多くの河川災害に悩まされてきた倉吉です。その記録の一部を拾ってみましょう。
昭和9年(1934)、9月20日から21日にかけて強烈な強さの台風「室戸台風」が西日本をおそいました。死者、行方不明者は3036名を数える大災害となりました。
天神川水系でも最大級の被害をもたらしました。
1、概況
9月20日夜半、宮崎県の日向灘沖から北西に進み、21日未明5時に室戸岬を通過した室戸台風は3時間後に大阪付近に上陸しました。
天神川流域では、19日午後より雨足が強く成り、20日の午後9時には北東の烈風を交え豪雨となり倉吉で同日340mmを記録する大雨となりました。
日本海に面して、急に傾く鳥取県では、その地形的要因から台風が、西日本の南方洋上に迫った場合、北東風を真正面に受けて、上空に低気圧を停滞してしまい、特に気流が地形的に収束する場合におびただしい降雨をもたらすことがあります。
河川の水位は、雨量の増加に伴い20日午後9時より急激に増水しました。この急激な増水は夜半に一時鈍化したのみで、21日明け方まで持続しました。
そのため、21日午前2時ごろ、小鴨川筋において、耳の堤防が決壊。3時ごろ福山橋、小鴨橋、出口橋を残して、全部の橋梁が流出しました。
同じく蔵内地内、若土地内の堤防が決壊しました。
5時ごろには、ついに福山橋が流出、中川原2区地内の堤防をはじめ、倉吉駅裏の堤防など各所において堤防・道路が決壊し瞬く間に家屋の流出・倒壊が続出、氾濫した濁流は一朝にして、小鴨・倉吉を石礫河原と化し一面の泥海としてしまいました。
室戸台風の倉吉状況。
2、当時の新聞報道のみだし
明治26年以来の倉吉の水害 緊急町会で対策協議
プッツリと断たれた命綱父子濁流に竹田村穴鴨安田家の悲劇
ああこの惨 高城村の死者判明
祖母と孫とが抱き合って圧死。古布庄の惨事
進む調査で惨報頻り、倉吉の被害詳報
腐る畳7千枚 惨言語に絶する倉吉 衣食住に窮す行届かぬ救援の手
東郷温泉 橋津由良方面 何れも相当の被害
東伯方面も意外に甚大 通信杜絶の為詳細不明
現状を視察して惨状に驚く 県庁調査班の報告
言語に絶する東伯郡内の被害 天神川改修意見高まる
(国土交通省倉吉河川国道事務所報告書参照しました。)
歴史に記録あるもの、記録されてないもの洪水の到来は、数限りなくありました。又これからも遭遇する、自然の掟です。心して対処しましょう。


