ラッキィセブンティライフ

ラッキィセブンティライフ

公民館是非論


 家族という小社会が隣の家族という小家族と関わって、次の単位の社会を構成し、同じ居住区の生活条件を共有するものが集まってできたものが、公民館というものだろう。

しかし、時代の変化が、公民館活動に対する考え方を変えている。もはや、今までのやり方では通用しない。笛吹いて踊らず、踊っても誰も見ない。
 こんな事象がみられることが多くなった。
 役員の選考が困難になったのもこれに拍車をかける。

 はたして、公民館は必要なのだろうか。

 是論、非論で検討してみたい。

公民館是論

1、災害時(地震・火事・水害)の助けあい
 都市型災害で、阪神淡路大震災の混乱、身近なものとして、鳥取西部地震の軍部災害のすざましさ、東北大震災の津波の恐怖は、テレビ放映でまざまざとその恐ろしさ、破壊力におののくのみです。
 初期対策がいかに大事か、生死の分かれ目をきめるものです。
 身近にいるものが、老人、子供の避難等、適切な手立てをすることの必要性があります。
 この迅速性は、行政の援助より前、組織的に行動できるものは、公民館組織しかありません。
2、環境整備と保持、とくにゴミ処理問題
 現代はごみ戦争といわれる位の暗部を、快適な生活の中に秘めている。野放しにせず、意識しあって、ゴミの処理、出さない運動をする要がある。
 そして、公園、道路、河川の公共の広場をきれいにする行動は、公民館的活動が一番適している。
3、子弟教育と相談
 次代を荷う子供たちの教育をみんなでおこなう。祭り、文化祭、運動会は、団体活動の醸成をかんがえての活動でなければならぬ。
4、仲間いしきと安心感
 同じ空気をすい、生活を隣接にするホットする仲間、楽しみ、悲しみ、悩みもうちあけれる仲間つくり。湿りがちの経済事情で、厳しい職場環境から離れて、充電のひと時となる。
5、犯罪防止
 喧騒な空気、狂気の事件は、もう都会の特殊域をはなれ、身近に起こるようになった。起こさせない環境つくりを皆でおこなう。


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: