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2009/10/20
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テーマ: 城跡めぐり(1254)
房総半島の南端にある野島崎灯台、そのすぐ北側の山の上に白浜城があります。
白浜城遠景.jpg
白浜城遠景
房総特有の切り立った山の上にあり、下からずっと見上げる感じです。


登城道の途中には、天然の岩を削ったと思われる切岸がありました。
白浜城切岸2.JPG
里見氏の築城らしく、崖を切岸状に削り上げてありました。

戦国初期の山城と言った雰囲気で、切岸の他は特に目立った城郭遺構は見当たりませんでしたが、よく見ると土塁と思われるものもありました。
白浜城土塁.JPG
これが土塁だとすれば、時代的には少し後になって造られた可能性があります。

白浜城の山頂部分は「展望台」として整備されており、物見台のような削平地からは太平洋が一望できました。
白浜城より野島崎灯台.JPG
正面には野島埼灯台が見えています。


最初に登ったのは左の西側ピークですが、右側の東側ピークにも同じように物見台のような削平地がありました。


白浜城は東西に約1km、南北に400mもの広さがあるようで、白浜城のある山は「城山」と呼ばれてきました。
また山麓部分は「館前」の地名が残り、里見氏の居館があったと言われています。
白浜城山麓.JPG
居館があったとされる山麓部分。(城山山頂より)


里見氏初代の里見義実は、1440年の結城合戦に敗れて白浜に上陸し、そしてこの白浜城を本拠地として、安房を平定したと伝えられています。
里見氏が本拠地とした城は数々ありますが、この白浜城が一番最初ということになります。
その意味では、白浜城が里見氏の房総制覇の橋頭堡だったとも言えると思います。


山麓部分をめぐってみると、その里見氏ゆかりの寺院が建ち並んでいました。
白浜城杖珠院.JPG
里見氏の菩提寺である「杖珠院(じょうじゅいん)」
杖珠院本堂には前期里見氏代々の坐像があるとのことで、本堂の脇から中をのぞいてみると、本尊の横に確かに坐像がいくつか並んでいました。

坐像の案内には「初代義実・二代成義・三代義通・五代義豊」と書いてあり、いずれも前期里見氏の坐像なのですが、義豊が四代で五代は義堯のはずです。

(義豊の後見人であった実堯を、四代として数えたのでしょうか)

杖珠院本堂の左奥には、里見氏の初代である里見義実の墓所もありました。
白浜城杖珠院里見氏墓所.JPG
里見氏初代里見義実の墓所
里見義実の名前は、曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」でおなじみかと思います。


同じく白浜城の山麓には「青根原神社」があり、里見氏2代の里見成義の墓所碑が建っていました。
白浜城青根原神社.JPG


白浜城青根原神社里見成義墓石碑.JPG
2代里見成実の墓所碑
元々は墓石だけがあったのですが、江戸時代になって地元の人がこの碑を建立したそうです。

前期里見氏についてはまだまだ謎が多く、新しい説が次々と出ています。
初代里見義実の存在は間違いないとしても、2代里見成義の実在性には確証がなく、近年では存在そのものに疑問が持たれています。
(「犬掛の戦い」も通説が覆されました)

それでも後期里見氏の里見義堯が房総を平定し、小田原北条氏とも互角に対するほどの実力を持っていたことも間違いなく、また第九代忠義の時に悲劇の運命を見たことも、また事実です。

そんな里見氏の栄枯盛衰を見て、滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」で「もしも」を追いかけたのかも知れません。

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最終更新日  2018/01/19 10:33:53 PM
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