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昨夜、天気予報でも大雪情報、腹をゆするようなドンドロケの雪起こしの唸りを聞くと、明日朝の雪掻きはチトしんどいぞと覚悟して早く寝ました。 今朝、寒さしのんで、玄関から出て驚き、歩道の雪掻きがしてあります。 市内へ向け小鴨橋方へのこの道路。 反対方向の日交へのターミナルに向けてのこの道路。 横断歩道口で佇む処もきれいになったこの道路 農高線の通勤道路も雪乗せた車がひっきりなしに通ります。 鴨川沿いの通学道路も、子供が2列で歩けるように除雪してあります。 わが班の班長さんです。インターネットで除雪機買ったと聞いてはいましたが、こんなに朝早くから、広範囲に、通勤者、通学の子共たちがどれだけ喜ぶかありがたいことです。 ついでに駐車場もしましょうかと隣の若者の出勤も滞りなく発車オーライ。 豪雪予報は、あんまり当たりませんで普通の雪でしたが、班長さんのこの屈託ない奉仕には、ビックリポンでした。 きょうは、鳥取湖山まで、大工仕事だと出勤していきました。 通学の子共たちが、白い息はきながら通っていきます。 横断歩道では、前館長と裏のおじさんが赤い服きて、子供たちを誘導しています。 「ごくろうさん」 今日も1日がはじまりました。
2016年01月25日
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昨日は、ドンドさん。広場で公民館若手が、お世話し、新年飾り、旧年祭事雑事等、感謝して永遠の祈りで炎にかえました。 初染の習字を燃やして、高く舞い上がるとうまくなると、よくやったが、指先で意思を通じIT文明には不向きか、一つも見受けられなかった。 でも炎に魅せられる瞳は、昔と変わらない連連でした。 昨年まで、大きな声で、仕切っていたF社長が、この日葬儀で天空へ旅立ちされるのも奇しき巡りあわせです。冥福を祈ります。 社長は、どんなに夜遅くまで付き合いしてても、翌日は朝早く会社の前に水をうち、掃き清めていました。ドンド広場も準備、跡かたずけも、参加してやり、きっちりしないと、怒鳴っていました。わかものがひきつぎしていました。 11時からわが班の新年会でした。 いつの間にか、年長になって、乾杯の音頭です。 あんな爺くさいことは、喋らんぞと思ってた長老に、早やわが身が。 鳥取震災の記憶を聞いたら、みんなまだまだ宇宙にいたんで知らんものばかりでした。 夜、7時から、缶の回収の当番で、みんなが持ってくるのを受け取り番で大忙し。 敦賀で職場結婚した奥さんが、旦那についてきたという方が当番で一緒。 まばらのお客をまちながら、世間ばなしでした。倉吉の人はいい人ばかり、という、本当によかった。 さて、丙申は、60年前は、1956年(昭和31年)もはや戦後でない」と言われた経済の回復の年。太陽の季節などでにぎわった年。丙はかまどの火が燃えるさまらしい、丙午(ひのえうま)の女性は、気性が激しいなどいわれる丙だが、なんとなく騒動しい気もするが、樹木の果物が熟して、実が固まっていく様子の事もあり心安しとする。 何かを始めるのでなく、これまでの頑張りを形にする、形になる年だという。 今まで評価されなかったことが評価される年、みえなかったものが見えてくるというありがたい年のようです。 そういえば、継続してきて、息切れして、どうしようかと悩むことが多くあります。原点にかえって考えましょう。継続は力が、実を結ぶという嬉しい年にしましょう。
2016年01月12日
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呪文を解くなんて、魔女みたいだが、 例年、正月に暦年から20歳をひいて、「これが、俺の年だ!」と自分に言い聞かせていました。 なんとこの呪文よく聞いて、定年になった人とも、対等につきあえました。 先方は、迷惑だったかも。 でも当方は、結構まじめに同年代の気分でした。 むしろ、定年生が爺臭いなと思うほどやきもきしたこともありました。 「鳥取震災の時、どうだった?」など聞いて 「生まれていなかったですよ」と答えられ、現実にかえることもありました。 力仕事も、特別にひけを感じませんでした。 暗示というものは、奇異なものでその気になるものです。 今年から、呪文をやめました。 きちんとした、先輩として伝えるべきものを整理する必要に迫られました。 我が家においても、孫孫に伝えることをきちんとすることが必要です。 なんて力んでもそんなに変わりませんが、立ったり座ったりするのが、爺臭いようなバネが弱ったような気がするのが不思議です。
2016年01月04日
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あけましておめでとうございます。 本年もよろしくおねがいします。 破竹(8・9)の会の友もだいぶ鬼籍に鞍替えしたものが多くなり、賀状の季節は、複雑な感情になります。 昭和の一桁の意気を、心おきなく発揮するよう頑張りましょう。
2016年01月01日
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