接しか渡せん事になってるんやてー。」

「はー・・・。そうだろうね。」

うっかり配偶者に渡して浮気のひとつも露見する騒ぎになったら
ホテルとしては大失態だ。

「せやからもし心当たりあったらフロントに連絡してって。」

「取りに行って来る。」

「持ってきてくれる言うてたで。」

「ベル鳴らされたら困るだろ・・・・あ!ごめん。」

「なに?」

「ルームサービス頼んじゃった・・・・。」

「それやったら取りに行っても意味ないやん。
 フロントの人に言うてケータイも一緒に持ってきてもろたら?」

「あぁー・・・・ごめん。」

「あほやなぁ。」

気を利かせて奮発したつもりだったのに「あほ」かよ。

がっくりする。

確かにうっかりしてたけど・・・
なんか山梨来てからオレ、空回りどころか逆回転してるよなー。

フロントに連絡するとすぐに持ってきてくれるという。

ルームサービスも一緒にと言うと、委細承知と言ったさすがの対応だった。

やっぱフロントマンってのは違う。

フロントマンくらい気くばりやらが出来たら、
嫁姑に挟まれてもうまく受け流せるのかな?
それとも家に帰ったら、ただの空気読めない旦那になってたりして。

個人的にはただのデクノボーオヤジでいて欲しい。

デキのいい旦那や息子なんて夢物語であってくれ。
ヘタレでどうしようもない板ばさみ仲間、緊急大募集だ。

コンコン。

「あれ?今ノックされんかった?」

「そう?」

コンコン。

「やっぱりノックしてる。ホテルの人かなぁ。
 ウチ、もう顔洗ぉたから出て。」

へいへいへーいっと。

一応、確認してからドアを開けると
さっきライターをくれたフロントマンがルームサービスを持って立っていた。

「清水様。こちらの携帯電話でお間違いないでしょうか?」

「あ、そうです。ありがとう。」

「ルームサービスはいかがいたしましょう?
 中まで運ばせていただきますか?
 お子様がお休みでしたら、ワゴンのままこちらに置かせていただきますが。」

と、手でドア内のスペースを指し示した。

「そうだね。じゃあそこに置いていってもらおうかな。」

「失礼致します。」

ごくわずかな物音しか立てず、方向転換させてワゴンをピタリと壁際に寄せた
フロントマンを見ながら、
コイツ、子連れ客だからわざわざノックしたんだろーなぁ・・・と考えていた。

ダメだ。

コイツは「ダメ夫連合会」には入れてやんねー。

確信犯的半酔っ払いのオレはいちいちそんなくだらないことを考える。

オレ酔っ払いだも-ん。

真面目に由香子とかかあさんとの関係とか考える、って言ったものの
やっぱり重過ぎて、せめて酔いが残ってるうちは逃げていたいって。

疲れたよ、オレだって・・・・・。

休みたい。

「ケータイ光ってんで?」

「あ。ああ・・・着信・・・理恵から。」

「ふーん。かけなおせへんの?」

「・・いいよ。用があればかけてくるだろ。」

どうせうるさく言われるに決まってる。

「大騒ぎなってんちゃうん?アンタが出てきたから。」

「大丈夫だろ。」

「そーなん?」

心なし由香子の声のトーンが明るくなってる・・・か?

ベッドから立ち上がり
ひょい、とワゴンを覗き込んで今度ははっきり明るい声を出した。

「うわぁ!すごーい。」

「コンビニのんでもよかったのにー、でもすごいやん、おいしそう。」

ルームサービス仕様に小さな花やカットフルーツで飾ったケーキの皿を持って
由香子はどこで食べるか、悩んでいるようだ。

「ソファしかないなぁ。でもこのテーブル小さすぎ。
 こっちにしよかなー・・・・うーん。」

結局、備え付けのデスクは前に鏡があって
自分が食べる顔が見えるのがイヤ、とか言う理由でソファに落ち着いたようだ。

「奏が寝てから、夜こっそり秘密のオヤツ食べるのがたまらんのよねぇー。」

なんじゃそりゃ。

泣いてわめいて大騒ぎして、挙句に喧嘩別れして亭主の実家飛び出してきた女の態度がコレかぁ!?

つい何時間か前の話じゃなかったのか?

なにが「ふわぁー。」だよ。

なにが「しあわせぇー。」だよ。

・・・わからん。

理解できない。

「あ・・・・あのさぁ・・・・かあさんの事だけど・・・。」

「もぉ、せっかく浸ってんのに今そんな話持ち出さんとってよ。」

「でも話し合おうって。」

「だって今日なんかムリやん。貴信自分で何言うてるかわかってへんやろ。」

「ちょっと酔ってたかも・・・疲れてたし。」

「うん。せやから今日はパス!!
 ウチももう考えたくないねん、食べたら寝よっ。」

「・・・。」

「大阪帰るんやろ?ウチと。」

「あ・・・うん。」

「ほんなら今はそんでええわ。
 ウチもな、今日話したって冷静にしゃべれんと思うし。
 なんか怒りすぎてしんどいし。」

そんなもんなのか?














© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: