嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(オーナー)



新大阪行き、最終ののぞみの中で私はその一報を受けた。

いつもうちの豆を仕入れているバーのマスターが
そこを昼間も営業するカフェバーに変えて、自分の奥さんに経営させたい。
ついては『アレグロ・ヴィバーチェ』のフランチャイズ店として契約したいと言ってきたのだ。

単にコーヒーを転売するだけならうるさく言うつもりもないけれど
『アレグロ・ヴィバーチェ』の名前を冠したいと言うなら、きっちり契約を交わす必要があるし、店の立地や建物、インテリアもそれ相応でなければ話にならない。

その店を見るために私は神奈川まで往復していたのだった。

相手は問題のなさそうな人物だったし、
店そのものもリフォームで対応できる状態だったけれど。

こう言うのは初めてのケースなので私はすっかり疲れ果てていた。

個人経営の店の財務調査をどうしようか、などと考えているうちに眠ってしまっていたと思う。

切り忘れていた携帯電話の着メロが、静かな車内にひときわ大きく響いて
私は驚いて飛び起きた。

確か名古屋を通過した辺りだったように思う。
窓の外には真っ暗な田畑の風景が広がっていた。

「もしもし。」

応答しながら席を立つ。

「どうしたの、なにかあった?」

相手は須賀と言う社員の男の子だった。
年齢に似合わない慇懃なほど礼儀正しい青年で、私は全幅の信頼を置いている。
その須賀がこんな時間に電話を寄越すなら、小さなトラブルではない。

「・・・ずさん。」

「なに?聞こえない、電波悪い。」

「清水さんのご主人が、殺されたらしいです。」

「えっ!?」

小さく叫んで絶句してしまった。

「近隣で通り魔事件があったと警察から警戒を促すメールが入りました。 
 それからしばらくして、犯人は逮捕されたとメールが来たのですが
 その場所があまりにも清水さんの住所に近いのが気になって・・・。」

「・・・それで?」

「ネットニュースで速報が上がってくるのを待ってたんです。」

神経質な須賀ちゃんらしいけど。

「清水貴信さんって・・・。」

同じ名前だ。

頭がクラクラした。

夢の続きでも見てるんじゃないかと思った。

清水君の事は知っている。
近所に外商の得意先があるとかで何度も本店に来ているし、
私に会えば世間話くらいはする間柄。

「それで?由香子ちゃんと奏人クンは無事なの?」

「清水さんは事件の時、ちょうどシフトに入っていました。
息子さんは・・・重症らしいです。」

自分の娘さんと重なるのか、須賀ちゃんは声を押し殺して泣いているようだった。

「重症・・・。」

「ベビーカーごと投げられたとかで。」

「なんですって?なんてひどい・・・っ!人間のすることじゃないわ。
その通り魔、捕まったって言ってたわよね?身元とか出てるの?」

「それが・・・まだ確定ではないんですが。」

「・・・何?」

「松浦智、らしいです。」

「マツウラ?」

どこかで聞いた事のある名前だけど。

「覚えておられませんか?」

「よくある名前よね。」

「そうですね。偶然の一致かも知れませんが。
『Allegro』オープン直前の時に辞めた、あのフリーターの名前が。」

「まつうらさとしっ!!」

大きな鉄球が後頭部を直撃したような衝撃を受けた。

あのおかしな親子!!

携帯を握った手が目に見えて震えている。

何があったと言うの!?

「本当にあの松浦なの?」

強烈な眩暈と戦いながら、私は背中をドアに預けどうにか平静を装った。
他の乗客に変に思われたくはない。

「いえ、顔写真は出ていないのでわかりません。
 読み方も『さとし』なのか『さとる』なのか・・・。」

「じゃあ違うかも知れないのね?」

「偶然だと思われますか?」

「・・・それは事実が確認できないとわからないわよ。」

「清水さん、しばらくは無理ですよね。」

私は中で象が踊り倒しているんじゃないかと思うほどガンガン鳴る脳細胞を
無理やり回転させて須賀ちゃんに指示を出した。

「由香子ちゃんは来ないと思ってて。こちらから連絡を入れることもないわ。
 とりあえずお給料出していない分は計算して出してきて。」

「クビ、という事ですか?」

「まさか。いつまで来られないかわからないでしょ?
 こんな事情ならこのまま辞めてしまうかも知れないし。 
 いったん精算しておくだけよ。
 それとシフトは沢田さんに入れないか、声かけて。
 私は明日にでも様子見に行ってくるから。
 あ、それから。
 何かわかったらメール入れておいて、お願いよ?」

はい、失礼しますといつも通りお行儀よく須賀ちゃんは電話を切った。

私はそのまま座席に戻る気にもなれず、窓の外を流れる暗闇を眺めていた。

被害者も加害者も、
同姓同名であってくれればいい。

そう願いつつ向かった由香子ちゃんの家の前で、私はあの男に出会った。

*

朝の目覚めが最悪なのは寝不足のせいだけではなかった。
低血圧の私にとって、この雨雲と湿気を含んだ重い空気は最大の敵に等しい。

寝る前に飲み残したコーヒーを一気に飲み干して少しぼんやりとする。

・・・が。
いくら考えてみても『あれ』は夢ではないようだ。

新幹線とタクシーで真夜中に帰宅した私は、荷物すらほどかずにパソコンの前に座った。

画面の中にその『事件』が各メディアの記者の手で書き込まれている。
数時間おきに追加されてる記事の中から最新のものをクリックした。

被害者は『清水貴信さん』、『奏人ちゃん』。
犯行現場で取り押さえられた犯人は『松浦智』、読み仮名はついていないし
他の記事を探してみても顔写真はみつからなかった。

ニュースでなく、メジャーな検索エンジンにキーワードを入れてみる。

凄惨な事件の現場になってしまった被害者の家と言うのがアップされているページをみつけた。

間違いない。
私も訪ねていった事がある、由香子ちゃんと清水くんの新居だ。

事件の発生する少し前から、状況を目撃している人がいたおかげなのか
かなりの情報が上がっている。
出どころのわからない噂話のような記述にも目を通していくと
事件のあらましを把握する事ができた。

凶器になった工具箱は清水くん自身のものだったのか・・・。

どこで調べたのか同じタイプの品物の画像を載せているサイトまであった。
箱だけで10キロ弱と言う作りのよい、その方面のプロが使うような高級品だったらしい。

こんなもので殴られただなんて。

身の回りのものにこだわる清水くんらしい持ち物だと思ったけれど
もし100円均一で売られているようなプラスチックの箱なら
命まで落とす事はなかったかも、とそんな皮肉にますます気持ちが滅入ってしまう。

それから一時間ほど画面とにらみ合っていたが、
果たして『松浦智』があの松浦なのか、確認できるものは見つけられず
私は疲れきった体をひきずるようにして、ノロノロと就寝の支度をしたのだった。

脳は眠る事を命令し、体もそれに準じているのに、
気持ちだけが高ぶって眠れたのかどうか、自分でも判断のできないような長い一夜が明けた。

少し肌寒いのを意識的に無視し、
自分に活を入れるために、あえて私は水で洗顔し手早く着替えを済ませた。

マンションのロビーまで降りてポストの朝刊を取り出す。

名前は知らないけれど、顔見知りの女性に会って挨拶を交わした。
世間はまるでいつもの朝だと言うのに。

忌々しいような気分でエレベーターのボタンを押し
新聞の入ったビニールをその場で破り取ってやった。

3面に乗っていた事件の内容は夕べパソコンで見た内容と大差はない。
紙面を作った時間から考えてもそれは当然だけど、
もしかしたら犯人の顔写真がでていないかと期待してしまったのだ。

うだうだ考えているのは性に会わないわ。
由香子ちゃんにはまあ会えないだろうけど、とにかく様子だけでも見に行こう。
それから須賀ちゃんや、『アレグロ・ヴィバーチェ』のスタッフへの箝口令も必要になるかも知れないし。
いったん本店には顔を出さないと。

アウディから渋々買い変えた、出店先のショールームの車のキィを取る。
『ヴェルダンディ』、確か運命をつかさどる三姉妹の女神の名前だったはず。

ロクな運命が用意できない女神なんてクソくらえね。

駐車場から静かに滑らかな足取りで走り出すこのムダに高級な車を、
帰りに中古車センターで叩き売ってやろうかと思った。

その女神サマは値段に見合う快適な走りを見せ、ものの15分ほどで清水家の近所までやってきた。

記者なのか野次馬なのか、こんな雨の朝だと言うのに清水家の周りを
十数人の男が囲んでいる。

あれは実況のカメラだろうか。

車から降りて近づいたとしても収穫を得られる様子ではない。

どうしよう、引き返すかと思案している目の端に
いまどき珍しい黒いこうもり傘を手にした男が入ってきた。

なにかしら?

他の人々と一線を画すように、すこし離れた場所でたたずんでいたその男はこちらに向かって歩いて来た。

警察かも知れない。

関わりになるのは困ると思ったけれど、後ろ暗い事もないのに
車を移動させるほうが不自然に取られると考え直して、発進させるのを我慢した。

嫌味なほどゆっくり近づいてくる男からは、どことなく油断のならない匂いがする。
やっぱり刑事よね、間違いなく。

でも逆に『松浦智』の正体を聞き出すことができるかも知れないと思った私は
深呼吸してから、車の窓を開けてやった。

「なにか?」

「私は大阪府警の船越と言います。
ここで路駐されていますが、もしかして清水さんとお知り合いでしょうか?」

背中にヒヤリとした感触を覚える。

礼儀正しく丁寧に話しかけられているし、
私にはなんの後ろめたい事もないと言うのに・・・この重圧感こそが
本職の刑事ならではなのかも知れない。

顔の筋肉で笑顔を作っている男の視線は、一切笑うこともなくただピタリと私に焦点を合わせている。
本職のヤクザさんと対峙した時に似てると、こんな時に思い出した。

「ええ、清水由香子さんの勤め先のオーナーです。
事件を知って心配になって様子を見に来たんです。」

「そうですか、ご心中お察しします。
ところでよろしければ少しお話させていただけますか?」

「はい。」

「清水貴信氏との面識は。」

「ありますよ、ウチの店に来ていただいた事もあります。
コーヒーの専門店ですわ。」

と、一応名刺を差し出してみる。
軽い会釈をして船越と言う刑事は名刺を胸にしまいこんだ。

「『まつうらさとし』と言う名前に聞き覚えは?」

ああ!やっぱり『まつうらさとし』なのか。
いえ。まだあのおかしなフリーターの青年本人と決まったわけではない。

「どうかされましたか?」

顔では平静を装ってたつもりでも、この刑事の目には私の動揺が透けて見えているようだった。

「いえ、ちょっと寝不足気味なので。
あの・・・夕べインターネットのニュースで見ましたが、犯人ですよね?
もう現行犯で逮捕されていると書かれていましたけど。」

「そうです。」

「何を調べることがあるんですか?捕まっているんですよね?」

カマをかけてみる、かかるか?

「加害者と被害者の間の因果関係を確認するのも捜査の基本ですから。」

さすがに器用にかわされる。

「松浦智ですか、割によくある名前ですよね。」

「清水夫妻の関係者、仕事関係、お店の客、どこかで聞かれた覚えはないですか?」

「さぁ、私は経営担当ですのでお店に出入りされるお客さまと
そう顔を合わせる機会はないんですの。
支店もいくつかありますしねぇ。」

「こういう青年なんですが。」

ようやく刑事は名刺をしまった内ポケットから一枚の写真を出してきた。

アイツだったらどうしよう。

恐怖と好奇心と、ある種の期待が入り混じる不気味な感覚を覚えながら
私はその写真を手に取った。

用心深く。

表情の変化を抑え、声がうわずらないように気をつけて返事をする。

「さぁ。わかりません。」

一瞬の間があったように思うのは気のせいだったのか?
船越刑事はようやく相好を崩してこう言った。

「そうですか、もし何か思い出されたり気がついた事があればご連絡ください。
松浦の自宅は、お宅の本店から近いんですよ。」

一気に総毛だつ。

この男、何をどこまで知っていて私に話しているんだろう。
それとも私が神経過敏になっているだけなの?

「そろそろ戻りますね、由香子さんには会えそうもないですし。」

「由香子さんでしたら、市内の総合病院にいらっしゃるはずですよ。」

それもキチンと押さえているわけね。

私はありがとうとかなんとか言いながらパワーウィンドゥのボタンを押して、その男をシャットアウトした。

清水家の方から若い刑事らしい男が、船越刑事のところにかけよってきた。

船越は傘をその若者に持たせて一服している。
その表情から、何を考えているのかうかがい知ることはできそうもない。

わざと少し乱暴にアクセルを踏んで私はその場を立ち去った。





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