さくらと子孫繁栄 



 一昨年と昨年は、新人歌手のフォーク調のさくらを歌った曲が流行った。昨今、やたら派手な衣装とダンスで、にらみつけるようにして早口で歌うワンパターンな歌手たちが主流の中、お世辞にも上手いといえないが、丁寧に歌う姿が好まれた。紅白まで出たのは上出来か?その後ぱっとしないのは、サクラの花の散り際の物真似かはたまた実力か?

 人の気持ちや感情には脈絡などない。歌は世につれ、世は歌につれとはよく言ったもの。皆でわいわいしながら、しっとりとしたことを求めるのが人間だ。人情紙の如き昨今に、ふとそんなことを思うと、長続きしている歌手はやっぱり大したもの。

 先日、琴の連弾と津軽三味線の熱演を聴いた。陰旋法のメロデイはDNAに組み込まれており、筝曲の春の海にはうっとりした。想えば、サクラの咲く季節はいつも、天気の変化が激しい。ぽかぽか陽気で五分咲きになっても、急に冷え込み満開までの日持ちが長い。一気に満開となり、あっさり散ってしまうことはむしろ稀。トゲのある恋の赤い花はバラだが、同じバラ科に属する淡いサクラは人生の節目に咲く、鑑賞と感傷の国花。

 ソメイヨシノが夜来の強い風雨で散るのは、花びらの根元が他の桜に比べて細く、風の影響を受けやすいから。この花は江戸中期に野生種を掛け合わせて生まれた人工の種。野生のしぶとさで、花びらだけを落とし、果実を結ぶ花びらの付け根の部分はがっちり保持する形質を受け継いだ。よって、春の強風にあおられてぱっと散る。まさに子孫を残す生命力の強さの現われか。日本人がサクラの落花の潔さに酔いしれるのには理由があった。酒好きの農家は子孫繁栄の生命の神秘をそこに感得しているのだろうか?鎮守の社の花見で子々孫々を思いやるのも風流だ。

     協同組合通信/日和見論弾 (平成17年4月6日掲載)



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