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(4-3より続く) チュべローズ とても香りが強く、しかも長持ちするため、レイとしての人気が高い花のひとつです。月下香という和名からもわかるように、夕暮れになると香りを放つことで知られています。ハワイでは結婚式の際、新婦の頭を飾るレイとしてよく見られます。 デンファレ とても日持ちが良いため、ハワイはもちろん、日本でも生花のレイではもっともよく用いられる花です。正式な名前はデンドロビウム・ファレノプシスと言いますが、これはコチョウラン(ファレノプシス・ハイブリッド)に似ていることから名づけられたものです。ハワイでレイに用いられるのは、このデンファレと、マウナロア(Maunaloa Vanda Orchid)がよく用いられます。花弁の白いものは結婚式でも用いられます。二重のレイは花婿と花嫁の母親が、一重のレイは媒酌人がつけます。 今日では、レイの素材は花に限らず、実や葉、鳥の羽毛、リボン、キャンディー、ゴルフボール、紙幣など、首にかけられるものはなんでも利用されるようになりました。 レイ・デー ハワイでは5月1日になると、メイ・デーならぬレイ・デーが開催されます。1928年に作家のグレース・T・ウォーレンが May Day is Lei Day. と提唱したことに始まります。その後、第二次世界大戦の一時期を除き、今日まで80年の長きにわたって続いています。この催しは当初ダウンタウンで行われていましたが、その後、カピオラニ公園とヌウアヌの王室霊廟公園で開催されるようになりました。当日は創作レイのコンテストなど、さまざまななレイのセレモニーが行われます。レイ・デーは1929年よりホノルル市の公式行事となり、2001年からは州全体の公式行事となりました。 今日のお話は如何でしたか、参考になりましたでしょうか!!! A Hui Hou!(じゃまたね!) 【ハワイ一口メモ】 レイ・デー 毎年5月1日にワイキキのカビオラに公園で開催される。 各島のレイや創作レイをかけたモデルのショーが行われ、ほかに創作レイのコンテストや、さまざまななレイのセレモニーが行われます。 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii ハワイ州観光局/ビッグ・アイランド観光局 iHeart Hawaii
2015.03.31
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(4-2より続く) プア・ケニケニ 漏斗状の花は咲きはじめは白く、次第に山吹色へと変化します。甘い香りは人気が高く、レイとしてはもちろん、ココナッツオイルの香りづけや、庭木としてもよく見られます。プア・ケニケニがハワイ(オアフ島)に導入されたのは19世紀末のことです。名称は「10セントの花」という英語をハワイ語に置き換えたものですが、かつてこの花で作られたレイが10セントで販売されていたことに由来します。いまでこそ安っぽい語感がありますが、当時、10セントは高価なものを表す代名詞でした。クラウン・フラワーのレイは60個以上の花で編まれ、プルメリアは50個以上の花で編まれて、いずれも25セントで売られた時代に、プア・ケニケニのレイは花ひとつが10セントもしたためです。 マイレ 花はとても小さく、葉にも大きな特徴はありませんが、葉と茎の裏側に含まれる白い樹液にはバラのような香りがあり、古くから重要な儀式の際にレイの素材として用いられました。また、カパ(樹皮から作られた布)の香り付けとしても用いられました。フラの女神として知られるラカは意のままにマイレを動かすことができたと言われます。夜にマイレの香りがするときは、黄泉の国の霊たちが通過する徴だとも信じられました。戦の終了の際には、マイレを結びあい、互いの信頼を示したと言います。 パラパライ 香りがよく、フラの舞台装飾やレイの素材として使われます。また、ペレの末妹である女神ヒイアカ・イカポリオ・ペレがパーウー(腰当て)にしたとも言われます。和名をコバノイシカグマと言いますが、カグマとはシダの古い呼び名です。ハワイでは標高200mから2000m近くの冷涼な土地に分布します。 ピカケ ピカケはリリ・ウオカラニが王朝継承者として指名したカイウラニ王女に深い縁があります。ピカケとはハワイ語でクジャクのことですが、クジャクとジャスミンを深く愛したカイウラニ王女の死後、ジャスミンの花はピカケと呼ばれるようになりました。この花で作られたレイは結婚式において新婦がかけることでも知られています。 プルメリア プルメリアは英名を Temple Tree というように、墓地に植えられることの多い花であることから、結婚式などでは使えませんが、美しく甘い香りを放つ花はとても人気が高く、街路樹としてはもちろん、フラや日常的な装飾、あるいは観光客用などにもよく用いられます。 (4-4へ続く)
2015.03.31
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(4-1より続く) レイの編み方・かけ方 レイはかける部位によってそれぞれ呼び方が決まっています。 ★頭につけるレイはレイ・ポ・オ、 ★首にかけるレイはレイ・アー・イー、 ★手首につけるレイはクーペ・エ・リマ、 ★足首につけるレイはクーペ・エと呼びます。 レイの編み方には、素材をねじりながらつなげるウィリ、針と糸を使って花を結ぶクイ、針や糸を用いずに編みこむヒリ、羽毛を使うとき、逆立つように縫うフムパパ、包むようにして縛りつけていくキープウ、数種類の葉や花を使って三つ編みにしたハクなどがあります。この他にも、帽子や服を飾り立てるプア・オーモウ(コサージュ)のようなものなど、多くの種類が考案されました。 首にかけるレイはネックレスのように首を末端とするのはなく、首の部分が中央に来るように、前後に垂らします。妊婦の場合は環となっていないレイを使用します。相手の首にはかけず、手渡しが基本です。環状のものは赤ん坊の臍の緒にまきつくという言い伝えがあるためです。 花の種類にもTPOがあります。たとえばプルメリアは本来、葬式などに用いるものです。観光客に贈ったり、アウアナ・フラで使用することはありますが、結婚式や受勲式などで用いません。同じようにタコノキ(ハラ)を用いたレイは悪いことが起きるとされ、お祝い事(慶事)には用いられません。 各島のレイ 20世紀に入ると各島にシンボル・レイが誕生しました。 ★カウアイ島は紫のモキハナ、 ★オアフ島はイエローオレンジのイリマ、 ★モロカイ島はシルバー・グリーンのククイ、 ★ラナイ島はゴールドのカウナオア、 ★カホオラヴェ島はシルバー・グレーのヒナヒナ(*1)、 ★マウイ島はディープピンクのロケラニ(ダマスク・ローズ)、 ★ハワイ島は赤いオヒア・レフアです。 ちなみに、ニイハウ島は植物ではなく、ププと呼ばれる白い貝となっています。各島を象徴するレイを編むときは、これらの花や貝を用います。 *1 ヒナヒナのレイには2種類あり、パイナップルの仲間のスパニッシュ・モスを用いる場合と、ビーチ・ヘリオトロープが用いられる場合とがあります。レイに用いられる主要な植物 イリマ 山吹色の花はカメハメハ王朝ではとくに珍重されました。半神マウイが怪物を退治して母である女神ヒナを助けたとき、ヒナはその喜びを表すためにイリマでレイをつくり、自らを飾ってマウイに感謝の意を表したという神話や、森やフラの女神として知られるラカがイリマに姿を変えたという話などが残されています。黄色の花は時間とともに山吹色からオレンジ、赤へと変化します。イリマのレイには、「あなたを誇りに思う」という意味があります。この花のレイは妊婦に渡すレイと同じく、環状のものではなく、開いたものをかけるべきだとする人もいます。イリマは花冠が小さく薄いので幾重にも回してかけられることが多いのですが、90cmほどのレイでおよそ700本もの花が必要となります。また、花はすぐに色を変えることに加え、短命でもあるので、早朝に摘んで暗箱に保管し、使用する直前に取り出すなど、他の花のレイに較べて多くの手間がかかります。 (4-3へ続く)
2015.03.31
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皆様お元気ですか・・・? 伝統文化が生きる島で新たな感動と出会う 個性豊かな島々からなるハワイは、訪れるほど魅力が増すアドベンチャーワールド。 一歩足を踏み込めばありのままの自然が姿を現し、地球の息遣いを感じることが出来る。 ポリネシア文化から生まれた芸術や習慣、自然とのかかわりのなかから生まれたフラやウクレレもまた、ハワイの人たちが古くから大切にしてきたものだ。 そんなアロハスピリットに触れたくて、太陽がまぶしいハワイを私は訪れた。 そこで今回は私の想いでMy memoriesとして【ハワイのレイ】について記して見ます。 レイの歴史 レイはハワイの文化に欠かすことのできないもののひとつとして広く知られています。レイのイメージは、美しい色彩や香りにあふれた花だと答える人は多いでしょうが、かつては神に捧げるために、フラの踊り手や戦士が身につけるものでした。そのため、レイには香りや美しさよりも、霊的な力が求められました。 レイには神々の怒りを鎮めたり悪霊を追い払う、魔除けのような意味があります。霊的な力はマナと呼ばれましたが、この力は、貝や海草、木、主にオオやマノといった山鳥(ハワイミツスイ)の羽毛、あるいは、人間の頭髪、紙、石、獣骨、牙、人骨などに宿ると信じられました。なかでも大首長(アリイ・ヌイ)や巨大なサメの骨など、権力や高い能力を持つ者には強いマナが宿ると言われました。 これらの素材のなかに植物も含まれていました。たとえばマイレのレイは、戦いの休止や終了の印として使われました。キー(ティ)は厄よけ、ポーフエフエは漁師が安全と豊漁を祈願して身につけ、ピカケやハラ(タコノキ)のレイはフラの女神ラカに捧げられました。オヒア・レフアは火の女神ペレの化身であり、ラマはフラと森の女神であるラカの化身と信じられました。シダの一種であるパラパライはフラの女神ラカが身につけたとされ、黄金色(山吹色)をしたイリマは高貴な花として王朝の儀式などで用いられました。このように、植物は人々の信仰に重要な役割を果たしましたが、数ある素材のひとつにすぎなかったのです。 今日のレイ 今日のように植物を主体としたレイが主流となったのは、ハワイの人々が西欧の人々と盛んに交流をはじめた19世紀以降のことです。レイは親愛の情を示す手段として、あるいは誕生日や冠婚葬祭、祭日を祝うものとして、さらにはハワイを訪れる観光客などに贈る歓迎の象徴として用いられるようになりました。花をレイにする習慣は南アジアの風習が取りこまれたという説もあります。葉のレイは中国やインドから伝わり、ジャスミンなど、花を用いたレイは南アジアから伝わったとされます。 観光客にレイを贈る習慣は、船でハワイ諸島に到着した人々を歓迎するため、カヌーに積んで客船まで近づき、船上の客たちにいち早く商売をしたのが最初だと言われます。当時、もっとも高価なレイは「10セントの花」という意味を持つプア・ケニケニでした。 今日のレイは植物が中心ですが、花のほかにも、葉や実などが用いられるほか、象牙や鳥の羽毛、紙やビーズ、さらにはお菓子や玩具をネットに入れたものまでが、レイとして用いられます。素材はさまざまですが、いずれのレイも、感謝や祝福の気持ちが込められていることに変わりはありません。 レイを贈るときに歌われるメレや、王冠の代わりに用いられるレイ、象徴的なものとして身の丈の何倍もの長さのレイなどもあります。 (4-2へ続く)
2015.03.31
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何だかんだと言いながら本企画も何時の間にか700回を迎えました。100回目ごとに何となく節目の記述をしてきたつもりですが・・・。はたして? この度は、改めてハワイ観光について考えてみました、参考にして下さい。 ☆ハワイ観光の歴史 ハワイの観光の歴史はカメハメハ5世の時代までさかのぼる。 1866年にマーク・トウェインはカリフォルニアの新聞記者としてハワイを来訪。彼が現地から書いた「ハワイ通信」はカリフォルニア中で話題となった。1872年には5世の念願であったホテル(ハワイアン・ホテル)が開業。ハワイ初のこのホテルは主に国賓や有力人物などを迎えるためのものであり、後にロイヤル・ハワイアン・ホテルと改名された(1917年に営業終了)。 1898年にアメリカ準州になると、ハワイは合衆国の観光地として歩みはじめる。1901年にモアナ・ホテルがオープン。翌1902年にはワイキキとホノルルを結ぶ卜ロリー電車が開通した。 1903年には早くもハワイ観光局の前身となる委員会が設置され、観光プロモーションが開始された。 1920年代に入ると、観光地化はさらに拍車がかかる。1925年にハワイの海運業を手がけていたマトソン社がカリフォルニアとホノルルを定期的に結ぶ豪華客船マロロ号を就航させた。マトソンの関連会社が旅行客用として作ったホテルが、ハワイ初のホテルから名を取ったロイヤル・ハワイアン・ホテル(1927年完成)である。 1921年にワイキキの運河建造計画が始まり、掘り出された土砂で湿地帯が埋め立てられた。1928年、掘り出した土砂の跡はアラワイ運河となり、ワイキキの景観は大きく変化した。1926年にはアロハタワーが完成し、ホノルル港のランドマークとなった。また、オアフ鉄道が旅客列車を運行し、ホノルルから力エナ岬を経由し、ノースショアまで列車の旅を楽しむことができた。当時のハワイは合衆国本土の富裕層がlヵ月以上のバカンスを楽しむ超高級リゾート地であり、一般市民にとってはまだ夢の場所だった。 1929年、株の大暴落によって引き起こされた世界恐慌でハワイは大打撃を受け、観光客は激減する。しかし、1930年代の半ばになると緩やかに回復していった。1935年には、パン・アメリカン航空がサンフランシスコとホノルル間に初の大平洋横断定期便を就航させ船旅で5~ 7日かかつた旅を一気に21時間半に短縮した。 この頃、ハワイにはハバ・ハオレ・ソンクの流行とともに新たな動きが生まれる。 ハワイを舞台にしたハリウッド映画が封切られ、ハヮイから全米向けにラジオ番組がスタートしたのだ。ハワイには行けなくとも、ハワイ音楽の生演奏やハワイの景色をスクリーンなどを通して一般市民も楽しめる時代となった。 第2次世界大戦中はハワイに多くの軍関係者が滞在したため戦争特需が起き、ハワイ経済は潤いを見せた。 戦後の観光ブームのきっかけは、1959年に合衆国50番目の州となったことだった。この年にジェット機が就航し、アラモアナ・ショッピンク・センターが完成、また、全米ネットの放送局(ABC)によるテレビドラマ「ハワイアン・アイ」の全米放送も大きな後押しとなった。1960年代に入り、他島のリゾート地化も始まった。 1970年にはジャンボジェット機が就航し、団体ツアーの幕開けとなった。日本でも1980年以降の円高進行や観光ヒザの申請免除によりハワイヘの渡航者は年々増え続けた。その数は1997年に約220万人と、ピークを迎えた。 2001年にアメリカ同時多発テロが起き、ハワイの観光客は減少が続いている。2008年、ハワイの島々を結んでいたアロハ航空が原油価格の高騰や価格競争のあおりを受け営業を停止。一方、この年から韓国では観光ビザ申請が免除となり同地からの旅行者が伸びるきっかけとなった。 2009年の日本の渡航者は約110万人とピーク時の半分になったが、その後徐々に回復傾向にあり、年に何度も訪れるリピーターも多く、根強いハワイ人気を支えている。 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii
2015.03.28
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皆様方は温泉はお好きですか・・・。私は大好きです、それもひろ~い露天風呂を求めて旅します。 旅と健康は古くから密接な関係にあり、健康回復・維持自体が旅の主な目的のひとつでした。 私たち日本人も昔から健康を意識して旅に出ていました。江戸時代、各地に関所という難関があったにも関わらず、お伊勢参りや湯治にこぞってでかけていたのもそれが理由です。 現在は研究が進み、なかでも温泉の効果が科学的に証明されてきました。温熱・水圧・浮力、温泉成分による化学作用による血行の促進、代謝の改善、疼痛の軽減などを中心に、慢性関節リウマチ、気管支喘息、糖尿病、高血圧症、アトピー性皮膚炎など広範囲にわたる慢性疾患に対して効果があると認められてきています。また、温泉周囲の自然などすばらしい環境による効果も加わり、心身症などのストレス性疾患にも効果を示すことが確認されています。 また、興味深いことに温泉旅行のような健康を目的とした旅だけではなく、通常の旅においても、精神的にリフレッシュできることが確認されてきています。 旅行業協会の調査では、旅行初日から旅行後2日目まで、ストレスホルモンであるコルチゾールやアドレナリン、ノルアドレナリンの分泌の低下が見られ、非常にリラックスした状態になっていることが分かりました。 また、心理検査では、達成感や幸福感が旅により高まり、旅行から帰ってからも数日間持続することが確認されています。 このように旅によってもたらされる健康効果。ピクニックに行く子供のように、旅行前、旅行中だけではなく、旅行後も余韻を楽しむことができることから、“ピクニック効果”と呼ぶドクターもいらっしゃいます。こういった旅のピクニック効果を期待して、慢性疾患をお持ちの方や高齢の方に旅行を推奨するドクターも増えてきているのです。 精神的にも、肉体的にも健康へ導いてくれる旅。みなさんも健康のためにも、積極的に旅にでてみませんか。 参考文献 大越裕文内科医医学博士のお話し
2015.03.26
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カレー、私も大好きです、神戸カレー、もう全国ブランドです。 それにしても、これほどまでに日本人になじんでしまったのはなぜなのでしょうか? 今日はこの謎を紐解いてみました。 日本で始めてカレーを紹介した人物は、福沢諭吉でした。 日本が開国したのは1859年(安政6年)。箱館(今の函館)・横浜・長崎・新潟・神戸と言う具合に開港していくのですが、最初に入国したのは英国人でした。文明開化は港から始まる、諸説あるが、カレーもインドから英国に渡り、横浜や神戸といった大都市に隣接する港から徐々に日本に広まったと推測されています。 今から155年前の1860年(万延元年)幕府は日米修好通商条約批准のため、ワシントンに使節団を派遣した。同行する軍艦は咸臨丸、諭吉はその一員だった。諭吉はサンフランシスコで「華英通語」という、今の中英辞書を購入、帰国後日本人の役に立つようにと邦訳と発音を加え、「増訂華英通語」として出版する、その中で「curry・コルリ」と紹介しているのが現在の「カレー」である。 インドで生まれたカレーは日本で巧みに変貌をとげ国民食にまで昇りつめた。その歩みは様々な物語があり、特に第二次大戦後から現在に至る道程はメーカーの弛まぬ努力と欧米化する生活者の変化によって創られた。 1871年「殺生(食肉)禁断」の勅令が解除され、翌1872年(明治5年)明治天皇が始めてカレーを食した。 この時代を経て、カレーは日本人に徐々に知られるところとなる、しかし、今の定番、ジャガイモ・人参・玉葱等の入ったカレーはその後、かのウイリアム・クラーク博士が北海道の気候風土を活かし外来野菜に理解と生産に力を注ぎトウモロコシ・麦・大豆・人参・玉葱・ジャガイモ・アスパラガス等を明治の中後期に首都圏初め国内各地に出荷されるようになって、やっと現在のカレーの原型が生まれるのである。 昭和の初期になって、各地に「洋食屋」と称するレストランが次々とオープンする、中でも新宿中村屋と資生堂パーラーのカレーは名物となり現在に至っているのはご存知の通り。 それにしても、これほどまでに日本人になじんでしまったカレー、カレーが国民食と言われるまでに成長した利点とは ● 嫌いな人が先ずいない、家族全員で楽しめる。 ● 具材の野菜は常備率が高く経済的。 ● 高い調理技術が不要。 ● 作り置き可能、一皿完結型のメニュー。 と言われています。 日本人は何故カレーが好きなのか・・・、間違いなく言えるのは日本独特の発想と技術を載せて完成度を高める開発者・メーカーの努力の賜物です。日本のカレーはまさしく、日本の米と抜群の相性を誇る「日本のカレー」になったのです。
2015.03.24
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陰暦2月の中で、陽暦では3月20日か21日。この日、太陽黄経は0度となり、昼と夜との時間は等しくなる。この日を中日として前後それぞれ3日、すなわち7日間が春の彼岸である。この日を境に徐々に昼が長くなり、本格的な春が始まる。我が家でも明日22日の日曜日にお墓参りに行きます。
2015.03.21
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カフナ カフナとはヘイアウ(神殿)において神事を司る神官(祭司)だが、かつては、神官だけでなく、特殊な技術を修得した者(職人)や医術を施す者(医師)なども同じように口乎ばれた。 カフナを「力・フナ」と区切ると、「フナ」には「秘密にする」「隠れる」という意味があることから、カフナの知識は秘伝だったと説く者もいる。だが、カフナのなかには、「カフナ」ということばは切り離すべきではないと説く者や、カフ・ナであると説く者もいる。「カフ」には「守る」「修得する」「保つ」という意味がある。 いずれにせよ、今日のカフナは、呪術や医術を通じハワイの伝統文化を継承する、貴重な存在であることに変わりはない。 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii)
2015.03.19
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奥深い京都の良さや 京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、 わかりやすく紐解いていきたいと思います。 ぜひ身近に京都を感じてください。 今回のテーマは『 絶世の美女・小野小町 』です。 ■ ミステリアスな女性こそ、惹かれるんどす。 小野小町とは、平安時代前期(9世紀)の女流歌人です。 絶世の美女と謳われ、六歌仙のひとりに数えられるほど歌に関して秀でた人物だった小野小町。 容姿端麗で、今ではエジプトの“クレオパトラ”や中国の“楊貴妃”とともに、世界三大美人と呼ばれています。 しかし、多くの貴公子達からの求愛にもなびかず、宮仕えを辞した後は全国各地を渡り歩き、衰えた美を嘆きつつ亡くなったとか……。 そんな小町は、まったくもってミステリアスな女性で、出身地や終焉の地は、京都の山科・市原・大宮町、秋田県雄勝町、鳥取県など全国各地に20箇所以上もあり、仁明天皇(在位833~850)の時代に宮廷に仕えていたということ以外ははっきりしたことはわかっていません。 仁明天皇の更衣・小野吉子と同一人物とする説もあります。 小野小町ゆかりの隨心院(京都市山科区・ずいしんいん)では、仁明天皇崩御ののちに現在の京都市山科区小野御霊町に移り住んで、70歳を過ぎて亡くなったとか、流浪のはてに現在の洛北・市原の補陀洛寺(ふだらくじ=小町寺)へ辿りつき、80歳を過ぎて亡くなったなどといわれています。 また世を避け、ひっそりと香を焚きながら92歳で天寿をまっとうしたともいわれています。 その他にも、隨心院の近くに小野の里(小野一族)があったことは事実のようで、現在でも小野小町が使っていたとされる井戸が残っています。 この井戸は小町が使って以来「化粧水(けしょうみず)」と呼ばれ、みんなに親しまれているそうです。 ■ 悲しいお話やおへんか。つらおすなあ。 小野小町といわれて思いつくのが、謡曲「通小町」で知られる深草少将の“百夜通(ももよがよい)”の話ではないでしょうか。 「私の所に100日間通い続けたら結婚しましょう」との小町の言葉を信じ、雨の夜も雪の夜も恋しい小町の元へただ通い続けたのですが、99日目で大雪のため亡くなってしまったという深草少将のお話です。 小町は、深草少将が訪ねてくるたびに、榧(かや)の実に糸を通してつないでいきました。 現在でも隨心院には、糸を通した跡のある榧の実や、榧の木が残っています。小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔いたといわれています。
2015.03.17
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日本にバレンタインの習慣が根付き始めた昭和50年はじめ頃、バレンタインのお返しをするという流れが高まります。 そこで、バレンタインデーの「アンサーデー」として、昭和53年「全国飴菓子興行協同組合」が「ホワイトデー」を発案したのです。 2年後に初めて、東京銀座の百貨店でキャンディーやマシュマロを売るキャンペーンイベントを行ったのが、ホワイトデーのはじまりです。 ところがそれ以外にも、昭和40年代頃から既に不二家が、「リターン・バレンタイン」と銘打って、キャンデーやマシュマロの販売促進を行っていたとう説や、昭和50年代はじめ頃、福岡の老舗お菓子屋さん「石村萬盛堂」が、当時の女性雑誌の投稿欄に、バレンタインデーのお返しがないことに不満を持っていた女性達の、「お返しに欲しいものランキング」にマシュマロがあった事をヒントに、白いマシュマロを販売した事がきっかけとなったという説もあります。 ホワイトデーは、日本で生まれた風習です。バレンタインデーに女性から男性へチョコを贈るのも日本独自のことですが、お返しまできっちり決めているのは世界でもめずらしく、欧米では「クッキーデー」「マシュマロデー」「フラワーデー」などと称し、恋人同士で贈り物をすることはあっても、お返しという意味ではありません。韓国や台湾などでホワイトデーがみられるのは、日本の影響です。 では、どうして日本ではお返しをするのでしょう? 日本では贈り物やお祝いに対してお返しをする習慣があり、バレンタインに女性からプレゼントを頂戴し、そのままでは心苦しいと感じる男性が多かったようです。そこで、お菓子業界がバレンタインのお返しを提唱し、1か月後の3月14日を「ホワイトデー」として定着させていきました。 要するにお菓子屋さん業界の商魂に我々男性諸氏が乗せられてしまったと言う事のようですね!!! でも、先月彼女からおいしいチョコをいただいた彼方、彼女期待しているかもよ!!! それと、この日はもう一つ意義のある大切な日なのです。 それは・・・、この日は、私のお誕生日なのです。
2015.03.14
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あなたの周りにいる「幸せそうな人」に共通する、10のコト 〈幸せの法則〉それは、今すぐできることばかり。 大事なのは「続けること」だ。 日頃から少しずづ意識するだけで、 あなたの人生もみるみるうちに変わっていくはず! その7. 約束を守る 約束を守る事は習慣にするべき。やはり信頼はあったほうがいい。 出来ない約束はする必要がない。 けれども、あなたの見方につく人を、信頼関係を結ぶ事で増やしていこう。
2015.03.12
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Pono: ハワイの人がよく使う、シンプルだけど意味の深い言葉。 もしかしたらAlohaに次ぐ、ハワイらしい言葉かもしれません。 ハワイ語辞書でPonoをひくとたくさんの言葉が並んでいます。 善良性、親切心、真心、モラル、良質、適切、正しい、優秀、健康で幸福な状態、繁栄、本質、正義・・・。 ポノとは、地球上のすべてのことが本来あるべき状態のこと。物事が、自然環境が、人間関係が、精神状態が、健康状態が、ちょうどいいバランスの、調和のとれた状態。 状態がポノでなくなってしまったときは、ポノの状態に戻してあげなければいけません。ポノの状態に戻すことをホオポノポノ(Ho’oponopono)といいます。 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii
2015.03.07
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陰暦2月の節で、陽暦では3月5日か6日。 蟄虫啓戸「蟄虫(すごもりむし)戸を啓(ひら)く」の日のこと。 地中で冬眠をしていた虫たちが姿を表わす頃とされている。 二十四節気の一つ 「啓蟄(けいちつ)」の啓はひらくを、蟄は土の中で冬ごもりする虫を表している。 春の暖かさを感じた虫たちが目覚め、地上に這い出して来る季節です。 風の冷たさが少し和らぐのを感じ草木がいっせいに芽吹き、生き物たちが動き始める 「啓蟄」を迎えました。 三寒四温、人間も縮こまっていた身体をグッと伸ばして、活動したくなる季節です。 穏やかな陽気が続くこの時期を楽しみましょう。
2015.03.06
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常夏の楽園・ハワイ。アメリカ合衆国のハワイ州に属するハワイ諸島はハワイ島、マウイ島、ラナイ島、オアフ島、カウアイ島などの8島に加え、約124の小島から成り立っています。 今日はその中からハワイの島々に点在する“公園”の魅力を紹介します。 火山や渓谷などを保護する自然公園や、古代ハワイアンの文化を感じさせる歴史公園、マリンレジャーにもってこいの美しい海が広がるビーチパーク・・・など。今回は、ハワイらしさ溢れる、とっておきの“公園”をご紹介します。 圧倒的なスケールで広がる2つのナショナルパーク “公園”といえば、やっぱり圧倒的なスケールを誇る“国立公園”ははずせません。ハワイには2つのアメリカ合衆国国立公園がありますが、そのひとつが、ハワイ島の「ハワイ火山国立公園」。その名が物語る通り、“世界で最も活発な火山”とよばれるキラウエア火山を中心に、マウナロア山頂から海へと続く1,335平方キロメートルもの広大な敷地を有する公園として、世界中の人々を魅了しています。 「ハワイ火山国立公園」を楽しむなら、キラウエア・カルデラの周囲を巡るおよそ18kmの絶景ドライブルート「クレーター・リム・ドライブ」へ(※一部閉鎖中)。ルート上には、女神ペレがすむ場所と伝えられる「ハレマウマウ火口」や、絶景のビューポイント「キラウエア展望台」500年前の溶岩のトンネル「サーストン溶岩洞(ナーフク)」、往復30分ほどの手軽なトレッキングコース「デバステーション・トレイル」などが点在。半日たっぷりドライブを楽しんでも、見どころが尽きることはありません。 「ハワイ火山国立公園」と並ぶ国立公園のひとつが、マウイ島に位置する「ハレアカラ国立公園」。ハワイ語で「太陽の家」の意味を持つハレアカラ山の標高は3,055m。荒涼とした雰囲気の山頂付近は、絶好のサンライズビューが楽しめることでも知られています。 120平方キロメートルもの広大な公園の見どころは、ハレアカラ山頂から豊かな木々に覆われた熱帯エリアを越えて、海岸へと続く変化に富んだ自然環境。園内には無数のハイキングトレイルがあり、ガイドツアーも催行されています。 また、ハワイ州の鳥にも指定されるネネ(ハワイガン)やごく限られた高山でしか観られない植物アヒナヒナ(銀剣草)など、希少な動植物を観察できるのも大きな魅力。風景を楽しみ、トレイルを歩き、生き物とふれあう。ここは、ハワイの大自然をゆったりと楽しむのにもってこいの場所なのです。 「ハワイ火山国立公園」や「ハレアカラ国立公園」のように広大な国立公園を楽しむには、食料や水、雨具や歩きやすい靴など、準備をしっかりするのがポイント。最初に「ビジターセンター」を訪れ、公園内を効率的に回るためのルーティングなどを知っておくこともお忘れなく。 歴史ある聖地へ、美しき海へ。 さまざまな個性を持つ公園たち 「ハワイ火山国立公園」の自然美に圧倒された次の日には、ちょっと通好みなハワイ島のコナ南部に広がる“聖地の公園” 「プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園」を訪れてみてはいかがでしょうか。 「プウホヌア」とはハワイ語で「逃れの地」「聖域」という意味で、その名の通り、かつてのハワイで「カプ(掟)」を破った人々が死罪を免れるために逃れてきた聖域です。美しいビーチに面した園内では、かつての王家の土地だった場所を利用して、古代ハワイアンの暮らしを再現しています。海を望む木製の神像や王家専用のカヌー船着き場、ヘイアウ(神殿)などを前にすると、悠久の時の流れに思いを馳せずにはいられません。 「プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園」のほか、ハワイの島々には、「カロコ・ホノコハウ国立歴史公園」(ハワイ島)や「カラウパパ国立歴史公園」(モロカイ島)などの歴史的な公園もあるので、気になる人は要チェックです。 もうひとつ、ハワイの“公園”で忘れてはいけないのが、美しい海に面した“ビーチパーク”でしょう。たとえばオアフ島だけでも、「アラモアナ・ビーチ・パーク」や「カイルア・ビーチ・パーク」など、さまざまな個性を持つ“ビーチパーク”が点在しています。 美しい海の周囲が公園として整備されているため、マリンレジャーもちろん、ジョギングしたり、木陰でお昼寝したり・・・と、過ごしやすさは満点! また、ダイヤモンドヘッドの裾野に広がる「カピオラニ・パーク」では、週末にイベントが開催されることも多数。ランチとドリンクを持参して、のんびりと時間を気にせずに楽しんでみては? 大自然を楽しみ、歴史を知り、海で遊び、文化にふれる。ハワイの島々に点在する公園では、さまざまなスタイルの旅の時間が待っています。ハワイに流れるゆるやかな時間を感じるなら、あまり予定を詰め込みすぎず、「退屈しちゃうかも」というくらいの気持ちで訪れるのがおすすめ。きっと“公園”には思わぬ旅の楽しさが待っていますから。 多彩な個性をもつ“公園”が点在するハワイの島々ですが、ダイナミックな自然のなかを歩きたいなら、やっぱりビッグアイランドが正解!今回の特集でご紹介した「ハワイ火山国立公園」はもちろん、溶岩が木々を飲み込んだまま固まった溶岩樹型のトレイルを歩ける「ラバ・ツリー州立公園」も見どころ。また、「アカカ滝州立公園」では、熱帯の木々の合間を抜けて、落差134mの美しい「アカカ滝」を目指すトレッキングが楽しめます。アクティブ派の方なら、トレッキングシューズ持参で出かけるのがおすすめです! 参考文献 JAL home page
2015.03.04
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