矯正不可能な人間がいるんではないですか。
死刑存置論者はそう言ってますけど 「何とか直す方法はありますよ。一年、一〇年、二〇年かかっても、生まれつきそうではないんですから……」
玉井氏は一つのエピソードを話してくれた。
ある死刑囚の執行の時の話である。
「いよいよ、死刑執行になり、刑場に入った。〝何か言い残すことはないか〟と私(玉井氏)が聞いた。〝ぜひ、一つ聞いてほしい〟とその死刑囚は言った。〝検事が私に死刑の求刑をした時、何とかここを脱走して、この検事の一家を皆殺しにして、死のうと思った。 しかし、今、考えてみると、交通事故や急病で突然、誰れにも会わず死ぬ人は多い。私はそうでなく、家族にも会えて、言いたいことを十分言えて、こんな有難いことはない。 これも検事さんのおかげだ。もし、検事が死刑以外の求刑をしていたら、私はまた出所して悪いことをしたかも知れない。こうやって、まともになって満足して死んでいけるのは検事さんのおかげだ。この検事さんにぜひ私からのお礼を伝えて下さい〟と言い残して、執行されました。ほとんど、このような心境の人ばかりですよ」
これが死刑執行の言い渡しなのだ。すでに古川教誨師の十二礼の読経が始まっている。というものらしい。
流れるような、沈むような、そして惜しむようなリズムの波に乗ってOも大きな声で唱和してゆく。
引続き「白骨の御文章」が授けられる。
人生の無常が人の心をさす。
「今日のような修業を積めたのはひとえに所長をはじめ皆さんの理解によるもので、今日喜んで死出の旅路につけることは本当にうれしいことです」(まるで人々にお説教するような安らかな口調)。
その後で彼の辞世の句が教誨師から披露された。
「あす執行下剤をのみて春の宵」
「何くそと思えど悲し雪折れの竹」
所長からはなむけのピース一本。
心ゆくまで吸いこんだ煙を狭い仏間にただよわせながら「兵隊に行っていたとき、プカプカふかすので機関車というあだ名をつけられましたよ」と笑う。