たなごってブログ

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吾輩のオタク回顧





高校時代にロック&ポップスに目覚め、毎日音楽を聴かねば、手が震えてくるといった云わば、渋谷陽一の云うところの「中毒」に近い状況になってしまいました。これでは受験勉強に熱が入るはずもありません。これはもうどうすることも出来ず、当時は少ない小遣いの中からLPをちょこちょこ購入するのが最高の楽しみでした。足りない部分は丁度、友達がよく吾輩の好きなジャンルのLPを買って(くれて)いたので厚かましくも、マクセルのUDカセットテープに録音しまくってました。

不幸にして浪人生活に入ったとき、大学に入ったら聴くだけでは飽き足らないので、バンドをしようと思っていましたので、シンセを買おうと京都市内のW楽器店に行きました。そこで一世を風靡したヤマハのDX7を初めて見たのですが、「これは凄い!しかし買えない・・・。」当時確か25万円くらい。仕方なく、ヤマハのエレピシリーズの最下層:CP7(今ではCトーン以下の代物!音の強弱なし。同時発音数も8音のみ!MIDI無し。音もしゃがれた二音のみ。)を購入。当日それでも7万円!もしたのですが、それなりに立派にこの機材は吾輩の冴えない浪人生活を支えてくれました。適当に作曲して、色々な曲を弾くのが唯一の楽しみであったとも云えます。

大学に入ると、バンドを始め、いよいよ夢のDX7へと思ったのですが、ひとつ上の先輩がDX7の弟分DX21を購入。こうなると、すぐ人と差別化したがる吾輩は、ヤマハに対抗して「吾輩はローランドでいく。」てなもので、ローランドを贔屓にし、α-JUNO2を購入。吾輩にとって初のシンセで今でも思い出深い機種です。
当時坂本龍一がよく使っていたメタリック系の擬音やエレピの音はDX7のデジタルのイメージを大いに普及させましたが、逆にローランドは、ストリングスやブラス系の「アナログ音」をどちらかというと得意にしており、吾輩にとっては丁度差別化するには最適でした。よってピアノ系を主体としたオーケストレーションをアレンジするのが段々と趣味になってきてしまったのです。

次に欲しくなってくるのが今では当たり前でしょうが、当時のいわゆる多重録音機です。マルチトラックレコーダーMTR、TEACのTASCAM PORTA2を購入しました。
カセットテープのLRの両面を一方通行にして、4CHを確保し、ピンポン録音で10回も音入れが出来るという代物です。しかしピンポンを繰り返すと当たり前ですが、音質は悪くなるわ、折角PANで振った楽器の音がすべて真ん中に行ってしまうわで、あまり多用するのは得策ではありませんでした。ましてや、記録速度も標準でしたので(のちに倍速なども出てきた。)音質が元々良くありませんでした。
それでも、生ギターを突っ込んだり、ヴォーカルを入れたりしながら、兎に角はまりました。暇な大学生なものですから、寝食を忘れて取り組んでしまい、昼に作業が始まり、夜は延々と。結局翌日の昼までやっていたということもありました。とにかく音がどんどんと重ねられていくあの途中途中の確認時の快感は、いつも「俺って天才ちゃうか!?」の恍惚とした感覚とともに、より増幅されていったことは間違いありません。
この頃には、ドラムマシーンRX7(これはヤマハ・・・)に加え、シーケンサー内蔵シンセ:カシオ(型名忘れた。)をMIDIで結合し、作曲した全ての曲は、まずはドラムパターンをベースの旋律でまずPANを真ん中にあわせ、MTRの1CHにはめるようにしました。そこから、2CH以降にピアノ系、ギター系などをはめ込んでいく手法を固定しました。

そうこうしているうちに、ディスクトップミュージック(DTM)という言葉が段々と音楽雑誌に出てくるよふになりました。いわゆるMIDIを使ったPCで作曲する音楽ですが、誰よりも早くやりたい!という気になってきました。
社会人になったときに出たMACのクラシックにEZビジョンの作曲ソフトが、SOFMAPで絶賛されてましたので、初ボーナスを全額投資し即購入。当時、シンセと別の用途で持っていた、本物のエレピ:RHOSE(これは、別ページで述べるが、ジェフベックのLP「ブロウバイブロウ」の「スキャッターブレイン」のあの殺人的フレーズと間奏ソロを弾きたくて買ってしまったのである!これは大阪の楽器店で中古を見つけて当時衝動買いした!)をなくなく売っぱらい、ローランドがローズを買収したその名も「ローランド・ローズ」のエレピ(当時35万円位を中古で30万円くらいで買った!)を音源モジュール:SOUND CANVAS初代機(発売して間もなかった)とともに購入。これでよふやく真の作曲に没頭できる!新境地を開拓できる!と恍惚とした気分になったことを覚えています。
それまで今と違い、PCなど触ったこともなかった吾輩でしたが、MACは実に使いやすく、MIDIで接続しローズの鍵盤を入力キーにしながら、ドラムもベースも全て打ち込み、あとはクオンタイズ等で調整するのが実に面白く、完全に吾輩の今迄の作曲の常識は360度変わりました。何度でも調整がきくからです。「これはいい!」
今迄、ありふれた手癖つきのいかにも「自分」というよふなフレーズしか出来なかった世界が、結構自分にとって未知のフュージョンの世界などの表現もできるよふになったのです。
社会人になってからも会社の部活でバンド活動は続けていましたが、オリジナル曲を最初に伝えるときは、このように実にわかりやすい形で出来るようになりました。

しかし・・・・最近どうもいけません。改めて思うのは、こういう機材に対する執念、作曲する意欲、、、、これは結婚し、子供が出来ると少々気持ちが萎えてきています。つまりここもう10年近くはそういう状態に近いかもしれません。吾輩が云うのも何ですが、15-20年前には人よりも先進的なことをやっていたような自負はあるのですが、あれから正直自分自身進歩していません。全く意欲がないわけではなく、「作曲」つまり何かを創造するというエナジーは、やはりハングリーな方が絶対にいい、ということを痛感している今日この頃です。決して生きる意欲がなくなったわけではなく、逆に今のほうが色々な意味で生きる意欲は莫大にありますが、「少しアナーキーに、世の中を斜めに見て・・・中央に対してコンチクショー」の反体制的精神がやはり、結婚したりして落ち着くとどうしても削がれます。この意識がないとどうしても創造意欲が落ちます。著名な小説家や作曲家も、例えば失恋したときなどに良い作品が出来たということもありますがまさにそれを表しているかもしれません。
よく大成功した大物ロックミュージシャンが、いい歳になるまで延々と世界ツアーや全国ツアーなどしている方々がいますが、彼等もきっとバンドを始めた当初と今とでは、随分表現する真の気持ちがきっと違ってきているのではないかと勝手に思っています。「何故ずっと続けていられるか」というとそれはやはり「生活のため」という風になってしまっているのではないでしょうか。アーティストも「納期に縛られ、作品を世の中に出して、儲ける」という資本主義社会にどっぷりとはまった「納期人間」にならなければきっとパワーを自発的に出し続けるのは難しいと思います。納期も採算も度外視した「好きなときに作品を造り、好きなときに作品を出す」といったファインアートの世界は今やこの世の中には皆無かもしれない、と思います。

話が完全に横道に逸れましたが、作品を造るという行為は、自分の生きた証しを残すという種の保存の法則にも近い、極めて人間的な行為のひとつではないかと思っています。これからも全くきばらずにぼちぼちとこの活動も続けていきたいと思う今日この頃です。    〆


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