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いつの間にやら随分時間が経ってしまいました――大変ご無沙汰しております。sabo天ママでございますこんにちは。姫の大学入学後の話やら、他にも書きたい事は山ほどあるのですが、暫くブログを書けない(どちらかと言えば「書く気になれなかった」といった方が正しいかも)状態が続きまして――実は6月に実家の母が入院・手術をしました。病気は大腸癌。きっかけはかかりつけの診療所で受けた健康診断。レントゲン(胸部)と便潜血検査で引っ掛かり、私も以前お世話になっていた総合病院を紹介され、精密検査を受けたところ、肺の方は異常無しでしたが、S字結腸の近くに癌が見つかりました。既に内視鏡では取り切れない大きさとの事で、入院・手術。手術直後の主治医からの話では、幸い他の臓器には転移は無く、目で見える癌は綺麗に取りきれたとの事でした。以前から「最近便が細くなってきた」って言ってたから、「一回きちんと診てもらったら?」って、言ってたんですけどね。祖母の介護などもあって、自分のことは後回しになってしまってもう何年か早く検査を受けていたら、内視鏡検査で取ってお終いだったかもしれないのに──我が家の家系は、脳卒中等、血管系の病気で亡くなっている人が多く癌は聞いた事が無かったので、意外でした。おまけに、母は若い頃から快便な方で「妊娠中でも便秘になった事はない」って言ってましたからね。大腸癌は便秘の人がなり易いといわれているので、便秘な私は、母以上に要注意かも。まあ、今は「生涯で、2人に1人は癌になる」と言われているそうなので、癌の罹患は決して珍しい事ではない様ですが。でも、それを頭では理解していても、家族が癌になるというのは、やはりショックでした。現在は自宅療養中の母。便秘になると腸閉塞の恐れがあるので、便を出す薬を服用中。そのせいで、1日に何度もトイレに行くのが大変みたいです。今後は2~3ケ月に一度は検査など、最低5年は通院加療の予定。便通だけでも、元通りになるのは1年くらいかかるとの事。主治医からも、「経過は良好」と言って頂いているのですが、ただ一つ気になっているのは、手術で取り除いた腫瘍の組織検査の結果、ごく僅かながらリンパに転移が見られたため、再発を防ぐ為の抗癌剤の服用を勧められている事です。よくドラマなどで出て来る様な、激しい嘔吐や髪の毛が抜けたり等の強い副作用が出るものではないらしいのですが、それでも多少の副作用はあるとの事となので、元々胃が弱くて、風邪薬でも胃を悪くする母の事、今は体調回復を優先に、抗がん剤の服用は見合わせています。それでも抗癌剤を使用して、100%再発が防げるなら多少無理しても飲む価値はあるのかもしれませんけど、主治医の話によると、飲む場合と飲まない場合の差は、10%程だとか――つまり、抗癌剤を飲んでも飲まなくても再発するかもしれないという事。――もう歳なんでね。なるべく無理はさせたくないんですけど・・・難しい・・・今一番の悩みどころです。 暫くご無沙汰している間に表示方法が変わったみたいで タグと、今までよりちょっと行間を変えてみました。 最近近いところが見にくくなって・・・ トシだわ WEB拍手設置してみました。 出来ましたら拍手お願いしますw(メッセージも送れます)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑↓PVランキングにも一応参加しておりますw↓
2017年10月25日
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まだ更新していない分もありますが、今日はリアル日記をば。姫が風邪で寝込んだ(・・・って言う程大層な事は無かったけど)と思ったら、昨日、普段あまり風邪を引かない夫まで発熱してしまいました。会社でどうも調子がイマイチなので、体温を測ったら熱があったそうです。取り敢えず、会社の中にある診療所で診てもらって、薬を貰ってきたとの事。こちらも微熱で姫同様インフルではなさそうですが、「今週は忙しいから休めない」と言って、今日も出勤しました。大丈夫かな・・・我が家で発熱していないのは、何と一番風邪を引きやすい筈のワタクシめ一人。――といいつつ、そういうワタクシめも、昨日あたりから何やら喉がいがらっぽくて、少々咳が出ます・・・(をや?)ま、この時期は花粉やら黄砂なんかで、毎年こんな状態なので一概に風邪とは言い難いのですが・・・主婦としては、今倒れる訳にはイカンのでマスクを付け、予め貰っていた薬を飲んだり、うがいをして何とか乗り切ろうとしております。――どうなる?!sabo天家・・・ WEB拍手設置してみました。 出来ましたら拍手お願いしますw(メッセージも送れます)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2013年04月03日
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バックデイト日記、鋭意更新中(汗)※順番ランダムに更新してます。 思いついたものから更新してますのでお許し下さい。祖母が亡くなってから、早いもので1年が経ちました。なんか、経ってしまうとあっという間だった様な。でも、1年経って落ち着いたかというと、なかなかそうはいきませんで・・・家族を亡くされた方ならお分かりかと思うんですが、色々やる事があって、「お葬式が終わったらそれで終わり」っていう訳にはいかないんですよ。死亡届は勿論ですが、健康保険や年金やら様々な手続きがあって特に銀行口座の手続きがですね・・・これが非常にややこしい。「原戸籍(=はらこせき)」といって生まれてから亡くなるまでの戸籍謄本が必要なんですが、これが結構大変。祖母の場合、なんせ100歳超えてましたからその間戸籍って何度も改正されてるから、それだけで何枚もある訳で、転籍を何度もしてる様で、その分を全部取らないといけない。普通の戸籍謄本とは、また違うんですよね。(今はわざわざ当地に行かなくても、居住地の市役所から何処の謄本も取り寄せ出来ますけどね―― 日数は掛かるけど)他にも色んな書類を準備したり、書かないといけないので高齢者の方だと大変ですよね。専門で代行してくれる人もいますから、そういう人に頼んだ方が本当はいいのかもしれません。亡くなった事が銀行に知られると、すぐに口座が凍結されてしまうので相続するには、金額の多少にかかわらず、この様な手続きが必要になるのです。もの凄く手間なので、こんな事を言っては不謹慎ですが「ちょっと危ないかも」という場合には、先に預金を下ろしておくのも一つの手だと思います。(銀行の人自体がそう言っていた)勿論、こういう事は、家族や相続人の間で元気な時に取り決めしておく事が重要ですね。でないと後々トラブルの元になりますから。で、最後まで残っていたその手続が、この日漸く終わってですね――(本当はもっと早めに手続きすべきなんですが・・・まあ色々ありましてね)何とか一段落つきました。それともう一つ、時間的には前後しますが、1周忌を迎えて祖母のお骨を納骨するにあたり、古くて傷んでいたお墓を新しくしようと。実家のお墓は土台は一般的な御影石なのですが、墓標に使われているのは砂岩で、昔は今と違って手彫りなので柔らかくて加工しやすい砂岩がよく用いられたのだとか。(確かに比較的新しいお墓は皆御影石だけど、古いお墓は殆ど上部が砂岩だった)柔らかいという事はそれだけ衝撃等に弱いワケで――実家のお墓も長年の風雪に耐えきれず、少しずつ侵食されていてとうとう角が一部剥げた様に、大きく欠けてしまっていました。このままでは墓相にも悪そうだし、大きな地震が来たりしたら崩れるのは必至なので、今回、いい機会なのでお墓を新しく建てようと決めたのでした。1周忌に間に合う様、お寺の出入りの石屋さんに、お寺の方から頼んでもらいました。お寺の方は、永代供養料が入る「合同碑」の方に入るのを勧められたのですがね。いや、まだ両親が居るし、嫁に行ったとはいえ私がおるではないか。姫にまで実家のお墓の面倒を見ろとは言わないけど、私が元気でいる間は、何とか面倒を見ていきたいと思う訳です。(坊さん、足元を見とる)石屋さんによると、土台はまだまだしっかりしていて、全部変えてしまうのは勿体無いから、上の部分だけ御影石で新しくしようと。下の土台は薬剤を用いて、綺麗に磨くんだそうです。全体をごろっと新しくするんだと思っていた私達はちょっと驚きましたけど、まあ、その道のプロである石屋さんがそう仰るんだから、お任せしました。お墓を建てるにあたり、過去帳(=仏具の1つで、故人の戒名(法号・法名)・俗名・死亡年月日・享年(行年)などを記しておく帳簿:Wikipediaより)をきれいに整理しようという事で、お寺の過去帳と照らし合わせをしてもらったのですが、戒名だけしか分からない人とかが何人も出てきて・・・そもそも、何でお寺が分からないのかがよく分からないんですけど・・・昔は親戚で無くても、親しくしていた知り合いを、自分の家のお墓に入れる事なんかもあったそうです。それにしても、戒名だけで生前の名前や逝去の日も分からない人が何人もいるとか、お寺の管理としてどうなのよって。祖母も亡くなってるし、お寺も代替わりしてるし、今となってはその辺分かる人がもう誰もいないんですよね。まあ、戒名しか分からない人は、仏さんのいない日に入れる事にして何とか過去帳整理は終了(無理矢理感満載・・・)そして、お墓も1周忌までに綺麗に出来上がり、無事に祖母の納骨も済ませたのでした――(姫が中間テスト前だったので、納骨の際お寺に行ったのは実家の両親と夫だけ、我が家は姫のテスト終了後、 あらためてお墓参りをしました)これで何とか全て無事終了。・・・なんて言ってる間に、来年は3回忌ですけどね。――ホントに色々あるなぁ。(実際に大変なのは実家の方なんですけどね) WEB拍手設置してみました。 出来ましたら拍手お願いしますw(メッセージも送れます)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2012年11月06日
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こちらも昨日UPする予定が出来ませんでしたその日の分はその日に上げたいんですけどね・・・今朝のニュースを見ていたら、東京の方は雪が降っていましたね。駅の屋根が薄ら白くなっていて、少し積もってた様な・・・こちらの方は、結局雨のまま雪にはならず、朝方にはほぼ止んでしまいました。途中で細かいのは時々降っていて、雪になるまでは気温が下がらなかったみたいです。こちらでは年に1回積もればいい方ですからね。来週は寒くなるそうなので、もしかしたら雪が降って、積もるかもしれません。そんな今日は、祖母の百か日でした。四十九日の時の様に、お坊さんに来てもらう事も考えましたが色んな人に聞いてみると、お坊さんを呼んでお経をあげてもらうのは大体四十九日までで、百か日まではあまりされないという事だったので、実家でも今回は実家の両親と私だけで、お供え物をして、手を合わせて来ました。お葬式から四十九日よりも、四十九日から今日までの方が早かった様な気がします。こんな感じで、初盆も、一周忌も、あっという間に過ぎて行くんでしょうね。でもいまだにスーパー等に行って、祖母が好きだった食材を見たりすると「あ~、あれ好きだったなー。これも食べてたなー」なんて思ったりします。これはいつまで経っても変わらないんだろうと思います。両親と一緒にお供え物を買いに行って、母の知り合いの人に出会い母が今日が祖母の百か日という事を言うと、「これ、おばあちゃんにお供えしてあげて」と、お菓子を頂きました。祖母が亡くなってから、色んな方にお供えを頂いたり、手を合わせてもらいました。生前、複数のデイサービスにお世話になりましたが、何処でも「笑顔の可愛いおばあちゃん」という事で、かわいがって頂きました。家では認知症が酷くなってからは、かなり両親を手こずらせた祖母ですが、デイサービスでは人気者だった様です。亡くなってからも多くの人に参って頂けるというのは祖母に人徳があったという事でしょうか。小さい人でしたが、母達を養う為に若い頃には力仕事をしていたので意外に力もあって、母ぐらいの歳の時には砂糖が安いと買いに行き1人で20個(一袋1kgだから、20kg)以上持って、歩いて帰って来た事がありました。気丈で、正に「明治の女」という感じでした。次は8月の初盆ですね。(あ、その前に納骨もあるんだわ。どうするんやろ・・・)今度はお坊さんも呼んで、お経をあげてもらい、家族みんなで祖母を悼みたいと思います。 WEB拍手設置してみました。 出来ましたら拍手お願いしますw(メッセージも送れます)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2012年01月20日
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ランダム更新どうもすいませんまたまたバックデイトでございます。早いもので、この日祖母の四十九日を迎えました。四十九日といってもそんなに大袈裟にする事もなく、実家に両親と私、そして仕事を休める事になった夫の計4人でお坊さんを招いてお経を読んで頂くという、こじんまりしたものでした。(姫は今日から期末テスト)四十九日を境に、白木の位牌から塗りの位牌に変わるのですがそこで何と戒名の一文字が間違っている事が発覚葬儀屋さんが四十九日まで色々面倒を見てくれていて、四十九日までの間、ずっとつけっぱなしのろうそくやお線香などは、無くなったら連絡すれば持って来てもらえるし、今回のお位牌もその葬儀屋さんが手配してくれたのですが、「縁」という字が「緑」になっておりました。(夫が気付いた)お位牌を作るのに、葬儀屋さんが白木の位牌を見て、写して帰ったのだそうですが、どうもその際に字を写し間違えたのだと思われ。こっちも四十九日まで確認してなかったのも悪かったけどさ―。字も確かに似てるけどさー。でも戒名と言えば、名前と同じ。普通、間違う?と思ったのですが、お坊さんによると「あ~、よくある事ですよ」との事。――へぇ~、そうなの?でも間違えた位牌を仏壇に入れる訳にはいかず、お位牌の無い、何とも間抜けな四十九日になってしまいました。おばあちゃん、ゴメンよ~お位牌はお坊さんから葬儀屋さんに返してもらってその後新しいものをまた葬儀屋さんからお坊さんに渡してもらいその際魂を入れて頂いて、実家に持ってきて頂く事になりました。勿論向こうのミスなので、至急でやってもらう事になりましたがそれでも5日ぐらいは掛かるそうで、その間はお位牌が無いんですよね・・・まあ、そんなすったもんだはありましたが、四十九日法要何とか終了。後は香典返しを送りに百貨店に行かないと。(一応忌明け当日から1ヶ月以内に行うのがマナーだそうです)それに納骨もしないといけないし。色々見ていると、大体一周忌までにする場合が多いみたいだけど実家のお墓は京都にあって、お坊さんに来てもらうのも大変なので今回の四十九日までは、ずっと葬儀屋さんが頼んでくれたお寺のお坊さんに来てもらっていて、京都のお寺の方にはまだ何も連絡してないんですよね・・・納骨するとなると、前もってお寺に連絡しないといけないので、お寺の方とも相談して、ちゃんと日にちを決めておかなければ。何かと気忙しい日々は、まだ暫く続きます・・・ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年11月30日
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バックデイト日記、もちょっと続きます。この日、祖母の三七日(みなのか)を迎えました。平日なので、当然の事ながら、夫と姫は会社や学校があって不在。という訳で、両親と私だけで実家にお坊さんに来てもらい、お題目を上げて頂きました。しかし早いものですね。あっという間に、もうあれから3週間が過ぎたのですから。この分だと、四十九日とかもすぐに来てしまいそうですね。でも今のところ年金やら健康保険やら銀行預金やら、ややこしい届け出や手続きが色々残っていて、実家の両親にはゆっくり故人を悼む時間は、まだあまり無い様です。でまあ、喪中という事で、喪中はがきの準備をしなければいけません。遅くとも、今月末には全て出してしまわないと。年賀状も、実家の分は毎年私が作っていた事もあって、喪中はがきも実家の分を含めて私が作る事にしたのですが、ここで夫が「自分はどうしたらいいのかな?」と聞いてきた。それまで私は、祖母だから無条件に我が家も今回は喪中で年賀の挨拶は控えるものだと思い込んでおりましたが、いざ調べてみると色々なケースがある様です。考えてみれば、私はお嫁に行って世帯は別になっているし、祖母と同居していた訳ではなく、ましてや夫は亡くなった祖母とは血の繋がりは無い訳だし。これが親なら、話はもっと簡単だと思うんですけどね。「祖母」というのが、何とも微妙で・・・ネットで調べてみると、お嫁さんの方の家の事は夫には関係ないとか、服喪の期間についても実に様々。お中元やお歳暮についても、喪の期間はダメだと書いてあるのもあれば先様への感謝の意を表すものなので、喪は関係なく送っても良いとか――もう、どれを参考にして良いのやら・・・生活のスタイルが昔とはかなり様変わりしているので、若い人たちの中には関係無く、年賀状のやり取りなどもされてる場合もあるだろうし、たとえ喪中であっても、仕事上の付き合い等で必要な場合は、年賀状を出してもかまわないと書いてあるものもありました。要するに、気持ちの問題みたいですね。つまるところは。で、こちらで考えていても埒が明かないので、三七日の日に我が家はどうしたらいいのか、念の為お坊さんに聞いてみたら、「やはり一応喪中という事で、年賀の挨拶は控えられた 方が・・・」と言われました。――う~ん。どーも、そうした方が無難な様な。前もって喪中はがき出すから、年賀状を出さなくても、目上の人にも失礼には当たらないと思うし・・・なんか昔ながらのしきたりって、難しいわぁ・・・という訳で、我が家も今回は喪中です。従って、もう少し先の話ではありますが、年賀のご挨拶は遠慮させて頂きますね~。(でも年賀絵は描きたいな・・・だって「龍」だし←まだ言ってる)この日、我が家のドアに止まっていたバッタくん。(ショウリョウ?オンブ?)朝、姫が学校へ行く時間から、逃げずにお昼過ぎまでずっといました。もしかしたら、祖母が姿を借りてやってきたのかなって・・・ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年11月02日
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大変ご無沙汰しております。何もかも落ち着いたかと言えば、まだまだなのですが――とりあえず少しは気持ちの整理が付いたので、これを書いています。何とか無事に葬儀が終わりました。葬儀は、祖母がまだ認知症になる前に、常々「自分が死んだ時は派手な式はせず、家族だけで 送ってくれたらいい」と言っていたので、家族葬を選択。実家の両親と東京の叔母(母の実妹)家族、そして我が家の3家族、後は実家のご近所で親しくしている方が何人か来られただけの簡素な式でした。この辺の人が葬儀の際、よく利用している大手の葬儀屋さんではなく、後発のこじんまりした葬儀屋さんにお願いしましたが、建物も綺麗でスタッフの方々の対応もとても感じが良く、アットホームなお葬式でした。享年102歳(数えで言うそうです)という事で、皆さん「大往生ですね」と言われ、両親は実際これまで献身的に介護してきたのですが、家族としては一人で逝かせてしまった事、最期を看取ってあげられなかった事が大変心残りです。出来れば、最期は家族全員で送ってあげたかった。特に実家の両親は容態が急変した後、看護師に言われて後ろ髪をひかれる思いで病院を後にしただけに、その思いは一入で、二人ともいまだに「なんであの時、無理矢理頼み込んで(病院に)おらせて もらわんかったんやろ」と悔む言葉ばかり出てきます。かなり呼吸が荒かったそうなので、祖母も苦しかったのでは、と思います。安らかに、眠る様に逝ってほしいという、私達家族の願いは、どうやら届かなかった様です。もう少し病院からの連絡が早かったら、何も出来なくても、傍にいれば背中をさすってあげる事くらいは出来たのに。亡くなったことを確認してから、病院で綺麗に体を拭いてもらい、すぐに祖母は葬儀屋さんへ運ばれました。でもお棺に入れてもらう際、足が伸びなくて、手も組めない状態。葬儀屋さんでは「亡くなってから2時間くらい経っている様ですね」と言われました。病院から電話が掛かってきて、病室に着いた時、祖母の体は既にかなり冷たくなっていたそうで、もしかしたら病院側が気付いたときにはもう祖母の息は無かったのかもしれません。後の病院の説明では「褥瘡(じょくそう=床ずれ)防止の為、足の間にクッションを 入れていたので、もともと曲がってたかもしれない。 体が冷たかったのは、それまで熱を下げる処置をしてた からで、亡くなってからそんなに時間は経ってません」みたいな話をされていましたが、こちらは素人、本当のところは分かりません。今となっては、もう調べる術も残ってませんしね。そんな中、祖母が非常に安らかで、綺麗な顔をしていたのがせめてもの救いでした。多少お化粧はしてもらっていましたが、顔色が良くて、とても亡くなった人の顔色とは思えない程。声を掛けると目を開けて、起きてくれそうなくらいでした。最後に供えられていた花や好きだったお菓子などをお棺に入れて、もう顔を見るのはこれが最後となった時、斎場で火葬される時、そしてお骨になって出てきた時には、「おばあちゃん、こんなに小さくなっちゃった…」と涙が溢れました・・・その反面、まだ亡くなったという実感が湧かずにいる自分がいるのです。まだ何だか何処かに生きてる様な感じで――例えばまだ病院に行くと会える様な、実家に行くといつも座ってた場所で、笑顔で迎えてくれそうな。葬儀を見ているので、頭では亡くなった事は理解しているし、祖母の事を思うと涙が出てくるのです。でもその一方で、まだ生きてると感じる不思議な感覚。この相反する感覚は、暫く続くんですかね・・・長くなりました。最後まで読んで下さった方、有難うございます。次回からは、出来るだけ「通常運転」で行きたいと思いますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。ランキング細々と参加中。よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年10月20日
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入院していた祖母が、今朝亡くなりました。「いずれは・・・」と、家族全員一応覚悟はしていたのですが、入院当初よりずっと元気になっていただけに、最近ではもっと先の話だと思っていたのに――昨日の夕方、痰を取ってもらってから急に調子を崩し、39℃を超える高熱。座薬や抗生剤を入れても熱が下がらず、見舞いに行っていた母達は、面会時間ギリギリまで見ていたのですが、看護婦さんに「看ておきますから」と言われて渋々帰ってきたそうです。それから、「危ないから家族の方はすぐ来て下さい」と実家の方に連絡があったのは3時頃。すぐに我が家に電話が掛かってきて、夫の車で病院に向かいましたが、(私は姫がいるので自宅待機)病院に着くともう祖母は冷たくなっていたそうで――痴呆が酷くなってからは、私の事は殆ど分からなくなっていましたが、小さい頃は厳しかったけれども、よく可愛がってくれて、私はおばあちゃんっ子でした。まだ、亡くなったという実感が湧きません・・・何も考えられません・・・
2011年10月14日
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バックデイト日記、暫く続きます。早いもので、祖母が入院してから2ヶ月が経ちました。入院当初、全身に見られた浮腫は殆ど無くなり、家で寝ていた時には殆ど出なかった尿が出る様になりました。肺炎の為、肺に溜まっていた膿の様なものも、先日のレントゲン検査では見られなくなったそうです。無呼吸も眼に見えて少なくなり、既に酸素は外されています。意識もはっきりしていて、言葉は出ませんが(でも時々「痛い」とかは言うらしい)声を掛けると返事をしたり、機嫌のいい時には笑ったりもします。明らかに家で療養していた時よりは、回復している様です。8月14日には、今回は厳しいと思われた誕生日も無事に迎える事が出来ました。(満101歳になりました)母の話だと、病院の先生も「(病院に)来た時は正直どうかなーと思ったけどね。 ここまで回復するとは。 このおばあちゃん、元気やわー」と感心していたそうです。かといって、家に帰れるまでに回復するかと言えば、それはちょっと難しく・・・食事が取れないので、鼠径部から常時点滴を入れてるし、薬も鼻から胃に通した管から入れてるのです。(今は薬は殆ど点滴の中に入れてる様で、鼻の管はあまり使ってない様です)痰も機械で取っているので、家に連れて帰っても、現在病院でされる様な一連のケアは出来ない・・・というと、ずっと病院のお世話になる訳ですが、ここでネックとなるのが「3ヶ月の壁」。今の制度では基本的に長期入院は3ヶ月までで、3ヶ月経つと今居る病院を出て、他の病院に移らないといけないのです。今の病院は実家から徒歩10分程のところですが、次の病院が何処になるか分からず、遠いところだと今までの様に毎日お見舞いに行けるかどうか分かりません。母も足腰が悪いので、出来れば近いところが良いのですが、近くの病院が受け入れてくれなければ、遠くに入れるしかありません。(転院の際、一応幾つか提示してくれるらしいのですが、それが必ずしも近くの病院とは限らないし、 自分達で病院に足を運んで説明を聞きに行ったり、入れるかどうかの確認をしないといけないらしい)それに転院となると、祖母の体調の事も心配。部屋を変わっただけでも熱を出したりするのに、転院すると折角良くなってきた調子が、また悪くなるんではないかと。同じ病室の人でも(※ご本人は話せない人が多いので、お見舞いに来ている家族の人から聞いた)「ここの病院で○個目」とか、「○○(病院からは遠いところ)から来てる」という人も実際にいたし。入院した頃は3ヶ月はまだまだ・・・と思っていたら、あっという間に2ヶ月が過ぎそろそろ心の準備をしておかないと――と思っていたら、朗報が。同じ病院の、療養型の病棟の方に移れる事になったんです。仕組みの違いはよくわからないのですが、こちらの方は3ヶ月という区切りは無く長期の入院も可能なのだそうです。なので希望者は非常に多いのですが、ベッド数が限られており希望してもなかなか入れないのです。それがどういう訳だか、運良く祖母が入れる事になりました。入院する前に通っていた病院の先生が、口添えをして下さったのかな?でもこれでひとまずは「病院から追い出される」心配は無くなりました。そして早速この日、新しい病棟に移りました。あとはどのくらい病院にお世話になるか――こればかりは祖母の頑張り次第なのですが・・・今のところ落ち着いているので、暫くはお世話になる事になりそうです。このまま最期まで、元気で穏やかに過ごしてほしいですけどね・・・ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年09月16日
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ちょっと忙しくしておりまして、相変わらずのバックデイト日記です。更新優先で、どうもすいません(お返事は後程)実はこれをUPしてから急展開がありまして――(今回も長くなってしまいました。重たい話が苦手な方は前回同様スルー推奨)祖母は入院しました。というのも、とうとう点滴が入らなくなりまして・・・金曜日、いつもの様に看護師さんが点滴を打ちに来て下さったのですが、途中で漏れ出し、結局薬剤が半分程無くなったところでそれ以上入らないとの事で断念。そこで、以前はこの前も書いていた様に「点滴が入らなくなったら、後はそのままにしておく」という事でしたが、確かに1日の半数以上は寝て過ごしているものの、起きている時には呼び掛けにもちゃんと反応を示すし、痛い時等は声を出して訴えるので、意識ははっきりしています。昏睡状態で、もう意識が無いというのならば、このまま何も施さないというのもありなのかもしれませんが、意識があるのに何の手も尽くさないというのは餓死するのを待つ様なもので、祖母にとってそれは苦しい事なのではないかと。ただ、家での介護は、もうこれが限界。しかし病院に入れば、まだ出来る事があるのではないか。今まで診てもらっていた病院の先生も、「入院を考えられるなら、入院予定の病院にこちらから連絡して、話をつけておきます」と言って下さったので、家族で話し合った結果、入院させる事にしました。土曜日に入院予定の病院に相談に行くと、言われた通りほぼ話が通っていて、経過を再度確認された後、入院の日を土曜にするか、それとも連休明けにするかを決めるだけになっていました。連休中もし何かあっては困るので、即日入院という事に。でも、病院も連休中は当直の先生しかいないので、本格的に治療開始するのは連休明けになるんですよね――それでも入院直後、レントゲンやCT、血液検査等、様々な検査をされました。入院手続きの説明の後、一番最後に検査結果を受けて、内科の先生から病状についての説明がありました。そこで分かった新事実。祖母は肺炎に罹っていました。レントゲンやCTでは、左の肺が白くなっていました。それも先生曰く「非常にシビアな状態」だそうで、それもここ何日かのうちになったのではなく、結構な時間が経ってるのだとか。発熱の原因は暑さのせいでは無くて、これだった様です。他にも脂肪肝だとか、この肺炎ももしかしたら根底にガンが隠れてるかもしれないとか、今まで思っても見なかった事が次々と。それでもこれまで何度か具合が悪くなって、救急車で他の病院のお世話になってるのに、こんな事、一度も言われた事が無かったんですよね。何かと言うと全て「もう高齢ですから」とか、「歳だから仕方ないですね」と歳のせいにされてきて、あまり詳しく調べてもらえなかったんですから。もしかしたら、もっと早くに詳しく調べていたら、こんなに悪くなる前にどうにか出来たかもしれない・・・そう思うと、悔しくて――これまでの病院の対応に、納得がいきません。で、今は腕などからはもう点滴が入らないので、鼠径部(=足の付け根付近)から点滴を入れ、薬は飲めないので鼻からチューブを入れています。呼吸が浅くて時々止まる様な感じなので、酸素マスクもしています。――何だか痛々しい・・・家にいるより、病院の方が出来る事があると思って入院させたのですが、あの姿を見ると、本当にそれが正しい判断だったのかと今でも悩みます。ただ、前も書いた様に、無理な延命は望みません。意識が無くなって、自発呼吸が出来なくなったら、その時は自然に任せようと両親とも言っています。今のところ、起きている時は意識ははっきりしているんですけどね・・・苦しまない様に、出来れば眠る様に最期の時を迎えてほしいと願うのは難しい事なんでしょうか・・・ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年07月17日
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今日は故あってリアル日記から。長いし結構重い話なので、夏バテ気味の方やお疲れの方はスルー推奨。実家で私の両親が介護している祖母。痴呆はかなり進んでいて、要介護度は最高の5。でも、多少足腰は弱って来たものの、体自体は凄く元気で、主治医から「わしより(血液検査の)数値が良い。 元気やなー」なんて言われていて、去年の夏、無事に満100歳を迎えました。ところが、流石に寄る年波には勝てないのか、最近はすっかり弱ってしまい殆ど寝たきりになってしまいました。事の発端はまだ東日本大震災の衝撃が冷めやらぬ、3月下旬の事。体にポツポツ、水膨れができ始めました。最初は小さいものでしたが、段々大きくなってきて、出る場所も体から顔、手足へと徐々に広がって来ました。初めは虫に噛まれた痕が、本人が掻いたりしてばい菌が入ってそうなったのかと思いましたが、考えてみればまだ寒い時期だし、そうそう虫に噛まれる事もあまりない筈。しかも、その大きさが次第に大きくなって、範囲も広がって来るのは何か出来物の類だろう、という事で、慌てて皮膚科に連れて行ったのでした。すると皮膚科の先生が「ちょっとこれは厄介だから、すぐに紹介状を書くので 大きい病院に行って下さい」そして、紹介された大学病院に行くと、お年寄り(70歳以降に多いらしい)に見られる皮膚の病気、「水疱性類天疱瘡」と診断されました。免疫システムに異常をきたし、自分で自分を攻撃(この場合は皮膚)してしまう為にこの様な症状が出るのだそうです。特に背中に出来たものが大きく、入浴後等は消毒→ガーゼ交換が必須になりデイサービスでは対応出来ないという事で、暫くデイサービスはお休みして自宅で療養する事になりました。祖母はそれまで週5~6でデイサービスに通っていました。デイに行っている間は、同じ様に通っている人達や、職員の方達と触れ合ってそれなりにいい意味での刺激があったと思いますが、在宅介護ではやはりそこまでは出来ません。声はよく掛けていたのですが、ご飯を食べさせたり、傷の手当てをする時以外は寝かせておく事が多くなり、更に痴呆が進みました。それから2ヶ月ほど経って、出来物も良くなってきたので、大学病院の先生から「デイサービスに行っても良し」と許可が出た為、今までより少し時間を短縮してデイサービス復帰を一旦は果たしたものの、6月中旬頃から食べ物を殆ど取らなくなり、現在、食べ物はおろか水分も殆ど口にしなくなって、ほぼ1日中寝ております。類天疱瘡に罹らなければ、多分今でも昨年と変わらず元気だったのではないかと思います。あれで全部狂ってきた気がします。経口摂取が全くと言っていい程出来ないので、今は点滴が命の綱です。幸い、今までの主治医とは別の親切な病院を紹介してもらい、看護師さんが毎日点滴を打ちに来て下さる(場合によっては日曜日も)ので、本当に助かっています。連日の暑さのせいか、ここ2週間は37~38℃の熱が下がらなくなって(なので実家では殆ど1日中エアコンかけっぱなし)先生や看護師さんの話だと「体温調節がもう出来なくなってるんだと思います」との事。腎臓の機能も落ちてるらしく、水分は口からは摂っていないとはいえ点滴は打っているので、体に入っている筈なのに尿があまり出ず体がむくんでいて、水分の排出も上手くいっていない様子。尿毒症が心配ですが、先生が言われるには「今の状態だと利尿剤を使うと脱水症状を 起こす可能性がある」との事で、そのままにせざるを得ない状態です。今の病院の先生からは、「点滴が入らないようになったら、覚悟しておいて 下さい」と言われています。若い人だったら喉を切開したり、鼻から管を通して延命治療をするのだけど、何といっても高齢だし、そんな痛い思いをさせてもどれだけ延命できるか分からない。痛みや苦しさを訴えたら救急車を呼んだ方が良いけど、それが無ければ点滴が入らなくなったら、もうそのままにして自然に任せましょうと。痛い思いはさせたくないと思うと同時に、出来る事はしてあげたいという思い。ただ、実家での両親による在宅介護の苦労もずっと見てきてるので、(実際母は祖母の介護で体を壊している)このまま眠る様に行ってくれたら、という思いもあって、気持ちは複雑です。今のところは心臓もしっかり動いていて、血圧も正常だそうです。寝ている時間の方が長いですが、目が覚めている時は、意識はしっかりしています。でも何となく「その日」は、残念ながら、そう遠くない様な感じです。いずれはやって来る「その日」に向けて、どうしたら一番良い形で「その日」を迎える事が出来るか、家族全員でよく話し合って決めていきたいと思います。ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年07月15日
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バックデイト日記も鋭意更新中ですが、今日はリアルの方を先に。こちらのバックデイト日記もどうぞ→個人懇談――6年生・2学期(支援学級編)新しい年になって、早くも4日経ちました。今年も残すところ、あと362日となりました(笑)(―――ってなバカな事を言ってないで、話を進めましょう)今日から仕事始めという方も多いかと思いますが、我が家でも夫が今日から仕事始めで、今年初出勤。でも、冬休みに入って、夜更かしに更に拍車が掛かった姫の相手を毎晩している私は起きられませんでした・・・自分で適当に朝ご飯を食べて出勤した夫――(食パンと牛乳を飲んで行った模様)初っ端から本当にゴメン!(グータラ悪妻でスマソ・・・)姫も明日から塾が始まります。学校の宿題の方は、元日・2日とお休みして、昨日から再開。ドリル系は済んだし、例年てこずる書き初めも、今年は意外にすんなり終わりなんとか目処が付いた様です。あとは自由課題(やるかやらないかは自由だけど、やっぱり何かやった方がいいみたい)ですが、一応何をするかは考えてるみたい。あ、支援学級の宿題・絵日記(1日分)も忘れないでね。それにしても出不精な姫。休みの日は殆ど家の中、しかも1日中パジャマでダラ~。一昨日ちょっと初詣で出て行ったら「しんどい~」と言って、家に帰ってからは寝っ転がってたし。そんな事で、学校が始まったらどーするん?まだまだ生活リズムも戻していかないといけないし。体力的にも、出だしからちょっと心配な姫なのでした。(これでも春から中学生・・・だ、大丈夫かっ!?)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2011年01月04日
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実家にいる私の祖母。姫からいうと、「ひいばあちゃん(曾祖母)」(姫は「大ばあば」と呼んでいます)にあたります。今月の14日で満100歳になりました。以前も書きましたが、体で特に悪いところは全く無く、お医者さんが太鼓判を押すほどの健康体。昨年春、大腿骨頚部骨折で入院。年齢が年齢なので、誰もが寝たきりになる事を覚悟していましたが入院後1ヶ月で退院、リハビリの後、今では自分で立って歩く事も出来以前とほぼ変わらないまでに回復しました。この回復ぶりには入院先の主治医もびっくり。(祖母の事についてはこちらをお読みください↓ ・祖母について――(1) ・祖母について――(2))今年の夏は暑いですが、空調など、周りが気を付けているのもありますが祖母はとっても元気。面倒を見ている両親(特に母)の方がバテ気味です。これで、頭がしっかりしていたら、本当に言う事無しなんですけどねー。残念ながら、重度の認知症(要介護度5)なのです。たまに繋がる事もありますが、面倒を見てる母や父の事も分からない時が多くなりました。はっきり言って、面倒を見ている両親は大変なのですけどね。昨今、100歳以上の高齢者の所在が問題になっていますがアレ、実家にも市役所から祖母の所在確認の連絡が入ったそうです。今、祖母は月曜から土曜まで、週に6日間デイサービスに通っているので市役所が稼働している時間帯は不在。その旨を伝えると、「デイサービスの施設に確認に行かせてもらいます」と答えたそうで。今月半ば頃確認に行ったらしいです。最近は100歳といってもそう珍しくないので、もう無いのかと思っていましたが、僅かですが、一応お祝い金が出るそうです。本人はもう分からないんですけどね。まあ、面倒を見ている家族への慰労金という事で、有り難く頂きましょう。(――って、我が家がもらう訳ではありませんが)まだまだ元気そうな祖母、暫くは記録更新しそうです。両親が介護疲れで倒れなければいいんですけど・・・***********************************≪追記≫77777アクセス達成しました。いつもご訪問下さる皆様・または初めて来て下さった方どうも有り難うございます。77777人目はsuga5482さんでした。有難うございました。(当方カウプレなどは行っていませんのでご報告のみ・・・スイマセン)ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2010年08月29日
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更新の順番が前後していてすいません。またまた過去日記です。前髪がミーノス、ボリュームがシオンばりになってきた(爆笑)ので、お盆に夫の郷に帰省する事もあり、美容院で髪を切ってもらいに行きました。(↑変な例えでスイマセンでも分かる人には分かると思う・・・)↑私はここまで酷くない(ハズ)けどね~;↑私の髪の毛は天パー。でもウェーブが掛かってる様なのだったらいいんですけど、「髪の毛1本1本に癖がある(←小さい頃に行った散髪屋さん談)」とかで、まとまりが悪い。しかも髪の毛が太くて硬く、量も多い。特に梅雨時分から今頃の季節は、湿気や汗で頭爆発、朝は何とかまとまっていても、昼頃には広がるわはねるわで、まるで病人の様。ストパーもかけた事がありますが、1週間も持たなかったし、縮毛矯正は一度やってみたいけど、お金の上に時間がものすごくかかるそうなので断念。(ストパーは美容院でかけても持たないので、同じ持たないなら安価な市販品で、という事で時々プ○カリテのストパー買ってやってます)という訳でここ何年間、私は夏になるとショートヘアが定番です。かなり梳いてもらうので、ボリュームアップも気にしなくていいし、洗うのも乾かすのも簡単なのがいいです姫には評判悪いんですけどねー。(いつも「ブスになった」とか「オバハンや」と言われる・・・)子どもは「若くて綺麗なお母さん」がいいんでしょうね。やっぱり「綺麗なお母さん」はロングヘアが必須でしょうから。・・・悪かったね、若くも綺麗でも無くて!(ついでに細くもなくて!)私も20代の頃は、髪の毛を伸ばしてたんですよ。(一番長い時には腰の辺りまであったっけ・・・しかしシャンプー等の使用量がハンパなかった)でも夏は暑いので、よく編み込みなんかをして、まとめてました。夫は私とは逆で、自分でもよく言ってますが「根性無しの毛」というくらい柔らかい、所謂猫っ毛です。寝癖が付いていても、何もしなくても自然に直ってる。寝癖が付くと直すのに苦労する私の髪の毛とは大違いです。(寝癖の付いた日は帽子が必須)姫はまだ子どもなので、髪の毛は柔らかいです。でも私に似て、量がものすごく多い・・・最近は髪の毛が長くなってきて、自分で結べる様にもなったので、毎日好きなゴムやシュシュで括って、鏡を見て喜んでおりますが、その髪の毛の束の太い事・・・大人になったら、私の様に剛毛になるかも―――ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2010年07月26日
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ここ何日間か、真冬を思わせる様な寒さが続いていましたね。こちらは今日は晴れて、昨日に比べるとずいぶん暖かくなりましたが、(風はまだ強くて、冷たかったけど)関東以北では昨日は雪で大変だったみたいですね。今年は異常に暖かくなったと思ったら、今度は急激に気温が下がったりと気温の乱高下が激しいです。「これじゃ体が付いていかないよ~」と、体調を崩していらっしゃる方も多いのではないでしょうか。そういう我が家も、夫を除いて風邪っぴき姫は昨日から鼻に来て、今朝は喉の痛みを訴えていて、私も何となく熱っぽい様な。熱を測ったら、発熱と言うほどではなかったけど、体温はちょっと高め(36.9℃)そんな訳で、今朝は2人して病院に行って来ました。いつもの掛かりつけの小児科へ、私もついでに診てもらいました。(もうすぐ喘息の薬も無くなるし)そしたら、姫は勿論の事、私も「お母さんも、喉赤いですよ~」…って、この時と一緒やん。――と言う訳で、この土日は、親子して家でおとなしく過ごす事にしました。折角今日、姫の新しい自転車が来たというのに。練習は風邪が治るまでお預けですね。(残念~っ!!←古)来週は火曜に全国学力テスト、水曜には学年初の参観もあるし、親子共々早く風邪を治さないとね。ランキング細々と参加中(笑)よかったら「ポチポチ」っとお願いしますm(_ _)m ↑1日1回1クリック~♪↑
2010年04月17日
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先週末、夫が「ちょっと喉がいがらっぽくて、声が出にくい。 風邪引いたかも」と言いだし、姫、私に続き、普段あまり風邪を引かない夫まで、とうとう風邪を引いてしまいました~これで一家全員風邪引きさんです姫は相変わらず鼻づまりとくしゃみ、私は熱は下がり喉の痛みもマシになったものの今度は咳と鼻水に悩まされ、夫は喉のいがらっぽさと咳。我が家では常に必ず誰かの鼻をかむ音か、咳をする声が聞こえています。食後は全員薬を飲んでるし。(困ったもんだ…)とりあえず今は全員熱が無いのが不幸中の幸いかと。さあ、一番先に治るのは誰だ?!(笑)ランキング急降下中(泣)どうか皆様の「愛の手」ならぬ「愛のポチポチ」を、宜しくお願い致しますm(_ _)m 1日1回1クリック~♪
2009年12月07日
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昨日、昼過ぎに実家の母から電話が掛かってきた。聞けば父が39度超の熱を出して病院に行ったとの事。先日の学校からの連絡の件もあり「すわっ、新型インフルエンザかっ!!」とびくついたのですが、母が言うには「ウイルス性の腸炎らしい」との事。どうやら伝染るものらしい。確かに夏休み前に、姫と同じ登校班の男の子が40度近くの高熱を出したとかで休んでいましたが、その時も家の人が「腸炎で入院したの」って言ってたっけ。なんか、この辺りで静かに流行っている様です。そうなると困るのは、祖母の世話。足腰に不安を抱える母が1人で世話をするのはとても無理だし、かといって放っておく訳にもいかない。高齢の祖母に腸炎が伝染ると、場合によっては命に係わる。私が手伝いに行こうにも「こっちに来たら、持って帰って姫が(腸炎に)なったりしたら大変だから来るな」と母に言われ、万事休す。そこで仕方なくショートステイを頼む事にしました。今までデイサービスは週に5日ほど利用していましたが、ショートステイの利用は今回が初めて。「夜がとにかく心配」(ベッドから落ちたりしないかとか、周りに迷惑を掛けないかとか)が心配で、今まで踏み切れなかったのです。でも、このままだといつ伝染ってもおかしくない状況。背に腹は代えられないので、とりあえずケアマネにお願いして、即行けるところを探してもらう事に。そしたら昨日デイサービスに行っていた施設(ショートステイのサービスも行っている)に入れてもらえる事になりました。ただこの手続きが面倒だったみたい。保険証等を持って、家の者が施設に行かないといけなかったので、この時は症状の無かった母が行きました。(お隣の世話好きな奥さんが付いて行ってくれたみたいです)祖母は昨日、その施設にデイサービスに行っていたので、そのままショートステイの部屋に移る事になったそうです。ただ、母が言うにはこの日、祖母は向こうで粗相をしてしまったらしく、上から下まで汚してしまったので施設の服を着せられていたそうなんですが、冷房の利いた部屋で半袖の服だったそうです。普段祖母は冷え症で、すぐに手足が冷たくなるので、家では冷房の利いた部屋では常に長袖を着せてもらっています。それが昨日、粗相をした後施設では半袖。「風邪引かへんかなー」と言っていました。(一応上に着せてもらう様に言ってきたそうですが)それと、部屋は1人部屋なんですが、ベッドだそうで。人に迷惑をかける心配は無いのですが、1人で不安になった祖母が暴れてベッドから落ちて怪我しないだろうか。母は一日も早く祖母を迎えに行きたいけど、その母も今朝から何となくお腹の調子が悪いらしく、父ほど高熱ではないものの、37℃前後の微熱があるそうで…今日、再度便の検査の為に病院に行った父、ドクターから「完全に治るには1週間くらい掛かる」と言われたそう。今回の祖母のショートステイは4日間の予定。その後はどうするか――――頭が痛い問題です
2009年08月05日
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初めての方はこちらからどうぞ↓ 祖母についてー(1) 祖母についてー(2)実は入院していた祖母が退院してから約1ヶ月になります。お陰様で高齢の割に治りが早く(若い時に力仕事をしていたからかな?)入院中のリハビリでは手摺りを持ちながらも、結構長時間歩いていたそうです。主治医は「後1ヶ月入院すれば、完璧に歩けるようになる」と言っていたらしいのですが、前にも書いていた様に看護師やヘルパーの対応が非常に悪いのと、リハビリ担当の若い先生と、一部の親切な看護師さんが「今、おばあちゃんの状態は非常に良いですね~」と言ったそうで、そんなこんなで1日も早く退院させたかった母は、主治医に頼み込んで、半ば強引に退院させてきたのです。退院前の様に、既に週5日のデイサービスにも元気に通っています。ただ、帰って来れば来たでやはり大変な訳でして。病院ではよく歩いていたそうなのに、家に帰ってきてからは、殆ど歩かなくなってしまいました(甘えかなと思うんですが)特に下の世話は大変です。祖母の場合は若い頃からの肛門の病気のせいで(所謂痔)肛門が上手く収縮せず、軟便だと止まらなかったりするので怪我をする前から、元々便の処理は大変でした。それが入院してから、おむつ処理の際に手荒に扱われた為にその事がトラウマになってしまった様で、家に帰って来てからもおむつを換える際に激しく拒否したり、困らせたりで余計大変になってしまいました。便の処理の際は一人ではとても無理なので、父と母2人掛かりでやっていますがそれでも便を掴んでしまったり(!)する事があって、「出来ればもう一人欲しいわ…」と言っています。この前はたまたま私が行った時にやってましたので、私が祖母の手を押さえた事もありました。母も腰や足を痛めているので、体力的に限界を感じていて(ショートステイの様に短期間でなく、長期で)「何処かに預けるところないかな…」がもはや口癖に様になってしまいました。でも、そういうところってお金も掛かるし、待機人数がもの凄く多かったりで母たちの条件に合う様なところって皆無に等しいんですよね。行政も、こういうところに予算を割いてほしいとつくづく思います。「アニメの殿堂」もいいけど、それって今じゃなくてもいいでしょう?私もアニメとかサブカル好きですから、それに日を当てて下さるのは嬉しいんですが、逼迫しているのは、どう考えても老人問題とか、障害者の生活の問題とか、福祉の分野だと思うんですが。…優先順位がどうもおかしい様な気がします。夏に選挙も控えてますし、政局もなんだか怪しい感じですけどどうなるんでしょうか…選挙後、自民党がそのまま政権を維持するにしても、民主党が台頭するにしても弱者が泣きを見る様な事には、くれぐれもならない様にしてもらいたいですね。―――お願いしますよ、センセイ方。
2009年06月15日
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昨日の日記の続き。実は昨日、祖母が入院する事になってしまったのです。実家は畳生活なのですが、最近足腰が弱ってきた祖母は一度座ってしまうとトイレに連れて行く時等、立たせるのに非常に苦労するので椅子に座らせています。一昨日、いつもと同じ様に椅子に座っていたのですが、祖母は最近、電気のコードの様な細長いものに異常な執着を見せており、一昨日もコードに触ろうとして立ち上がったものの、その際バランスを崩した様で転倒してしまったらしい、という事でした。いつもは誰かが祖母の側にいる様にしているのですが、ふと目を離してしまった隙の、一瞬の出来事だったそうです。最寄り駅の近くに、日曜でもやっている病院があるので一応そこに連れて行き、レントゲンを撮ってもらったのですがレントゲンにははっきり映らなかったそうで、そこの医師の話によると「レントゲンにははっきり映ってないけど、折れている可能性があるね。 大きな病院に行ってMRIを撮ってもらうとはっきりすると思うけど」ただこの日は日曜日。医師は続けて「今日は救急病院に連絡しても、恐らく何処も整形の先生は居ないと 思うから、明日連絡して行った方が良いよ」と言ったらしい。で、昨日大きな病院に連れていたところ、やはり折れていた!左の股関節付近、大腿骨の付け根が折れているらしい。(大腿骨頚部骨折?)それで、入院する事になったのです。高齢なので、そのまま様子を見るのかと思いきや、明日手術をして、金具を入れるとの事。そのままにしておくと、高齢者の場合、色々な合併症を発症して命を縮めてしまう事もあるのだそうです。思わず「手術なんか出来るん?麻酔はどうすんの?」と矢継ぎ早に母に尋ねると、一応麻酔は局所麻酔の予定だが、場合によっては全身麻酔に移行する可能性もあるそう。年齢が年齢なので、全身麻酔はちょっと怖い気もする。でも、検査でさえ大騒ぎだったらしいのに、局所麻酔で手術出来るの?という心配も。また、手術が無事終わったとして、その後リハビリが始まる訳で、それも祖母の今の状態を考えると、ちゃんと出来るのかどうかも不明です。病院に入院している間はまだいいとして(病院スタッフがきちんとしてくれる筈だと…)、退院後、家に帰ってからも当然リハビリは続けないといけないだろうから、またまた家族の負担が増えてしまいそうです。入院も今回は2~3ヶ月との事で、その間更に認知症の症状が進むのではないかとそちらの方も心配です。(何年か前に胃腸炎で3日ほど入院した事があるのですが、それでさえ痴呆症状がかなり進みました)はあ・・・=3これから何かと大変です…********************************************************************ここからはちょっと余談なのですが、認知症があると、受け入れてくれない病院が結構あるんです。どうしても他の人より手が掛かりますからね。祖母も前に入院していた時、同室の人の荷物に手を出したり、夜に大きな声で喋ったりして迷惑を掛けた為、一応表面上は症状が治まったから、という名目でしたが、実際は途中で追い出された様な形でした。今回も、一応整形外科のある別の救急病院に連絡を取ってみたらしいのですが、「認知症はありますか?」と聞かれたので「あります」と答えると、「申し訳ありませんが、こちらでは受け入れ出来ません」とはっきり言われたそうです。老人病院なら、認知症を患っている人でも受け入れてくれると思うんですが、残念ながらウチの近所には無いんですよね。母も足腰悪くなってますから、あまり遠いと見舞いに行けないのです。そうなると、祖母はますます皆の顔を忘れてしまいそうです。高齢化社会を迎え、これから先老人の数はどんどん増えます。それに伴い、認知症患者の数も、増える事が考えられます。今のままだと、認知症の人は病気や怪我の際、適切な治療が受けられなくなってしまうでしょう。この問題も、これからの課題ですね。。。
2009年04月07日
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私の実家で同居している祖母(私の母方。姫にとっては曾祖母)。御歳98歳。この夏には満99歳になります。去年白寿で、今年は数え歳でいうと、なんと100歳である。耳が遠いのと、最近少し足腰が弱ってきたものの、今でも杖無しでも歩けるし、至って健康。先日実家の家族に蔓延したノロウイルスも、祖母が一番早く治りました。一番先に罹ったとはいえ、年齢を考えると、すごい回復力だと思います。最近受けた血液検査で、掛かり付けの医師から「この歳で、こんな(に良い)数値は見た事がない」と健康体のお墨付きを頂くほど。ただ1つ、ある場所を除いては…それは頭。重度(要介護5)の認知症なのです。最初、私達家族が祖母の様子がおかしいと気付いたのは、祖母が80歳を過ぎて暫く経った頃でした。炊事があまり得意でなかった祖母は、そのかわり掃除や食後の後片付けなどを一手に引き受けてくれていました。時々母に頼まれてお遣いに行ったりしていたのですが、ある時から、言われたものと違うものを度々買ってくる様になりました。少し前から耳が遠くなっていたので、最初の頃はそのせいかなと誰もが思っていたのですが、そのうちにまた新たな変化が…食後の後片付け、洗い物をするのにものすごく時間が掛かる様になりました。お皿3~4枚に1時間水流しっ放しという事も…そうしているうちに認知症特有の「財布が無い、誰かに取られた」が始まりました。今では私の夫は勿論、殆ど毎日会っているけど、10年前に結婚して家を出ている孫の私は、もう分からない。それどころか毎日世話をしてくれる娘(私の母)や、娘婿(父)の顔ですら最近は分からないことも多くなってきています。「どうもお世話になりまして、すいませんなぁ」なんて、敬語で言う時は、分かっていない時です。ヘタに健康体で元気なので、世話をする方は大変。小さい人ですが、昔母達子どもを女手一つで養う為に、力仕事をしていただけあって力はものすごく強いし、元々気が強い上、呆けてからは凶暴性が出てきて気に入らない事があると、すぐに引っ掻いたり噛んだり、物を投げたりするので、介護している両親には生傷が絶えません。まるでちょうど目を離せない1歳前後の幼児の様で、変なものを口に入れるわ、危険察知能力が極端に落ちているので、平気でストーブに触ろうとするわ、そのストーブに口に入れた水を吹きかけようとするわ。以前、姫の消しゴムが無くなったと思ったら、祖母が口の中に入れてクチュクチュしてたし、もっと怖かったのは祖母が自分の湯呑に殺虫剤を吹きかけて、その後それを飲もうとしていたらしく、それを見ていた姫が「あーっ!大ばあばが変な事してる――!!」と教えてくれて事無きを得た、という事もありました。とにかく誰かが側にいて見張っていないとダメ。極端な話、祖母と二人っきりでいる場合、トイレも行けない状態なのです。今のところ徘徊はありませんが、それは必ず誰かが祖母の側についているからで、足が丈夫なだけに、放っておいたらきっと一人で外へ出て行ってしまう事でしょう。実際、ふと目を離した隙に玄関まで出て行ってたり、一度は外まで出ていて、近所の方が声を掛けてもらった事も。(近所の方も、祖母が重度の認知症だという事は皆知っています)最初の頃は昼間の間は母が看ていました(時々私も手伝い―あまり戦力にはならないけど;)が、段々一人では大変になり、父は定年後、知り合いのところでアルバイトとして仕事に行っていましたが、それを辞めざるを得なくなりました。そのうち母の体が悲鳴を上げ、持病の腰痛が悪化してしまったので、デイサービスの日数を増やし、今では週に5日行っています。祖母がデイサービスに行っている間、家族がほっとできる時間。(とはいえ、祖母が居ない時に片付けておかないといけないので、そうゆっくりもしていられませんが)こんな事を言うと、知らない人は「そんな、おばあちゃんを他人に預けて、自分達はのうのうとして」と思われるかもしれませんが、介護というのはそんな簡単なものではないんです。 四六時中目が離せない、 夜も昼夜逆転でなかなか寝てくれない。こんな事が何年も続いたら、誰だって参ってしまいます。また、「そんなにしんどかったら、何処か(施設)に入れたらいいやん」と簡単に言ってくれる人がいますが、施設にはそんなにすぐには入れません。常に待機人数が何百人もいます。以前は先着順でしたが、今は介護度に応じて順番を決めている様です。それなら祖母は介護度が最重度の5なので、すぐ入れるのでは、と思われるかもしれませんが、介護度の次はその人の置かれている環境が重視されます。つまり、身寄りが無いとか、世話をする人が近くにいないとか、そういう人が優先される訳です。祖母の場合、母や父が面倒を見ているので、後回しにされるのです。特養に入るにはお金が掛かり過ぎます。年金生活の両親には無理です。私がもう少し入り込めたらいいのですが、姫もいるので夜はちょっと難しく、姫もまた発作が起きないとも限らないし、私自身もそんなに体調が良くないので限界があります。政府ももっと真剣に考えてほしいです。誰も利用しない様な保養所や、入り手の少ない議員宿舎を建てるお金があったら、少しはこの様な家族を助ける為の施設や福祉サービスなどを、もっと考えてほしい。昨年から景気が悪くなっているので、この様な問題は更に先送りされる事が懸念されます。昨年だったか、一昨年だったか、実家と同じ町内(そんなに近くではありませんが)で介護疲れから、介護されている方が介護している方に殺される(確かご夫婦だったと思う)という痛ましい事件が起こりました。この様な現状が続く限り、同じ様な事件が今後も起きるかもしれません。うちの両親も、そうならないとは限らないのです。これも介護を経験した事のない人に分からないと思いますが、実際そこまで追い詰められてしまうのです。今の政局を見ると、悲しいかな、とてもそんなところまで手が回りそうにありません。でも、なんとかならないか・・・。早急に対策が練られる事を、願ってやみません。そして昨日、また大問題が発生したのです。長くなりそうなので、続きはまた後ほど。
2009年04月06日
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…といっても我が家の事ではないのですが…今、実家がノロウイルスで、全員倒れています。きっかけは水曜日、祖母の発症。どうやらデイサービスの施設で貰って来たらしい。その日もデイサービスに行く日で、その時はまだ元気だったので、行く用意をしていたのだけれど、朝、その施設から「嘔吐、下痢の人が何人か出ている。 原因は今のところ調査中だが、大事をとって施設全体をお休み させて頂きます」と連絡があったとの事。「あらら~」と思っていたところ、みるみる祖母の具合が悪くなり、突然噴水の様に吐きだしたのだという。その後暫くして施設の方から「患者さんからノロの陽性反応が出ました」という連絡がありました。そんな祖母の吐瀉物や、糞便を処理していた為(嘔吐が突発だったし、最初の頃はノロと分からなかったので、素手で処理していた)母も父も、次々に発症。私も祖母が発症した日、実家から「おばあちゃんが大変だ」という連絡を受けた為急いで手伝いに行ったのですが、直接吐瀉物や糞便に触れなかったせいか、いまだに発症していません。実家からは「お前が伝染って、姫がなったりしたら大変だから 来るな」と言われ、今は出入り禁止欲しいものは電話が掛かって来るので、玄関口まで持って行って、携帯から「持ってきたでー」と連絡、そのままちょっと置いといて受け渡しノロウイルスについて調べてみたら、「症状は2~3日で軽減」って書いてあるので皆そろそろ良くなってくると思うんですけどね…(皆年寄りだからね…)インフルエンザも怖いけど、ノロも嫌ですね~皆様も、どうぞお気を付け下さい。。。
2009年03月01日
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