嫁様は魔女

嫁様は魔女

2008/07/08UP



なんとか約束の時間にホテルに到着した我々は
あらかじめ事情を知っているホテルマンに会議室へと通された。

ホテルがビジネスマン向けのサービスに用意している部屋なのでかなり広く
用意された二対のデスクが青いじゅうたんにぽっかり浮かび上がってうすら寂しい。

そこでは昨日の夜中に会った清水貴信氏の父親が一人で我々を待っていた。

「このたびは。」と改めて悔やみの口上を述べようとすると
「もういいです・・・。」と一旦は立ち上がった彼は力なく椅子に座りこんでしまった。

私はあえて着席してよいかを尋ねずに、うなだれる父親の正面の椅子に腰掛ける。

「非常にお聞きしにくい事なのですが。」

「はい。」

「貴信さんが誰かの恨みを買ったり、つけ狙われていたりと言うような事は?」

「ないと思います。
親ばかとお笑いになるかもしれませんが、貴信は昔から友達に頼られて、
周りの大人にも好かれる本当に穏やかで優しい子供だったんです。
外商なんて言うお客さんとの関係が要の仕事でも、ちゃんと成果をあげられているのは
貴信の人間の良さの表れだと思っとるんです。」

涙声でいかによい息子だったかを語る父親の目はアルコールでよどんでいる。

「なるほど。プライベートと言うか遊びごとについてはいかがですか?」

「そりゃあ飲みに行ったりする位はあったでしょうが、ギャンブルで金のトラブルを起こしたり
それで人から恨まれたりするようなことはないはずです。」

「見に覚えのないことで恨まれている、とかケンカになったとか。
女性問題、ストーカーの被害・・・なにが貴信さんがお困りだった事はないでしょうか?」

「・・・本当に、本当に真面目な気の優しい息子なんです。
社外の勉強会に行った先でも若い人から慕われて、彼らを家に招いて飲んだりするような・・・。」


その言葉に山口はペンを持ち替え、すぐにメモを取れる用意をした。

「自宅に招いたお友達がどなたかはわかりますか?」

「すんません。私は一切そう言うことは・・・。妻ならわかると思うんですが。
例の車を譲ってくれたのも、そのメンバーの一人だったらしいですし。」

妻、と言うと先刻病院で興奮気味に由香子さんに当たっていた・・・。

「奥様は?体調が・・・?」

言い終らぬうちに会議室のドアが静かに開いた。

「おかあさんってば。」

小柄な初老の女性を、背の高い若い女性が引きとめるようにしながら入室してくる。

その落ち着いた物腰とは裏腹に、その狂気をはらんだ母親の目つきは
手負いの獣が我が子を守ろうとする必死の怒りを見せていた。

「清水志づるです。」

「本件担当の船越です、あちらは。」

「挨拶は結構です。捜査も必要ありません。
被害者側が訴えなければ起訴されないんですよね?」

「え?」

「松浦と言う男、今すぐ釈放してくださいな。」

「そう言うわけには行きません。
あなたがどう主張されようと彼には法の裁きを受けさせる必要があります。」

「こちらがいいと言ってるんです。」

「現行犯で逮捕していますし、このまま釈放などと言う事はありえません。」

「じゃあ精神鑑定をしてください。病気なんですってね?
病気でも人格障害でも何でも構わないわ、一刻も早くあの男をこっちに出してください。」

「ご、ごめんなさい。刑事さん。
なんか報道してるかと思って、テレビ見てたら・・・・。」

『アレ』か。

松浦の母親の言いたい放題を報道していたワイドショーを思い出した。

「だけどあんなのヒドイ・・・。
ああ言うの放送して警察は何も言わないんですか?」

「だから言ってるじゃないの、理恵。警察も裁判所もアテになるもんですか。

刑事さん。すぐにあの男の身柄を自由にしてください。
私がこの手で貴信と同じ目にあわせてやります。
あの母親に生きながら地獄に落ちるこの苦しみを教えてやるわ。

終わったら私はきちんと自首します。」

「奥さん、落ち着いてください。」

「落ち着いていますよ、充分。

どうせあなたたちではアイツに充分な制裁を加えることはできないでしょう。
あんなことを恥ずかしげもなく触れ回る母親を取り押さえる事もね。」

「報復なんてできるはずがありません。
松浦は法の下で裁かれます。
我々は松浦が相応な罰を受けるのに必要な証拠や情報を探しています。
ご協力いただけませんか?」

「ずいぶんと人権主義なんですね。」

「その逆です。ヤツを一年でも長くぶちこむための材料が欲しいんです。」

「懲役10年?20年?もしかしたら心神耗弱でその半分になるかしら?
それが殺人への相応の罰なの?それで貴信が帰って来るとでも?ねぇ!?」

「残念ですが、例え松浦をくびり殺しても貴信さんが戻られないのは同じです。」

ばん!

努めて冷静な口調を保っていた彼女がデスクを両手でたたく音が響き渡る。
この妻をただ眺めている、深酒の余韻の残る男の影が見る間に薄くなってしまった。

適温にセットされたはずの部屋で目の前の女だけががくがくと体を震わせる。

「わからないの?許せないのよ!
自分の甲斐性のなさを棚に上げて八つ当たりで私の息子を殺した男と
自分が産んだ出来損ないのやった事に頭のひとつも下げられない無責任な母親が!」

落ち着きを保とうとするその声が一層鋭く耳に刺さる。

残された被害者の家族の心情としてはもっともなものだった。
だがしかしその感情を受け入れ同調する事はできない。

「あの女、息子が実刑になったって、自分のしてきたことを後悔する様な人間じゃないわ。
被害者面してのうのうと生きていくのよ。
どうしてこっちばかりが苦しまなきゃならないの!?」

「では、犯罪者の親は世間に向けて土下座するべきですか?
産んでしまった責任をとって自殺するべきでしょうか?」

「そのくらいしても当然じゃないの!そんな人間をこの世に送り出した親の責任でしょう!」

「成人して社会的責任を負うことができるようになった人間の罪は本人のものです。
親が土下座したり、まして死んで謝罪などにはなりません。」

「いくつになっても親にとって子供は子供です。
あの親!見るからにおかしいじゃないの!親がああなら子供だってろくでなしに決まってるわ。
現にこんな恐ろしい事をしでかして!」

あぁ、と腑に落ちた。
怒りが『子供』である松浦にだけでなく、自分と同じ『母親』に向いている。
彼女は常に子供と一心同体であり、『母親』たるものはそうあるべきだと思っているのだ。

嫁姑の確執はこのあたりに端を発しているのであろう。

「確かにあの母親の主張は滅茶苦茶です。

おそらくマスコミも泣いて謝罪する姿を撮るために取材に行ったのでしょう。
そうやって世間に謝る姿を晒す風潮はどうかと思いますが・・・。

あれほど自分勝手な松浦の母親の態度には私もはらわたの煮える思いをしています。
世間の好奇心を逆手に取って自己保身に走るような親は人として最低です。

このままあの母親に引っ張られて、精神鑑定でヤツに有利に持ち込ませる訳には行きません。
そのためにも清水さんには冷静になっていただいて、我々に協力をお願いしたい。」

清水志づるは唇をかみ締めて黙り込んだ。

30秒、1分・・・・広すぎる部屋に秒針の音が耳障りなほど大きく響いている。

「私にだって、それくらいのことはわかっていますよ。
この手で松浦にこの世の苦痛をすべて味あわせてやりたい。

あの母親に子供を奪われたショックで精神的に参っていたとわめいてやりたい・・。
そんなことができないのは知っています。

ですが。

あなたたちに何を話せと言うの?
私たちの話であの畜生以下の男がどうにかなるって言うんですか?

あなたにあの男を死刑にできると言うのっ!?」

法務大臣の机で決裁を待つ書類にあの男の名前を載せる事は極めて困難だと思う。

しかし私は涙すらこぼすことなく背中を伸ばして立つ清水志づるの迫力に圧倒されたかのように、その真実を告げることができずにいた。

おそらく私自身が、人を殺めたものは自らの生涯で償えと本心で思っているせいであろう。




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