ミステリアスなセラピストの夢ワード

ミステリアスなセラピストの夢ワード

シャプラ誕生の背景

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夢の原点に戻ること

ヒーリングサロン・シャプラの誕生の背景



2002年にからだ・はうす・いろはの湯店をオープンさせてから、私達の会社は、とても大きく成長しました。お客様も今までとは比べ物にならないくらい増え、売り上げも2倍以上になりました。
その頃に起こった、アロマやリフレクの大きなブームを支える働きを、私達はさせていただきました。


勿論スタッフも増えさなければなりませんが、ここでとても大きな苦労が生まれることになるのです。この業界は技術の世界なので、スタッフが入れ替わるたびに、私達の技術を1から指導しなければなりません。
すべての新入社員が、きちんと技術を覚えてくれたらよいのですが、なかなかそうも行きません。中には、私達から、技術を教えてもらったら、すぐにやめる人もいました。


TAKESHIは基本的に、セラピストになりたい、という人がいたら、喜んで技術を教えてきましたが、ここで少し立ち止まる事になりました。
技術指導をすることは、会社として、大変労力のかかる仕事であり、技術流出というリスクのあることなのです。そのためにからだ・はうすは、社員の契約や技術研修に関しても、大きく変化しなければならなくないました。


それと同時に、私のパートナーから、一つの提案が出ました。
それは、その当時の「からだ・はうす」が、たくさん来店されるお客様のトリートメントをこなす事で精一杯の状態にあったために、ひとりひとりのお客様に対して、充分に心のこもったおもてなしが出来ていない、という事でした。


会社としては、たくさんのお客様が来店されて、繁盛する事は大切な事ですし嬉しい事です。
しかし、パートナーのセラピストとしてのプライドが、それを許さなかったようです。
彼女は、ひとりひとりを大切におもてなしをするサロンを作りたいと言いました。
お店の設備、技術、接客を今のからだ・はうすよりも格段レベルアップすることを考えていたようです。


最初、TAKESHIは、こんなにはやっているお店があるのに、どうして違うスタイルを作る必要があるか、理解できませんでした。
しかしながら、彼女の熱意と感性を信じて新しい、ブランド「ヒーリングサロン・シャプラ」を
この世に生み出す事になりました。
2004年の春の事です。


そして、彼女が生み出した「シャプラ・ブランド」は2006年の現在、「からだ・はうす」の中心的な存在に育ちつつあります。それは、時代の変化にいち早く察知し対応したパートナーの功績です


その背景には2004年頃から、乱立してきたアロマテラピーやリフレクソロジーの個人サロンとトーリーメント料金の大幅な低下、そしてこの業界全体の技術および接客サービスの質の低下による客離れがあります。そのために、個人サロンの経営はうまくいかず、私達のからだ・はうすも、お客さまの減少という影響を受けることになりました。


そしてさらに、資本力を持った全国チェーン店の地方への進出が起こり、有名な商業ビルに、リフレクを中心としたお店が、生まれるようになってきたのです。綺麗に作られた、それらの店舗は、地方の人たちにとっては、とても魅力的に映りますし、丁寧な接客はやはり全国チェーン店ならではのものがあります。


この2つの時代の流れの中で、鹿児島出生まれた「からだ・はうす」という会社が、今以上に成長するためには、私達自らが大きく変化しなければならなかったようです。

次回は、「シャプラ」誕生です。


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