家庭保育室太陽

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自閉症とその家族


前途絶望の事件続発 孤立する家族、体制整備が急務
 ◇「疲れた……分からなくなりました」??妻は自閉症児と無理心中した

 ゆっくり流れる大きな川の桜並木の堤防近くに、2Kのアパートはある。早番勤務を終え帰宅した会社員(46)はチャイムを押した。「おとうさん」と言ってドアに駆け寄る長女(4)の足音が、今日は聞こえない。鍵を開けた。電気はついている。寝室をのぞくと、妻(43)が、ネクタイで鴨居(かもい)からぶら下がっていた。うっ血した腕が変色している。足元の布団に、長女と小学3年の長男(8)が横たわっていた。首に手で絞めた跡が残っていた。5月31日午後2時48分、会社員は110番した。

 長男は自閉症だった。脳の中枢神経に原因がある先天的な障害で、視覚や聴覚からの情報を整理できず、コミュニケーションに問題がある。呼んでも振り向かない。冷蔵庫から勝手に出して食べる。ささいなことでパニックを起こし、壁をけった。

 「いつかはよくなる」。夫婦はそう信じ、療育(障害者)手帳を取らなかった。

 口数が少ない妻は誰にも頼らず、一人で根気強く長男に向かった。だが、学校でも勝手に動き回り、冷たい視線を浴びた。昨年秋ごろから妻は「疲れた……」と口にするようになった。

 妻とは見合い結婚。会社員の父(74)が「この人なら」と息子に紹介した。魚が大好きな孫を「感心やな」とほめ、トイレに積み木を詰まらせても怒らなかった父は2月に急死した。それから妻は眠れなくなった。

 精神科に通院させるため実家に帰した。だが、長男は実家でも奇声を上げ、池に石を投げた。裏山に登り、祖父母が捜し回った。「なじんでいる小学校に通わせたいの」。妻は子供たちを連れ、4月末に帰ってきた。

 長男の送迎は会社員の役割になった。朝6時からの勤務。8時半の休憩に、会社を飛び出す毎日。これでは自分も参ってしまう。施設に短期入所させよう。妻はしばらくしてうなずいた。

 5月30日、妻は施設入所に必要な療育手帳用の写真を取りに出かけた。調子がよさそうだった。手料理を久しぶりに食べた。翌朝5時、寝ている3人を残して出勤した。それが最後に見た家族の姿だった。

 「分からなくなりました」。たった1行の遺書がバッグに残っていた。「長女だけでも実家に残しておけばよかった。もう誰もいない」。会社員は身をよじった。

 「おいけの あめふり ぴち ぱた ぽん」。授業で習った詩をくちずさみ、いつも長男は学校の玄関で母を待っていた。

   ×  ×

 自閉症は乳幼児検診で発見され、早期に適切な療育を受ければ、その後の発達に大きな効果があると言われるが、前途に絶望した事件は続発している。

 外見は普通に見えるのに意思疎通ができない、親のしつけのせいにされる……。母子保健の貧困や専門医の不足も、乳幼児期の家族を孤立させる一因だ。
 清水將之・関西国際大学人間学部教授(児童精神科医)は「児童精神医学を教える大学は数えるほど。就職先が少ないうえ、診療には非常に時間もかかる。国全体での専門医の養成、医療体制の整備が急務だ」と訴える。【神戸金史、鈴木玲子】

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 ◇一人、アルバム開く

 「レンジ、温める」。自閉症児の長男は片言の言葉しか話さなかった。カレーと魚が大好きで、レンジを自分で操作したがり、いつも料理を作る母のじゃまをした。雪だるまのような単純な人形の絵を描いては喜んだ。「遊園地に行くぞ」と声をかけると、にこにこして駆け寄ってきた。お菓子を買ってもらえるかな、と期待する顔がかわいかった。長女の保育園入園式では、少しめかし込んだ妻が優しく笑っている。アルバムには家族の思い出がいっぱい詰まっている。事件現場のアパートで、一人残された父はアルバムを開いて見せた。(写真・兵藤公治)

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 自閉症児をめぐる悲劇を繰り返さないために、連載「うちの子?自閉症児とその家族」を掲載します。

毎日新聞 2004年7月3日 東京朝刊


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