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先人の努力、すばらしい遺産。 今は、時代の骨董品かもしれないが、当時の第一線で、群を抜く気迫の伯耆魂をひしひしと感じられる。この往時あった、資料館の写真をながめるに。 一時期、日本の鉄事情の9割を賄ったことがある中国山地の砂鉄産業、その一翼をになった伯耆の先人魂。砂鉄から錬鉄を、鋼をとり千歯、農業用具等の工業製品まで手掛けた実績は、すばらしいものがあります。これら遺産の資料は倉の中にしまい込まれたままです。世にだして、魂が躍る場所作りしましょう。
2016年05月31日
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1昨夜は、うだるような日中の余熱があり、水べの草も、乾燥していました、 ホタルがほとんどいなくて、まだ早い時期かなと思っていましたが、昨夜は、霧雨が時々ある天気でしたので、飛んでいました。 今まで、両岸から繁茂した草に覆われたこの小川が一番のホタルの住家でした。 立派なコンクリートの川になったので、ホタルの住家は、この川に流れこむ小さな奥の溝川になったというわけです。 だから、炎天で湿気のない日は住家の草が乾燥して、根っこの土にへばりついて、ヒカリもかすかの状態だったのです。 待ちに待った山陰自動車道の即線北条湯原道が北野天神さん下までのびてきていますので、倉吉市街地からの連結道が作られています。 打吹山のすそ野から立派な道路が作られています。 片田舎の中に新風がきますが、ホタルさんには、居住が変更になります。 まだまだ、田んぼはありますから、住みやすい場所をつくってやらねばなりますまい。 公民館の集落支援員さんが、ホタルの里作りに参加しませんかという呼びかけは、時期をえたもののようです。左端が北野神社の森です。その向こう側を高速が走ります。
2016年05月26日
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倉吉~関金間開通祝歌 新緑もえて 水清き ここラジウムの湯の香り 関金駅に今日よりは ひびくきてきの うれしさよ 関金たって上小鴨 左に高き大山や 船上山をあおぎつつ 小鴨の駅もはやすぎぬ 西倉吉や倉吉と 山のこだまもせせらぎも 今日開通の喜びを 乗せてうれしい汽車の旅 明治45年6月1日軽便鉄道として上井駅、倉吉駅間4,2キロが開通。 昭和16年5月17日倉吉駅と関金間11,0キロが開通 昭和33年12月20日関金駅~山守駅4,8キロ開通 昭和60年3月30日をもって倉吉線廃止。 倉吉線は廃線を選択。若桜は存続を選択。 どちらがどうかは、条件が異なるので答えはない。 選択した以上、それ以上の効果を発揮せねばならない。 高速道が、北野神社そばまで延びてきた。 早く関金温泉までのばさねばなるまい。 あの開通の喜びを又味わってくだされよ。 里見の殿様も北野神社まで足のばし山守むけて行列なさる。
2016年05月24日
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ホタルの里つくりしませんか? 携帯に突然かかってきました。 地区公民館に集落支援員制度ができたようで、その方がピンポイントしての電話のようでした。 もともと当地区を流れてる2級河川鴨川は、河川愛護団体なる仲間が、10年前から、掃除してきていました。ホタルも毎年とんでいます。 あらためて、言われると、川掃除とホタルの育てとドッキングすればいいだけで、OK!なる返事。 河川の愛護団体会長に報告すると、「昨日ホタルがいて、見せようとかごにいれてた」と先方から報告され、目的をいうと、早速公民館に行ってくるともう乗り気です。 夜になり、アサドラの愛くるしいお母さんのたけのこほりと、人間臭い鶴瓶さんの「家族に乾杯」をみて、鴨川にでました。 1匹。----1匹。----1匹。 います。 西中橋までは、散漫でしたが、その上の小さな支流になるといました、20匹、30匹。 もうホタルの季節になっていたんですね。 こたつを仕舞って、寒くなり、往生した思いをひきずっていたので、もうホタルの時期とは、ちいっともきずきませんでした。 ウォーキングも、おっくうで、腹が出たと母ちゃんの嫌味も受け流してたんで、ホタルの出現をみのがしました。 やっぱりホタルが舞う光景は、田舎の特権です。 長生きさしてもらいますよ。
2016年05月23日
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3尺下がれば清くなる。 昔の川は、そういったもの。 今は、浄化力能力を超えて酷使してるようだ。 わが班は、2級河川がながれている。 その土手の道路が通行止めになった。 橋の下にゴミの山ができて機械で搬出せねばならないほどの事態発生。 田植え前の水路掃除で、流れてきたゴミらしい。 作業員がフォークをさしてもなかなかとれない。 よくみるとクレソンの塊で根がついていて異常に太い茎が成長し絡み合っている。 橋の下は、日陰で成長の条件が充ちたようだ。 クレーンで引き上げる大がかりになった。 審議員さんと館長さんが、市役所にかけあって掃除になったよう。 大型車が止まったら、交通ストップのものものしさ。 大水が最近あったこともないし、上流へいってみた。 ある。ある。 途中にひっかかったものは、適当に枯れ、新しい茎をだしてるのもある。 2キロほど上がると、もう川面はみえぬほどのクレソンや藪の繁茂。 この上で川掃除したものが、ひっかかり、ひっかかりで下まで流れてきたのだろう。 一汗、二汗かいて、帰ってきたら、綺麗に川は掃除されてありました。 クレソンはきれいな水に育つといいます。食堂で小さな香りがみなぎる時はいいが、こんなクレソンはうんざり。大水があれば、日本海にみな流れる。なんとかせねばならない。 22日は総事、せめて、町内分だけでもきれいにせねば。 3尺さがっても川はきれいになりません。
2016年05月20日
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最近のニュースは、目をしかめることが多い。 オりンピックは、体力の限界を競い合う祭典なのに、会場の取り合いが、一つの競技になっている。会場決定権の委員をめぐっての地下での暗躍ぶり。リベートが、動いているとか、いないとか。 会場決定が、神聖な記録更新の場所提供が名誉ならいざ知らず、富の収斂の機会優先のみえみえが伺える。 競技者自身も、他と秀でた技をのみ自負し、精神を忘れ、八百長に組したり、薬物に手をだしたりする輩もでてくる。 公金だか、私用の金だか盛り合わせが判然としないで、調査せねば、分からぬリーダーもいるようで、いいわけばかりで判然とせねば、家来もいうことは聞いてくれないだろう。 地球何周分走行のガソリン代使ったと指摘された国会議員もいた。 汽車通?で、地方視察の旅費計上が、暦とずれて、泣いて記者会見で訴えた地方議員もいた。 阪神、東北、九州と震災が、忘れるどころか、記憶に生生しい間にやってくる。 しかもまだ、大分、熊本は、記録にない長丁場の震災中である。 よっぽど褌しめて、今を乗り切らねばならぬだろう。 4年たって、東北では、ボランティアの方々の助けで、津波に失ったものの替わりに仲間の情けを得たと、民宿を営み、海の幸を直接提供し今も交流してる暖かいニュースもでてきた。 熊本、大分にもボランティアの方々が、暑いなかがんばっていられる。 なんとか、明るい話題でみちあふれる社会にしたいもの。
2016年05月17日
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昨日はシニアの遠足、4台のバスで、若桜駅へむかいました。 雨、雨、百名弱なんなんとする参加者の大遠足にしては、いささか気の毒な天気でした。 恋山形のピンクが、桜の開花にあわせ若桜の機関車にも伝播した如くで装われていました。 あざやかなピンクに変身ぶり。 ゴールデンウィークに訪れたお客は、住民数より多い4000近くあったそうです 昨日、ゴールデンウィーク終了でイベント終了。 みなさん、ホットして、一息。そこに大挙して訪問。 構内ごったがえし。 ここまでだ。鼻先をかわして方向転換。重たい機関車を乗せてくるりとまわした転車台が、歴史を物語っていました。昭和5年開通。俺と同じ歳だはM爺。 ウィーク終了でホットしてるところに、百近くの人間が訪問したので、大変でしたでしょう。 社長さんが、小雨にぬれてメガホンもって、現地説明です。ありがとうございました 若桜は、林業のまち、若桜杉は、ブランドとして有名、全国に知られてきました。 鉄道もそれにつれ伸びてきました。 でも木材世界事情がかわり、流通の変遷により、辛苦する状況が訪れ、人口も流出、斜陽と化しました。 社長さんは、場所を変えお隣の広間をかり、そこで若桜鉄道の奮戦記を語ってくれました。 若桜線も、例にもれず採算割れで、国鉄から切り離され、廃線の危機を第3セクターで存続にかけました。 その生き残りの策を、地域おこしとパックにして、20人たらずの社員で模索し努力奮闘まっしぐら中でした。 みじんも、悲壮感はなく、次にどんなアイデアが生まれるのかという期待感までわきました。 さすが「即戦力になれること」の公募条件をクリアした、応募社長さんでした。 「このお話しをきいただけで、大満足だ今日の遠足は!」とW爺の独り言。みんなに聞こえた。 お隣の無人駅は、これまた、名前が「隼」であるため、全国のオートバイ隼の仲間が終結する有名スポットができました。今年も沿線全駅参加で、歓迎イベントしたそうです。 ピンクの機関車は、イベントの夢をむさぼるのを止める如く、私たちの見学が最後で、明日、社員で黒に塗り替えられるそうです。ing,ing.次に進すもう。 ちょうど同じく倉吉線も赤字路線で存廃の選択の岐路にたち、廃線を選びました。 頭真っ白のL爺、「倉吉線の廃線は、人心まで廃線したままだぞ、倉吉・関金繋がねばならん。」シニアの快挙図らねばならんと帰路の車中で息まくことしきり。 ここには、ここの生かし方があるはずです。 戦中経験の者ども、気分だけは、まだまだ若い魂もってるようです。 今日の遠足、これまで。
2016年05月10日
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北野神社の境内、パブリック ロードに面して2本の桜の木があります。 名づけて「里見桜」。 平成20年に植えられたものですが、1本は大きくなり1本はなぜか未熟。 お隣の自動車学校の桜並木の桜に見とれ、みんながこの2本の桜も精一杯咲きましたが、見過ごしていきました。 根元に、小さな看板が、かけられていますが、よくよく注意しないと見過ごします。 南総里見八犬伝のモデルとなった里見氏とその家臣八人の終焉の地は、遥か伯耆の国現在の鳥取県倉吉市でした、倉吉に流され、土となった里見忠義公が、桜になって館山に里帰りするというストリーを基に倉吉市で育成された百本以上の「里見桜」(ソメイヨシノ)が千葉県館山市に贈られ館山の城山公園などに植樹されています。 この桜は倉吉市の同じ圃場で育てられた「里見桜」の兄弟桜です。 平成二十年春
2016年05月03日
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400年前、里見忠義公が北野天満宮を造営されました。 鬱蒼とした境内は、往時の巨木が、ものいわず厳粛な心地にしてくれます。 忠義公が、元和2年(1616)9月に天神さんの社殿道営されて、400年め。昨年、里見行列が、初参拝し、丁度北野神社も、近隣の神社と合祀100年目であり、盛大にお祭りしました。記念植樹もあり、これからの100年、200年、400年へと巨木の卵が上られました。 社殿の隅に、杉の巨木伐採根が、砂利をかぶってみつけました。 先輩に聞くと、どうやら年輪は、400前後。精査の要あり。 社殿の隅であり、切株はまだ腐ってなく、木質十分です。 年輪に偲んでる情報をききだしたら、里見のお殿様もでてくるかもしれません。 大学の年輪にくわしい先生も見たいとのこと。 連休があけるのがたのしみ。 殿さまお手植え? 空想は、大きなことがいい。 今夜のお酒がうまいと仲間のおっさん。
2016年05月01日
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