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僅差で日本のサッカーワールドカップは、終焉をみました。 PK戦でワンゴール差でも負けは負けです。 かくして歴史は、ページをとじました。 何年先、何十年先まで物語られることでしょう。 もうひとつ残念な負けが、歴史に刻まれようとしています。 栄光の記録保持者で、角界を担う大関が関係ない野球のとばくで過去の人になろうとしています。 どんなからくりか、勝負かわかりませんが、降ってわいたこの事件、お相撲の世界は将にてんやわんや状態です。 若いおすもうだけの間違いならいざしらず、親方まで踏み外しがあるようで、国技も飽食に害されたようです。 外人力士の独断場はこれから続くような予感です。 残念な負けと憤りの負けが複雑にからむ今日の気分でした。
2010年06月30日
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勝てば官軍なる言葉があります。 まさにサッカーワールドカップの、予選勝ち抜きの岡田ジャパンが将にそれです。 列島 戦勝ムードにわいています。 岡目八目の無責任な予想、本人は科学的な論拠に基ずいていると自負しての発言でしたでしょうが、散々こき下ろしていながら勝ったら手の平かえすように褒める評論家はどうかとおもいます。 聞いていてこちらが恥ずかしいような発言もあります。 相手があっての勝負ですので、自分の条件ばかりで判断しても勝ち負けはどうにもなりません。 でも練習試合で勝ちを得ることができず本番で結果を出したのは、精神的に強く平常心がたもてた証拠です。 チームプレイは一個人の手柄でなく、全体のムードの結晶です。 今の状態で決勝も戦ってほしいものです。 結果はそのあとに出るものです。 好結果が出せますように祈ります。
2010年06月28日
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「だれでもいいんだ」と又無差別殺傷が広島で起きた。 秋葉原で起きた事件がまだ記憶に生生しい。 せっかくこの世に生をうけ、己の人生を棒に振ってしまうのはなげかわしいものである。 一番可哀そうなのは、被害者である。 なんでこんなことをされねばならぬか天災でも諦められぬのに、人災しかも因なきことの犠牲になるとは。 今度の事件が違うのは、先日まで勤務していた仕事先であることだ。 あきらかに勤務先に対する憎悪の念が働いている。 人間疎外の生産職場、金銭重視の社会体系の中で弾き出された負の場面かもしれない。 経営実績が上がっての配分で億を手中にするもの、方や労働配分の不足を要求するものが一体の組織体にあらば社会体制では容認されてもなにか腑におちないものも残る。 民の暮らしを、夕げのかまどの煙で判断してこころ配った天皇のお話は有名である。 会社経営にも、かくなんことがありたいものだ。 封建時代の正の遺産は、多くの負の遺産がある中で支配者が部下の生活を責任もって面倒をみたことである。又その心根と度量がないと支配者にはなれなかったものだ。 企業活動も、目的意識を共有して、同胞いしきを大事にすることが必要な気がする。
2010年06月27日
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今日は沖縄の慰霊の日です。 トップの自決により組織的な戦闘がストップした日です。 庇護もなく、 地元の老若男女は、戦火に追われ、8月20日の終戦まで大変でしたでしょう。 今も基地がそのまま現存して迷惑かけています。 せめて平和な時代らしく、兵隊の乱暴や軍機の被害だけでも厳重になくせねばなりません。 密集地から早く適地に移転することが必要です。 郷土の先人吉川経家は、部下の命と引き換えに活殺場から己の命と引き換えに果てました。 津川謙光中将は八甲田雪中行軍遭難時の青森連隊長で遭難部下の墓参りはかかさなかった倉吉の先人です。総大将の命郷土の先輩
2010年06月23日
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織田信長が絶対の権力で天下を掌握する過渡において、まさかの家来明智光秀に討たれ野望が途絶えたのが本能寺の変です。 有名な”敵は本能寺にあり”の語句をうみだしました。 光秀が政変後の始末に、天下とりを経験したことのない者の取りこぼしがあちこちに出て、挙句秀吉に天下を乗っ取られることになります。 もしも信長が生きてたら、歴史は変わっていたでしょう。 中国地方の毛利も秀吉の巧みな和平交渉で終結させられ、これが山陰伯耆でも南条と吉川の最終戦の回避におよびました。 岩倉小鴨城は焼け落ち、焼け跡から大将らしき首を探して検証の時期で、次に羽衣石攻めにかかるところでした。 瓢箪から駒を得た秀吉、毛利から離反して豊臣についた南条、岩倉城から逃げた小鴨は豊臣の栄華とともに陽の目を浴びました。 しかしこれも関ヶ原の戦いを境に負け組となり、城も解体され、南条、小鴨離散の憂きを負うことになります。 時代は変わっても、同じ経過の現象が社会に政界に垣間見できることがあり驚きます。
2010年06月23日
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サッカーのワールドカップで日本代表がカメルーンに勝ちました。 大騒ぎで、興奮状態で一日中テレビが放送しています。 勝てなくって監督の評判は良くなかったが、本戦に勝ったことで帳消しで、今まさに頼りになる人に早変わりです。 次の戦いも沈着にがんばってもらいたいものです。 はやぶさなる人工衛星が、7年も経過して火星との間の惑星探査してかえってきました。これも素晴らしい科学の勝利です。 さっそく国会で2番じゃダメですかじゃできない技だと批判がでていたようです。 途中何回もアクシデントがあって、それをクリアしての勝利はみあげたものです。しかも遠隔操作の技だから、隔靴掻痒どころのものではなかったでしょう。 その学のふかさに敬意を表します。 勝と負けるで歴史も豹変することを証明しています。(3人の二代目) 織田信長が本能寺で、天正10年(1582)6月1日、明智光秀から謀反の刃を受け天下布武の夢半ばで終えました。 まさに織田勢から消えされようとしていた上杉勢、秀吉勢に水攻めで対峙され劣勢を強いられた毛利勢、信長の出陣があれば大手がかかる段階の詰め状態でした。 信長が殺されただちに毛利と和平条約を結び、一転秀吉は、光秀討伐に駆けつけ、天下を掌握しました。 ここ伯耆は、岩倉城小鴨元続を落とした毛利勢吉川元春が、本命羽衣石南条攻めにとりかかろうとした矢先でした。 和平条約により、戦火を免れ、2分領有されました。 その後関ヶ原の戦まで大きな騒ぎなく経過しました。
2010年06月15日
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時は今 天(あま)が下しる五月哉 いよいよ、明日5月晦日織田信長が京に入り、本能寺にご宿泊になります。 翌6月1日に重大な茶会が予定され、長男信忠も出席予定で妙覚寺に入京、配下軍は洛外におき、まわりには500人ほどのみで待機。 1万余の明智軍が暗殺者と化する日まであと3日。その日、6月2日。 企ての成功に密を要し、決行を知らされた者が「もうしかたない」と思う状態まで隠密裏に事は図られた。 知らぬが仏。 ここ伯耆の国はその時。天正10年(1582)5月。 5月になり吉川元春1万騎の兵をもって岩倉城を攻め攻防あまたの後5月25日に炎上陥落しました。 城主小鴨元清は、裏山から南条羽衣石城に逃げ、重臣永原玄蕃が身代わりとなり炎上する城と共にしました。 一筋に重いきる矢のあずさ弓 またひきかえすこころなけれど の矢文を玄蕃が放ち、これを大将元清と思わせ、吉川軍は、小鴨元清が猛火に消えて死んだと思い焼け跡から首をとりだしました。 ちょうど吉川元春がその首実験をしてるころが、京の嵐の前のこの時期でしょう。後で違いをしることになります。 小鴨元清は後に打吹城で南条の代官として復帰しましたが、身代わりの永原玄蕃の供養はどうしたのか、墓がみあたりません。
2010年06月08日
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昨日は田植えでした。 公民館の有志の方がいろいろな行事を共有して、交友をかわしてる集まりなんですが、その中の一部の行事で老人会長さんが放置田んぼを借りてイネつくりを始めた一つです。もう3年めになります。 老人会長さんといっても70の元気な方で、自分も田んぼを作ってるお百姓さんですので、ほとんど、準備から水の巡回、途中管理は、一人にまかせっきりです。 はだしで田んぼにはいるとひんやりとして、足裏に感じるぬるぬるとした粘土の感覚は、心地よい癒しの感覚です。実際に粘土鉱物のカオリンがマッサージしてくれます。 適度に交代をしてくれるので、腰が痛いという苦痛まで味わさないのが有難いものです。 田んぼの畦での休憩には、若いお父さんがたが、冷たいお茶、おやカンビールまでふるまっています。 振り返れば小さなイネの緑が、広い水面にかき消されまいかとばかりに小さく風にそよいでいます。 広い田んぼも、稲のそよぎにかわりました。 先発隊が公民館に帰り、打ち上げの料理をしています。 JRの食堂で本職のシェフがチーフだからチョットチョットでも、豪華な有り合わせだからすごいものです。一緒に料理する若者もみんな一流の料理人さんのように上達しています。 老人会長さんは、田植え後の水の管理、植えムラの捕植など済ませてかえってきました。 一同みんなで乾杯。なんと冷たいビールのおいしいこと。 今日植えたもち米は、公民館行事で何回何臼もちつきできると会長さん、帳面に計算しています。 もう収穫後の構想が語られ、みんなが稲刈りがえらい、稲扱ぎが大変と、もう先のことで盛り上がりです。 この小さな集まりが、大集団の公民館とくに小さな子供たちが集まれるようになればもっと楽しいでしょうが、来年はもすこし広がりましょう。
2010年06月07日
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管総理大臣が決まりました。 普天間問題は、混迷のままです。おめでとうなのかごくろうさんなのか。 民主主義とはなにかと沖縄の方が、政府主導なるもののやり方に怒っていました。 政権によって、政治主導は変わるが、受ける生活受動者は変わらないから、竹に木をついだ事されてたら混迷します。 前政権で決定したのを否定しておいて、住民をその気にさせて、挙句又元の案に戻したら反対は倍加しましょう。 担当部署の官僚は、経過を充分存じてるから、その蓄積知識も聞き、前政権の経過も聞く超党派の活動が外交問題、特に安全保障問題には必要です。思いつきでやり失敗はゆるされないことです。 天下りの悪だけが喧伝されて、官僚のこれまでの実績をないがしろにしてはいけません。対立構図がうかがえます。 又、政権とることばかり策して肝腎の政治をないがしろにするから、金、金がらみの問題をおこすのです。 参院選挙もどの政党と決めかねる、政治不信の声が巷に満ちてることを政治家はしってほしいものです。
2010年06月05日
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