「霊」は目に見えず、重さもなく、時空を超越した存在であります。というように、キリスト教は、(聖)霊の宗教なのである。
「霊」は父なる神の本質であり、それを意のまゝに操ることができるのは、神のみであります。
神は霊(=聖霊)を通して人間に働きかけて現実に力を及ぼし、様々な歴史を作って来ました。
霊にはこのように力がありますが、一番パワーがあるのは、勿論神の霊即ち聖霊であります。
次に力があるのがサタンの霊即ち悪霊であります。
サタンは元来ルシファーという名の天使長でありましたが、神の怒りに触れて下界に墜とされたと言われております。
その悪霊は変幻自在で、創世記第三章1~6節では神の留守を見計って、蛇となってエデンの東の楽園に忍び込み、人類の祖アダムと妻エバに「禁断の木の実」を食べさせています。 このように、悪霊の力は強く人間の霊に働きかけ、安々と悪の道へと誘惑します。
人間の霊は、霊魂と言われ、死後も肉体から遊離して存在し続けますので、動、植物を生かしている「生命霊」と異なり、「自由霊」と言われています。
悪霊より力が弱い爲に、悪霊のさまざまな誘惑には陥り易く、聖霊の力に頼る以外に助かる方法がありません。
以上、「霊」の概要を述べさせて戴きました。
イエスは旧約聖書に書かれている予言通りに、肉的姿にてこの世に送り込まれました。
人類は、その祖アダムによる原罪、ご先祖様から受け継がれて来ている罪なる性質、善悪の判断が出来るにも拘らず我々が犯す個々の罪、これら三重の罪のもと、飽くなき欲望を追求し、もがき苦しんでいる状態です。
これは、昔も今も変りなく、国家間の対立、部族間の対立、個々人の対立等様々な対立を生じさせております。
神は断じて罪を大目に見たり、罪と妥協したりすることをなさらないお方です。
「それ罪の拂う價は死なり、然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり」(ロマ書第六章23節)とありますように、罪人は凡て火の池(ゲヘナ)に投げ込まれる運命にあります(ヨハネの黙示録第20章15節ご参照)
しかし、慈しみ深い神は、人類救済の最後の方法をお示しになりました。
それは、神の獨子イエスを肉的姿でこの世に送り込まれたことであります。
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