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比叡山の麓、日吉大社の近くにある日本庭園。国の名勝に指定されている。比叡山延暦寺の門前町として栄えた、坂本に点在する里坊(高僧の隠居所)の一つ。邸内には主屋の南西に大宮川の清流を引き込んで曲水とし、八王子山を借景として、滝、築山、四阿、2棟の茶室などを配した広さ3300㎡の回遊式庭園が広がり、里坊庭園の中で最大。主屋は2階建てになっており、和室から窓越しに広々とした庭園を観賞できるようになっている。2018年(平成30年)からそれぞれの階の和室に座卓が置かれ、それを活用した庭園のリフレクション写真が撮影できるようになっており、雑誌やネットでも取り上げられ話題を集めている。四季折々で景観が変わっていき、春は庭園にしだれ桜やツツジが咲き、夏は新緑と雨でしっとりと濡れた苔が綺麗で、秋は紅葉が庭園を彩り、冬は雪化粧で庭園一面が白銀の世界に覆われる。特に秋は夜になるとライトアップがされており、大変幻想的な光景となる。入園料は大人330円、小人160円(団体割引有)。旧竹林院入り口の門。主屋1階の和室。ゆったりくつろぎながら、庭園を観賞できるようになっている。竹灯りの展示がされていた。どの作品も非常に繊細に作られていて、見事な完成度を誇っていた。和室に置いてある座卓は鏡の役割も持っており、庭園のリフレクション写真が撮影できるようになっている。撮り方は簡単。座卓の上にカメラもしくはスマホを置いてパシャリと撮るだけ。いろいろな角度から撮ってみるべし。2階の広々とした和室。以前は2階に上がれなくなっていたが、2014年(平成26年)から観覧できるようになった。2階の窓から見下ろした庭園。庭園の全体像を見ることができる。2階でも同様にリフレクション撮影ができるようになっている。今回撮影した新緑の写真も綺麗に撮れたが、秋になると紅葉がライトアップされ、圧巻のリフレクションを撮影できる。庭園入り口。日本庭園。広さは坂本にある里坊の庭園では随一。比叡山を借景として、地形を巧みに利用しながら、築山や滝、曲水を配し、四阿と2棟の茶室がある。しだれ桜やツツジ、モミジの木もあり、四季折々で異なる姿を見せ、来客を楽しませてくれる。また、庭園からは比叡山の山腹にある、日吉神社の牛尾宮と三宮が見えるようになっている。小さな藤棚。主屋。四阿。市指定文化財。大正時代に建てられたもの。辺りは緑に包まれ、静かな雰囲気となっている。すぐそばを滝が流れ落ちている。茶室(小間)。市指定文化財。天の川席とも呼ばれ、二つの出入り口を設け、主人の両脇に客人が並ぶという間取りになっている。こうした様式は全国的にも珍しく、東京の武者小路千家東京道場以外に例がないそう。大正時代に建てられたもの。茶室(広間(蓬莱))。市指定文化財。小間の茶室と同じく大正時代に建てられたもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.28
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滋賀県大津市 『日吉大社①』の続き。二宮橋。国指定重要文化財。走井橋からさらに川を下ったところにある。山王祭の時だけ渡れるようになっている。日吉三橋の一つ。東本宮参道。猿の霊石。日吉大社の霊石の一つ。少し離れて見てみると、猿が座っているように見えることからこう呼ばれている。岩瀧社。御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)。須賀社。御祭神は素佐之男尊奇魂。東本宮楼門。国指定重要文化財。天正年間(1573年~1593年)に建てられたもの。西本宮の楼門と色も形状も似ているが、こっちの方が少し高さが低い。東本宮の境内。樹下宮拝殿。国指定重要文化財。1595年(文禄4年)に建てられたもの。西本宮、東本宮、宇佐宮、白山宮の拝殿と異なり、柱間が四方とも格子や格子戸になっている。樹下宮本殿。国指定重要文化財。御祭神は鴨玉依姫神(カモタマヨリヒメノカミ)。東本宮の大山咋神の妻の神にあたる。1109年(天仁2年)創建。現在のものは1595年(文禄4年)に建てられた。真下に霊泉の井戸がある。格子や破風、懸魚などに金色の装飾が施されており、日吉大社にある本殿の中でも豪華な造りになっている。新物忌神社。御祭神は天知迦流水姫神(アメチカルミズヒメノカミ)。大山咋神の母神にあたる。亀井霊水。昔ここにあった池に霊亀が現れ、この水を占ったところ、閼伽井(仏様に捧げる水を汲む井戸)にするべしとの御託宣があり、亀井と名付けたという。大物忌神社。御祭神は大年神(オオトシノカミ)。大山咋神の父神にあたる。二宮竈殿社。御祭神は奥津彦神(オキツヒコノカミ)と奥津姫神(オキツヒメノカミ)。大山咋神の兄弟神にあたる。日吉雌梛。男性が女性の幸せを祈る木。日吉雄梛。女性が男性の幸せを祈る木。東本宮拝殿。国指定重要文化財。1596年(文禄5年)に再建されたもの。東本宮本殿。国宝に指定されている。御祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)。668年(天智天皇7年)創建。現在のものは1595年(文禄4年)に再建されたもの。造りは西本宮とほぼ同様。1868年(明治元年)から1928年(昭和3年)までは大己貴神が御祭神であったため、大神神社本殿と呼ばれていた。東本宮本殿にある、木彫りの獅子(本殿に向かって右側)と狛犬(左側)。東本宮のみならず、樹下宮、西本宮、宇佐宮、白山宮にも同じものがあり、本殿を守護する役割を持っている。牛尾宮遥拝所。八王子山に鎮座する牛尾宮の遥拝所。御祭神は大山咋神荒魂。三宮遥拝所。八王子山に鎮座する三宮の遥拝所。御祭神は鴨玉依姫神荒魂。八王子山登山口。ここから1km登った場所に、奥宮の牛尾宮と三宮と奥総社がある。所要時間は片道30分。時間があれば参拝すべし。旧竹林院から撮影した牛尾宮と三宮。神輿収蔵庫。山王七社の神輿が7基展示されている。神輿は7基とも国指定重要文化財。山王神輿は全国の神輿のルーツであることで知られ、桓武天皇が日吉社に寄進されたことから始まる。展示されている神輿は400年前に造られたもので、現在の山王祭では、これらを新たに造り替えたものが使われている。その山王祭の中でも、2トンもの重さがある神輿を牛尾宮と三宮に担ぎ上げ、夜に再び神輿を担ぎ、松明の灯りだけを頼りに急坂を下っていく様は非常に勇壮なもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.25
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比叡山連峰の八王子山の麓に鎮座する、全国に約3800社ある日吉神社、日枝神社、山王神社の総本宮。別名「山王権現」とも呼ばれ、「山王さん」の愛称で親しまれている。西本宮・東本宮の本殿はそれぞれ国宝に指定されており、拝殿や楼門、摂社など、境内の多くの建造物が重要文化財に指定されている。西本宮の御祭神は大己貴神(オオナムチノカミ、大国主命)、東本宮の御祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)。摂社には牛尾宮に大山咋神荒魂、樹下宮に鴨玉依姫神(カモタマヨリヒメノカミ)、三宮宮に鴨玉依姫神荒魂、宇佐宮に田心姫神(タゴリヒメノカミ)、白山宮に菊理姫神(ククリヒメノカミ)をそれぞれ祀る。2つの本宮と5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。方除け、厄除け、縁結び、家内安全、夫婦円満、商売繁盛などの御利益がある。かつては境内108社、境外108社といわれ、境内には多くの摂末社があり、各々で様々な御利益がある。古事記に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」と記されており、崇神天皇7年に日枝の山(比叡山)から現在の地に移されたとされ、およそ2100年の歴史を持つ。西本宮の御祭神である大己貴神は、大津京遷都の翌年の668年(天智天皇7年)に奈良県の三輪山から御神霊を勧請し、国家鎮護の神として祀られたという。788年(延暦7年)に延暦寺が建立されると、地主神を祀る日吉社は守護神として崇敬され、794年(延暦13年)の平安京遷都の折には、この地が京の鬼門に当たることから、鬼門除け、災難除けの社として国からも崇敬されるようになる。延暦寺が勢力を増してくると神仏習合の動きが出て、日吉社の神は山王権現と呼ばれるようになり、延暦寺では日枝山の山岳信仰、神道、天台宗が融合した山王神道を説いていくようになる。1571年(元亀2年)には織田信長の比叡山焼き討ちによって、かつての建造物等がすべて燃え尽きてしまったが、安土桃山時代に復興され、現在の姿になった。明治時代に入り神仏分離令が出ると、日吉社は延暦寺から独立し、日吉大社に社名を改め現在に至る。境内には3000本ものモミジがあり、関西屈指の紅葉の名所としても知られている。11月にはもみじ祭りが開催されており、太鼓奉納などの行事の他、紅葉のライトアップもされている。毎年4月12日~15日に行われ、湖国三大祭の一つに数えられる山王祭が年間最大の祭事となっており、桓武天皇が日吉社に2基の神輿を寄進されて以来、1200年以上にわたって行われているという。内容は西本宮の大己貴神と東本宮の大山咋神の鎮座の歴史を辿りながら、五穀豊穣や天下泰平を祈るもので、祭礼中は山王七社の神輿7基が登場し、勇壮な雰囲気で行われている。入苑協賛料は大人300円、小人150円(団体割引有)。境外にある日吉大社大鳥居。すぐ隣に大神門神社がある。二の鳥居。境内の手前にある。穴太衆積みの石垣。安土桃山時代に活躍し、寺院や城郭などの石垣施工を行っていた技術者の集団、穴太衆が造った石垣。この地域の神社や古い民家の石塀に見られ、自然なままの石面を巧みに用いて石積の面を構成しているのが特徴。朱塗りの鳥居。西受付側の境内入り口。早尾神社。朱塗りの鳥居左手の小高い丘の上にある。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。日吉大社と延暦寺の門番の神様とされている。大宮橋。国指定重要文化財。境内を流れている大宮川に架かる石橋。日吉三橋の一つで、その中でも最も豪華な造りになっている。走井橋。国指定重要文化財。大宮橋のすぐ下流にある、欄干のない石橋。山王祭始めの御祓いの儀式では、必ずこの橋を渡る。日吉三橋の一つ。走井橋を渡った先にある、走井祓殿社。御祭神は瀬織津姫(セオリツヒメ)、速秋津姫(ハヤアキツヒメ)、気吹戸主(イブキドヌシ)、速佐須良姫(ハヤスラヒメ)。大宮川。境内を囲むようにして流れる清らかな川で、祭事の際にはこの川でお清めの神事が行われている。山王鳥居。日吉大社独特の鳥居。上部には合掌の形を表す束が見られ、「合掌鳥居」とも呼ばれており、かつての神仏習合の信仰を今に伝えている。周辺には沢山のモミジの木があり、秋には紅葉で綺麗に彩られる。晩春の青もみじも綺麗だった。神馬舎。神猿舎。日吉大社では猿が神の使いとされており、勝る・魔が去るという意味を込めて神猿(まさる)と名付けられ、魔除けの象徴として大切に扱われている。ここではその神猿と呼ばれるニホンザルが2匹飼育されている。訪れた時は裏に隠れていたようで、残念ながら見れなかった。社務所。大威徳石。日吉大社の霊石の一つ。石造りの手水舎。綺麗な花手水が作られていた。西本宮楼門。国指定重要文化財。1586年(天正14年)頃に再建されたものといわれている。東本宮楼門と比べて規模が大きい。屋根の下の四隅には、棟持猿と呼ばれる猿の彫刻があり、四隅の4匹ともそれぞれポーズが異なる。西本宮拝殿。国指定重要文化財。本殿と同時に建てられたもので、日吉大社の他の同じ形の拝殿の中では、最もきめ細やかに造られている。西本宮本殿。国宝に指定されている。御祭神は大己貴神(オオナムチノカミ)。崇神天皇7年創建。現在のものは1586年(天正14年)に再建されたものだが、1597年(慶長2年)に改造されている。檜皮葺で、日吉造と呼ばれる独特な構造になっている。床下には、かつて仏事を営んだ下殿と呼ばれる部屋がある。御神木の桂の木。西本宮の御祭神、大己貴神が大神神社からこの地にお越しになった際、携えていた杖をこの地に挿し立てたところ、この桂の木に成長したという。宇佐宮拝殿。国指定重要文化財。1598年(慶長3年)に建てられたもの。宇佐宮本殿。国指定重要文化財。御祭神は田心姫神(タゴリヒメノカミ)。1598年(慶長3年)に建てられたもので、西本宮本殿と同じく、日吉造の構造になっている。白山宮拝殿。国指定重要文化財。本殿と共に1598年(慶長3年)に建てられたもの。白山宮本殿。国指定重要文化財。御祭神は菊理姫神(ククリヒメノカミ)。檜皮葺で、三間社流造の構造。剱宮社、小白山社、八坂社、北野社。白山宮本殿の右手に並ぶ。滋賀県大津市 『日吉大社②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.24
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○海鮮丼と天ぷら定食海鮮丼、天ぷら、小鉢、茶碗蒸し、わかめの吸い物海老に鯛、ネギトロやイクラが載った海鮮丼。海老、サツマイモ、ピーマンの天ぷら。釣川を挟んで道の駅むなかたの対岸にある海鮮料理店。近隣の鐘崎漁港で獲れた地元の魚を中心に、海鮮丼や定食、一品料理など種類豊富な海鮮料理が食べられる。今回頼んだ定食の海鮮丼は小ぶりながら、地元で獲れた沢山の海の幸を堪能できた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.14
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○カツ丼カツ丼、ミニうどん、漬物うどんのネギは入れ放題になっている。国道3号線沿いにある、創業40年以上の老舗のうどん店。麺にはこだわりがあり、手打ちの麺で、店で粉から作っているそう。タイミングが合えば、店内でうどんの手打ちが見れる。一緒に付いていたミニうどんは柔らかい麺でありながら、コシがあった。カツ丼はジューシーな肉を使用していて美味しかった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.13
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宮地嶽神社の奥之宮で、本殿奥にある8つのお社。その内の一社に当たる、不動神社のある横穴式石室古墳から発掘された金の鐙や大太刀などは国宝に指定されている。それぞれの社で異なる御利益があり、一社一社をお参りすれば大願か叶うと信仰され、多くの参拝者が訪れている。信仰の起源は、日本最大級の石室古墳発掘を機に、不動神社を奉祀したことからだと言われている。奥之宮最初の鳥居。奥之宮八社入り口の鳥居。奥之宮八社めぐりと記された表札がある。一番社・七福神社。入り口の鳥居をくぐって参道を進んで右手に鎮座する。恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七福神を祀り、福を運ぶ神様として、様々な御利益が得られる。二番社・稲荷神社。七福神社の向かいに鎮座する。食物と米の方策を守る神様を祀り、五穀豊穣、腕前上達、商売繁盛の御利益がある。農家、飲食店、料理人の人の崇敬を集めている。三番社・不動神社。日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に不動様を祀る。災いや厄を除く神社として信仰されている。古墳は多数の工芸品や装飾品が発掘されたことから「地下の正倉院」とも呼ばれ、金の鐙、冠、馬具類、大太刀などの埋蔵物が発掘されており、20点が国宝に指定されている。内部の撮影は禁止されている。沢山立てられた不動神社の奉納のぼり。四番社・万地蔵尊。丸い顔をしたお地蔵様。子供たちの守り神で、子供の願いは何でも聞いていただけるという。五番社・恋の宮(淡島神社、濡髪大明神)。女性の体をお守りするあわしま様と、心をお守りするぬれがみ様を併せ祀る。共に女性の心身内外をお守りする神様で、恋の宮と称される。女性特有の体の病や恋愛に霊感あらたかだとされている。六番社・三宝荒神。荒々しい火の神様を祀り、火をコントロールする霊力があると言われ、かまど、火除けの神様として信仰されている。七番社・水神社。宮地嶽周辺には大河がなく、ここに龍神様が差配され、水枯れすることなく今なおこんこんと水が湧き出ている。宮地嶽周辺の農家は水を大切に扱ってきたといい、大飢饉の時代も年貢米を返上することなく完納し、他藩の模範として表彰されたこともあるという。このような水に対する思いや信仰が、この水神社に込められている。八番社・薬師神社。修験者が宮地嶽の山中で修行をする際、病気や怪我がないようにと、薬師様を祀ったのが始まりだと言われている。あらゆる難病から救う神様として信仰が強い。苔が生した石の手水鉢があり、6月になると花手水が作られている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.11
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宮地嶽神社の御神木である寒緋桜の巨樹。樹高6m、幹回り2m、樹齢は約200年。宮地嶽神社の楼門をくぐってすぐ右手にある。遠目で見ると1本の桜に見えるが、実際は2本あり、夫婦桜とも呼ばれている。所謂早咲きの桜で、2月下旬~3月上旬に開花する。開花の時期になると、桜の木の下で巫女が舞と雅楽の音を奉納する、緋桜神事が斎行されている。寒緋桜の全体像。2本の桜が距離を少し離して立っており、お互いぶつからないように、沢山の花弁を付けた枝を幅広く伸ばしている。低い樹高ながら、枝は幅広く伸びており、柱で支えられている。枝先に沢山付いた、淡い桃色の花弁。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.10
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全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮。年に2回、境内の石段から玄界灘まで真っすぐ伸びる参道の先に夕日が沈み、参道が光り輝く「光の道」で有名。御祭神は息長足比売命(オキナガタラシヒメノミコト、神功皇后)、勝村大神(カツムラノオオカミ)、勝瀬大神(カツヨリノオオカミ)。3柱の神を宮地嶽三柱大神として祀っている。開運、商売繁盛の御利益があると言われている。創建は1700年前とされており、息長足比売命こと神功皇后が三韓征伐に向かわれる際、宮地岳の頂に祭壇を設けて天神地祇を祀り、開運を祈願し船出したことが始まりと言われている。その後、息長足比売命の功績を称え主祭神として祀り、随従の勝村大神と勝瀬大神も併せ祀り宮地嶽三柱大神と号した。以来「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの人に信仰されている。宗像大社や太宰府天満宮などと共に福岡県内で有名な神社の一つで、年間の参拝者数は220万人にも及び、正月には100万人以上の参拝者が訪れる。日本一の大きさを誇る大注連縄・大太鼓・大鈴が見られ、春は寒緋桜と河津桜、夏は江戸菖蒲と紫陽花、秋は紅葉が境内を彩る。そして2月と10月には、夕日が参道の延長線上に沈み、参道が夕日で輝く「光の道」が見られる。年間を通して行われる祭事の中でも、秋に行われる秋季大祭が宮地嶽神社最大の祭典となっている。その中でも御神幸祭が一番の見どころで、十二単をまとった女性演歌歌手(過去に小林幸子や八代亜紀なども参加)が祭王となり、神職を筆頭に神輿や左右大臣など、平安絵巻さながらの一大行列が参道を進む。他にも和太鼓やライブ、花火大会も行われている。一の鳥居。光の道で日が沈む、宮地浜の傍にある。表参道。土産店や食事処が立ち並ぶ。宮地嶽神社が商売繁盛の神様だからか、だるまや招き猫を売っている店が見られる。太宰府天満宮の梅ヶ枝餅に似た、名物であるあんこの入った焼き餅、松ヶ枝餅も売られている。男坂。境内正面の石段。ここから宮地浜までの参道は、約800mにも渡る一直線の道になっている。境内の鳥居。手水舎。花手水が造られていて、手水鉢も今の時代に合ったものに造り替わっていた。大鈴。450kgもの重さがある巨大な鈴。銅製。当社を篤く信仰する方が奉納されたものだという。1960年(昭和35年)までは後述の大注連縄と共に拝殿にあったが、重量が重すぎるため現在は鈴堂に安置されている。宮地嶽神社で日本一大きいとされるものの一つ。大太鼓。直径2.2mの巨大な太鼓。すべてが国産の素材で造られており、鼓面は和牛の皮を太鼓用になめしたもので、胴は檜を原木とし、表面には幾重もの漆が重ねられている。宮地嶽神社で日本一大きいとされるものの一つ。楼門。正面右手には寒緋桜がある。石灯籠。細かな彫刻が彫られていて、高さは約4mほど。鉄輪樹。木の下にはなんと、本物のフクロウ(厳密にはワシミミズク)が2羽いる。オスとメスの番いで、モーちゃん、マーくんと名付けられている。当社では正直者な村人が山中で迷ったときに、フクロウに導かれ金色の玉を授かったという伝説が残っており、フクロウを神の使いとして崇めている。授与所、お祓い受付所。拝殿。日本一大きな注連縄が掛けられており、その大きさは直径2.5m、長さ13.5m、重さは3トンにも及ぶ。毎年掛け替えられており、御神田で育てた稲を用い、稲の発芽から掛け替えまでに、1500人もの人が携わる。本殿。本殿の御遷座80年の節目に、黄金伝説の地として相応しいように、黄金の屋根になっている。光の道。毎年2月と10月だけに見られる光景。玄界灘まで真っすぐに伸びた参道の延長線上に夕日が沈み、参道が光り輝く絶景となる。某国民的アイドルグループの出演するCMで、この光景が使われたことで一気に知名度が上がり、今では時期になると沢山の撮影者が石段の上段を埋め尽くすほどになる。ちなみに写真は3月に撮影したもので、夕日が延長線上に沈むところは見れなかったが、夕日が参道の真上に近づき、参道が照らされ光り輝く様子は撮れた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.08
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2023年4月23日をもって、『金田政宗の旅の記録』は3 周 年を迎えました。いつも見て頂いてありがとうございます。これからも『金田政宗の旅の記録』をよろしくお願いします。これまでに投稿した記事の数は全部で457件、21都道府県(今年のGWで行った滋賀県の記事を書くと22都道府県)の記事を書きました。あと2つの都道府県に行けば、全国の半分を訪れたことになる。日本全国の旅の記録が完成するのも目に見えてきた。しかしここ最近、投稿ペースが落ちつつある…せめて週一は更新していかねば↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.06
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○お好み定食エビフライとサラダ、揚げ豆腐、もずく、ご飯、味噌汁、コーヒーゼリー味噌汁が最高に美味い。どこか懐かしい味がする。武雄温泉物産館にある、昔ながらの雰囲気がそのまま残っている食堂。セルフサービス方式の食堂で、自分の好きなおかずや小鉢を選んで、最後に好みでご飯(大盛り、カレーライスに変更可能)と味噌汁を頼んで会計する流れ。豊富なメニューの中、デザート含む4品と、大盛りのご飯と味噌汁を選んだ。どれも母の味!というような素朴で懐かしい味がして、中でも味噌汁は、そこらじゅうにあるチェーン店の食事処じゃ絶対に味わえない、絶品ともいえるものだった。おかずのメニューはコロッケ、とんかつ、冷奴、魚の煮付けなど豊富に揃っている。武雄温泉物産館。佐賀、武雄の物産品や土産が豊富に揃っていて、野菜の直売もされている。有田の陶器も販売されている他、観光案内所もあり。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.05
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撮影地:佐賀県武雄市 『御船山楽園ホテル』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.03
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撮影地:佐賀県武雄市 『御船山楽園ホテル』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.05.01
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