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低山ながら関東100名山に数えられるのが、埼玉県日高市にある日和田山です。登山道入口登山道脇に曼殊沙華が咲いていますが、実は9月の話です。日和田山の山腹には金刀比羅神社があって、登山道は表参道も兼ねているようでした。金刀比羅神社一の鳥居一の鳥居の先で、登山道は「男坂」と「女坂」に分かれていました。男坂と女坂の分岐点ここは当然ながら、自信満々に女坂を行くことにしました。後で山頂で聞いた話によると、男坂はかなりの急登で、岩をよじ登る感じだそうです。長いつづら折りを登っていくと、樹林帯の先に再び鳥居が見えてきました。金刀比羅神社二の鳥居鳥居の先にあるのが金刀比羅神社本殿です。金刀比羅神社本殿金刀比羅神社のあたりは視界が開けていて、都心方面も望むことができました。新宿方面そして眼下には、巾着田を眺めることができました。巾着田実はこの巾着田が今回のメインの訪問地で、上から見ると本当に巾着のような形をしています。金刀比羅神社から一登りすると、日和田山の山頂に着きました。日和田山山頂(標高304m)日和田山で関東100名山も34座目となり、ようやく1/3を超えたところです。関東100名山
2019/09/26
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数ある富士見スポットの中でも、箱根カルデラ(外輪山)から眺める富士山は、特にお気に入りのスポットです。その箱根カルデラの中でも、足柄峠~金時山~乙女峠と続く北側の稜線からは、富士の裾野から山頂までの全容を見ることができます。神奈川県箱根町から国道138号線の乙女トンネルを抜けて、御殿場市に入ったところにある「ふじみ茶屋」は、手軽に行けるスポットかと思います。ふじみ茶屋ふじみ茶屋から見た富士山実際に肉眼で見ると、こんな感じでした。本当の乙女峠は、乙女トンネルの真上の箱根外輪山の稜線上にあります。冬晴れのこの季節、乙女峠から金時山、そして足柄峠へと歩いてみるのもいいかも知れません。積雪期の乙女峠展望台(2014年1月)金時山頂から見た富士山(2010年2月)足柄峠から見た富士(2018年5月)最近は山歩きから遠ざかっていたので、久々に箱根カルデラの稜線を縦走してみたくなりました。特に雪が降った後の快晴の日、外輪山から眺めるパノラマと、アイゼンで踏みしめる新雪の感覚は、やみつきになりそうです。(金時山頂の「金時茶屋」で食べる「きのこ汁」は、これがまた体に染みわたるのです)
2018/11/25
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三浦アルプスの標高は最高でも200mほどしかないのですが、乳頭山からの南尾根は結構アップダウンもありました。南尾根の稜線から見た中尾根(二子山)いくつかピークを越える中で、思わず観音塚と勘違いしてしまいそうだったのが、三浦半島中央道路のトンネル上の稜線でした。三角点かと思いきや。「三浦半島中央道路3級基準点」と書かれており、まさにトンネルの真上だと思われます。観音塚には、その名の通り観音様の像が置かれていました。いわれはよくわかりませんが、片方には千手観音が刻まれていました。観音塚を後にすると、いよいよ仙元山を目指して歩き始めました。仙元山の山頂部は広場があって、開放的な雰囲気でした。目の前に広がるのは相模湾、森戸海岸の先には江の島も見えていました。あいにく富士山は望めませんでした。スタート地点の安針塚、塚山公園からは東京湾を眺めていましたが、最後は葉山の相模湾です。三浦半島の横断ルートならではでしょうか。葉山教会歩数:23,166歩距離:17.62km
2018/04/02
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塚山公園では、安針塚の由来ともなっている三浦按針の墓所を訪ねた後、いよいよ三浦半島の反対側を目指して歩き始めました。まずは三浦アルプスの乳頭山を目指すのですが、塚山公園からのルートはあまり一般的でないようで、コース案内の道標などはありませんでした。そして六国峠の時もそうでしたが、三浦半島横断するためには、横浜横須賀道路のガードをくぐらなければなりません。横横道路のガード本町中山道路と横横道路のガードをくぐると、本格的な登りとなってきました。送電用の鉄塔下は、休憩するのにいい場所です。鉄塔を過ぎたあたりから道がきれいになり、コース道標も見られるようになってきました。畠山との分岐から急斜面を下った後、再び登りとなる途中には、旧海軍省の標柱がいくつか残っていました。旧海軍標柱「東京湾要塞第一区地帯標」、「昭和十六年七月二十日書」と刻まれていました。乳頭山の山頂に着くと、海上自衛隊の横須賀基地を望むことができました。かつての帝国海軍鎮守府も、海上自衛隊艦隊本部へと変わっています。乳頭山山頂には、特に山頂標が建っているわけでもなく、三角点がひっそりと置かれていました。乳頭山からの三浦アルプスは、中尾根を行くルートと、南尾根を行くルートがあります。今回は観音塚経由の南尾根を行くことにしました。南尾根三国峠の道標果たしてコース選択は正しかったのでしょうか。
2018/04/01
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京急安針塚駅から京急新逗子駅まで、「三浦アルプス」で三浦半島を横断して見ることにしました。まずは三浦按針の墓所がある塚山公園に来てみると、「さくら祭」で盛り上がっていました。塚山公園には以前も訪れたことがあるのですが、その時とは全く様相が違っているので、びっくりしたほどです。2015年2月の塚山公園「港の見える丘」からは横須賀港を眺めてみると、ソメイヨシノの枝の間に護衛艦の姿がありました。下の芝生の広場では、ビニールシートを広げた人たちが思い思いに花見を楽しんでいました。古来より花と言えば桜、百人一首など数々の和歌にも桜が詠まれてきました。既に散り始めた桜を眺めていると、ふとある歌を思い出しました。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」明智光秀の三女として生まれ、細川忠興に嫁いだ後、石田三成軍によって壮絶な最期を遂げた細川ガラシャの辞世の歌です。この数奇な人生をたとえたのも、やはり花でした。
2018/03/31
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大丸山から市境広場を越えると、ハイキングコースは横浜市と鎌倉市の市境を行くようになりました。途中の鞍部には切通が見られるようになり、いよいよ鎌倉らしくなってきました。市境広場から先、途中には分岐点がいくつかあったのですが、道標が立っていない場所もありました。目印のピンクリボンの方向に進むと、実は六国峠のコースと違っていて、途中で引き返したこともありました。(鎌倉霊園手前の分岐では、目印に従って左折すると、霊園の方に行ってしまうので注意が必要かと思います)「鎌倉アルプス」の稜線上に差し掛かると、見覚えのある景色が目に入ってきました。六国峠の標識前回六国峠(鎌倉天園)を訪れたのは2014年11月でしたが、その時にあった鎌倉天園茶屋はなくなってしまい、跡地は見事に更地になっていました。天園茶屋の跡鎌倉天園の名前は付いていますが、天園茶屋は横浜市栄区にあって、ここが横浜市の最高地点(標高159.4m)です。ちなみに横浜市の「最高峰」は大丸山の標高156.3mで、天園と尾根続きになっている大平山(標高159.2m)は鎌倉市の最高地点です。大丸山(2018年3月)大平山(2014年11月)前回2014年11月は、建長寺半僧坊から鎌倉アルプスを経て、鎌倉天園にたどり着きました。その時は天園茶屋でビールを飲んで、一息ついたのを覚えています。かつての天園茶屋(2014年11月)天園茶屋の入口跡(現在)かつての名残を残しつつも、すっかり変わってしまいました。それでも鎌倉天園からの眺めだけは、前回と変わっていません。天園から見た鎌倉市街地と由比ヶ浜(稲村ヶ崎)鎌倉天園からは鎌倉宮の方へ下りて行くのですが、途中で瑞泉寺を経由してみる気になりました。瑞泉寺と獅子舞の分岐前回は獅子舞経由だったので、今回は瑞泉寺経由にしてみました。(前々回が瑞泉寺経由でした)瑞泉寺ルートでは、途中に「貝吹地蔵」が置かれています。貝吹地蔵「幕末」太平記の時代の1333年、新田義貞軍による鎌倉攻めで、鎌倉幕府軍は自害した鎌倉幕府執権北条高時の首を守りながらも敗走して行きました。この時、鎌倉幕府軍を助けるため、貝を吹き鳴らした地蔵と伝わっています。地蔵が貝を吹いたかどうかは定かではありませんが、この地蔵が鎌倉幕府滅亡の瞬間を見つめていたのかも知れません。この後は瑞泉寺に立ち寄った後、筋違橋から鶴岡八幡宮の境内を通り、小町通りを避けて若宮大路からJR鎌倉駅と、おなじみのコースでした。京急金沢文庫駅から歩き始めて三浦半島を横断、最後はJR鎌倉駅にいるとは、なんとも不思議な気がします。
2018/03/13
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能見堂を後にして、再び能見堂緑地の中のハイキングコースを歩き始めました。等高線に沿った道が続くため、アップダウンもそれほどなくて、歩きやすい道でした。また、樹林帯のすぐ近くが住宅地となっており、エスケープルートもいくつかあって、散歩がてらに歩いている人も多く見かけました。横横道路の高架を過ぎて笹下釜利谷走路沿いを行くと、右手に視界が開けて金沢自然公園に着きました。金沢自然公園は、いくつかの森林からなる横浜市最大の自然公園で、広さは60万平米あります。「動物園エリア」と「植物区エリア」に分かれており、動物園では主に大型草食希少動物が飼育されているそうです。金沢動物園入口動物園横にあるハイキングの道標に従って行くと、植物区エリアの自然散策路へと続いていました。シダなどが植生する湿地帯の中に散策路が続いています。金沢自然公園を過ぎると、ハイキングコースは再び横横道路を横断しました。横浜横須賀道路釜利谷JCT付近釜利谷JCTでは横浜環状南線の延長工事中のため、ハイキングコースに迂回路が造られていました。大丸山の稜線へはショートカットする階段が造られていましたが、これがかなりの急登でした。大丸山の稜線へ至る道は「金沢市民の森」の中を通っており、ここでも等高線に沿った緩やかな道が続いています。樹林帯の切れ目から見ると、ここでもすぐ間近に住宅地がありました。大丸山の標高は156.8mと決して高くはないものの、横浜市の最高峰だそうです。山頂標識と三角点標高の割には山頂からは眺望が良く、金沢八景が見渡せました。大丸山を後にして、再び稜線に沿って行くと、「市境広場」と呼ばれる広場がありました。ここで横浜市を離れ、いよいよ鎌倉市です。
2018/03/12
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京急金沢文庫駅には六国峠ハイキングコースの案内板があり、よく見てみると金沢文庫から六国峠(鎌倉天園)までハイキング道が続いているようでした。六国峠は何度か訪れたことがあるのですが、いずれも鎌倉建長寺からのアプローチだったので、改めて金沢文庫から行ってみることにしました。京急本線金沢文庫駅からJR横須賀線鎌倉駅まで、三浦半島をほぼ横断する約15kmの道のりです。金沢文庫駅から住宅地の中を抜け、住宅地のすぐ横にハイキングコースの入口がありました。ハイキングコースは能見堂緑地の中を通り、かつて東海道保土ヶ谷宿から江戸へ続いていた「保土ヶ谷道」(江戸方面からの呼び名は「金沢道」)を踏襲しています。保土ヶ谷道の旧街道能見堂は、寛文年間(1661年~1673年)に建てられた寺院で、地頭の久世大和守広之が、芝増上寺の地蔵院を移して再建したそうです。その能見堂の跡には、古い石碑がいくつか建っていました。左から武蔵国金澤碑(1778年建立)、江耆楼美山句碑(1812年建立)、一方句碑(建立年不明)現地の案内板によると、17世紀の頃は海岸線が近くまで入り込んでおり、ここからは房総半島・江戸湾・平潟湾・三浦半島・富士山が見渡せたそうです。江戸時代の元禄の頃、心越禅師が能見堂を訪れた時、ここからの眺めが故郷中国の瀟湘八景に似ていたことから、「小泉夜雨・称名晩鐘・乙艫帰帆・洲崎晴嵐・瀬戸秋月・平潟落雁・野島夕照・内川暮雪」の八景の漢詩を詠みました。そして心越禅師のこの漢詩が「金沢八景」の由来となっています。能見堂の跡には、「金澤八景根元地」の碑が建っていました。金澤八景根元地碑享和三年(1803年)と書かれており、裏には人の名前がたくさん書かれていました。現地の案内板には、嘉永6年(1853年)に歌川広重が描いた能見堂からの風景画と、明治時代の古写真が記載されていました。歌川広重「金沢八景」明治時代の風景写真そして現在の能見堂からの景色です。少しアングルが違ったようです。
2018/03/11
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渓谷美と言えば紅葉の季節の代名詞のようですが、水流と緑あふれるこの季節もまた違った渓谷美があると思います。ということで、檜原村の交通の十字路「十里木」でバスを降りました。♪時はめぐりまた夏が来て、あの日と同じ流れの岸♪2014年11月2014年11月色彩は違えども、瀬音ゆかしき秋川渓谷でした。
2016/07/25
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間ノ岳を断念して北岳山荘に戻ってきた後、今度は北岳を目指して稜線を歩き始めました。相変わらず視界は悪く、台風並みの強風も止む気配がありません。前日に来た道を戻っているはずなのですが、視界が違うために違う道を歩いているような感覚です。このケルンは覚えていますが、別の世界に来たような気がします。北岳南側のトラバースルートとの分岐前日はここで稜線に合流したので、ここからがワンダーランドです。北岳は特に高山植物が豊富だと実感したのですが、岩稜の斜面にも小さな花が咲いていました。チョウノスケソウ(?)晴れていれば北岳の山頂部を目にできるところですが、依然としてガスに覆われているので、ゴールが見えて来ません。標高が100m上がるごとに0.6~0.7℃気温が下がるので、普通に地上との気温差は約20℃です。そこに台風並みの強風が吹いてくるため、体感温度は氷点下だったと思います。おそらく山頂からの眺望は期待できず、苦痛だけを味わっている感じでした。吊り尾根分岐点八本歯のコルから山頂を目指すと、ここで合流します。吊り尾根分岐まで来ると山頂は近いはずで、ガスの向こうにぼんやりと稜線が見えてきました。やがて大勢の人の声が聞こえ始め、ガスの向こうに人影が見えてきた頃、ようやく北岳の山頂に到着しました富士山に次ぐ標高第2位です。三等三角点山頂にはなぜかお地蔵さんが鎮座していました。北岳山頂から見渡せば、富士山以外に高い山はないはですが、このガスでは山どころか人の顔を見分けるのもようやくです。さらには北岳のバットレスを上から覗き込んでみたのですが、何も見えないので恐怖を感じませんでした。北岳は「南アルプスの盟主」と呼ばれる南アの最高峰です。その盟主の山頂から、「南アルプスの女王」仙丈ヶ岳や、「南アルプスの貴公子」甲斐駒ケ岳の眺めを楽しみにしていたのですが、全くかないませんでした。北岳山頂で一息ついていると、水滴が横から下から吹いてくるようになりました。山に登る時のレインウェアは必需品ですが、これまで雨に降られたことがないので、毎回持参しながら実はレインウェアを着るのは初めてです。折れ目のついたレインウェアや慣れないザックカバーを装着して、北岳を後にすることとしました。帰りは大樺沢や左股の西側の稜線をたどり、北岳肩ノ小屋・白根御池山荘を経由して広河原へ戻るルートをとりました。北岳肩ノ小屋白根御池小屋北岳山荘から山頂を目指している間は、眺望も期待できない上に過酷な状況だったので、「もう二度目はないだろう」と思っていました。それでも街中の日常に帰り着いた時は、「やっぱりまた行きたい」と思うようになりました。南アルプスの盟主はどっしりと待っていてくれて、今度は歓迎してくれるかも知れません。日本百名山新・花の百名山関連の記事北岳~その1、大樺沢→こちら北岳~その2、八本歯のコル→こちら北岳~その3、北岳山荘→こちら北岳~その4、間ノ岳(中白根山)→こちら
2016/07/21
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北岳1日目の北岳山荘で、夜中に外の様子を見に行くと、霧が水滴となって台風並みの風が吹き荒れていました。それでも未明になると人の動きが慌ただしくなり、身支度を整えて山荘を出て行く人が目立つようになりました。老若男女を問わず、この嵐に果敢に立ち向かって行くアルピニストの姿には感服します。とは言え、我々もここを出て行かなければならず、天候が回復するのを願うばかりでした。スマホで天気予報が見られないので、山小屋の気象情報に頼るしかないのですが、南アルプス市の予報は晴れ、降水確率30%とのことでした。朝食を済ませた頃にはガスが切れるようになり、視界も開けて来ました。依然台風並の風は収まる気配がありません。この日の予定ルートは、北岳山荘から間ノ岳を往復して、北岳山頂経由で広河原へ戻るルートです。予定通りに行けば、標高第2位と第3位の山頂に立つこととなります。まずは標高第3位の間ノ岳(3,090m、奥穂高岳と同位)を目指して稜線をたどって行きました。時折ガスがかかるものの、稜線からは富士山もよく見えています。高度を上げるにつれて次第に視界が悪くなり、雲が目の前に迫ってくるようになりました。やがてすっかりガスに覆われてしまい、視界が効かなくなりました。依然として風は強烈です。この強風の中でも、足元では小さな高山植物が花を咲かせていました。稜線の途中にある中白根山のピークまで来た時に協議となり、視界不良のため撤退となりました。中白根山(標高3,055m)これを山頂と数えるかどうかは微妙なところですが、この時点で自分が登ったピークの標高第2位となりました。(これまでの第2位は仙丈ヶ岳の3,033m)予定ならば間ノ岳まで往復3時間だったのですが、1時間ほどで再び北岳山荘に戻ってきました。
2016/07/20
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北岳初日の目的地は、北岳と間ノ岳の稜線上にある北岳山荘です。夕食までは時間があったので、それまでは山荘前の一角に陣取り、早速ビールと日本酒で慰労会が始まりました。(私は日本酒が飲めないので、軽くビールだけ)夕食後は消灯まで時間があるのですが、携帯はずっと圏外で、もちろんテレビもラジオもありません。それでも何といっても一番の楽しみは、山小屋からの景色です。北岳山麓の雲海さらに先に目を向けると、伊那山地と中央アルプスの向こうに太陽が沈むところでした。反対側に回って稜線上から東側を眺めると、夕陽に染まって刻々と赤みを増す富士山山頂が浮かんでいます。完全に暗くなった後で再び眺めてみると、ちょうど雲の辺りに明かりが見えたので、五合目登山口より上が見えていたのかと思います。翌日は間ノ岳を往復して、いよいよ北岳です。間ノ岳の途中にある中白根山のピーク間ノ岳この時までは、明日の好天を信じて疑っていませんでした。夕陽に雲海と来れば、後は満点の星空とご来光です。消灯してからしばらく経って、ふらりと山荘前に出てみると、星空どころか一面ガスに覆われていました。
2016/07/19
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分岐した大樺沢の左股をたどり、八本歯のコルの稜線を目指して登って行きました。左股の雪渓アイゼンは持ってこなかったのですが、シャーベット状の斜面につま先を蹴りこみながら、特に問題はありませんでした。それでもこの辺りからガスがかかってきて、次第に視界が悪くなってきました。斜面には花畑が広がっていて、きつい登りの間にふと目を向けると、少し休まります。南アルプスの天然水でひと息つきます。視界が悪くて先が見えない上に、次第に足場もガレてくるようになりました。行けども行けども先は続く感じです。ようやく視界が開けてきた頃、八本歯の尾根線が見えてきました。さらに稜線をひと登り、植生が変わってきて、森林限界も近いことがわかります。そしてようやくの思いで八本歯のコルに到着しました。八本歯のコルの標高は2,920m、広河原(標高1,510m)から計算すると、標高差1,400mを登ってきたことになります。(要した時間は5時間です)「雨の南アルプス」「雪の北アルプス」の名前の通り、北アに比べると森林限界の高度が高い南アですが、ここまで来ると森林限界を超えて、視界が開けていました。これまで登ってきた大樺沢は再び雲に覆われていました。八本歯のコルはその名の通り鞍部になっていて、東の稜線上には「ボーコン沢ノ頭」、西の稜線上には北岳があります。ボーコン沢ノ頭名前は変ですが、なかなかインパクトのある山容です。ボーコン沢ノ頭の向こう側には、雲海の上に富士山頂が見えています。(画像にすると小さいですが、富士山もどっしりと大きく見えていました)北岳これまで画像でしか見たことなかった北岳バットレス、実際に目にするとすごい迫力です。八本歯のコルからは、富士山・北岳と標高の第1位・2位を望むことができますが、南側に目を向けると、標高第3位の間ノ岳の姿がありました。間ノ岳(標高3,190m)2位の北岳(標高3,193m)との差は3mあまり、富士山が断トツの第一位です。この日は北岳には登らず、南側をトラバースして、間ノ岳の稜線へと向かいました。北岳のトラバースルート斜面にへばりつくような恰好で、かなりの高度感とスリルがあります。北岳をトラバースし終わると、稜線上に赤い屋根の建物とカラフルなテント群がはっきり見えてきました。この日の目的地、北岳山荘です。
2016/07/18
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6月の中央アルプス、木曽駒ヶ岳でのアルペン気分も冷めやらぬまま、今度は南アルプスに行くこととなりました。当初の予定では甲斐駒ケ岳だったのですが、諸般の事情で行き先が変更となり、向かった先は富士山に次いで標高第2位の北岳です。この日は天候が不安で、芦安の市営駐車場に着いた時には小雨交じりの天気でした。南アルプス林道は一般車通行禁止なので、芦安からは乗合タクシーで広河原を目指したのですが、途中の夜叉神峠では本降りになっていました。それでも乗合タクシーの運転手さん曰く、「夜叉神トンネルを過ぎると天候が変わる」とのことです。半信半疑だったのですが、夜叉神トンネルを過ぎると雨が止み、青空が見えてきました。そして広河原に着いた時には、神がかったように太陽の光が差し込んでいました。懐かしの広河原インフォメーションセンター(旧アルペンプラザ)思えば前回訪れたのは3年前、仙丈ヶ岳の時のことでした。前回は広河原からバスに乗って北沢峠を目指したのですが、今回は広河原から歩き始めます。登山道入口野呂川を吊り橋で渡り、対岸の広河原山荘がスタート地点となります。広河原山荘広河原山荘からは大樺沢に沿って、上流部を目指して行きました。大樺沢大樺沢沿いを上流部に向っていると、途中で大樺沢に流れ込む沢をいくつか渡って行きました。大樺沢の上流部に近づくにつれ、流れも細くなっていき、轟音もせせらぎに変わってきました。さらに上流部を目指します。大樺沢のせせらぎがかすかになって来た頃、南アルプスの雪解け水の源流、雪渓が見えてきました。我々はさらに上を目指します。広河原をスタートして2時間半、大樺沢も涸れ沢となり、左股と右股の分岐である二俣に到着しました。二俣分岐雲の切れ間に鳳凰三山が顔を出していました。北岳は高山植物が豊富だとは聞いていたのですが、二俣の斜面にも一面のお花畑が広がっていました。ミヤマキンバイミヤマハナシノブ(?)次の目的地は「八本歯のコル」、大樺沢の登りはさらに続いて行きます。
2016/07/16
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中岳のピークを過ぎると、いよいよ次は木曽駒ヶ岳山頂です。中岳と木曽駒ヶ岳の鞍部から見た山頂頂上部には2つの駒ヶ岳神社が祀られており、古くからの山岳信仰がうかがえます。木曽側(西側)の木曽駒ヶ岳神社伊那側(東側)の伊那駒ヶ岳神社木曽駒ヶ岳の標高は2,956m、これまで立った山頂の中では、富士山・仙丈ケ岳に次いで3番目になりました。これまでの3番目、白馬岳(北アルプス、2,932m)は4番目に。さすが木曽駒ヶ岳は中央アルプスの最高峰とあって、ぐるりと見渡せば北アルプスと南アルプスが一望できました。西側の宝剣岳と空木岳南アルプス雲と同じ高さに山頂が連なっています。北アルプス北アルプスに目を凝らすと、いまなお噴煙を上げる御嶽山の姿がありました。真冬並みの寒さを予想していたのですが、この好天では太陽の照り付けが地上以上に厳しくて、サファリハットにサングラスで陽射しを避けるのが精一杯でした。それでも吹き渡る風は涼しく爽やかで、ケルンの陰でガスストーブで調理して、さっそく宴会となりました。関連の記事木曽駒ヶ岳~その1、千畳敷カール→こちら木曽駒ヶ岳~その2、乗越浄土→こちら木曽駒ヶ岳~その3、中岳→こちら関連(?)の動画クララが立っている
2016/06/22
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千畳敷カールと木曽駒ヶ岳山頂の間にあるピークが中岳です。乗越浄土からはピークへ直登するルートとピークを巻く道とがあり、行きは真っ直ぐピークを目指すことにしました。乗越浄土と中岳の鞍部は、大菩薩峠に雰囲気が似ていると思います。中岳の方向途中にある山小屋は天狗荘です。宝剣岳の方向中岳の山頂が近づいて来ると、前方木曽駒ヶ岳の向こう側に北アルプスが望めるようになってきました。振り返ると南アルプスの山並みも見えていて、まさに日本アルプスの中央にいる感じでした。そして中岳山頂に到着です。中岳からは北アルプスを正面に見ながら再び斜面を下り、いよいよ木曽駒ヶ岳山頂を目指します。中岳から見た木曽駒ヶ岳ところで木曽駒ヶ岳からの帰り道は、中岳西側の巻き道をトラバースして来ました。西側斜面は急峻な岩が切り立っており、結構危険です。中岳西側巻き道直下
2016/06/21
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千畳敷駅を出た後、千畳敷カールの斜面を上へ上へと登り、八丁坂を登り切った稜線が「乗越浄土」です。振り返ってみると、ホテル千畳敷はアルプスの山小屋のように小さくなり、伊那谷の空の上には南アルプスの稜線が浮かんでいました。千畳敷駅から乗越浄土までは約50分と、ほぼ標準タイムで登り切れました。それでも完全に真冬を想定した装備を持って来たため、ザックが予想以上に重くて、乗越浄土に着いた時は本当に浄土に着いた気分でした。防寒着にアイゼン、寒冷地用のガスカートリッジやストーブ、コッヘルなどで、ほうほうの体です。乗越浄土は中岳・木曽駒山頂と宝剣岳、伊那前岳の分岐点でもあります。尾根伝いに見える宝剣岳伊那前岳見通しの良い稜線上には霊神碑が建ち、一面にはハイマツ帯が広がっていました。霊神碑(建立年不明)ハイマツ帯千畳敷カールとは植生だけでなく、地質も異なってきたようです。乗越浄土からは中岳を経由して木曽駒ヶ岳の山頂を目指すわけですが、ここでルートについて協議となりました。すなわち、宝剣岳を往復してから中岳を目指すのか、中岳はピークの直登ルートを行くかトラバースするかです。宝剣岳については帰りに余力があれば、そして中岳については直登ルートで行くということで、ここは私の意見が通りました。私のルート案が通り、ホッとしながらもトボトボと中岳を目指しました。(最後尾が私)
2016/06/20
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駒ヶ岳ロープウェイを終点の千畳敷駅で降りると、目の前に千畳敷カールが広がっていました。残雪にお花畑と、まるで絵に描いたようなアルプスの光景です。アルペンホルンとヨーデルで始まるあの名作のオープニング曲が、今にも聞こえて来そうでした。(この景色にはクララのみならず、ロッテンマイヤーさんもビックリでしょう)千畳敷カールには登山道と遊歩道がついていて、遊歩道を散策することもできます。遊歩道と登山道の起点、駒ヶ岳神社八丁坂の手前で遊歩道は再び下へと下りて行き、登山道の方は八丁坂から乗越浄土へと向かいます。振り返ると千畳敷カールの向こうには、南アルプスの山々が連なっていました。画像にすると水平線のようですが、甲斐駒・仙丈ヶ岳・北岳(白根三山)などが一望できます。(思えば仙丈ヶ岳に登ったのはもう3年前のこと、そして来月はあの甲斐駒に登る予定です)梅雨の期間中にも関わらず、この日は神がかったような天気で、雲海どころか雲一つありませんでした。南アルプスのみならず、後で見ることになる北アルプスにも雲一つかかっておらず、この日の日本アルプスはどこも最高の眺望だったことでしょう。八丁坂では雪渓を渡る場所もありましたが、アイゼンを装着するほどでもありませんでした。残雪の切れ間にはお花畑が広がり、少し遅い春を迎えたような気分です。シナノキンバイでしょうか。こちらはチングルマ途中で振り返ると、ホテル千畳敷がはるか小さく見えていました。、西側の斜面の向こうに見えるのは、空木岳の山頂でしょうか。それにしても遠近感がないのは、日本アルプスの「あるある」です。この後木曽駒ヶ岳山頂まで往復し、再び千畳敷カールへと戻ってきました。千畳敷カールの底の部分、ホテル千畳敷から遊歩道を降りた剣ヶ池付近は、千畳敷カールのビューポイントにもなっています。剣ヶ池付近から見た千畳敷カール午後になって撮影したので、宝剣岳のシルエットが逆光になってしまいました。剣ヶ池水があるのかわからないほどの透明度でした。このままアルペン気分でずっといたいと思うほど、千畳敷の眺めは素晴らしかったです。
2016/06/19
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毎月の恒例となってきた「山旅会」、これまで私が登ったことのある山から選びつつ、5月は御岳山に登ることにしました。個人的には3回目の御岳山ですが、前回は紅葉の季節だったこともあり、新緑の季節はまた違って見えるかも知れません。(本当はレンゲショウマの咲く7月がおススメなのでしょうが)JR奥多摩線を御嶽駅で降り、「ケーブル下」まではバスで行くところですが、せっかくなので多摩川上流の御岳渓谷沿いを歩いてみることにしました。そういえば、カヌーも久しくやっていません。山麓にある武蔵御嶽神社の参道入口は渓流の対岸にあり、どこかで橋を渡らないといけないのですが、気が付いた時には橋を見過ごして、いつしかニジマスの管理釣り場まで来ていました。ニジマスの釣り場でようやく来過ぎたことに気が付いたのですが、さらにはデジャビュ感があって、この釣り場でニジマスを釣ったことを思い出しました。(かれこれ10年以上前の話です)バツが悪そうに見覚えのあるニジマス釣り場の沈下橋を渡り、対岸の道を戻るようにして御嶽神社の鳥居前にたどり着きました。ここからケーブル駅のある武蔵御嶽神社の表参道入口までは車道が続きます。これまではバスを利用していたので気づきませんでしたが、結構な急斜面です。表参道入口からは舗装道も続いていますが、あまりに退屈な道が続くので、ここはあっさりとケーブルを利用することにしました。ケーブルでは日本一の急勾配乗り物は何でも好きな私ですが、実は索道系の乗り物が苦手で、痛し痒しといったところです。(台北赴任時代に乗った猫空纜車やシンガポールのセントーサ島などはかなり危険です)ようやくの思いでケーブルを降りると、今回の山旅会で一番の眺望のある御岳平に立ち寄りました。紅葉の季節には全く気付かなかったことで、実は藤棚だったようです。さすがに秋冬と違って、眺望は今一つでした。秋には色とりどりに染まっていた木々もすっかり緑一色に染まり、巣箱の中からは名物のムササビが顔をのぞかせていました。武蔵御嶽神社の宿坊町として開けた山上集落も見えています。今も残る御嶽神社の宿坊今回の山旅会の目的の一つが「パワースポット」で、早速「神代ケヤキ」から「気」をもらっていました。そして記憶に新しい畠山重忠の騎馬像と宝物館です。今回のメンバーで歴史好きは私だけだったので、今回も宝物館(有料)はパスです。そして武蔵御嶽神社の本殿前に到着、手水を取って拝殿に上がったものの、あいにくの修復中でした。作法に則って参拝している青いザックの男が私です。(実はキリスト教徒)武蔵御嶽神社を後にすると、次のパワースポットである「天狗の腰掛け杉」に向かいました。推定樹齢400年、幹回り6.5m、高さ60mの杉の大木です。木の幹に手を当てていると、なんだかパワーをもらった気がします。御岳山の山域では「綾広の滝」と「七代の滝」が特に有名で、前回は綾広の滝に訪れました。その時の綾広の滝は水量が今一つだったこともあり、今回は七代の滝に行ってみました。七代の滝へは、標高差約250mの急斜面を下って行くことになります。うぐいすのさえずりしか聞こえない急斜面を下って行くと、ようやく滝壺の到着しました。またしても青いザックの男が私ですが、マイナスイオンを浴びようと滝壺まで行ったものの、あまりに落差が小さくて企画倒れに終わりました。それならばと次に向かったのがロックガーデンで、「せめて渓流美でも」といった思いです。ロックガーデン入口御岳山は何度も訪れていながら、ロックガーデンは訪れたことがなく、も今回の目玉の一つでした。しかしながら案内板をよくよく読むと、人工の渓谷のようです。ロックガーデンの入口には「天狗岩」の天然岩があります。ちなみにこの手の岩は探検部時代に何度も制覇してきたのですが、今回はあまりにショックで登ることもできませんでした。代わりに登ってくれた同行の後輩が撮影してくれたのですが、岩の上には天狗像と祠があったそうです。すでにお昼を過ぎていい時間になって来たので、人工のロックガーデンには寄らず、長尾平を目指すことにしました。(長尾平までも急斜面で、標高差約250mを一気に登ることになります)長尾平には茶店があり、サッポロ黒ラベルで給油した後、テーブルの一角で昼食となりました。ガスコンロやコッヘル、焼き網や岩塩プレートなどを取り出して、各自持ち寄った食材やワインなどを広げ、結局2時間くらいはそこにいたと思います。湯煎をしたり焼いてみたり、もはや山旅会というより、「アウトドア料理研究会」になっていました。帰りに御岳渓谷を渡った時は、すでにヘベレケちなみに6月は中央アルプス、7月は南アルプスの予定ですが、またもや企画倒れでしょうか。
2016/05/14
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2月の奥高尾縦走路で久々に復活した「山旅会」ですが、めでたく3月も開催する運びとなりました。陣馬高原下から高尾山口駅まで奥高尾縦走路18.5kmを走破した後、主催である私が提案したのは、意外にも南房総の鋸山です。鋸山遠景(下山後)「山高きが故に貴からず」とは言いますが、今回の山旅テーマは「海と山」にしてみました。そして、房総半島南部の山に登るのに、集合場所は三浦半島南部の京急久里浜駅です。久里浜港久里浜港から東京湾フェリーに乗り、目指すは浦賀水道の対岸にある南房総の金谷港です。いつもは屋上デッキから浦賀水道を航行する船の数々を眺めていたりするのですが、この日はキャビンへと降りて行きました。そして約40分のクルーズが終わって金谷港に着いた時、我々の一角では既にワインのボトルが2本も空いていました。浜金谷駅前いつも不思議に思うのですが、三浦半島にいたかと思うと40分後には房総半島にいたりして、何だかワープしたような気分です。鋸山へはロープウェー利用か鋸山自動車道が一般的で、登山道なら車力道経由か「関東ふれあいのみち」経由かと思います。実は地図に載っていない登山道があって、ロープウェーの山麓駅から山頂駅までの最短ルートが存在しています。これまで何度かこの道を行ったことがあるので、今回もこちらを行くつもりでいました。ロープウェーの山麓駅と駐車場を横目に見つつ、最初のアスファルトの道を歩いていると、駐車場警備の人に「裏道を行くのですか?」と呼び止められました。個人的には「裏道」のつもりはなく、「何度も登っているけどな~」と思っていたのですが、さらには「整備されていないので危ないですよ」とのことです。何度も登っていながらも直近でこの道を行ったのは4年前のことだし、ここは無難にルートを変えることにしました。他の登山道としては車力道か「関東ふれあいのみち」となりますが、実は個人的には半年前に車力道を登ったところです。車力道(2015年9月)車力道は歴史的にも貴重な史跡で、江戸時代には鋸山から切り出された「房州石」を運んだ道でもあります。それでもこれを登るのはリズムが悪く、何だかんだと言いながら「関東ふれあいのみち」へと誘導していました。さすがに「関東ふれあいのみち」は整備されていて、道中にはソメイヨシノも咲いています。かつての石切場跡房州石の切り出しは江戸時代に始まり、昭和50年代まで続いていたそうです。石切場からは急な登りが続き、「地球が丸く見える展望台」でようやく一息つきました。浦賀水道手前が金谷港で、すぐ対岸は横須賀です。南房総方面展望台からは一旦石切場に戻って、鋸山の名物「地獄のぞき」へと向かいました。この辺りまで来ると、ロープウェーや自動車道で来た人たちが大半で、歩いて登って来る方が奇特な感じです。「地獄のぞき」の名前の通り、上から見ると絶景だったのですが、横から見てみるとすごいことになっていました。鋸山の尾根上は日本寺の境内となっており、これまで何度か鋸山には登ってきましたが、日本寺を訪れるのは初めてでした。ロープウェー山頂駅の展望台に行くには日本寺の境内を通らなければならず、拝観料を支払って日本寺に入って行きました。百尺観音日本寺の開基は奈良時代の725年とされ、石橋山の戦いで敗れて房総に逃れた源頼朝も、武運を祈願したそうです。本尊の大仏(薬師瑠璃光如来)ロープウェー山頂駅は少し低い場所にありますが、海により近いこともあって、ここからも素晴らしい眺望が広がっていました。浦賀水道冬場の空気が澄んだときなどは、三浦半島の向こうに富士山を望むことができ、太平洋の水平線上には伊豆大島が浮かんでいます。房総半島の南側に目を転じると、富山・伊予ヶ岳・御殿山の「安房三名山」が一望できました。房総の山々は標高こそ高くないものの、まさに「山高きがゆえに貴からず」で、いずれも名山の名に恥じない山容だと思います。ロープウェーの山頂駅からはロープウェーではなく、当初の登りで想定していた「裏道」を降りて行きました。降り始めてしばらくはなだらかな稜線が続き、木々の間からは右に東京湾、左に太平洋を望む快適な山歩きです。本格的な下りに差し掛かると、目の前にかつての里見義堯の居城、金谷城跡が見えてきました。現在は痛々しい姿の金谷城跡浜金谷に降りてきた後、いつもなら「船主」で地魚と地酒を楽しむところですが、フェリーまでの時間がないことと、何よりお腹が一杯だったので、今回はあきらめることにしました。鋸山の山容に見送られつつ、再び三浦半島の久里浜へと戻ります。
2016/03/26
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桜の季節もすっかり終わり、新緑の季節となってきました。その新緑を求めて向かった先は奥武蔵、東武東上線に乗って終点の寄居駅です。改札を出て駅を後にした時、後ろからSL独特の汽笛が聞こえてきました。振り返ると、レトロな客車の先にC58の車体が輝いていて、静かにブラスト音を響かせながら発車するところでした。(秩父線のホームに急ぐ人が大勢いて、何事かと思っていました)SL好きとしてはこちらを追いかけたいところではありましたが、ここは予定通りに大正池を目指すことにしました。静かな水面に新緑が映えています。大正池からも普通に舗装道が続き、途中で未舗装の砂利道に変わったものの、緩やかで歩きやすい道が続きました。ここから本格的な山道になります。途中にある「竹炭工房」炭窯特有の香りが漂っていました。本格的な山道に入っても歩きやすく、分岐点でもわかりやすい道標が立っていました。そして寄居駅を出てから1時間、鐘撞堂山の山頂に到着しました。三角点(標高330m)戦国時代の鐘撞堂山は、眼下にある鉢形城の物見台としても機能していました。山頂部には名前の由来ともなる鐘撞堂があり、有事の際は鐘を撞いて鉢形城に危急を知らせていたそうです。鉢形城の方向1590年の小田原の役で、豊臣方の前田利家や本多忠勝が鉢形城を包囲した時は、鐘が鳴り続けていたでしょうか。現在はアトラクションとして、鐘が置いてあります。山頂から南東の方向に目を向けると、奥武蔵の山並みを望むことができました。武甲山や伊豆ヶ岳など鐘撞堂山からは一旦来た道を引き返すつもりだったのですが、大勢の御一行が降りたばかりでもあったので、混雑を避けて円良田湖の方に降りてみました。時折聞こえるウグイスの声に聴き入りつつ、新緑の樹林帯を抜けると、円良田湖の湖面が見えてきましたこれまではハイカーばかり見て来ましたが、円良田湖畔にはヘラブナのアングラー達が所狭しと並んでいました。「釣りはフナに始まり、フナに終わる」の格言通り、いかにもベテランらしい釣り師ばかりです関東100名山
2015/05/03
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自分が主催となった「山旅会」ですが、第1回の金時山・第2回の大山で終わったと思ったら、約11か月経ってまた開催する運びとなりました。今回選んだのは「鎌倉アルプス」の別名を持つ、鎌倉市北部の天園ハイキングコースです。鎌倉は1ヵ月前に訪れたばかりなのですが、メンバーに鎌倉好きがいたこと、そして何より自分自身が鎌倉好きなので、一押しで鎌倉アルプスとなりました。一般的に鎌倉アルプスのスタート地点は建長寺となり、JR横須賀線の北鎌倉駅が最寄となります。それでも「まずは鶴岡八幡宮」ということで、今回は鎌倉駅東口を集合場所としました。さらに鎌倉駅から鶴岡八幡宮へは、若宮大路の参道を行くのがセオリーですが、今回は小町通りを通って行くことにしました。(もっとも、巨福呂坂を通って建長寺に行くには、若宮大路よりも小町通りの方がほんの少し近道なので)そんなに早い時間でもなかったのですが、小町通りではまだ開店前のお店も多くあったりしました。閑散とした小町通りが新鮮だったのですが、「もやサマ」みたいにあれこれ言っているうち、鶴岡八幡宮に到着しました。私の中では毎度おなじみ、鎌倉のランドマークです。鶴岡八幡宮からは、鎌倉七口の1つである「巨福呂坂」を越えて建長寺を目指して行きました。こちらも毎度のことながら、巨福呂坂の落成防護トンネルには、いつ見ても芸術的な機能美を感じます。そして鎌倉五山の筆頭、建長寺に到着しました。巨福山の扁額が素敵です。建長寺本堂建長寺の本堂を過ぎると、鎌倉アルプスの中で最大の登り勾配、建長寺半僧坊の石段が待っていました。この時は11月の下旬で、まだ紅葉には少し早い時期でした。建長寺半僧坊半僧坊にある富士見台からは、雪を戴く富士山が霞んで見えていました。冬場になると空気が澄んで、もっとはっきりと見えるかと思います。半僧坊からはさらに石段を登り、勝上献展望台を目指して行きました。正面には鎌倉の市街地と由比ヶ浜海岸、その向こうに相模湾の海が広がっていました。左の山並みは逗子と鎌倉の市境、名越切通から衣張山の山並みで、右側の山並みは源氏山から稲村ヶ崎へと続いています。数あるご当地アルプスの中で、鎌倉アルプスは市街地にも近く、エスケープルートも多いため、手軽に行けるコースだと思います。それでも「鎌倉アルプス」の名前はダテではなく、その地形は変化に富んでいて、自然林も豊かに残っています。こんな地形が鎌倉っぽくていいのですが、コース途中にはロープ場もあったりします。「関東百名山」では、「天園」として選ばれていますが、鎌倉天園コースの最高峰は太平山となります。標高は159.2mですこれまではずっと樹林帯の中でしたが、太平山の山頂部には開放感のある芝生が広がっています。。さらにすぐ隣には鎌倉カントリークラブがあって、ハイキングコースとゴルフコースが隣接し、どちらも芝生が広がっています。ハイキングコースのすぐ横にティーグラウンドがあって、狭いフェアウェイの打ちおろしでした。(実はこの日、定例の「芝刈り友の会」とバッティングしていたのですが、やはりゴルフよりも山歩きを選びました)今回のコース最高峰は太平山でしたが、この鎌倉天園コースのメインはやはり天園峠の茶屋でした。やはり野外で飲むのが格別です。
2014/11/24
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多摩川本流域の御岳山から日の出山を越えると、分水嶺を越えて秋川の流域へと入って行きました。秋川流域の養沢川源流の一つです。沢沿いに山道を降りて来ると、車道に行き当たったところで養沢川本流と合流しました。この流れの上流部に、綾広の滝があるようです。大岳山からの流れと合流上養沢から十里木経由で武蔵五日市駅行きのバスがあるのですが、バスの時刻まであと1時間もあるので、そのまま養沢川沿いに歩いて行くことにしました。自然の川岸が残っている場所も数多く見られ、流域も様々に変化して行きました。現在は禁漁期間のようですが、流域がニジマスなどの管理釣り場になっている場所もあります。途中で「養沢センター」という建物があったので、寄ってみることにしました。宿泊やバーベキューなどもできる施設のようですせっかくなので蕎麦を食べてみましたキリン一番搾りと書かれた飲料を飲んでいる間に、ちょうどバスの時刻となりました。
2014/11/18
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武蔵御嶽神社から東へ進路を取り、日の出山を目指して尾根を伝って行きました。武蔵御嶽神社から見た日の出山宿坊「山楽荘」の脇を抜けると、本格的な山道となってきました。アップダウンはあまりないものの、樹林帯の中を行くので眺望はありません。それでも植林から天然林に変わってくると、紅葉のトンネルを抜けるような場所もありました。樹林帯が切れると目の前の視界が広がり、日の出山の山頂に到着しました。標高902m三角点と「関東ふれあいの道」の碑御岳山や大岳山が近くにあると、なかなか日の出山だけをメインで登ることもないかと思います。いざ日の出山に登ってみると、山頂からの眺望は抜群でした。都心方向南側に目を向けると、奥高尾縦走路と思しき山並みが見えていました。あの中にリベンジしたい山があります。せっかくの眺望ながら日の出山はメインではなく、小休止を終えるとその南側の斜面を下って行きました。日の出山の南側斜面は、樹林帯が切れていることもあって、見通しの良い道が続いていました。正面に見えるピラミダルな山容は、麻生山だそうです。日の出山の南側では、尾根の縦走路や巻道など、色々な方向から延びる道がクロスしており、とにかく分岐が多くて苦労しました。2万5千分の1の地形図を持っていたのですが、肝心のコンパスを忘れてしまったため、まさに道標(みちしるべ)となりました。ようやく目的地周辺の地名が出てきましたツキノワグマの目撃情報もあるので、熊よけの鈴を鳴らしながらの山行です。
2014/11/17
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名越切通から再び名越尾根に戻り、衣張山を目指して尾根をたどって行きました。この辺りの名越尾根は逗子市と鎌倉市の市境となっており、尾根が切れたところには「パノラマ台」と名付けられた広場があって、相模湾の眺望が開けていました由比ヶ浜から稲村ヶ崎の方向名越尾根から衣張山に向かう途中では、「逗子ハイランド」の住宅地のすぐそばを抜けて行きます。樹林帯を抜けたすぐ先は、普通に住宅地となっていました。鎌倉ではありがちですが、ハイキングコースと住宅地が接近しており、散歩がてらにハイキングコースを行く人もよく見かけます。逗子ハイランドの住宅地から分かれると再び山道となり、ここでも「にせピーク」が1つあって、そのピークを越えると五輪塔の建つ衣張山の山頂に到着しました。衣張山山頂(標高120.1m)山頂部は開けていて、この日は天気にも恵まれたのですが、なぜか遠くの景色はかすんで見えました。南側の相模湾、由比ヶ浜と稲村ヶ崎西側に目を移してみると、箱根の外輪山もかすんでおり、奥秩父・御坂の山並みや富士山などは、望むべくもありませんでした手前に見えているのは「鎌倉アルプス」の西側、源氏山から稲村ヶ崎へと続く山並みです。衣張山から鎌倉市内へ降りる道はいくつかあるようで、釈迦堂切通を経由する道もあるのですが、そのまま北へ向かって杉本寺方面へと降りて行きました。ハイキングコースが終わるといきなり住宅地となり、観光客が散策する道にでました。旧田楽辻子道です。ハイキングコースの終点は「犬懸」、犬懸上杉氏の屋敷があった場所です。鎌倉ではおなじみの文語体で書かれた史跡案内関東管領であった上杉氏憲の法名が「禅秀」、1416年の「上杉禅秀の乱」の首謀者です。前関東管領によるクーデターと国人領主を巻き込んだ鎌倉制圧劇は、まさに戦国時代の始まりを告げるものだと思います。やはり鎌倉と言えば、武家政権である鎌倉幕府の中枢です。「吾妻鏡」や「太平記」の時代に思いを馳せていると、つい興味の赴くままに散策してみたくなりました。その気持ちを抑えつつ、そのまま鶴岡八幡宮の方へと歩いて行きました。やはりここは素通りできないところですが、それでも鶴岡八幡宮の拝殿まで行くことはなく、限りなく素通りに近い状態で若宮大路を横切って行きました。この後は横須賀線の踏切を渡り、扇ガ谷へと入って行きました。私本太平記全一冊合本版-【電子書籍】価格:977円
2014/10/20
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約1ヵ月前、居酒屋で堀こたつを踏み外して痛めた左ひざですが、市道山を過ぎたあたりから何となく違和感を感じるようになってきました。そのうち膝を曲げると痛みが走るようになり、確実にペースが落ちてきました。さらにはここに来て、いきなり道標が距離表記から時間表記に変わりました。膝がこの状態なので、せめて距離表記ならば時間の予測もできるのですが。尾根沿いの道は、ハイキング用の縦走路というより林業の作業用といった感じで、周囲の木には白いペンキで所有者と思われる名前が書かれていました。道を示す目印も白いペンキで描かれているため、はっきりしていてよく目立ちます。白い目印があまりに目立つため、ハイキングコースを示す赤い目印をついうっかり見逃しそうになります。途中のピークでつい白いペンキを目指してしまい、気が付くと主尾根から分岐する稜線をたどってしまいましたふとクモの巣が顔にかかったので、ようやく道を間違えていることに気が付きました。(複数のトレイルランナーとすれ違ったのに、昨晩から誰もここを通っていないことになります)足を引きずるようにして元のピークに戻った時は、あやうく命拾いした気分でした。(このまま稜線を降りていれば、秋川渓谷のどこかの集落には出たでしょうが)作業用の道は効率的でいいのですが、ピークをまいてあらぬ方向に行くこともあったりしました。この辺りのハイキングコースでは、尾根線を忠実にたどるのが肝要かと思います。膝の具合は相変わらずで、普段ならなんでもない下り斜面が、とてつもなく遠く感じたりしました足の状態が悪いせいか、やたらとアップダウンが多いようにも思えます奥高尾縦走路の最後、臼杵山の山頂に到着した時は、本当にようやくの思いでした。臼杵山(標高842.1m)臼杵山からの眺望アップダウンを繰り返した割には、あまり高度が下がっていません。登ったからには下らなければならないのは当たり前ですが、この時ばかりは下りが恐ろしく感じます・トレッキングポールを突き刺すようにして斜面を下りていると、荷田子峠との分岐にやってきました。最後のオプションに戸倉城山(戸倉城跡)を残していたのですが、この先とても4.5kmを行く自信はありません。しばらく思案を重ねたのですが、ここまで来て戸倉城を素通りもできず、やっぱり戸倉城山を目指して「グミ尾根」の稜線を下りて行きました。皮肉なことに、眺望が低くなっているのがうれしい限りです。グミ尾根の由来「戸倉山茱萸御前」と書かれた石柱とにかく下りは悪戦苦闘の連続で、左ひざだけでなく右ひざにも痛みを感じるようになり、かに歩きのような無様な格好で斜面を下ってました。普段なら30分もかからないであろう荷田子峠ですが、気が付けば臼杵山を出てから1時間が経っていました。荷田子峠は戸倉城山との分岐でもあるのですが、荷田子峠を下るだけでも精一杯の感じだったので、残念ながら戸倉城はあきらめることにしました。はるかなる戸倉城実は今回の装備にヘッドライトとビバーク用のサバイバルシートを入れていたのですが、とにかく陽のあるうちに荷田子にたどり着いたのが、何よりでした。奥高尾縦走路の関連記事高尾山(2014年5月)小仏城山(2014年5月)景信山(2014年5月)陣馬山(2014年5月)醍醐丸市道山臼杵山
2014/09/16
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陣馬山をスタートした奥高尾縦走路、和田峠・醍醐丸を過ぎた後は、ひたすら尾根線を北上して市道山を目指しました。生藤山へ続く笹尾根と分かれた後は、道標からも「関東ふれあいのみち」の文字が消えました。景信山や高尾山の奥高尾縦走路ほど整備されていないものの、意外と踏み跡もしっかりとしていました。醍醐丸からの「吊尾根」では、樹林帯の中を行くので尾根上でも眺望はなく、樹林帯の切れ間からほんの少し稜線が見えたりする程度でした。ずっと下りの尾根道が続くかと思いきや、意外とピークを越えるアップダウンが多く、気のせいか尾根を北上するにつれて道も悪くなるように思いました。実は気のせいではなく、このずっと後にとんでもないことをしてしまいました。ハイカーも少ない静かな山歩きかと思いきや、トレイルランニングの人たちとやたらとすれ違うようになりました。醍醐丸から市道山の尾根線は、日本山岳耐久レースのコースの一部となっているようです。全長30kmの周回コースのようです。どうやら10月にレースが行われるようで、そのコース練習なのかも知れませんが、ランナーの会話の中に「浅間尾根」などと聞こえてきたりして、とんでもない長距離を走っているようでした。(この何気ない会話が、後にわが身を救うことになろうとは)日本山岳耐久レースの分岐標これまでの道標の中で、一番立派だった気がします。トレイルランは東の稜線を刈寄山へと向かいますが、奥高尾縦走路はこのまま尾根を北上して市道山へと向かいます。最後のピークを登り切ると、眺望が開けてきて、市道山山頂(標高795.1m)に到着しました。東京都の山頂では見慣れた三本柱山頂の眺望は開けていて、都心方面が一望できました。市道山からも尾根を北上して行きますが、この後は道が極端に悪くなり、そして膝にも違和感を感じるようになってきました。もはや後戻りもできず。
2014/09/15
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8月の初旬、居酒屋で堀こたつを踏み外して膝を打ちつけてしまい、おかげで8月はアウトドアらしい活動が全くできませんでした。その膝の調子もだいぶ良くなったので、山歩きに出かけてみる気になり、どうせなら縦走コースにしてみようと、再び奥高尾縦走路を行くことにしました前回(5月)と同じく陣馬山をスタート地点としたのですが、今回の目的地は高尾山とは反対側の臼杵山とし、陣馬山から北へ進路をとるコースにしてみました。陣馬山へのアプローチも前回と違って、JR高尾駅からバスで旧陣馬街道を行き、「陣馬高原下」のバス停からスタートです。旧街道の風情が残る旧陣馬街道旧陣馬街道をそのまま登って行くと、和田峠で奥高尾縦走路のある笹尾根に行き当たるのですが、まずは陣馬山の山頂を目指すことにしました。舗装道の途中から山頂へショートカットする「新ハイキングコース」が分岐しており、膝の状態もまずまずだったので、スタートしてから1時間で陣馬山の山頂に到着しました。おなじみの白馬像あいにく富士山は雲の中でしたが、丹沢・箱根・奥秩父の山並みや相模平野に相模湾など、相変わらずパノラマは抜群でした。そして相変わらず茶店に立ち寄り、早くも「一番搾り」と書かれた燃料を補給していると、ついのんびり過ごしてしまいそうな感じです。こちらもおなじみの信玄茶屋この先が和田峠へと下る道となります。名残惜しい陣馬山でしたが、その先はまだまだ長いため、意を決して山頂を後にしました。和田峠へは来た道を戻るような方向となるのですが、まだこの時は膝に余裕がありました。笹尾根を伝って降下していくと、10分としない間に和田峠に到着しました。最初にたどった旧陣馬街道をそのまま進むと、ここにたどり着きます。和田峠の茶屋(閉店)甲州裏街道でもある旧陣馬街道は笹尾根を越えて東西に通っていますが、奥高尾縦走路はその尾根伝いを行くため、車道とクロスするように再び山道を歩き始めました。この辺りの笹尾根は「関東ふれあいのみち」となっていることもあり、アップダウンはあるものの、なかなか快適な尾根歩きでした。こちらも見慣れた道標です。ずっと樹林帯が続く中、たまに眺望が開けたりもしています。生藤山に続く関東ふれあいの道は、途中で西の尾根へと方向転換しますが、奥高尾縦走路はそのまま尾根伝いに北上することになります。笹尾根の分岐点ここで関東ふれあいの道(笹尾根)を分かれて、醍醐丸から市道山の奥高尾從走路を行きます。関東ふれあいの道から分岐すると、気のせいか道が悪くなったような感じで、アップダウンも多くなってきました。いくつかピークを越えて尾根を行くと、やがて醍醐丸に到着しました。醍醐丸(標高867m)八王子市最高峰とのことで、実は陣馬山より標高が高いのですが、眺望はまずまずといったところです。
2014/09/14
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懐かしい近畿地方の天気予報図を見ると、この日の大阪では午後から天気が悪くなるとのことでした。住吉大社を訪れた後は山に登ろうと思っていたので、天候だけは気がかりなところです。天保山ハーバービレッジに着いたところで、海遊館には目もくれず、一目散に山頂を目指して行きました。天保山山頂(標高4.53m)とにかく無事に登頂できて何よりでした。天保山山岳会公式HP→こちら国土地理院地形図→こちら
2014/08/03
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足柄万葉公園を散策した後、足柄古道を通って地蔵堂に降りて行こうと思い、再び矢倉岳の方に戻りかけた時、ふとルート看板が目に止まりました。富士箱根トレイルとは、富士山須走五合目から金時山まで、まさに富士と箱根を結ぶ雄大なコースで、水平距離だけでゆうに40kmを超えています。→富士箱根トレイルコース図なかなか魅力的なコースではありますが、「今度また機会があったら・・・」と、こちらを行く気は全くありませんでした。それでも矢倉岳と富士箱根トレイルとの分岐点に来ると、なかなか面白い道標が目に止まりました。「駿河小山駅 2時間12分(86才の足で)」ここから駿河小山駅まで、標高差500mの下りとは言え、その道のりは6.1kmもあります。なんとも驚異的な86才がいたものですが、「それならば」と急に気が変わって、駿河小山駅まで富士箱根トレイルを行ってみることにしました。(目標タイムは2時間に設定)足柄山地を境にして、静岡側の斜面は鮎沢川の上流部となっており、斜面を降下していくとやがて沢が現れるようになりました鮎沢川は大きくカーブを描きながら丹沢と箱根の間を抜け、神奈川県に入ると酒匂川となって小田原で相模湾の太平洋に行き着きます。(足柄山地の神奈川側に流れる源流は、狩川となって矢倉沢を行き、最後は小田原で酒匂川に合流します)幾筋かの沢が合流して大きな流れとなっていきました。沢沿いの山道が舗装の林道となり、せせらぎが轟音となって眼下を流れる頃、「遊女の滝」の看板が見えてきました。轟音を頼りに慎重に斜面を下って行くと、その先に「遊女の滝」がありました。梅雨入り直後に大雨が降ったせいか、水量が多すぎて滝つぼに近づけませんでした。この遊女の滝も金太郎の伝説が残るゆかりの地で、金太郎を身ごもった八重桐は、この滝に身を打たせて産まれてくる金太郎の健康を祈願したとされています。八重桐が滝に打たれている姿を見た里人が、この滝を「遊女の滝」と呼ぶようになったそうです。時折ウグイスの鳴き声が聞こえてくるものの、ウグイスが鳴き止んだ後は、清流の流音以外に聞こえてくるものはありませんでした。この季節、なんだか物足りない気がするのは、渓谷に響き渡るあのカジカガエルの美声が聞こえなかったことです。残念ながら、カジカは本当の清流にしか生息していません。それでもよどみの部分をのぞいて見ると、さっとハヤ(ウグイ)が隠れるあたり、川の上流部を感じたりもします。ところで足柄万葉公園から駿河小山駅まで、私の足で1時間25分でした。
2014/06/16
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足柄城に足柄峠や足柄古道など、何度も足柄山地には足を運んでいながら、素通りしてしまっていたのが矢倉岳です。小田急を新松田駅で降りた後は、足柄方面の定番である地蔵堂行きの箱根登山バスに乗り、今回は途中の矢倉沢でバスを降りました。見慣れたはずの矢倉岳の山容ですが、東側の矢倉沢から見ると、また一味違って見えます。矢倉沢の公民館で体勢を整えた後、白山神社の脇を通って矢倉岳を目指しました。白山神社参道入口に倒木があって、参道がふさがれています。矢倉沢からはずっとコンクリート舗装の道が続き、意外と分岐での指導標が少ないような気がしました。茶畑越しに見る丹沢山地茶畑の先には柵があり、いきなり道を間違えたのかと思いきや、イノシシの防護柵とのことでした。イノシシもさることながら、防護柵には良からぬことが書かれています。本格的な山道となった後、その300mは無事に通り過ぎたようで、スズメバチを見ることもありませんでした。青梅周辺の山だったと思うのですが、スズメバチの通り道を登山道がジグザグに横切っていたことがあり、スイッチバックする度にあの羽音に悩まされたことを思い出しました。矢倉岳では熊の出没情報もあるようで、身近なところながらも、それだけ自然が残っているとも言えます。登山道の植生でも、初めのうちは杉の植林が目立っていましたが、高度を上げるにつれて天然林の中を行くようになりました。そんな天然林の中、途中に変な伸び方をするクヌギがありました。周りの木は普通に上に伸びていて、この木だけは何かを迷ったのでしょうか、途中で横に伸びてまた上に伸びていました。矢倉岳の山容を遠くから見る限り、ひたすら登りが続くものと思っていましたが、意外にも尾根線のような平坦な道があったりもしました。植生や登山道の地質などは箱根外輪山に似ているように思いましたが、矢倉岳を箱根山地と呼ぶには無理があるように思います。「足柄山地」と言ってしまえばそれまでですが、金時山とは尾根続きでありながら箱根ではなく、すぐ近くにいながら酒匂川で分断されているので丹沢山地でもなく、なんとも気の毒な立ち位置の矢倉岳です。この日は梅雨の中休みで、地上では真夏の太陽を浴びていましたが、樹林帯の中を行く登山道は薄暗く、ましてや眺望もありませんでした。やがて樹林帯が切れ、太陽の光がまぶしく感じられるようになると、小さな祠の建つ矢倉岳山頂に到着しました。矢倉岳(標高870m)心地よく吹き渡る風を感じながら、真っ先に目に入ったのは、目の前に広がる箱根の山々でした。箱根外輪山の明神ヶ岳明神ヶ岳の左側に目を転じると、相模湾が広がっていました。江の島の先には三浦半島がわずかに見渡せます。(この季節、房総半島や伊豆大島は無理でした)再び箱根カルデラに視線を戻すと、箱根火山の中心部である神山が見えています。大涌谷から上がる噴煙もよく見えました。金時山大阪(伊丹)便のコントレイルが残っていて、個人的には絶妙な感じがします。さらに右に目を転じると、富士演習場の先に越前岳の山容があり、その背後に駿河湾をうっすらと望むことができました。いっそのことパノラマにしてみました。相模湾、箱根カルデラ、越前岳と来て、その右側に見えるものはと言えばこの季節、毎度のことながら山頂部分だけが雲に隠れています。山頂にとどまって、周りのハイカーと情報交換をしつつ、雲が晴れるのを待っていたのですが、ついにその姿を見せることはありませんでした。それでも富士山の右側には、三ッ峠山などの山梨の山々が連なっています。この辺りはあまり登っていないワンダーランドで、「次こそは」と興味津々です。後から次々とハイカーが到着して混雑し始めた頃、名残惜しい景色ではありましたが、矢倉岳を後にすることにしました。来た道を再び矢倉沢に戻ろうと思いつつ、つい向かった先は足柄峠方面だったのが悲しいところです。途中の山腹から見た矢倉岳
2014/06/14
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大中寺からJR両毛線の大平下駅まで下りて来たところ、まだ余裕があったので「もう一つ登ってみようか」と、大平下から1駅のところにある岩舟駅で電車を降りました。岩舟駅の背後にある岩船山さすがにこれを登るわけにはいかず、目指したのは岩舟駅から西へ4kmほどのところにある三毳(みかも)山です。麦畑越しに見る三毳山ここから距離はあるものの、比高は200mもなさそうで、「行きがけの駄賃」ならぬ「帰りがけの駄賃」くらいに考えていました。(実はとんでもない見当違いだったのですが)「とちぎ花センター」の案内標識にしたがってみたものの、アスファルトの車道を延々と歩くこととなり、南東側の山麓にある「みかも山公園」に着いた時は、ようやくの思いでした。三毳山の南側全体が公園の敷地となっているようで、さらには普通の都市公園みたいな雰囲気があり、どこから登っていいのか見当がつきませんでした。駐車場広場の脇に登山道らしき道があり、「←東山道→」と書かれた標識があったので、取り急ぎこの道をたどってみることにしました。ところが山麓を巡るだけで全く山に登る気配もなく、途中にあった解説板を読んでみると、「東山道」は「ひがしやまみち」ではなく、律令時代の官道である「とうざんどう」とのことです。ようやく登山道らしきアスファルト道を見つけて歩き出したものの、後ろから何やら音がして、葛西臨海公園に走っているのと同じ「フラワートレイン」が近づいて来ました。家族連れでにぎわうフラワートレインがすぐ横を通過して行き、フラワートレインを見送った後は、ただ道端に呆然と立ち尽くすだけでした。そのままフラワートレインアスファルト舗道を行くと、ようやく途中に登山道の入口がありました。ちょうど東側の斜面を直登するようになり、ここから稜線までの標高差100mを一気に登る感じです。三毳山には中岳(標高210m)と青竜ヶ岳(標高229m)の2つのピークがあり、その間にある鞍部は旧東山道の三毳関があった場所とされています。三毳関跡(推定)まずは南側の中岳のピークを目指して、三毳関跡の鞍部から稜線沿いを登って行きました。中岳までは急登となっていて、さらには途中に岩場もあったりして、なかなか侮りがたい雰囲気です。三毳山には「三毳七石」と呼ばれる石があり、この石は七石の1つで「犬石」の名前があります。三毳関の役人「威奴(いぬ)」がこの石の上で見張りを行ったことから、「威奴石」→「犬石」となったそうです。その先にもう1つの「犬石」があったのですが、こちらは形が犬に似ているのが由来だそうで、なんだかこちらの信憑性の方が高い気もします。中岳まではずっと樹林帯が続いており、わずかな切れ間から赤城山を望むことができました。登山道はフラワートレインの車道をショートカットする格好で、途中で何度か車道を横切って行きました。普通に散歩感覚で人が歩いていたのが衝撃です再び樹林帯の中を進んでいくと、放送用のスピーカーが上に見えてきて、中岳の山頂に到着です。中岳山頂(標高210m)山頂もさほど広くなく、特に眺望があるわけでもありませんでした中岳からは三毳関跡まで来た道を引き返し、北側の青竜ヶ岳を目指して行きました。途中には三毳七石の1つ、「花籠石」があります。ある僧侶がこの岩の上で五穀豊穣・村内安穏を祈願し、一週間経を唱え続けたところ、村の人が競って花籠を捧げたことに由来するそうです。(物見台の跡のようにも見えます)三毳関跡からはアップダウンを繰り返しながらも登りが続き、青竜ヶ岳のピークへと差し掛かって行きました。青竜ヶ岳山頂にも通信設備が置かれているようです。青竜ヶ岳山頂(標高229m)三毳山全体での最高点となります。青竜ヶ岳山頂から西側を眺めると、赤城山の山並みの向こうに遠く八ヶ岳も望むことができました。反対の東側を振り返ると、西日を受ける岩船山と晃石山がありました。「みかも山公園」の東口近くにはハンググライダーの着陸場があり、晃石山からはハンググライダーで飛んで来ることもできるようです。三毳山の北側は「かたくりの里」と呼ばれ、カタクリの群生地として知られています。春になると斜面一面にカタクリの花が咲くようですが、ここでもまた季節外れな時に来てしまいました。関東100名山新・花の100名山栃木100名山
2014/05/21
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太平山の山頂からは、「関東ふれあいの道『稜線をたどるみち』」に沿って、晃石山を目指して行きました。見慣れた「関東ふれあいの道」の道標ではありますが、ちょうど1週間前に奥高尾で見たばかりなので、そのスケールを実感するような気がします。このコースのランドマークでもある電波塔太平山神社と晃石山のちょうど中間くらいにあります。電波塔の先にある「ぐみの木峠」からは、稜線を下って大中寺への分岐点ともなっています。帰りにここから大中寺へ下ることとして、そのまま稜線沿いを行きました。尾根上の樹林の切れ間から南側を見ると、これまでたどって来た稜線を振り返ることができました。ちょうど左側の稜線を登って来たことになります。さらにその先を行くと小さなピークがあり、こいのぼりが風になびいていました。カープファンにとってはうれしい演出ですが、ここはカープファンのたまり場などではなく、ハンググライダーの離陸場のようです。ここから飛び出すと快適なことでしょうが、こいのぼりを見る限りではテイクオフには不向きな追い風で、離陸する人もいませんでした。最後のピークを登りつめると、小さな祠のある晃石山山頂にたどり着きました。晃石山山頂(標高419m)今回の全コースの最高点です。晃石山では北側の眺望が開けていて、男体山などの日光連山を望むことができました。「関東ふれあいの道」のコースでは、晃石山からは馬不入山から岩船山と、尾根沿いを降りて行きます。尾根続きの馬不入山と岩船山。この稜線を下ってみたいところですが、やはり大中寺の方が気になるので、ぐみの木峠まで戻って大中寺を目指すことにしました。関東100名山栃木100名山
2014/05/19
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これまで気になりつつも、なかなか訪れていなかったのが太平山です。桜の名所でもあり、春に「今年こそは」と思っていたものの、今年も逃していました。それでも新緑の季節の最中とあって、「あまり気温の上がらないうちに」と、太平山に行ってみることにしました。東武日光線の栃木駅から1つ手前にある新大平下駅で降り、ぶどう畑の並ぶ車道を歩いて太平山を目指しました。駅名はJR両毛線も東武日光線も「大平」の記載となっていますが、山の正式名称は「太平山」となっています。(ちなみに北アルプスでも駅名は「白馬(はくば)」ながら、山の正式名称は「白馬岳(しろうまだけ)」だったりして、駅名と山の正式名称が一致しない例もあったりします)「新大平下」駅付近のぶどう畑越しに見る「太平山」比高は300mほど、標高でも341mと決して高くはありませんが、周囲に高い山がないため、どっしりと見応えある山容です。しばらくは車道を行き、客人神社に着いたところで、客人神社の石段から太平山に取り付きました。客人神社入口左の舗装道を行ってもよさそうな感じでしたが、ここは鳥居の下をくぐって石段を行くことにしました。石段を登って行くと、その先に客人神社の社殿があります。おそらく地元の方々から崇拝されているのでしょうか、とてもきれいに清められていて、深緑の中で社殿がひときわ美しく見えました。客人神社の社殿を抜けるとさらに鳥居があり、ここから本格的な山道に入って行きます。奥の社殿の先に鳥居があるのも不思議ですが、ここからが太平山神社の山域になるのかも知れません。ところでこの季節、深緑は美しいものの、下葉のさらに下をガサゴソと動く音がするのがたまりません。爬虫類が大の苦手な上、ここまでの間にヘビとトカゲを見てしまい、真面目に帰ろうかと思ったほどです。それでも太平山神社の神聖なる山域とあって、そんな好き嫌いも言っていられないので、その先を目指して行きました。稜線の左側が杉の植林、右側がクヌギなどの天然林と、なんとも珍しいコントラストです。客人神社社殿から樹林帯の中を歩くこと20分、視界が開けて車道が現れたかと思うと、謙信平に到着しました。謙信平から見た筑波山いつも見る南側とは違って、西側から見ると男体山と女体山の双耳峰がよくわかります。(さらには独立峰ではなく、連山のように見えます)「謙信平」の地名ですが、上杉謙信が太平山で兵馬の訓練を行ったこと、さらには太平山から見渡した関東平野があまりに広いので、上杉謙信も驚いたことに由来しているそうです。パノラマにしてみました。こうして眺めていると、上杉謙信の勘違いもわかるような気がします。当時で関東ナンバー2の地位と言えば関東管領の(山内)上杉氏、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)はその家臣筋でしかありませんでした。その(山内)上杉家の上杉憲政から謙信が譲られたものは、名門上杉家の家督だけでなく、鎌倉公方に次ぐ関東管領の職でした。謙信平から関八州を眺めてみると、その長尾景虎の意気込みと勘違いが伝わってくる思いです。戦国時代には珍しく義と秩序を重んじるのが上杉謙信であり、名ばかりの関東管領の職を継いだのも「関東に秩序をもたらす」とするのが第一義で、自身の領地拡大よりも北条氏の関東制覇に対するアンチテーゼだったと思います。そんな正義感あふれる上杉謙信でしたが、ついには北条氏康と和睦を結ぶこととなり、その歴史的な場所が太平山の山麓にある大中寺でした。(大中寺については後日)この大中寺の和睦で再び関東は混乱し、アンチ北条で上杉方についていた佐竹義重や里見義堯などは、まさにびっくり仰天だったと思います。(「それ見たことか」とほくそえんでいたのは、どちらとも敵対していた武田信玄1人かも知れません)その「謙信平」には「陸の松島」の別名があって、霧の中に浮かぶ山々がまるで松島のように見えるそうです。このに限って天候は良かったようで、あいにくの霧模様ではなく、地元の人も「珍しい、今日は大サービス」とうなるほど、富士山が見えていました。謙信平には茶店が建ち並び、屋外の桟敷からこの眺めを堪能することができます。「★サッポロ」と、黒ラベル党には堪えきれない幟が並びつつ、その先を目指すことにしました。(体力というより、精神的な鍛練かも知れません)謙信平の先には、栃木市出身の山本有三の「路傍の石」の文学碑があります。「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら人間、うまれてきたかいがないじゃないか」なんだか突き刺さる一節です。茶店と桟敷の建ち並ぶ謙信平を抜けていくと、石段が始まって太平神社の境内にやってきました。雰囲気的には津和野(島根)の太皷谷稲成神社を思い出しました。太平山神社からも「関東ふれあいの道」が続くものの、ピークを直登するような急な道となり、途中には太平山神社の奥宮の祠がひっそりと建っていました。
2014/05/17
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小仏城山からは東へ向きを変え、高尾山を目指して尾根を伝っていきました。小仏城山と高尾山の間の奥高尾縦走路は、「東海自然歩道」や「関東ふれあいのみち」とも重なっており、何とも豪華なルートとなっています。東海自然歩道は「明治の森箕面国定公園」(大阪府箕面市)までの総延長約1,700km、関東ふれあいの道は首都圏の1都6県をめぐる総延長約1,800kmの壮大な歩道で、いずれもこの高尾が起点となっています。明治の森高尾国定公園さすがに超メジャーな歩道が重なっているとあって、道も広くて整備されており、周囲の景色も開放感にあふれていました。高尾山へ向けて緩やかに降下をしていくと、途中で「もみじ台」と名付けられた削平地に着きました。ここにも茶店があります。(スルーしましたが)陣馬山方面から高尾山へ来ると、高尾山に登るというよりは、下った先に高尾山があるといった感じです。登りらしい登りと言えば、最後の階段くらいでした。この先が高尾山です。実はこれまで高尾山に来たことがなかったため、どんな場所なのかと思っていました。テレビ中継などではおなじみの場所ですが、ここまで徒歩で来る方がまるで奇特な雰囲気です。高尾山の山上には薬王院の伽藍があり、上にある奥ノ院の方から順に参拝する格好となりました。奥ノ院高尾山薬王院の歴史は古く、聖武天皇の勅命により、744年に行基によって開山されたそうです。本社それにしても高尾山に入った途端、まるで降って湧いたように、急に人が増えたような気がします。本堂高尾山には、1号から6号までの自然研究路があって、どの道を行けば帰れるのかよくわかりませんでした。勝手がわからないまま、人の流れに沿ってケーブルカーの駅の方へ向かうと、駅の横を抜けた先に下山道があるようでした。途中の金比羅台の先に分岐があり、京王電鉄高尾山口駅に降りる道と、JR中央線高尾駅へ降りる道とに分かれているようです。金比羅台から見た都心方面JRの高尾駅方面に降りる人はほとんどいなかったのですが、そのまま歩いて高尾駅まで降りて行くことにしました。山道が終わった先は意外と地味で、普通に住宅地となって、いきなり民家の庭先に出たりしました。さらには国道20号線(甲州街道)に行き当たり、高尾駅まではアスファルト道を行くこととなりました。最後のアスファルトは本当に苦痛で、衝撃が足の裏に伝わってきます。和田バス停を出てから高尾駅まで、全行程約17km、6時間半の長い道のりでしたが、陣馬山からここまで、下りの整備された道だったので、歩きやすかったと思います。天候に恵まれたこともありますが、開放感あふれる見晴らしを楽しむことができました。
2014/05/14
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景信山からは尾根の稜線が南へと向きを変え、小仏峠へと差し掛かってきました。交通情報ではおなじみ、中央自動車道の小仏トンネルが真下を通っています。(上から見る限り、この時は東京方面に渋滞はなさそうでした)陣馬山からここまで、ずっと右手に見えていた丹沢山地とも、そろそろお別れです。樹林帯の中を降下してくると、削平地が見えてきて、小仏峠に到着しました。小仏峠は小仏バス停方面との分岐点となっており、全く覚えていないのですが、おそらく前回の2007年1月の時は、ここから尾根に上がって景信山・陣馬山へ向かったものと思われます。陣馬山から小仏峠までは6.9kmの道のりなので、和田から計算すると7km以上は歩いていることになります。高尾山までは3.2km、その先を計算に入れると、あと6km以上はありそうです。小仏峠は旧甲州街道の武蔵国と相模国の国境にあり、ここから甲州街道を八王子方面に下ったところには、かつて小仏関の関所が置かれていました。小仏峠の碑なぜタヌキなのかよくわかりませんが、峠なのに頂上という表現も不思議です。小仏峠を過ぎると再び登りとなって、小仏城山のピークを目指していきました。陣馬山からここまで、ずっと東京都(八王子市)と神奈川県(相模原市)の都県境を歩いています。一丁平経由高尾山(左)と城山経由高尾山(右)の分岐左の道の方が緩やかそうですが、右の城山経由の登り道を行きます。小仏城山は単に「城山」と呼ぶのが一般的で、国土地理院の地形図では「城山(小仏城山)」と表記されています。八王子城山など、他の城山と区別するため、便宜上このような表記になっているようです。ところで「城山」の地名は小仏や八王子に限らず、至るところで目にするポピュラーな山の名前です。地形図の正式名称ではなくても、「城山隧道」や「城山トンネル」の名前はよく見かけますし、鉄塔などにも「城山」の名前を見ることが多々あります。城山(または館山)と呼ばれる山は、必ずと言っていいほど、かつての戦国山城があった場所です。これまで訪れた戦国山城でも、「城山」と呼ばれている場所はたくさんありました。さらには、どうしても城郭の場所が特定出来ない時、地元の方に「○○城はどこでしょうか?」と尋ねるよりも、「城山はどこでしょうか?」の方が意外と通じたりもします。この小仏城山にも戦国城郭があったようですが、築城の由来などはわかりませんでした。それでも武蔵国と相模国の国境にあり、旧街道筋を抑える要衝にあることから、北条氏照が武田信玄に対する防衛拠点として、ここに滝山城の支城を築いたことは十分考えられます。可能性としては薄いですが、逆に武田信玄が相模攻略の出城を築いた可能性もあり得ます。(武田信玄は甲斐国内に城を築かず、駿河や信濃などの「他国」に築城する人なので)現在の小仏城山の山頂には、ありがたい茶店もあったものの、すでに陣馬山・景信山と、茶店めぐりでビール麦スカッシュの35缶を3本、計1リットル以上は飲んでいるので、ここではスルーとしました。城の話に戻ると、山頂部分は削平地となっており、曲輪が配されていたことは十分考えられます。戦国城郭ならば堀切や土塁などの遺構があってもよさそうなものですが、山頂の北側の一段低い場所が削平地になっている他は、ヒントになりそうな遺構は残っていませんでした。北側の削平地山頂を本丸と考えるならば、北側に曲輪が張り出していることもあり、北側の敵に対する防衛拠点(または攻撃拠点)だと考えられます。北条氏か武田氏かで考えるならば、曲輪の配置だと北条氏の拠点であったと考えるのが妥当な気もします。実は北条氏と武田氏の築城にはそれぞれ大きな特徴があって、北条氏の城郭は「角馬出」に見られるように、方形の曲輪を造る特徴があります。一方で武田氏の築城は、「丸馬出」や「三日月堀」ように、曲輪が丸いのが特徴です。(顕著な例が静岡県の田中城)ところで小仏城山の方ですが、四角いようでもあり、丸いようでもあり、よくわかりませんでした。グーグルアースで改めて見てみると全般に方形で、左側(西側)に角馬出のようなものがあるので北条氏の築城だと思われます。そうかと思いきや、右下(南東)に三日月堀のようなものがあったりして、ならば武田氏のようにも思ったりで、やっぱり判然としませんでした。(戦国城郭の話でここまで引っ張っておきながら、本当によくわかりません。。。)いずれにしても武田信玄は1569年に、今川・北条・武田の三国同盟(善得寺の会盟)を反故にして、小田原城を攻略すべく、甲斐から武蔵、相模へと侵攻してきました。当時の武田軍は、織田信長も恐れるほどの最強の軍隊で、その数は約2万と言われています。武田信玄本隊は、まず手始めに北条氏照の滝山城を攻略しましたが、小山田信茂の別動隊が小仏峠を越えて相模に攻め込んだようです。当時の奥高尾縦走路では、「武田信玄来たる」の狼煙が方々で上がり、滝山城や小田原城へもその急報が告げられたことと思います。そんな戦国絵巻も今は昔、今では想像できないほど長閑な奥高尾縦走路を下って、いよいよ高尾山を目指して行きました。現在は大垂水峠が甲州街道(国道20号線)を踏襲しています。ところで、この先は「関東ふれあいのみち」でありながら、「東海自然歩道」も兼ねています。この地図の方角は、左が北となります。子供の頃に切手を集めていて、「国定公園シリーズ」の中に「明治の森高尾国定公園」と「明治の森箕面国定公園」の50円切手がありました。その高尾と箕面を結ぶ壮大な歩道が「東海自然歩道」で、「関東ふれあいのみち」や旧東海道もびっくりの壮大な歩道です。20年以上も前になりますが、「BE-PAL」(今もあるのでしょうか)の特集で、シェルパ斉藤さんが東海自然歩道を高尾から箕面まで歩いていました。その時は、静岡あたりで歩道が整備されておらす、途中で道がなくなって苦労していたようです。高尾山が見えてきました。
2014/05/13
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陣馬山からは笹尾根に沿って奥高尾縦走路を行き、次に目指したのは景信山でした。陣馬山から景信山までは道のりにして5.7kmありますが、それでも今回の全コースではまだまだ道半ばといったところです。陣馬高原下から高尾山口までの奥高尾縦走路は、「関東ふれあいのみち 鳥のみち」のコースともなっています。今回の縦走路の中では、最初の陣馬山が最高点だったこともあり、途中のピークやコルでアップダウンはあるものの、高尾山までは緩やかな下りの尾根歩きとなります実は以前もこの道を通ったことがあるはずなのですが、全く記憶にありませんでした。それにしても、緩やかで歩きやすい道が続き、新緑の自然林の中を歩くのは、本当に快適です。アップダウンもさほどではなく、陣馬山から30分ほどで明王峠に到着しました。陣馬山の山頂もそうでしたが、このコースでは茶店が多くあり、明王峠にも茶店があります。明王峠の茶店こうやって茶店のはしごをしながら、珍しい地の山菜などを味わうことができるのは、やはり縦走路ならではだと思います。明王峠茶屋の隣には、峠の名前の由来だと思われる不動明王が祀られていました。うっかりすると見落としそうなくらい、ひっそりと鎮座していました。明王峠には尾根を南側へ下る道との分岐点があり、与瀬神社を経由して相模湖駅へと降りることもできます。明王峠からも引き続き奥高尾縦走路を行き、関場峠方面との分岐点となる堂所山のピークを越えて行きました。やがて平坦な尾根からピークの登りに差し掛かり、陣馬山を出てから約70分で景信山の山頂に到着です。景信山の三角点(標高722m)景信山の山頂も眺望があり、特にこれまで視界が効かなかった東側、都心方面をよく見渡すことができました。都心方面正面に見えるのが八王子城山です丹沢山地景信山の山頂にも茶屋が2軒あり、そのうちの1軒「景信茶屋」に寄ってみました。これまでの道のりでは、キリンの一番搾りかアサヒのスーパードライの2択だったので、サッポロの黒ラベルが登場したのはうれしい限りです。(さらに山菜の付け出しが絶品でした)名物のなめこそばも注文して、そばを食べていると、相席となったご婦人が山菜の天ぷらをおすそ分けしてくれました。せっかくなのでお話をしてみると、この景信茶屋の山菜天ぷらは奥高尾の茶店でも随一で、この山菜天ぷらを食べるために、よく景信山に登ってくるとのことでした。(天ぷらの山菜の種類も豊富で、珍しい山菜もあったりしたのですが、名前を忘れてしまいました)実は景信山に来たのは2回目のことで、1回目は探検部時代の先輩であるRICARDOさんと2007年の1月に来ていました。私は陣馬山の白馬像しか覚えておらず、当時のRICARDOさんの記事(→こちら)を読んでみると、その時は小仏峠から景信山に登り、奥高尾縦走路で陣馬山へ抜け、さらには温泉にも入っていたようです。景信山を後にすると、その小仏峠へ向けて、奥高尾縦走路を南へと歩き始めました。
2014/05/12
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JR中央線を藤野駅からバスに乗り換え、以前生藤山を訪れた時と同じく、終点の和田でバスを降りました。今回向かった先は生藤山ではなく、生藤山と尾根続きにある陣馬山です。陣馬山へのアクセスはいくつかあって、途中の陣馬山登山口バス停からスタートするコース、または高尾駅北口から別路線に乗り、陣馬高原下からスタートするコースがポピュラーなようです。実際に陣馬山に向かうハイカーの大半は途中の陣馬山登山口で降りて行ったのですが、私はなるべく標高差を稼いでおきたいと思い、終点の和田まで行くことにしました。和田のバス停からは、以前の生藤山と同じ旧陣馬街道を和田峠の方へ歩き、途中にある登山口で旧陣馬街道から分岐していきました。和田の登山口すぐに本格的な登山道となり、新緑の樹林帯の中を抜けて行きます。陣馬山の西側にある稜線沿いを行く急な登りが続き、樹林帯に遮られて視界は効かないものの、吹き渡る風が爽快でした。傾斜が緩やかとなって来て、山頂まであと700mのところまで来た時、さらに南側の陣馬登山口方面からの登山道が合流してきました。さすがに人気の山とあって、登山口もいろんな方向にあるようです。樹林帯が切れると目の前に稜線が現れて、陣馬山の山頂に到着しました。陣馬山(標高855m)陣馬山の名前の由来は戦国時代にさかのぼり、北条氏と武田氏が対陣したことから、「陣張山」→「陣馬(陣場)山」になったと伝えられ、武田信玄は陣馬山の山頂にのろし台を置いていたとも言われています。実際に山頂部分は削平地となっていて、戦国城郭の曲輪ならば本丸から三の丸までが収まってしまいそうな広さがありました。その陣馬山山頂には茶店が三軒あり、「清水茶屋」・「信玄茶屋」・「富士見茶屋」の名前がありました。清水茶屋甲州武田軍の旗印、「風林火山」が風になびく信玄茶屋ちなみにこの旗印は甲州市の恵林寺でも手に入れることができ、私も持っています。その信玄茶屋で、まずは麦スカッシュをプシュッと。東側の高尾丘陵や都心方面を一望できる、天然芝のオープンテラスです。信玄茶屋を出た後、さらに富士見茶屋にも入ってみました富士を眺めながらの麦スカッシュ実は陣馬山へは以前も一度訪れたことがあって、富士見茶屋の前にある白馬像だけは覚えていました。京王電鉄によって建てられたものです。京王電鉄では、2014年6月1日まで「高尾・陣馬スタンプハイク」をやっているようで、確か富士見茶屋にその旗が立っていたように思います。陣馬山は標高の割に眺望は抜群で、まさに360度のパノラマが広がっていました。生藤山・三頭山の笹尾根その向こうには雲取山などの奥武蔵の山並みが控えています大山・塔ノ岳・蛭ヶ岳・丹沢山などの丹沢山地の山並み左手には相模湾の穏やかな海面も見えています。大菩薩連嶺山並みの間に、雪を頂く南アルプス(悪沢岳、赤石岳)がのぞいていました高尾丘陵と都心の方向そして富士山、三ッ峠山などここからの眺めは、関東近郊でも随一だと思います。当たり前といえば当たり前ですが、登った山の山頂からは、その山の山容そのものを眺めることはできません。こうして周りの山々の山容を眺めていると、「あそこにを登った時は・・・」と、改めて思い出が甦ってきて、とても感慨深いものがありました。まるで実物大の地図を見ながら、これまで登ってきた山々を振り返りつつ、そしてこれから登ってみたい山々に思いを馳せていると、いつまでも時間を過ごしてしまいそうな感じでした。名残惜しい景色ではありましたが、陣馬山を後にすることにして、次なる目的地を目指すことにしました。陣馬山から高尾山へと続く奥高尾縦走路、次の景信山までは道のりで5.7kmです。
2014/05/11
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御殿山を往復して再び登山口に戻って来た時、時計を見るとスタートしてから1時間しか経っていませんでした。御殿山に登った後で、もし時間に余裕があれば伊予ヶ岳にも登ってみようかと思っていたところ、何よりも体力に余裕があったので、伊予ヶ岳を目指してみることにしました。すでに初夏の雰囲気のある平久里川沿いを平群郷方面に戻っていると、正面に伊予ヶ岳の山容が見えてきました。御殿山の上から見ると瀟洒な感じでしたが、下から見ると威圧感があります。富山・御殿山・伊予ヶ岳の「富山三山」の中でも、「岳」のつく伊予ヶ岳は、南側が鋭く切り立った印象があります。双耳峰の間に緩やかな双曲線の稜線を持つ富山や、穏やかなピークを頂く御殿山に比べると、伊予ヶ岳の鋭鋒は同じ富山三山の中でも異様な感じがします。ふと「伊予ヶ岳は傾動山塊なのでは?」と思ったのですが、プレートテクトニクスで太平洋から御殿山などが移動して来た時、元々あった伊予ヶ岳が南から押し上げられたのではないでしょうか。グーグルアースで改めて見てみると、平久里川の流れる構造線を境にして、南の太平洋からやってきた御殿山が、伊予ヶ岳にぶつかって出来たようにも思えます。平久里川が西から南へ向きを変えるところ、平久里中にある平群天神社が伊予ヶ岳の登山口となります。平群天神社ところで平久里も平群も「へぐり」と読み、奈良県の人は普通に読めるなじみ深い地名かも知れませんが、千葉県では難読地名だと思います。(奈良県の平群は古代豪族の平群氏に由来しているものの、この南房総市が平群氏とゆかりがあるのかはわかりませんでした)平群天神社の解説を読むと、1353年に細川相模守が京都北野天満宮をこの地に勧進したのが始まりで、1588年に里見義頼によって本殿が改築されたそうです。(この地で細川相模守の名前は初めて聞きました)天神社の名前の通り祭神は菅原道真で、菅原道真の一代記を描いた「絵本著色天神縁起絵巻」は、千葉県の文化財に指定されています。現在の社殿は、1808年に再建されたものだそうです。天神社の境内の奥からは、伊予ヶ岳への登山道が延びていました。徐々に高度を上げてくると、さっき登ってきた御殿山や大日山の山並みが見えてきました。さらに南の方に目を転じると、里見氏の内紛「天文の内訌」の決戦場である犬掛古戦場や、南総里見八犬伝の舞台ともなった滝田城などを眺めることができます。この旧平久里街道が房総半島を南北に縦断する主要街道でした。さらに高度を上げると、急峻な岩場となって、ロープ場や鎖場が現れるようになります。鎖場を抜けると急に視界が開け、伊予ヶ岳南峰の頂上にたどり着きました。伊予ヶ岳の名前は、阿波斎部氏の故郷である「伊予の大岳」、四国の石鎚山に由来しているそうです。伊予ヶ岳の由来を見ても、天富命が忌部氏を引き連れ、阿波(徳島県)から黒潮に乗って安房(千葉県南部)にたどり着いたとする、安房神社の由緒と符合しています。南峰先端の岩場岩場の先端に立つと、富山(とみさん)が真正面にあり、その向こうに東京湾を望むことができました。ガスコンロでお湯を沸かし、コーヒーを飲んでいると、西の方から雷鳴が聞こえてきて、なんだか雲行きも怪しそうでした。たとえ低山であっても用心に越したことはないので、山頂を後にすることにしました。途中で富山との分岐点に差し掛かったのですが、富山は2回登ったことがある上、何よりも体力的にきついので、そのまま来た道を戻って行きました。JR内房線岩井駅には、定番の南総里見八犬伝ゆかりの像があります。伏姫と八房像途中の浜金谷でふと思い立って電車を降り、向かった先は東京湾フェリー乗り場近くにある「船主(ふなおさ)」ですここも私の定番で、回転寿司ながら珍しい地魚を手頃に食べることができます。関東100名山(29/100)関連の記事御殿山→こちら富山(2008年11月)→こちら
2014/04/27
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一度で用事を済ませられないのが悲しいところですが、またまた旧安房郡富山町(現在の南房総市)にやってきました。JR内房線を岩井駅で降り、南房総市営の循環バス「トミー」に乗って旧平久里街道を北上して行くと、戦国時代の里見氏の内紛「天文の内訌」の決戦場となった犬掛古戦場や、曲亭馬琴「南総里見八犬伝」にゆかりの深い「富山(とみさん)」の山麓など、歴史的に見どころの多い場所を抜けて行きました。他の乗客は伊予ヶ岳の登山口である「平群郷」で降りてしまい、終点の山田中に着いた時は、他に乗客がいませんでした。南房総市営バス「トミー」親切な運転手さんで、こちらから尋ねずとも御殿山への登山口を教えてくれ、バスにカメラを向けると、わざわざバスを停めて挨拶をしてくれました。御殿山登山口平久里川を渡ると、田植え前の水田からは蛙の大合唱が聞こえてきて、正面の御殿山山麓ではウグイスの鳴き声が聞こえてきました。コンクリート舗装の登り道がしばらく続いた後、途中で本格的な登山道に入ると、しばらくは樹林帯の中を抜けて行きました。稜線をたどって行くと、途中で視界が開けて、「大黒様」と呼ばれるピークにやってきました。その名の通りここには大黒様が祀られており、江戸時代中頃に造られたものと推定されていますが、石は地元にはない硬質砂岩が使われているそうです。元々は平久里川の川辺七軒の集落の中央にあったとのことで、川辺七軒だけでなく里山全体で福を授かろうと、川辺七軒の人たちがここに担ぎ上げたという美談が残されています。大黒様のピークから眺めると、眼下には平久里川沿いに旧平久里街道が続いており、遠く房総丘陵の山並みの向こうには、東京湾を望むことができました。こうして眺めると房総丘陵の山容も様々で、右の鋭鋒が伊予ヶ岳、左の双耳峰が富山(とみさん)、中央に見えるなだらかな山が津辺野山です。平久里川をはさんですぐ対岸の山頂部はゴルフ場となっており、毎月恒例となった「芝刈り友の会」の、栄えある第1回が開催された「コスモクラシッククラブ」です。ゴルフと登山を同時にやるのは困難とわかりつつも、一度に用事を済ませられないのは何とも悲しい性で、別々の目的で同じ場所を訪れる徒労感はいたたまれません。それでも久しぶりの山歩きとあって、何だか忘れていたものを取り返したような気がしました。大黒様のピークを過ぎると南に向きを変え、再び樹林帯の中に入って、山頂へと続くヤセオネを通って行きました。てっきり山頂の肩だと思っていたのですが、山頂だと思っていたのが実はニセピークで、またしても徒労に終わりました。にせピークを越えると、大日山方面への巻き道が分岐しており、そのまま直進して御殿山を目指すことになります。御殿山へはこのピークを直登することになりますが、果たして今度こそ山頂ピークなのでしょうか。急登を登り切ると小さな祠の建つ平坦な場所にたどり着き、ここが御殿山の山頂です。御殿山山頂(標高364m)「山高きがゆえに貴からず」とはよく言ったもので、御殿山の標高は低いものの、周囲にも高い山がないため、山頂からは東京湾と太平洋の両方を眺めることができました。西側の内房、東京湾方面ちょっとしたアルペン気分です。東側の外房、太平洋方面ちょうど旧千倉町の方向で、高塚山や「花嫁街道」の烏場山などを眺めることができました。(太平洋から東京湾に吹き渡る風にダイナミズムを感じつつ)これまで御殿山の存在は知っていたのですが、どうしても身近な富山の方に足が向きがちで、なかなか訪れる機会がありませんでした。(機会はあっても、目的が違ったり)訪れる人も少ないこともあって、ゆっくりと山頂からの眺めを楽しむことができるため、なかなかの名山だと思います。関東100名山(28/100)関連の記事富山(2008年11月)→こちら伏姫籠穴(2008年11月)→こちら犬掛古戦場(2009年10月)→こちら
2014/04/26
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ゴルフの翌日の山登りは無謀だと思いつつ、とりあえず雪中登山の装備を持って出かけて行きました。太平洋C&Aのある栃木県北部は快晴でしたが、氷点下でプレーをしていた日、静岡県東部から神奈川県西部では雪雲が通過したようでした。ならば箱根や丹沢山地は積雪しているに違いないと、次の日はなんとなく新宿から小田急に乗っていました。いざ秦野付近で車窓から丹沢山地を見てみると、積雪している気配は全くなく、車窓の前方にも目を凝らしてみても、箱根の山々も同じような感じです。見渡す限りで見える山の中で、積雪しているのは富士山だけで、どうやら期待外れに終わったようです。特に行く当てもなく箱根湯本に着いたところで、とりあえず仙石行きのバスに乗り、外輪山の北東側の山麓へと向かいました。明神ヶ岳や金時山の山頂付近は積雪しているようにも見えましたが、積雪期の明神ヶ岳には登ったことがあるし、金時山は2ヶ月くらい前に登ったばかりなので、そのまま国道138号線沿いに歩いて行きました。(何度も箱根に足を運んでいるせいか、土地になじみがあるのは救いです)ここで行く当てができ、目指すは乙女峠です。途中で国道から山道に入り、外輪山の尾根線を目指して行きました。いつになく慎重に斜面を登り、ようやく外輪山の尾根線が見えてきました。そして雪の乙女峠(標高1,105m)乙女峠は足柄峠・長尾峠と並んで「富士見三峠」に数えられているようですが、箱根外輪山から離れた広い意味でも、乙女峠・薩埵峠・御坂峠が富士見三峠とされています。個人的には箱根外輪山(北側)や足柄など、御殿場側から見るのが雄大でいいと思います。乙女峠では箱根カルデラの内側に平坦な場所があり、そこでガスコンロを取り出して食事をすることにしました。箱根火山の大カルデラを眺めながら、最後にコーヒーを一杯乙女峠を後にすると、時間も時間なので、外輪山を下りることにしました。今度は外輪山の外側、御殿場方面へと下りてきました。さすがに北側の斜面は積雪も深く、アイゼンを装着です。斜面を下ると再び国道138号線(旧乙女道路)に合流、「ふじみ茶屋」に来ました。今度はサッポロのご当地銘柄「箱根」で、名物のそばを食べながら。「乙女の鐘」もすっかり雪景色です。
2014/01/19
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明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。去年の話になりますが、私が主催となって「山旅会」なるものを始めたのですが、第1回の箱根金時山から時間が空いてしまい、第2回どころか会の存続も危ぶまれていました。ようやく開催された山旅会の第2回は、丹沢山地の大山にしてみました。江戸時代の大山は人気の行楽スポットであり、「大山詣で」は江戸町民の一大レジャーでもあったところです。(大山参詣のために「大山道」が整備されたほどで、現在は国道246号線が大山街道を踏襲しています)阿夫利神社下社までは行ったことがあって、その時は伊勢原方面からケーブルを使わずに表参道を歩いて登ったことがあります。今回のスタート地点はケーブルのある伊勢原方面ではなく、丹沢の表玄関、秦野のヤビツ峠をスタート地点にしてみました。ヤビツ峠(標高761m)ヤビツ峠までは秦野からバスの便があるため、ここで標高差を稼いで一気に大山山頂を目指す予定です。大山の山容は相模平野のみならず、都内からもよく見渡せるため、きっと大山からも眺めがいいだろうと、少し期待をしていました。この日は天候も申し分なく、ヤビツ峠から大山山頂へ向かう途中、丹沢山系の向こう側に富士山が見えてきました。丹沢表尾根そう言えば塔ノ岳に登った時、向こう側からもこちら側がよく見えていました。三ノ塔から見た大山(2012年11月)ヤビツ峠をスタートして70分、予定通りに大山山頂に到着しました。大山山頂(標高1,252m)表参道を下から上がって来るのと違って、ヤビツ峠からだといきなり阿夫利神社の奥ノ院がありました。大山阿夫利神社奥ノ院この日の天候は絶好で、富士山や箱根だけでなく、相模湾の水平線上には伊豆大島が浮かび、都心方面はスカイツリーから房総半島の山並みまで見渡せました。大山山頂では、ビール片手に記念撮影です。向かって一番左、カープのタオルが私です。大山山頂と阿夫利神社奥ノ院を後にすると、今度は阿夫利神社の下社を目指して山道を下って行きました。途中にある見晴台前回は阿夫利神社下社から見晴台までは来たことがあり、振り返ると見覚えのある大山の山容が見えていました。前回は夏だったと思います。見晴台から樹林帯の中を抜けると、これまた懐かしい阿夫利神社下社に来ました。これが阿夫利神社の水です。阿夫利神社下社から見た都心方面阿夫利神社の茶店に入って一息つくと、みんな再びビールを飲み始めてしまい、結局まったりとしてしまいました。当初の予定では大山寺などに立ち寄りながら、「大山詣で」の歴史をたどってみるのも「山旅会」だと思っていたのですが、誰も異議を唱えることなく、あっさりケーブルカーの駅に向かって行く始末でした。第3回の山旅会はどうなるでしょうか。
2013/12/14
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金時山からは外輪山の外側へと下りて、足柄峠へと向いました。足柄峠の要衝にあるのが足柄城、金時山の混雑から解放されて、ようやく本丸の芝生の上でゆったりと過ごせそうでした。足柄城から見ると、午後になっても雲の上に富士山頂が見えていました。足柄城を訪れるのは実に4回目ですが、何度来てもここからの眺めは最高だと思います。それでも今回は城跡めぐりが目的ではないので、ここではおとなしくガスコンロに火をつけて、みんなでコーヒーを飲んでいました。(「空堀の向こう側の曲輪まで行って」などと、ついうっかり言ってしまいました)名残惜しい景色ではありましたが、足柄城を後にして足柄関跡から足柄古道をたどり、地蔵堂へと下りて行くことにしました。箱根の東側、足柄古道と言えばこの人♪まさかりかついで金太郎 熊にまたがりお馬のけいこ♪(ちなみに「まさかりかついだ」ではなく、「まさかりかついで」」です)足柄古道に入る手前でふと思い出したのですが、足柄万葉公園から地蔵堂まではバスの便があり、さらにこの日は箱根湯本で買った「金時山ハイキングパス」があるので、足柄万葉公園から新松田駅の間もこのパスを使うことができます。それでも足柄万葉公園から地蔵堂までのバス便は極端に少なく、もしもバスがなければ足柄古道を歩いて地蔵堂まで行く覚悟だったのですが、ラッキーなことにちょうど10分後に出るバスがありました。地蔵堂までの間、バスに乗って時間を稼げたこともあり、夕日の滝まで足を延ばしてみることにしました。地蔵堂から夕日の滝までは、徒歩で20分ほどの距離にあります。途中にはのどかな里山の風景があり、金太郎の生家や「金太郎遊び石」なども残っています。金太郎生家跡「地蔵堂の四万長者の娘が、実家に戻って金太郎を産んだ」とする伝説があり、その四万長者の屋敷があった場所が金太郎の生家だとされています。金太郎遊び石(2009年9月)源頼光に志願して家来となり、その後は坂田公時と名乗って源頼光の四天王として活躍した実在の人物ですが、子供の頃は母親思いでとても親孝行だったようです。その金太郎が生まれ育った里山から振り返ると、金太郎も見ていたと思われる、矢倉岳の山容が見えていました。足柄付近の地図にある「夕日の滝」の名前は気になっていたものの、実はこの滝を訪れるのは今回が初めてです。夕日の滝にあるキャンプ場酒匂川の支流にあり、金太郎もこの水を産湯に使ったと言われています。夕日の滝は落差約23m、毎年1月15日には滝口の中央に太陽が沈むため、この名前があるとされています。滝口がオーバーハングしているため、一気に水流が落ちてくる大迫力でした。夕日の滝の瀑布を眺めていると、つい見入ってしまって、時間が経つのを忘れてしまいそうでした。ところで今回の山行を機に、定例的に開催することが決まり、会の名前も「山旅会」となりました。第2回も主催は私となり、次回は奥多摩の「山旅」を予定しています。(「山」プラスアルファの「山旅」)
2013/10/19
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私が主催となって山行を開催することとなり、数ある候補の中から山を選ぶこととなりました。そこで今回選んだのは、箱根外輪山の1つ、金時山です。眺望の良さを求めつつ、それでもハードなコースは避けたいところで、金時山にしてみました集合場所の箱根湯本から御殿場行きのバスに乗り、箱根外輪山の内側「金時登山口」から金時山を目指すことにしました。金時山へ登るルートはいくつかあって、これまで公時神社、乙女峠、足柄峠からは登ったことがあるのですが、金時登山口からのルートは今回が初めてです。登山口を登り始めて約30分ほどで、矢倉沢峠に到着しました。何だか見覚えのある道標ですが、金時登山口から矢倉沢峠までの道は、今年の1月に明神ヶ岳からの帰りに通ったのを思い出しました。2013年1月この時は雪道でした。それでも矢倉沢峠からの金時山は初見参で、振り返ると箱根カルデラの中央部の山容が見えていました。ここからだと芦ノ湖は湖尻がわずかに見える程度でしたが、大涌谷の噴煙や仙石原も見えています矢倉沢峠からはハコネザサが一面に広がり、箱根外輪山らしい光景になってきました。この日は天候にも恵まれたせいか、とにかくハイカーが多くて、金時山の最後の登りでは夏の富士山みたいに渋滞ができていました。登り始めて1時間、金時山の山頂に到着しました。途中では外輪山に隠れて見えなかった富士山も、金時山の山頂からは全容を眺めることができます。富士山の裾野から山頂までが見える場所もあまりないかと思います。2010年2月それにしても山頂はどこも人であふれていて、座る場所の確保も難しいくらいでした。芦ノ湖と仙石原方面金時娘茶屋で買ったビールを飲み干すと、今度は外輪山の外側、足柄峠へと下りていきました。稜線に沿ってなだらかな下り道を行き、足柄峠で振り返ると金時山の山容が見えていました。関東100名山
2013/10/18
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関東ふれあいの道「富士見のみち」でもある笹尾根の稜線を行き、茅丸のピークを過ぎると、いよいよ生藤山の山頂と巻き道の分岐点に来ました。もちろんここはトラバースせずに、生藤山のピークを登って行きました。生藤山手前の稜線は意外とゴツゴツしていて、岩が露出したピークなどもありました。にせピークをいくつか越えると、生藤山山頂の山頂です。生藤山(標高990m)お彼岸とは言え、山頂には夏の景色が残っていて、眺望の季節もまだまだ先のようです。冬の澄んだ季節などは、富士山も見えることと思います。早々に生藤山を後にして、三国山の方へと下りて行きました。三国峠武蔵国・相模国・甲斐国の国境にあることからこの名前があり、現在も東京・神奈川・山梨の都県境となっています。三国峠からの眺望三国峠から先は神奈川県側に降りて、今回スタート地点である和田に戻るルートもあるのですが、せっかくなので山梨県側に降りて、軍荼利(ぐんだり)神社へ立ち寄ってみることにしました。再び樹林帯の中を降下していると、途中でふと沢に出会って、その沢を横切って行きました。どこの山でも、沢のせせらぎは心地よいものです。やがて木々の間に社殿が見えてきて、軍荼利神社奥ノ院にたどり着きました山から降りて来る時は、いつも順序が逆になって、表参道や一の鳥居ではなく、奥ノ院から参詣することになります。軍荼利神社本殿本殿横に立つ剣が見事です。軍荼利神社の祭神は、軍荼利明王ではなく、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)で、1,049年の創建とされています。軍神として崇められ、岩殿城の小山田氏が厚く崇敬した他、武田信玄も自画を奉納したそうです。軍荼利神社の境内をたどりながら、さらに沢伝いに下りて行くと、軍荼利神社の入口にある井戸集落までやってきました。夏山の景色の中にも、秋の気配を感じます。
2013/09/30
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「山高きが故に貴からず」とは言いますが、この表現がよく似合うのが生藤山でしょうか。三頭山から高尾山まで続く笹尾根のほぼ中央部にあって、標高990mと高くはないものの、武蔵・相模・甲斐の三国境の要衝に立つ山です。今回はJR中央本線を藤野駅で降り、さらに藤野駅でバスに乗り換えて、笹尾根南側にある和田から生藤山を目指すことにしました。和田峠へと続く車道(しばらくは車道沿いを行くことになります)正面に見えているのは、同じ笹尾根上にある醍醐丸のピークでしょうか。途中で左折して林道に入り、生藤山・三国山への最短ルートで尾根に取り付くことにしました。林道が終わったところで山道となり、沢に沿って樹林帯の中を登ることとなります。さらに沢からも分岐して、笹尾根南側の急な斜面を登って行きました。この先に目指す笹尾根は、南北から向きを変えて東西に延びており、その東西に延びる尾根の南側を直登する感じです。月見草(?)この日はお彼岸、アキアカネ(赤とんぼ)がやって来ました。九十九折の斜面を登っていると、どうやらスズメバチの通り道を行き来しているようで、スイッチバックをする度にスズメバチに出会うようになりました。あの「カチ、カチ」という威嚇音が聞こえなかったので、巣は遠いように思われたものの、かなり攻撃的に向かって来ました。スズメバチは天敵がクマということもあり、動く黒いものを攻撃する習性があります。この日は黒のザックを背負っていたこともあって、かなり執拗に追い回されました。すでに夏山シーズンは終わりましたが、夏山でスズメバチに出会った時、つい追い払ったりしてしまいたくなるものです。実はこれが逆効果で、特に攻撃意図もないスズメバチも、攻撃されたと思って反撃に出ることがあります。こんな時は、静かに後ずさりしながら、スズメバチのテリトリーから離れるのが一番だと思います。さらにこの日はスズメバチが8の字に飛ぶのを初めて見たのですが、来年に向けて新しい巣作りの場所を探しながら、仲間に合図していたのかも知れません。スズメバチが去るまでの間、立ち休みがてら遠くに目を向けると、陣場高原と思われる尾根が見えていました。陣馬山には随分と前に登ったことがあって、山頂には京王電鉄が建てた馬の像があります。やがて樹林帯の間に尾根線が見えるようになり、ようやくの思いで笹尾根に取り付きました。おなじみの指導標ながら、この尾根上のルートは関東ふれあいの道「富士見のみち」でもあります。尾根に取り付いても、相変わらずの樹林帯で眺望はありませんが、アップダウンもなくて快適な尾根歩きでした。ちょうど東京都と神奈川県の都県境で、左側が神奈川県(相模原市緑区)、右側が東京都(檜原村)となります。さすがに関東ふれあいの道は整備されていて、ピークには巻き道もついていたのですが、せっかくなのでトラバースせずに、それぞれのピークを辿って行きました。そのピークの1つ、連行山(標高1,016m)茅丸(標高1,019m)この茅丸が今回のコースの最高点となりますが、やはり「山高きが故に貴からず」、この先の生藤山を目指して、それぞれのピークはスルーして行きました。
2013/09/29
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ヤセオネ峠から先、伊香保温泉までの群馬県道33号渋川松井田線は、有名な「秋名の下り」のコースでもあります。ヤセオネ峠バス停頭文字Dの描写がリアルなだけに、どうしても榛名ではなく、つい「秋名」と言ってしまいます。頭文字D 1st Stage Act4「交流戦突入」(後半) VS 高橋啓介RX-7 FD3SAct 5 「決着!ドッグファイト」 VS 高橋啓介RX-7 FD3S実際に伊香保温泉までは車道で7kmの道のりがあり、さすがにこの車道を下るわけには行きませんでした。(歩道もないので、真面目に「溝落し」にはまりそうです)Act 9 「限界バトル!ハチロク VS GT-R」 VS 中里毅 スカイラインR32 GT-RAct 10 「爆裂!5連ヘアピン」 VS 中里毅 スカイラインR32 GT-Rヤセオネ峠のバス停横にある伊香保森林公園からは、「関東ふれあいの道」の「榛名から水沢へのみち」の自然歩道がついており、あの秋名の下りを行かずとも、約3kmの道のりを徒歩でショートカットすることができます。群馬県立伊香保森林公園入口森林公園入口の先で二ツ岳との分岐に差し掛かり、伊香保温泉へと下りて行きました。伊香保温泉へと続く「関東ふれあいの道」ヤセオネ峠から伊香保温泉へ下りる道は、榛名カルデラの北側斜面にあり、火山の名残か所々に崩落した岩が転がっていました。シダが群生しているのも、火山の名残でしょうか。道の脇にある溶岩このルートは傾斜はさほどきつくないものの、地盤が弱いのか、斜面から小さな石が転がってきたり、ところどころに崩落の跡があったりして、通行には注意が必要かと思います。登山道を下りきったところで、川底が茶色く変色した沢が見えて来て、伊香保温泉の最奥部に到着しました。河鹿橋湯元呑湯道標温泉客の道案内のため、明治23年に建てられたもので、「右 榛名山 二ツ嶽 左 湯元 呑湯」の文字があるようです。火山カルデラのすぐ近くに温泉があるのは、当たり前と言えば当たり前ですが、実際に榛名から伊香保まで下りて来ると、改めてそのダイナミズムに触れたような気がします。伊香保の温泉街伊香保神社へ続く石段頭文字Dの中で、藤原拓海と武内樹が湯の花まんじゅうを食べていたのもこの石段です。江戸時代の口留番所(関所)跡江戸時代には身分を問わず多くの湯治客が訪れたため、この番所が置かれたようです。ハワイ王国公使別邸ハワイが独立州だった1898(明治31)年まで、駐日公使ロバート・ウォーカー・アルウィンが別邸として所有していたもので、当時は「アルウィンさんの別荘」と親しみを込めて呼ばれていたそうです。伊香保と言えば竹久夢二や徳富蘆花の名前が挙がって、ゆかりの場所も様々ありますが、今回のゴール地点にしたのはここでした。少しは頭文字Dから離れた方がよさそうです。それでもまだ、ここは「秋名」のゴール地点です。Act 26「新ダウンヒル伝説!」VS 高橋涼介RX-7 FC3Sイニシャルディー(頭文字D) 1-47巻 全巻 ★送料無料★ 【新品新刊全巻セット】【大人買い】☆送料無料☆DVD 頭文字D: 1st Stage (全26話 650分収録 北米版 13)
2013/09/15
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松之沢峠で外輪山の尾根から分岐すると、カルデラの南東側にある湿地帯「ゆうすげ園」の中を通って行きました。ゆうすげ園湿地帯の中に通路が設けられ、たくさんの人が歩いていたのですが、この日榛名山で人を見たのはここが初めてでした。ゆうすげ園では、その名の通り夏になると一面にゆうすげの花が咲くようなのですが、すでにゆうすげの季節は終わっていました。ゆうすげは終わっていたものの、マツムシソウはきれいに咲いていました。マツムシソウゆうすげ園から見た榛名富士カルデラの北東側に目を向けると、これまでは見えなかった相馬山の山容も見えていました。箱根外輪山の金時山みたいないびつな山容ですが、相馬山も金時山と同じ寄生火山だそうです。ゆうすげ園を一周した後は再び外輪山へと足を進め、磨墨(するす)峠へと向かって行きました。途中にある磨墨岩には「行人洞」と書かれた溶岩洞があり、中には石像がいくつか置かれていました。壁面には仏像画もありました。磨墨峠から見た磨墨岩磨墨峠から外輪山を伝い、相馬山を往復してヤセオネ峠に向かう予定にしていたのですが、この先はガスって視界が悪いため、磨墨峠で再び外輪山から外れることにしました。榛名湖沿いの車道を通ってヤセオネ峠に向っていたところ、通る車のタイヤの摩擦音が変な音を出していました。よく聞いてみると音楽になっており、すなわち「♪静かな湖畔の森の陰から・・・♪」のあのメロディーがタイヤの摩擦音で聞こえていました。群馬県道33号渋川松井田線の榛名湖畔のルートには「榛名湖メロディーライン」の名前があり、時速50km以下で走るとメロディーが鳴るようになっているようです。その県道33号渋川松井田線を伊香保方面に歩いていくと、ヤセオネ峠で外輪山の登山道と合流しました。ヤセオネ峠登山口県道33号渋川松井田線は、榛名湖から伊香保温泉へと続いて行きます。そしてこの先は、おなじみの「秋名の下り」です。
2013/09/14
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阿蘇や箱根に比べればはるかに規模は小さいものの、中央火口丘の榛名富士とカルデラ湖の榛名湖を有するのが、榛名山のカルデラです。その榛名カルデラの外輪山を縦走してみようと、高崎駅からバスに乗って榛名湖に向かいました。高崎での天候はまずまずだったのですが、榛名山に近づいてみると、外輪山は遠目に見てもガスっているのがわかるほどでした。今回はカルデラの南西側、榛名湖に近い天神峠から外輪山に取り付くことにしていたのですが、やはり濃霧で視界は良くありませんでした。天神峠天神峠から先、七曲峠まではエスケープルートがないこともあって、「とりあえず行けるところまで行ってみる」という選択肢はなく、ここで行くか戻るかを決める必要があります。この日の予報で「天候はこれ以上悪化しないだろう」とか、「陽が高くなれば霧も少しは晴れるだろう」と、全く楽観的な根拠ではありましたが、ここは「ゴー」としました。旧天神峠より移築された石灯籠(1815年製)榛名神社からの外輪山は「関東ふれあいの道」にもなっており、関東圏ではおなじみの指導標が建っています。「関東ふれあいの道」の「榛名山へのみち」です。「榛名湖の眺望を楽しみながら外輪山の稜線をたどり」の案内文が虚しく思われます。歩き始めの15分~30分はいつもペースが安定しないのですが、榛名外輪山では最初から急勾配になっていて、視界もない中ではかなり辛いものがあります。急勾配を登りきったところで、まずは氷室山のピークにたどり着きました。氷室山(標高1235m)霧がなくても、この樹林帯に囲まれていては、おそらく眺望はないかも知れません。氷室山からは再び急斜面を下ったかと思うと、急な登りになったりしました。クマザサに覆われた稜線の風景は、箱根の外輪山によく似ています。火山の噴火で造られたカルデラという意味では、箱根も榛名も植生は同じなのかも知れませんが、榛名では箱根と違ってカルデラの南側の標高が高くなっています。再びピークを登った後、今回のコースの最高点である天目山のピークにとりつきました。天目山山頂(標高1303m)ガスっていなければ、天目山の眼下には榛名湖が見えたのかも知れません。視界のない静かな天目山を後にすると、これまでの登りが惜しまれるほどの急な下りが続いて行きました。カシワの樹林帯の中を延々と下っていくと車道にぶつかり、七曲峠にやってきました。七曲峠高度も下がると霧も晴れてきました。七曲峠の先の松之沢峠では、外輪山から榛名湖へ下りる分岐点があります。ここは外輪山の尾根を直進せずに、一旦外輪山を下りることにしました。尾根上を直進すれば磨墨峠に向かうのですが、左側の樹林帯の中ある榛名湖方面への分岐道を下りて行きました。分岐を下りてゆうすげ園の方に向かっていくと、ようやく榛名富士の山容が見えてきました。榛名富士つい「秋名富士」と言ってしまいそうになるのは、頭文字Dの見過ぎでしょうか。
2013/09/13
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仙丈ヶ岳山頂はガスに覆われていて視界はほとんどなかったものの、時折パッと視界が開けることがあって、ほんの一瞬だけ夏の青空や周囲の山並みを望むことができました。何よりも風が台風並みに強くて、じっとしていると寒くなってきたので、早々と山頂を後にして、再び北沢峠へ戻ることにしました。北沢峠までの累積標高差は約1,200m、行きも帰りも同じなのですが、思った以上に道がガレていたこともあって、この標高差の降下には少し不安があります。そこで帰り道は藪沢を経由せず、仙丈尾根の来た道を戻ることにしました。仙丈尾根を下る途中に仙丈小屋方面への分岐があるのですが、この分岐まで来たところでやっぱり気が変わって、「せっかく来たんだから」と藪沢を経由するルートで戻ることにしました。仙丈尾根から仙丈小屋方面への分岐仙丈尾根を長野県側へ下り、仙丈ヶ岳直下の斜面を巻くと、風力発電の風車が並ぶ仙丈小屋が見えてきました。仙丈小屋からは藪沢カールの直下を行き、藪沢へと下りて行きます。「北北東に進路をとれ」振り返ると藪沢カールの向こうに仙丈ヶ岳が見えるはず、だったのですが、「南アルプスの女王」は雲の中でした。それでも「南アルプスの貴公子」、甲斐駒は正面に見えてくるようになりました。甲府盆地も遠くに眺められるようになり、着実に高度を下げているのがわかります。ナナカマドとハイマツの群生地を降下中。「深く静かに潜航せよ」仙丈ヶ岳では森林限界の高度が高いような気がしたのですが、それだけに草木も豊富なのかも知れません。森林限界もはっきりしているように思います。藪沢に沿って行くルートには高山植物が豊富だと、ガイドブックなどでは紹介されています。また、仙丈ヶ岳で暮らす生き物には、ツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンカモシカ、ライチョウ、ハトガラスなどがいるのですが、ハトガラス以外はお目にかかれませんでした。その高山植物を野生のニホンジカから保護するため、ところどころに防護ネットが張られていました。ウサギキク(?)後で図鑑で調べてみたのですが、今一つよくわかりませんでした。防護ネットの向こうには群生しています。花の色も種類も様々だったのですが、名前がよくわかりませんでした。後でこの花の名前を調べてみると、「じぇじぇ、トリカブト」やがて藪沢のせせらぎが聞こえるようになり、馬の背ヒュッテに到着しました。馬の背ヒュッテからは、仙丈尾根5合目の大滝の頭にトラバースする分岐があるのですが、そのまま藪沢沿いを行くことにしました。藪沢上流部まさに南アルプス天然水です。仙丈尾根の長野県側を流れる藪沢の水は、戸台川、黒川、三峰川へと合流しながら、最後は天竜川となって遠州灘の太平洋へと流れて行きます。その藪沢左岸に道があり、ガレ場の続く道を延々と降下していきました。7月上旬までは雪渓があるようです。途中にある滝仙丈小屋からここまで1時間の道のりでしたが、ようやく半分くらい来たところです。滝の先で藪沢の右岸に渡り、藪沢のせせらぎを遠く下の方に聞くようになると、樹林帯の急斜面を下って行きました。振り返ってみるとこの最後の樹林帯が最もつらくて、奥多摩や奥武蔵を歩いているのと全く変わりませんでした。(標高は2,000mを超えているとは言え、暑い上に眺望もなく、何よりもモチベーションがだだ下がりです)仙丈小屋から約2時間、ようやくの思いで南アルプス林道の太平山荘に到着しました。サッポロビールの★マークがしびれますが、この高度で飲んだら、ひっくり返ってしまいそうです。普段から「生はサッポロの黒ラベルに限る」と豪語する黒ラベル好きですが、ここではトリカブト以上に猛毒なので、なるべく看板に近寄らないようにしていました。ところで北沢峠から広河原へ向かうバスは午後に2便あって、13:30と16:30があります。(時期・曜日によって異なります)13:30のバスに何とか間に合いそうだったので、南アルプス林道を駆け抜けるようにして、北沢峠に向って行きました。朝の7:10に出発して、再び北沢峠に戻って来たのは13:25、6時間15分の山行でした。北沢峠から広河原へ、さらにバスを乗り継いで甲府に着いた時は疲れ果てていて、南アルプスの余韻に浸る間もありませんでした。「小作」甲府駅北口店もはや「花よりほうとう」、「山よりビール」といった感じです。
2013/09/03
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