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2018年09月25日
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カテゴリ: 伯耆の里見忠義
9月3日14回目の里見武者行列がありました。
大岳院から倉吉市内を歩いて終焉の地関金の山守までバスでいっていましたが、途中北野の天神さん(今は北野神社ですが)、ここに参拝してから、関金に行くようにしました。
今年で参拝は4回目です。

 北野神社は、北野天満宮社殿に近隣の中西神社、稲荷神社、福岡神社、秋喜神社を合祀した神社で、平成27年で丁度100周年であり、はるばる房総より里見安房守忠義公が伯耆倉吉の地までおいであそばした慶長5年から400周年、しかも公が、このきたの天満宮を修造くださった御縁があります。

 この栄えある御縁の年に、里見武者行列が参拝しようと試みたものです。
 地元の打吹童子太鼓の面々が協力して頂き、総代さんはじめ氏子さんも大掃除、当日は参列、泥天神などの神社行事も組み込んで喜んでいただきました。


 ところがご承知、平成28年10月21日14時7分の鳥取県中部地震マグニチュード6,6震源11km最大深度6弱発生。鳥居、灯籠、国旗掲揚台、手洗い、社屋、大被害を受けてしまいました。

 2回の参拝をして後でしたが、29年の3回目の参拝は、残骸そのままの有様でした。氏子の家修復が手一杯で神様にはご辛抱くださいのありさまでした。


 登場人物は、主役の義実、姫君の伏姫、姫の許嫁だったチュウ大法師、八犬士と一行を呪う玉梓のところを主君義実を忠義公にしたてただけなのです。

 さすがイベントだからといって、3回目の武者行列参拝は、廃墟の中の参拝を行く事を躊躇しました。でも形はどうあれ、参拝の誠をつくそうと実行しました。

 「倉吉里見家奉公人、祭主新左衛門尉頼吉、北野神社に鎮まります諸々の神たちの御前に慎み敬いて白さく 去くる年の神無月、この地を襲いし大地震(おおないふる)に依りて、當神社の鳥居、灯籠、玉垣など悉く倒れ、社殿も一部廃(こぼ)れたりしかれども、今を去ること四百年の昔、社殿傷(いた)みたる、ここ天満天神宮を、我が主君、里見四位侍従忠義が修造せるが如く、氏子の衆や諸人集いに集いて、力を合わせて神社を修復し、復興の心の拠り所とならんことを祈り念じて、参拝いたしまする」

 森閑とした杜の中に、頭首忠義公脇でお供の祭主新左衛門が述べる口上に息をのむ総代さんたちの顔がありました。八犬伝でなく房総からお供してきたかっては、百石を頂戴してた勘定蔵役の御仁でした。

 第4回の今年の行列で、街中を歩く時は「犬江親兵衛仁」などの幟を武者がつけてあるくのが、手ぶらであるいてくるので、「誰がだれだかわからんね」と見物客の中からささやくものがいました。あれは意図的にバスの中において、忠義公主従での行列の真心の参拝でした。

 そうです祭主新右衛門と黒川権右衛門は、倉吉下田中で唯一、史料に残ってる、里見下臣の名前です。
多賀長太夫様に忠義公の罷稼に伴い馬と人足をもとめた手紙で馬5匹では足りませんもう少し増やしてくれと言う意味のものです。

第4回参拝は、時がたち、神社の再建計画が立ってるにもまだ見通しがつかないような状況のようで、真心こめた祭主新兵衛の言上は、行事の域から離れた心の叫びでした。
 前日境内の様子を見学にきて、境内の荒れ模様を見て帰り、今日参拝にきたら、氏子、総代が朝早くからきて落ち葉一枚ないように掃除して、迎えてくれたことを感じての事だったようです。

 今日はここらでおわり。





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最終更新日  2019年05月20日 17時01分21秒
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