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読みは「まさきえき」。九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅。駅の構造は島式ホーム1面2線で、無人駅。瓦葺で木造の駅舎がある。肥薩線の険しい山線の区間にあり、電車が駅に一旦停車した後で引き返し、駅の上の方にある線路に折り返す逆Z字型のスイッチバックが設けられている。1911年(明治44年)に開業し宮崎県で最初にできた駅で、100年以上の歴史を持つ。また、肥薩線では宮崎県内唯一の駅となっている。真幸という名称が「真の幸せに通じる」ものとして入場券が人気で、駅の構内には幸せの鐘や絵馬掛けも設置されている。駅舎。瓦葺で木造の駅舎で、1911年(明治44年)開業当時からそのままの姿で残っている。真幸駅の看板。駅舎内部。開業当時そのままの空気が漂う。壁には過去の真幸駅や電車の写真が掛けられており、木で作った小さな机やベンチが置かれ、駅ノートも設置されていた。駅名標。ホーム。2020年(令和2年)に発生した九州豪雨によって肥薩線は不通となっており、電車がやってくる気配は全くなかった。幸せの鐘。電車やお客様の安全と幸福を祈り乗務員が鳴らしていたもので、今はちょっと幸せなら1回、もっと幸せを願うなら2回、いっぱい幸せなら3回鳴らすと良いそうな。山津波記念石。1972年(昭和47年)にこの一帯で大規模な土石流(山津波)が発生しており、この岩はその当時流れ出たものを現地で記念石として保存したもの。重さは約8t。スイッチバック。写真だと分かりづらいが、ここに電車が一旦停車した後で少し引き返し、勾配を上って上の方にある線路に折り返すようになっている。こうしたスイッチバックが残っている駅は珍しいそうで、これを見に駅にやってくる鉄道ファンもいるんだとか。ホームから見た駅舎。切符回収箱。駅舎の隣に無造作に置かれていた日用品。自由に持ち帰ってくださいとのこと。絵馬掛け。駅の看板猫のみいちゃん。地元住民の方が世話をしてるようだ。触ろうとしてみたが、臆病で逃げてしまった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.12
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江戸時代に知覧麓一帯に造られた武家屋敷群。7つの庭園が国の名勝に指定され、美しい日本の歴史的風土100選、日本の道100選にそれぞれ選定されている。江戸時代に薩摩藩は領地を外地と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、武士団を集結させることなく分散して統治させた。知覧もその一つ。当初知覧は島津家の分家である佐多氏が治めており、佐多氏は薩摩藩の中でも重要な役割を果たした実績から、知覧の私領地化と島津姓の使用が許された。現在残る武家屋敷群は18代島津久峰の時代に造られたものではないかと言われている。久峰が参勤交代に伴い江戸から戻る道中で触れた京の文化を持ち帰ったと言われ、また知覧が琉球貿易の拠点だったことから、石敢當や石垣など琉球の影響を受けたと思われる建築も見られる。年間を通して様々なイベントも行われており、2月から3月にかけておひなさまめぐり、7月から8月には南九州市各地に風鈴が設置されるふうりんの小径、11月中旬には約8000個の竹灯籠や紙灯籠が武家屋敷庭園一帯に灯りを灯すちらん灯彩路が行われている。武家屋敷の入園料は大人530円、小人(小・中学生)320円(団体割引有)。城山橋。麓川に掛かる橋で、この橋の上流に矢櫃橋という眼鏡橋がある。ここを渡った先に武家屋敷群がある。森重堅庭園。7つの庭園の中では唯一の池泉式庭園(他は全て枯山水式庭園)となっている。1741年(寛保元年)から1744年(寛保4年)の作庭と言われている。曲線を描いた池に奇岩を用いて山や半島を表現し、対岸の方には洞窟を表現した穴の開いた石を配して水の流れを象徴している。武家屋敷通り。石垣とイヌマキの生け垣が続き、武家屋敷が建ち並ぶ様子から知覧は「薩摩の小京都」とも呼ばれている。旧高城家住宅。明治時代以前に建てられた武家住宅。知覧型二ッ屋と呼ばれる知覧独特の民家の建築様式となっている。佐多直忠庭園。1741年(寛保元年)から1744年(寛保4年)の作庭と言われている。母ヶ岳を借景とし、庭には石で組まれた築山を設けている。中心には高さ3.5mの立石が見え、下部には枯滝の石組を配しまるで水墨画のようになっている。佐多民子庭園。宝暦年間の作庭と言われている。北西隅に石塔を置き、カエデ、マツ、イヌマキを植栽し、庭石を配している。庭石は麓川の上流から運んだ凝灰岩質のもので、巨岩であったため石目に沿って割り、牛馬で運びやすくしたもの。佐多美舟庭園。1751年(寛延4年)の作庭と言われ、知覧の庭園の中では最も豪華で広い庭園とされている。枯滝を造り、築山の上部に石灯籠、平地となっているところには巨岩で石組を設けている。知覧型二ッ家。市指定文化財に指定されている。前述の旧高城家住宅でも採用されていた知覧の民家の建築様式で、2つの玄関があり、「おもて」「なかえ」と呼ばれる2つの屋根の間を小棟で繋げているのが特徴。石敢當。魔除けとなる石碑のことで、中国で発祥したもので日本では沖縄県でよく見られる。かつて知覧では琉球との貿易が盛んであり、江戸時代に琉球の文化が持ち込まれこの地に伝わったと言われている。平山亮一庭園。1781年(天明元年)の作庭と言われている。石組一つない大刈込み一式の庭園で、イヌマキで遠山を表現し、前面のサツキの大刈込みがまるで築山のようになっている。5~6月にサツキの花が咲き、刈込の一面がピンクの花で染まる。太刀洗。刀や槍に付着した血を洗うためのもので、この一帯が武家屋敷群であることを象徴するものとなっている。平山克己庭園。明和年間の作庭と言われている。母ヶ岳を借景とした庭園で、隅の方には水墨画のような枯滝石組を設け、築山のようになっているイヌマキの生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっている。西郷恵一郎庭園。江戸時代末期の作庭と言われている。隅に枯滝の石組を配して高い峯とし、その峯の周辺の刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。5~6月にサツキの花が咲き、普段とは違った美しい景色を作り出す。清流溝。知覧を流れる麓川の疎水。水車が回っており、鯉も泳いでいる。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.11
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○あかうし丼あかうし丼、味噌汁、漬物阿蘇の大地で育ったあか牛を贅沢に使ったあかうし丼。肉の焼き加減はミディアム。もやしの入った味噌汁。高森町にある阿蘇の郷土料理をはじめとした豊富なメニューが揃う食事処。阿蘇で育った和牛のあか牛を用いたあかうし丼、ステーキ、ハンバーグや馬刺し、高菜めしなどの郷土料理が食べられる。今回いただいたあかうし丼はあか牛の希少部位を贅沢に使っており、肉の焼き加減はミディアムで油の乗り加減も程よくジューシー、歯ごたえも良く肉の旨みがたっぷりと味わえた。一緒に付いていた味噌汁はなんだか懐かしい味がした。乗馬クラブ ブルーグラスが併設している。初心者でも安心して乗馬体験を楽しむことができ、阿蘇山を遠景に望みながら乗馬を楽しめる外乗もできる。宿泊施設もあり、乗馬とセットのプランもあり。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.08
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南阿蘇村湧水群の一つ。平成の名水百選に選定されている。湧水量は毎分1t。県道177号線のそばにある水源で水源地の周辺は整備されており、主に野菜などの農産物の洗浄に利用されている。町民の憩いの場となっており、水源近くには東屋が建てられている。川地後水源の全景。県道177号線沿いにあり、地面の少し凹んだ場所、石段を下ったところにある。水源は整備され数ヵ所の洗い場があり、いつも清潔に保たれている。洗い場。湧水量は少量であるが、水源の底からは絶え間なく気泡が浮かび上がっており、水が底から湧き続けているのが分かる。休憩所の東屋。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.06
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南阿蘇村湧水群の一つ。平成の名水百選、くまもと名水100選に選定されている。湧水量は毎分約5t(日量約7200t)。phは7.2。正教寺の近くにあり、参拝者の御手洗所として親しまれている。飲料水の他に、町民の方々が洗濯や野菜の洗浄などの生活用水として用いている。水源地には洗い場があり、町民の方々によって定期的に清掃活動が行われ清潔に保たれている。夏になるとホタルが飛んでおり、くまもとホタルの里百選にも選定されている。湧沢津水源にもあった甲斐有雄の道しるべ。「右 むろ町 左 ひさいし やべ」と記されている。正教寺。浄土真宗本願寺派の寺院。1607年(慶長11年)に法西という僧侶が建立したと伝えられる。正教寺のある場所から少し下った場所に寺坂水源がある。寺の前の坂を下った場所にあるから寺坂水源と名付けられたんだとか。なんとも安易。寺坂水源。南阿蘇鉄道が通っている高架橋のすぐ真下に水源があるという珍しい光景。高森駅~立野駅を走るトロッコ列車もここを通過するため、写真撮影に来る人もいるそう。湧水池。湧水池の隅の方に砂地があり、そこから水が勢いよく湧いているのが見える。たまに池底から気泡が浮かび、まるでサイダーのよう。砂地で見えた魚群。水源から続く水路。水路から枝分かれしたところに洗い場がある。洗い場にはかつて屋根があったようだが、今は無くなっている。写真の右の方にある置かれている木箱は芋車といい、中に芋を入れて洗い場に設置して水車のようにくるくる回し、水の力を利用して芋の皮を剥くというもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.05
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南阿蘇村湧水群の一つ。平成の名水百選、くまもと名水100選に選定されている。湧水量は毎分約5t、phは7。清泉が地中から突き上がるように出ていて、湧き出る水の柔らかさは村内一と言われている。水は現在でもいくつかの民家に給水されており、飲料水、生活用水として用いられ、周辺の10町歩(約10万㎡)の水田を潤している。周辺は整備され広いスペースが確保されており水汲みが容易にできるようになっている他、休憩所もあり。広々とした田畑が広がり、ビニールハウスや住宅がぽつぽつと建っている場所に、突如として湧沢津水源は姿を現す。周辺は綺麗に整備されていて、大型車も停められるほどの広いスペースがある。甲斐有雄の道しるべ。「右 ぎをん やべ 左 しんまち千二百六十」と記されている。今から100年以上前に甲斐有雄という石工だった人物が、旅人が道に迷って行き倒れないようにと石材に文字を彫って作った道しるべ。南阿蘇村だけでなく、大分県や宮崎県の山間部や田舎道にも同じものが合計で約1800基設置されている。水汲み場。南阿蘇村湧水群の水源地では共通していることだが、蛇口はなく水面から直接水をすくって汲むようになっている。木に柄杓が掛けられているので、それを使って水汲み。こんこんと湧き出る清らかな湧水。休憩所。東屋が立っている。休憩所の前にある洗い場と思わしき場所。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.11.04
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