ラッキィセブンティライフ

ラッキィセブンティライフ

見えないコロナウイルスが見せたもの、思い出させたもの


2、学制変更。国民学校。新制中学。軍国主義・民主主義教育。
 すでに学制制度は、否応なしに変えられ、それに従えさせられた昭和の幼児(現在のシニア)がまだ現存、命が代償されてたから一億総火の玉で従った。
 警戒警報・空襲警報で防空頭巾持って集団通学。途中、分散教育となり、お寺、神社で授業。学校は、運動場を耕しサツマイモ栽培、これには上級生が従事。6年生卒から予科練受験で国事に参加。きちんとした方針だせば、学制改革はできる。子供は順応する。
3、終戦の時の権威の崩壊は哀れだった。
 職員室に入る時は、「山形。熊本先生に用があります、入ってようありますか?」と自分の名前を言い、用事のある先生の名前を言って、「入ってよろしい」とどなたかの先生が許してから、入っていたものです。在郷軍人という、軍事教練する指導者がいて、かなり幅きかせていたようです。
 終戦の時、この在郷軍人先生たちと巡査さんの権威の崩落は、あわれで、見事なものでした。勿論、学童もだが。


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