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●『規制なき自由は国を滅ぼす』
『規制なき自由は国を滅ぼす』
田中 雅 月刊文芸春秋〈特集 ビッグバン大戦争〉 1998年掲載文
「ハイリスク商品は、一般の投資家には売ってはいけないものなのだ」
日本ではビッグバンを目指して金融規制をかつてない勢いで緩和している。
しかしながら、このようなときにこそじっくりと考えてみなければならない事がある。それは、有効な規制の核を持たない規制緩和は自己破壊であるに過ぎず、国を滅ぼしかねないという事である。
トレンドと逆行するようだが、日本におけるビッグバンの成功をより確かなものとするためには、あえて真に必要な「規制」を強化し機能させるべきである。
私が本拠を置く自由と寛容の国オランダの金融改革は、欧州の先頭を切って70年代末から行われた。その成果は十七年後の今日見事に結実している。
先物取引の失敗で崩壊しそうになったベアリング銀行を、約800億円の債務と引き替えにたったlギルダー(60円)で買ったのは、九州ほどの広さしかない小国オランダのING銀行だった。
当時日本の銀行も買い手として登場するかと取り沙汰されたが、すでに体力を失っていた日系の銀行で名乗りを上げる所はなかった。
世界最大の信託ファンド、ロベコもオランダにある。オランダの税制は日本と逆で、個人のキャピタルゲイン(投資投機の資産運用収益)はいくら高額であっても無税だ(注:その後税制改革で一律のキャピタル保有税が導入された。しかし原則としてキャピタルゲインそのものは非課税原則で変わっていない)。
資産管理と投資のノウハウが蓄積された金融先進国オランダから日本にやってきて、私は金融ハイテク技術についてたびたび講演を行い、専門家と交流の機会をもつが、日本はビッグバンを、バブル再来と勘違いしているのではないかと思えるほど、その期待と認識に甘さを感じる事が多い。
ヘッジファンドは世界の金融市場を駆け巡る膨大な投機資金の一形態である。経済の現代史を支配したイデオロギーの崩壊後、それに代わって「ホットマネーという妖怪が地球を彿梱する」時代となった。
ヘッジファンドは、しばしば国家経済の基礎である通貨をすら脅かすために、金融秩序をみだす元凶のように言われることもある。
ヘッジファンドが世界を股にかけて自由に利益を追求できるのはその運用手法が全く規制されていないからである。ところが、ヘッジファンドとはいっさい規制されていないのかというとそうではなく、動かしがたい厳しい規制があり、この掟と引き替えにして、ヘッジファンドには限りない自由が許されているのである。
その掟とは「一般投資家にはファンドを提供してはならない」という規定である。
ヘッジファンドはヘッジするからヘッジファンドと呼ばれる。
ヘッジとは投資資産の価値の下落を防ぐ為の、一種の保険である。
勃興期のヘッジファンドの場合、その投資資産は米国株の買い建てであった為、株の「空売り」がこの保険すなわちヘッジの役割を果たした。
空売りとは何かというと、本来持っていない株を、一定期間後に買い戻すことを条件に借りた形で売ることである。
通常は、株は安く買い、高い時に売って利益を出すのが基本だが、空売りの場合は値下がりを期待して売る。
売りの値段が高く、買いの値段が安ければ、その差額が利益となる。
普通の「買い」と「空売り」を同額組み合わせた場合、互いのリスクはヘッジされているので、相場の上下による損失は買いと売りとが打ち消し合って消滅してしまう。
ただしこの場合は収益も打ち消し合って全く儲けを出す事が出来ない。そこで実際には、買い資産は、値上がりを期待して買うのだから小型優良株を買う。
「空売り」の資産は、値下がりを期待するから小型のポロ株を売るのである。
それを同額ずつ行ったとする。バブル期のように市場価格が上昇している時には、優良株はぐんぐん値上がりし利益となる。同時にボロ株も、それにつられて値上がりし、損失となる。
しかし、ボロ株は優良株と比べて上昇が遅いから、差引すると優良株の値上がり益が上回り、得をする。
「ヘッジファンドは砂漠のオアシスか」
ヘッジファンドはバブル崩壊後の様な下落期間中でも収益を上げる。このような状況下では優良株も市場価格の全体的な下落につられて値を下げるが、ボロ株はさらにはずみをつけて暴落する。だから、優良株では損をするが、差引するとボロ株での空売り分の利益が上回り、それでやはり得をする。
こうした手法は両建て取引と言われ、リスクも限られているが、収益も又限られている。
そこでヘッジファンドは、実際にはこれに信用取引を適用してファンドの何倍もの名目資金で運用し、高い効率で収益を上げようとする。その分収益もリスクも増加し、有名なヘッジファンドは、年率30~50パーセント近い運用実績を上げる事も可能となる。
これが古典的ヘッジファンドの取引手法である。
と、こんなふうにバラ色の世界を描いていくと、当然、そんなに良いものなら誰にでも出資できるようにすべきだと思うのが普通だろう。特に、一般投資家は金利収入の道は閉ざされ、株を持っていても損をするような状況で、勝つ手段がすべて封鎖されている。
ヘッジファンドはまさに砂漠のオアシスのようなものと思い込んでしまうのも無理はない。
しかしヘッジファンドは決してそのようなものではない。
ヘッジファンドには特有のリスクがつきまとう。
まず資金の効率を最大限に生かす目的で積極的に高い倍率の信用取引をするが故に、そのリスクが大きい。さらに、現代のヘッジファンドは、世界経済の変化を地球規模で取引する事が多く、もはやヘッジ戦術で自己防御していないファンドも多い。いわゆるグローバル・マクロプレイという投資スタイルで、有名なジョージ・ソロスはこの流派に属する。
これらのファンドは大規模収益を上げる一方、損失も大規模となる事が多い。
さらにほとんど全てのヘッジファンドは、流動性が低く、特殊シチュエーションにある非効率的な市場を好んで取引する。これらの市場は機関投資家の手が及んでいないものが多く、しばしば有効な利益の源泉がまだ十分取り残されているからである。
しかし、非効率な市場は未熟な市場であることが多く、予測しがたいハイリスクが伴う。
さらに、ヘッジファンド運用者の多くは模倣を嫌うマネーの芸術家である事が多く、独創的な着眼点で革新的な新手法を創造的に編み出していく。
こうした先駆的運用にはそれ特有の未知のリスクが付きまとう。
今の日本のように市場が低迷していると、一般投資家は勝つ術がない。ヘッジファンドは儲かるんだ、儲かるんだというようなことを聞かされるとだれもが興味を持ち、そして、自分も出資してみたいと思うだろう。ビッグバンなんだから、断固規制緩和すべしという雰囲気も出てくるだろう。これは甘い期待である。
日本では投資者の自己資任ということが強調されているが、一般投資家とは、リスクを回避する実行力も手段も判断する情報も持ち合わせていない人たちのことをいう。さらに損をしてもそれに耐えられない人々である。
このような一般投資家には自己責任能力はないのである。そういう人たちに、こうした手の届かない情報を与えることは、いたずらに飢餓感を煽るだけである。
だからこそ、ヘッジファンドはメディアにたいしては秘密主義となりやすく、またそれゆえに深刻な誤解も発生しているのである。
ヘッジファンドの適正出資者は機関投資家か、富裕個人投資家に限られている。
米国証券法で定められた規制以外に、ファンド自体の自主規制で適正投資家が限定されている富裕個人及資家の参加は、通常その純資産額により限定される。
自ら居住する不動産を除く純資産が2億円程度以上あれば、富裕個人投資家と見なされ、出資が許されるファンドが多い。
富裕層であれば、仮に運用に失敗しても深刻な事態に陥らないだろうということを想定しているわけだ。
アメリカ証券取引委員会は、規制しない場合保護もしない。「きちんと責任が取れるなら、自由にやりなさい、我々は干渉しない、そのかわり損をしても知らない」ということなのだ。ハイリスク商品は一般投
資家には決して売ってほならないという原則を厳しく機能させ、その上で自由を保障すればいいわけだ。
その制度を具体化するのが大蔵省や日本銀行の知恵であり、重大な役割である。
規制なき自由がビッグバンであると勘違いしてはならない
(完)
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