嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(供述)



その被疑者は先輩刑事から聞いていた人物像からはずいぶん離れた態度で僕を見上げた。

「刑事?」

「あぁ、山口だ。」

「アッチから偉い人が覗いてるワケ?」

アゴで室内の鏡を指し示す。

「ドラマの見すぎだ。船越さんもすぐに来る。」

「フーン、ドラマって言えばさぁ、取調べでかつ丼食わせてやるっての。
 アレ、嘘なんだってね。犯人の自腹なんだろ?」

・・・なんだ?コイツ。

「松浦、お前自分が何をやってここにいるのかわかってんのか?」

「わかってるよ。船越さんにも全部話したし、そこのオジサンも調書書いてんだろ?
 読んでないのぉ?」

人をバカにしきった物言いといい、反省の色がまったく見えない態度といい!
許せない、腹のそこから怒りが湧いてくる。
こんなヤツ殴れるものなら殴ってやりたい!

肩で大きく息をして、僕は自制心をフル稼働させた。

「お前のおかあさんが着替えとケータイの充電器と金を持ってきた。」

「は?あのばばぁ、バカじゃんー!ウケルー!!
 こんなとこでケータイなんか使えねーっつーの。なぁ。」

ひゃはは、と言うような人をあざける笑い声.
船越さんの前でこんな様子は見せていなかったはずだ。
若い僕をなめているのだ。

「それと現金が20万円。どう言うこと?」

「あぁ。給料日だったんだよ、だからじゃん?」

じゃん?って聞くな!語尾あげんな!聞いてるのはこっちだよ。

「確か調書では無職になっていたはずだけど?」

イヤミをこめて調書の話を持ち出す。

「うん?ばばぁがさーいい大人がみっともないとかっつって
 ウチでやってる駐車場の管理代とか言って金くれんだよ。
 税金対策ってヤツじゃね?」

「じゃあその駐車場の管理がお前の仕事と言うことか?」

「あはは!そんなのやってるわけねーじゃん。」

「じゃあ実際には無職なんだな?」

「いちおー、ゲームのモニターとかはやってるけど?」

「それはほとんど現金収入にならないだろ。」

そう言うと、松浦の関心が急にコッチに向いたようだ。

「わかってんじゃんー!あの船越さんじゃさぁイマイチわかってくんなくって
 まぁいいかなって無職でいいかっと思ったんだけどー。」

わからないのはお前の日本語だ!

「安定した収入はある。仕事も、まぁ一応はあるって事か。」

自分を受け入れない社会に対する八つ当たりと言う線はないのか?
ますますわからない。

「事件の動機が『車を安物と言われてカッとなった』とある。
コレは?本当にそれだけ?」

それだけなら『動機』と言うには軽すぎる。
嘱託殺人と言う可能性も否定できないと、
船越さんからできる限り本音を引き出すように言われている。

でなきゃ、こんなヤツと波長あわせてられるもんか。

「だって、ムカつかね?
あいつ、オレのことバカにしやがったんだ。」

「お前をバカにした?車の値段が安いって言ったんじゃないのか?」

「そうだよ、こんな車安物って笑いやがったんだ。
てめぇは一戸建てに住んで、ガキがいて車持ってて。
いかにも幸せな家庭見せつけて・・・オレを見下してんだよ。」

『理想への嫉妬』これは船越さんの話どおりか。

「見下すも何も、初対面でお前の事なんか知らないだろうが。」

「ちげーよ、オレが仕事してないこと知ってて笑ったんだよ。
平日休みな仕事があんのも知らねーんだって。」

とんでもない自意識過剰ヤローだ。
けど、自分のことも他人のことも見下した厭世観のようなものも見え隠れしている。

「そんでGT-Rは安モンだっつって。
あのおっさんにとっては安モンて言うのがマジムカついた。」

『バカにした』『ムカついた』と言うフレーズがむやみに連呼される割に
当人には感情がフれる様子もなく淡々と語り続けている。

「お前をどうこう言ったんじゃないじゃないか。
被害者は自分の車を謙遜しただけだろ?」

「オレには安モンでもお前には買えないだろって言いたかったんだよ、あの人。」

・・・なんてひがみ根性だ。

しかし経験の乏しい僕から見ても、
たったそれだけ?と思うほど底が浅い。

果たして重い工具入れを持って、見知らぬ他人に殴りかかるほどの話だろうか?

イヤな例えだが
「人を殺してみたかった」
「死刑になりたかった」
と言うほうがまだ理解しやすい。

つまりそう言う発想に行く位、クレイジーって事だ。

「理想的な家庭で、おそらくは仕事もバリバリこなしていて
休日にマイカーを洗車している被害者が、無職の自分を見下した。
おまけに自分には手に入れられないその車を安いものだ、と言ったから
それに激昂した・・・と、そう言うことなのか?」

今までの話を整理して聞きなおす。

「何回言わせんだよ!・・・・あぁ、そうだ。そう言えばさぁー。
アイツ、車の事でも人をバカ呼ばわりしたんだ。
GT-Rじゃなくて普通のスカイラインだって。
オレ勘違いしてただけっつーか、言い間違えただけなのにさぁ
何も知らないバカ見るような目つきで笑いやがったんだよ。」

ばんっ!

なんだよ、それ!
なんなんだよ、その自分中心の被害妄想は!

僕は松浦を殴る代わりに机を思い切りたたいた。

「たった、たったそれだけの事で人を殺したって言うのか!?
何の関係もない赤ん坊まで巻き添えにしたのかよ!!」

「あー・・・あのガキぃ。
でも死んでないんでしょ、怪我させちゃっただけだよね。」

「どういう言い草なんだっ、自分のしたこと考えろよ!」

「だからちゃんと話してるじゃないですか。反省文とかかきましょうか?
刑務所だって行くし。
ちゃんと素直に白状すんのが更正の余地ってヤツなんでしょ。
オレ、ちゃんと悪いことしたなってまじめに反省してますからー。」

「ふざけんなっ!」

「気が動転してたんですよ、カッとなって発作的に人を殴ってしまった。
動揺しているところに赤ん坊の泣き声がしてパニックになった、ね。
子供に危害を加えるつもりなんかなかったんです。」

このクソ野郎がベビーカーを持ち上げて投げたところは目撃証言がいくつもある。

パニックどころか、平然としてたって言うじゃないか!

クソガキめ・・・船越さんの不機嫌の訳がはっきりわかった。

コイツ。

事件を起こして取り調べられてる刺激が楽しくてしょうがないんだ!

*

「あ、あああー、うあああー・・・っ!!」

閉め切った病室いっぱいに由香子さんの叫び声が充満して、
それを聞いているこっちの心が切られるような気持ちになった・・・。

お兄ちゃん。

あたしはお兄ちゃんの眠っている部屋には入れなかった。
もう顔もわからないくらいになってるって聞いて怖くなって・・・ごめんね。

自分の周りでそんな怖い事が現実になるなんて考えた事もなかった。
それが自分のそんな近い人に起こるなんて・・・ありえないって。

今までずっと一緒って言うか・・・・
フツーにバカやって、フツーにケンカして、ごはん食べて。
お兄ちゃんが結婚して大阪に行ったって、ずっと兄妹だったじゃん。

悲しいよりも怖くて怖くて、ずっと膝が震えっぱなし。

なんか自分の中で何かごっそり抜け落ちたみたいに寒い、と思う。

「奏!奏どこ!貴信が!死んだ?ウソや、なんでよ!」

由香子さん・・・それ以上大きな声出さないで、全部破れちゃうよ。

あたしとは違う悲しさがこの人にあるんだ。
自分の夫を失くす気持ち。
悲しいんだろうね。

でもあたしにはわからない。

由香子さんにお兄ちゃんを失くす気持ちがわかんないように
あたしには夫を失くす気持ちはわかんないよ。

この部屋には自分だけにしかわからない悲しさを抱えた人が押し込められてる。

おかあさん。

由香子さんのせいじゃないのに、恨んでないといられないんだろうね。

あたしの事よりずっと大事にしてきたお兄ちゃんを、取って行った相手だもん。
誰にも文句の言えない『結婚』って武器を振りかざして
自分の宝物を正面切って奪い取って行った由香子さん。

それなのにそのお兄ちゃんを見殺しにしたって、そう思ってんだよね?

恨み言を言いながら、高城のおとうさんの背中につかみかかるおかあさんの唇が血で真っ赤に染まってる。

ねぇ。あたしが同じ目にあっても同じように唇噛み切るくらい泣いてくれる?

あぁ・・・・あたし今おかしい。
なんでこんな事考えてるんだろ・・・。


「いてへん、なん・・・ここにおらへんの!?これっ何よ!?」

自分で何を言っているのかわかってないだろうなぁ。

ベッドの上の由香子さんの体はまったく動かない。
真っ白な顔のろう人形の口から由香子さんの『音』が噴き出してきてる。

「そ・・・?う、うぐっ・・・どこ・・・・ぉー。
なんであの人がおるん!?なぁ・・・。
『コロサレタ』ってナニ?・・・あれ、なに・・・?奏人は?
わからん!そんなんわかれへん、たかのぶっ!」

あたしは狂っててココにおるん?
妄想と現実が区別ついてないの?
この人が狂ってるの?
それともみんなでおかしくなって病院に閉じ込められてんのかなぁ。

「奏人!奏人!
おと・・・ちゃん?奏・・・どこ?う、うあああーぁん!」

声を出すのが苦しい。
ノドの奥が締め付けられてて、由香子さんの叫びで息ができずに死んでしまいそう。

「由香子、奏はな」

「奏人は連れて帰りますよ!」

おかあさんがそう言い放つ。

「奏人は清水の子です、連れて帰ります。
 貴信の・・・あの子のお葬式もこっちでやります。
 アンタが喪主なんて認めない・・・っ。
 絶対に許さない!」

「志づる!何を!?
 すまない、由香子さん。みんな・・・その訳がわからなくなってるんだ。
 まさかこんな・・・。」

「訳!わかってますよ!こんな嘘つきに奏人をまかせておけない!
 母親としても妻としても最低の事をしたのよ!」

なんでそんな事言うの、おかあさん。

「ええ加減にせぇ!
あんたも気の毒や思うて黙って聞いとったら口一杯事言いおって。

なんでワシの娘がそこまで言われやないかんのや。
悪いんは通り魔やろが!恨む相手が違うやろ!
自分だけが被害者ちゃうぞ。
一番の被害者は由香子とちゃうんか!

それを身内のあんたがなんで責め立てて傷つけんねん!」

「申し訳ありません!」

おとうさんが、土下座でもしそうな勢いで謝ってる。

「謝る事なんかありませんよ!」

おかあさん、だって違うって自分でもわかってんでしょ?
悪いのはマツウラってヤツなんじゃん。

由香子さんすごい苦しんでるよ。

「いいえ、謝ってもらいます。」

いつの間にか、高城のおかあさんが戻ってきていた。

「ウチの由香子が気に入らないならそれで結構。
縁も切ってもろて構ましません、籍も抜いてください。
せやけどね、由香子のせいにするんは筋が違うんとちゃいますか。

お宅に黙ってこの子が仕事行ってたんがどんだけ悪いことか知りませんけど
この子ら夫婦で決めて納得してやってきてたんです。

それを騙したやの、貴信さんに何もかも押し付けて自分勝手してたやの言うんは、お宅の勝手な理屈やないの。
おまけに由香子が留守しとったから、こんな事になったやなんて。
ようそんな道理の通らんこと言うてくれるわ!」

流れるようにまくしたてる高城さんに、おかあさんはまったくひるむことなく言い返す。

「由香子さんがちゃんと家にいれば、奏人だけでも助かったってそう思いませんか?」

「家に押し入られて三人とも被害に遭うたかも知れんやないの!」

「もっと早く助けを呼んでたら貴信を助けられたかも知れないじゃない!!
車なんて洗ってないで、三人ででかけてたかも知れないっ!」

「仕事やのうて、ご飯の買いもん行ってたかってお宅はそう言うて由香子を責めるんでしょうが!」

「だけど現実にアルバイトだって行って出かけてたんでしょう!
1歳にもならない奏人を置いて!信じられない!!」

結局、おかあさんが怒ってるのはココなんや。
夫と子供を置いて仕事に出ていた由香子さん。

自分から息子を奪って行くのなら
だったら自分の身代わりとしておにいちゃんに尽くして当然て思ってたもんね・・・。

「そしたらナンですの?貴信さんがあの日家におったんも、車洗うてたんも
通り魔に遭うたんも、全部由香子に責任おっかぶせる言うんですか?
隕石落ちてきたってそないして由香子のせいにするんですか!?」

「そんなところに話を飛ばすのはおかしいんじゃないのっ!?」

「最初っから話を飛ばしてるのはそっちじゃないですか!
もういいです、お帰りください。」

「奏人を連れて帰ります。」

ピシャ、とおかあさんは厳しい声で言い切った。
由香子さんはそれが聞こえていないのか、ずっとなにかつぶやいたり
突然大声で泣き叫んだりしている。

・・・なんかこの人って甘いよね、と思えた。

「何言ってるんですか、渡しません!」

「うちとは縁を切るんでしょう?だけど奏人は貴信の子供なんです。
清水の子供よ、こちらで育てるわ、どこにいるの?」

「あほ言いなっ!奏人の母親は由香子や!
今、奏と由香子を引き離してどないすんのっ、鬼か、あんたは!」

「鬼で結構です。無責任な人にうちの奏人を預けておくことはできません。」

「母親なんですよ!?」

「肩書きだけの母親なんてむしろ迷惑です。奏はどこなんですか?」

「いっぺんたりと!・・・由香子だけちゃう、奏の具合すら尋ねんかったあんたには渡せません!」

「夫と子供がこんな事になっているのに、のんきに気絶している人よりは
いいと思いますけど?」

「のんき!?よくもまぁ・・・・っ!」

おかあさんに向かって高城さんの手のひらが向かってくる。

あぁ、これはしょーがないかも、なんて思って見てたら
由香子さんのおとうさんが二人の間に割って入った。

「清水さん、今日のところはこのまま帰ってください。
奏人は全身打撲で、足は骨折しとるそうです。
頭打ってるかどうか、脳波の検査をしたりしとんです。
そうそう病院から出れるもんやありません、わかりますか?」

「脳波・・・?」

警察ではベビーカーごと投げられたって言う話しか聞いてなかった。
まさか頭を打って重症とか・・・。

「CTでも脳波でも今のトコは異常はありませんて。
せやけどあんな子供に骨折は大怪我や。
しばらく乳幼児のICUで見てやなあかんて言うてはる。」

高城のおとうさんの話にあたしは思わず口を出した。

「植物状態とか障害とか・・・そう言う感じなんですか?」

「いや、そんなんではないんよ。
意識は戻ってるし、今のところ脳に障害が出てるような様子もありませんて。
せやけどね、あんな小さい子供のことやから急にどうなるかわからんでしょ。
せやから今日のとこは、おかあさんに帰るように言うてくれはる?」

言葉を引き取るように説明してくれたおかあさんはやわらかいモノ言いだったけど、
それよりさっさと連れて帰れって言いたいのがよくわかった。

「おかあさん・・・。」

振り返るとおかあさんは、うずくまって小さく震えてる。

「どうしたの?」

障害とか言われてショックだった?

「あ・・・・足。足の怪我・・・・千周寺の先生の言った通りよ。」

「え?」

「名前、つけるときに鑑定してもらったじゃない!
そしたらこの子は足の怪我に注意するようにって・・・・っ!」

100%占いを信じてるおかあさんはよくわかんないって思ってたけど
さすがに背中に寒いものが走る。

「ねぇ!あなたに送った鑑定書にも書いてたはずよ、そうでしょ?」

由香子さんにその声は聞こえているはずがなかった。

それは由香子さんがママだからなのか?
混乱しきった状態でも奏ちゃんの怪我の話だけは聞きつけて
点滴の器具を引きずって、立ち上がり部屋を出ようとしている。

なぜかうちのおとうさんが、狂ったように暴れる由香子さんをなだめてるのが変な感じ。
理恵、ナースコール!看護婦さん呼べって言われたから
言われるままあたしはベッドサイドのコールボタンを押した。

・・・この騒ぎ、看護婦さん見たらどうなんだろ?
病院の人は知ってるのかな、事件の事。

「あらかじめ占いでわかってたのに防げんかった由香子が悪いとでも言うんですか?」

「そんな鑑定があるんなら気にして育てるのが当然でしょ?」

「誰がこんなことを予想して暮らしてる言うんですか!
そない言うなら、貴信さんが事件に遭うんを予言できんかったお宅のほうが、よっぽど責任あるんやないですか!?」

「お、おい・・・。」

「おとうちゃんは黙ってて。
そんだけえらい先生がいるんやったら、貴信さんの運勢でも占うてもろてたらよかったんや。
先にわかってたら防げたんちゃうんですか?
それをせんかったお宅の方が母親として無責任なんちゃいますの?」

「だ・・・誰が息子が犯罪に遭わないかなんて考えるもんですか!」

「そうです、誰かてそんな事考えへん。
先の事なんか誰にもわかれへんのに、由香子にそこまで責任負え言うんはおかしな話でしょ。」

「話のすりかえよ・・・っ!」

「今日はいったん帰ってください。ウチの方も混乱してますし
ほら、お医者さんら、来はりましたわ。

清水さんも今日は普通やないと思います。
みんなおかしいになってて当然の話やし・・・。
顔合わしててもモメるだけとちゃいますか?」

ねぇ、と言うような顔で高城のおかあさんはあたしの顔を見た。

看護師さんに言われるまま、
あわあわと二人がかりで由香子さんを抑えている男性陣ではお話になりません、って感じ。

「おかあさん、行こう。」

おかあさんは全身を震わせ、大きな涙を流しながら高城母娘を睨みつけていた。
怒ってる、と思ってた高城のおかあさんもなんでか泣いている。

お医者さんに鎮静剤を打たれた由香子さんは立っていられなくなったみたいで
床に座りこんだまま、なにかうわごとを言っていた。

「おとうさん・・・。」

帰ろ、と言いかけたのを手で制された。

おとうさんは、高城の両親に向かって

「すみません、家内は今自分で何を言っているのかわかってないんだと思います。」
と、深々と頭を下げた。

「・・・わかってます。」

あれだけ大声で怒鳴った高城のおとうさんは小さな声で

「誰彼かまわず恨まずにいられないほど苦しまれとるんでしょう。
あのしっかりした人があぁまで・・・・。
アイツが殺したのは貴信君一人じゃない。
ここにおる、全員の心を殺したんや。」

「そうです・・・・この手で犯人を同じ目に合わせてやりたいっ!」

あぁ、とうとうおとうさん達まで泣いちゃった・・・。

あたしはガランと広がる心の空洞の中で
ここにいるはずのないお兄ちゃんの事を考えていた。

ねぇ。おにいちゃんならこういう時どーすんの?


あたし。

もうなんだか・・・つかれたよ。


*

「どうだ、何か出たか?」

私は数時間前の自分と同じ表情で煙草をふかしている若い刑事に尋ねた。

「船越さん。なんていうか機械相手にしてるみたいです。」

「あぁ。」

最近自分勝手な理由で簡単に他人に危害を与える人間が増えた。
こんな現場にいると、身をもってそう感じる。

今まで数人かそう言う輩と接してはきたが
あの松浦と言う男からはまったく異質のニオイが立ちこめていた。

人間性も感情もない、脳に埋め込まれたチップが回路から選んだ言葉を
順番に再生しているような。
山口の言う、機械を相手にしていると言う感想は言いえて妙だ。

どんな凶悪犯でも具体的な殺傷方法や動機なんて話になると
黙り込む、嘘をつく、躊躇する、怒り出す、居直る、内容はさまざまだが
何がしかの『防衛』をするものだ。

特に自分の不利になりそうな話なら簡単に口にするものはいない。

その反応がないイコール、自供がヤツの『台本』だと考える私の発想は飛躍しているだろうか。

「なんで現場にいたのか確認できたか?」

「はい。アルバイトの面接の帰りだったようです。」

「それで?」

「面接結果は思わしくなかったようです。
まぁ、そりゃそうでしょって感じですが。」

「お前の意見は聞いてない。」

「すみません。」

「仕事に就けない鬱憤・・・ない事もなさそうだが・・・。」

松浦本人も、定職のある被害者が無職の自分を見下したとは言っていたが、どうも腑に落ちない。

んー、とうなっていると山口が私の台詞をアッサリと否定した。

「松浦自身、別に仕事に就きたいと言う気持ちはないようです。
自分が他人より劣る部分があるのが気に入らないだけで
金に困ることもないと言っていました。」

「ほぅ?」

期待していなかったが、意外に聞き出しているもんだ。

「母親が持参した20万円、あれは小遣いのようです。
親が経営している駐車場を管理した給料と言う名目だそうですが
実際に仕事はしていないと言っています。」

「小遣いで20万だ?」

額も非常識だが、警察で取調べを受けている息子に小遣いを持ってきたと言うのか、あの母親は。
どこかネジが足りていないと思ったが・・・・一体何を考えてるんだ。

しかし・・・月に20万?

『被害者が車を安いと言った。
自分に買えないものを安物扱いしたので腹が立った。』

それだけ自由になる金があるなら車くらい買えるんじゃないのか?

松浦が供述した動機の、芯らしき部分まで信憑性が薄らいでくる。

仕事をする必要はなく金回りもいい。
恵まれない自分?社会への恨み、幸せな家庭へのねたみ・・・。

あるのか?そんなもん。

こうなってまで『ウチの子に限って』を崩さないあの母親の顔を思い出す。
相当変わった人物だが息子を溺愛しているのは確かだろう。

他人を妬むほどの不幸がどこにある?

家宅捜索まで、この母親の抵抗にあって難航していると言う。
・・・なんとなく想像がついた。

「他は?」

「職業ですが、ゲームのモニターをしていると言ってました。」

「新作ゲームをやりこんでソフトだの、謝礼をもらうヤツだろ?」

「ご存知でしたか。」

「当然だ。」

「船越さんに言ってもわかってもらえなかったので無職と言うことにしたと言ってましたが。」

「それが職業になるか!」

「え・・・と船越さんの意見はアリでしょうか?」

「屁理屈だけはいっちょまえか?」

「ちょっとした冗談です。」

「阿呆が!まあいい、よくやった。」

「そうですか?」

「喜ぶな、40点!」

私は煙草の煙を意識して細くゆっくり吐き出しながら情報を整理しなおした。

なんだ?鍵は。

本当にただのクレイジーで済ませられるのか。

「あの・・・聞き込みの方からは何か入って来てるんでしょうか?」

「今のところ近所の評判は最低と言うことくらいだな。
何をしでかすかわからん一家だと噂されていたようだし。」

「家は宿泊施設経営って聞きましたが。」

「わかるか?」

「そうですね、一切接客の必要のない宿泊施設かと。
もしかしたら風俗営業なんかも可能性はありますよね。」

「60点。」

「だとしたら、そっちの客として来ていた被害者とトラブルがあったと言うのは考えられますか?」

「被害者の妻の線もあるぞ、50点。」

「あー・・・でもトラブったとしても、松浦本人は仕事をしているわけじゃないから直接の接点はないですよね。
親に頼まれたからって言うのは考えられるでしょうか?」

「そうだな、可能性のあることはすべて考えにいれておけ。」

「じゃあ、被害者の奥さんに頼まれたってのもアリですかね?」

思ったよりオリコウさんじゃないか、80点つけてやろう。
とは言え、今のところ松浦と清水夫妻の間に接点は見つかっていなかった。

夫婦は二人とも大阪市内の百貨店勤め。
妻の方は結婚を期に退社後は主婦業の傍ら、喫茶店でアルバイト。

いずれも不特定多数の人間を相手にする職業だ。
仮に松浦とどこかで接点があってもそれを確認することはできない。

第一、松浦本人が初対面、まったく面識がないと供述している。

もちろんそんな話を頭から信じてはいないが。

「家宅捜索で何がでてくるか、だけどな。」

松浦の私物・・・特にパソコンだ。
出会い系、アングラサイト、闇の職安、アウトロー掲示板。
今の世の中ネットで『求職情報』や『仕事人』を見つける事は非常にたやすい。

『嘱託殺人』

松浦本人の語る動機のうすっぺらさから来る、この違和感。
この気持ちの悪さを払拭できる答えはこれだと私は思っている。

このまま終わっては被害者が浮かばれない。
何か引っ張り出してやる。

ヤツが本音を吐露するまで、私は手綱を緩めるつもりなどない。

欲しいのは。

被害者もしくはその関係者と松浦を結ぶ線。

何でもいい、細い糸でもつながれば必ず中心の蜘蛛をたぐりよせてやる。





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