ラッキィセブンティライフ

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北野天神


故に名も北野と称するとかや。一旦、彼の大永四年の兵火に焼亡したるが、天正年中に尼子晴久再興あり。然るに享録巳丑年又々野火社頭に及び、神宝記録尽く焼亡す。
安楽寺の住僧正受院栄呂是を悲しみ、天正八年に神閣及び内殿を新太に造営せり。
元和二年當郡の流人、里見安房守忠義方三間の社殿を建つ、夫より相続して今に至れり。


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