雑感ワールド

入学式を終えて


昨日入学式が行われ、今期(第58期)の入学者三学部(文経法)1516名中、老若男女約1000名が慶應義塾大学三田キャンパス西校舎ホールに出席した。その中に自分が居ることに不思議さを感じ、また多少の違和感を持った。つまり、実感がわかないという正直な気持ち。卒業したら最終学歴は慶應義塾大学卒になる。これも実感がない。でも、安西祐一郎塾長の式辞の中で、「慶應義塾社中は世界のトップリーダーであり、その中にいる皆さんは大いなる誇りを持ち、これから始まる塾生生活の中で新たな自分を再発見してほしい」というメッセージがあった。この時、妙に新鮮さを感じた自分があった。この仕事で一期一会で様々な人と出会った。そんな中「阪神淡路大震災」が私の心の転換期であった。助け合う人。ボランティア活動。神話崩壊。目に見えるものへの執着。おごり。目に見えないものへの価値観。天の怒り等々。このころから「人間」に関心が注がれた。「人間の存在とは?生きるとは?死とは?」「環境とは?天とは?神とは?」いろんな疑問を持ち始めた。これらに関する書物も読みあさった。心の中の燻りを持ち続けて数年、今年それに新たな刺激を注入したのが中学受験で必死に頑張る息子の姿だった。努力のかいあって希望校に合格した。合格という結果は歓喜に満ちたものであったが、それまで彼の頑張り、目標達成に向かう姿勢等の影響で自分の心が徐々に開花し始めた。また、ここ数年の家庭環境で人間が解らなくなり始めた。人間が解らなくなると「自分」も解らなくなり始める。こんな経験は初めてだった。「俺は一体何なのか?」―この時から「自分探し」に入っていった。
人生は居場所の確認作業だと思っている。人生を送る中で様々な環境に出会うがその確認作業で「居場所」が確認されたら、人は「生きてる」と思うのだと思う。自分も同様、無意識に確認作業を実践していた。その確認作業に後押しをし、「居場所」へ扉を開いてくれたのが息子であった。自分の居場所がまさか慶應義塾大学にあるとは思わなかった。そして自分の大きなテーマである「倫理学(人間道徳)を柱とした哲学、社会学、心理学の探求による多元的な【人間学】の研究」の受け皿が慶應義塾大学にあるとは思わなかった。本当に心から息子に感謝したく思う。
縁って不思議である。自分が師と仰ぐある僧侶は「縁とは人間の意志・努力では到底及ばない所で決定される条件」と言われた。しかし縁にもいろいろあって、いい縁、悪い縁、様々である。また、ある学者がそのいろんな縁をどう受け止めるかが人生の醍醐味とも言われた。でも今回は素直に「いい縁」と自分自身受け止められる。この縁がそれこそ人間の意志・努力では到底及ばない所で決定される天の導きであるなら、心から感謝したい。そしてこの縁を大事にし「慶應義塾大学卒業」に向け無理せず頑張ってみようと思う。今はあれだけ頑張った息子を誇りに思うし、そう思った時、親として束の間の幸福感・安堵感を覚える。ただ、自分がわからなくなり、迷走していた自分が居場所を確認し、自分を発見し、そして塾生生活でまた新たな自分を再発見する環境に置かれていることだけは確かである。
自分自身の事だけに関して言えば、取りあえず「無意識で行った居場所の確認作業は終幕」であるということである。そして、塾生生活を通じて得られる知識・教養・思考力・判断力は必ずや自分が人として生きる糧になるだろうと思う。
安西塾長が言った「知の喜び」を感じてみたい。     平成16年4月30日


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