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沖縄の戦いが、組織的な戦争がトップの自決で終結した日が昭和20年6月23日です。終戦が8月15日だから迷走の戦いが強いられたわけです。
住民の集団自決、壕内で泣き声を制せられて死に至らしめられた幼な子、生き死にの戦場とあれば、常軌を逸することが行われましょう。
軍が集団自決をすすめたかどうかが再燃していますが、それより、自分の命と引き換えに非戦闘員、子供を助ける道をトップが講じれなかったかを問いたいとおもいます。
時は遡って天正9年(1581)有名な鳥取城渇殺作戦が、羽柴秀吉によって丁度今時分行われました。
当年の2月に推挙されて城主に赴任した毛利軍の吉川経家35歳でしたが、篭城すること5ヶ月。
城中の食い物ことごとくなくなり、壁土のわらまでむさぼる有様。
そこで城中全員の生命を助ける約束をもとに一人真教寺で切腹し果てました。
秀吉もあっぱれなる敵将の願い聞きとどけ、信長もこれを褒め称えました。
秀吉が姫路に軍を引く時は、秀吉のこの好意に家来となる志望者が増えて多くなって帰えったといいます。
又、地元では一命をもって民を救った吉川経家を今も威風堂々とした銅像を建てあがめています。