歎異抄を学ぶ

歎異抄を学ぶ

永代経法話


ご多忙の中、お越しいただけ誠にありがとうございます。

私はまだ修行中の身ですので、面白い話とまではいかないでしょうが、お耳を貸して頂ければ幸いです。

さて、本日は、永代経法話というテーマでお話をさせて頂きます。

皆さん、永代経ってどんなものかご存知ですか?
永代経というお経はございません。
永代経の永代とは、永久という意味です。

つまり、分かりやすく言いますと「いつまでも」ということです。

浄土真宗以外の宗派においては、永代に追善供養をするというのが「永代供養」の意味で知られています。
では、浄土真宗ではどのような意味で永代経をつとめているかと申しますと、「歎異抄」第五章に「親鸞は父母(ぶも)の孝養のためとて、一返にても念仏もうすたること、いまだそうらわず」という有名な言葉がありますように、追善供養ということを否定しています。

釈尊(お釈迦様のことです)のお説きになられた経典には、追善供養あるいは追善回向による功徳のことが各所に述べられていますが、親鸞聖人がこれを否定されたのは次のような理由からだと思われます。

1.追善供養は不必要というものです。
これは阿弥陀如来の大きな救いの力(弥陀の本願)をわが身にわが心に受けますと、自分の小さな追善供養など全く必要がないことを知らされます。
昼間の太陽の光の下で、懐中電灯を灯しておく必要がないのと同様です。

2.わが身は自力の善根をつめない身であるから真実の追善供養が出来ないのです。
如来の救いの光の中に照らし出されあるがままのわが身を知らされますと、善根をつもうとしても何一つつめないわが身であることが知らされます。
泳ぐことが出来ない人が、溺れている人を助けようとしても一緒に溺れてしまうというのと同様です。
助けることが出来る身になることが一番肝要ということになります。

これらのことから永代経法要をつとめるのは、先亡者に対して追善供養するのが目的ではなく、私たちを助けてくださる阿弥陀如来の本願の説かれている浄土三部経(仏説大無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)がこの世に苦悩に迷える人々のいる限りいつまでも絶えることのないように、つまり永久に子々孫々に至るまで人々が如来の本願による救いにあえるようにするためです。

ちなみに、永代経に進納された御懇志は教法を護持し、人々に伝えるための拠点である寺院の維持と機能が存分に発揮出来るようにするための資金として使われています。

本日は、つたないお話ではございましたが、ご清聴ありがとうございました。



と、言った感じで私の20~30分用の法話をさせて頂きました。


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