みなさま、お久しぶりです。 4月に入ってから忙しくて、更新が滞ってしまいました。
なぜ忙しかったかと言いますと、まず、職場の問題です。私は県立高校の学校司書をしているのですが、新年度の移動で校長が定年退職、教頭が校長昇進して退出したので、学校のトップ二人が移動してしまい、ちょっとした混乱になったこと。そして、教員の方も、12人も移動があり、これまで教務で時間割を組んでいた先生がこれまた定年退職されて、時間割、とくに新入生の図書館オリエンテーションの時間がグチャクグチャになり、そのために総合学習の時間を振り替えて行う授業なのに、担任がオリエンテーションの監督に来られない事態となったことです。
これによって、図書主任と係り教員が監督することになったのですが、時間割の関係上、どうしても監督できない時間ができて、私一人でオリエンテーションを実施しなければならなくなりました。45分の短縮とはいえ、一人で40人の新入生を相手にするのには苦労しました。そのような中で、図書館オリエンテーションの準備、資料を320人分印刷するなど(毎年、同じひな形を修正しながら使っているので、この点は楽なのですが)を行い、通常の業務、図書館便り、新刊案内、本の発注・受入、登録・装備、コーナーの設置をやっていたのですからもう大変!さらに、仲の良かった予算執行担当の事務員さんまでも転出されたので、これから新しい事務員さんと今年度の予算の交渉をしなければならないと考えると、溜息が出ます。
そんなこんなで、本は仕事の合間に気分転換がてらに読んでいたのですが、今日はその中からとくに感銘を受けた一冊、 白石仁章 著『 【送料無料】諜報の天才杉原千畝 』(新潮社、2011年2月)を紹介したと思います。
著者の 白石 先生は、上智大学大学院の史学専攻博士課程を修了され、在学中から外交史料館に勤務。現在は外交史料館に勤務されながら東京国際大学と慶応義塾大学大学院で教鞭をとられているそうです。ご専門は、外交史とインテリジェンス・システム論。この本で取り上げられている 杉原千畝 研究は、大学在学中からのテーマだそうです。
さて、本書で取り上げられている 杉原千畝 ですが、これはみなさん、ご存知の方は多いでしょう。駐リトアニア、カウナス領事代理としてバルト三国が旧ソ連邦に併合されたとき、独断でユダヤ人に日本通過ヴィザを発給し、数千人のユダヤ人をナチス・ドイツの魔の手から救った人物です。戦後、イスラエルよりホロコーストの惨劇に抗してユダヤ人を命がけで救った人物のみに贈られる「 諸国民の中の正義の人 」の称号を、日本人としてただ一人だけ贈られた、国際的に評価の高い外交官です。
と、紹介してみましたが、これは今日、通俗的に言われている 杉原千畝 の姿です。本書では、ユダヤ人を救ったヒューマニストとしての 杉原千畝 の姿に別方向からの視点、つまり、 インテリジェンス・オフィサー としての彼の姿を、 丹念に一次史料を用いて明らかにしています 。
ここで、 インテリジェンス について少し解説を。 インテリジェンス とは「諜報」と訳されます。 インテリジェンス は、「 地道に情報網を構築し、その網にかかった情報を精査して、未来を予測していくことです。そしてさらに一歩踏み込んで予想される未来において最善な道を模索する 」ということにあります。「 謀略 」と誤解されることが多いですが、「 謀略 」は未来を都合の良い方向へ強引にねじ曲げるものであり、「 諜報 」とはむしろ正反対にあることを指摘しておきます。
この点から考えると、本書で指摘されている通り、 杉原千畝 は第二次世界大戦前とその最中の時代における日本を代表する インテリジェンス・オフィサー の一人でした。彼は、外務省が募集した留学生に応募し、合格者の中で専攻する語学に偏りがあったため、本来の希望とは異なるロシア語を選びます。合格した当時、大正8年(1919)は、ソビエト政権が樹立して間もなく、日本他、各国がシベリア出兵をしていたので、ソビエトでロシア語を勉強することは不可能でした。そこで、日露戦争以前からロシア人が多く、当時白系ロシア人が亡命していた、満州のハルビンにて語学研修を始めます。ここで優秀な成績を収めた 杉原千畝 は、大正13年(1924)に外務省書記生に任命され、外交官としてのスタートを切ります。この満州の地で、 杉原千畝 は政治情報の収集、共産主義系の新聞記者に対する工作、日本へ渡航を希望するソ連人の身元調査などのインテリジェンス業務に携わり、またソビエトに対する調査・研究にも取り組み、功績を積み上げていきます。
そして、満州国の建国とともに、満州国外交部へ移籍してソビエトとの北満鉄道譲度交渉に成功し、一躍脚光を浴びます。このように、満州国での活躍の場が約束されていたのにも関わらず、 杉原千畝 は昭和10年(1935)に満州国外交部を依願退職し、日本の外務省に戻ってしまいます。 この理由として著者は、 橋本欣五郎 大佐との確執をあげています。陸軍は、 杉原千畝 に多額の報奨金を用意して陸軍の謀略の要に活用することを強要しようとしました。それは、ある意味では使い捨てのスパイとして様々な謀略に加担することでです。そのような行為は、 インテリジェンス・オフィサー の鉄則である、協力者の身を守ることができなくなることを意味します。これを恐れた 杉原千畝 は、陸軍との関係を断ち切り、そのけじめとして満州国を去らざる得なくなったのです。
そして、日本の外務省に復帰後、 杉原千畝 に彼が最も活躍できる場、ソ連大使館への移動が決まります。ところが、彼の インテリジェンス・オフィサー としての能力を警戒したソビエト政府により、入国ヴィザが発給されないという前代未聞の事件が発生します。ソビエト側は北満州鉄道譲渡交渉における、 杉原千畝 のインテリジェンス活動、譲渡価格の大幅な引き下げという結果や、ソ連側の情報をどのように入手していたのか不明な点、に脅威を抱き、このような結果になってしまったのです。
こうして、ソ連大使館への赴任が不可能になった 杉原千畝 は家族を伴い、ソビエトの隣国、フィンランド公使館へ赴任します。そして、ノモンハン事件の外交的決着を図る一環として、対ソ情報の強化のため、対ソ問題のエキスパートたちをソ連の周辺国へ放つ事態が発生します。その一員として、 杉原千畝 は今度はリトアニアのカウナスへ赴任することになったのです。このあと、本書では日本とバルト三国の隣国で、独ソ不可侵条約で日本と共にもっとも不利益を被った親日国、ポーランドとの情報提供などの解説がありますが、それは端折って、カウナスでの「 命のヴィザ 」発給のついて簡単に書いていきます。
この本で 白石
先生は、リトアニアのカウナスにおける「 命のヴィザ
」について、外交電報の分析から、杉原が、確信犯的に外務省本省と駆け引きを行い、最大限のヴィザ発行を可能にしたことを証明しています。興味深いのは 杉原千畝
は、家族の前で慎重な姿勢をとることで、特に、 幸子
夫人を万一の場合、「 杉原
が本省の指示を無視したわけではなく、やむを得ず人道的に処理した」証人に仕立て上げようとしたのではないかと考えていたのではないか、という指摘です。また、著者は、ポーランドからやってきたユダヤ難民たちが「必ずしもナチスの迫害だけではなく、ソビエトの脅威にもさらされていた事実」を強調しています。杉原千畝がユダヤ難民にヴィザを発行したのは、昭和15年(1940)7月末~9月初めです。この時期は、昭和14年(1939)、独ソのポーランド分割、そして昭和16年(1941)6月、独ソ戦争勃発の戦間期にあたります。昭和14年11月にはソビエトのフィンランド侵略(冬戦争)があり、昭和15年にはバルト三国併合が進められました。現実には、ユダヤ難民はソビエトの脅威に囲まれていたのではないか、と指摘しています。
実は、ロシアでは帝政時代から反ユダヤ思想がありました。革命後のソヴィエトでもその傾向は変わらず、多くのユダヤ人が差別され、迫害されていました。このように、 杉原千畝
は、狭義的にはナチス・ドイツの手から、広義的にはスターリンの手からもユダヤ人を救ったと解釈できるのです。
それにしても、そこまでの危険を負いながらも、 杉原千畝
をヴィザ発給へと決断させたものは何だったのでしょうか。重要なヒントが「 決断 外交官の回想
」という手記に記されています。
全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか?
この文面が示すのは、 杉原千畝
がユダヤ人というものの未来を的確に予測し、最善な道を模索したということに他なりません。省益より国益を考え、個人でリスクを取って決断した 杉原千畝
の恩恵に、百年近く立った今でも我々が預かっているのです。 百年先の国益を考えた決断ができるか、個人でリスクを取った判断ができるか、今こそ、彼のインテリジェンスに日本人が学ぶところは大きいと考えます。
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