がんバレー“ジャンプくん”GO!

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第3章 平壌市内 


9時ホテルを出発して、万景台に向かう。故金日成主席の生家があるトウルーサンへ。そこにいる専門の女性ガイドさん説明をしてくれた。旧金日成主席の父母や生い立ち、独立運動(革命)時の様子の話を聞く。また、机には故金日成主席が1945年8月15日に「独立万歳」と書いたらしい。そこに、何と日本の「平和の道・婦人会」という団体がやってきた。それを朝鮮中央放送局が取材をしている。そして、頂上の万景台から平壌市内を眺め、市内の大まかな様子を話してくれた。「右側にあるのは火力発電所、トマンガン江とその支流・普通江の間につくられた大きなビルは両江ホテル。トマンガン江の河口にダムを造ったため、海水が混じらなくなり、農業工業用水が確保できるようになった。」

10時10分、北朝鮮が誇る地下鉄駅へと向かう。路線は2線ある。その駅名は、復興駅という。エスカレーターで下っているあいだは、北朝鮮の様子を放送するときに流れてくるかわいらしい音楽が流れている。地下のプラットフォームまでかなり深く、モスクワの駅と同じく核シェルター用だと確信した。プラットフォームの壁には絵が描かれ、この周辺の様子(工場地帯)を表現している。李さんはが、「今日のような日曜日は、友達や親戚に会うために利用する人が多い。」1駅乗り、光栄駅に到着。柱は噴水を表現し、天井は花をイメージしてつくってある。地下鉄の説明書や絵はがきを売っている女性のところに案内されたが、別に買う気持ちもなかった。地上に上がると、そこは高麗ホテルのあるところだった。 

10時30分待っていた車に乗り、人民大学習堂、万寿台芸術劇場、平壌学生少年宮殿と車のなかから見て回り、万寿台噴水公園に着いて、Mさんが、「これから、金日成主席像に行きますが、そこに行くと誰もが献花をすることになっています。そこで(目の前で女性が売っている)花を買いませんか。(この花を買うような仕組みに初めからなっているんだな。まあ、仕方がない。)」「いくらですか。」「700円です。」「(北朝鮮にしては高価であるが、買うしかない)」そして、車に乗り、金日成主席像へと向かう。実は労働党タワー広場から昨夜見えていたが、感動はしなかった。「それでは、献花をしてください。」ということで、献花を行い、記念撮影。どういう訳か、Mさんが記念撮影のなかに入ってくる。これも、観光客と一緒に記念撮影をしなければならないような感じて一緒に写るのだった。しかし、それ以上に驚いたのは、その像を取り囲む、人民の様子を表した像である。左側は北朝鮮の1941年五・四運動から1945年独立までの様子、右側は1945年以降から朝鮮戦争の様子を表現したもので、まるで生きている人間のように思えて怖さを感じた。そして、さらにその左手には朝鮮中央放送局のタイトルバックにある1日を3千里走る馬像がある。そして車に乗って、国会議事堂、主体(チェチェ)思想塔、そしてMさんが、「この通りは、労働党広場獣通りといって昔は日本の飛行場があったところで現在は、住宅街として2万5千人がが住んでいます。」

11時50分、労働党創建記念タワーへ。(昨夜、舞踏会がしたところ)そこにも専属の女性ガイドがいて説明を受ける。(この人はガイドとして勲章をもらったらしい。彼女に「毎日ガイドを20年もしていると寒い日や大雨の日など大変ではないですか」と尋ねると、「私は、ここで20年もガイドをやっている誇りを持っているので、そんなのは関係ない」という答えだった)これは、金日成主席が死んで、金正日委員長が権力を握る際につくったものである。それも独立50周年を記念しているために高さ50m、円の高さは216m(金正日委員長が2月16日生まれだから)というものである。「他の社会主義の国は労働者と農民が一致団結をすることを表現して、ハンマーと鎌だけだが、偉大なる首領様(金正日委員長)はそれにインテリ階級も参加しなければならないということで、ペンが加え得られている」という説明を受けた。内側のレリーフには「日本からの独立」「金日成主席から金正日委員長へ、新しい世代への交代」「世界統一(=朝鮮統一)」を表して、我々は北朝鮮と“今”戦争をしているとは思っていないが、北朝鮮は“今”も日本と戦争しているもしくはかなりの恨み辛みを持っているように感じた。女性ガイドは、「何故、北朝鮮に来たのですか?」と尋ねる。どうも日本人をみたら、同じ質問をするようになっているのか?そこで、「これからどう思うかを考えるためにやってきました」というと、「いい答え方ですね・・・。(北朝鮮を)いいように思ってくれるような旅行をしてください」といって、記念撮影をとりあとにした。

 11時50分、昼食をとるため平壌で一番美味しい冷麺が食べられるレストランに到着。まずはちぢみ、キムチ、ハムを食べ、ビールを飲む。12時30分にやっと平壌冷麺がやってきた。牛・豚のスープを時間をかけ7回継ぎ足しながらスープをつくるらしい。小麦・ジャガイモ・そ 主体思想塔
ばでつくった麺。スープをすすってみると味がない。麺も歯ごたえが大阪で初めて食べた冷麺よりない。「おいしいでしょ。」といいながらガイド2人と運転手は気合いを入れて食べる。「(どこがおいしんだろう。わからん。あの、日朝首脳会議の時や海外の用心が来たときも金正日が『平壌冷麺は美味しいでしょ!』といっていたが、何と答えていたのだろうか?)」

食後、カメラのバッテリーが切れたので、バッテリー(35mmフィルムのカメラ)を買いに行くことにした。困ったことに、カメラが新しいため、バッテリーはもしかしたら平壌に売っていないかもしれない。まずは(輸入品専門の)デパートへ。デパートといっても、どこかの雑貨屋さんという感じた。2階にいくとカメラやビデオカメラなどの電気製品が並んでいる。見てみると、日本でも新製品のものが並んでいる。しかし、残念ながらバッテリーはない。仕方がないので、外国人用ホテル(ホテル名は不明)の売店へ行くと・・・なかった。最後の手段は、宿泊している高麗ホテルのホテルへ。ここが外国製品が1番そろっているので、ここになければないようにいう。行ってみると、あった!(^o^)しかもあと2個しかなかった。(カメラには2個必要だった)

 少し休憩をして、15時に革命広場へ向かう。日曜8時NTV 系の‘ザ・サンデー’の番組でやっていたが、最近では革命広場でローラースケート屋がいて、楽しんでいる。それは北朝鮮政府の政治的軟化理由にしていたが・・・・・。あった、あった、やってる、やってる。革命広場の左手は歴史博物館、右手は美術館(共に前もって旅行前に予約しておかないと見せてくれない?何のための博物館????美術館??????)正面は少年学生宮殿(図書館のようなものといっていた)。ここで軍事パレードがあったとき、そのバルコニーで金正日などが見るところだな(よくにこにこしながら拍手をする報道ニュースを流しているがそれがここだ(^_^)/)

 15時20分、凱旋門へ。1925年の五・四運動から1945年の独立・解放を記念して、凱旋門に「1925」「1945」と書いてある。そして、隣の競技場が「マスゲーム」のメッカである。(競技場は忘れた)そして、高速道路で妙香山へ。


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