全11件 (11件中 1-11件目)
1
同窓のよしみというものは、なかなかいいもののです。 先日、ある会合の懇親会で県の役つきさん、市のお偉方、会社の社長さんの交流の中に親しみ度、尊敬語に法則がないグループがあり不思議でした。 聞いたら高校の同窓、しかもサッカー部がキーワードでした。 年代がはなれていても、先輩、後輩の絆が脈づいてるんですね。 名門高校なので全国大会等に出場するときは、後輩を資金面からも一丸に応援するんで、きってもきれぬ、先輩後輩が存在するのでしょう。そして全力で汗にまみれ努力した共通の経験が脈づいて響くのでしょう。 1年先輩、2年先輩と同じ活動をした先輩には、畏怖の念ににた敬語でせっしています。先輩もいたわるような語調で慈愛をみせています。 関東で名を挙げ活動をしてる有名な先生も閑をつくり、呼びかけに馳せ参じていらっしゃいます。 同窓の場を遠くに持つものは、うらやましいくらいの雰囲気でした。 少年時代にある目標に向かって、全力をだして、練習した仲間との思い出は、純粋に心に残ってるものです。 高校時代に脱臼した左手首が、なんだかうずきだして、私も高校時代のバンカラ時代をおもいだしました。
2010年05月30日
コメント(0)
間一髪と難を危うくすり抜けた様をいいますが、まさにお言葉どうりでした。 23日大阪である研修を終え、もう一夜泊る予定をきりあげ最終の列車でかえることにしまた。研修があまりに強烈で、早くかえって復習と実践に駆りたてられたからでしたが。 無事家にかえって、50肩もどこえやら、旅の疲れなんてあるのかなんて気力バンバンの復習をおこないました。 新聞をみると翌24日、私が乗って帰る予定の特急も次も2本運休、1部区間運休も含めて6本が影響をうけています。兵庫県姫路市内の大雨で危険水域を超えた河川が原因でした。 豊臣秀吉が鳥取攻めに行くときここら通っていったんだろうと車窓から暗い眺めに、空想して通って来たところでしたのに。 間一髪に危機を逃れました。 思えば、数年前九州天草に行ったとき、博多から水俣に行き、汽船で牛深にわたりました。 そうそう、NHKの宮本武蔵の巌流島の戦いの撮影が天草島であるというにぎにぎしいときでしたっけ。船の上から幔幕らしきもの眺めた覚えがよみがえります。 翌日疲れをなおしのびのびしてたら、大雨が降り博多駅の地下街に、水がながれこみ、水俣では、未曾有の水害発生で土砂崩れなどで犠牲が発生したニュースにせっしました。 このときも間一髪の危機を逃れました。 合計間二髪の危機をかわしたのも、偶然といえば偶然かもしれませんが、大難を小難に、小難を無難にしていただいた事に感謝をすべきと深く感じるひと時です。
2010年05月25日
コメント(2)
市役所に印鑑証明とりにいって驚きました。駐車場が玄関前にできています。ちょっと留めて、10分足らずでありがとさんができます。 今まで道路の横に一列にならべて、下手くそは困難極め、止めても場所を取り次が止められなったり、裏の駐車場は慢性満杯で気が重くってな感じでした。 なんのことはない、役所建物回りに広く取った雑草庭園を縮め道路を広くして駐車スペースをとっただけ、こんなことなぜ早く気がつかなかったのかと思います。快挙。 今日の新聞では、40万人の観光入り込み客が増えたと報じてあります。 山陰の倉吉という古都のお話です。 山陰の小京都と囃され、自認していた間に、世は開発の波が寄せ、取り残され、若者は土地を離れどうするか思案のしどころでした。 バブルに浴することもありませんでしたが、バブルがはじけ、世が癒し、ゆとりをもとめる時が来ると、取り残されたと思っていた遺産、赤瓦、白壁土蔵群、古い街並みがそのまま、古きよき遺産として価値を発揮しました。 来客はそれをみてホットの一瞬を得ているようです。勿論観光協会、周辺住民こぞって地味だがたゆまない努力をしています。昭和レトロの街をキャッチフレーズに、古民家で、講談、落語が語られ、竹下夢二のほんわかムードの絵画展などがキーワードとして展開されています。 この40万の気持ちの高揚が市役所前の簡単駐車場のアイデアにつながったもの推察します。 さて当市では、というより、中部圏では、火葬場の設置で紛糾しています。住民が使用目的をつけて手放したのに違う物件火葬場には反対というわけです。 市長辞任までかけての選挙大騒動も、解決の道に達していません。良く話し合ってきめないと、場所が場所だけあって、半焼けではこまります。 40万の入り込客が持ち込んだ変わるんだという気持ちがするりと火葬場問題も解決することでしょう。
2010年05月21日
コメント(0)
85000頭の牛と豚が殺処分になった宮崎のこのたびの口蹄病の発生は、まだ進行形でどうなるかわからないようです。 陣頭に立って宮崎牛を宣伝してきた東国原知事は、大変なことでお察しもうしあげます。 恐ろしい伝染力のあるウイルスで1908年に東京、兵庫で発生し牛500頭の殺処分、2000年には宮崎と北海道で発生740頭殺処分、2001年にはイギリスで大流行650万頭殺処分、今年1月韓国に発生、4月に宮崎に発生し5月16日までに85000頭余の殺処分の状況です。 担当者の初期取扱の判断ミスもあるやに報道されていますが、このような最近の事例があるものを、軽挙した責任は重大です。 それにしても、感染がみられたら、その全舎殺処分せずに、ワクチンなどで治療はできないものでしょうか。 まだ元気なものまで、殺すのは人間に身勝手のような気がします。 そんな簡単な問題と違うんだとおしかりうけるでしょうが。 はやくおさまって安堵の声を聞きたいものです。
2010年05月18日
コメント(1)
痛々しい松葉つえの女性議員さん、神聖なる議場で押し倒されてけがしたという。 名差しの押し倒した議員さんは、押してなくはめられたと弁解。 謝ったらゆるすのに、弁解したから訴えてやるといきまく痛々しい議員さん。 当日、自分で転んだとエレベーターでしゃべったのを聞いたほかの先生がブログでかいた。 その記事は嘘だと本人激怒。 テレビが映像つきで報道するから、大ごとになる。 松葉つえは、武器になるから、議場へは持ち込み禁止、許可に時間がかかり遅刻したらしい。なれぬ松葉つえで階段おりててふみはずしこけちゃった。写真はきっちりうつしてる。 (あの時は本当に痛かったとおもう。) 痛い脚なら、脚を組んだ姿はありえないの解釈まで添えたニュース。うっかりいつものように脚組んじゃいました。 なにがなんだか、どれがほんとか嘘なのか。 懲罰審議にするとかしないとか。 当事者には気の毒なれど、そんな暇は国会にはないはず。 国家存亡の課題が山積してる時、第一線で日本のために働いてほしい。 5月決着の普天間問題、閣議が1本化しない、秘書と先生が1本化できない、こんな問題解決せねばならぬ時にニュースみてても腹がたつ。 事業仕訳の大事業は、6000余の特殊法人の全部ではないが官僚保身の牙城にメスをいれたことに大きな評価をしています。 でもただそれだけで、前政権と何ら変わりない与党の姿をさらけだしはじめて、国民はがっかりしています。 政界そのものを誰がやってもおんなじと諦めの境地になります。 大人になってください議員さん。
2010年05月17日
コメント(0)

三徳山を通って鹿野に出、吉岡にでかけました。 途中俵原高原に、俵藤太のお墓があり、平将門を追ってきて、中津にいる将門を討たんとしたるもこの風光明媚な地で殺傷がいやになり住み着いたといいいます。 今も住民が代わるがわるでお墓を掃除するらしくきれいでした。 実際は、藤太こと藤原秀郷は、近江まで来てないというが、近江で山を7まわり半まく大ムカゼを退治した豪のもの、矢は跳ね返され最後につばをつけた矢で射殺したという伝説があります。 ここの俵原には、むかではいないそうで、いても人に咬みつかないといいます。 又近江にしかない山菜がここだけにあるそうです。 つじつまがあうお話になってるのが又面白いものです。 平和に落ち着く話でいいんですが、最近は下界におりて、空家がおおくなり、住民がすくないそうで、状況はかわりましたかな。 肌寒い中、古に思いを馳せながら羊腸の坂道をいそぎました。
2010年05月12日
コメント(0)

関金町に要害山という標高399メートルの山頂に古城砦跡があります。 山頂に八幡神社の社祠と広場があり、毎年秋に収穫感謝奉納相撲があり近郷からの参拝社でにぎわったそうです。 今も秋に祭典は続いているようです。 草幾山城主三浦弾正景元の砦で天正の頃羽衣石城の南条伯耆守に攻められて滅亡したことしかしられておりません。 この八幡宮を改修しようとすると村人に祟りがあり、占ってもらったら祭神は5尺8寸の太刀を帯びてるので小さい社では相かなわないからそのままにしておくようにとのことで今に至るも社は従前どおりだそうです。 つっかい棒はありましたが、屋根などはそんなに古ぼけてはいませんでしたけど。又城山の木を切ると祟りがあるので決してきってはならぬそうです。 相手に厳しく味方を優しく守るのが要塞だそうで、目もくらむような断崖が切り立っていました。 頂上からの眺望は手にとるごとく下界がみえました。 登山道はコンクリートの偽木で整理し頂上付近は階段をつけて立派な観光地になっていました。 6歳ぐらいの男のこをつれた若い夫婦が参拝をすませて帰ってくるのに会いました。 此処の地も今西の砂鉄、峰続きの奈良時代から有名な大河原のたたらがある産鉄地帯の一部です。 南条羽衣石城も産鉄地、尼子が石州から伯耆産鉄地侵略に来る前に、この地域でも産鉄小競り合いがあったもようです。 小蛇を中蛇が呑み、それを大蛇が呑み込む、弱肉強食は時のならい。 侵略する時は神社仏閣居住地まで悉く破壊するというから傍迷惑この上ありません。 だからここらには歴史の記述も定かなのが残っていないのでしょう。(2008-7-27)
2010年05月10日
コメント(0)
「隊長は馬の上で楽している。兵隊さんは重い鉄砲担いで歩るいてるのに。」 若い女の子が戦争の映画の進軍光景を見ていいました。 彼女は、隊長だけが馬に乗って楽してる、不公平だといいたかったのです。 もし敵の飛行機が空襲して来た場合、隊長は部下を的確な指示をあたえ避難させ、又攻撃にあたらせねばなりません。 その時、冷静な判断ができなければ、隊全体を危険にさらしてしまいます。 だから、普段体を休め瞬時の判断に万全を備えているんだと説明しました。 みんな同じことをするのが平等じゃなく、それぞれ持ち場で持ち場の役目を果たすことが組織を保つことであり大事なことです。 隊長の判断が間違えば、全員滅亡に至ることになります。 部下はあらゆる努力を駆使して、最適の判断条件を整え隊長の決断材料にし、隊長は隊の意思を代弁して、自ら一点突破を果敢に先陣きる場合もあります。 いずれも隊長と隊員が一身同体でなければ、戦果は望めません。 隊長が白刃掲げ先頭に立って突撃した時、部下が補佐を遅れたり、足を引っ張ったりしたら戦果はのぞめません。 家庭、会社にも同じことが言えますが、国家になると悲劇としかいいようがありません。
2010年05月10日
コメント(2)
日本のチベットからお届けする何気ない日々~ というフレーズが気になる「農村16キップ」という小冊子をいただきました。 どこかで聞いた日本のチベット。鳥取県。 これをさらりとうけながして、ここで生きてるよとの力強いメッセージを伝える若者のボランティア団体の活動記です。 28のムラへと続く「農村16きっぷ」 そこには、 笑顔であねたを迎えてくれる人が待っています。 今日は農村日和。 さあ、 この切符をもって 出かけてみましょう。 また、ここに。 また、あのひとに。 大学生をはじめとしたボランティアが農山村にでかけてお手伝いをしますとよびかけ28団体のNPOや町興し村おこしの呼応グループができてるようです。 又考えかたがフレシュで、すがすがしいものです。 自然の中でいい汗かいて、 誰かが笑顔になってくれる。 それが農山村ボランティア。 農山村ってどんなところ? 農作業、食、伝統、暮らし、 自分の肌で感じてみよう。 鳥取に農山村は 数あれど 一つも同じ ものはなし さあ、地域色ある祭りをたのしもう。 お米はお好きですか? 大好きです。今度は嘘じゃないっす。 そんなあなたは、田んぼに行こう。 マグマのうねりが感じられます。自然が残った未開発だったから次人間社会構築ははやいかもしれません。 チベット発言した人、聞いて怒った人も、チベットが辺鄙な山の中で人がいない、底辺の地だとの価値観だったようですが、当のチベットに対して侮辱してる事を謝らねばりません。
2010年05月07日
コメント(0)
一見マイナスのような出来事から前向きな意味を見つけ出して行動することをリフレーミングというらしい。 主役向きでないと告げられ、それなら脇役に徹しようと励んだ役が認められ、その役が主人公の放浪記となり2000回も舞台が続いたという森光子のお話。 スポーツ選手も華やかな金、銀、銅のメダルの裏に、過酷な葛藤を乗り越えリフレーミングがあるようだ。 たしかに不運に見舞われ葛藤に負け断念したら、その後のメダルのお話は欄外で俎上にも乗らぬ。 達成したからこそ そのリフレーミングが取りざたされ、賞賛されるものだが。 前向きな思考すると、脳が可能の指令をだすようだ。 ”成せば成る、なさねばならぬ何事もなさぬは成さぬ心なりけり” のようだ。 歳とったからやめとこうから俺が人生俺が主役で挑戦すべきだの考えもリフレーミングだろう。 次の人生が予約されるなら、やめとこうもよかろうが、来世は来世の風がふく。 自分の人生行動を歳で制約すれば、ろうそくの燃え尽きを待つだけになってしまいもったいないものだ。
2010年05月06日
コメント(0)
連休といっても別に慌しい人混に出掛けるより、わが家で瞑想にふけっていたほうが楽しいとは歳だといわれても仕方あるまい。 高速が1000円も最後で、若者たちは出掛けた。 四国かと思ったら、晩方電話があり、飛騨の高山にいると言う。 今日帰る予定がもう一晩泊まるとの電話である。 友たち3人だから大いに楽しいに違いない。 目でいろいろ眺めるのもいいことだ。 尺八習って、虚無僧の恰好で山形から九州まで旅する計画たて、日数計算したらやすみの40日をはるかに越えてそれじゃやめたなんて時もあった。 最上川の川上から調査用のゴムボートで日本海まで川流れ仕様と計画、倉庫から船出したら破れ舟でこれもやめたになった。 葉山での遭難はつらかった。 東北の夜はこごえる寒さだった。 友と2人。友が凌ぎ術をしってたから生還したようなものだった。 沢のぼりしていて、かえりに時間が少なくなったので、尾根に上がり尾根道を行くことにした。 だが向かったが地図にない起伏が3つもあり、尾根にたどり着いた時はあたりは暗かった。 道といっても尾根の岩道だ。 懐中電灯は1個しかなかった。 先をいくものが足元を照らしながら行く。 後ろの者は、前の者がさっき照らした所に足を下ろすわけで、記憶した場所である。つまり大きな石があったなと思いながらそっとかわして歩くのだ。何度とがった尾根の岩から滑ったか。下は崖。 全く神経つかってくたびれる。 とうとう電池がきれた。 たいまつを笹や枯れ木新聞紙でつくったが、燃えない。 居場所は地図でわかるんだが、無灯火ではどうも危険だ。 野宿を決める。 枯れ枝を集め穴を掘り火を燃やした。 それに土をかぶせその上に座り、その前に火を燃やした。 下から温かいオンドルで気持ちよかったのをおぼえてる。 腹がむしょうに減る。 鳥が鳴く。石を投げる。飛んできたら食っちゃうなんて空想したり。 未明宿泊の温泉宿についたら、テーブルにおにぎりが山盛りだ。 村の人による捜索隊が、昨夜2度出、改めて明るくなってから出るところだった。 三拝九杯したのを覚えてる。 若気のいたりと言う事か。 一瞬の光陰軽んずべからずかな。 明日は子供の日、孫と遊ぼう。
2010年05月04日
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1