紅蓮’s日記

紅蓮’s日記

第四十七話




 「なぁ、今日は長い間空けていた家の掃除をしようと思ったんだけど………」

人ごみの中、舞火に手を引かれながら龍太はため息混じりに呟いた。

「『長い間心配掛けたお詫びになんでもしてやる。』って言ったのは龍太でしょ。」

舞火は龍太を引きずりながら嬉しそうに答えた。

「はいはい、確かに言いました。で、それでオレを『ここ』に連れてきたのか。」

龍太はそう言うと入り口の看板に目を向けた。

「そう!最近オープンしたって新聞に広告が入っていたから一度来てみたかったの。」

龍太と舞火は有然町の隣で北東に位置する稲荷神市の遊園地型のテーマパークに足を運んでいた。
今日が休日のせいかこのテーマパークは多くの人で賑わっていた。
稲荷神市は有然町とは違い、中心部の小さな丘の付近を覗いて、
ほとんどが大きなビル群で成り立っている。
その中でこのテーマパークは大きな観覧車、上下左右にうねるジェットコースター、高く聳え立つ数々の絶叫マシンと都会の内部に独特の世界をかもし出していた。
テーマパークとしては決して小さくない、大型のテーマパークである。

「ほら、早く、早く!」

舞火は龍太の腕を先ほどよりも強く握り、
龍太を連れてこのテーマパーク内の人ごみの中へ消えていった。

 「おいし~!」

舞火は白いベンチに腰を掛け、
満面の笑みを浮かべながら手に持つ自分の歯型のついた大きなクレープを見つめた。
これは先ほどテーマパーク内の出店で購入したものだ。
別に名のある職人が作ったわけでもないが、
甘党である舞火に充分すぎるほどの満足感を与えていた。
一方龍太は舞火の隣で既に疲れ果てうな垂れていた。
時刻は正午を指していた。
ここに来た舞火のはしゃぎ様はとてつもない勢いだった。
舞火は龍太を連れ、午前中だけでゴーカート、コーヒーカップ、二つのお化け屋敷とこのテーマパーク内の人気アトラクションをもう半分も制覇してしまったのだ。
ふと龍太は舞火の顔に目をやった。
舞火はまだ嬉しそうにクレープを堪能していた。

「後でまた『体重が増えたっ!』って騒ぐんだろうな………」

龍太は本人に悟られないよう小さな声で呟いた。

「なんか言った?」

すると舞火は引きつった笑顔を龍太に向けた。
どうやらこの独り言を聞かれてしまったようだ。

「イタッ!」

そして舞火の拳が龍太の後頭部に叩き込まれる。

「ご案内申し上げます。
本日午後二時よりアイドルキサミのライブがドームで開催されます。
もう一度繰り返します。
本日午後二時よりアイドルキサミのライブがドームで開催されます。」

そのときだった。
龍太たちの隣にあるスピーカーから大きな園内放送が流れた。

「へぇ~、あの人気アイドルがこんなところに来てたのか。
もしかして人がこんなにいるのもその影響かな?」

龍太は前方に位置する大型ドームの白い半球状の屋根に目を向けた。

「えっ、まさか龍太ってそういうのに興味あったりする?」

舞火は半ば心配そうに、そして半ば膨れっ面で龍太の顔を見つめる。

「いや、別にオレはそういうのに興味はないな。」

龍太はそういうと手に持っていた缶コーヒーに口をつけた。

「そ、そう。」

舞火は思わず安堵の一息を口から漏らした。

「………」

龍太は無言でそんな舞火の様子を眺めていた。
そして顔に小さな、ほんの小さな微笑を浮かべた。

「ほ、ほら。もう休憩はいいでしょ?次行くわよ、次!」

クレープの最後の一欠けを口に放り込んだ舞火は立ち上がると再び龍太の腕を掴み走り出した。
龍太は半ば引きずられている状態になっている。

「お、おい。もうか!?」

まだ休憩を始めて五分と経っていなかった。
龍太は大きなため息をついた。
だが、舞火の楽しそうな笑みを見ていると不思議と悪い気はしなかった。
二人の行く先にあるのは二本の金属パイプが作り出したレールが複雑に入り組む、このテーマパーク内で一番の人気を誇るジェットコースターだった。

 「ねぇ、そういえば龍太は一ヵ月半もどこいってたの?」

ジェットコースターに乗ろうとし、長蛇の列に巻き込まれた二人は暇を持て余し、絶えられなくなった舞火がふと思い出したように龍太に尋ねた。

「ん!?グリマールワールドいた。」

龍太は龍限が命を絶ったあの日の夜、
ベットの脇に置かれた一通の手紙を見つけた。
中を開くとそれは龍限が龍太に残したものだった。
龍太の中には計り知れないほど大量の霊力が眠っていること、
龍峰家は古くから二刃家と接点があり、お互い力を貸し合って龍峰家は五匹の「龍」を、二刃家は「界龍の五神器」の一つを守ってきたこと、そして、龍限の持つグリマーに関する知識の全てが長々と書き綴られていた。
その手紙の最後には「わしの口からこのことを伝えられなかったことを誠に残念に思う。」と付け加えられていた。
さらに裏には
「わしがいなくてもお前は一人じゃない。お前には仲間がいる。
お前が仲間と共に守りたいものを守れる人になれることを切に願う。」
と書き添えられていた。
この手紙を見たとき、龍太は決意した。
守りたいものを守れる人になる、
守りたいものを守れるほどの力を手に入れると。
それから龍太は手紙を握り締め、病院を抜け出し、
龍限の力を習得すべくグリマールワールドに向かったのだった。

「本当は場所なんてどこでもよかったんだけど、なるべく周りに迷惑を掛けないような場所っていったらグリマールワールドが真っ先に浮かんでね。
あそこなら人も少ないし、山一つ吹き飛ばしてもさほど被害が出ないしな。」

龍太は飲み終えたコーヒーの缶を放り投げた。
缶は緩やかな放物線を描き、そして五十メートル先のくずかごの中に落下した。

「で、手紙の中の龍限さんの示した知識はすべて習得できたの?」

龍太が説明し終わると、舞火は尋ねた。

「『龍撃(りゅうげき)』や『龍陣(りゅうじん)』、その他諸々いくつかは習得できたけど、残念ながらたくさんありすぎて全部は無理だったよ。
それに個人個人の霊力の特性によって向き不向きのものもあったしね。
まぁ、じいちゃんの残してくれた知識のおかげで少しは強くなれたかな。」

「少しじゃないよ。龍太は成長しすぎ。
まったく、龍太がいない間に必死こいて修業して少しは龍太に追いついたと思ったのにまた大きく離されちゃった。
今度その龍限さんの残した知識教えなさいよ。龍太だけずるいじゃない。」

「相変わらず負けず嫌いだな、お前は。」

龍太は舞火の膨れ面を見て笑みを浮かべた。

「剣児たちが持ってた『界龍の五神器』が奪われた今、
これからもっと厳しい戦いになるだろうけど、お互い強くならなきゃな。」

先日のレジストグリマーズによる「有然町襲撃事件」は龍太たちの完全勝利と思われたが、その後、剣児の父、剣蔵からの知らせで二刃家の蔵に保管されていた「界龍の五神器」が奪われてしまったことがわかった。
事件直後、タツを含め、戦いに敗れたレジストグリマーズのメンバーはすぐに姿を消していた。
このことからレジストグリマーズの真の目的は「界龍の五神器」の奪取であり、有然町全域にわたって大掛かりな攻撃を仕掛けてきたのも、真の目的から目を逸らさせるための伏線だったことが覗える。
つまり、龍太たちはまんまと敵の策略に乗せられてしまったのだ。

「そうね。がんばんないとね。」

龍太の言葉に舞火は笑顔で答えた。
そんなことをしているうちに、ジェットコースターの順番はもう目の前に迫っていた。

 ゆっくりとコースターは高い、高い金属の山を登っていく。

「うわぁ!」

舞火は目を輝かせた。

「………た、高い………」

龍太は上を見上げた。
コースターはどんどん上昇し、青空に飲み込まれ小さくなっていく。
近くで見ると予想以上に高い。
龍太は背筋に悪寒が走るのを感じた。

「次だよ!次っ!」

舞火はコースターが戻ってくるのを今か今かと待ちきれない様子ではしゃいでいる。
そんな舞火の様子を横目で見ている龍太の顔には引きつった笑みが浮かんでいた。
コースターはレールの山の頂点に差し掛かっていた。
コースターはここから一気にほぼ垂直の斜面を駆け下りる。

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

乗客の悲鳴が天に響く。
だが、これは落下時のスリルを楽しむ悲鳴ではない。
本当の恐怖に怯える悲鳴だった。
コースターが急激な下りの斜面に差し掛かろうとした瞬間、突如ドームの方向から飛来した橙色の巨大な閃光がコースターの目の前のレールを破壊したのだ。
耳に突き刺さるような金属同士が擦れ合う異音が鳴り響き、安全装置の作動したコースターは大破したレールのわずか数センチ手前で停止した。
同時に破壊されたレールを支えていた巨大な金属パイプの破片が下の人々の頭上に雨のように降り注ぐ。

「風龍っ!」

咄嗟に龍太は叫んだ。
風龍は勢いよく飛び上がると大きな翼を広げ、突風を巻き起こした。
突風は落下してくる破片の軌道を逸らせ、鋭く尖った破片の雨を人のいない園内の隅に吹き飛ばした。

「て、敵!?」

舞火は慌てて周囲を見回した。人が多いせいかたくさんの霊力が入り乱れ、
霊力を正確に感知するのが難しい。
とりあえず近くに霊力の反応はない。

「ドームだ!」

龍太は鋭く言い放った。舞火はドームの方向へ意識を集中させた。
わずかにグリマークラスの霊力を感じる。
一人………二人………いや、三人だ。

「直接狙ってきたってわけじゃなさそうだな。」

ドームの三つの大きな霊力のうち、一つの霊力の波動が途切れた。

「どうやら向こうの戦闘の巻き添えを食らっちまったみたいだな………
いい迷惑だ。」

龍太はそう言うと顔をしかめた。
龍太の目の先には、支えを失った金属パイプがコースターの重みに耐え切れず、じわじわと軋みながら折れ曲がっていた。

「あのままじゃもたない。行くぞ、舞火!」

「う、うん。」

龍太と舞火はパニックで入り乱れる人々の濁流を逆走し始めた。

「キミたち、何をしている!」

龍太たちは人々の濁流を抜けると、
呼び止めるコースターの整備士の言葉も聞かずにレールの上に飛び乗った。
その間にもレールはじわじわと湾曲し、コースターは落下のカウントダウンを辿っていた。

「舞火、急ぐぞ!」

龍太と舞火は足に霊力を集めると、
自分の霊力の波動をレールの鉄パイプの霊力の波動に同調させた。
それにより両足をレールに吸着させると、二人はレールの急斜面を一気に駆け上がった。

「こりゃ………たまげた………」

二人を止めようとした整備員はただただ二人の姿を見つめているしかなかった。
小さなボルトが一つ抜け落ちた。
その瞬間レールが一気に沈み、コースターは大きく傾いた。

「だ、だれか………」

震える声で乗客の一人の女性が呟いた。
だが、体はベルトでがっちりと固定されている。
さらにわずかな振動でコースターはすぐに傾いてしまう。動くに動けない。

「助けて………」

乗客たちはただただ震えているだけだった。
冷たい風が容赦なく吹きつけ、そのたびにコースターは不気味に唸っていた。
そんなとき、目の前に一人の少年が現れた。
少年は不安定な足場の上に立ち、こちらに手を差し伸べている。

「えっ!?」

彼女は思わず声を上げてしまった。
こんなところに人がいるわけがない。
自分は幻でも見ているのだろうか。
少年は何も言わず彼女の腰に巻きつくベルトに手を触れた。
そのとき、彼女は少年の手が一瞬光ったように思えた。
ベルトは音を立てて引きちぎれた。

「暴れないで下さいね。」

少年はそう言うと彼女をゆっくりと抱き上げた。
幻ではない。少年はちゃんとそこにいる。
そして、自分は少年に助けられたのだ。
少年の腕に抱かれた彼女の意識はそこで途切れてしまった。

 「舞火、この人を頼む。」

龍太は気を失っている一人の女性を舞火に手渡した。

「助けられたことに安心したのか気失っちまいやがった。」

龍太はそう言うと再び不安定な足場に足を掛け、
また一人、また一人とベルトを霊力波でベルトを引きちぎり、
乗客を抱き上げゆっくりと舞火の下へ運んだ。
舞火は運ばれた乗客たちを足場のしっかりした太いパイプの上へと誘導していった。
コースターに振動を与えないよう慎重に乗客たちを助け続けた二人のおかげで、
コースターに取り残された乗客はコースターの最前列にいる少年ただ一人となった。
だがコースターは限界まで傾き、もう一刻の猶予も残されていない状態だった。
龍太は早く、そして慎重に少年の下へ歩み寄っていく。
龍太の手が恐怖に怯える少年の顔に触れようとしたそのときだった。
突如激しい突風が龍太たちを襲った。
この突風は龍太の足元にあった外れかかっていた一本のボルトを去れって行った。これが、最悪な事態への引き金となってしまった。支えとなっていた最後のパイプがはずれ、レールは一気に崩壊し、コースターと龍太は宙に投げ出された。

「わあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

少年の叫び声が響き渡る。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………あ?」

ふと少年は異変に気が付いた。景色が………景色がゆっくり動いている。
少年は恐る恐る下を覗いた。下に見えるのは地面………ではない。
下に見えるのは黄緑色の鱗に身を包んだ大きな背中。
巨大な龍がコースターを背中に乗せ、ゆっくりと降下しているのだった。

「………」

少年はただただ呆気に取られ、口を開いたまま硬直しているだけだった。
龍は地面に着地すると背中のコースターをゆっくりと下ろした。

「グオオオオオォォォォォォォォォ!」

龍は鋭い一声を天に向かって放つと一瞬にして消えてしまった。
同時に龍太と舞火もこの場から姿を消していた。

 「おい、さっきコースターで大きな事故があったらしいぜ!」

「大きな怪獣が現れたんだよ。おい、本当なんだってば。こっち来てみろよ!」

この騒ぎを聞きつけた多くの人々が興味半分にコースターの事故現場に集まってきた。
そんな中、人目を気にするようにコースターの脇に建つトイレの後ろに隠れる二人の人影。

「ありがとな、風龍。」

龍太は小さく呟くと相棒の黄緑色の龍の頭を優しく撫でた。

「あちゃ~、人助けとはいえ、目立ちすぎたかな………」

そっと壁から頭を出し、様子を覗った舞火は困ったように声を漏らした。

「どうする、龍太?」

「どうするって………」

龍太はふと空を見上げた。
真夏と比べて日が落ちるのが早くなったせいか、
空は薄っすらと茜色に染まりつつあった。

「どうするって………もう日も落ちてきたし切り上げるか。」

率直な意見だった。
有然町襲撃事件以来グリマーの能力は全国に知れ渡ってしまい、
今ではグリマーの能力を少しでも使用するとレジストグリマーズ対策本部がすぐに動き出してしまうほどだった。
故に、じっとしていればやり過ごせなくもないが、
今この場に留まることは正直言ってあまりいいことではなかった。

「………しょうがない………か………」

舞火は淋しげに顔を伏せてしまった。

「………でも………最後にあれだけ乗りたいな………」

舞火はそう言うとこのテーマパークのシンボルである巨大観覧車を指差した。
この観覧車はジェットコースターに続く人気を誇っていた。

「綺麗………」

舞火は思わず外の景色に見入ってしまった。
このテーマパークは周りをビル群で囲まれている。
昼間は高さもまちまちなコンクリートの群れが立ち並んでいるだけだ。
だが、一旦日が落ちるとそこには全くの別世界が広がる。
ビルの一室一室の明かり、さらに看板のネオンや車のヘッドライトなどが一斉に灯され、それらが闇夜の中で鮮やかに輝く。
その景色はまさに小さな星空と言っても過言ではないほど美しいものだった。
その景色の中をこの観覧車は十分掛けてゆっくりと一周する。
この観覧車が人気を集める理由がこれだ。

「ねぇ、龍太も見てみなよ。」

舞火は景色に目を向けながら龍太を呼んだ。

「………」

だが返事は返ってこない。

「龍太?」

舞火が振り向くと、龍太は観覧車の壁にもたれ掛って目を閉じていた。

「もしかして………寝てる………!?」

舞火は龍太の目の前で手を振ってみた。

「………」

やはり返事は返ってこない。

「………なんでこのタイミングで眠るかね………」

舞火は思わずため息をついた。
龍太は通常では考えられないほどの膨大な霊力をその身の内に秘めている。
だが、龍太は精霊の中でも最高の力を持つ魂、「龍」を五体も使役するため、
一度グリマーの能力を使用してしまうと、
多くの霊力を消費してしまう。
龍太は体力の消耗が常人に比べて極端に激しいのだ。
故に龍太はよく眠ってしまう。それは消耗してしまった体力を少しでも回復させようと体が龍太の意思とは無関係に取ってしまう一種の防衛行動だった。
舞火はこのことを理解している。理解しているのだが………

「せっかくデート気分だったのに………」

やり場のない怒りが舞火を襲う。そして項垂れてしまった。
龍太は以前、グリマーの能力が原因で他人からひどく非難されていた。
舞火が有然町に来た当初は龍太自身もあまり他人と関わろうとはせず、
せいぜい付き合いがあったのは同居することになってしまった舞火ぐらいだった。
だが、龍太は日に日に他人に受け入れられるようになった。
傷つけられる痛みを知っている龍太は、
自分から他人を傷つけるようなことは絶対にせず、
いつも体を張って他人を守ってきた。
その頑張りと誠意が少しずつ他人に認められてきたからだ。
舞火自身も龍太の頑張りを見て、次第に龍太に好意を抱くようになっていた。
今では龍太には多くの仲間ができた。
舞火にとってもそれはうれしいことだった。
だが同時に、龍太の誠意は舞火にとって余計なものまで引き寄せてしまった。

「大森さんに負けないためにも今日はチャンスだと思ったのに………」

舞火にとって一番余計だったもの。
それは大森 緑だった。
彼女は衝蜂 針羅が学校を襲った事件での龍太の活躍を見て、
龍太に好意を抱くようになった、
いわば舞火の恋敵だ。
彼女は双子の妹、大森 林と違い強気な性格の持ち主で、
恋においてもかなり強気だった。

「大森さんのこと考えたらなんかさらに腹が立ってきた………」

気が付くと、舞火は思わず拳を強く握り締めていた。
舞火はとりあえず大きく深呼吸をし、握った拳を解き、怒りを静めた。

「あんな事故がなかったら、最後までデート気分でいられたのになぁ………」

舞火のやり場のない怒りはどうやら今度は先ほどの事故に向けられてしまったようだ。ふと舞火は事故がなかったときのことを想像してみる。

「そしたら今日、龍太に『好き』って言えてたかもなぁ………」

舞火ふと顔を上げた。観覧車は丁度頂上付近に差し掛かっていた。
そのとき、舞火はある事に気が付いた。

「………!?」

そして舞火は突然無音の悲鳴を上げた。いつのまにか龍太が起きていた。
しかも頬をうっすらと赤く染めながらぼんやりと外を眺め、
申しわけ無さそうに頭の後ろをかいている。
これは………もしかして………やはり………

「あたしの独り言………聞いちゃった………?」

舞火は恐る恐る龍太に尋ねた。龍太は黙って頷いた。
舞火は顔が火照るのを感じた。

「ど………どのへんから?」

「眠りかけてはいたんだけど………まだ眠っていなかったから………
だから『せっかくデート気分だったのに』ってところから………ずっと………」

舞火は顔から火を噴きそうなほど顔を真っ赤にした。
舞火はこの恥ずかしい独り言をよりにもよって最初から最後まで聞かれてしまった。

「………」

龍太はなにも言おうしない。

「………」

舞火は何も言うことができない。

「………」

このなんともいえない空気を積んだ観覧車は頂上を越え、
ゆっくりと下降しようとしていた。

「………」

龍太は悩んでいた。
まさか舞火に告白されるなんて思ってもいなかったからだ。
容姿がよく、勉強も運動もできる龍太は過去何度か女子から告白を受けたことがある。
龍太はあまり恋愛に興味がなかった龍太は今まで受けてきた告白はすべてすぐその場で断ってきた。
恋愛に興味がないというよりは、
女子を友達以上として意識したことがなかったからだ。
だが、舞火の告白はすぐに断ることができなかった。
むしろ断ってはいけないような気がした。
今まで通り、龍太は舞火を友達以上として考えたことはなかった。
しかし告白を受けた今、龍太の頭の中に友達以上としての関係を持った舞火がリアルに浮かんでしまった。
負けず嫌いで、おせっかいで、うるさくって、わがままで、変なところに几帳面なくせして基本はガサツで………その点では今まで告白を断ってきた女子たちのほうがマシだっただろう。なのに………なのに………

「まったく………」

ふと龍太が沈黙を破って言葉を放った。

「まったく………」

不本意ながら独り言を聞かれてしまった舞火はいちお龍太に告白してしまった。
当然、次の龍太の言葉が気になる。
無意識に龍太の言葉を復唱してしまっていた。

「なんでもない………」

先ほどの龍太の言葉は自分に向けて放たれた言葉だった。
自分に呆れてしまったため思わず飛び出た言葉だった。
なかなか龍太の返事が返ってこない。
次第に不安になってきた舞火は思わず瞳に涙を浮かべてしまった。
そんな舞火の姿を横目で見ながら龍太は聞き取れるか聞き取れないかわからないほど小さく呟いた。

「オレもお前のこと好き………みたいだ………」

この言葉はしっかりと舞火の耳に届いていた。
舞火は思わず口を開けたまま硬直してしまった。
パニックになっていたおかげで龍太の言葉を理解できないでいたのだ。
数秒後、ようやく龍太の言葉を理解することができた。

「ほ………本当!?」

舞火の問いに龍太は顔を真っ赤にして黙って頷いた。
舞火の体から不安が一気に消えうせ、
同時にとてつもない喜びが体の中に流れ込んだ。
舞火は思わず思いっきり龍太に抱きついた。

「う、うわっ!」

その衝撃で観覧車が激しく揺れる。
あたふたとする龍太の胸で舞火の瞳から一筋の涙が流れた。
それは喜びによるとても温かな涙だった。
そんな二人を乗せた観覧車はようやく一周し、
龍太たちを降ろすと別の乗客を乗せ昇っていった。

 龍太にとって舞火は掛け替えのない存在になっていた。
舞火は地獄のような孤独の苦しみの中、
初めて自分に手を伸ばしてくれた女性であり、
自分が変わるきっかけを作ってくれた女性だ。
もし彼女が自分を無理矢理にでも学校へ連れ出してくれなければ、
今尚自分は孤独の地獄の中にいただろう。
彼女と一緒にいると心が安らぐ。彼女といると日々が楽しくなる。
そんなことを考えた龍太は始めて女性に「好き」という気持ちを抱いたのだった。

 遠くのほうにいくつかの赤いランプが見える。
グリマーが現れたという通報を聞きつけやってきた数台のパトカーだった。

「だから早く逃げようって言ったのに………」

龍太はパトカーを見て思わず顔をしかめた。

「そんなこと言ったって………」

気まずそうに目線を逸らす舞火。

「ったく、ほらとっとと帰ろうぜ。」

龍太は舞火の手を取るとパトカーから逃げるように走り出した。
星空の下、龍太と舞火は寄り添い、風のようにその場から走り去った。
自分たちの家に向かって。


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