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<放射線治療が終了しました!> 3月1日(金)に放射線治療が終了しました。1月25日から25日間ほぼ連続の状態で、治療を受けたのですが、この間副作用はありませんでした。今、お医者様が進められたcurelのミルクローションを毎日塗っています。皮膚が赤くなるのを防ぐためです。乳がんの手術をした左胸と左脇の痛みは相変わらずですが、皮膚炎が見られるのでしょうか。少し痛痒い感じがあります。放射線治療で体の上半身にマジックで書かれた線はしっかり残っています。 3月29日(金)午後に放射線科に行き、最後の診察を受けます。<ホルモン療法とカドサイラ療法> ホルモン療法ですが、今は毎朝アナストロゾールという錠剤を服用しています。この薬は5~10年内服することになります。今、朝に5種類の錠剤を服用しており、眠くなることも度々です。他に血圧を下げる薬、中性脂肪を下げる薬、精神科の薬2種類があるので、きついのかもしれません。再発リスクを減少するための薬です。 3月16日(土)に1回目のカドサイラ療法があります。初回は100分の点滴になります。浸潤癌部分の残存が見られるためカドサイラ療法を14回受けます。カドサイラを3週間ごと約30分間点滴し、全部で14回あるので、終わるのがかなり先(今はカウント不可能)になります。今までの抗がん剤授与に比べると副作用は楽らしいです。それでも、副作用がある人はあり、肝機能障害、血小板減少、鼻出血、しびれ、心機能障害などがあります。 治療がカドサイラ療法とホルモン療法になるため、復職可能という診断が出ました。<復職の準備> 6月中旬から連続60日間の療養休暇を取り、9月中旬から3月31日まで休職をとり、合わせて10か月半勤務を休みました。4月1日から復職です。今の段階でやるべきことをリストアップすると次の通りになります。・3月8日(金) 令和5年度特定検診受診 年度内に身体計測・視力・聴力・血圧・胸部レントゲン・尿検査・心電図を受診しなくてはなりません。・勤務先に行き、面接。病状を報告し、来年度のことについての話をします。また、来年度どこまで勤務すればいいのかを相談します。・勤務先に持っていく荷物の整理・車のメンテナンス。タイヤ交換・車検・家の大掃除→レンジフードと浴室掃除は、ダスキンに依頼しています。乳がんになり、レンジフードの掃除ができなくなりました。・トレーニング 筋トレ・有酸素運動を自宅で実施。・早起きができるようにする。 今、朝は8時起きです。これはまずい! 正直言って、4月からの勤務が大変な気がします。昨年の6月まで、検診の日以外は残業していました。どこまで勤務すればいいのかを相談したいと思います。そうすれば、家事の問題も解決するのではないかと思います。
2024.03.05
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放射線治療が1月25日(木)から始まりました。「副作用が出たらお知らせします」と言ったのですが、これまで副作用がなく、順調です。皮膚が赤くなったり、ひりひりしたりするそうですが、それが見られません。 今日は2月21日(水)。いつもは待たずに、治療を受けることになるのですが、今日は珍しく待ちました。体力作りも家で行っています。放射線治療も残り6日です。つまり、今週は明日でおしまい、来週で放射線治療が終了になります。 さて、放射線治療ですが、胸や脇に油性ペンで線を書かれ、そこに放射線を当てるのですが、初日は少し時間がかかりました。まず、ドクターの診察があり、それから技師さんに油性ペンで線を書かれ、放射線を当てるというものでした。朝9時に家で検温をします。治療前にも検温をし、平熱であることを確認します。放射線治療中、これまでずっと平熱でした。 月曜日には問診があり、木曜日にはドクターの診察があり、体の様子を見ていただいています。25日間とも平日、それも同じ時間の治療になります。時間はあまりかからないのですが、気になるのは下着の汚れです。ペンで書かれる日だと、下着がマジックで汚れてしまうのです。乳がん手術をしてから、ブラジャーが前開きのものになりましたが、このブラジャーの色が濃い色ではなく、肌とそう変わらない色のものを購入してしまいました。ペンの跡で所々黒くなってしまいます。ペンで線を書かれた日にはブラジャーは着用せず、黒のTシャツを着ています。右わきで検温をするため、検温しやすい服にしています。家でもTシャツは暗めの色を着用しています。手術の跡のところが痛いのですが、こればかりは付き合うしかありませんね。でも、その痛みの中、ストレッチができるようになったのは大きいです。 ホルモン療法も続いています。今は錠剤を毎朝飲んでいます。花粉症も気になるため、今は一年で一番薬の量が多い時期です。 3月になると、復職まで1か月を切ることになります。4月以降、家事をどうしようかと考え中です。通院も何日かありますが、診断書の提出や来年度のことでの面接、荷物の整理などもあります。ダスキンさんにお願いして、レンジフードと浴室の掃除をしてもらわないといけません。左脇と胸の痛みで色々とヘルプしてもらわないといけない面がありますが、体力づくりを頑張ります。筋肉をつけて、中性脂肪を減らしたいです。
2024.02.21
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<創部診察(前回のブログの続き)> まだ創部に水がありました。1月1日(月)と1月5日(金)に創部診察がありました。創部に痛みがありますが、水は少なくなっています。5日に終了し、薬が痛み止めからホルモン療法用のものに変更になりました。<放射線治療開始へ>・1月12日(金) 放射線治療を受けるにあたって、病院が変わりました。これまでの病院には放射線治療の装置がないためです。放射線治療を受ける病院は自宅から近いところで、自宅の南西側に病院が見えます。この病院は亡き母の大腸がん治療の時にもお世話になりました。この日は放射線治療医の診察があり、放射能治療の説明と同意がメインでした。 放射線治療は平日に行います。土日祝日はお休みになります。25日間通うことになりました。 放射線治療を受けるに従い、皮膚炎の症状が出てきます。ストロイドクリーム・保湿剤で放射線を当てている範囲に塗るのですが、この時、体に書かれた印の上に保湿剤や薬を塗ると印が消えてしまいます。線を避けて塗るようです。皮膚炎が出てきたらまたお知らせします。デリケートな皮膚だけに、引っ掻いてしまわないようにしたいものです。・1月18日(木) CTを撮りました。体の位置を合わせるために上半身に線を書きました。体の位置を合わせるためです。乳がん手術したところを中心に線をマジックで書かれ、CTを撮るというものです。1週間は、線が消えないようにしないといけません。また、治療時間の調整・治療スケジュールの決定を行いました。1月25日(木)から始まり、終了予定は3月1日(金)です。・1月20日(土) 今までの病院での治療です。血液検査・骨密度測定を行いました。 食事療法・運動療法を自宅で行った結果もあるでしょうが、中性脂肪が平常値になり、その他の値もよくなっていました。また、骨密度は若い人や同年代と比較して骨密度が心配ない値になっておりました。これには満足しています。 化学療法は、放射線治療後から今までの病院でスタートすることになります。初回は3月16日(土)です。カドサイラという抗がん剤投与となり、14回行います。投与が終わるのが数か月後です。復職が4月1日の予定ですが、これまでの抗がん剤と違って点滴時間が短く、副作用も少ないようなので、復職には間にあうとのことですが、化学療法はやってみないとわかりません。<乳がん完治は長期戦!> 今月から飲む薬は5年から10年間飲むことになります。創部の痛みもあります。ガン患者として規則正しい生活を送り、復職に向けて体調を整えていく必要があります。復職してから、化学療法は続きます。復職後の勤務については管理職と相談することになります。療養休暇や休職中、時間の制約もなく、家事ができたのですが、復職後はどうするかも課題です。 第1回放射線治療は、明後日。抗がん剤投与・頭皮冷却が第1ラウンド、手術が第2ラウンド、放射線治療が第3ラウンド、カドサイラ投与が第4ラウンドです。今年は前厄の年で、神社にお参りいきました。完治まで長期線になりますが、治療を頑張ります。
2024.01.23
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しばらくの間、ブログの更新ができませんでした。病院ではパソコンを使うことができますが、インターネットの検索に使用が限られ、ブログの更新ができませんでした。スマートフォンでも、ブログで日記を書くことができません。Facebookで入院の様子をお知らせしましたが、Facebookが見れない人にとっては不便だったと思います。退院してからも2日に1日の割合で通院。創部(=手術の跡)の水抜きをしています。手術した跡の痛みがありますが、何とか動かすことができます。車の運転もできるようになりました。 11月20日(月) 乳がん手術のため、入院しました。マンモグラフィの検査があり、胸のガンの状態を確認しました。左胸に1cmのガンがあり、手術ではガンを切除することになります。きれいな胸を見るのもこれが最後になるかと思うと少し悲しかったです。手術の準備をして床についたのですが、明日が手術だと思うと、緊張のあまりよく眠れませんでした。 11月21日(火) 手術の日です。全身麻酔がよく効きました。あっという間に麻酔が効き、手術が行われました。手術は3時間ほどで終了。乳房温存手術だったので、左胸と左脇に数センチの創があり、しかも左脇にはリンパ節と脂肪が切除されていました。ただ、胸の創部に気が付いたのは翌日でした。麻酔から覚めたのは、病室のベットの上でした。しかも、ふくらはぎにマッサージャー、尿道にカテーテル、脇の下にドレーン、口元に呼吸器がありました。この日は1日中食事をとることができませんでした。水分だけは摂取できたのですが、麻酔の影響でのどが痛く、しかも渇きやすくなっていました。夕方になり呼吸器が外れ、呼吸は平常になってきましたが、ドレーンや下半身は痛みがひどく、この日もよく眠れませんでした。 11月22日(水) 朝、ドレーン以外の機器(マッサージャー・尿道カテーテル)が外れました。やっと食事ができ、口内のしびれも消えました。ドレーンをつけてシャワーを浴びました。当たり前のことができるようになり、うれしかったですが、左胸と左脇の痛みが残ります。 この日から治療以外に、リハビリテーション、食事指導がありました。リハビリテーションは毎日続きました。とはいうものの、腕を上にあげたり、ボールを握ったり、じゃんけんをしたりなどというものです。 11月27日(月) 入院8日目。まだ、ドレーンは外れません。ただ、体液が赤から黄色になってきた上、排出量も減ってきました。左胸と左脇の痛みが続いています。先生から12月に退院予定と言われました。2週間入院することになるのでは?入院中は、水やふりかけ、海苔、お菓子をいただきましたが、面会時間が30分。一人部屋はいいのですが、人と会って話したりする時間としては短いです。 11月30日(木) 入院11日目です。ドレーンがようやく外れました。先生から「退院は明後日」と言われました。やっぱり、退院は12月だったのですね。ドレーンが外れた解放感は何とも言えません。看護師さんが言っていたのですが、「ドレーンが外れると、退院は早いね」とのことです。 12月1日(金) 明日で退院です。明日、荷物の整理の時間があるので、荷物の整理を少しずつやっていきました。リハビリテーション、読書もして病院食をおいしく食べました。 12月2日(土) 入院は13日間になりました。午前中に荷物整理、部屋の掃除、洋服の着替えをしました。支払いと診断書の作成依頼を事務で行い、昼ご飯。午前中に入院してもよかったのですが、昼ごはんのメニューを聞いて、午後に退院しました。帰宅後、洗濯に荷物整理です。<創部診察> この後、創部診察です。これは創部の水を抜くものです。時間は短いですが、行く頻度は週2~3回程度です。運転ができない時はバスに乗って病院に行きました。先生から車の運転が許可されると、車で病院に行きました。創部診察の日は次の通りです。 12月4日(月)・12月6日(水)・12月8日(金)・12月12日(火)・12月14日(木)・ 12月16日(土)・12月18日(月)・12月20日(水)・12月23日(土)・12月26日(火)・ 12月28日(木) 12月4日(月)は栄養指導もありました。体重が増えてしまい、中性脂肪値も高くなったこともあり、入院中は低糖質食を摂取していました。食事の摂り方についての指導です。低カロリーで高たんぱくのものをバランスよく食べる方法を教えてくださいました。 明日で年内の通院はおしまいになるでしょう。年明けは薬物療法・ホルモン療法・放射線治療になると思われます。特に、放射線治療は週5日を4~6週行うとのことです。今の病院には放射線治療ができないため、放射線治療ができるところに変更になります。まだ浸潤癌部分の残存が見られるため、カドサイラ14回の薬物療法ということになります。ホルモン療法では1日1回の薬の内服を5~10年行うことになります。 今年は6月までしか仕事ができませんでした。乳がんとの戦いで自宅と病院の往復でした。抗がん剤投与・頭皮冷却・外来手術を通して病気と向かい合う日々を過ごしました。副作用などで苦しい時もありましたが、先生や看護師さんなどの病院スタッフのサポートもあり、よくなってきています。命の大切さを考えさせられた日々を過ごせたと思っています。
2023.12.27
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<手術前の検査> 先週、MRI検査とCT検査を受けました。 MRI検査は発熱との戦いでした。まだジーラスタ注射の後の発熱があり、MRI検査を受ける状態ではなくなったので、処置室で休みました。2~3時間ほど休み、再びMRI検査に挑みましたが、何とか検査を受けることができました。ジーラスタ注射の後のMRI検査はきつかったです。2,3日後にCT検査があったのですが、この時は平熱に戻り、無事検査を終えることができました。<手術前説明・検査> 11月7日(火)は通院でした。家族と一緒に病院に行きました。午後2時30分から乳房の手術についての説明などがあり、病院を出たのは午後5時30分過ぎでした。 まず、ビデオで乳房手術について20分間視聴。その後、レントゲン検査、尿検査、心電図検査、血液検査があり、看護師さんからの説明、お医者様からの説明、入院受付からの説明と説明が続きました。 MRI検査とCT検査の結果がお医者様から報告があり、左胸の春腫瘍が3.8cmあったのが、8回の抗がん剤投与・頭皮冷却検査の結果、約1cmほどに小さくなっていました。とは言うものの、完全に腫瘍がなくなったわけではなく、乳房の手術ということになりました。選択したのは、乳房温存手術。乳がんと周囲の組織を部分的に切除する方法で乳房のふくらみと乳頭乳輪を温存することができます。ただし、切除断片にがんが及んでいる場合、後日追加切除を行うことがあるようです。その場合、乳房切除術になりそうです。入院期間は7日から10日の予定です。手術後のリハビリテーションが順調にいくかどうかで退院の日が決まるようですが、11月下旬は入院で病院にいることに間違いありません。 11月20日(月)に入院、11月21日(火)に手術です。<乳房の手術を受けるにあたって> 乳がんの手術を受けることになり、とても緊張しています。抗がん剤投与の時は一泊二日×8回でした。副作用があった時もありましたが、手術に比べると比較的楽だったと思います。 今回は検査、手術、リハビリテーションが成功するかどうかにかかっています。手術後の傷の痛みがかなりあるとのことですが、痛みに耐えて、病院のスタッフと相談しながら、頑張りたいと思います。それまでは、入院準備をしっかりしていきます。退院後、定期的な運動ができるようになるように頑張りたいです。
2023.11.08
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抗がん剤治療・頭皮冷却も残り2回となりました。今日は副作用があるのに、ブログを書いています。今月はまだブログの更新をしていなかったのが理由です。第7クールから第8クール、手術までのスケジュールは大体決まっています。 9月29日(金)・30日(土) 第7クール突入。入院(抗がん剤治療・頭皮冷却)10月 2日(月) ジーラスタ注射10月17日(火) 血液検査・レントゲン検査・治療10月20日(金)・21日(土) 第8クール突入。入院(抗がん剤治療・頭皮冷却)10月23日(月) ジーラスタ注射 ここで、抗がん剤治療・頭皮冷却は終了になります。その後が手術の準備・手術ということになります。今は、いつ退院するのかはわかりません。10月30日(月)造影 乳腺MRI検査 11月 2日(木)造影 胸部・上腹部CT検査11月 7日(火)手術前検査結果説明11月20日(月) 入院 11月21日(火) 手術 ここで気になるのは、抗がん剤治療・頭皮冷却の結果、がん細胞が小さくなっているかどうかです。それを確認するのがMRI検査とCT検査です。6月から8度抗がん剤治療・頭皮冷却を行いました。脱毛がありましたが、まだ髪の毛は残っており、外出するときは帽子をかぶっています。医療用ウイッグはどうも苦手です。うまく装着できない上、何だか私ではない気がします。いつも、ジーラスタ注射の後の発熱が続くのですが、今回は1週間後にMRI検査があり、何とか平熱になるようにと祈るばかりです。手術ということで、どの程度乳房を切除するのかも気になります。すべては11月7日にわかることですが、何だか緊張してきました。 『一難去ってまた一難』という感じです。抗がん剤治療の次が手術です。乳がんとの闘いはまだまだ続きます。
2023.10.23
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<高血圧症になりました。> 第6クール入院前のことです。 9月1日。急に高血圧になりました。今まで高血圧になったことはなく、しかも最高値が高い!動けなくなり、自宅のベットで横になっていました。一番高い時には180になっていました。 9月5日に採血・診察で。ドクターに9月1日から9月5日午前中までの血圧のデータを見せたところ、翌日(9月6日)、近所の内科で診てもらうよう指示がありました。この病院に内科はあるのですが、初診となると、予約をとらないといけません。たまたま。自宅の近く(と言っても車で数分のところ)に内科を見つけました。そのクリニックのホームページには、高血圧に関する記事があり、そこで診てもらうことにしました。血圧を測定してもらいましたが、血圧は最高146になっておりました。「血圧は高いけど、許容範囲だから大丈夫」と言われ、一安心しました。血液検査を受けたのですが、右腕には大きなあざができていました。とりあえず1週間処方薬をいただきました。そして、8日・9日と入院です。<第6クール> 第6クールのスケジュールは次の通りです。9月8日(金)・9日(土) 第6クール入院9月11日(月) ジーラスタ注射9月21日(木) 精密検査(採血・尿検査・レントゲン検査)・診察9月26日(火) 診察9月29日(金)・30日(土) 第7クール入院 第6クールの入院での抗がん剤投与は第5クールと同じ内容で、時間も一緒です。・パージェタ 投与時間は60分・トラスツズマズ 投与時間は90分・ドセタキセル 投与時間は60分 頻尿になるのは仕方がないですが、膀胱過敏症にならないように、病院から許可をもらい、自宅からトイレットペーパーを持参しました。このトイレットペーパーは、ソフトでダブルタイプのものです。病院のトイレットペーパーは肌さわりがよくない上シングルタイプです。頭皮冷却もあり、すべてが終わったのは午後4時と第5クールよりも2時間半早く終わりました。ただ、8日は大雨で抗がん剤の投与中にスマートフォンから「早く避難してください」というアナウンスが流れました。千葉県では、4年ぶりに大雨になり、車で病院まで送ってもらう時に、ずぶ濡れになりました。 入院中は問題もなくスムーズにいきました。しかし、問題はジーラスタ注射の後でした。何と9月21日(木)に精密検査を受診することになりました。これは、ジーラスタ注射後、発熱が続き、高い時は38.0度もあったためです。午前中は比較的平熱か微熱ですが、午後になると、37度から38度になり、平熱の時に買い物をしないといけない状況でした。この間、近所のクリニックで、13日(水)・20日(水)に診察を受けました。血液検査の結果、血圧と中性脂肪に問題があり、処方箋を1か月間頂いております。精密検査になると、体調が落ち着いており、特に異常も見られませんでした。21日に採血があったので、もしかすると明日26日は、採血なしになるかもしれません。 抗がん剤の投与もあと2回です。残暑が厳しい頃に高血圧・発熱が続きました。ようやく体調が落ち着き、ブログの更新ができるようになりました。
2023.09.25
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第5クールから抗がん剤が新しくなり、入院のインターバルも2週間から3週間になりました。第5クールの予定は次の通りです。・8月18日(金)・19日(土) 第5クール入院・8月21日(月) ジーラスタ注射・9月 5日(火) 採血・診察・9月 8日(金)・9日(土) 第6クール入院<5回目の入院> 抗がん剤が新しくなり、投与時間が長くなりました。しかも、抗がん剤は3種類です。・パージェタ 投与時間は60分・トラスツズマズ 投与時間は90分・ドセタキセル 投与時間は60分 抗がん剤投与の他に頭皮冷却があります。終わったのは午後6時30分です。頭皮冷却の時間が少し短かった気がしますが、7時間近くも横になり、さすがに疲れました。この間頻尿になりますが、今回は膀胱過敏症になってしまいました。我慢できないため、看護師さんを呼ぶ回数が多くなってしまいました。 次回からは抗がん剤の投与が短くなるとのことですが、正直言って長時間横になるのは苦しいです。運動できるときに運動しておかないといけませんね。入院前日まで、運動はしていましたが、今回副作用が出てしまいました。<8月22日(火)~25日(金)> ジーラスタ注射の後、微熱が続きました。アイスノンで頭を冷やしました。 膀胱過敏症用の薬を紹介していただき、服用したところ、痛みが治りました。しかし、今度は下痢になり、食事には気を遣いました。<8月26日(土)以降> 熱も下がり、家事も普通にできるようになりました。排泄は多いのですが、下痢になることはありません。運動も再開しました。家でのんびり過ごしています。<今後の予定> 頭皮冷却・抗がん剤投与による入院は、10月まで3週間おきにあります。11月以降は外科手術、放射能治療、化学療法などがあります。6月13日から3か月療養休暇を取っていますが、9月14日以降は休職になる予定です。診断書を書いていただき、期日は9月14日から来年の3月31日までにしています。 診断書を一昨日勤務先に直接出しに行き、休職に向けての話がありました。久々に同僚に会うことができました。勤務先は、夏季休業が終わり、授業を再開したばかりでした。やはり、勤務先はいいです。でも、病気との闘いは続きます。負けない気持ちをもっていきたいと思います。
2023.08.31
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前半の頭皮冷却による入院もこの第4クールが最後です。・7月28日(金)・29日(土) 4回目の入院・7月31日(月) ジーラスタ注射・8月10日(木) 血液検査・診察・8月18日(金)・19日(土) 5回目の入院<4回目の入院> 前回の頭皮冷却で副作用が出てしまいました。今回、看護師さんがその点を考慮してくださいました。脱毛で髪の毛が減り、キャップをつけるときに額に痛みがないようにしてくれました。頭痛が出ることもなくなりました。体の冷えすぎの問題も考えてくださっていただきました。トイレに行く回数はどうしようもありませんが、何とか頭皮冷却を乗り切ることができました。<自宅療養> ところが、ジーラスタ注射の後、微熱が4日続きました。運動はできず、自宅のベットルームで横になっていました。しかも、家のエアコンが壊れ、業者に見てもらったもののかなりの高額になってしまいました。微熱の間はベットルームで過ごしていました。幸い冷房が効く部屋でしたが、この暑さです。涼しく感じられませんでした。アイスノンで冷やしていました。 家のLANがつながらない状況が続き、新しいルーターを購入できたのは熱が下がった8月5日の土曜日でした。どうにか花火大会のライブ放送に間に合い、楽しむことができました。しかし、深夜になり、再びリビングのクーラーが故障しました。明日業者が来るとのことですが、少額で済むかどうか心配です。今は冷房の効く部屋にいます。 <頭皮冷却のインターバルの変更と今後の職場復帰について> 頭皮冷却のインターバルが2週間から3週間になりました。頭皮冷却の間に投与される抗がん剤が変わるからです。だから、8月は18日・19日の入院のみになります。第5クールから第8クールにかけての頭皮冷却のスケジュールもドクターから発表になり、10月までは週間おきに頭皮冷却があります。療養休暇が9月13日でおしまいになりますので、9月14日以降の休職の相談を職場にしないといけません。頭皮冷却の後に乳がんの手術などがあり、少なくとも来年の1月までは休職の予定になります。ただ、まだ職場には相談できていないので、明日teamsで相談することにします。 髪の毛が抜けますが、まだ医療用ウイッグは使っていません。帽子で外出しています。外出と言っても、買い物程度ですので、ほとんどは家で過ごしています。
2023.08.06
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7月14日から第3クール突入です。治療日程は次の通りです。・7月14日・15日:頭皮冷却治療・抗がん剤治療・7月17日:ジーラスタ注射・7月28日:血液検査・診療 3回目の入院生活です。アクシデントの連続でした。 とうとう頭皮冷却治療で副作用が出てしまいました。過去2回では副作用が出なかったのです。過去2回はぐっすり眠ればいつの間にかには終わっていました。 3回目。脱毛が進みましたが、50%前後髪の毛が残っています。帽子をかぶれば外出も可能なほどです。病院スタッフからは「大丈夫。このくらい残って入れば、上等ですよ。」と言われました。この日、現在の私の勤務校の学校の2回戦の試合がZOZOマリン球場であり、テレビ中継されていました。しかも、9時以降は宮崎駿監督の映画がありました。自宅でビデオ録画するとよかったのですが、忘れてしまいました。看護師さんにお願いしてテレビをつけてもらいました。検査中戦っている生徒たちに負けずに、治療も頑張るつもりだったのです。 さて、現勤務校ですが、今回Cシードの学校です。NHKEテレで『青のオーケストラ』の撮影協力をしていることでも有名になっている千葉県下のマンモス校です。シンフォニックオーケストラ部250人全員での応援がすごかったです。弦楽器を担当している人はハーモニカを演奏していました。吹奏楽王国千葉に負けない美しいハーモニーですが、習志野や市立船橋のような学校オリジナル応援ナンバーがあるといいですね。しかも、プロで注目の投手もいます。守備のエラーなどで3失点でしたが、三振の数は10を超え(正確な数がわからない!)、120球投げ切りました。試合は、終盤大量点を入れて、無事勝利。3回戦に進出しました。 試合が始まるときに治療が始まりました。頭皮装置をつけてもらい、手足や目を冷やしてもらってから、ベットで寝るのですが、どうしても試合の様子が気になってしまいます。落ち着いて眠るわけにはいきませんでした。それでも、元気なうちは、心の中で応援できました。抗がん剤投与もクリアー!ところが、90分の頭皮冷却だけになり、体がいうこと聞きません。脱毛の影響で過去の治療より額がかなり痛かったです。髪の毛がクッションになっていたわけで、髪の毛が抜けた分クッションがなくなってしまいました。頻尿が多くなり、体調も悪くなり、副作用が起きてしまいました。試合が終わった頃、治療が終わり、副作用で体はヘロヘロでしたが、心の中は晴れやかでした。ただ、副作用のことを思えば、テレビをつけなかった方がよかったのかもと思いました。この裏噺を先生に話せば、きっと笑われるでしょう。食事はおいしくいただきました。 が、今度は就寝後にアクシデント。今回の部屋の空調が合わなかった上、いつも飲んでいる薬が効かないため、なかなか寝付かれませんでした。看護師さんに対応してもらい、空調を調整してもらいました。頓服薬の説明をして下さり、深夜1時になっても眠れないときは頓服薬を服用することにしたのですが、実際は深夜0時台に寝てしまったので、頓服薬のお世話になることはなかったです。翌朝6時過ぎに看護師さに起こされるまではぐっすり寝ることができました。 脱毛があるため、ガムテープを持参しましたが、重宝しました。退院後お掃除はして下さるとは思いますが、髪の毛がついているといないとでは違います。 15日の帰宅後…・午前中:ソファの上でゴロ寝していました。・午後:ZOOMで病院での研修会に参加。 ブログを書き終えたら、洗濯します。 今まで副作用にあまりならずに済んだのですが、今回は違いました。副作用の恐ろしさを知りました。明日は誕生日。大病を患っていますが、無事過ごせそうでなりよりです。例年通り静かに過ごすつもりです。よろしければ、フェイズブックの方にバースデーメッセージをお願いします。
2023.07.15
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抗がん剤治療も第2クールに入りました。 6月30日・7月1日:抗がん剤治療・頭皮冷却治療(1泊2日の入院) 7月3日:ジーラスタ注射 現在は、自宅療養中です。注射の後、副作用に苦しむようになりました。 来週、血液検査・診療があり、金曜日と土曜日、第3クールに入ります。 今、副作用に苦しんでいます。まず、脱毛がひどくなりました。第1クールの治療ではあまり髪の毛が抜けることがなかったのですが、洗髪の時に髪の毛が束のように抜けるのです。洗髪は週3回まです。シャンプー・コンディショナーは資生堂のTSUBAKIからがん患者の人が良く使う花王のCurelに変えました。洗髪しない日でも、髪の毛がどんどん抜けるため、時々コロコロを使います。しかし、また抜けるので、手で拾ったり、塵取りで髪の毛を取ったりすることもあります。結構ストレスです。 幸い、ガン患者用帽子や医療用ウイッグをゲットしました。がん患者用帽子はネットで購入し、医療用ウイッグはいつも行っている美容室で購入しました。でも、まだウイッグの装着ができません。う~ん、早くできるといいのですが…。頭皮冷却では、脱毛の量を減らす効果があるとのことですが、脱毛がひどいです。しかも、いつもお世話になっているフィットネスジムのプロテインを飲んでいますが、今回ばかりは髪の毛が生えません。第2クールから第3クールで髪の毛がほとんど抜けると看護師さんがおっしゃっていましたが、頭皮冷却治療でどの程度髪の毛が残るのかが心配です。現在は帽子で外出できます。フィットネスジムでは、ガン患者用の帽子をかぶって月1回の計測と運動をしました。筋肉量が増え、体重・体脂肪率がダウンしたのはよかったです。自宅療養になってからは、ジムに行くのは月1回だけで、大抵は自宅で運動しております。 ただ、注射直後は微熱で苦しみました。だから、運動どころではありませんでした。副作用として発熱はあります。今は平熱で暮らしています。 家で療養するのも慣れてきましたが、髪の毛がなくなってきていることが最大のストレスです。
2023.07.07
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5月下旬にCT検査、MRI検査、骨チック検査の結果が出ました。乳がんの正体がより明確にわかるわけです。左胸にできた腫瘍は3.8cmになっておりました。臓器への転移はありません。が、ステージはⅢです。薬物療法先行を勧められました。2~3週間に1回の割合で、抗がん剤治療を8回行った後に手術を行うものです。 薬物療法をする前の6月7日に上腕ポート増設の手術を受けました。右腕にカテーテルが埋め込まれたわけです。6月14日に1泊2日の日程で1回目の薬物療法と頭皮冷却があり、16日に注射。その後、自宅療養です。27日に診療、30日に2回目の薬物療法と頭皮冷却。この繰り返しです。7月までの薬物療法と頭皮冷却の予定はアッという間に決定されました。7月までに4回行うことになります。 飲むべき薬が急に増えた感じですが、投与された薬はいずれも頓服薬でしたので、具合が悪い場合に服用することにしています。これまでのところ特に具合が悪いこともなかったため、あまり飲んでいません。飲んだとしたら便秘防止のための薬1回だけ。いつも飲んでいる薬は、飲み続けています。また、タンパク質を摂取できるプロテインは毎日一杯飲んでいます。運動不足にならないように、隙間時間で自宅で筋トレ・有酸素運動・ストレッチ。これまではジムに行き、自宅でも運動できるようにしたのですが、治療が始まるため、自宅での運動だけにしてもらい、ジム通いは月1回の計測の時だけにしました。 勤務は14・15日と年次休暇を取り、16日から3か月間の療養休暇を取っております。でも、この調子だと9月から休職になるかもしれません。6月13日までは、引継ぎもあり、学校で多忙な日々を過ごしておりました。 病気が乳がんだけにこればかりは仕方がありません。今は薬物療法による副作用が懸念されるためです。今日から刺身などの生ものを取らないように病院から言われており、火を通したものを摂取しています。午前中からお昼にかけて体がだるかったですが、これはこれから白血球が減ることの影響かもしれません。副作用かもしれません。まだ、脱毛が始まっていませんが、すでに髪の毛はカットしてもらっています。ただ、マニュキュア・カラーなどの白髪染めは不可。 運転免許更新があったのですが、これもさっさと済ませました。免許証の写真のbefore→afterがほとんど変わらなかったのはホットしました。ただ、オンライン講習ができなかったのは痛かったです。 治療が始まり、副作用というものもわからないというのが本音です。でも、病気と向き合い、教壇に戻りたいです。
2023.06.22
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5月1日、吸引式組織生検の結果を聴きに午前9時30分に千葉市内の大病院に行きました。年次休暇を取っています。 患部のところが黒くなっており、お医者さんからはっきり「乳がんだね」と言われました。私以上にショックを受けていたのが、この日同席した家族の者でした。10時に予約予定だったのが、11時30分に診察を受けることになりました。結果を聴いた後、看護師さんから5月中の検査についての説明。その後、血液検査・尿検査・肺活量検査・レントゲン検査を受診。1時頃にようやく終了。腰が弱い上外食が苦手な家族の者は、スーパーマーケットのお弁当を購入し、1時30分ごろに帰宅しました。 今月はCT検査やMRI検査があります。下旬には結果が判明。6月から本格的な治療・手術ということになりそうです。今月、あと3日間は仕事をセーブしなければなりません。 現段階では、まだレベルがわかりません。3月30日に人間ドックで乳がんの精密検査を受けるように言われ、4月にマンモグラフィーとエコー検査、吸引式組織生検を受診、5月に上記に挙げた検査を受診し、それでレベルがわかるのではないでしょうか。これは母が癌になってから亡くなるまでの記録を私が付けていたこともあり、ある程度シミュレーションができます。乳がんが初期であるといいのですが、これは調べてみないとわかりません。 自宅に戻り、生命保険会社に電話しました。また、インターネットを参考にして入院中に持参するものリストを作りました。女性にしては背が高いこともあり、どうしても大きいサイズになるのですが、千葉市内には専用のお店が少ないです。ネットで購入するにしても、微妙なサイズがわかりません。GW明けに問い合わせすることになりそうですね。持ち込みが多いことがわかり、ちょっとショックです。病院の売店でパジャマをレンタルする可能性がでてきました。家族の者が一人だけですので、入院中は人恋しくなるかもしれません。スマホが使えるとは思いますが、スマホを使うのが苦手なので、本当は自宅のパソコンが使えるといいのですが… 今月は看護婦さんから運動はOKということを聞き、ジムでや自宅で運動ができますが、先月は、日によって落ち込むこともあり、運動する・しないの波ができてしまいました。連休中も実は波があり、4月末までは何とか運動できたのですが、5月に入り、全く運動する気分になりません。6日に通院があるうえ、ジムで月1回の計測があるので、さすがに今日は運動しますが、5月にどの程度運動するかを決めなければなりません。回数は少し減らします。 この日記は完全にガン闘病ブログになってしまいました。他の話題を語ろうとしても、今はそれどころではありません。アクセス数がいつの間に9万2千を超え、これには驚いています。今は、日記を書くことが生きがいになるかもしれませんね。
2023.05.05
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4月14日(金)。千葉市内の大病院に行ってきました。検査ということで、年次休暇を取って病院に行きましたが、この選択は正解でした。 先日乳腺外科で撮ったマンモグラフィーとエコーの写真を見て、ガンの兆候である白いものがありました。この日に行われた検査は、吸引式組織生検でした。細胞診の一種で、針生検よりも正確な診断が可能な検査です。局部麻酔がなされ、患部の一部を内刀で切り取られました。傷は刺した部分にあり、しばらくの間、長い紙テープが張られます。針を刺した部分の周りの皮膚が青くなっています。 11時30分の予約ということで、11時に病院の受付に行ったのですが、6階にある乳腺外の待合室にはすでに何人かいました。検査を受けられたのは1時頃でした。先生は丁寧に応じましたが、「どのようにがんの検査を受けたいですか」という質問には「正直言ってぴんと来ません」と答えました。まさか乳がんになるとは思っていませんでしたので、そのような回答になりました。が、検査結果については次の外来で説明することになり、検査の結果次第では今後の治療方針を相談することがあるので、家族の来院を勧めていました。家族と言っても、弟一人です。この検査結果によっては、免疫染色・エストロゲンレセプター・プロジェステロンレセプター・免疫染色病理組織標本作成加算・HER2・Ki67等の検査を追加する場合もあるとのことです。これらの検査がどんな検査かわかりませんが、受診する可能性があるかもしれません。 検査後、千葉そごうでチキンカレーを食べました。カレーの具はまあまあでしたが、ご飯が堅かったこと。それからバスで帰宅しましたが、血の塊ができていた上麻酔の影響が残っていたため、静養しました。運動・入浴・飲酒は厳禁でした。運動は土曜日にしましたが、ガンであることでショックを受けていたため、運動をしばらくの間控えていたことがわかりました。運動はある程度した方がいいとのことでした。ジムと自宅で運動をしました。ただ、自宅での大多数は静養でした。本来なら、午後に部活に行っているのですが、部活の指導はお休みさせていただきました。 今日は、家事などが残っているため、これからやります。
2023.04.16
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4月8日(土) 乳腺外科に行っていきました。 人間ドックの紹介状を渡した後、看護師との問診があり、マンモグラフィー4か所とエコーの撮影が行われました。人間ドックではお金の関係でマンモグラフィーかエコーかを選択し、胸の大きい私はより正確に撮影できるエコーを選択していました。マンモグラフィーは初めてです。最新撮影機器だけに、胸を挟むといっても瞬間でしたが、それにしても痛かったです。胸の正面と側面の撮影を行い、エコーの撮影をしました。お医者様の問診があるのですが、問診前に二人のお医者様が打ち合わせをしていました。 問診では、結果が思わしくないことを述べられ、大病院を紹介されました。乳腺外科でできるのはホルモン療法やフォローアップ検査であり、その範囲を超えていること、大病院での検査が必要なことを述べておりました。お医者様の言葉に乳がんという言葉はありませんでしたが、大病院のパンフレットには、「乳がんの手術・抗がん剤治療を行っています」と書かれていましたので、乳がんの可能性は高いと思われます。 左側の付け根に腫瘍があるのですが、自覚症状がありませんでした。今日のマンモグラフィーで痛みがかすかにあり、まさかのがん患者になったことを自覚することになりました。 家の者にも話したのですが、かなりショックを受けていました。今二人で生活しているだけに、「俺だけを残していかないで。」と言われました。症状がどの程度なのかわからない上、まだ、エンディングノートをつけていないだけに、これ以上は言えませんでした。 来週の金曜日に年休を取って大病院に行きます。それで私の病状がはっきりするはずです。
2023.04.09
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ブログを書かなくなり3年近く経ちました。久しぶりのブログです。ブログにたどりついたのが奇跡です。 今、両親はお墓の中です。今年で父が亡くなり11年、母が亡くなり4年になります。父に関しては生前色々あり、今でも父を許す気持ちになっていません。浄土真宗の仏壇は生前父が購入しました。お坊さんを呼んだことは1度もありません。母はどんなにつらくても愛情を注いでくれました。神棚は今の自宅を新築する時に和室に作りました。母の実家は神道です。定期的に地元の神社の宮司さんを自宅に呼んでいます。母に任せていた家事を私がやるようになりましたが、やはり料理は苦手です。今の県下一のマンモス校に勤務して3年経ちました。その間、仕事は忙しく残業も多かったのですが、楽しくやらせていただきました。配置転換になり、実はテンションがダウンしているのですが、気持ちの切り替えが必要です。好きな事ができることを喜びにしたい 今日は人間ドックを受診しました。年に1度、それも3月に人間ドックに行きます。夏休みに無料検診を受けていた時期もありますが、一度に子宮頸がんや乳がんの検査を受けることができないデメリットがあり、忙しい私には合いませんでした。お金はかかりますが、組合の援助が受けられる人間ドックにしてからは、細かいところまでわかるので、それは便利です。 時として残酷な結果になる場合もあります。 母が亡くなり体重が急に落ちたのが2~3年前。その時、「どうしたの?」と言われていました。スリムになり、バストアップもでき、あと理想の体重までもう少しだったのです。しかし、今日は悔しい一日になってしまいました。 「2年前から体重が8kg余り増えているし、糖尿病予備群だね」とドクターに言われましたが、糖尿病になった家族はいません。糖尿病にならないように、筋トレと有酸素運動しています。もう4年経ちました。そのフィットネスジムでは、1か月ごとに体重などを計測しているのですが、仕事の関係上ジム通いが週1回だったのです。昨年の11月の下旬からジムと自宅で運動できるようにし、運動回数を増やしてからは、増える一方だった体重が少しずつ減り始めました。それには満足だったのですが、リバウンドしたつけは大きかったです。昨年比でも4kg増です。運動は続けてくださいとのことです。今夜はショッキングなことがあったので、おうちで頑張ります。食事も、もっとタンパク質と野菜のバランスを考えて作る必要があることを感じました。 これで済めばよかったのですが、特にショックだったのが、乳がん結果で精密検査になったことです。今日、早速、地元の乳腺外科に予約を取りました。来週の土曜日の再度検査があるでしょう。胸が大きいので、ずっとドックではエコー検査で受診していました。今回、エコー検査がいつもより長く、変だなと思いましたが、面接でドクターから言われたのは、「今までずっと右胸の乳腺のう胞だったのが、今回は両胸とも乳腺のう胞。しかも、左胸に乳腺腫瘤が発見された」という私にとっては残酷な事実でした。しこりなどの自覚症状はありません。乳腺腫瘤も良性と悪性があり、悪性の場合は乳がんということになるとのことです。良性であればいいのにとつくづく思います。 明日は年度末最後の日。卒業生の追い出しコンパがあります。机・棚の片付けは終わっていません。配置換えに伴い、ファイリングしたり、要らないものを処分したりして、新年度を迎えたいと思います。
2023.03.30
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昨年の12月に亡くなった母の新盆を迎えました。 父の新盆の時は、生前にごたごたがあり、新盆と言ってもほとんど準備しませんでした。父は生前に高額の仏壇を購入していました。家族中怒りまくり、スーパーへお盆セットを買い、仏壇に飾った程度です。 母の場合はちょっと違いました。葬儀屋さんから電話があり、新盆棚セットを購入。生花はこの時期すぐ枯れてしまいます。棚に飾るのは造花になりました。棚の組み立てや提灯が時間がかかりました。提灯だけで1時間かかってしまいました、いつものように生花や榊も飾りましたが、榊の葉はすぐに落ち、花は日持ちがしないため毎日水を取り換える有様です。コロナが流行していることもあり、神社から宮司さんを呼ぶのはやめ、葬式の時に来てくださったお客さんには声をかけませんでした。家族と言っても二人だけです。昼間は暑いこともあり、静かにすごしていました。お供え物は果物や野菜などです。お菓子は賞味期限のことがあり、団子とおはぎをぎりぎりまで新盆棚に飾りました。神戸在住の叔母のお供え物も飾りました。お供え物は佃煮でした。 両親でも信じる宗教が違うと、準備もこうも違うのだと思いました。父は浄土真宗東本願寺派を信仰していましたが、母の実家は神道を信仰していました。普通なら、父にならい浄土真宗で執り行うのですが、母は浄土真宗で執り行うのが嫌でした。だから、同じ部屋に神棚と仏壇があるというちぐはぐな感じになっています。仏壇と神棚の向きは変えています。 神棚の下がにぎやかになっています。仏壇は地味な感じです。 新盆が終われば近くの市営霊園に納骨、一年祭ということになりますが、一年祭以降は家族、親戚で行うことになりそうです。が、親戚の多くは高齢の上、遠方に住んでいます。家族と言っても、2人だけです。家族二人だけで母を偲ぶことになりそうです。オンラインでできるといいのですが…
2020.08.15
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しばらくの間、このブログを更新していませんでした。その間、何をしていたのか、報告します。 2月までは普通に勤務していました。しかし、コロナが蔓延した3月から長期休校になり、少なくても5月いっぱいはその状態が続きます。いつ、コロナウイルスから解放されるのかが見えてきません。 転勤が決まり、3月はほとんど転勤の準備、仕事の引継ぎが中心でした。例年よりも時間にゆとりを持てました。ただ、この時期は花粉症のシーズンで、なかなか鼻水が止まりませんでした。家から近かったと同僚問題がなかったのがよかったです。 4月に新しい学校に転勤。今度勤務する学校は千葉県でも最大規模の学校で、生徒数も職員数も超マンモス校。といえば、名前はすぐ出てくるほどの有名な学校です。 建築デザインも都市型で、まるで都会にある会社のような感じです。人を覚えるのも至難の業で「ごめんなさい、誰だっけ」という感じです。 まだ赴任して1か月。慣れない部分も多くあります。例年なら、授業や部活動などがありますが、県の指示もあり、4月からは通常勤務と在宅勤務の繰り返しです。通常勤務では、教科書の購入が学校でできなくなったため、生徒の自宅に宅急便で送る作業をしました。そして、すべての作業が終わると、若い先生方中心に箱文字を作り、「コロナ二マケルナ!」のメッセージが浮かびました。このことはフジテレビの知るところとなり、4月21日、『めざましテレビ』で放映されました。在宅勤務をしている関係でいつもより少ない人数で行いました。 さて、在宅勤務ですが、勤務時間内に家に持ち帰った教材の研究、コンピュータでの課題チェックなどをするのですが、在宅で仕事するというのはある意味大変です。勤務時間の午前8時15分から午後4時45分まではは当然家の書斎で仕事をするのですが、休憩時間中の12時台に台所で昼食を作り、食べることになり、これは料理しても数分でできる簡単なものにしないといけなかったです。通常勤務の時は、朝早めに起床し、朝食と弁当を作り、前の学校よりも早めに通勤することになり、渋滞しない道を見つけるまでが一苦労でした。本来なら、授業をし、部活動をし、という生活がなくなりました。3年生は大会を経験しないまま、引退ということになってしまいました。 今、おうち生活でも仕方ない気がします。今年のGWは、コロナの影響で、おうち生活です。教材研究と家事に追われることは必至です。昨年の暮れに亡くなった母の洋服がそのまま手つかずになっていますので、整理して処分しないといけません。いくらダイエットが成功してスリムになっても、身長が違ったので、大多数のものは処分になってしまいますが、今、古着を取り扱っているショップを知らないうえ、しかも開いていないので、どうすればいいのか途方にくれています。ラクマで売るということも知りましたが、数が多く、撮影が大変です。1階の納戸に母の服が大量に置いてあるため、とても一人ではできません。書斎や納戸の棚もいっぱいになってしまいました。2階はすっきりとしていません。どなたかアドバイスをくださるとうれしいです。 皆さんもコロナに負けないでください。
2020.05.02
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我が家には和室に神棚と仏壇があります。仏壇は現在閉鎖中で、ここには父の位牌があります。一方、神棚には半紙で封鎖してあり、50日祭まではこの状態です。 父と母とは宗教が違います。父の本家は浄土真宗で、仏壇も浄土真宗のものを買いました。しかし、父の晩年、ハラスメントなど、いろいろなことがあり、別れることになりました。父の様々な暴力に母と私は耐えられず、父には知らせずに避難していました。勤務先にも避難先の住所を教えなかったほどでした。勤務先にも父が乗り込む恐れがあったのです。翌年(平成24年)、長期研修中に父は突然亡くなり、数か月で自宅に戻れたのですが、今でも父のことは許せずにいます。〇回忌などしていません。むしろ、する気もないです。墓参りくらいはしますが、墓は共同墓地に埋葬しています。両親の離婚の結果、同じ住所に戸籍が2つになりました。父が亡くなっても住民票はみんな一緒なのですが…。一方、母の実家は神道で、家に神棚を作りました。しかし、父が亡くなった翌年の12月にガンが見つかり、3度も手術をしたのですが、ガンには勝てませんでした。先月の葬式は、母の遺言通り、直葬で無宗教の形式で行いました。お世話になっている神社の費用があまりにも高かったのが理由です。 同じ和室に仏壇と神棚があるのは珍しいのではないでしょうか。 神棚に榊を飾り、神棚の下に、母の位牌、写真、米、水、塩があります。炊き立てのご飯を置くようにしています。2台あったニトリのベッドは1台が組み立て式だったので、解体し、今は生前母が使っていたベット1台が残っています。お客さんが来ることはまれなので、これも処分したいのです。今は部屋の隅に置いています。まだ、洋服には手をつけていません。私と母は同じサイズではなかったため、大多数が処分の対象になりますが、私が痩せたため、形見として着られる服もあるようです。覚悟はしていますが、1階の納戸にある服の整理も大変です。 忌中につき、お正月は、おせちを食べず、神社にもいきませんでした。年末年始は普通に食事をし、銀行や区役所、郵便局のはしごの連続でした。出かけるといっても、日用品や食品の買い物に行く程度でした。ジムには12月は1日しか行けませんでした。1月は週1回は行く程度ですが、健康を保っています。ただ、料理はまだ慣れません。よく「クックパッド」を見て料理をすることが多いです。タンパク質は摂るように言われています。ただ、母のようにうまく作れないです。家事と勤務の両立には苦戦しています。 最近、体重が減っています。医者から減らせと言われています。減ってはいるものの、もう少し減らせないと標準体重になりません。人間ドックまでにどの程度減るのでしょうか。昨年は、散々だっただけに、食べ物とジムと体操で減らしています。最近、服がぶかぶかになってきたのも事実です。 今週末に50日祭をすることになりましたが、多くの親戚は高齢の上、遠方に住んでいるうえ、近くのいとこ夫婦は本家とは違う形で行うこともあり、声をかけませんでした。自宅で行うことになり、近親者と母の友人のみという形態で行う予定です。 忌中が明けても、12月までは喪中です。普通に出かけてもいいのかどうか迷います。昨年より都内へ研修に行くことは控えています。でも、本当はもっと研修して普段の仕事に生かしたいです。
2020.01.20
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直腸にガンが発見されて6年近く。闘病の末、12月6日に母は旅立ちました。もう少し生きてほしかったです。でも、最期の瞬間まで懸命に生きました。 母は10月までは元気だったのですが、急に腰痛が激しくなり、下旬には立ち上がれてなくなってしまいました。10月24日、救急車で搬送されそのまま入院。腰の痛みの原因は、ガンが腰にくっついたためでした。実は2月にガンが肺に転移していたのですが、今回の入院でその肺のがんがさらに大きくなっていました。脳にもがんが転移し、全身がんの状態でした。 この時、先生からは「いつ死んでもおかしくないからね。年越せないかもしれないよ。」と生きられる命が限られたものであることを知らされました。「先生、何って言ったの」と母に質問されたとき、私は母に先生の言葉を簡潔に説明しました。母は「わかった」と言って理解しました。 それ以来、私は常に母に「1日でも長く生きよう」と言っては励ますようになり、平日は勤務を早めに切り上げて病院に行き、土日祝日は昼から病院に行くようになりました。勤務の合間を見て、家の者も来るようになりました。 それからは終活です。母が元気なうちに行いました。とは言っても、もう腰は動きません。手足はばたばた動くのですが、だんだん痩せてきてしまい、元気なころは50kg台だった体重は40㎏を切り、30kg台までになっていました。また、食べては吐きの繰り返しが続きました。 入院最初は外科病棟にいたのですが、11月下旬に緩和ケア病棟に引っ越ししました。ご飯の内容も変わり、部屋の規模も違っていました。8畳ほどの一人部屋で、食事ごとにおかゆ、主食に副食の野菜、ヨーグルト、高たんぱく低脂肪のアイスクリーム、デザートが必ず出ていました。「タンパク質は大事だからね」と私が言うと、食べるのです。とはいうものの、食べると吐く母がモルヒネで痛みを緩和するようになると、外科病棟では車いすでトイレに連れて行ってもらったのが、緩和ケア病棟ではおむつをつけるようになり、ついに便が自然に下に落ちるようになっていました。これは母にとってつらかったと思います。本人もさすがに「いやだ」と言っていたくらいです。 闘病日記を入院中家でつけていましたが、疲れ気味になると家のソファーで寝ていました。それほど疲れていたのです。だんだん食欲もなくなり、「これ食べて」ということも増えました。料理のことで悩んでいた私にとってはありがたいことですが、その「これ食べて」の量が増え、食欲が落ちるので、カードに母の食欲についてメモして、看護師さんに渡したほどです。12月5日の夕食はデザート類だけ食べてあとはすべて残しました。これが最後の晩餐になるとは思いませんでした。「バイバイ、また明日ね」と言って眠くなったころに病室を後にしました。 12月6日。突然容体が急変しました。昼までは元気だったそうです。しかし、5時ごろになり、容体が急変し、「来てほしい」という看護師さんの電話がありました。血圧が急激に下がり、重体でした。それでも、母は懸命に息を吸ったり吐いたりしていました。「お母さん、腹式呼吸だよ。」と言って私は励ましました。しかし、「あ~」と言ったきり、意識はなくなり、いつもの眠るときの顔になりました。ナースコールで看護師さんを呼び出しましたが、これが今生の別れになるとはいませんでした。最後の言葉が思い出せないです。ただ、「あ~」という言葉が今でも印象に残っています。苦しむ時間が少なかったのが不幸中の幸いです。 近親者だけで12月11日に葬式を済ませました。生前、母は家族だけで直葬でするように希望したのですが、それは私たちが許しませんでした。おそらく母の葬式に出たい参列者がいるはずだと判断し、簡潔ながら式をしました。やはりきれいな母で旅立ってほしいと思い、メイクしてもらい、母の希望通りハワイアンドレスを棺にいれました。そして、最後は花に囲まれて送られたいというのも母の希望でした。棺には私の家の者の母への手紙に写真2枚、紫のマフラーをいれました。スライドショーの上演は好評でした。式に参加した方が予定より多く、香典返し足らなくなるハプニングがありました。そこは郵便や自宅訪問で香典を頂いた方も含め、地元の一つしかないデパートで香典返しを送らせていただきました。 今は、書類上の手続きの最中です。仕事は27日まであるのですが、私は休暇を24日からとり、母関係でやらなくてはならないことを家の者とやっています。一連のことが終わると、悲しみが止まらなくなるかもしれませんが、二人で頑張って生きていく覚悟です。
2019.12.25
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幸いなことに、今、普通の生活を送っています。しかし、自宅の目の前の公園の木々に電線が絡まり、自宅そのもののの電線も台風15号の影響を受けました。その辺が生活するうえで心配です。 台風15号は、9月9日午前5時に千葉市に上陸しました。8時に茨城県を通り抜けましたが、台風の残した爪痕は大きなものでした。 早朝にいつものように起きましたが、その瞬間、悪夢のような生活になりました。 なんと電気がつかない。自動雨戸があかない。トイレは自動のウォッシュレットだったため、大きなバケツで水を汲んで流す始末。当然パソコンも使えません。幸い、スマホは使用できたので、勤務先に連絡できました。勤務先のHPには、「自宅待機。気を付けて行ってください」など、臨時連絡があったのです。実際この日、臨時休校になり、年次休暇をとりました。充電はできないので、翌日、勤務先でしました。 日光を頼りに外に出てみました。家の被害はありませんでした。しかし、目の前の公園は木々の枝がたくさん折れ、葉っぱが道路中に大量に散らかっていました。母と私で自宅付近の公園沿いの道路をはきました。あまりの量の大きさと暑さで一度休憩し、再び作業をしたのですが、give up! しかし、うちの家族は強いです。なんと家の者が道路をきれいにしてしまいました。職業柄、体を使う作業はお手の物です。 幸い、ガスと水は使えるので、料理はできました。しかし、冷蔵庫に電気がないので、冷凍庫に入れるようにし、氷は捨てました。家にいるのも退屈するので、ジムに行くことになったのですが、信号が消えているわが町に比べ、車を慎重に運転すると、信号がついているではないですか。近くの町での明暗ということになります。夜は体をふくこと以外やることがないので、早く寝るしかありませんでした。暑さが最大の敵で、窓を網戸にして寝ましたが、途中着替えること3回。私、暑がりなんです。夜の空を見ると、飛行機や人工衛星でキレイだったことを覚えています。 翌日、出勤。しかし、生徒の出校率50%に満たないため、授業はありませんでした。その代わりが文化祭の準備でした。冷房の涼しさが心地良かったこと。しかし、自宅に戻ると憂鬱です。まだ、停電はつづいていました。暑さで体力がもたなかったので、この日はジムには行けませんでした。暑さでなかなか眠疲れませんでしたが、夜中になり、突然家中にびりびりという大きな音とともに電気がつきました。その後、安心したのか、朝まですやすやと寝ました。冷房をようやく使うことができてよかったです。その日、久しぶりのシャワーでリフレッシュできました。 この停電地獄は、2~3日で済みましたが、いかに電気に頼って生活していることを痛感した日々でした。停電の影響で、先週の授業は水曜日の4時間しかできませんでした。週末には文化祭があり、その準備も例年以上に大変でした。しかし、今回の私の町の停電の影響はまだ序の口です。千葉県で10日以上も停電のところが多くあり、しかも家屋は甚大な被害でした。また、隣町のことですが、せっかく復旧したのにまた停電になったということ、通電火災が千葉市内で会ったことも報道されました。千葉県の後手後手の対応も問題です。千葉県南部・北東部の被災地のあまりの被害の甚大さと生活情報が報道されていますが、いつになったら千葉県全体が落ち着くのでしょうか。 お願いです。千葉県を助けてください。 今週末。また雨の予報が出ています。これでは秋の彼岸が台無しです。公園と自宅付近の電線の問題は未解決です。解決するまでは自由にできません。
2019.09.19
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今週は病院通いでした。 この頃、突然くしゃみが止まらなくなるのです。 と同時に、恥ずかしいのですが、尿漏れです。 腰痛がひどくなり、ジムに1週間通えなくなりました。あまりの腰痛で接骨院に人生初めて足を踏み入れました。 勤務の方は世間でいう夏休みになっても片付かず、ようやく一休み。9日から19日まで本格的な夏休みをすごしているのですが、今年については自宅静養に病院通い、薬漬けの日々になりそうです。 じゃあ、恒例の研修・学会参加は?せっかくお金を払ったのに、出席を断念することになりそうです。 それでも、神田とキムタツロングセミナーは出ました。それは充実した研修でした。 しかし、今日・明日の関東甲信越英語教育学会 横浜大会は欠席することにしました。とても悔しいです。涙がでてきました。どう欠席連絡すればいいのかわかりません。このブログを見た方、ぜひ欠席の旨を伝えてください。 ELECは申し込み断念、講師の先生の講義が聞きたかったのに残念です。他に月末に千葉大学で学会があるのですが、これにはぜひ参加したい! それまで、病は直るでしょうか。先月誕生日でまた一つ歳をとりました。が、健康を保つことが日に日に課題になってきています。
2019.08.10
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昭和の時代の7月16日の朝に私が産声を上げました。それから年月が過ぎてしまいました。この日のfacebookにはバースデイメッセージがあり、思わずうれしくなってしまいました。 年をとるごとに、健康を維持することの大変さと感じるとともに、自分が大人になり切れているのかと疑問に思う私がいます。今日は来客がありました。その後、髪の毛を切り、ボブにしましたが、これは増えていく白髪を少しでも目立たなくするためで、もうロングヘアが出来ないと思うと残念です。これも年齢を重ねている証拠になるわけです。 病院に行けば、もう若い年齢ではないことを痛感させられます。年齢からおばさんになるわけです。個人的には教え子が結婚する、自分なりの人生を歩む、子供ができるなどの知らせを聞くと嬉しくなります。 じゃあ、自分はというと、「家族のことはあまり自慢が言えない」状態です。私も勤務の傍ら心を病んでいる状態。母の癌は今小康状態になっています。ただ、病院は最近になり変えました。原因は、いきなり主治医が本人の承諾もなく「癌のある所を切りましょう」といったことです。これには母も激怒し、病院を転院することになりました。最初の市立病院では手術で大腸をもっと切るべきだったのに、切る場所が少なかったため、がんが広がり、転院したのががん専門病院でした。その病院では2度手術しました。正直言ってセカンドオピニオンで疑問を感じ、手術の失敗で死者も多く出している病院を推薦する理由がわかりませんでした。転院するにあたり、セカンドオピニオンでこの病院をすすめた大学病院は信頼できません。結局、自宅から近い国立の病院に転院することにしたのですが、最初に言われた言葉が「何度も転院する患者をみたくない」これには母は何とか受診してもらおうと説得しました。そして、検診。異常なしでした。緩和ケアも受けています。本当は柏にある国立の病院に行きたかったのですが、遠いということで見送りました。 最近、毎日の電話には「生きている?」「うん、生きている。生きててよかったね。」とお互いの生存状況を確認しています。今日はさすがにその会話はありませんでした。
2017.07.16
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3月に人間ドック行ってきました。結果はボロボロで,胃に小さなポリープが見つかり,大腸が要精検でした。体重は3年間ほとんど変動がありません。 ダイエットのやり方を間違えたのでしょうか?ドックでは,食べ物の摂取の方法を変えること,夕食から寝るまでの時間のインターバルを取ること,食後に10分間ウォーキングすることをアドバイスされました。さらに精密検査をした結果,減ったのはたったの1㎏でしたが,2か所あったポリープを切除した結果です。しかもポリープは何ともなかったので,安心しました。 胃カメラ検査で胃のポリープを発見し,切除。このポリープは陽性でした。胃カメラも今は鼻からカメラを通すようになり,比較的楽になりました。 もう一つのポリープは小腸にありました。小腸は大腸の奥にあり,盲腸に近いところにあります。このポリープの切除は結構時間がかかりました。前日の食事は食物繊維のあるものを摂取しませんでした。当日は自宅で検査薬と水を大量に飲み,透明な色の便のときに行いましたが,お尻は痛いし,おなかは張って痛みました。検査後は30分間の点滴でした。ポリープの結果は2週間後にわかり,脂肪肝だったのですが,これでダイエットをしなくてはならないと思いました。 年齢が問題です。高年齢になるとダイエットしにくくなるということを聞いたことがあります。あの問題の「結果にコミットする」で話題のダイエットは本当に有益なのでしょうか。わかりません。今の私の最大の敵は,職場のお菓子と食後のウォーキングがなかなかできないこと。夕食後寝るのが早いのも問題です。好きなケーキも我慢しているのですが,時にはストレスになります。でも,こうも言ってられないです。健康になりたいです。そのためにダイエットに挑戦しますが,標準体重が目標です。
2017.04.15
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昨日は,節分でした。珍しく携帯電話に母のメールが入っていましたので,電話をしたところ,母は「とにかく早く帰って。恵方巻が届いたから」と帰るコール。 帰宅したら,なんと家族分の恵方巻が届いていました。アボカド・海鮮などの巻物があり,3種類ずつ吉方向に向かってかぶりました。さすがに豆は年齢の関係上年の数ほど食べることはできません。関西から伝わった恵方巻は今は全国区です。母は,「これ,私が買ったんじゃないの。伯父様からよ」とのことです。 今日は立春です。恵方巻の送り主が現れ,卵をプレゼントしました。お礼を述べましたが,北時間がまずかった。通院の時間が近いので,すぐに自宅を後にしました。今日は教育相談の研修がありましたが,月1回の通院の時間と重なり,お休みしました。外出はその1回切りで,家族全員自宅で過ごしました。その教育相談学会では,夏に千葉で研究発表会があり,会員全員が役員として会に参加することらしいのです。ほとんど参加することがなく,本当は対人関係のことで悩みが尽きない私とすれば,どのように接したらいいのか迷う場面があり,研修したいくらいなのです。それに,教員免許更新(平成31年3月まで教員免許が有効)が重なる可能性もあり,大会に参加することさえ未知数なのです。暖かい1日で,午後はソファーで横になっていました。さだまさしさんが深夜テレビ出演することもあり,途中で寝ないよう,備えていました。さださんは学生時代からのファンです。 2月になると,毎年憂鬱になります。スギ花粉症が始まりました。マスク・ゴーグルは手放せません。鼻とのどが辛くなります。のどの方はこの時期うがい・キャンディ・飲み物などでカバーします。鼻は今は朝と晩の水洗いに点鼻薬ですが,ピークになるとスチームを10分間当てます。5分は鼻,あと5分はのどに当てるのですが,これで辛いと強い薬を寝る前に飲むことになります。今年は12月から飲み始めたのですが,それでも2月になると,「ああこの季節が来てしまった」ということになるのです。 これでは「鬼は外,福は内」の効果なしです。症状があまりでなければいいのですけどね。
2017.02.04
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自宅の2階の北西側の書斎は,私の仕事部屋になります。しかし,最近は悩みが増えています。ちなみにオフィスの方は整然としているのですが…・本の収納。整然としておりません。本は増える一方で,棚も購入しました。しかし,並べ方が雑然としているのでしょうか。・机の収納。引き出しにはフロッピーディスクがありますが,これは現在休みの度ごとにXPで整理しています。もう使わないシステム手帳もあります。旅行のパンフレットもありますが,分類してもいいですね。 不燃ごみの日に全部のフロッピーディスクは処分する予定。いらないものもあるのは確かです。・電子データのファイル。これは整理する時間が今はありません。 それでいて休みの日が通院・外出となると,整理の時間がなくなってきます。 今日と明日は書斎の整理整頓には絶好の日です。しかし,ふたを開けると,整理はせず,今日は月1回の通院の後,ソファーの上で寝てしまいました。 ちなみに,オフィスの方は,ものが多くなっているのですが,本は最低限の収納にし,棚の色は白,ペン立ては黒,ボックスをつけて,緊急のときにファイルをすぐにみられるようにしています。雑然としているのが書斎とLDKのカウンターです。カウンターは公的な場所で母が使っているのですが,年をとるとインテリアに統一性がなく雑然としても,どこに収納しているかわかるようです。個人的にはここを何とかしたいのですが,まずは自分の仕事部屋でしょうかね。
2017.02.04
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2016.12.29
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実はこの3年間も更新していませんでした。完全に更新の仕方を忘れてしまいました。楽天のユーザー名が2つありました。これを1つにするのが大変でした。 前回のブログの後、どのように過ごしているかをお知らせします。 長期研修のときfacebookを始めました。以後、FBでの友達が増えました。そちらの方にも顔を出してください。 勤務地が変わりました。現在の勤務地になり2年目です。長期研修の直後の学校には縁がありませんでした。個人的にはいたかった学校でしたが、色々ありすぎました。まず、希望していた放送委員会の顧問になれませんでした。生徒が個人的に指導をお願いするので、それを引き受ける程度でした。放送委員会の顧問の先生が専門でないこともあり、放送が専門の私が指導を個人的にしました。その結果、全国大会に行けました。全国大会でも指導はしました。また、長期研修のときの成果を学会発表しました。大修館書店の『英語教育』には2年前に記事の掲載をしました。 しかし、これだけのことをしても、校長は認めませんし、千葉で研修の成果を発表することは一切ありませんでした。放送の役員も解任されました。SGH、したかったのですが、それをする前に転勤させられました。これは私が希望したことではありません。 放送関係の仕事は、今の学校でも希望はしているのですが、それもかないません。だから、つい考えてしまいます。 もう放送と英語教育のできる学校への転勤しかない。 今の現状は、部活動顧問といっても、運動部は指導などできませんので、名ばかりの顧問です。もう一つの英語部は週1回。大会など出られる英語力はありませんが、英語でのコミュニケーションを楽しんでいます。でも、希望が叶いのびのびと部活をしている人を見るとなおさらです。 心の病も再発し、月1で病院に行っています。前任校でのことでパワハラに会い、それで再発。最初はうつ病と診断されました。でも、その薬を飲んだところ、病状が悪化し、以前通っていたクリニックで診察を続けています。今のところでも、パワハラ。相談しているけど話になりません。私ばかりがある先生に一方的に攻撃されています。もう我慢の限界に超えたので、引っ越しを決意したところです。準備室で教科の仕事をするのが私にとって今まで一番やりやすかったのですが、今の学校では苦痛でしかありません。研究授業を見るのも若手教員がいく機会が増えた半面、私にはその方の一言で「行くな」ですので、個人的に研修することにしています。ほとんどの人が訳読式による指導が中心で、私のような英語教育おたくは浮いてしまいます。先日の指導主事訪問では英語をもっと使うことを指摘されていましたが、訪問が終わると、元通りの授業です。これでは英語力が高いとは言えない生徒の英語力を伸ばせるのかが疑問に思います。個人的には英語をもっと使う授業を展開したいのですが、そうもいかない現状があります。 同じ学校に3年は最低いないといけません。あと1年3か月は我慢の日々です。朗読の勉強を続けています。都内まで隔週で通っています。朗読会があれば発表を見に行っています。再び放送の指導ができるように準備しています。 我慢の2016年がもうすぐ終わります。休みが来るとほっとします。攻撃はないのですから。 母の癌の進行も気がかりなのです。今は母は家で家事を普通にしています。外出となると、旅行もちょっとした外出もできないので、近くの買い物や外食、通院、公園のwalking、地域猫と遊ぶくらいしか外出を楽しむ事が出来ないのですが、私と一緒だと嬉しいようです。でも、最近「私もう長くないから」と言う回数が増えました。終活を考えているようです。定期的に検査がある上、抗がん剤を医師の指示に従って飲んだりやめたりしている日々です。肝臓がんの手術は3度しましたが、現在、胸に小さな癌があり、もう手術はできません。抗がん剤治療の成果は現れていますが、1日も長く生きるようにと祈るばかりです。できることなら次のオリンピックは是非見に行きたいし、それまで元気でいてほしいです。 千葉県の場合、国立の病院がありますが、がん専門の病院になると、報道されたとおり、問題があります。でも、千葉市在住である以上、そのがん専門の病院に通うしかありません。 それにしても、私も家族も闘いの日々をこの3年間送っていたことを感じます。
2016.12.17
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長期研修も終わり,この4月,本来の仕事に戻りました。しかも,配置換えにより勤務先も変わりました。自宅からは車で40分ほどのところになります。勤務先は藩校から続いていたと伝統校であり,進学重点校。しかも,NHKの朝ドラのロケ地,千葉県の重要文化財としても有名です。赴任して早々,この学校の著名な卒業生の話題で盛り上がっています。今の勤務先は,私も家族も元気な中の勤務となります。本当はもっと現場に還元したく,専門性を大いに発揮したいところですが,1年目の場合,それもままなりません。不完全燃焼の生活…苦手な「辛抱」をしないといけません。不適切配置な中での勤務で,気持ちが癒えませんが,来年度にはこうした状況から解放されることを信じ,勤務しています。 教育実践できるように,しっかり勉強し,更に研究し,その成果を現場に還元するという意味では研修は欠かせませんが,この研修に関しては,現場での仕事第一で研修は二の次という方と,現場での仕事も大事だが,研修も仕事のうちと考えている方と二極化しています。私の場合は後者です。毎日の準備は欠かせませんが,長期の休みになると,講習会・研修会などの機会を通じて勉強してきました。最近は学会にも参加しています。土日に研修したくても,お仕事があれば,そちらが最優先されます。これが通年でのローテーションです。さすがに,長期研修の後の現場復帰になると,環境や生活に慣れ,体調を維持することに必至でした。朝早い生活,勤務後の疲労…長期研修の時のようにはいきません。夜遅くまでの生活,煩雑な勤務とは対照的な自由な時間の中での研究・研修が懐かしく思えます。週末,首都圏に英語教育の研修に行ったのはなんとたったの1回だけでした。地元千葉で月に1回でも勉強する機会があればいいのですが,今はほとんどないの現状です。都内の方が圧倒的に多くの研修の機会があります。 気が付いたら,長年英語教育に携わりましたが,英語教育に絞れば,様々な形で勉強させていただき,さらに研究にも従事することができました。もちろん,したかった長期にわたる研究のプロジェクトや海外研修もありますが,県からの委嘱がない上,海外研修に至っては家族の問題もあり,年齢制限もあります。研究や研究のための時間やお金を費やしてもしたいことであり,また現場に還元したいことでもあり,気が付けば「研修おたく」。今回の長期研修では,大学院の委嘱研究生として,1年間の研究の機会が与えられ,大学院修士課程の時の研究で更に研究が必要だと思える部分の研究ができた半面,プレゼンをする上での指導方法のさらなる工夫が必要であることを痛感しました。今年4月以降は自分の研究発表を公式に発表することができます。長期研修後,研究成果を地元に還元するべきですが,実はそうした機会が現在地元では全くないのが残念です。研修中,担当の指導主事の先生方からは「研究成果を発表し,現場に還元せよ」と言われましたが,義務制の学校とは違い,英語教育の研修などで発表したり,講師としてレクチャーすることがそうありません。成果を発表するにしても一苦労です。公募で探し,ようやくこの夏,学会で口頭発表できる運びとなりました。 東京の大学院では,大学院博士課程に進む現職教員の方もいます。千葉にいれば,修士課程でもう満足ということになるのかもしれません。でも,英語教育をリードしている現職の先生方が更に極めようと研究しているのを目の当たりにしました。現在,博士課程に進もうと思っても,今の仕事もある上,環境面の問題もあり,それはかないませんが,いつかは博士課程に進みたいと思います。加齢が進み,体力的な面での戦いがある中,モチベーションを持ち,研修や研究がどこまで可能かは私の課題です。今,受験生を担当し,大学受験英語の指導が中心になり,本来のコミュニカティブな英語の指導とはいきません。しかも,慣れない校務の連続で,ともすれば長期研修をしたことが何だったのかと思うときも多々あります。研究したことがなかなか還元できない現状。でも,少しでもこうした現状を打ち破れたらと思っています。 この夏はしっかり研修する所存です。
2013.07.25
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まずい!前回の更新が昨年の9月25日でした。その後,facebookに投稿することがめっきり多くなり,ブログを更新していませんでした。短文で投稿できるのがfacebook の魅力です。 最近は,自宅でも出先でも桜を満喫することができた反面,花粉症の症状に悩むことが多く,今日は鼻汁が止まらなくなってしまうことがありました。 鼻を洗い,ブリースライトでテーピング。そうしないと,悪化します。今は,鼻が痛いのですが,鼻汁が出ないので,ましです。花粉の量が「大変多い」日が続き,症状も今日と明日では全く違います。しかも,体もかなりだるくなり,思考能力が低下しております。 もうすぐ,1年間の長期研修が終わります。あっという間の1年でしたが,研修は最終日まで続き,研修先での最後の研修が残っています。それは,長期研修生の発表です。今日は発表前の事前指導で,キャンパスに行きました。今夜はパワーポイントを直し,映像処理を行います。明日はパワーポイントのノートを印刷し,3か所の事務連絡に行った後,朗読レッスンの最終回の受講です。そして,明後日の発表に挑む訳です。明日は研修先の卒業式と学位記授与式ですが,仕事を最優先しなければならず,参加できないのが残念です。 現場を離れた1年は,記憶に残る1年になりましたが,詳しくは後の記事をお楽しみ。今回は,来週の時間があるときにしっかり書き込みます。 ちなみに,夜型の生活にすっかり慣れてしまい,朝型の生活に戻るのに今大変苦労しています。4月から教育の仕事ができるかどうかほんとに心配しています。夜型の生活が私には合っているようです。お仕事で朝早いと,寝ぼけてしまう上,最初の授業は,あまり調子が上がらないのが常。それでいて,夜の残業は大好きだから困ったものです。授業は夕方から始まり夜に終わり,遅くまで自習や研究をするという日々だったのです。今日は10時30分に間に合わず,11時にキャンパスに到着でした。先生,ごめんなさい。 人間ドックでの健診の結果に浮かれてしまったのか?今年は精検なしでした! 正解は,忘れ物名人の私なら場でのことで,JR回数券が見当たらずに時間がかかってしまったからです。回数券が見当たらないため,スイカを使うことになりました。実際,回数券は発見されましたが,場所が,キャンパス近くに借りている,私の自習場所でした。間抜けです。千葉と多摩地区の大学院を通うのは実に大変なことで,片道2時間,運賃は1000円を超えます。他にも,サングラスが見当たらず(実は鞄の奥にあったのを発見できなかった)などのことがあり,思考力低下がうかがえる様子です。 ああ,自分のことが管理できないなど,保育園児以下だと家の者に罵られ… 今日の星占いでは第1位でしたが,占いは当てにならず。自らの甘さが露呈した結果です。やはり摂生している者でないと,占いは当たらないのでしょうか? ぼやくのはこのくらいにします。では,プレゼン準備に取り掛かります。
2013.03.21
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天候には恵まれておらず,途中にわか雨がありました。 しかし,鹿児島旅行は,よか旅でした! 今回公開するのは,8月のお盆休み中に旅した鹿児島の写真です。祖母が亡くなり10年。親戚一同が鹿児島に集まりました。*霧島:・霧島温泉郷丸尾温泉に宿泊しましたが,その丸尾温泉にある滝が丸尾の滝です。・霧島をドライブ中にシカに会いました。シカは奈良だけではありません!車の窓を開けると,車に寄ってきました。 ・JR肥薩線大隅横川駅は築100年以上の無人駅。第2次大戦中の弾痕数発が柱に残っています。風情のある駅で,この日は,観光列車特急「はやての風」と各駅停車が駅に停車しているところを撮影しました。一般客が駅の中に入れてしまうのは意外でした。*鹿児島中央駅: 鹿児島の繁華街と言えば,天文館ですが,九州新幹線の終点である鹿児島中央駅周辺も大分にぎやかになりました。 九州新幹線「つばめ」が駅前のモニュメントに… 若き薩摩の群像が観光客と市民を迎えます。駅前を走る鹿児島市電。バックはホテル?駅前に次々と新しいホテルがオープンしています。 観覧車が目印のアミュプラザ鹿児島。鹿児島で2番目に大きいショッピングモールです。しかし,観覧車になぜ誰も乗っていないのでしょうか?夜,ライトアップされた観覧車はファンタスティック!しかし,撮影できなかったのが残念 道中,温泉三昧でした! 1泊目。天文館にある天然温泉のあるホテルに泊まりましたが,無料の焼酎ビンプレゼントといい,フリードリンクと夜泣きそばのサービスは花丸!夜泣きそばはあっさりしたスープ,細い中華めんが特徴のもので,つるーと食べられました!天然温泉に夜と朝に2度入浴するほどでした。 2泊目。霧島温泉郷丸尾温泉のホテルでしたが,硫黄の独特のにおいの中,貸切露天風呂へ。これまた最高でした!少人数で温泉を独占した気分は格別です。 グルメも堪能しました! お寿司,山川漬,さつま揚げ,白熊(夏の果物が多くトッピングされている,ミルクシロップがかかかったかき氷),黒豚ヒレカツなど,しっかり食べました!漬物と薩摩揚げは宅急便でお土産として山形屋デパートから千葉に送ったほど!ホテルの食事はとてもよかったのですが,ついつい食べ過ぎてしまいました!千葉に戻りダイエットするのが実は大変でした! 個人的には焼酎が飲みたかったですが,酒の苦手な母と一緒なので,控えました。母は匂いさえも苦手です。アルコールでは辛口のいも焼酎が一番好きなのですが… 親戚一同,集まって感じたのは家族の当たり前の幸せ かつては,親戚の中で比較したりされてたりで,親戚付き合いにとても疲れ,自慢したり,自分を高く見せたい親戚に振りまわされた程です。でも,今回の集まりで,感じたのは,親戚は家族の集合体であり,当たり前の幸せを共有できることがどんなに親戚付き合いの中で大切なのかを思い知らせれました。些細なことでも喜び,喜ばせることができない家族もいますが,伯父の家族の仲の良さに,ついつい「ご馳走様でした!」と言ってしまうほどのうらやましさです!家族とはこうありたいと思い,鹿児島を後にしました。
2012.09.25
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8月,学会参加の合間に,グルメと名古屋市内の観光を気ままに楽しみました。とは言っても,限られた時間でのお楽しみでした。 楽天写真館にも公開しています。 コミュニティ「出先より」をご覧ください!・シノワロール:コメダ珈琲店の名物。名古屋駅に着いた後に寄りました。 デニッシュの上にソフトクリーム。メイプルシロップをかけていただきます。 アイスコーヒーも頼みましたが,無料で豆もついてきました。本店は噴水があると聞きましたが,行けなかったのが残念。・名古屋グルメ:個人的には,妙香園のほうじ茶も花丸でした!しかし,高カロリーのものが多く,多くは断念しました!ひつまぶしは値段が高く,食べられませんでした! ・テレビ塔。恋人の聖地に選ばれている場所。夜風が心地よかったですが,さすがにカップルの邪魔にならないように写真を撮りました。しかし,ガラス越しの夜景はぶれるので,大変でした。 栄でもう少し写真を撮影してもよかったと後悔しています。8月第1週土曜日に行われている世界コスプレ会議のため,栄はコスプレーヤーだらけでした。この光景に私はドン引きしてしまいましたが,地元のニュースによると,名古屋では名物のイベント! 学会参加中,栄にあるホテルに泊まりましたが,天然温泉でのお風呂といい,メニュー豊富な朝食もおいしく,サービス満点でした。・名古屋城:夏祭りシーズンで,名古屋城は午後9時まで公開していました。 ゆるきゃらのはち丸(入口)とおけわんこを撮影!学会初日が終わった夜に行きましたが,蒸し暑かったですね。名古屋城は外観のみでごめんなさい。
2012.09.04
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夏休みといっても,忙しいのが常です。 もうすぐ,大学・大学院以外の学校がスタートしますが,私の場合,今年の夏休みの過ごし方はいつもと違います。例年以上に研修でお出かけが多く,泊りがけになることもあります。千葉以外にこんな場所に行きました。 今の研修先の授業は7月に終わっていますが,統計ゼミが8月2日までありました。7月,研修先以外に研修で出かけたのは,神奈川大学と大宮での英語教育講座。・3日~5日 全国英語教育学会参加のため,愛知学院大学へ。最高気温35度の中の学会でした。名古屋の栄のホテルに宿泊。都会のホテルで天然温泉につかり,癒されました!学会の合間,テレビ塔と名古屋城に行くことができましたが,写真を写せばよかったと後悔したのは,世界コスプレ会議終了後のコスプレーヤー。コスプレは趣味ではないですけどね。名古屋は初めて訪れた場所でした。ただし,単独行動。ちょっとさびしいけど…。名古屋グルメはSO-SOでした!ホテルと新幹線パックは旅行会社の旅行券をいただいていたので,これで支払いが住みました。・11日~13日 亡き祖母の法要のため,鹿児島へ。鹿児島温泉と霧島温泉,最高でした!亡き祖母の話に盛り上がり,親戚一同出会いの輪が広がりました。途中,雷を伴い激しい雨が降りましたが,無事千葉に戻れました!・15日 久しぶりに東京・神田錦町ELEC英語研修所で研修。研修所のあるビルを間違えてしまいましたが,新しい英語教授法を聞くことができました!・18日~19日 関東甲信越英語教育学会のため,共愛学園前橋国際大学へ。千葉から遠いため,東京から新幹線を利用しましたが,これは大正解でした。高崎線利用だったら,もっと字時間がかかりました。来年はこの学会で発表するぞ! 先生方やかつての仲間との出会いはこの学会でありました!でも,前橋の暑さが大誤算でさいた。これにはダウン。懇親会の参加はできませんでしたが,コンディションが良ければ出席していました。パーティ参加はあまり好きではないです。話を聞くのはいいのですが,話を広げることが苦手で,話下手。宴会も含めできれば出たくないです。でも,ネットワークを広げる意味では出た方がよかったと思っています。・22日~23日 東京・砧 NHK日本語研修センターでセミナー受講。発声と発音に問題があることがわかりました。3月にもセミナー受講がありますが,それまで待てませんので,9月からの日本語センターでのレッスンを受けることにし,9月に説明会に参加することにしました。・26日 研修先の大学院で午後研修。面白授業アイディアのシェアをするワークショップは初めて参加しましたが,参加してよかったです。また,学習指導要領についての話もありました。・27日~28日 研修先で論文合宿。7種類の論文を読み,ディスカッションしました。 研修三昧の日々は続いています。千葉では研究準備と静養の日々を過ごしています。9月,集中ゼミと研究指導で大学院に通い,検証授業の実施と準備で数日間高校にいます。 長い夏休みは大学以来のことで,もう2度とない休みですが,どのように過ごすかが問題です。仕事人間にとって,何かするのが一番の悩みの種です。
2012.08.28
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昨日から家の外から出ていません。 昨日は一日休養です。メールの返答もしたのかな。でも,疲れがたまったのは確かで,動くのも嫌でした。ベットでごろごろ!しかも,よく寝ました 7月になった今日,午前中仕事場を掃除し,午後から仕事の準備をしないといけないと思ったものの,現状は好きなテレビ番組(スポーツ番組)を見ているだけではないですか。 札幌ハーフマラソン中継…藤原新さん,よく走りました!オリンピックが楽しみ!新さんの姿に少しパワーをもらったかもしれません。長距離走は大の苦手です。私ができないことをこなせる選手の生の走る姿は,駅伝でいつも見て,すごさを感じます。だから,駅伝やマラソンなどの中継が楽しみにしています。連日厳しい練習をこなし,早く長く走れる長距離走の選手を思わず応援したくなります。 巨人戦…巨人が勝ち,首位なのはいいのです。違和感があるのは,この春のオープン戦からメガネをかけだした原監督の姿。がっかりしています。甘いマスク,イケメンだけに,全く似合っていません。メガネをかけてのは老眼なのでしょう。54歳。仕方がないでしょうけど,これでは「若大将」が台無しです。特徴がない,50歳代の監督に見えてしまうのは私だけですか?せめてレーシックを受けて,メガネなしの原監督でいてほしかったです。忙しいシーズン中はできないでしょうけど,オフシーズンにでもレーシックを受けてほしいです。最近は,週刊誌のスキャンダルもあり,「色眼鏡をかけて物事を見ている原監督」まで書かれてしまい,ますますイメージダウンです。大勢の人たちに見られている仕事だけに気の毒だと思う反面,ファンを裏切らないのもプロであり,残念です。 私もレーシックを受けて,13歳からのメガネから解放されましたが,今度は老眼が忍び寄る現実です。2度目のレーシックも視野に入れています。 休日になると,ぐーたらになります。やるべきことが山積していると特にこうなる訳です。これから明日以降の準備します。夕方から夜になり,元気だと,結構仕事がはかどるという習性は何とかならないでしょうか? 先週は,月曜日に千葉での悉皆研修と研修先の都内の大学院の授業で完全にグロッキーになり,長期研修関係の仕事と自分の研究・研修,検証授業での打ち合わせで,金曜日のゼミが終わると,完全にダウンしてしまいました。しかも,研修中のやり取りに精神的に嫌になるほどストレスがたまる一方で,研究へのマイナス材料です。 今週は千葉での大仕事もあり,千葉での日程が多いです。プレッシャーがかかる仕事だけに,準備が肝心!頑張ります。
2012.07.01
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昨日は台風接近のため休講が相次ぎました。今日の授業では,先生はこのように入室しました。 先生「こんにちは。皆さん,入口の掲示みた?」 院生「まだです。」(多くの院生は前の時間の演習を受講していて掲示に気が付きません) 先生「じゃあ,なんて書いてあるかみてごらん」 院生「『今日の7時間目は台風接近のため,休講とします。気を付けてお帰りください。』やったー,休講だ!」 先生「じゃあ,この授業(5時間目)はどうしようかな。やっぱり台風だから休講にしましょう!」 院生 私「ええ,もう終わりですか?せっかく来たのに。」(私は小学校英語の授業を受けていないため,5時間目の演習がその日の1限目に相当します) 先生は,来週読むべき課題を配り,「これ読んでね」と言って授業は終わりましたが,実際はその後50分近く雑談をしてその日は終わりました。台風で休講は私のキャンパス生活を振り返ってもありませんでした。先生から見ると,魔の火曜日が台風で早めの上りになり,少しリラックスできたのかもしれません。どうやら,昨日は多くの大学で休講処置がとられたようです。おかげで,注意報の段階でキャンパスを離れることができましたが,千葉ではすでに警報が出ていました。今は大学院のそばに自習と研究のためのスペースを借りているので,昨日はそこで仕事をしていましたが,千葉に帰っていたら大変だったと思います。が,台風で昨夜はよく眠れませんでした。台風の接近に伴い,「ゴー」の音は聞こえるわ,ごみは飛んでくるわ,電車は止まるわでもう大変でした。音が気になってしまい,大丈夫だろうかと思ったのです。余った時間で本来やるべき仕事ができたのはよかったのですが,メールの催促が来て,焦っています。 水曜日は火曜日に引き続きその先生の研究指導ですが,今月は定期的な指導はありません。指導を受けるためにアポを取り,来週の水曜日に指導を受けます。今日は千葉の地元の病院に行きました。3か月前の人間ドックで,子宮からポリープがあるのがわかり,その病院で摘出したのですが,今日病院に行き,先生から結果を聞きました。異常もなく,よかったよかった!千葉に戻り,リラックスです!ここに戻ると,魚のおいしさを実感します。実は関東の南に位置しながら,水辺に囲まれているため,夏,温度が関東で比較的上がりにくい場所です。どうも多摩地区にいると,プラス2,3度くらいの暑さを感じます。
2012.06.20
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4月からの今の私の仕事の内容です。 長期研修生としての研究・研修が今の私のお仕事。給料はもらい,教科教育の研究のため,大学院に委託研究生として1年間だけ在籍します。ここでは教科教育や統計に関する授業やゼミ,演習,研究教官からの研究指導を受けております。単位は取ることができませんが,聴講という形で参加します。もちろん,出席しやるべきことをすれば,平日に関しては「勤務扱い」になります。4月・5月は皆勤ではなく,1日の休みがついてしまいました。 授業では発言など積極的にできるようになりましたが,3時間ゼミだけが議論に参加できずなじめません。 が,多少授業内容が難しいと感じてもすぐに解決するので,何とかついていけています。 自分の研究や演習のため,模擬授業などをすることもあります。苦しかった大学院生活を一度経験した強みなのかもしれません。 土日祝日にも大学院には研修のためのイベントもありますが,今は健康維持もあり,あまり参加できていません。正規の授業ではないものも多いのですが,院生のみなさんの出席率は高いです。本当はもっと出席しないといけませんが,今の悩みは体がいうことを聞いてくれないことです。健康維持もお仕事に入れていますが,年齢とともに疲れがたまりやすくなっています。持病悪化にならないようにはしたいですが,先日は持病悪化で咳が止まらず苦しかったです。 タフな体がほしいです! 地元でもお仕事もきっちりあります。研修が年10回ほどあり,千葉県の長期研修生が受けなければならない研修です。長期研修としてのお仕事もあります。たとえば,今年の長期研修生や過去長期研修生をした現職の方を対象にミーティング関係のお仕事や,年会費を集めたりなどの仕事です。長期研修生だけの会議もあります。 私個人の研究は,来年3月に地元で発表しなければなりません。今は研究のためのパイロットに着手しております。今月15日までの締切に,今決まらなくてぼやいているところです。大学院での研究テーマは続行し,研究テーマはあっさり決まりましたが今はリサーチデザインを作っているところです。来週の水曜日,先生に指導を受けるためです。学会に出せるような研究ができるといいですが,今はただやるべきことをやるのみ。 学会・研修会・研究協議会・授業参観にも多く参加します。ここで全国の英語教育に従事している方々とのネットワークを広げる絶好の場になります。先日は埼玉大学附属中学校んほ中学校教育研究協議会にお邪魔しました。ただし,交通費など経費はすべて実費でまかないます。 しかし,できないことがあります。指導や出版執筆などはNG。名前が公表されるようなことも一切できません。たとえば,学会発表は発表者として名前が公表されるため,来年4月1日以降ならできます。 県によっては長期研修生でのルールは異なります。が,千葉県の場合,法律に従い「研修と研究に専念せよ」ということなのです。 教えるのが仕事ですが,研修も立派な仕事です。中には大学院で研究する方もいらっしゃいますが,これは少数派になります。実は大学院の修士課程を修了している英語の指導者もそう多くはなく,理数系の指導者の方が多いとはよく聞きます。今は研究三昧の日々です。大学院での研究生活に今回は落ち着いて専念できますが,そうした生活も2か月経ち,時間の経過が早く感じる今日この頃です。4月から1年間,教育現場の煩雑さから解放されたのはいいのですが,10か月後に元に戻れるかが心配です。 昨日から6月。6月はあまり好きでないのですが,この月さえ乗り切れば大好きな7月が来ます。 追伸)これから私を見かけたらよろしく!
2012.06.02
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今週の月曜日から咳が止まりません。空気が乾燥しているのか,疲れているのか? 咳の頻度と数は増える一方で,一昨日と昨日,頻度も3分に1回の割合です。それでも,気力でカバーしました。大学院では研究生としての日程をこなし,水曜は研究会に参加し,昨日木曜は何とか千葉での悉皆研修を終えました。 今日は3時間ゼミの日で,本来なら千葉から小金井に総武線・中央線で移動し,夕方からゼミに参加です。しかし,今いるのは千葉の自宅です。具体が悪いのは私だけではなく,私の家族全員です。先生には欠席を伝えるメールを送信し,大事を取って静養しているところです。自宅では鳥の鳴き声がよく聞こえ,隣の家のさまざまなバラはバラ園を開いてもおかしくないような美しさを増しています。ブログを更新している場合かと思うでしょうが,今,全く眠気が襲ってきません。 千葉の病院には今朝ようやく行けましたが,ドクターストップで,今日は欠席。 ここで,ゼミの内容について紹介します。 金曜日の夕方から夜にかけて,3時間行われるゼミは,30人余りの英語教育専攻の院生が6畳ほどの部屋に集まり,英語教育に関するあるテーマについて激論を戦わせます。今日のテーマは,「早期英語教育の効果」です。参加者はリサーチデザインを事前に考え,ハンドアウトにまとめます。ゼミの前に参加者分のハンドアウトが配布され,ディスカッションがスタートします。先生が目に留まったリサーチデザインからディスカッションが始まり,そのあとは展開次第ということになります。自発的に「私のリサーチデザインを検討してください」と言った院生のものをディスカッションする時もあり,先生が選んだ参加者のリサーチデザインに関してディスカッションをする時もあります。 個人的にディスカッションは楽しいのですが,このゼミだけは完全にお客様になっています。意見・質問が次々とあり,思考が追いつきません。意見などを言うタイミングも逸してしまいます。しかも,事前に作るべきリサーチデザインは院生のものに比べて見劣りしてしまうもので,しかも,きちんと書けていません。私もトライしていますが,「私のものを検討してください」など,恥ずかしく言えるものではありません。上級生の意見が下級生よりも数多くしかも早いタイミングで出ますので,パワーに押され気味になります。院生の中には,現職教員の方もいらっしゃいますが,現職教員の方の発言以上に若い院生の意見が多いのが特徴です。終わると,それなりの充実感はありますが,アイディアの交換を通じて,常に自らのアイディアの貧困さを感じます。 ドクターストップがかかったのは,30人が6畳に集まるという点であり,しかも,窓もなく,天井から床まで本に囲まれた部屋で激論を今3時間行うだけの体力と健康が保てないことを指摘していました。その上,咳がひどい中,参加者に悪影響を及ぼす状況であることも大きな理由です。こんなこというと「え~」と思うかもしれません。大学院で通常3時間のゼミは問題ないのですが,環境に慣れるのには一苦労しました。本は大好きですが,6畳しかなく窓も全くなく,風が通らないところです。そこに30人が一堂に集まります。私にとっていいところではありません。酸欠気味になり,最初のゼミで過呼吸発作,のぼせなどの症状が表れました。以後,暑くなっても温度調節できる服装をこころがけ,水分持参で受講しています。空調設備であるのはエアコンだけです。ゼミ中に大地震が来たら,大量の本の下敷きになるのは確実です。 環境といい,ディスカッションの内容といい,実に熱い議論です! 今回は,煩雑な仕事と両立しなくてもいい環境の下,研究に専念でき,仕事で欠席・遅刻ははるかに少ないはずです。皆勤を狙っていただけに早くも5月に病欠し,無念です。 早く咳が消え,鼻づまりもおさまると復活できるのに… ようやく眠気が襲ってきたので,ここで寝ます。
2012.05.25
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本当に久々の更新です。 日記を更新できないほど忙しかった上,ブログ更新の方法までわからなくなっていました。ようやく日記を更新できるようになったら,今度はブログのデザインまで変わっていました。 2011年,更新なし!確かに朝から晩まで働き尽くしでした。 近況報告です! この4月から,1年間だけキャンパスライフを送ることになりました。 3年前,大学院修士課程を修了したのですが,その時は勤務と大学院生の二足の草鞋を履きながらの生活で,とてもキャンパスライフを楽しめる状態ではありませんでした。しかも,研究は壮絶でした。テーマが決まらない,進まない,書けない,ダメだしの連続の上,指導教官交代。修了まで5年も費やしてしまいました。このブログでも大学院生活に関する書き込みを見ていただければわかります。勤務もフルタイムで行っていました。夜眠れないことも多かったです。ダメ院生でしたね。 今回,長期研修で1年間,国立大学大学院の委託研究生として,英語教育の研究を行うことになりました。まさか,長期研修の選考に応募し,合格するとは思っていませんでした。また,3年ぶりにキャンパスライフに戻れるのも想定外の出来事でした。 1年間は短いですが,3年前に研究したテーマをさらに追及し,成果を来年発表します。 大学院生活はセカンドチャンスですが,今度こそリベンジです。キャンパスライフを楽しむ余裕があります。こんなこと,大学時代以来です。 忙しい働き尽くしの毎日からは解放されています。仕事をしてから長くなりましたが,これは人生初のこと! この研修中は首都圏を中心に色々な学校を見学できます。また,全国の学会・研修会にも参加します。 どんな出会いが待っているのでしょうか?楽しみです!
2012.05.20
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1年ぶりの更新になってしまいました。確かに仕事は忙しかったし,個人の楽しみでPCに向かう時間はありませんでした。アバダーだけは更新していましたが… PCに向かうといっても画像編集の時間がこうも長いと,だめですね。気がついたらブログ更新の仕方までしっかり忘れています。 今日はオフで,テレビで大学野球と日本シリーズを見ましたが,複雑な思いに駆られたのも事実です。 東京六大学野球で早慶戦が優勝決定戦でした。この試合,早稲田のワンサイド試合になるかと思いましたが,終盤の慶応の追い上げで試合は面白くなりました。8回に5点取った慶応。春に優勝しただけの打力はあるし,次々と選手を変える元巨人コーチの江藤監督の采配も8回まではよかったと思いました。しかし,9回になり,投手・捕手が誰もいなくなり,急造バッテリーで投げきれるかが本当に心配になった試合でした。 この時,私の頭をよぎりました。私情が入りますがお許しください。「レギュラーにあの捕手になっていれば…」このブログで取り上げたことがある母校出身の選手,茅根君です。一年浪人して慶応大学に入学し,現在3年生です。最近,彼も慶応大学野球部のブログに書き込みをしていました。しかし,今,彼はレギュラーではありません。母校から多く早稲田・慶応に入学し,巣立っています。しかし,私の記憶では,過去,母校で東京六大学野球リーグで活躍していた選手が誰もいません。母校は,一度も甲子園に出場したことがなく,4年前の県ベスト4が最高成績です。彼に慶応のレギュラーになってほしいと願うのは,母校出身の先輩だからか?あのお笑い芸人小島よしおも,早稲田大学時代は硬式野球部に所属していませんでした。 体は大きくありませんが,朗らかな選手で,全国高等学校選手権県大会ベスト4の母校ミラクルの立役者です。ここぞというときに何度もヒットを打ち,ピンチをしのいだか。今,千葉ロッテで活躍している成田高校出身の唐川選手が2年生の時の夏でした。4対3で成田高校を破ってからの快進撃は今でも記憶に残っています。でも,唐川選手はこの敗戦から立ち上がり,翌年,春夏に甲子園出場,千葉ロッテ入団に至りました。この夏の千葉テレビでの高校野球ダイジェストのアシスタントは,見たことのある顔でしたが,なんと母校の,それもミラクルのときの野球部マネージャーでした。彼女もブログを開設していて,茅根君が活躍することを願っていたはずです。 この優勝戦,千葉県出身の選手も出ており,東総工業出身の選手が早稲田の選手として出ていました。何よりも以前このブログで紹介した松本歩巳選手が早稲田のスタメン8番で出場していました。お兄さんの松本啓二郎選手は,現在,横浜ベイスターズで活躍しています。 最後は早稲田が急造バッテリーの乱調もあり,一気に突き放し,優勝したのですが,もし急造バッテリーでなかったら,この試合はわかりませんでした。9回裏,慶応が大石君を打ち込んで同点したかもしれません。それだけに,茅根君がレギュラーだったら…と思った試合だったのです。早慶戦の後,唐川君が日本シリーズ第4戦で先発していただけにその思いは強くなりました。もしも,母校出身の選手が東京六大学のレギュラーで神宮を沸かせているのなら,文句なしに応援しに行ったでしょう。次のシーズンのレギュラー…そればかりはわかりません。なっていればいいですが…。 がんばれ! 最後に大石君が三振を取ったときの捕手は,早稲田実業出身の白川君でした。甲子園と神宮での優勝の瞬間,球を捕れた幸運に恵まれた思う反面,複雑な思いもありました。高校同様,斎藤君と白川君のバッテリーを大学野球でも見たかったのですが,たまのテレビ中継しか見ることができない私です。かないませんでした。斎藤君が1年生から活躍しているのに対し,白川君は,背番号6をつけながら最後まで正捕手になれないまま終わり,卒業後は野球をしないとのことでした。試合で活躍できる4年生もいますが,4年生でベンチ入りできてもレギュラーで活躍できない選手もいます。中にはベンチ入りできない選手もいます。競争の厳しさでしょうか。満員の観客の中にもベンチ入りできなかった選手はいたはずです。白熱した試合になりましたが,選手の明暗も見ました。 甲子園で優勝してもレギュラーになれる選手もいるし,なれない選手もいます。甲子園を経験していなくてもレギュラーで活躍している選手もいます。激しい競争の中,レギュラー選手になれるか否かは,最後は個人の力です。でも,選手はライバルでもあり,仲間であります。「斎藤には仲間がいる。仲間に感謝!」で締めくくった,4年前の全国高等学校野球選手権の胴上げ投手だった,100代目主将斎藤祐樹投手のスピーチ。応援した人たち,一緒にプレーした人たち,選手を支えた人たち,レギュラーになれなかった人たち,ライバルたちなど,あらゆる仲間たちの存在とつながりを感じさせるものがありました。 今度は大学日本一の戦いです。出場する選手たちのプレイに期待します。 そして,大学野球がもっとテレビで楽しめるようになってほしいです。一般のファンももっと神宮へ足を運ぶでしょう。 高校野球もいいけど,大学野球も悪くない!
2010.11.03
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日付が変わってしまいました。が,昨日は病院通いの一日でした。 夜よく眠れず,吐き気などもひどかったです。偏頭痛のような痛みがありました。鼻づまりは相変わらず。このところ,昼間に寝ることが多いせいでしょうか。 平熱に戻っているのに何で?不審に思いドクターのところに行きました。熱は37.1度になっていました。偏頭痛の影響です。 診察後のドクター談です。 「回復には向かっているのものの,新型インフルエンザの猛威は熱が下がってからも残っています。現在は,本来の体調・感覚に戻るまでのプロセスにあります。」 歩いていても,今こうしてパソコンに向かっていても,長い間持続できる感覚がまだ戻っていません。めまいがひどい上,感覚がなくなると横になる。良くなると動く。またふらつくと横になる。この繰り返しです。そうしていくうちに,本来の感覚に戻ってくるというわけです。 だから,発熱してから完治までに1週間かかるわけですね。「焦らずリハビリしましょう。」というドクターの助言には納得です。とは言っても,勤務に穴を開けているわけだから焦らないというのが嘘です。文字通り「師匠が走る」12月まであとわずか。大学受験生の英語力が心配です。今の勤務地は中学から英語は苦手で,話が聞けない上,机に向かうのも余り好きでない子たちが大勢します。前のようにオールEnglishで通せないし,本当に悩みがつきません。 もっとも教える以前の体力が戻らないと何もできないのは確かです。 勤務に復帰もあと少しです。ご迷惑をかけます。※新型インフルエンザに関する報道 今日の新聞では「80%余りが未成年の患者,30~40歳代女性も子供や未成年から感染することが多い」ことが書いてありました(私の感染ルートはこちらです)。また,タミフルの購入にしても日本は中外製薬だけがライセンスを持ち,ネットで高額購入できるのは問題が多いという報道でした。現在は,タミフルか薬の吸入を選ぶ形ですが,未成年の場合はタミフルも死亡例があるため,薬を吸入する形を選ぶ方が多いようです。私はタミフルでしたが,もちろん病院での処方だったので,中外製薬のものでした。
2009.11.25
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久々の更新です。今はインフルで休んでいますが,回復しました。 お仕事忙しかったです。パソコンを使って,音声や映像を編集して番組を制作しているためです。とはいっても,プロの番組制作ではありません。私の仕事の一つが,放送教育の指導であり,その一環として行っているわけです。学校説明会があれば,その学校紹介用のプロモーション制作をしますし,生放送ができなければ,録音放送をつくります。先週末は放送コンテスト千葉県大会でした。その指導もあります。 が,この1週間は新型インフルエンザとの猛威と戦っていました。結果も残せないといった悪循環もあり,責任を感じています。 新型インフルエンザの流行に勝てませんでした。今,100名余りが感染しており,うがい・手洗いなど気をつけてはいたのですが,その猛威にやられた感じです。大人もかかかる新型インフルです。季節性のインフルとは違い,突然の症状でひどくなります。 先週の水曜日。突然の咳。 (しかし,この時に放送に携わる人たち全員感染していました) 先週の木曜日。咳はひどくなりました。そして,のどの痛みも。セミナーの主催もあり,休めませんでした。大会参加に望みをかけていました。しかし,インフルでの休みが相次ぎ,私自身にもその猛威はおそってきたのです。 その日の夜に悪寒と発熱。その晩は,熱と頭痛で眠れませんでした。最高38.1度まで上昇。 先週の金曜日。勤務を休みました。かかりつけの医院へ。37度台に下がっていましたが,新型インフルエンザが判明。インターネットで「新型インフルエンザ感染中」であることは予感していましたがその通りです。勤務先にも状況を聞いて,全員インフルエンザ感染中でることが判明しました。大会参加断念をコンテスト事務局に告げました。 先週の土曜日から日曜日。本来なら,放送コンテストのお仕事でしたが,もちろん,お仕事できませんでした。ちなみに,私のところはインフルのため全員欠席。コンテスト棄権という最悪の事態になりました。関係者の方にはお詫びをいれています。 日曜日から平熱になりましたが,まだ咳はとれません。体の節々の痛みもします。 熱が下がっても2日間は家の中はあたりまえ。咳や体の痛みなどが完全になくなるまでは休みに限ります。直接国際千葉駅伝を見ることも出来ませんでした。ドクターストップのためです。でも,日本チームの優勝をテレビで楽しめたので,満足です。 家内感染にも注意しましたが,気になるのは「私なんて大丈夫。かからないから」なんて言ってたうちのオカン。 インフルにかかってからは,とにかくよく寝ましたが,症状が完全になくなるまでは寝るに限ります。 完全に治るまで7日間と言われていますが, 先生は「大人は子供ほど長くないみたいですよ。平熱に戻り2日経ったら大丈夫です。」実際,薬は5日間だけでした。そして,その通りになりました。私の場合,実質2日間の欠勤です。3連休はひさすら休養でした。 今は普通の体調ですが,動悸がするみたいです。 本来の体調になったら,まだ,他にも報告したいことがあります。追って報告します。 ・大学祭のようなとある高校での文化祭の様子 ・全英連東京大会の様子 ・母校の同窓会30周年記念パーティ(この時,映像を同窓会に一杯提供しました!)
2009.11.24
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9月になり,環境が変わり半年目。ブログの更新も出来ずにいました。 新しいところにも少しは慣れました。でも,慣れないことも多いし,自宅書斎が片付かないし,大変です。 大学院を修了し,本来の仕事に没頭する日々。しかし,オフになると何もやる気が起きないのです。これがブログ更新につながらなかったのかもと思います。庭いじりを6月から始め,はまっているかもしれませんが,もうそろそろ英語の勉強をしようかなと思います。英語教育についても,修士号をとってから,研究する意欲が急になくなってしまい,一気に疲れてしまいました。文献も見るのも嫌になっていたので,部屋じゅう英語の本で机が埋まることがなくなりました。 スピーチの評価方法についての考察について,研究しましたが,そのことについての提言をしても,自信がもてないというのが本当です。大学院時代の先生が,研究の成果を何らかの形で発表するにしてもリスクがあるとはおっしゃっていました。「たいした研究ができないのに」と言われてしまうかもしれません。折り合いがよくなった分もあり,怖いのです。臆病になっています。 新型インフルエンザが流行し,学会に出るのも,外に出るのも避けていました。近場に出かけたり買い物くらいはしますが…。ただ,今は自宅で静かにオフを過ごすのが一番いいのかもと思ってしまいます。自宅の北の風景は,都会の風景ですが,南は森の木々がそよぎ鳥のさえずりがよく聞こえ,癒されます。 夏の学会シーズンに,何も出ずに終わりました。大学院と勤務先をはしごしていたよりも遙かに今の方が時間があるのに。 私の家族の方が,私の学会参加にしても敬遠しているようですし,一緒の時間がほしいようですね。両親は私が普通がいいみたいですが,普通って何でしょうか?変わらない日常がいいこともありますが,平凡な毎日というのもどうでしょう。私は普通という言葉の響きがすきになれません。その人らしい過ごし方,その人らしさの追求に反しています。 秋の学会シーズンには,参加したいですが,今の勤務先での仕事がネックになりそうです。でも,今度は参加します。 ちなみに,今の勤務先での英語教育。ここでの問題は日本におかれているよくある英語教育の問題と何も変わりありません。今は英語を教えていても,英語を使えば拒絶反応です。これまでの担当者が使っていなかった人が多かったこともありますが,英語を英語で行う時勢になってきた今,従来のよくある方法で教えてもどうかなと思います。英語を使いまくっていたこれまでとは勝手が違います。英語が苦手な人も多いですが,それにしてもそれまでの教育のプロセスに問題があります。英語力が相対的についていない訳です。教えていてもすぐに「わからない」「どこがわからない?」「もう頭からわからない。だめ」そこで思考はストップします。コミュニケーションも図れなくなってしまいます。 反応が今ひとつの上,伝わらないもどかしさを感じます。何度も 「教えていて物足りない」と知人にこぼしていました。「私のところはもっと悲惨なのに贅沢だ」と言われた知人には一度こぼしたキリ,2度も言っていません。が,元同僚は「そうかもしれないし,あっていないかも」といった意見です。カルチャーショックもよくあります。これは今でも変わりません。英語を大いに使って授業をしたのが懐かしいと思います。ただ,「昔はよかった」とはまったく思っていません。満足した結果を得られた訳ではないからです。すべてにおいて100%よいところはないと思っています。どこに行っても長所以上に欠点が見えてしまうから,つい口にしてしまうのです。あくまでも愚痴としてですが…。 同僚と英語教育であまり話しをしないというのは,私にとっては地獄です。週1回はミーティングを長時間もち,ディスカッションしていたのが懐かしいです。もっと,熱いディスカッションをしたいのに。しかし,同僚にすれば,それがついていけないようです。秋には必ずスピーチを担当していたのですが,久々にスピーチの担当をはずれました。同僚は日本に多い典型的な英語教師です。とりあえず,我慢していますが…。残念ながら今,同じ職場に腹を割って話せる人がいないので,黙々と仕事するのがましと考えてお仕事命でやっています。が,仕事内容に不満があります。質の問題の方が大きいです。変に負担がかかるし,40人クラスの上,外国人講師もきません。8クラスの担当する子の顔と名前が一致しません。本当はきてほしいのです。 同世代が少なく,はるかに年上の方が多いです。 拍子抜け。水と油。やりがいに今ひとつかける…。ため息です。わかってもらえない苦しさばかりです。英語教育だけではないです。方法や組織が中途半端で,会議にしても,時間が長いです。いい議論なら許せるのですが,息苦しいし気分が悪い。決断も時間がかかるし,ほんとにわかっているんだろうかと思ってしまいます。排除されることもあります。体調が急に悪化することが最近増えてしまいました。まさに孤軍奮闘。 私,これで終わるはずじゃない!実績を上げて鼻にかけている人がいますが,それってどうも受け付けられません。上の立場にいけばその傾向があるようですね。 愚痴になりましたが,あまりこぼすと問題があるのでやめます。 アバダーを少しデザインを変えてみましたが,無料アイテムがとうとうなくなったのは何故?この不景気にゼロ円アイテムが嬉しかったのに,悔しいです。
2009.09.08
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新しい環境になり,一ヶ月経ちます。正直のところ慣れていません。気が抜けてしまったのもあります。また,環境に順応していないのもあります。 いろいろありましたが,この春修士課程を修了。転勤もこの4月ありました。そのせいか,3月と4月はブログの更新ができずにいました。 経過を紹介します。2月の中頃に修士論文の最終審査があり,何とか通過することができました。審査での英語の発表は失敗でした。悔いが残りました。練習は自宅で何度もしたのに,緊張で,最初,英語がスムーズに出てきませんでした。30分以内で発表は終わりましたが,審査を担当する先生からの質問事項に対してピントはずれの回答を連発してしまいしまいました。審査結果も満足がいくものではない上,審査員の一人がスピーチ専門の方ではないこともあり,趣旨が理解されていないと感じました。院生が先生を選ぶことはできないにしろ,適切に審査する先生方が選ばれていない感じがしてなりませんでした。英語面はネイティブの先生のチェックは受けられないまま提出したため,ミスが多くあり,それが審査結果を低くしていました。 もはや自力で英語をよくしようとしても限界でした。勤務は普通にあります。時間の制約もありました。私が選んだ手段はまず修正した原稿を元にして,プロに英文校正を依頼することでした。校正原稿を元に最終稿を仕上げ,3月13日に最終稿を提出しました。 そして3月21日の学位記授与式。大学生と一緒の式でした。全員に修了証書と卒業証書が学長先生から授与されました。この式の主人公は多数を占める大学生でした。大学生のあでやかな袴姿(一部,着ぐるみやチャイナ服,チマチョゴリ,イブニングドレスもありました。)と証書を授与される時のパフォーマンスには驚きました。外国籍の卒業生は黒のリクルートスーツが殆どです。また,私も大学院生も黒を基調にしたフォーマルウエアです。パフォーマンスを一切しなかったのとは対照的です。博士課程を修了した方だけに許されるウエアはよかったですね。年齢も大学生は20代に対して大学院生は年齢層は幅広いだけに,大学生の若さが際だった式になりました。午後が大学生が大学のすぐ近にある高層のホテルで卒業パーティでしたが,院生はキャンパスの食堂を借りての謝恩会でした。学位記授与式も謝恩会もお仕事もあり,修了生全員集合というわけではありませんでしたが,これも無事に終わりました。 大学院修士課程が終わりました。勉強不足や不完全燃焼の部分もありました。もし,博士課程に進むのなら,今度は仕事を辞めてから学問に専念したいです。将来は大学に勤務したいという新たな目標を持つことができました。 2月下旬に転勤の辞令を受けましたが,正直言って前任のところを離れるのはつらかったです。涙を流しながら校歌を歌い,最後は歌えなくなったのは初めてのことでした。 前任のところが,私の母校でもありました。一英語教員として,英語教育と国際理解教育で自分の力を試したいと思っていました。母校で勤務することを目標に,教育実践力をつけ,実践研究もしてきました。しかし,いざ勤務するとなると,真の教師としての力がないことを思い知らされました。実践力だけでなく,真の英語力や専門家としての見識も求められる場所でした。帰国子女もいる上,高校3年になると英語力が大学1・2年並みのtennagersが相手です。勤務先で行っているSELHi(Super English Language High School)のプロジェクトもメンバーの一人ではあったものの,主力メンバーではなくサポートメンバーに甘んじてしまいました。共同での実践研究で,語学教育研究所から外国語教育奨励賞という名誉ある賞を受賞しましたが,今となっては過去形です。最近は,学会参加からも遠ざかってしまいました。ここでは,セクハラやパワハラにも会い,心身共につらい時期もありました。 大きな挫折もありましたが,それを救ってくれたのが放送との出会いでした。アナウンスや朗読は日本語の本来の良さにふれられるものであり,番組制作で創造性の可能性にふれることになりました。放送が実は英語教育のスピーチコミュニケーションとも相通じる部分があり,のめり込みことになりました。また,マスコミ関係の方との出会いで,コミュニケーションの大切さを直に学ぶことができました。ただ,放送を希望する若い世代が減っています。今,それが気がかりです。放送が母校のずっと大きな伝統となっており,よき伝統がつなげればいいのですが… 離れるのがつらいと思ったのは,あまりにも大変でつらい日々を送ったせいもありますし,この場所にいるのが人生の27%を占めていたからかもしれません。 母校でのリアルタイムでのニュースを届けることはもうできませんが,母校を一人のOGとして見守り続けることはできます。また,母校の附属中学校に,この春私の遠い親戚が現在入学しています。こうなると一父兄です。いたいけど,いられる状況ではないのが本当でした。今回の異動で,あのお笑い芸人「小島よしお」を教えた先生は母校にいなくなりました。 今の勤務先。居場所がまだはっきりしません。いつどこで仕事をしても,落ち着いて仕事ができません。 放送がやりたくてもできないし,もどかしい日々が続きます。放送をするだけの組織も機材もないためです。だから,若い世代を育てることができません。まずは組織作りで,放送をがんばりたいという若い世代を募ることがスタートになります。今まではずっと土日も勤務をしていましたが,今はしていません。そうなると今度は自宅での休み方がわからなくなります。 また,英語力になると問題があります。大学に進学希望することもたちが殆どですが,英語力となると,これまで習ったことがすぐに忘れてしまう上,表現力もありません。よく中学で英語が苦手になる原因が文法であり,特に関係詞がわからないのが多いのが特徴です。 これはゆとり教育の悪影響や,子供たちの英語力のなさだけが原因ではないと思います。今の学校教育で欠けているのは長期的なスパンでどのように英語力を育てようかという視点が欠けています。私が最初,同僚にこのことを質問したのですが,同僚が答えられないのが印象的でした。が,現在の英語教育は残念ですが,こういった現状です。打ち合わせも数も濃度が少ないし,情報量も限られ,質問をすることも度々です。じっくり教えればいいというのが答えでしょうか? こういった状況なので,同僚ともっと話をしたくてもできません。英語教育の話はできないし,同僚のプライベートの話を聞かされても,私にとってうんざりします。お互い会話を控えている感じもあります。同僚と距離感があります。 今は我慢の時と言えますが,爆発そうなときに休みになるため,そこでかろうじてバランスが保たれます。しかし,平均年齢が50歳代,それも中盤です。同年代が少ないし,緊張してうまく話せません。こうした環境は初めてです。皆さん,悪い方ではありませんし,人生の先輩ですが…。 気軽に挨拶できる子供たちには救われています。ただ,カルチャーショックの連続で,最近いつも思います。 なぜここにいるのか。 何のためにここに来たのか。
2009.05.02
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前回の書き込みから1ヶ月経ちました。現在,最終審査の準備中です。 論文が終わると,今度は論文審査を受けます。提出した論文は審査をする先生方に渡され,一読されます。最終審査の発表時間は30分間です。まず,研究の概要説明,リサーチクエスチョン,結果,結果分析などを説明することになります。その後,質疑応答,簡単な審査や講評で1時間が終わります。 英語での発表です。発表用原稿を読むあげるような発表にならないようにしたいと心がけたいですね。英語の練習に加え,パワーポイントを使った発表で,30分ぎりぎりになりそうです。まあ,30分の発表は短いですが,英語30分ずっと話しっぱなしですので,日本語での発表以上の緊張があります。 審査は明日の夕方に行われます。大学院修士課程の研究を締めくくる大事な審査です。テーマは「英語スピーチの評価をする際の評価規準」です。スピーチと言えば,オバマ大統領が今注目されています。日本人の場合,スピーチだけでなく,ディベートやディスカッションといったことも教育も含めて,これから真剣に取り組んでいけない課題です。英語スピーチは,長年取り組んでいる中の一つです。 ところで,このブログの書き込みについて今日はお知らせがあります。コメントをくださる方の多くが,このブログの内容とは全く関係のないことであり,ブログを荒らしているとしか思えません。私も頻繁に書き込みができませんが,その間に寄せられるコメントと言えば,マナーとモラルのなさを窺えるものばかりです。不本意ですが,コメントの書き込みも制限させていただくしかありません。趣旨理解の上よろしくお願いします。 これは,私に対するネットによる言葉の暴力です。 インターネットもテレビやラジオ同様,立派なマスメディアですが,匿名で書き込めることをいいことに,掲示板や2チャンネルでの私の中傷を書いている方がいます。しかも実名で中傷をしています。大変残念ですし,不快です。許し難いです。また,こうした対策に対して,何の解決ができないもいかがなものかと思います。 私の周囲を見渡しても,誰を信頼したらいいのかわかりません。このブログを管理している楽天さんにも,もっと考えてほしいです。また,ネットへの無差別な中傷はどうすれば減るでしょうか?ネットが原因で炎上や自殺,いじめ,殺人もある以上,そうされないだけの法とブログ,掲示板や2チャンネルの使用制限などももっと強いものを設けないと,私だけでなく,この国の言動の真の自由は脅かされます。 私も一人のブロガーとしてコメントをすることがありますが,他人の中傷にならないように注意を払っているつもりです。他人の中傷が学校現場ではいじめや自殺に発展することが相次いでいます。また,ネット炎上や有名人の自殺という社会現象にも発展しています。そして,ネットでの言葉のやりとりでの問題は私自身の現実にも悪影響を及ぼすことも多くあります。 元来,私はネガティブな人間です。その上,白か黒かはっきりさせないと気が済まない性分です。グレーゾーンはだめです。善悪の区別などはっきりとしていないいけないと思っています。そういった私です。常に100%私がルールブックであると言えません。失敗もするし,いやなことは引きずるし,人とつきあうことも苦手です。私の中で世の中のことが束縛されていると感じてしまうこともあります。私も私を取り巻く環境も怖いのです。 いくら暴力は許されないと言っても,普段,知らないままにあるいは無意識のうちに言葉を不用意に選んでいたり,相手を傷つけてしまう行為をしている可能性はあります。 「100%私は常に正しい」といった全知全能の神様のような方がメディアやネットでコメントをするのなら,納得がいきます。が,果たしてそのような方はいるのでしょうか。最近,つくづくおもいます。無責任に言葉を並べているのなら怖いです。自分より何かと不利な材料を見つけると批判するのも,私がそうしたことに対する心の傷に敏感なだけ,怒りを覚えてしまいます。また,誰でも失敗はあります。が,何度も同じ失敗を繰り返してしまうか,払拭できないケースもあります。信頼を得るのは厳しいです。 人に向かって面とむかって言えないのに,陰で何かと人のあらを探す人もいるのは確かです。「赤信号,みんなでわたれば怖くない」に見られるみんなで悪いことをやれば怖くないという部分もあります。さらに,問題があっても何も動かない。これでは言葉の暴力は蔓延するばかりです。 手を打たなければ,人間社会はより陰湿なものになります。今は,世界経済も閉塞し,そうした傾向は強くなります。先日,オバマ大統領は,バブル崩壊後の日本経済が何も成長してこなかったこと,そして,日本が問題があってもすぐに対処できない状況になっている今を指摘していました。日本人しての道徳観も失われ,かつての規則を守れる日本人はいずこへという状況です。私は思います。何もかも変えたいし,変わってほしいのです。そして,今の私のネットに関する悩みもなくなってほしいです。 現状が変わることもなければ,ブログを閉鎖するしかないのでしょうか。今,頭を悩ませています。
2009.02.11
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実は修士論文ですが,夏の提出が受理されず,あれから論文の英語を変更したり,再度分析をやり直すなどして,論文を作成していました。 6月の修士論文提出日に提出しに来ましたが,数分遅れたため受理されませんでした。その時,どんなに悔しかったか。担当の先生にこのことで大分迷惑をかけてしまいました。 指導してくださった先生はあの後変わりました。先生ご自身が倒れたためです。現在の先生は失敗がないようにとご指導くださりました。 今回,教務で無事受理され,これで論文からの呪縛が解けました。ようやく肩の荷が下りました。 論文提出の期限は13日の午後4時45分ですが,一番乗りで提出でした。13日は普通に勤務なので,窓口に行くのは困難だと感じました。勤務が休みの今日の午前中に提出しに来ました。おそらく,大多数の皆さんは連休中にラストスパートをかけて,13日提出ということになるでしょう。無事提出できますように。 ここまで来るのに時間がかかりました。通常なら2年で修了できるのが,5年で修了ということになりそうです。社会人入学で入学しましたが,仕事との両立は大変でした。大学院休職制度を利用することも考えたのですが,勤務先の事情もあり,通常の勤務をしながら平日の夜や土曜に大学院で学ぶ手段をとりました。論文作成に至っては,私の研究の進みの遅れに加え,担当の先生の交代もありました。先生方にはご迷惑をかけましたが,家族のサポートに助けられ,ようやく提出できる運びとなりました。やっと専修免許への書き換えもできそうです。 これから年賀状を書きます。昨年は年賀状を書くこともできませんでした。2月の最終審査に向けて準備します。
2009.01.10
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東京のイルミネーションは実に日本の首都としての顔があり素晴らしいですが,最近,スポットを紹介されても流行についていけないせいか,わからないことが多いです。テレビで夜景を紹介していた番組があり,そこでは汐留・お台場・銀座・六本木ヒルズ・新宿といったところが紹介されていましたね。しかし,千葉の夜景ポイントが少ない!そこで今日は千葉おすすめの夜景スポットを紹介します。 東京ベイエリア沿いのそれも東京湾が見えるところが自宅または勤務先だと,いいですね。この時期はイルミネーションで夜景も最高です。私の勤務先から,天気がよいと日中は富士山と東京湾を行き交う船を見ることができます。夜になると東京湾の光の共演です。これぞ,ただで東京・千葉・神奈川を一望できる贅沢!私の勤務地から見えるのは次のスポットです。 ・京葉工業地帯 ・船橋市の三番瀬付近 ・レインボーブリッジ ・観覧車(葛西臨海公園あたりか?) ・羽田空港 ・海ほたる が,夜景をカメラに撮るのは実に難しいことです。DVカメラで収めようとしましたが,光の問題もあり,うまくいきませんでした。デジカメだと望遠でいうことになりますが,元々被写体が小さいです。もう少しうまく撮りたいところです。Zoom upしても画像が荒れてしまうのが難点です。 有料になりますが,千葉ポートタワーの展望台で東京ベイエリアを一望するのも一案です。もっと迫力が出てきます。千葉ポートタワー自体も,実はイルミネーションスポットとしては有名な場所であり,名物はタワーの壁面に巨大クリスマスツリー!これは近々写真を撮ろうと思いますが,あいにく風邪を引いてしまいました。仕事も多忙です。元気になれば勤務の帰りでも写真を撮ります。 千葉のイルミネーションも案外いけます。他のおすすめスポットは…1 浦安市の舞浜駅~東京ディズニーリゾート一帯 さすが夢の国です!日常を忘れるほどのイルミネーションです。ここは絶対直にいきましょう。ただし,撮影ポイントが多く悩みます。2 幕張新都心のイルミネーション 飛行機で幕張新都心が見えてくると,羽田が近いことを感じます。東京が見えてくることで羽田に着陸することを感じることもありますが,東京湾沿いを飛行機で羽田方面で飛ぶとなると,都会のイルミネーションとして真っ先に飛び込んでくるのが幕張新都心です。 直接歩くとなると,おすすめポイントは,・海浜幕張駅近くのテクノガーデンのイルミネーション メルヘンの世界が広がります。 ・幕張ベイタウン。全体がイルミネーションの合うおしゃれな町です。各家庭のデコレーションや通り沿いのイルミネーションは日本にいることを忘れさせてくれます。3.千葉駅~千葉中央公園のイルミネーション 政令指定都市の大きな駅のイルミネーションとしては迫力不足です。中央公園までの大通りのイルミネーションが少ないです。千葉駅付近や千葉そごう前,千葉中央公園はまあまあかな。ただ,私が見た駅から大通りのイルミネーションの中でNO.1は仙台のイルミネーションです。
2008.12.07
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今日は久々のオフでした。 千葉国際駅伝を沿道で応援することができました。男女混合駅伝となり2度目です。 自宅から駅伝コースまではわずか徒歩3分。しかし,雨が降り始め,寒かったです。 一区のところに待機しました。一区は最初と最後尾の差が少ないところであり,駅伝の醍醐味はあまり味わえずに終わってしまった格好です。私も沿道から声をかけたのですが,周囲の人であまり声をかけている人は少ないようです。ちなみに,"Go For it!"と英語で言っていたのですが,音声さん,拾ったのでしょうか?数分間の応援でした。あっけなかったですね。 今の自宅に引っ越し前は,現6区の心臓破りの坂のあたりまで徒歩10分以上もかけて歩きました。最終区では,坂のアップダウンもあり,選手は苦しそうに走っています。また,差もつきやすいところであり,「頑張れ!」「ファイト」などの応援も大きかったです。それだけに迫力はありました。 小林選手が活躍した2区は千葉市街であり,レースとしては3区の途中まではよかったですが,海浜大通りに入ってからはエチオピアの選手が飛び出し,そのまま1位でした。テレビ放映も,以前は1時から6時近くまでやっていましたが,今は3時すぎまでです。漫然と午後はまるまる駅伝でしたが,かえってこの方がいいかもしれません。 このブログの書き込みは9月,10月とお休みしました。完全に仕事の鬼と化していたのもありましたが,それよりも「そもそも不特定多数の人が見るブログの書き込みに何の意味はあるのだろうか」という疑問が生じてしまいました。 ブログは,ホームページに比べ,更新がしやすいです。当初,英語教育についてのホームページを作ったのですが,更新となると忙しい仕事の合間ということになり,ままならないのが現状でした。トピックも多くの人たちにとって利用しにくいホームページにもなってしまい,閉鎖を決めました。ブログはプライベートなどで感じたことを中心に書き込む事が多いですが,今度は私的なことを不特定多数の人たちに対して書き込みをすることに意味をなさない気がしてきました。だったら,「教育」などをテーマにブログを展開すればということになります。が,そうなると私の個人情報を公開する必要性が出てくる訳です。しかし,できません。私自身のことを快く思っていない方もいる上,私自身,公開する必要がなぜなのかまたどこまで公開していいのかがわかりません。また,公開できない部分も多く,情報の流出が今世間を騒がせる大きな問題にもなっています。ブログへの書き込み内容も,最近マンネリ化してきましたので,書き込みを休んでいました。 ブログを書くことについて,またブログについてご意見をくだされば幸いです。 見てくださる方の中には,掲示板に商用目的で書き込みがされています。明らかに私の方でお断りをしているのにかかわらずです。本来,ブロガーと見てくださっている方とのコミュニケーションとして,掲示板があるはずなのに,きちんと見てくださっていないことに頭を痛めています。残念ですが掲示板の書き込みを禁止するしかありません。ご了承ください。
2008.11.24
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お盆休みがオリンピックで終わってしまいます。 とにかくアスリートが全力を尽す姿に純粋に心を打たれます。私があまりスポーツが得意ではないので,体を駆使して,最高の自分を表現できる人にあこがれる部分が多いせいもあります。国の代表になることも大変であり,代表選手になることでも拍手したいです。増しては自分の国の代表のアスリートが入賞する,さらにメダリストになることになればなおさらです。成功までのプロセスが報道されると,その方の偉大さに感銘します。確かに,ネットではメダリストの成功をたたえ,期待されながら結果が出なかった選手に対するねぎらいの言葉にあふれています。 が,忘れてはならないこともあります。今日はそのことを挙げてみました。・世界には戦争や紛争,差別といった混乱の中,国の代表になったアスリートや,明日にも地球温暖化により自分の国がなくなるといった危機にさらされている国の代表もいます。平和の祭典のはずのオリンピックですが,全世界が平和ではありません。こうしてオリンピックが行われている間にロシアとグルジアで紛争が勃発し,北京ではアメリカ人コーチの家族が生活に疲れた中国人に殺害されるという事件がありました。人の命が粗末に扱われていることをもっと謙虚に受け止めるべきです。・オリンピックで結果を出して,栄誉を与えられ生活が豊かになった人もいます。が,中には,東京オリンピック銅メダリストである男子マラソンの円谷光吉さんの悲劇もあります。「銅メダルで終わったので,メキシコで金をメダルを取って国民の期待に答えるべき」という周囲の声に円谷選手が選んだ道は自ら命を絶つことでした。サポートしてくれた方の感謝にあふれていましたが,反面メダルの期待に答えようとして心身疲れ切ってしまったという円谷選手の遺言。これは先日亡くなった川田亜子さんの遺言と似たものがあります。また,不慮の事故で若くして亡くなった人もいます。オリンピックに出た後の人生は悲喜こもごもです。オリンピックを目指していたものの,出場できなかった人も身近にいます。 アスリートであろうともそうでなくても,大事なことは努力であり,結果よりもプロセスを重視すること,そしてあきらめないことといった人生にとって大事なことを学ぶ場である事を感じます。ただ,期待に答えようとすることはプレッシャーもあり,心の方に相当の負荷をかけてしまうことになります。「メダルを取るためにオリンピックに出る」というのは聞こえがいいかもしれませんが,それだけがオリンピックに出る目的ではないはずです。選手にとって「夢を叶えるため」「最高のパフォーマンスをするため」など目的は様々ですが,いかなる立場であろうととも,オリンピックで世界情勢や人の生き様を感じる場になっているのは事実です。・公に出る言動について節度を持つことがいかに難しいか。でも,肉体を駆使してまでぎりぎりの努力をしている選手たちのことをもう少し考えた報道ができないのかとつくづく思います。 少しでも結果が出なければネット上で人格否定までされる中国人選手のことと,メダルが期待された競技で「選手が悪い」「コーチが悪い」の一点張りで,陸連などの組織は「何一つ悪くない」とも解釈できるコメントには実に胸が痛みます。しかし,第2の円谷選手になってしまっては,まず選手自身がかわいそうです。その日の試合のために誰もが精進します。古傷を抱えたり,国の事情を抱えていることもあります,しかし,手を尽くしても結果を出せないこともあります。また,時の運ということもあります。 まずいのは「当日,故障や持病があり,力が発揮できませんでした。」というコメントです。それは言い訳にも解釈されてしまいます。これは他のこともで言えることで,社会の常識です。何のための代表なのかと選手自身に非難が集中していまします。が,選手を指導・サポートしている組織や,代表選考した国の組織までが言い訳したらどうでしょうか。「選手に問題」「コーチに問題」ではなく,「自分たちの責任」という言葉がほしいのです。精神論で頑張らせるでは意味がないことです。結果が出なかったスポーツの場合,育成システム・トレーニングシステム・代表選考のあり方などプロジェクトとして組織的に取り組むことができなかったことが原因であると指摘されています。そのことが形にならなかったので,私自身納得できなかったのがあります。女子マラソンでの醜態はそのことを示していました。直前に故障が発生し走れないこと,補欠出場が故障もありできないことを把握していないということ,さらに外反母趾と現地の地面の固さがわかっていながら,そうした対策が十分になされない上,最後まで走れなかった事態…思わず途中でテレビを見ることをやめてしまいました。民放のテレビ中継が不満でした。どうしてもCMで映像が出なかったり,土佐選手の悲壮な走りと,有森さんのコメントで一層気分が暗くなってしまったのもあります。その代わり,増田明美さん解説のNHKラジオの中継の方がまだよかったです。ラストの争いやイギリスのマーラ・ヤマウチ選手の奮闘ぶりが楽しめました。 女子マラソンに関与した方のコメントが何だか無責任に聞こえてしまうのに違和感を感じずにはいられませんでした。一流のスポーツ選手や元選手だった方が,選手のコメントするにしても非常にナーバスなはずです。増してはネット上での選手の批判。一般人である私たちがとやかく選手の人格などを批判する資格はありません。・応援をするにしても,節度ある応援が肝心です! 選手のプレイを阻害するような応援(ブーイングや「~倒せ」ということばは好きではありません)や,ライブ会場と勘違いするような応援,さらに一方的に対戦相手の国のサポーターをぼこぼこにするといったマナーのない応援はしたくありませんし,見たくもないです。自分の国を熱心に応援するのは自然なことにしても,スポーツの場合,対戦相手もいあることです。試合が終わり,対戦相手の健闘をたたえることができなければ真の応援とは言えないし,応援する資格はありません。・開催国中国の良識も問われています。 勝手に編曲された国歌演奏(日本の君が代のフレーズが変わっていたのには閉口しました),やらせ演出の開会式,応援モラルの欠如など,国際的に非常識であることを露呈しています。冷凍餃子や言動統制などの問題で,中国に対するイメージダウンは否定できませんが,今回のオリンピックでますますイメージダウンです。日本で必死に生きている中国人や,四川地震のショックから立ち直れない中国人も多いのにもかかわらずです。昔はどうしても行きたかった国の一つでしたが,残念です。 明日から仕事です。オリンピックはあと1週間あります。こんなこと,おこがましいのですが,素人の私が挙げたことが改善されたらとは思います。が,何事もなかったように終わるでしょうね。今は,選手の皆さんの健闘を祈るばかりです。
2008.08.17
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まもなく,90回記念大会です。高校野球の熱い夏が始まります。千葉では西千葉大会と東千葉大会があり,2代表が参加することになります。 最近の千葉県大会が熱い!特に2006年の母校のミラクルにはこのブログでも紹介しましたが,記憶に新しいです。今日の読売新聞の地方版(京葉版)では,旋風の記憶を掲載しました。第1回記念は私の母校です。今は一浪して慶応ボーイになった当時の捕手茅根君が振り返っています。体は決して大きくない彼ですが,是非レギュラー取りを目指して頑張ってほしいものです。早く東京六大学の中継で見たいです。 この旋風,当時成田の唐川君を攻略し,4対3で勝利したことから始まりました。千葉ロッテの唐川君にとってこの敗戦から学んだことがあり,現在の活躍につながっているのだなと思います。二人とも将来があります。末永く野球ができるようにと願っています。
2008.07.03
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先週になり,仕事の合間に大学院を2度ほど行きました。このところ,大学院には論文指導に行く位でしたので,1週間に2度行くのは,久しぶりのことでした。仕事の合間に,単位を取得し,研究などについて英文と格闘していた時間が懐かしく思いました。 火曜日は指導教官の先生に質問をするという目的で来校しました。金曜日にはネイティブの先生から草稿の英文をチェックしてくださったものを元にディスカッションです。 特に,結果や考察の書き方がまだしっくりいかず,指導教官の先生からアドバイスをいただきました。 メールですでに草稿を送りました。気がつけば,A4で70頁あまりになりました。今は次の事を中心に英文を書き直しています。スピーチコミニュケーションをテーマをした研究です。・序章や第1章の先行研究:ネイティブの先生から英語を直してもらったので,そこを訂正。・結果や考察:再度表計算を行い,相関を取る。よりデータから出た結果を客観的に伝えるだけそこから言えることを追求し考察をする。 明後日,また指導教官の先生からアドバイスをいただきます。現在,先生に草稿を見てもらっています。全体的な内容・構成という点でご助言をいただき,いよいよ提出日に向けてラストスパートということになります。 今週の13日の金曜日,天気がよければオフがとれます。今のところ,13日の千葉は雨の予報です。雨なら勤務先で仕事をすることになってしまいます。とにかく日中雨が降らぬように今はひたすら祈るのみです。 かならいいですね。そうなると,金曜日から連続4日間は論文執筆で自宅で缶詰できます。 この日は地元の千葉県総合陸上競技場で陸上競技大会です。佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ 3』では南関東大会の会場になっていた場所で,国際千葉駅伝のスタートとゴール地点としても有名な競技場です。いつもなら,そこで放送の仕事を行い,実況や連絡放送を担当します。実際の陸上競技大会のような本格的な実況にかなり近い形でやってもらっています。今回はその仕事は論文作成のため,それもできません。関係者や上司にはその旨を話しています。このため,他の方がお仕事ができるように準備してきます。 提出日当日は仕事をオフにし,提出できるようにするのみ!土曜・日曜は仕事返上でひたすら作成。16日の午後4時過ぎ大学院の教務課に提出です。4時45分でアウトです。今度こそは提出を受理できるようにします。 本文は15000語を超したものの,内容は修士論文というより教育実践の報告です。本当は論文出したかったのですが,残念!でも,書き上げます。今度大学院に行く時は,仕事はしない方がいいです。2年間休職して大学院に行く制度も使えたのですが,その制度が出来たのは最近でした。博士課程に進学するのはまだまだ先のことです。仕事の合間に作成をしていますが,とにかくみなさんによい報告が出来るようにしたいです。 追伸)本当は,「放送」「心」というトピックでどうしても書きたいことがありますが,それはまた時間のあるときにします。私は放送業界で放送の仕事をしていませんが,放送教育に深く関わっています。少しでも放送に興味を持ち,将来,放送業界で働きたいと思っている10代の子供たちの将来性を育てていくという仕事をしています。そんな矢先,フリーアナの川田亜子さんがお亡くなりになったというニュースは大変残念でなりません。ご冥福をお祈りします。
2008.06.08
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