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湯梨浜町が熱気に包まれた日曜日の昨日でした。 橋津藩倉が地域における先取の発展を促した証と、馬ノ山古墳時代からの文化の中心が形作られた所以の講演会でした。水運の利、地形の利がここ中部地の濫觴がうなずけるものでした。 会を終え、古墳地以外の地に大量の埴輪が発見されたという高浜遺跡にいってみました。 なんでだかと不思議がられていてまだ解がないようです。 今は中部地区の下水道の終末処理場が、高浜遺跡地にでき、中部の中心としてあるのは、くしくも昔も今も中心地として、重要なところの様です。 遺跡地の裏の高所に道があり、天辺から遺跡、処理場、ひるがえると日本海も遠望できます。 終末処理場のおおきな建物の横に黒々と敷設された太陽光パネル群が、遺跡地の横に遠望できるのもなにか、違和感なく感じられるのが不思議でした。 高規格道路が急ピッチでつくっられており、目下には立派な道路がもう完成していました。 新時代の中心地として栄えてほしいものです。、
2016年03月28日
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寒かったり、暖かかったりがするので、とうとうついていけず、しまったと思った時すでに遅く、風邪ひいてしまいました。 ひいてしまったら、中々咳がとまりません。 病院にいかず、風邪ぐらいでは、いつも治まるのを待ちます。 でも今回は、思い出したように、咳がでます。 1昨年、アルコール漬けのウマブドウが琥珀色になっています。 これを100均で買ってきた、スプレイにいれて、喉がイガイガした時、噴霧しました。 アルコール気はぬけており、快い感じです。 4-5日、思い出したようにスプレイしたら、いつのまにか咳しなくなりました。 息子も咳してたので、スプレイ用意してあげたら、信用しないのか一つもへっていません。 時々、まだ咳をしているようです。 薬草を言い伝えする田舎には、思わぬ民間薬があるものです。 竹の炭を焼くときにでる煙をとり、冷却すると酢酸がとれます。竹酢といいますが、これなどむかしからの民間薬として最たるものでしょう。 炭焼きに水虫はいない。 よく言われた言葉です。 タールが混じってるので、お風呂にいれても、においがして、子供さんに嫌われます。 歯が痛いときなどいいですが、このタールのにおいに困ります。 そこで、これを又蒸留して精製する方法がありますが、まだ完全にはタールの香りはぬけません。 これを炭を使って、精製すると色も透明、タールのにおいもなくなります。 ウマブドウのスプレイと後ろにある試験管は、5年前工学部で成分テストしてもらったときのものです。成績優秀でした。 リューマチのかたが、手が痛くてならぬのが、治まるなどの効果がありましたが、肝心の竹炭の方が、需要を満たせず止めたので中止状態です。 今日は、友達が所望で、ウマブドウ詰めたところです。 昔からある、民間薬の薬草はいたるところにあります。 即効力はあまりありませんが、民族の経験の積み重ねです。 化学薬品の薬ばかりでなく、薬草も利用すべきです。 田舎にいるものの特権、庭の隅に薬草うえてみましょう。 たくさん植えられますよ。 ちなみにウマブドウはこんなものです。、
2016年03月27日
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去年の写真で恐縮。 今年のタケノコはまだ。準備整えて。 ぜひ今年は、竹水をとって、田舎者しか味わえない新鮮な天の恵みを味わってみましょう。セリン、ヒスチジン、リジン、プロリン、バリンなどのアミノ酸を含有してるといいます。<岡山での先人の分析されたものです。
2016年03月22日
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小鴨川、竹田川をが合流する天神川の氾濫の歴史は、数多いものです。 河原町小鴨橋土手にある、千人波止の立て札です。 小鴨川が天文の洪水で流路を天神野ふもと西側から、現在の片側といってる東側に変えて流れるようになりました。 鴨川が小鴨川の西側に並行に流れていますが、これが昔の小鴨川の跡で、その後も現在の小鴨川は氾濫し、この鴨川も呑み込む洪水をおこしています。福守にある洪水被害の記念碑です。 竹田川にも千人波止が東高そばにあるので、いってみましたら、立て札は、河原町と同じもので、両方の説明がかいてあるものです。どちらにいっても両方のことが分かるって寸法でした。 そばにある公園に御影石に書いた、歌がとても心にしみました。 まぼろしの 沖なる波止はいまになく 名もない人の偉業ぞ残りき ここからすこし上流にいくと、勝宿禰神社があります。 里見安房守忠義公も、山守の地に行く前に居住されていました。
2016年03月17日
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先週土曜日に灘手で博物館の古墳のお話しがありました。 縄文時代の狩猟、漁猟の採取生活から、稲作伝来の弥生時代に変わり、大陸文化も伝来し、ムラができ、管理しくみで長が必要となり、上下関係も生じ、長がなくなると、大きな墓がつくられる古墳時代をむかえました。約1700年ほどの昔のこと。 お話しの中に、いつも通ってた道路わきにも古墳があるとのお話しでした。 中部の話題で大騒ぎを起こした、火葬場候補の場所で、反対運動があり、長年もめ、ようやく別の場所に決まり、ここは工業団地として、スタートしたところです。 規模は小さいながらも、大きな板状安山岩の岩石を積み重ねてあります。 あきらかに古墳それらしきものが、あちこちにあります。 学術的には、どうなのか、今後どう保存されるんのか、もう頂きには、工場が建設され、トラックがひっきりなしに出入りしてました。 新素材開発の新商品を作る最新工場だそうで、今月末には、もう製品おひろめがある段階だそうです。 古の思いと、現代の思いを交錯しながら、最新の技術の粋を、鄙びた片隅の地で光を輝かすことでしょう。 桑田変じて海となる次元よりもっと別次元のお話しかな。
2016年03月14日
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福島原発の東北震災時の映像と記録をもとにした映像番組が偶然に目にし釘ずけになりました。 石油、石炭と同じ鉱物資源のエネルギーなのに、かくも高度な核反応、神域まで手をのばしたエネルギ―取得で、原子力発電までいった、人類の頭脳は、すばらしいものがあります。 鉱物を掘削するときは、フイルムバッジをつけてはいても、それがどう体に影響をおよぼすかは分からず、カウンターを近づけて放射能の有無がわかる位です。 それを濃縮して、原料にする技術も偉大、それを原料にして発電するシステムを構築した頭脳も人類の発展史上、最たるものがあります。 しかし、一回の地震と津波位で、制御不能になるほど危弱なテクノロジーだったのかとは。 一番陳腐な、原始的な、「想定外なる言葉」で説明せねばならないとは。 なさけない最低の釈明です。 でも、命を捨てた覚悟の所長、担当者の心意気は感じました。立派でした。 事故後の現場の方々の行動には、最高の敬意を評します。 途中、現場の事もわからず、東京から指示する怒号がはいっていましたが、これには、腹がたちました。 危機は一発といいます。一瞬の判断が必要です。 現場の状況は現場の長が命かけて、判断指令するものです。 現場長が判断仰いでの返答以外に、本部、上層、政治が口出し無用です。 発電所立地の地下にある断層を、ある、ないを、学専門家の衆議で決めることもおかしいものです。 死火山がなくなったように、活断層の反対もありません。茶碗のキズは、接着剤でつけても、所詮われます。断層は断層。 日本においては、断層があるものとして、断層にも大丈夫の構築を考えるべきです。 5年たってもまだ、家に帰れない人々が原発事故福島にいます。 安全の言葉を信じた人々が可哀想です。 科学の猪突猛進以外に、言葉はありません。
2016年03月14日
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東北大震災があって、5年もたちました。 テレビで放映されたあの惨状は、今も鮮明です。友も多く被災しました。 かなりの復興はあっても、まだまだですが進行中で、天災から決別中です。 しかし、福島の原発事故後遺症は、復興どころが、人の侵入をも拒否し、テクノロジーの判断の過ちに、人災の赤キップを突き付けられた状態です。原子力操作には、想定外があっては絶対にならないものです。 しかしウラニウムは、大自然の産物ですから、最高のエネルギーであることにはかわりありません。 しかし、扱いが安易では、天足違反をおこします。あまりにも負の代償が大きいものです。 テクノロジーにアグラは禁物。もっと謙虚が必要です。 石炭、石油、ガス段階のエネルギーが、豊富に埋蔵してるというメタンハイドレードが日本海にも存在することは、聞いていましたが、その講演が図書館で、ライブ中継聴講できるときき大急ぎでいきました。 10時半はじまりに、3人の来客です。、ところが、中継が悪くて、なかなか始まりません。 担当の事務員さんが部屋から出たり入ったり、本部との連絡に大あらわです。 5分、10分、事務員さんの訪れまだかな? 「15分たった、もう帰ろう」。感想かいて、荷物もって立ち上がった時、映像が映りだしました。 メタンハイドレード講演は、もう渦中に入っていました。 着座して、講演に引き込まれてしまいました。、あの想定外?の電波不到着の人災にも、もう立腹も忘れるほどでした。 台風、高潮、津波など自然の脅威を内包する空間にまだこんな資源が残されていたのか。 排他的経済水域は、国土の8倍の面積が舞台です。 今資源量把握の段階で、これは産出試験の前段階だそうで、獲得できるかは、まだ山のものでないことだけは明らかですが、海のものでも、埋蔵量は桁はずれみたいなもので、手にいれるにはもう少し。 そんなこんな1日でした。、
2016年03月12日
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「百きん」に行って、スプレイを買ってきました。 セキが出て、なかなか直りません。 我が家の庭になったカリンの実で作った、カリン酒が2年ものになってるのを、スプレイにつめて、喉がイガイガするときスプレイで喉にあてると、なんと気持ちがよくなります。 大体、家伝薬として、カリン酒は、喉、風邪によろしいとされて、重宝されてきたものです。 老妻もエヘン、エヘンと喉がおかしいと威張っていましたが、私のスプレイしてるのをみて、「私にもほしい」というので、作ってあげました。 寝る時も枕元においていましたが、良くなったようで、万々歳です。 竹酢も竹炭を作る時に出る煙からとれるものですが、炭焼きに水虫はいないというジンクスがある位、お風呂に入れると温まります。唯、タールのにおいが好き嫌いがあり、害することもあります。、木炭にタールを吸着させると透明になります。これなら、のどの赤いはれも、スプレイでよくなります。(私の人体実験までのこと) 携帯用香水のスプレイがあったので、人中にでる息子や娘の分を作ってみましたが、気にいったら使うでしょう。 医者のくすりが最高としか思ってない、現代人には、民間薬はあんまりこのまれないようです。 さて、痴呆症の年齢が、異様に若年化してるのをご承知ですか。 原因は複雑怪奇ですのでわかりませんが、発達する文明社会の食品、添加物、空気が蓄積して種々の現象がでるなどかんがえられます。 ネズミやウサギに実験して、害がないからOK。 今、人にも害がないからOK. 遺伝子組み換えの技術まで、人類は手にしました。 誤ると子々孫々まで被害を及ぼす、原子力まで操れるようになりました。 進歩はジェット機並みで、その検証は、ミレの落ち穂拾いのように感じてなりません。 tppも構想はいいですが、遺伝子組み換え表記にしても、実験で害がないものを、表記して格差つけるとけしからんと、表記もダメになり、国際裁判にかけられ、逆に罰金とられることもありになるやも。 田舎には、田舎ものの素直な安全が仰山ありです。 この宝ものを、じっくり掘りだして、スロウライフを享受したいと思います。 こんなライフがしたいと思うものは、どうぞ田舎にきてくださいよ。 まじめな集まりのnpoだってあります。
2016年03月03日
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三十年 続く関金子供歌舞伎 父成しし役 その子演じる 白塗りに 眉隈取りと 墨を入れ 凛々しき武将の面立ちとなる 里見氏子孫の会の会長さんが、寄稿された、歴史書の中にしるしてありました。 毎年、9月忠義公を偲んで、里見祭りが倉吉であります。 位牌安置ある大岳院から、終焉の地山守まで、武者行列をして、公を偲ぶという行列です。 勿論、数里離れたところ故途中はバスにて移動してます。 武者行列は、山守小学校に到着、講堂の壇上で、威勢のよい凱歌をあげます。 これを受けて、小学校講堂では、6年生が、里見主従の紹介を子供歌舞伎で演じます。 馬琴先生の南総里見八犬伝の物語と混交しますが、まあ400年の年代で容赦ください。 人数が6年生だけでは足りず、下級生からの飛び級演出もあるようでした。 里見会長さんの歌のごとく、卒業生がかえってきて、練習に応援するといううれしいお話しもあります。 当時、子供歌舞伎を考え指導したという、公民館長さんは、歌舞伎などの演芸経験はなく、みずからも手探りで学んだというから見上げたものです。 その公民館長さんは、現在退官なさっていますが、季節がめぐると山守の小学校の子供たちの中にあって、里見忠義公をしのんで演技の指導をつづけておられます。 例年春に、倉吉市内の小学校が全部集まって、陸上競技大会があります。 校名を記したテントに陣取り、応援合戦が繰り広げられます。 山の中の少人数とおもいきや、山守小学校は、その応援の声の大きなこと、威風堂々とその存在を遠くからもわかります。 ところが、学区改革で、人数が少ないことで、お隣の関金小学校と合併になってしまいました。 里見祭り武者行列もエンディングの子供歌舞伎につなぐことが、クライマックスです。 大きな学校に行って、地域の子供が歌舞伎を続けられるか、学校として歌舞伎を続けるかなど、今年の祭りは、大変でしょう。 新体制の子供歌舞伎、元公民館長さんは、せっかく根付いた文化と自信をなんとか続けようと活動してられるようです。歴史の中には、問題がいつもあるようです。
2016年03月02日
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