嫁様は魔女

嫁様は魔女

2008/06/30UP



取調べの経験などほとんどない若い刑事は暗澹たる表情を浮かべて
見るからに冷め切ったコーヒーのカップを握っていた。

「新しい話は出ないか?」

「出るっちゃ出ますが、妄言とか空想に近いような感じですね。」

「ふん。」

「過大な自己評価と言うか・・・全能感みたいなものを感じている反面、
その自分を受け入れない社会に対して屈折したものを持っています。」

「恨みでなく?」

「恨みや怒りとはニュアンスが違いますね。
自分の親の商売のせいで自分ほどの人材がうずもれていく。
この社会はなんて貧しいんだ、と言うような蔑みとひがみが混じったような感情だと思います。」

「全能感、と言うのは?」

「まずとにかく何でも知っている、なんでもできると言う事を盛んに口にしますね。
質問すると、必ずそれに関する何らかの知識があるように振舞います。
自分の言っていることがすべて正解で、それに反論されるのは許せないと言う感じも見受けられますね。

例えば、これからの処遇の話になると六法全書はすべて覚えている、
司法試験は受けていないだけで、受ければ確実に一度でパスできると言われている。
だから一切説明なんていらない、とかなりズレのある知ったかぶりが展開されます。」

「被害者に車種の違いを指摘されて逆上する素地はあると言う事か。」

「あるでしょうね。車の話題になると実はA級ライセンスだと言いはじめました。
当人は車の免許を持っていないのでA級も何もあったもんじゃないのですが
それを指摘すると、本人なりの理屈で僕がわかったと言うまで説き伏せようとするので取調べも何もあったもんじゃありません。」

「そりゃあご苦労さんだったな。」

「他にも交友関係を聞けばイタリア人の彼女がいるだの、
仕事の話をすると仮想ゲームの世界ではちょっと名の知れた特級ランクのゲーマーだのと言いだしてなかなか現実的な話にならなくて・・・すみません。」

「いや、私が相手ならそんな風には行かなかっただろう。
いいんじゃないか?」

「よくないですよ。こっちまでおかしくなりそうです。」

「親の商売を恨んでいるのか?」

「親の商売のせいで自分の人生がうまく行かないと言いながらも、
金回りのよさは自慢のタネのようです。
自分は頭が良くて金持ちだったから、学生時代のクラスメイトはみんな使い走りにしていたと言っています。」

「ふん・・・いじめられたとか言う事は。」

「僕ならいじめるでしょうけど。
でも実際あのタイプはイジメの標的になってもおかしくないと思います。
本人が認めたくなくて、見栄を張っているかも知れません。」

「取調べ中の様子はどうだ?」

「自分が喋りたい時には少し喜怒哀楽を出してきますが、基本的に機械的な
一本調子の話し方は変わりません。
ですが事件本題になるとこちらの言う事を探りながら答えを返してくるような節が出てきました。」

「処罰や警察を怖がっている?」

「いえ、成り行きを観察していると言うように感じます。」

「悪のヒーローになって満足している様子は?」

「取調べを受けている自分に陶酔しているような所があるかも知れません。」

「死刑になりたがったり、反対に命乞いをする事は?」

「どちらもありませんが・・・このまま自分はネジの飛んだ人間として適当に処分されるんでしょう、と言いました。」

悔しさもあらわに山口の手の紙コップが震え出す。

私は痙攣するこめかみを押さえながら、一層深くマルボロを吸い込んで確認した。

「妄言はわざとだな?」

「僕もそう思います。おおかたネットや何かで仕入れた過去の犯罪の顛末から
精神状態に問題のある人間のように振舞えば減刑されると考えているのではないでしょうか?」

「それをあえて口にする事こそ、精神を病んでいる人間の証左だと訴えている訳か。」

と、すれば思っていたよりは頭の回る人間じゃないか。
その回り方は見当違いもはなはだしいが。

つまり昨日私に語った『動機』も、精神鑑定を見越した『創作』の可能性もあるわけだ。

世間話程度の会話の中の些細な間違いを指摘されただけで逆上して
初対面の相手を滅多打ちにし、傍らにいた乳児をベビーカーごと投げ捨てる。

情緒不安定な自分が、逆上のあまり善悪の見境をなくして発作的な凶行に及んでしまった。

近頃よく耳にする『誰でもよかった』『人を殺してみたかった』と言う言葉が出ないのは殺意や計画性を否定するための材料だ。

ふざけるな!

これは立派な計画殺人じゃないか。

松浦は殺意を持って誰かが自分をないがしろにする機会を待っていたんだ。
きっかけは些細であればあるほど、自分の狂気を演出できる。

しかしそれならば相手は清水貴信でなくてもいいはずじゃないのか。
その直前に自分を採用しなかった面接担当者の方が動機の『つじつま』は合う。

「なぜ清水氏だったと思う?」

「それは不幸な偶然でしょう。」

「スカイラインの型番をわざと間違えてきっかけを作った可能性は?」

「自分が逆上する状況を作るためにですか?」

「無理があるか?」

「もし心神耗弱による精神鑑定を狙うのなら、会話せずにいきなり襲うほうがリアリティがありませんかね。」

「・・・ますます理解できんな。」













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