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開設700日目、記入率70パーセント復活の記事はやはり、著作の再PRです(あ、もう700件目なんだ、この記事で)。昨晩、駆け出し当時からお世話になった方と夕食をご一緒しましたら、「出版おめでとう、4月が楽しみだね。ところで、売れそうな本?」と直截に訊かれ、臆することなく、「売れそうか分かりませんが、イイ本です」と応えました。粋の分かる風流人士の大師匠に当たる方ですから、私の応えに呵呵大笑してらっしゃいましたが。Comming Soon!!2007年4月、『アルケミスト』や『ヴェロニカは死ぬことにした』のパウロ・コエーリョを日本に紹介した地湧社より、共著が出版されます。タイトル『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』近藤裕×快筆紳士(あ、あとでちゃんと名前出しますけど)大ベテランの教育学者にしてサイコセラピストの近藤裕氏と、同氏をして「奇才」と呼ばせる快筆紳士の、馴れ合いなしの激しいぶつかり合い。また共著という“旅”の果てに二人がそれぞれ提示したパースペクティヴは、今度は本書を手にした読者自身の“意味を探る旅”で、書き手と読み手の相互アクションが生まれる場としての仕掛けにもなっています。 売れ筋でもエンタテインメントでもない本かも知れませんが、読み捨てされない本と確信しています。“生きる意味を探る旅に出たい。それも、ありきたりな押しつけやハウツー本ではない「作品」で”と望む方、応援のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。(了)
2007/01/31
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見出し:悪漢小説に現代人の“義”を見いだす、北方版水滸伝。北方謙三著『水滸伝』集英社文庫 善玉か悪玉はさておき、登場人物のすべてが主人公の小説があったとしたら…!?“日本が生んだハードボイルド文学の重鎮”北方謙三が、“男臭さ”をそのままに、壮大に描き出す入魂の痛快歴史悪漢小説。それが『水滸伝』である。ひとクセもふたクセもある好漢達が、“義”のもとに志を一にして民衆を脅かす腐敗した権力に挑む。今、時代は『三国志』から『水滸伝』へ。北方版水滸伝で、現代人は改めて“義”の意味を、痛快に思い出すことだろう。読めば一暴れしたくなる、熱い体温の伝わる人物描写も心地よい。(了)*19巻完結水滸伝(1(曙光の章))
2007/01/31
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鹿児島の雄大な自然のシンボルであり、またエネルギーの源である桜島。しかしまた、桜島はつねに火山の噴火の脅威、自然の脅威でもありました。そんな桜島の温泉は、自然と対略してきた島民への、自然からの敬意のこもった贈り物とも言えるのでしょう。 数ある桜島の温泉の中でも、古里温泉は、「放浪記」で知られる林芙美子の母の故郷として有名です。豊富な湯量を誇り、温度は42度。温泉ファンの間で人気高い露天風呂からは鹿児島市街地や大隅半鳥の絶景を望めます。時期によってはイルカの群れが行くのを目にすることもできるという古里温泉。イルカに出会えるまで、通いたくなる温泉です。(了)お問い合わせ:桜島町観光課 TEL:099-293-2525鹿児島県桜島町古里温泉アクセス:飛行機…鹿児良空港より空港バス50分、バス停下車徒歩15分電車…鹿児島駅より徒歩7分西鹿児島駅より、市営、南国、林田、鹿児島交通バスで水族館前下車徒歩1分*桜島へは24時間逆行、15分おきに価のある「海のバイパス」桜島フェリーをご利用ください。
2007/01/31
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伊豆半島の東側、伊東温泉と稲取温泉という有名どころのちょうど中間に位置する北川温泉は、太平洋を望む名物の露天風呂、黒根岩風呂で有名です。共同浴場という気楽さから、黒根岩風呂には温泉街の旅館からわざわざ訪ねる人が後を絶たないとか。 北川温泉は、自噴する四本の源泉に支えられており、その湯は、塩分を含んでおり、潮の香りがほんのりする風情はまさに太平洋の賜物です。一帯は自然にも恵まれており、ゆったりとした気持ちで、壮大な自然や海原と向き合い、湯を愉しめるのは最高の贅沢ですね。夜は、北川漁港で揚がる近海ものの魚や伊勢エビに舌鼓を。(了)お問い合わせ:北川温泉観光協会 TELO557-23-3997北川温泉静岡県賀茂郡東伊豆町北川アクセス:電車・・・伊豆急行伊豆北川駅より徒歩15分車・・・西湘バイパス石橋ICから国道135号経由で約66キロ効能:リウマチ、神経痛、冷え性、創傷、胃腸病など
2007/01/31
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タイトル、決まりました。タイトルについて、たくさんのコメントをいただきました。そのコメントへのお返事のリライト記事で、コメントを寄せていただいた方には失礼かと存じますが、ここで改めて本書に込められた想いを記しておきます。 まず、タイトルそのもの。まさに、昔だったら、『道は開ける』なんてタイトルでインパクトも十分にオッケーなのですが、今は時代も変わりました。『~する本』『~できる方法』といった類の、似たようなタイトルの本が毎日大量に書店に並ぶ時代。ネットで検索をかけながら、すでにあるタイトルとどうかぶって、どうかぶらないかをチェックしながら、かつまったく人の目に触れない自己満足のタイトルにならないよう、大変苦労します。 そして、やはり一番大切なのが、内容との整合性。羊頭狗肉でもいけません。共著の関係上、互いが馴れ合わぬために本気で書き合いました。結果、共著相手の方は、楽しく生きることの喜びを謳い(ご自身のポリシーでもあります)、私は、むしろ凸凹のある生のリアリティを考え直すパートに、図らずも棲み分けする形となりました。なぜなら、私自身が、“生きるということは美しいだけでない”、“人間はみな闇を抱えながら、それでもリアルに生きている”ということを意識しながら生きているからです。 結果、人生を謳歌することの専門家と、人生のリアリティをリアルに描く文筆家が、むしろ専門書でない、もっと読み手に近く、書き手の想いのダイレクトに届く内容となりました。その案配が、読者の方にとって読みやすいものとなっていると信じています。 旅から生れた本であり、執筆の過程もまた旅であり、そして生きることもまた旅であるならば、この本は、まさに“旅”に出ていただくための“ナゾかけ本”。二人の著者の、どちらの入り口から入るか、選ぶのは読者が決めること。その先に何が見つかるでしょう? ナゾはかけても答えのない本は、いまどき珍しいと思います。しかし、本書の企画をした私のイメージでは、答えを押し付けるのではなく、書き手と読者で“問い”そのものを共有し、それぞれの“旅”に出ていただき、またその旅先で見つけたものを持ち寄っていく。そんなことを考えていました。これまた、うまく作品への想いが、読者の皆さんに正しく伝わると良いのですが。 手近な方法論や安直な回答を提示するのではなく、答えは出してあげられないけれど、そのきっかけを読者と共有したい。そういう想いが詰まっている一冊なのです。 皆様からいただいたコメントで、改めて、作品をどうイメージし、伝えたいか再認識することができました。感謝いたしますとともに、ここに、さっそく相互作用が生れたことを、大変嬉しく思っています。(了)
2007/01/30
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食べましたよ、メガマック。「そもそもなぜメガマックなんですか?」と、無知な私は真顔で店員さんに訊きましたら、「ビッグマックはお肉が2枚ですが、メガマックはお肉が4枚になっております」との回答。なるほど、4メガなんだ。大容量…?なのか…? もちろん、ハンバーガーとしては大容量ですよ。でも、一枚一枚のお肉が薄くなったような気がするのですが、思い込みでしょうか。 で、感想。やっぱり4メガのビッグマックです。ただ、食べにくい!!いかなるハンバーガー(モスさんのでさえ!!)も、指先一つ汚さずに完食するこの私が、不覚にも、メガマックの要たる中間層を落下させる事態に。ま、パッケージの中だったので、セーフですけど。なんか、真ん中の層の部分が、ずり落ちるんですよ。その危険性を承知の上で、興味のある方はご賞味ください。(了)
2007/01/30
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Comming Soon!!2007年4月、『アルケミスト』や『ヴェロニカは死ぬことにした』のパウロ・コエーリョを日本に紹介した地湧社より、共著が出版されます。タイトル『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』近藤裕×快筆紳士(あ、あとでちゃんと名前出しますけど) 大ベテランの教育学者にしてサイコセラピストの近藤裕氏と、同氏をして「奇才」と呼ばせる快筆紳士の、馴れ合いなしの激しいぶつかり合い。また共著という“旅”の果てに二人がそれぞれ提示したパースペクティヴは、今度は本書を手にした読者自身の“意味を探る旅”で、書き手と読み手の相互アクションが生まれる場としての仕掛けにもなっています。 自身が、メッセージ伝達において一番エネルギーと魅力を発する語りかけるような調子で、生きることの意味を諭す近藤氏と、文筆のスタイリストをもって自認し、その追求と完成に生涯を捧げた快筆紳士の、それぞれの個性の結晶。私のパートで注目いただきたいのは、旅、スピリチュアリティ、心の故郷“沖縄”への感謝、心の問題からIT社会の未来、絵画から音楽まで、ともすれば散漫になりがちなテーマを、「え?」と思うようなフックから、整合性を持たせて綴っている、まさに文章におけるアルテそのものの部分。 売れ筋でもエンタテインメントでもない本かも知れませんが、読み捨てされない本と確信しています。“生きる意味を探る旅に出たい。それも、ありきたりな押しつけやハウツー本ではない「作品」で”と望む方、応援のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。(了)
2007/01/28
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見出し:無口な本が、押し付けることなく教える“ある愛の形”。シェル・シルヴァスタイン著、ほんだ きいちろう翻訳『おおきな木』(篠崎書林) 10代最後の秋に部活の先輩からプレゼントされたのがこの絵本との出会い。以来、何度となく読み返している。淡々としたストーリー展開は逆にジワッと心に染み、そのシンプルさは無限の解釈の可能性を感じさせる。3歳には3歳の、30歳には30歳の、そして100歳には100歳の読み方のできる作品である。個人の利益が最優先され、それを求めることこそが自由でありスタイリッシュだと煽り立てられる時代にこそ一読を勧めたい。あなたは、“木”のような友人を持ちたいと願うか?それとも、自分が“木”になりたいと思うだろうか?(了)The Giving Tree with CD (Audio)
2007/01/28
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もう死ぬほど情報、読みました。死ぬほどHPも見、死ぬほど反響も読みました。でも、スカイプフォンの何たるかが分かりません。便利でしょうね。だって、そう書いてあるから。でも、その先、あるいはそのバックが見えてこない。 パソコンにつなぐ。簡単です。でも本当に、日本で使っている人、言われているほどにいるのかな。アカウント名を交換し合った相手との通話。こういうのが、何とも嫌なんだよなぁ。別に、それが閉じた感じでもイイんです。でも、“後腐れ”そうな気がするし、もしビジネスも絡めて使うなら、なおさら“後腐れ”そうな気がしてなりません。 神出鬼没をもって自認する私は、やっぱり携帯電話で十分。相手も、多分そう思うハズ。(了)*デザインは好きですけどね。この機種は。クラシックUSB電話 DIGITAL COWBOY DC-NCTEL1 通信機器 送料ランク A
2007/01/28
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GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD、良かったなぁ。実に楽しいDVD。作り込み過ぎのドラマ仕立てのPVに飽きると、こんな、アットホームかつ真剣な“遊び”が、実に楽しそうに見えるものです。ゴスペラッツのアルバム・リリース時の記事にも書きましたが、こういうのを道楽の極地、本気の遊びと言うんだろうなぁ、とつくづくその仲間に入りたくなる。野暮ギリギリの真剣な評を書いたのも、彼らの本気の遊びを粋に感じたから。音楽記事スタートの人間としては、末席にいるとは言え、本気でぶつかりたくなりますね、こういうDVD観ると。 ドゥ・ワップ=ソウル・グループではないです、もちろん。ムーングロウズやファイヴ・サテンズと、テンプスやスタイリスティックスとでは、やっぱり表面的には違いますから。ただ、シャネルズやラッツがスゴかったのは、やはり日本において、だからでしょう。日本独自の高度な音楽文化、つまり歌謡的世界観が強力な“つなぎ”となって、ドゥ・ワップと、60年代のソウル・グループの時間的隔たりを埋め、ラテン・フレーバーも違和感なく盛り込んでしまいつつ、チャート・アクションもしっかり取る、という荒技を成し遂げてしまうワケですから。海外でこんなことは滅多にないでしょうね(一発屋なら結構出ますけど)。 だけど共通することがあります。メンバー同士の物理的距離感。ゴスペラッツの場合、ハコが大き過ぎましたね。ステージも広すぎる。メンバー同士の肘がぶつかるくらいの距離でも違和感のないステージでやれば、きっとグループらしいソウル・マナーがもっと出たんじゃないかと。大物シンガー5名が一堂に会したスペシャル・ライヴみたいになっちゃってますからね。そこが惜しい。でも、本当に大物だから仕方ないですけど。 あえてシークレットで、小さなハコでやったら、なんかピークを過ぎたブルーマジックみたいな、シブ色っぽいさび感が出て良かったかも。って、それじゃ採算無視でマニアック過ぎますけど。 もともとこのライヴ、職業倫理の欠如と叱られそうですが、全然知らなかったんですよね。というか、当時は他のことで頭が一杯でした。知らない間に祭りが終わってたような感覚。 エンドロールのクレジットを観ていて、バンド名にNANIWA EXPRESSの名が…。何!!うわぁ、こんなすごい祭典を見逃してたんだ?、と悔しさが爆発。リーダー/ベーシストの清水興氏、もちろん、日本が誇るホンモノのソウル・グループ、HUMAN SOULのリーダーだった人じゃないですか。って、私がこの世界の駆け出しの頃、時々六本木のバーでお目にかかり、お話したことも。ゴスペラッツのDVDの音声解説にもありましたけど、お話ししたときも、こっちは全然無名で素人同然なのに、舞い上がって熱く語ったら、いい感じにゆったりと話を聞いて下さって。もっとも、清水氏が私を覚えている筈はなく。でも、実際にお目にかかる前に抱いていた印象は、ちょっと神経質でコワそうな感じだったので、不躾な自分の行動に嫌な顔一つされず、会話して下さったのでギャップに驚いた青い記憶が。 で、NANIWA会場での特別映像を観たら、やっぱりいるじゃないですか。JAYE&SILKY先生。ちょうどDVDを観ながら、ゴスペラッツに、もっと強力なシャウト系のシンガーと、ハイテナー専門のシンガーが入ったら、もうゴスペラッツじゃなくて、それだけで成立する一つの別グループが出来上がって、すごいコトになるんじゃないかなぁ、なんて思ってたら、世界水準のシャウト&ハイテナーの代表が出演してました。いやぁ、スゴいイベントだったんだなぁ。しみじみ。 とにかく、ソウル・グループの動いている姿を、是非興味がある方には観ていただきたいです。ソウル・マナーにこだわって来た私の想いが伝わると思います。なんたって、いまだに、時々酔って戯れに踊るのは、60年代のステップですからね、私(ま、ほとんど我流とモノマネなんですけど)。横揺れも、アクロバットもできないけれど、泥酔していてもしっかりステップも踏むし、ターンもしますから。一種の酔拳ですから。 最近までは、テンプスのものでさえ、初期であり、かつ絶頂期であった頃の映像もまともな編集のものはあまり手に入らなかったのですが、今は、現時点での決定版が出てますので(口パク勘弁)。私が資料集めしていた14、5年前は、もう輸入ビデオかブートレグか、あとはBSで包装していたSOUL TRAINの再放送を録画しておくしかなかったワケで(時々、番組がズレ込んで、竹中直人氏が映っていたりして泣いたことも!!)。 最期にお詫びと自慢を。先のDVD評、国内アーティストの皆様は名字のみで表記しています。フルネームでないこと、失礼いたします。 で、自慢は、ラッツ絡みになるといつも書いてますけど、佐藤さんフィギュア(薬局で使う、歯磨き粉の販促用店頭ツール)、持ってます。大自慢です。敢えて、“佐藤さんのが欲しい!!”と、当時薬局でアルバイトをしていた部活の後輩に深々とお願いしてしまったわがままな青春時代。反省。でも、佐藤氏、本気で大ファンなんですよね。(了)テンプテーションズ/ゲット・レディ-ディフィニティヴ・パフォーマンス 1965-
2007/01/27
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大きな話の小さな話。小さいのは、私の器量である。私は、ブレイクダンスから始まるヒップホップに至る、あのダイナミックで戦闘的で、挑戦的で挑発的な、あのダンスが嫌いである。なぜなら、あの運動神経が羨ましいからだ。 今さら、あの手のダンスはアフリカン・アメリカンの専売特許だという非アフリカン・アメリカンはいない(逆に、アフリカン・アメリカン側にはいるであろう)。もはや、人種主義に根ざした身体能力の神話は、あえて形容矛盾的に「よい意味でタブー」だからである。ジョーダンでなくてもダンク・シュートはできるし、エミネムも本物だからである。サッカーの世界でも、中には、軽率にも身体能力神話を頭から信じて解説を行う者もあるが、甚だ勉強不足であるとしか言いようがない。 話が逸れた。小さな話に戻って、大きな話をするのだ。 確かに、ブレイクダンスやヒップホップ系のダンスが、羨ましい。そして、私にはできないから嫌いであるというのは真実だが、実はそれは半分の真実でしかない。つまり、嫌いな理由は私の器量の小ささだけによるものでもないのだ。前編で書いたように、私がR&B、それもグループにおいて最重要視するのは、ソウル・マナーである。私にとってのマナーとは、文字通り手法であると同時に美意識/様式である。つまりスタイルなのである(ちなみに、フォームは形式である)。グループにおけるソウル・マナーとは、その所作。つまり一番に振り付けであり、次いでステージでの立ち居振る舞いである。そこに、華やかさや派手さだけでなく、優雅さがなくてはならない。私が、その頂点をテンプス(テンプテーションズ)とするのは、相反するはずの「ダイナミックさ優雅さ」を完璧に体現していたからである。 唐突に、惜しまれるのは、田代氏の不在である。田代氏は、鈴木氏とは違う意味で、独特の意識を持った自意識過剰人間であった。それが、シャネルズではうまく機能した。田代氏は、テンプスにおけるポール・ウィリアムズであった(シャネルズにおける田代氏の歌の貢献度は、テンプスにおけるポールのそれとは隔たりがあるにしても)。田代氏は、ステージングについて様々なアイディアをシャネルズに持ち込んだ、いわば演出担当でもあった。田代氏もポールも、形態は違えど不幸な“最期”を迎えたのも共通している。 そこで、佐藤氏である。本DVDの佐藤氏の一挙手一投足によく目を光らせていただきたい。指先の揃い方、お辞儀のスピード、ターンのタイミングとスピード、MCの間も、和らいでも乱れていない。田代氏不在のゴスペラッツにおいて、グループの心臓たるマナーを体現してみせたのは、唯一人、佐藤氏のみである。スタイリストである田代氏がいたラッツ再集結ライヴの時ですら、あの紳士然たる佇まいは佐藤氏の右に出る者はなかった。実生活は措くとして、ともかくステージ上でのあの気品をベースマンが備えた時、最高の魅力を発揮することは、やはりテンプスにおけるメルヴィン・フランクリンがすでに手本を示していた。 “動くゴスペラッツ”を観た意味は、佐藤氏の存在にあったと言っても過言でない。それほどに、グループに於けるソウル・マナーは重要なのである。だから、やはり「もっともっと観ていたい」という結論に達するのだ。グループならではのコレオグラフィー(振り付け)のコンビネーションのバリエーションももっと欲しかったし、キレも揃いも、後半までなかなかビシっと来なかった。 ゴスペラッツは、一夜の夢ではないと信じたい。ゴスペラッツの再集結はあり得るだろう。ライヴもあるのではないか。その時は、グループとしてのソウル・マナーに少し重心を移して、曲のラインナップを揃え、動きにこだわって欲しいと願っている。ビッグな新人。新人ならばこそ、まだまだ、もっともっとマニアックに遊んでくれるものと期待して止まない。(了)GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD
2007/01/27
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ゴスペラッツの話である。ゴスペラーズでもなければ、ラッツ&スターでもシャネルズの話でもない。昨夏行われた「SOUL POWER TOKYO SUMMIT」の様子を収録したライヴ・DVDを観た。このDVDを観たのは、元々シャネルズとラッツ&スターのファンであり、それ以前にR&B、それもテンプテーションズをはじめとして、ブルーノーツ、モーメンツ、ドラマティックス、スタイリスティックス、フォー・トップスにオリジナルズ、といったグループものに目がない私であるから、この日本音楽史において歴史に残るグループの、それも“動く姿”を観てみたかったのがきっかけである。 小さな話から始めよう。ゴスペラッツのライヴそのものは、物足りない。質が低いからではない。質を問うために、「もっともっと観ていたい」からである。メンバーについて言えば、まず鈴木雅之氏。やはり、ソロ活動が長過ぎた。もともと、強烈な歌唱力とリーダーシップ、そしてR&Bへの愛情、そしてカリスマのあるシンガーである。だからこそ、グループで歌うとき、その卓越したエネルギーが、グループと言うフォーマットをはみ出してしまうことがある。では、鈴木氏は、テンプスにおけるデイヴィッド・ラフィンかと言えば、歌のマナーとしてはまったくそうではない。そもそも、鈴木氏は、どちらかと言えば、ルーサー・ヴァンドロス、フレディ・ジャクソンを思わせる、都会的なムードを持つスムース色の強い艶系のシンガーである(むしろ、ソウルフルという点では鈴木氏の方がルーサーやフレディよりも濃いくらいだ)。たまたま、氏の起点が、ドゥ・ワップであったこともあり、またシャネルズというグループの看板であったから、つい見落としてしまうのが、鈴木雅之氏は、やはりグループも率いることが出来る、ソロ・シンガーなのである。 鈴木雅之氏が、デイヴィッド・ラフィンでない(デイヴィッドは逆に、明らかに“ソロも歌える、グループ向けハミ出し系スタンドプレイヤー”なのだ)ならば、ゴスペラッツには、よりグループとしての一体感、特に歌の一体感が必要になって来る。自然、ソロで光る鈴木氏を中心に据えるからである。 とすれば、脇が大事である。村上氏と酒井氏。やや声域が近い。持ち味は、よく聴けばそれぞれ違って個性的なことはすぐに分かるが、パッと聴くと近すぎる。こと、ゴスペラッツとして考えた時、実に近いのだ。随所でファルセットを聴かせる村上氏は、グループとして求められるワンポイントの技を見せた。酒井氏は、実はすでにして地声が素晴らしい。特に、高音域に入ったときの伸びは絶品だが、ゴスペラッツのレパートリーは、酒井氏には若干ハンデがあった。酒井氏は、中音での声幅が狭いからである。私は、ゴスペラーズに相当詳しい方ではないが、直感で酒井氏を同グループの中間管理職であり、バランサーだと思っているので、さらに声の高い黒沢氏と絡むゴスペラーズに於いては、酒井氏は最強のユーティリティ・シンガーとなるだけに惜しい気がした。 桑野氏は、デビュー当時から顔を黒く塗らないメンバー。そして、親父譲りのトランペットの腕は抜群だった(桑野氏をバラエティ・タレントとしてしか知らない人は不幸である)が、実は歌がとても巧い。上手くはないが、巧いのである。ラッツ再集結ライヴに立ち会った私は、同グループの名曲中の名曲のソロ・パートを桑野氏に預けた(集まったメンバーの数が減っているのだ。預けざるを得なかったのだが…)このライヴに疑問を抱いたが、見事杞憂に終わった。それは、桑野氏の歌唱力が素晴らしかったからである。 肝心の本DVDをよく観て欲しい(いまDVDを観ると、その役回りは、テンプスにおけるリチャード・ストリート、もしくはデイヴィッド・シーっぽくもある)。本来、技巧派のゴスペラーズの二人に欠けているものを、桑野氏が持っていることに気づくはずだ。言うまでもなく、スウィングだ。フェイクでもアドリブでもない。スウィング感。桑野氏にはそれがある。ハーモニーを煎じ詰めて来たゴスペラーズと違い、桑野氏がスウィング感を持っているのは当然だ。彼は、トランぺッターだからである。スウィングできなければ、トランペットでは食べられない。桑野氏がどこかで、自身のご子息がトランペッターになりたいと言ったのに対して、「食えないからやめろ、と本気で答えた」とコメントしていたことを思い出す。桑野氏ほどの人が言うのだから、親心であろう。その後日談は知らない。 ともかく、スウィングのいらないトランペットは戦場、それも近世以前の戦場においてのみである(近世以降の戦場には、ジャズの萌芽があったし、兵士の慰問にはジャズ・バンドが訪れていたではないか)。そして、私が少年時代より、鈴木氏のカリスマに痺れていながらも、それに抗って敬愛していた佐藤氏。素晴らしい。その素晴らしさは後述する。 “動くゴスペラッツが観たい”。それが始まりである。後編では、スタートに戻って、今度は大きな話をしよう。それも、小さな話から始めるのではあるが。(つづく)GOSPE☆RATS Live in SOUL POWER 2006/DVD
2007/01/27
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其の一:温泉は正しく浸かれ温泉でよく見かける“禁忌症”という語。温泉での療養の対象として適した病気/症状を適応症と呼びますが、禁忌症とは、その逆で、温泉療養してはならない病気/症状のことです。その対象は、泉質によって分類がありますが、主に急性の症状に多いとされています。其の二:スパやクアハウスを上手に活用せよ!!レジャー的性格が強いとして、コアな温泉通にはまだまだ敬遠されがちなスパやクアハウス。しかし、これらは、娯楽的要素によって心のリラックスを促し、相乗効果で温泉効果を高める、れっきとした健康増進施設なのです。現在は日本クアハウス協会という組織も存在しています。利用しない手はないですね。其の三:浸かったら、次は飲んでみよう!!ヨーロッパなど、温泉がより医学的に親しまれている国では、飲泉は当たり前。日本ではまだ馴染みも薄いですが、ぜひトライしてみてはいかがでしょうか。ただ、“飲み方”があるので注意。体質との相性、飲むタイミング(食前か食後かなど)、頻度は温泉によりまちまち。また飲泉許可のある温泉かの確認もお忘れなく!其の四:温泉は、裸で浸かれ!!当たり前ですが、温泉は“本当の裸”で入りましょう。よく、アクセサリーなどをしたまま入って、「変色した!」なんてことがありませんか?これ、化学反応なのです。これは泉質の強い硫黄泉や酸性泉に限ったことですので、単純温泉では起きませんが、やはり温泉は一糸まとわず浸かるに越したことはありませんね。なお、泉質の強い温泉では、刺激が強いので洗髪も控えましょう。(了)
2007/01/27
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秋保を流れる名取川の上流では、日本三大瀑布の一つとして名高い秋保大滝が悠久の飛沫をあげて訪れる人々の目を楽しませます。名取川を下ると、飯坂温泉、鳴子温泉とともに奥州三名湯に並び称される秋保温泉はあります。“あきう”と読ませるこの珍しい呼び名は、アイヌ語で「急な流れ」を意味する“アッポ”という言葉を語源とするとか、平安の世にこの地に住んだ藤原秋保という貴族の名を取ったなどと、その由来には歴史のロマンが感じられます。 温泉そのものもまた歴史が深く由緒があります。古墳時代、欽明天皇が皮膚病を癒しに訪れ、「名取りの御湯」と呼ばれたということです。また欽明天皇は、その効能を称えて「覚束な 雲の上まで見てしかな 鳥のみゆけは跡もはかなし」と詠まれました。この歌のなかに、「なとりのみゆ」という言葉が隠されているのは説明するまでもありません。また藩政時代には伊達家御用達の温泉としてその名を知られました。現在は秋保温泉を育んだ歴史への敬意を残しつつ、現代の志向にもマッチした旅館を備え賑わっています。(了)お問い合わせ:秋保温泉郷観光案内所 TEL:022-398-2323宮城県仙台市太白区秋保町湯元アクセス:電車・・・JR東北新幹線仙台駅から秋保温泉行きバスで50分、秋保湯元下車車・・・東北自動車道仙台南ICから国道286号・県道経由で約10km効 能:神経痛、リウマチなど
2007/01/27
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昨日は、その前の記事の通り4月に出る著作のタイトル付けの打ち合わせだったのですが、そのラフなアイディアを持ち寄ってのブレーン・ストーミング的なミーティングとなりました。 直前まで、アイディア出しに頭をひねっていたのですが、その間中頭の中を流れていたのは、ムード歌謡/演歌/昭和初期ポップスの名曲にして、日本のテンプテーションズ(一般的には“My Girl”で有名でしょうか)である(と私が勝手に思っている)、内山田洋とクールファイブの“長崎は今日も雨だった”と“涙こがした恋”。ご存知でしょうか???えぇ、前川清氏がおられた(しかも、当時は前川清氏は一番若手だったほど、グループ自体は超絶ベテランの実力派でした)グループ。 大好きなんですよね。レキントギターに、歌謡的メロディライン、そして抜群のコーラスワーク。今とは違う、ちょっとザ・モーメンツ(後のレイ、グッドマン&ブラウン)のハリー・レイっぽい、甘くて青い前川氏のスウィートで若い歌声がまた、ファルセット好きな私にとってはもうツボ中のツボ。 まぁ、グループ自体は私の産まれる前のグループですけどね。しかしまた、何でこんな大事なタイトル付けのイメージ捻出の時にこんな音楽が頭を駆け巡ったのやら・・・。(了)内山田洋とクールファイブ/GOLDEN☆BESTテンプテーションズ・ゴールド【Aポイント付】レイ、グッドマン&ブラウン Ray,Goodman & Brown / Millennium Collection(CD)
2007/01/26
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はてさて、今日は著作のタイトルを決める日。うーん。悩んでおります。まぁ、ケース・バイ・ケースですが、大抵は編集者が著者と一緒になって、マーケティングリサーチの結果と照らし合わせて、最も効率よく本が人の手に渡る(=売れる?)タイトルをつけます。敏腕編集者や名物編集者は、文芸でもタイトル付けに、かなりの影響力を持つのは歴史が物語っていますけれど。 今回大変なのは、まず著者が二人(共著)であること。アイディアが出れば、その分楽しいけれど、選ぶのが大変。次いで大変なのは、今回は企画の大筋は私が担当したこともあり、いわば私自身が編集者でもあるんですよね。だから、客観的にタイトルを考えるべき編集者が、著者として主観的なタイトルを考えるというディレンマに陥ってしまうんです。編集者としては、沢山の読み手に届いて欲しいけれど、書き手としては売上げ重視の安易なタイトルはつけたくない。そして、やっぱり私の立ち位置は、書き手に重点を置いていますから、ますます悩ましい。 あぁ、こんなことなら、いつも訪問して下さる皆さんに公募と言う名の“ご意見”をいただけば良かった・・・(ところで、あの公募っていうのが、高飛車で嫌いなんでよ、私。だからご意見)。さて、昨日も一晩悩んで、結局「これぞ!!」というのは思い浮かばず。 あとは、現場だけが持つあの熱気、エンドレスのブレーン・ストーミングとハイ状態で、納得のいくタイトルが誕生せんことを!!(了)
2007/01/26
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昨年オーナー兼経営者になった私。大変です。1月は、事業年度とはまた別に、一年間の経営計画を考える大事な月。営業目標や売上げ目標だけでなく、曲がりなりにも法人なれば、企業として取り組むべき社内のソフト部分での改善や向上の計画にも頭を悩ませます。 実際、勤め人の経験がなく、経営などまったく分からない私ですが、やはり実業界の人である父の傍らにいて、特に、十代後半の頃は、企業の経営者やトップクラスの方との知遇を得ながら、まさに父の背中を見ながら知らずに身につけていたことが、今、すごく役に立っています。まさに「門前の小僧」です。 幸い、スタッフに恵まれ、特に右腕がしっかりしているので、なんとかやって行けているのかも知れませんが、同時に、私の会社は、私自身の立ち居振る舞いをまったく変える必要がないまま経営できる、ということが分かっていたため、会社を買い取ったのでもあり、その点、法人でありながらフリーランス的なタレントを持つスタッフが、敢えて寄り集まったゲリラ的な集団であり、そういう動きは、実に私の人生のビジョンと経営のビジョンが合致していて助かります。一方では、ラファエッロの工房。ああいう感じになれると一番理想的なんですけれど。 とは言え、まったくもって複数の人格を同時に生きるということは、面白くもあり、大変な“自覚”のいることで、これがないとどれもこれも手つかずで、結局、せっかく生み出した多重な自分自身を管理統制できなくなってしまいます。 特に今週は、そうした点で非常にタイトな綱渡りをしており、若干疲れ気味だったりします。経営者というのは、皆さん、もっと大変な苦労と努力をしながら職務に取り組んでおられるのだろうな、と頭の下がる思いです。(了)
2007/01/25
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洗面所と浴室周りが、あまりに殺風景で使い勝手がよろしくない。一般的なマンションというものは、とにかく清潔感・衛生面重視一辺倒(のつもりのよう)だが、実際は汚れやすかったり、やけに殺風景で面白くない。 それで、というのもおかしな話だけれど、タオル掛けもしくはタオルをたたんで置いておくような網棚が、少し高い位置に付いていたりするとちょっとは違うのではないかと思い当たり、手近で探してみた。すると、まさにピッタリ来るフックを発見。しかも驚くような値段。 もっとも、本当のアンティークではないのだが、現行品のパッケージとしてはかなり数寄な作りだ。ショップが、アメリカから仕入れてきているもののようだが、手元に届いてみたら大変しっかりした品物で、この手の“アンティーク調”モノで一番大切な重量感もたっぷりとしており、面白い。 さっそく取り付けてみたが、浴室周りもいささか湯気ならぬ色気が出て来たように思うのは、自己満足であろうか。(了)BATH HOUSE RACK【ポイント10倍】
2007/01/25
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美味いんですよ、納豆。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、あるある憎けりゃネバネバ憎い、不二家憎けりゃペコちゃん憎い。まぁ、企業の社会的責任、CSRなんていわれます。コーポレート・ガバナンスだ、チーム・マイナス6%だ、ISOだ・・・・って、USOじゃないの?って事件も多いですね。最近。 もちろん、「納豆事変」とてこれらと切り離して考えることは不可能。数字に売り上げ、どこからどこまでが被害で、どこからどこまでが共犯なのか。いずれにしても確信犯はいたわけで、お菓子メーカーじゃないのにペコちゃんしてました。 組織の上の方が謝罪。大変なことです。でも、きっと原因菌はもうちょっと下の方に、あるんだろうなぁ。きっと。 あくまで!!あくまで、ですよ。もし捏造が含まれていなkれば、ですが、イイじゃないですか納豆学会。ま、会のモットーは「ハーフ・シリアス、ハーフ・ギャグ」となっていますので心配ですが、五分の理はあるということで。ちなみにここでは納豆占いもできますので。 そも納豆とは発酵したものですから、よかったですね。粘ってても、賞味期限切れなわけではなさそうです(?)。ナットウキナーゼの効果はさておき、少なくとも大豆タンパク、入ってます。 あんなヒドい番組を平気で流し、人心を惑わせたのですから仕返ししましょう。ただし、平和で、義侠心に溢れ、愉快でタメになる仕返し(ここ、重要です)。もう、痩せようが痩せまいが、どんどん納豆食べましょう。で、大豆由来のタンパク質で、古来日本人が持っていた理想的で健康的な食生活をルネサンスさせ、ただの長寿国でなく、健康で幸福な福寿国になってやりましょう。年金問題?あ、それはまた問題でした。 ともあれ納豆のある食卓。その日本の食卓の原風景的画(え)の復権には、いささかでも貢献したのだから、清々しい仕返しで、関連した方々を赦す心もまた必要かと(実際、日本においては、「食卓の消失」の方が問題だったりしているワケで)。同じような倫理の逸脱は、誰にでも可能性のあることですから。(了)
2007/01/24
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もともと、大学は法学部だったのですが、気になることは何でも知りたい性質。教育心理学、教育学も学びましたし、他の学部の講義で単位を取得するために、法学部の単位を三年でほとんど終え、四年生になった時には、文学部やら経営学部やら、全然違う学部の講義を受けていました(まぁ、大学時代の私は、他にすることがなかっただけなんですが)。 そうした学生生活の中で心理学と出会い、やがて社会に出てからカウンセラーの資格を取ったワケですが、産業の場におけるメンタルヘルスを考える時、それがいかに実践の学問であるかを痛感する毎日です。理論や倫理、受容・共感・自己一致だ!!なんて言っても、いま、まさにそこでサインを発している人を前にしては、実践以外の何も役には立たないのです。 現在、仕事で様々な企業の役員クラスの方や人事課の方とお会いし、職場でのストレスの問題や社員間のコミュニケーションの問題で時々相談を受けたりしますが、カウンセリングは学問ではなく、きわめてフィジカルでメンタルでソーシャル(でスピリチュアル)な援助的行為であることを理解していただいた上で、私に可能な範囲でのコンサルテーションを行うようにしています。 かつて“学問”に恋していた学生の頃に産業カウンセリングと出会っていたら、きっとこの資格は取っていなかったかも知れません。あまりに、現実的だからです。しかし今にして思えば、こと私に関して言えば、社会や人の環(わ)の中に身を投じてから産業カウンセリングに出会い、共感して学んだことは、本当に素晴らしい“時の縁”だったと思っています。(了)
2007/01/24
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冬来たりなば・・・です。真昼、東京大通り沿い、角のタバコ屋さん。人だかり。 なんですか、2008年から、タバコの自動販売機に年齢認証システムが導入されるそうで。その認証システムが搭載された自販機を設置していたんですね。まず、デカイ。そして、妙にメカニカル。それも、昔のマンガに出てくる「未来のイメージ」に登場しそうなメカっぽい。 確かに、パッと見た感じはインパクトがありますし、それが変わっただけで、いつも通りの景色も違う。見知らぬ通行人が携帯で写真を撮っていたので、私も負けじとカシャ。 まぁ、この仰々しい自販機に貼られたステッカー、これがまたナントモ。簡単に言うと、「未成年にタバコは売らないお店です」と書いてあります。防犯と拡販。韻踏んで、一石二鳥としゃれ込もうと言う案配。 しかし肝心の認証システムそのものは、まだ機能していないのでどう動くかは確認できず。少なくとも、顔で選ぶ“人相システム”でないことは間違いなさそうです。(了)
2007/01/23
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仕事柄、教育問題にも触れる機会が少なくありません。またカウンセラーとして、スクール・カウンセリングの周辺にもアンテナを張っていたりする私ですが、たまたま某駅に向かってバスに乗っておりました。その車内アナウンスで、「先生が選べる個人指導の●●進学塾はコチラでお降り下さい」と…。さらにさらに、偶然と言いますか、今度は同じ日にタクシーに乗りましたら、車内で流れるラジオでは、「塾と学校、どちらが大事か」なんてテーマで、そこそこユルいコメンテーターの歯切れの悪い、どっち付かずのコメントなぞが流れておりました。 ふと、想いを巡らせますと、どうなんでしょう。ゆとり教育の見直し、子供の学力低下、学力世界トップ水準からの脱落、いじめに不登校、教育者の性的紊乱、と子供達を取り巻く環境は必ずしも穏やかでありません。以前書き下ろした「子供達の“笑顔”に託す人間の未来」なるコラムの通り、私自身は子供たちこそ明るい未来の鍵だと思いますし、子供達こそが、今軌道を逸れた社会や文化の軌道修正をしてくれるものと期待しています。 ところで、塾にせよ学校にせよ、「子供や学生が先生を選べる」というのはどうなのでしょう。これは子供や学ぶ側が、自分の成長を勝手にカスタマイズしている、ということにほかなりません。ロマンティックに言えば、神様やコウノトリが、“この子”を“私たち”の子供として授けてくれたんだ、なんてことも言えますが、生物学的には子は親を選んで産まれてくることができません。それと同じように、成長を子供がカスタマイズする、というよりも、選べないということ受容することも必要ではないかと思ったりもします。と同時に、子が選べないからこそ、親や大人、先生の振る舞いも大切ですし、同時に、「選べない中での成長」を通じた上で選ぶ知恵を身につける、ということの方が大切ではないかと感じるのです。選べない、とネガティブに考えるのではなく、選ぶ知恵を親子や大人・子供で同時に身につけ合う、ということの意味を噛み締めた昨日でした。(了)
2007/01/23
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閲覧帳。と書いてwebブラウザと読ませたかった。苦しいのは承知ですが。 私ももう15年近くマックユーザーですが、環境によっては、最近ではウインドウズも使っていたりします。そうすると、いかに世の中の電脳サービスがウィンドウズマシンに準拠しているかをひしひしと痛感するわけです。まさに、環境問題です。 過去にはNetScapeから始まり、Internet Explorer、Safari(現在はInternet Explorerと併用)と渡り歩いて来ましたが、マックは何となく、現在進行形のウインドウズ準拠のブラウザに比べると使いづらいような気がしてなりません。 さて、Internet Explorerはマックでのサービスが終了になりますので、このたび、Firefoxを導入してみましたが、その使い勝手は当面措くとして、デフォルトのフォント設定によって、ブログなりHPの印象が全然違うことに吃驚。Webの仕事もしているというのに、いざ複数のブラウザを自分で使ってみると、勉強になります。 そんなこんなで、これから少しFirefox でも遊んでみようと思いますが、なんだか結局は、イマイチ使いづらい、しかし慣れたSafariがメインになりそうな気もします。(了)
2007/01/23
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最近食べ物ネタが多いですね、なんか。『バベル・カフェ』にブログ名も変えないといけないかも。 沖縄に住んでいるときにですね、ヨーゴなる飲み物があったんですよ。東京ではまだ見かけませんけど。ま、ヨークとかヤクルトみたいな飲み物なんですけど、微妙に薄い。薄めたヤクルト。その微妙さというか、ユルさが沖縄だなぁ、なんてほのぼのとした記憶がありますが、楽天で扱ってるんですね。驚きました。マニアックだなぁ、ホントに。 乳製品マニアの方、このヨークっぽいけどヨークじゃないヨーゴ、ぜひお試しください。(了)森永ヨーゴ(大)
2007/01/22
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今度は国民的カレーパンですよ。先日華麗パンの生地、いや記事を書いてから、カレーパン好きがリバイバルしまして。 で、見つけたのが、某サイトとファミリーマートのコラボで、151万票獲得プロジェクトから生まれたという、カレーパン。このカレーパンの誕生に、それだけの意見と支持が寄せられたとは…。というか、やっぱりカレーパン、人気なんだ…。 商品説明によれば「ビーフ味を基本にバターを隠し味に使用しコクを高めたカレーをパン生地で包み、定番のカレードーナツに仕上げました。」とのこと。 実際食べてみると、うん、やっぱりアノ味、なんです。どこで食べたどのカレーパンかは分からないけれど、どこかで確かに食べた懐かしい味。単純に最大公約数的な商品に仕上がっているとも思えません。そこがまたニクイ。万俵鉄平に絡めた華麗パンも捨てがたいですが、このジュワっとしたドーナツパンもやっぱりオイシイ。うん、食欲の冬ですね。(了)
2007/01/22
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先日コメントのお返事、遅れました旨、記事をアップしましたが、あまりにも不親切でしたので再度告知を。 いただきましたコメントのお返事は、一覧から見ていただくと、ご訪問&コメントいただいた方へのお返事が確認しやすいかと思います。改めて、沢山のコメントありがとうございました。(了)
2007/01/21
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見出し:“遅れて来た恐るべき編集者”の机上を、日本語で読める幸せ。ジャン・コクトー著、澁澤龍彦訳『ポトマック―渋澤龍彦コレクション』(河出文庫) コクトーは、ベルエポックに遅れて来た偉才。言うなれば、「戦国時代における伊達政宗」、「『三国志演義』におけるの姜維」、「幕末の東郷平八郎」のような存在である。 まさに、先人の遺した空気を最大限に吸ったこの男は、その記憶を後の世紀に留めようと、あるいは自身をその結晶として演出しようと、八面六臂の活躍をしたのである。しかり、コクトー自身が、遅れて来た“恐るべき新世代”であったのだから。 あくまで、この『ポトマック』を読む限り、つくづくコクトーは芸術家である前に、編集者、それも“なかなか作業を収束しない、アイディアが堰切って溢れ続ける厄介な編集者”だと思う。 だから本書は、何かを作り上げ、生み出す期待感がばらまかれた、編集者の机の上みたいなのだ。定規にカッター、糊にハサミ、消しゴムのかす、メモ帳にクロッキーの落書きもある。飲みかけて冷めたコーヒー。窓からは汚れの合間からだけ外光が差し込み、それが不衛生にキラキラと舞う塵芥に反射する。 コクトーをフランス語で、かつフランス人が読んだら、やはり素晴らしいだろう。我々日本人にはそれが、できないはずだった。澁澤がいてくれてよかった。日本人は、フランス人でなくとも、なんらその価値を下げることなく、素晴らしいコクトーを日本語で読めるのだから。澁澤自身が二十代にもっとも愛して翻訳したコクトーの小品。その意味が、跳躍するが如き文面からよく分かる。(了)ポトマック
2007/01/21
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この一週間、沢山の方からコメントをいただいて来ました。新着欄に表示しきれないくらいに。大変遅くなりましたが、その一つ一つに、心を込めてお返事を書きました。個々k路アタリのある方(?)、遅くなりましたが、今更でよろしければ、ぜひご一読ください。 感謝を込めて。(了)
2007/01/20
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やっぱり睡眠は大事です。でも最近、眠るべき時に眠れず、眠っては行けない時に眠くなってしまう。完全にリズムが狂ってます。もろもろ着手せねばならないことが山積しており、そのアイディアや計画、企画は、やっぱりベッドに入ってから思いついてしまう。それで、やおら起きだして、「じゃ、ちょっと今のうちにまとめておくか」となってしまって、気がつけば朝に。仕事もある。こういうのはイカンです。アンチエイジングにも良くない(?)。 気になっている目覚まし時計がありまして、スリープトラッカーというんですが、いかなる目覚ましでも動じない私に、この奇跡の目覚まし時計も効果があるのか、いささか自信がありません。楽天さんでも扱ってないのが残念です。いやはや、睡魔なる女神ほど、心とらわれて敵わぬミューズをほかに知りません。(了)
2007/01/20
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昨日ですか、電車乗ってまして。混んでましたね、通勤電車。皆さん会社帰りです。当然、座れるはずもなく、「車内奥の方へお進み」しまして、つり革につかまって窓の外見てました。 と、妙に耳たぶにサワサワと心地よい感触が。窓に映った自分の姿、「あれ、俺のコート、ファー付きだったっけ?」。 よくよく見たら、背中合わせに立っていた女性のコートに付属したフードの巨大なファー(もしくはフェイクファー)が、満員電車でせり出して来て私のコートの襟に乗っかってる。 そのままファーだけ置いて行ってくれればいいんですけど。ぬか喜びでした。(了)*ついでに先ほどの禁煙プレート、回転してみました。うん、上に向かってるのはもっとあり得ません。これなら貼る前に気づきますね。
2007/01/20
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とあるビル。当然全館禁煙です。ところが、その禁煙のサインプレート、なんか違和感があるんですよね。何でだろうと思いながらボンヤリしていたら、そのプレート、間違ってさかさまに貼ってある(笑)。煙、下いっちゃったよ、オイ!! って、下行くんだったら、それなんか有毒なガスなんじゃないの?副流煙も、ガスほどヒドくはないけれど、ある意味有害性を訴えた、シニカルなメッセージとして、あえてビルの管理者がさかさまに貼ったのかも…んなワケないか。(了)
2007/01/20
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イイ本をベストセラーにしよう!!そんな、遠大なテーマを立てて見たものの・・・。やっぱり、いざ出版するとなると、つくづく文字離れの世の中、出版マーケットの冷え込みを痛感するのです。 やっぱり消費活動が活発な世代が低年齢化してきていて、この世代が携帯電話の料金や、オシャレ、コミック、CD、交際費・・・と使っていけば、限度額は限られているので、あえて本にお金を使おうとは思わないのも当然。いつまでも、本棚に置いておきたい本がなかなか存在しないことが一番いけないのですけど。 毎日未曾有に本が刊行されているのだから、よほどのことがない限り、イイ本だって、読み手に渡る前に棚からどけられてしまいます。 私は、一文筆家としての誇りを持って、読み手に想いの届く、“文字文化”をきちんと使った本を出版します。それが、職業倫理に忠実である、ということだと思いますし、読み手に対する誠意だと考えます。 そういう本がベストセラーにはならない。そう醒めてしまうのも簡単ですが、私は、無駄な抵抗と知りつつあえて自著をベストセラーにできるよう、精一杯頑張ろうと思っている次第。それこそがまた、このような時代に私の本を出版してくれる出版社への恩返しだと思うのです。(了)
2007/01/20
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先日、洋梨味のクリアクリーン(歯磨き粉)が、季節限定で登場した話を書きましたが、本当に美味しいんです。その話は過去の記事に譲るとして、その季節限定シリーズで登場した初摘み苺味、買ってみました。 早速使ってみると、やっぱり美味い。スイーツ並みに、味がしっかりしてる。ライオンこどもハミガキのイチゴ味、つまりイチゴ牛乳の味ではなく、本当に苺味。フルーツの。 それだけに、若干酸味もあり、リアルすぎて逆に怖いくらいでした。ラ・フランス味と初摘み苺味。どちらも甲乙つけ難いですが、個人的には前者のさわやかさに軍配を上げたいです。(了)
2007/01/19
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出版にあたってのポートレート撮影秘話は先日の日記にも書きましたが、いつも遊びに来てくださる楽まうくpressさんの「本のコンセプトから持ってたイメージと… 写真撮影のご様子から想像するお写真のイメージを… 足…せません? けっこう悩みます。どうなるんだろ? その遊び仕掛け。 春が待ち遠しいです♪」 というコメントを受けまして、ここで補足を。言葉足らずでした(笑)。私の言う“遊び”や“仕掛け”というのは、“遊び心”と呼ぶべきものです。本の内容の一部が写真に反映されていたり、逆に写真から抱くイメージをかぶせながら本を読んでいただく。そういう感覚です。 あるいは、例えば今ブログのプロフィール写真に貼ってある絵。これは、ポール・デイヴィスというアメリカのポスター画家の作品で、“Ashes”という舞台のために描かれた作品です。本の中で使えるかは分かりませんが、この絵、覚えておいてくださいね。本でも、この絵についての件が出てきます。 出版までの行程で、こうしてブログを通じて色々な意見交換が出来るのは実に楽しいです。楽まうくpressさん、ありがとうございました。(了)
2007/01/19
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いやぁ、これ、仕事で使うからできるようなもので。ダース買いですよ、ダース買い。このreisenthel(ライゼンタール社)の収納ボックス、もともと東急ハンズで見つけて、自宅で使っていたのですが、あまりに使い勝手が良いのとデザインがシンプルで素敵なので、思い切って購入しましたよ。12個。1ダースです。これぞ、ホントの大人買い? いや、仕事場で書類の分類に使おうと思いまして。思った通り、殺風景なオフィスの光景に、この無機質なデザインと合理主義的な作りがぴったり。いやぁ、一種類の商品をダース買いしたのなんて、初めてじゃないかなぁ。ま、自分用にここまで買いそろえる甲斐性はないんですけど(笑)。 収納するもののサイズをあらかじめきちんと測って、適切なサイズをあえて揃えてまとめ買いして並べると、なかなか壮観です。個人的には、複数のサイズの混在は美観を損ねるような気が。あ、お節介でしょうか???(了)reisenthel(ライゼンタール社の人気の収納ボックスショッピングカートreisenthel(ライゼンタール社)WALL ORGANIZER/CARROT
2007/01/18
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飲食業というのは、本当に大変です。食品メーカーしかり、レストラン業しかり。もう、それはそれは幾ら気を遣っても、足りないくらい。私も六本木ヒルズのオープン時には、ある飲食店に外部的に企画で参加していたので、本当にその大変さは身に沁みて理解できます。 世の中で、一番大変なもの。それはやはり、口から摂取するものを扱う仕事ではないか、と思う次第。ただし、サービスする側が、しっかり品質や衛生管理をし、その上でトラブルが起こった、あるいは誤解によるクレームが生じた。これは対処のしようもありますし、ある程度同情も寄せられます。 しかし、メーカー側やサービスする側が、薄利多売、売上げ重視、お客様でな利益本意になって、非人道的かつ職業倫理に抵触するような振る舞いを行うことは、野暮を通り越して言語道断としか形容できません。 口当たりの良いコピーを書き、耳当たりのいいキャッチフレーズを書くコピーライターとしての仕事もする私も、こうした確信犯的な裏切りに加担せぬよう、気を配らなくては、と気を引き締め直した次第。子供達に夢を与え続けて来た老舗・不二家が、一日も早く信頼回復に向けて新しいスタートを切ることを祈って止みません。何も知らない社員さんもかわいそうですしね。 ある予言をしておいて、自作自演的に実現して辻褄を合わせることが自己充足的予言の成就と言うならば、まさに不二家の一件は、頭を深々と下げる未来を予測したキャラクターの誕生に、その端緒があった・・・とはおもいたくないですけれどね。ペコちゃん。お後がよろしいようで。(了)
2007/01/18
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前回の日記でも、同じテーマで記事を書きましたが、今回はそのつづき。というか更新情報です。 もともと有名ブランド品は殆ど身に付けない主義の私(何でかな。よく父が昔、クラブのお歳暮とかで、ブランドもののネクタイとかベルトとかもらって来ていて、それがかえってチープに見えてたのかな。ま、父はブランドには無頓着な人ですけど。嗚呼、バブル時代!!)。それも、あれもこれも、と統一性なく多種のブランドを纏うのは苦手な質。 ただ、専門性は重んじます。クリスタルならバカラ、とか、宝飾関係はカルティエやティファニー、とか。財布などは持たないので、ヴィトンもグッチもエルメスもないなぁ(香水は別ですが)。 で、宝飾関係はカルティエと来れば、一つくらい宝飾的なライターを持とうかと思い切って道楽したのがこのCA120134。ゴドロンモチーフも捨て難かったのですが、これは既に持っているダンヒルのライターとかぶってしまうので、思い切ってちょっと照れくさいモノグラムにしてみましたが、予想以上に品がよく、重量感もたっぷり。うん、これにして正解でした。と言いつつも、禁煙ムードにも心揺れていたり。複雑です。(了)カルティエ ガスライター CA120134
2007/01/18
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先日商工会議所のOBの方にお目にかかるチャンスがあって、色々なお話を聞かせていただきました。曰く、今はビジョンだとかビジョナリーだとかいう言葉が人口に膾炙しているけれど、結局は「具体的な夢」ないしは「目的遂行のための手段としての夢」ばかりがもてはやされている、とのこと。本来目的である夢やビジョンが手段に堕してしまっては、本末転倒ではないか、と。 あるイタリアの有名な繊維会社は、採用面接の時に、学歴も職歴も問わず、とにかく夢を語らせるらしいのです。で、その夢を役員で検討して、採用する。 もちろん、ここで検討される夢は、ビジョンではなく、夢想。大志と言い換えてもいいでしょう。かつて、夢物語を語る経営は三流経営の証と馬鹿にされ、ビジョンを語ることが今様と言われるようになって久しいですが、確かに、目的を手段にしたがゆえに経営の不祥事も続きました。企業は一体誰のものか。そして、ステークホルダーとの好循環こそが、現在理想型とされる企業のあり方とするならば、経営者はビジョンだけではなく、夢物語を抱き、語るべき時代がリバイバルしていると言えるのかも知れません。(了)
2007/01/18
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前から告知でチラチラ見てはいましたけど、今日はじめて管理画面に入ってビックリ!!何だコリャ?!管理画面のリニューアルってこういうことだったのですね。 確かに見た目はすっきり、キレイだけれど…使いやすいのか使いにくいのかワカラン。これからちょっといじってみないと、なんかまだ見慣れない&使い慣れないなぁ。(了)
2007/01/18
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いつもは取材で写真を撮る側の私。それが、撮られるとなると、どうも勝手が違う。そう、著作の最後に載せる肖像写真、撮ってもらいました。私の現場には、原稿書きが数名、それに優秀なカメラマンが常時4、5名おりまして、年齢が皆近いこともあって、気軽に、面白いものを作ることに一緒になって励んでいます。彼らが写真で表現するなら、我々は文章で表現する!!ってな具合に、切磋琢磨し合える関係で、本当に貴重な人たちなのです。 その中でも、今回の本にふさわしい写真を撮る方にお願いしました。この人なら楽しみながら、遠慮なくガンガンカットを切ってくれるでしょうから、撮られ慣れていない私には適任。くわえて、この人、ポスターや商業ベースのポートレートも撮っていて、前から「紳士さんは顔が濃いから、硬い光が似合います。絶対!!」なんて言っていたので、お願いしたのです。よく見てるなぁ、と思いまして。 私、基本的には論理的に話すタイプなのですが、感覚語も結構いけます。まぁ、ギャルと会話が出来るほど若くはないのですが。そんなワケで、このカメラマンは、感覚語が多い!!しかも、それに感覚語を返しても、意思疎通できてしまう。 今日もバンバン、イメージのやり取りをして、撮影していただきました。しめて1時間30分のシュート。もう、最初はガチガチになってしまって、家に帰ったら首のまわりが凝ってましたね。 でも、かなりこだわった、遊びのある写真。なおかつ、本の原稿としっかりリンクした写真になっていますので、楽しみにしていて下さい(被写体を、ではなく、その遊び心を、ですからね!!)。(了)[3年保険付・12月末入荷予定分]【望遠領域迄の7.5倍ズームとのセット】Nikon D80 AF-S DX18-135...
2007/01/17
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さて、これまで「この春、本出版します」と告知して来ましたが、昨日出版社との打ち合わせの結果、四月中旬には書店に並ぶことが決定しました。印刷および製本の作業に入ってから、本となって出てくるまでひと月半かかりますから、逆算すると今月末から二月一杯はかなり忙しくなりそうです。下手にデザインとか、装丁とか、中で使う写真なども含めて、編集の知識で知っているものだから、こだわりが出て来そうで、自制しないとイカン、と思いながら、やがて来る繁忙期に備えて気持ちを高めている次第です。そうそう、サイン本、出しますよ。出版会議の中で、出版契約に機密保持契約と個人情報保護の文言を追加してもらった上でサインしましたので、これから方法を考えます。私のサイン本でよろしければ、心を込めてお届けしますので、方法が固まるまで今しばらくお待ちください。(了)
2007/01/17
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私の母が、過日勤続20年で表彰を受けました。母は、児童英会話の講師からスタートし、今は講師を育てる立場にいます。まぁ、表彰そのものに価値があるワケではないのですが、考えてみれば、この20年というのは、母にとっては一番大切な時期だったはず。女盛り・・・てなんか字面が好きじゃない(ド演歌みたいだしなぁ)ですけど、まぁそんなようなもので、娘として、母として、妻として、一番忙しい時期だったはず。これに、さらに専業主婦で終わりたくない、自分が大好きな英語と関わった仕事がしたい、という想いから、仕事を持つようになっても、娘・母・妻の一人三役のパフォーマンスが下がらなかったことがスゴいんです。 もともと体も丈夫な方ではないし、おっちょこちょいで、気にしやすいところもある母ですが、子供を相手に、そしてやがては大人を相手に、よくぞここまでたくましくなったものだ!!と底力に度肝を抜かれている次第。 思えば中学・高校の6年間は弁当でしたけど、弁当の準備されていない日は片手の指で数えるほどしかなかったなぁ。と思い、そのエネルギーに敬意を表して花を贈りましたら、贈った花の写った写真で返事が来ましたとさ。(了)
2007/01/17
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グリッターに輝くメタリックなブルー。キリリと引き締めるアイボリーの二本のライン。バイクに乗らなくても、インテリアとしていつまでも保管して来た愛するヘルメットですが、さよならを告げる日が来ました。というのも、中の保護用スポンジが硬化してきてしまい、ボロボロと剥がれて来たからです。何度もボンドで修復したのですが、さすがに経年変化には耐えられず、このたび、書籍用スペース確保のために、処分することとなりました。 とにかく一目惚れで購入したジェット型ヘルメットで、大好きなカラー。使っているうちに適度に傷がついて、実にいいカンジになっており、まさに戦友といった赴きだったので、実に残念なのですが、ここにその記録を記すことで、記憶に留めたいと思います。(了)【限定商品】SHMオールドスクールサンバーストスモールジェットヘルメット
2007/01/16
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まさかこんなベタな商品が出るとは。TBSテレビ制作の開局55周年記念特別企画ドラマ日曜劇場「華麗なる一族」とのコラボレーション商品、その名も華麗ぱん。万俵 鉄平がこれをかじるシーンがあるか?!ないだろうけど、気になります。 肝心のお味は、風味豊かなカレーあんに、パンはオイリーさを抑えた硬めの印象。なんでもカレーの部分は、21種類のスパイスを石つぼで突いて粉砕し、さらに粉砕前と粉砕後の二度熟成させたものとか。サイトを調べてみると、確かにパンにもこだわっており、パン粉はハードタイプを使用とのこと。バターも後乗せとは!!だからさっぱりしてるのか。 カレーパン大好きな私としては、中のカレーはもう少し味が立ってもいいかな、という印象。パン部分も、オイリーなイメージに慣れていると、ちょっと違和感があるかも。でも、これを食べずして、“カレーなる一族”を語るなかれ、です。(了)
2007/01/15
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ライター?文筆家でしたね。今日は、そんな私のライター歴をまとめてみました。ライターといっても、喫煙具のライター。 タバコは、21歳から吸い始めた(きっかけはこの際ノータッチで)ので、喫煙歴はもう10年以上になりますが、最初はやはりZippoでしたね。それも、あんなに喫煙を嫌がった母が、何かのきっかけにプレゼントしてくれたモノ。どうせ吸うなら良いライターで吸いなさい、というワケで。気持ちが嬉しかったですね。このライターは、もちろん今でも現役、しかも最多使用のエースです。これが不思議なことに、何度無くしても必ず手元に戻ってくる。縁ですね。Zippoなのに、何度も修理している、というヘタレ具合もまた味わい深く、今では一種のお守りになっています。 その後は趣味で、デザインモノや限定モノ、ヴィンテージのZippoを集めたりしましたが、今では数個を残して皆友人や兄弟にあげてしまったりしました。逆に言えば、今残っているのは厳選の逸品ばかり。ペコちゃん(タイムリーだなぁ)のニセモノの絵がつき、「ミルキー」ならぬ「ミリー」と堂々とロゴの入ったパチモンZippoが厳選の逸品に残っているのもご愛嬌。これは、お祭りで撃ち落したマニア垂涎のパチモンなのです。 私は男性にしては指が細く手が小さいので、それが嫌で一時スリムZippoを好んで使っていた時もありました。その方が所作が綺麗に見えるのですが、やっぱり“容量”が悪い。 イムコのライターは、手に馴染まなかったですねぇ。というか、何度買っても、すぐに無くす。結局7回くらい買い直したんじゃないかなぁ。でも、一個も手元に残っていません。 思い出深いのは、1950年代にドイツで作られたアンティークのライター。銀の巻きがしてあり、一目惚れ@軽井沢の骨董屋。二、三日通って、やっと譲ってもらいました。これは完全に使うためでなく、コレクション用ですね。 Zippoとアンティークはそのくらいにして、次に愛用したのがロンソン プレミア ヴァラフレームでした。ガスライターってのが、あまり好きじゃなかったのですが、とにかくこのアールデコ風のデザインと、ゴツさに惹かれ、今でも時々コレクションボックスから出しては使っています。 最近まで、パーティや公の席でよく使っていたのが、ダンヒル ユニーク・スポーツ パジャマライン。これ、高かったんですよ~。でも、原稿で食べていけるようになって、余裕が出来た頃に思い切って買った記憶があります。かなりの重量感で、ご自慢の一品ですが、普段使いにはちょっとかさばるかな。これも、ヴァラフレームと同じで、デザインが非常に美しく、火を点けること以前に、眺めるだけでその造形美にウットリしたものです。 この先がまだあるのですが、禁煙ムードも高まってきています(自分の中で、ですが)し、それはまた、そう遠くない別の機会に。(了)ロンソン プレミア ヴァラフレームRPV-2003 クロームエンジンタンDUNHILL「ダンヒル オイルライター ユニーク・スポーツ」QL1302 パジャマライン
2007/01/15
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見出し:“フレンチ・ゴシック再興”を企図した「探偵物語」ジャン=クリストフ・グランジェ著、江崎リエ訳『ヴィドック』(角川文庫) 映画のイメージが強く、その評判が公開当時は芳しくなかったこともあって、その後興味を失っていたフランソワ・ウージェーヌ ヴィドック氏であるが、ひょんな興味の矛先から、再びこの怪人と出会うことになってしまった。元囚人、警官を経て、世界初の私立探偵となった民衆のヒーロー・ヴィドックは、かのアルセーヌ・ルパンのキャラクター造形にも影響があったとされるし、19世紀以降の〈西洋講談(訳者による)〉のテーマの原型となった実在の人物である。彼については、自身の『回想録』も刊行されているし、『わが名はヴィドック』はじめ、数々の研究書も存在する。 この本は、まさにあの駄作と呼ばれた映画の原作であり、ヴィドックを主人公とした完全なる創作の冒険譚であるが、巻末の訳者あとがきを読むと、なるほど、公開当時『ヴィドック』がなぜウケなかったか合点が行った。訳者曰く、同映画は“フレンチ・ゴシック再興”を目論んだ作品で、その映像美や美術セット、なんとも言えない艶かしさ-暗黒的な事象すら鮮やかな-を再現するために、ヴィドックを狂言まわしにしたに過ぎなかったのである。ヴィドックを描く出来の悪いSF映画と思えば、ハリウッド慣れしている観客からは、完全に無視されるカルトである。しかし、ヴィドックを一段下げて、“フレンチ・ゴシック再興”を最上位目標と考えると、同じく日本では評価の低かった『ジェヴォーダンの獣』との関係性、そして気づかなかった価値にそそられる(『ルパン』しかりである)。 映画の原作とあって、本書そのものは非常に展開速く、娯楽小説としても楽しめる。ちょっと日常で冒険したい向きにはお薦めである。しかし何より、今、“フレンチ・ゴシック再興”の視点から映画『ヴィドック』が観たい!!(了)ヴィドック(DVD)
2007/01/14
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脱稿から約10ヶ月(本当に出産と同じですね)。本、出版します。共著です。お相手は、教育学博士(臨床心理)、サイコセラピストの近藤裕氏。 もともと生涯一文筆家、出版にはそれほど興味はなかったのですが、いざ必然性を感じると、とことんまで行ってみたくなるのが性分。また、本来出したい(テイストや出版社のカラーの面で)出版社にこだわり続け、出版契約に至ったことも、書き手としては嬉しい限りです。 この本、キーワードとしてはズバリ、“現代の赤本”。テーマは異文化コミュニケーション、現代社会論、人生、心身の健康と死生観、愛、スピリチュアリティと多様ながら、普遍的なテーマに真っ向から挑んでいます。読み捨てされないで、困ったり、疑問にぶつかったときに、都度読み返して欲しい本です。その度に味わいが変わるでしょう。 出版は3月予定。厚かましいお願いですが、興味関心のある方、ぜひお気に入りやリンクにご登録いただき、これから本が出るまでの旅程を、ご一緒下さい。(了)
2007/01/14
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いやはや、暴れん坊も死から逃れることは出来なかったのですね。ソウル界のハマコー、ジェイムズ・ブラウン、亡くなりました。2006年12月25日のこと。私も彼の60歳も半ばを迎えてのステージ、観ましたけど、本当に凄かった。まだ股割りしてましたし、マントも翻ってた。なんたって、私が14歳の時に、なけなしの小遣いをはたいて買った最初のCDが、JBのジェイムズ・ブラウン・ベスト・ヒッツの輸入盤(全世界で初めてCDが登場したのが1982年ですから、1986年当時のCDの価値の大きさは推して知るべし)。家に帰ってご自慢のコンポで再生、その冒頭がまた格好いいんですよ。ナレーション、紹介から始まって、“Doing It To Death”!!痺れましたね。結局、物心ついてからのR&Bの原風景はここに行き着くし、当時片足を突っ込み抱えていたジャズから一点、ソウルに向かったのもこの一枚がきっかけ。その後、JBをきわめず、すぐにモータウンサウンドへと傾倒していき、結局JBをじっくり聴くチャンスはその後あまりなかったのですが、私にとっては大事な人物です。 さらに、愛称は“テディベア”、フィラデルフィアサウンドの雄・オージェイズのメンバー、エディ・リヴァートの息子であり、自身も男性シンガー界の底上げに貢献して来た早熟の天才シンガーであった、ジェラルド・リヴァートも、昨年11月10日に亡くなりました。享年40歳か…。若すぎます。ちょっと格闘家の曙に似たお面相、親子や兄弟の絆を大切にし、先達を敬い(その筆頭、バリー・ホワイトも今は亡き人に)、派手なことは好まず(あ、LSGってユニットは派手でしたけど、メンバーでは一番地味だったかな)、素朴に、一途に、歌心に向かって行った男。正直、あの年齢であの巧さは特筆モノだったし、逆に、その後沢山の若手が鳴り物入りでデビューしても、ジェラルドの巧さとは比較にならなかったものです。ジェラルド自身は、そうしたイキのいい若者の活躍を横目に、段々と地味な、けれど本物のソウルの世界へと沈潜していきますが、やっぱり40歳でなくなったことを考えると、この人は生まれながらに老成していたのかな、と思いますね。何の式典だったかな、オージェイズの歌、それも父親エディのパートを取って、父の前で謳ってみせた時には、父は我が子の成長に涙したとか。あるいは、ジェラルド・リヴァートがジワジワと日本で評価されて来た時期、いくつか彼の記事を担当させていただいたこともありました。マーヴィン・ゲイのカバー・アルバムでの“Let's Get It On”は、流石だったなぁ。別企画でのBoyz2Menによるカバーとは雲泥の差だったもんなぁ。 とまぁ、どちらも純粋な死亡記事としては今更な話題なのですが、あまりに想い出の深いお二人だっただけに、なかなかそれについての思いを形にすることが出来ず今日まで至ってしまいました。R&Bへの愛のきっかけをくれたJB、男性シンガー専門の記事を書いていた頃、一つの“巧さの基準”として私のそばにいてくれたジェラルド。お二人のご冥福をお祈りします。(了)*写真は、ジョージア州警察で撮影されたJBの写真。ついこの間も、モジャモジャ頭で捕まった写真が流出しましたけど、その時はショックだったなぁ。しかしこの人、逮捕歴多すぎる!!ジェイムズ・ブラウン・ベスト・ヒッツレヴァート、スウェット、ギル / LSG
2007/01/13
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見出し:バタイユのエロス観を一冊で一望できる良書。生田耕作訳、ジョルジュ・バタイユ著『マダム・エドワルダ』(角川文庫) 結局バタイユのエロティシズムとは何なのか?それは、生命の源であり、つまりは生命の終焉である死である。?神的であり、同時に上品(じょうぼん)が下品(げぼん)を好むようなものである。これすべて、倒錯なのである。神を穢し、娼婦を崇める。そして、死のために性を欲望する。訳者自身がバタイユ最高の小品と呼ぶ『マダム・エドワルダ』もさることながら、スラップスティックな毒気の中に、おとぎ話的な安らぎを抱いてしまう猥褻なる『死者』が素晴らしい。『眼球譚』も収録されているが、これは初稿版が他で読める。面白いところでは、巻末に収録されているバタイユによるエロティシズムについての講演と、それをめぐっての議論である。字面で読むと実に可笑しいのだが、一方では、げにエロティシズムとは深遠なテーマなのだと改めて気づかされずにいられない。 あらゆる倒錯したエロティシズムの対象が存在する現代日本に、バタイユを連れて来たかった。バタイユのエロティシズムは、回答にたどり着いたかもしれない。あるいは、さらなる迷宮へと彷徨っただろうか。(了)マダム・エドワルダ
2007/01/13
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電車の広告なんか見てますとね、ありますよ。「介護付き有料老人ホーム」なんてコピー。まぁ、昨年もこの手の話では嫌なニュースも多々ありましたし、実際には声にならない声が、市井に渦巻いていることと思います。一方で、施設のサイドから見れば、十把ひとからげに白眼視されて、理想と現実の間で懊悩し夜も眠れない方々も少なくないとか。難しいですね、世の中。 とはいえ、ユウリョウって言葉、実にハードルが高いですよ。有料=優良であることは、薄利多売の大量消費社会にあっては稀ですから。大抵、有料=粗悪ってのがお決まりでして、駐車場でも、賃貸マンションでも、ありとあらゆるサービスは、“ユウリョウ”のハードルの間で、これまた悩んだいるとか、あるいはそれを逆手にとって悪銭を稼いでいるとかいないとか。ややこしい世の中です。(了)
2007/01/12
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