ラッキィセブンティライフ

ラッキィセブンティライフ

里見忠義公 実と虚の400年前を偲ぶ


「里見忠義公と我ら八賢士、400年の時を超え北野天満宮に只今、参りました。我が殿、里見安房守が社殿修造の後、当神社ますます栄え、中西神社、稲荷神社、福岡神社、秋喜神社の御社とも合わせ祀りて、ちょうど百年の今年、主従、初めて北野神社に参拝できること、まことに嬉しく思いまする。」
 八人の賢士と従者三〇ほどの甲冑武者を引き連れた、里見安房守忠義公行列が、北野神社社殿に並び、家老堀江能登守の口上が静まりの中、あたりに響きわたりました。

 昨年、401年前、慶長19年(1614)に、房総から伯耆の地へ里見忠義公は配置転換で来られ、元和元年大岳院へ3石余寄進、東郷八幡へ20石寄進、その翌年2月北条山田八幡宮の再建、同9月には北野村の天満宮の再建に寄与されました。

 しかし、天下動乱世は喧騒きわまりなく、記録とてなく、定かな公の伯耆倉吉での行状としては、只、神坂に居し、下田中に移り、堀村に転じ、終焉を迎えたとしか分りません。

 時の権力に翻弄された哀れ人生を、文豪滝沢馬琴がこれをモデルにして、著したとされる南総里見八犬伝は里見滅亡後200年で、作者本人も事実と異なると告白していますが、水滸伝を模した創作であります。

 ところが、30数年、今でいうベストセラーを続けた物語は、八犬伝の里見が先行して、里見忠義は八犬伝中の人と解釈されてしまっています。

 忠義公を偲び、又地域振興を念じ、里見祭を企画し、公お眠りの大岳院から関金へ甲冑武者行列を企画好評を博し、以来10年目の節目を去年むかえました。

 行列を構成するのは、将が里見忠義で、従が八犬士であり、伏姫、玉梓の南総里見八犬伝中人物が主体となっています。
 実虚混成の里見行列で構成されています。

 しかし、それはそれで、里見を偲ぶには変わりないものと割り切って観光行事にしてしまえばいいでしょうが、8年の実生涯を倉吉でくらした里見忠義の実体を、明らかにしてあげることも当世の人間の務めではないでしょうか。

 そこで、北野神社社殿を造営した実像の原点にせまり、伯耆の里見忠義解明に踏みこんでみようと、まず第一に里見甲冑行列の参拝立ち寄りを試みました。

 北野神社、宮司さん、氏子総代会さんは、快く引き受けてくださいまして、わずか15分の里見甲冑武者行列の参拝立ち寄りに、北野神社合祀百周年記念の一環行事として、神社祈願行事を前後に入れて盛り上げる企画を立てて頂きました。

 小中学生で構成する打吹童子ばやしの面々も、太鼓演奏を協力すると加わっていただきました。演題は”新里見八犬伝”。

  氏子さんたちは、朝早くからでて社殿、庭園を掃除し、あいにくの雨の中、北野神社は時ならぬ大賑わいでした。

 雨しぶきをきって、社殿の前に並んだ太鼓をうつ、里見の家紋、丸に二引を衣した若人が、まぶしく、頼もしく感じました。

 甲冑武者連が到着しての、鳥居から社殿までの行進に、勇壮な太鼓演奏での歓迎、興奮は最高潮に達しました。

 自動車学校校庭もお借りしての100台分の駐車スペース、大方満員で観客も大満足でした。社の前の自動車屋さんも門を解放して、お客の駐車場に提供してくださいました。


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: