その後配膳してあった昼食を食べましたが涙でちょっとしか食べられませんでした。
(残った分は旦那が食べてくれました)
それからはとにかく慌しかったです、悲しんでいられないくらい。
看護婦さんが葬儀屋さんのパンフと産後のケアの紙を持ってきました。
でも産後のケアの紙には「おめでとうございます!」と書いてあって超無神経~!
「これしかなかったからごめんなさいね」とは言ってたけど、そこ折り曲げてコピーくらいとれないの?と思ってしまった。
葬儀関係の事は全部旦那にまかせっきりにしました。
後産の痛みが時々襲ってきてベットに横にならないといけなかったから。
人それぞれ色んな考え方があると思うけど、ウチは「また戻ってきて」欲しかったのであえて大げさに色々しませんでした。
あんまり大袈裟にやっちゃったらハルが帰って来にくいだろうと思って。
お骨も本来なら旦那の実家のお墓に入れるべきなんでしょうけどあえて沢山のお友達も一緒だろうと天使ちゃんたちの共同墓石に入れてもらう事にしました。
色々済んだらもう外は夕焼けでした。
それも本当に空一面茜色でとっても綺麗だった。
「きっとあの子が旅立ったから神様がとびっきりの夕焼けにしてくれたんだね」
夜になって看護婦さんが「明日の検診の結果が良ければ退院できますよ」との事。
早いな~と思ったけど早く家に帰りたかったので嬉しかったです。
家族が帰った後一人になったら涙がとめどなく溢れてきました。
「何で私がこんな経験しなきゃいけないんだろう?」
「あの子が死んでしまってどうして私だけ生きてるの?」
本当に一緒に死んでしまったらどんなに楽か、正直そう思いました。
泣いてるところに看護婦さんが検温にきて「大丈夫?」とも言ってくれなくてそれもまた悲しかった。
精神的にとても不安定で、ひとしきり泣いたら今度は全部終っての安心感かTV見て笑ったり・・・。
食欲も悲しいかな結構出てきて母が持ってきていたお菓子を食べたり個室には予め飲み物が入ってるのでそれを飲んだり。
悲しいけど家に帰れるのは妙に嬉しくて、私って結構冷たい人間なんだなと思ってしまった。
次の朝、検診後おそらく帰れるだろうという事で母に早くから来てもらい荷物をまとめました。
旦那はこれ以上仕事が休めないので仕事に行ってもらいました。
検診はいつも9:30頃だったのに10:30くらいまでお呼びがかかりませんでした。
診察は特に問題ないでしょうとの事。
今回の流産は子宮頚管無力症なのか感染が先で子宮口がひらいてしまったのか不明で、次回の妊娠は子宮頚管を縛った方がよいそうです。
診察が終ると看護婦さんに呼び止められて支払いの説明、そして何時ごろ退院するか聞かれました。
なんか「終ったらさっさと帰って!」と言われてるようでなんか感じが悪かった。。。。
支払いを済ませたけど一向に誰も来なくて「退院ってそんなもん?」と思った。
ナースステーションも誰も居ないし、困ったあげく会計に居た助産婦さんに挨拶したら
「はぁ~おめでとうございました~」だって!!
知らないんだろうけどちょっとこれは酷い!悲しかったけど気にしませんでした。
部屋を後にして忘れ物があったので取りに行くともうすでに掃除をしていて本当に気分が悪かった。
やはり誰も来ないけどタクシーも待たせてあるので病院を後にしました。
医療関係者さんに言いたいです!無事に出産した人より流産など悲しい結果だった人にこそもっと気配りして下さい!!!
久し振りといっても数日間の入院でしたが、我が家を懐かしく思いました。
家の中は少しも変わらないのに数日前とは全く違う現実にとまどいました。
居間や2人の部屋などにあった妊婦関係の雑誌や両親学級でもらった赤ちゃん用品などは旦那が片付けてくれたようで目に付かなかったのが嬉しかった。
旦那に無事退院した事をメールし、久し振りにPCに触った。
これからいつもと変わらぬ生活の中でこの現実をどうやって受け止めていけばいいのか分からずひたすら呆然とする日々を暫く過ごしたのでした。