報道陣に公開された作品に描かれた女性は、本物のモナリザに比べより若く鮮やかな印象を受け、背景の描写もよりみずみずしい。これについて同美術館の副館長のガブリエル・フィナルディ(Gabriele Finaldi)氏は、本物のモナリザの絵は非常に汚れており、「絵画は汚れると描かれている人物が老けて見える傾向がある」とAFPに述べた。 【AFP BB News by Roland Lloyd Parry. 2012年2月2日】
【モナ・リザ06】サライ作 スイスのタルヴィルにある、カール・ミュラー博士のコレクションの一つ。レオナルドの下僕で無能な弟子であったサライが描いたものである。 ※ ※ ※ ミラノでレオナルドは、スフォルツアの宮殿に住んだり、ミラノ市内をあちこち移り住んだりした。彼には弟子や召使もいて、時には少なくとも6人の弟子や召使を家に置いている。そのうちの一人、ジァン・ジァコモ・デ・カプロッティという10歳の少年は、レオナルドが38歳のときに絵の見習いとして住み込んだ。ヴァサーリは「みごとな巻き毛の、魅力的な美しい少年で、レオナルドは、その髪がたいへん気にいっていた。」と記していた。しかし、レオナルドは、「サライ」つまり小さな悪魔というあだ名をつけ、「こそ泥でうそつき、強情で貪欲な」少年であると述べている。レオナルドは貧乏な家に育ったサライに、着るものもつくってやった。「シャツ2枚と長ズボンと上着を1組仕立ててやり、それに払う金をとっておいたのに、少年に盗まれた。22ソルディの値打ちのある銀製の彫刻刀を盗んだのだ。」サライが来てから1年のあいだに、レオナルドは外套1枚とシャツ2枚、上着3枚に、24足も靴を買ってやっているが、サライは盗めるものはみな盗みつづけていた。レオナルドとサライの間は25年もつづいた。レオナルドは金を貸してやったりして、たえず面倒をみている。この若者はまったく才能がなく、ときどき作る作品も二流で、彼に甘いレオナルドはいつも手を加えてやるのだった。レオナルドが書きつづけた対になった横顔の連作をみると、老人の顔は次第にけわしくなっていき、美貌の青年の顔はだんだんサライに似てきている。 ※ ※ ※ 1519年5月2日、レオナルドはついにこの世を去った。その1年前、死を予期してしたためた遺書には、素描と手記のいっさいをフランチェスコ・メルフィに、いくばくかの金銭は腹違いの兄弟に、そしてミラノ近郊にある果樹園はサライに与えるとかいてあった。 サライ ・Andrea Salai:Salai means "Little Devil" ・Gian Giacomo Caprotti (1480 – before 10 March 1524) 【巨匠の世界「レオナルド」(1971.3.1)タイムライフ・ブック】