アキハバラ的散財生活

「幸福な市民」

「幸福な市民」~持ち家のある孤独な男に明日はあるのか?


今から13年前にNHKで放送された「幸福な市民」、主演は沢田研二と聞いて、思い出す人もいるでしょうか?この作品自体、B級とは思いませんが、再放送というよりは、アーカイブスで放送されるかもしれない作品、ということで取り上げたいと思います。

「持ち家があると生活保護を受けられない」という前提でこのドラマは始まります。大前提です。(今は違うかもしれませんが)
かつては幸せな夫婦生活を送っていた真面目な男が会社で受けた些細なミスのツケを払わされ、それに嫌気がさした男は一転して不真面目な生活を送るようになります。奥さんはその変節に嫌気がさし離婚、男は会社を退職しましたが、幸い?家の方はローンをすべて払い終わっていましたので、そのまま手許に残りました。

そこから男の奇行が始まります。家の中を粗大ゴミで埋め尽くし始めます。見かねた周りの住民は立ち退きを求めますが、持ち家である以上手出しが出来ません。また男の生活費を稼ぐためなら生活保護も本来あるのですが、持ち家だと生活保護を受けることが出来ません。結果、生活費のアテのないママ、男は粗大ゴミ集めに精を出すようになります。

「持ち家はいい。電気を止められようと、水道を止められようと、ここにいる限りは(この家は)オレのものだ。他の誰からもナニも言われる筋合いはない」
男の言い分は一見正しそうですが...しかし、苦情を訴える住民達の手により、家から引きずり出され、病院へ送り込まれてしまいます。(この病院は...心の病気の病院です)

持ち家に必要なもの...それは社会生活だ、というわけです。
当時はヒタヒタとバブルの絶頂に達していた頃でした。持ち家の論理として多かれ少なかれこの男のような考え方をしてしまいます。絶対不可侵である自分の住居にドカドカと隣人達が押し掛けてきて、「やれ働け」「やれ家族を持て」「ゴミを溜め込むな」と注意をするだけでなく、実力行使にも及ぶという下りは、今の日本でも同じような局面があるのではないでしょうか?
(私はこの男の根本原理を「著作権」と置き換えると、今の日本の著作権の受け止められ方がわかるような気がしてなりません。不可侵であるはずの著作権が次々と蹂躙されていく様が現代なのでしょうか??)

「幸福な市民」の象徴とも言える「持ち家」があるばかりに、役所や周りの住民が考える「幸福」を押しつけられることもなく、男は誰に迷惑を掛けるわけでもなく自分だけの幸福を享受しようとしますが...というところがミソなんですね。沢田研二?彼の役所は保険の調査員で、ある事故の証言を取ろうと調査をしている過程で男が事件を目撃していたことを知って近づくのですが、最終的にナニも出来ずに終わります。でも上司に媚びないまっすぐな生き方が爽快です>ジュリィ~ィ(樹木希林か?)

2002年5月19日(日)



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