結構有名な人だから、知っている人もたくさんいるだろう。
50歳という年齢が大きな意味を持つ。
この先あと10年ということを考えた場合、その後、一体自分は、どうやって生きていくのだろうか、というとても単純な疑問を持った。
そのころ、父が死んだりして、仏教に傾倒していく。
また、強行犯捜査という、死体に因縁がある職種だったこともあったろう。
さまざまな因縁が絡んで、僧侶の道を選ぶのである。
私は、本書を涙ながらに読んだ。身につまされるということか。
著者が身延山で修行中、 来るなよといった妻がそっと見学に来る。
このシーンなんか、本当に号泣ものである。
私は、定年後、いや、定年前であっても、自分の第二の仕事として、僧侶を候補に挙げている。
私は、本書を読んで、今の段階で、僧侶が第一の候補に上がってしまった。
本書は、何の気なしに訪れた良く行く書店で見つけたものである。
まるで待っていたかのようだった。
著者は、寺を持たない。強いて言えば、紙の寺だそうだ。
それよりもこれからの時代、無宗教者が多かっただけに、このような檀家を持たない僧侶が多く必要になってくるだろう。
勿論、僧侶になるには、それ相応の覚悟が必要だということ。そして、勉強もしなければならない。それから、修業もしなければならない。
しかし、僧侶になることは、自分に課せられたことのような気がしてならない。それほど思い入れのある本であった。
著者は、まず、菩提寺の住職にストレートではなくて、知り合いの人を介して、それとなく師事できるかどうかを聞いたらしい。まず第一手は、そこのところからだろう。誰に師事するかということだ。
そして、学校にも行かなければならないだろうし、修業も積まなければならないだろう。でも、定年後の仕事は僧侶が第一だと考える。
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