2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全58件 (58件中 1-50件目)
新装開店。といっても、ブログのことではなく…。この二週間ほどは、記事はアップできるのですが、それで手一杯。コメントへのお返事も遅れがちです。 というのも、経営者になって、ハード面での最初の大仕事は、オフィスを改修することでした。都心、アクセス関係も最高の条件、ただ、清潔感がなく、あまりに機能的でない状況であったことと、セキュリティおよび個人情報保護法にマッチしていない内装であったことが大きな問題で、大家さんの理解をいただき、一気にリニューアルすることにしたのです。 昨年代表に就任してから、とにかく来客が増えたので、そうした点も、やはりこの大仕事着手への決め手となりました。 今回、業界で大変な実績を持ちながら、大変な厚意でお仕事をしてくださった内外装工事の専門家をディレクターに、室内の配置やセキュリティ管理の体制およびイメージは私をディレクターに、造作やジ実作業は、腕も心意気もあるまさに“職人の中の職人”さんたちによって、ソフト&ハード両面において、非常に素晴らしいオフィスになりそうな予感です(作業は明日で完了です)。 ただ、ここに至るまでの作業が大変でした。インテリア家具、セキュリティ対応の家具などの選別、不要な書類や物品の処理、コスト管理…。 でも、今日現場に実際に立ち会って、門外漢であるにも関わらず、手を出したり、お願いをしたりしながら、つくづくモノ作りというのは原稿でも本でも紙媒体でも映像でも、そしてハードでも、根底はつながっているし、やっぱり愉しいな、と痛感しました。 和やかな雰囲気の中にも、ピリリとした緊張感。その道のプロフェッショナル達から、イイ勉強をさせていただきました。(了)*写真は改装中の様子。改装というより、誕生と言ったほうが適切かもしれません。
2007/03/31
コメント(0)
![]()
常に後手に回っているソフトバンクさん。でも、現在OA中のCM曲は良いですねぇ。ノーランズ。“I'm in the mood for dancing”。邦題だと、“ダンシング・シスター”。ABBAと思わせて買わせる気か??? ってのは、冗談ですが、あのイントロのストリングスといい、コーラスといい、『ドリーム・ガールズ』経由のガールズ・グループとのシナジーを狙ったか?でも、正解かも。ポップだけど、イイ曲ですもん。 思い切り白人の女の子グループですけど、ブリティッシュ・ポップだから、アメリカの白人ガールズ・グループ(かつR&Bを意識したエクスプロイテーション的戦略)とは一線を画してますね。 イギリスって、やっぱりビートルズ、ストーンズ、クイーンしかり、大御所を挙げただけでも、R&Bの取り入れ方のさじ加減が、実にちょうど良いんですよね。ま、ロネッツのお国柄だし。 アメリカとは音楽のジャンルごとの棲み分けの仕方が違う、ということもあるのでしょうけれど。アメリカは今でもまだまだ閉鎖的ですから。 ノーランズ。お気楽。なぜ今さら?でも、なぜか“ポップスの良き時代”、それもギラギラしていない時代の牧歌的な雰囲気があって、選曲は良かったんじゃないでしょうか、ソフトバンクさん。(了)ザ・ノーランズ/ダンシング・シスター~ザ・ベスト・オブ・ノーランズ(CD)
2007/03/29
コメント(0)
私にはいくつかの顔があります。それも、最近は意識的にコントロールできる、複数の顔が。そのうちのいくつかを挙げれば、1:素の私。2:文筆家の私。3:経営者の私。4:経営を分析する素の私。 このうち、1はありのままの私です。2は、言わば天命、宿命、そして使命を含む、スタートでありゴールとしての私。3は、経営者としてのリアルな、ビジネスマンの私(一応経営責任がありますから)。今日は4の私の意見をちょっと書いてみます。 2の私と3の私を併せたパーソナリティが、言わば4の私。つまり、経営者として、ある種ウエットで情熱的で、かつヒイヒイいいながら慣れない仕事を切り盛りしている私を、社会分析、経営コンサルタント的な、時勢の分析者として、辛口に、ドライに、厳しく審査するのが4の私なのです。 3の私は、まだまだ至らない点が多々あるのですが、幸い2の私が、パーソナリティの大部分を占めているせいか、4の私の精度は、そこそこ高いのではないかと思っています。 3の私は、今求められる経営とは、ビジョンがあり、社会との接点を大切にし、真面目にコツコツと消耗戦を繰り広げながら、激戦区の業界を乗り切って行くことが、企業の使命であり、CSRであると思っています。そして、事実、真摯に、身の丈に合った範囲ですが、真面目に取り組んでいます。 しかし、一歩身を引いて厳しく4の私でこれからの企業のあり方を予測しますと、3の私では苦戦の連続から永久に抜け出せない上に、クオリティの高いサービスを維持できるのかどうか疑問でもあります。世の中はそれほど甘くないというのが実感です。 では、4の私は、3の私と業界展望をどう捉えているのでしょう。A:理念、ビジョンは、経営者には永久に求められるが、言葉としては陳腐化して行く。実践がビジョンを裏打ちしなくては、理念もCSRも形骸化する。すでに、している企業も残念なニュースを提供している。B:ブランド力という言葉が相変わらず珍重され、ブランド=付加価値という時代が続いているが、むしろ今後は、特に大企業ほどブランドが足枷になる。C:仕事をいただく我々は、同時にクライアントの審美眼の有無に敏感にならなくてはならない。D:当分景気の回復が見込めない以上、上辺だけでない協力関係を築くことで、企業そのものの無駄な肥大化を回避する。E:中間コストの無駄をクライアントに早く認知させ、クライアントのコスト感覚をよりコンシャスにする。これは、新興の勢いのある企業はさすがにセンスが高く、すでにかなり浸透しているが、大企業ほど認知度が低い。要は、企業の大小はさほど意味のない時代にますます突入するが、クライアントは、案件ごとに、適切な企業に仕事を振るセンスが必要であり、また仕事を受ける側も、「できること/できないこと」を正直に開示して行く勇気と誠実さが求められる。F:バブルおよび、ITバブルの余波で成立している企業は、10年以内に完全に淘汰される。これを踏まえて、むしろアナログ的感性の復権を念頭に入れておく必要がある。G:仕事が人生、経済的豊かさが幸福、という時代は当分来ない。勝ち組と負け組の二極化はさらに広がり、経済的豊かさは一握りの企業に集中してしまう。H:限り在るパイを奪い合うのではなく、サービスが競合する企業とも、直接対決をするのではなく、長期的な視点で、時には協力関係や棲み分けを意識して行くやせ我慢が求められる。I :Gと関連して、これからは「風通しの良いオフィス」「働きがいのある企業」といったコトバの約束ではなく、報酬観そのものの変化にいち早く気付き、何を社員への報酬にするかを具体的に示し、提供することが求められる。J:一方、IT、グローバル化の時代ではあるが、消費者サイドは、むしろドメスティックのサービスやプロダクトを積極的に購入することで、国内で提供されるサービスや製品の質の底上げをしていく。かつて、バッシングを受けるほどに羨望されていた日本のサービスは、今や評価されないどころか、完全に無視され安全パイ視されてしまっていることは、重篤である。K:その時代、その時代に流行る経済用語やヨコ文字に乗るのは必ずしも必要ではないが、最低限の時勢とのシンクロは不可欠である。L:最後の一つは、4ではなく2と3の私として、「ビジネスや経営はギャンブルじゃない。アートである」と個人的には思っている。 以後、毎日書けるかどうかは不安ですが、AからLについて、少しずつ補足コメントをアップして行こうか、などと考えています。(了)
2007/03/28
コメント(2)
![]()
チョコはビター。これに尽きる私。でも、遊べるチョコなら、何でもオッケーだったりします。ということで、偶然見つけて唸ってしまった一品。ま、甘い想い出でも、苦い想い出でも、あるいは白けた(?)思い出でも、まぁ、まずは手に取って、カケラを集めて“復元”しましせんか?(了)明治 ブラックチョコレートパズル
2007/03/28
コメント(0)
今日は著作のPRです。閲覧くださる皆様のご支援、応援をいただきたく記事をアップいたします。“出版冬の時代”、最初の一冊目は、文筆家として、自費出版でない商業出版にこだわり、結果につなげました。脱稿から約1年以上。私のパートは特に、あえて、内容書き換えや情報更新一切なし。 幸いブックカバーのデザインにもタッチできました。 この本、キーワードとしてはズバリ、“現代の赤本”。つまり読み捨てされないで、困ったり、疑問にぶつかったときに、都度読み返して欲しい本です。その度に味わいが変わるでしょう。 出版は書店および出版社の事情を鑑み、GW前後になるようです(ご報告のたびに出版予定日の遅延が重なること、お詫び申し上げます)。あつかましいお願いで恐縮ですが、興味関心のある方、ぜひお気に入りやリンクにご登録いただき、これから本が出るまでの旅程を、ご一緒下さい。(了) Comming Soon!!『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(近藤裕共著、地湧社より)
2007/03/28
コメント(0)
![]()
『B.モンキー』観ました。まぁ、話は単純。ヒトコトで言えば、「逆LEON」です、要は。不器用で凶暴な優しき男と大人びた少女の純愛がLEONなら、不器用で凶悪で直情的な女が、優しいフツーの男に貫く純愛が描かれるのが『B.モンキー』。ただし、個人的には『B.モンキー』の方が好きですね。だって、主演が“美女な野獣”ですから。 その筋ではカリスマと崇められるアーシア姐さん、その激しさとあどけなさの混在した表情がなんとも豊かで、かつ痛々しく、「出口なき人生」、「変えられぬ生き様」の残酷さをよく醸し出していました。 この相手役の俳優がまたいいんですよ。ジャレッド・ハリス。もう、普通ですよ。見た目。むしろ地味なくらい。ところが、内面から滲み出るような人間味を、実に巧く出しますね。アンディ・ウォーホル役の演技で注目されたらしいですが、達者な役者さんです。“深夜のDJ”のシーンのすべてが、とにかく美しいんです。 ルパート・エヴェレットは、本気演技で、リアル過ぎました。まぁ、これだけ美しくヘタレる方もそうはいないでしょう。そして、ジョナサン・リース=マイヤーズ。男もうらやむ美しさ。いや、そのケはないですが、奇麗ですねぇ。危険な美少年、って感じですよ、この作品でも。なんか、『ジョジョの奇妙な冒険』(ジョルノ篇)の実写版にキャスティングして納得できそうなのは、彼くらいでしょう。『ELVIS』での熱演記事はコチラです。 音楽も素晴らしく、私とは縁浅からぬジャンゴ・ラインハルトが流れたりして、バイオレントに暴れまくるアーシア姐さんのメロウな雰囲気を際立たせるのに値千金の大活躍をしてました。(了)Bモンキー(DVD) ◆20%OFF!
2007/03/27
コメント(0)
紺尻襟。なんだか、着物の作法や着付けのようですが…。コンシリエーリです、読み方は。ヘンな紹介の仕方すると起こられそうですが、実弟のブログもスタートしましたので、今後ともよろしくお願いいたします。(了)
2007/03/26
コメント(0)
![]()
「彼の名前はアルセーヌ・ルパン。かの名高き怪盗紳士だ。世界中の警察が彼に血眼。これがなかなかつかまらないんだなぁ~」と山田康雄が言ったかどうか、もちろん、フランス最大のヒーローであるアルセーヌ・ルパンは、控えめな作家モーリス・ルブランが、この世に血肉化してしまった“人物”である。 この作家、ルパンの胸躍る冒険の数々を聞き書きする人物として、作中にたびたび顔を出すが、こうした虚実綯い交ぜになったプロットがバックにあってこそ、怪盗ルパンは頁から飛び出して、一人歩きすることになる。 生前モーリス・ルブランが、「私よりもルパンの方が著名で、ルパンに私が支配されているようだ」と述懐したのも、実は相当に切羽詰まった事態を呈している。作家は他の作品で、ルパンに「私は何人もの人物を演じて来たから、今や自分自身が誰だか自身でも分からないのだ」と語らせているが、ここに作家と“生み出された有名人”の自己同一性と多重性の狭間での苦悩の共鳴が見られる。 ルパンの冒険譚の数々は、二、三の作品を除いてはほとんど金太郎飴であって、どの作品にもルパンの魅力を見出すことが十分可能だ。ここであえて、『二つの微笑を持つ女』を紹介するのは、本編にでなく、むしろこの一冊に採録された恋文に注目しておきたいからである。 現代仏・ミステリの重鎮、トマ・ナルスジャックの寄せたルパンへのこの熱烈な恋文は、ルブランの苦悩を超越し、多重で錯綜するパーソナリティの前向きな可能性の讃歌でもある。トマは、同じくミステリ作家であるピエール・ボワローと共作で、覆面作家としてアルセーヌ・ルパン名義の作品を発表し、ルパン生存説を実証してみせたと同時に、ルパンの実在を決定的なものにした。ナルスジャックとボワローが、ルパンのお株を奪う変装によって、「多重な自己」というツールの機能美を教えてくれる。女よ、微笑は二つ以上持たれよ。(了) 怪盗紳士アルセーヌ・ルパン 二つの微笑をもつ女(DVD) ◆20%OFF!
2007/03/26
コメント(0)
![]()
見出し:セレブ予備軍御用達本。されどセレブは反逆する…。海野弘著『セレブの現代史』(文春新書) 新書には、時々どきっとさせられるほど濃厚な一冊に出会うことがある。この一冊もまた。私は、セレブ(ちなみに海外でセレブと発音しても誰も分かってくれないのでご用心)とは、名士のことだと思っており、現代的な意味での使用法は間違っているのではないか、と常々思っていた。 しかし、本書を読めば、セレブとはまさに、現代的な使用そのもの、大衆によって作られ、商品化された、消費の対象なのである。 もちろん、著書もセレブリティのもともとの意味を本書でも繙いているが、もはや本来のセレブは死に、絶滅し、いまセレブという言葉が象徴し内包するものは、時代とともに変遷してきたと述べている。この変遷をたどるトピックが非常によく練られて立てられており、なおかつ、“セレブらしさ”を想起させる「いかにも」な事例や歴史的事件、資料を引用して論旨を展開して、実に明瞭かつ痛快ですらある。まさに、快筆である。 本来、この日本においては、地縁が生きていた。地縁に機能があった時代には、名主や庄屋など、地元を束ねるドンがいて、広く面倒を見て来た。これが、日本のセレブではないか。 地縁が失われた現代日本にあって、故郷を喪失しディアスポラする人々が、座標軸や羅針盤としてセレブを望み、志向するのも分かる気がしないでもない。 本当に、著者が述べる通り、かつてのセレブ/本来のセレブは死んでしまったのだ。だから、いやあえて、それでも言いたい。セレブとは、反逆する大衆の欲望の権化であってはならないのではないか、と。(了)セレブの現代史
2007/03/24
コメント(0)
![]()
まぁ、人を呼ぶにも様々な文化がありまして。あるいは、自転車で鳴らすベルは迷惑か親切心か。チリン、チリンはイヤですか? ともあれ、単にブザーも味気なかろう、ということで、オフィスに呼び鈴を設けてみました。市販のものだとイメージが限定されすぎていて、かえってアバウトな感じが出ないので、シンプルなものを探していましたら、こんなのに出会えました。 さぁ、この鐘を鳴らすのは、あなた。(了)CallBell アメリカのオフィスにある呼び鈴
2007/03/24
コメント(0)
久しぶりに、日記のカテゴリを追加しました。まず一つ目が、『スーパー・ナチュラル』。とにかく、ドラマを頭から最後まで観た記念として、ブログでアップした鑑賞日記をまとめてあります。 続いてもう一つが『バベルの治世』。これは、昨年からある会社のオーナーになったので、経営者としてのコメントや記事をまとめておきました。今後とも当図書館をよろしくお願いいたします。(了)
2007/03/24
コメント(0)
![]()
とうとうこの日がやって来ました。そう、スパナチュ鑑賞日記、最終回、すなわち、スパナチュの最終話22話を紹介することになりました。タイトルが“悪魔の罠”ですからね。もう、一話の中に罠だらけですよ。 さて、頼みの父・ジョンが悪魔にとらわれた今、兄・ディーンは強力な助っ人の力を借りることに。それは、かつて協力を要請したハンター仲間のベテラン、ボビーであった。当然、狙いは伝説のコルト銃を持つディーン&サムの兄弟。居場所もすぐにバレるだろうし、すでに追われているハズ。 ボビーの机上に、奇妙な図柄を発見する弟・サム。それは、悪魔を捉える魔法陣だった。「まぁ、ゴキブリホホイホイみたいなもんさ」とボビーがのたまったかどうか。 さておき、そこに、やはりメグ姐さんが登場。今日もダークなオーラ全開です。「あたしから逃げられるとでも思ってるの?さぁ、銃をよこしなさい」。兄弟に詰め寄るメグ姐さん。 間合いに入った!!天上を見上げれば、そこにはサムが机上で見つけた魔法陣が描かれていた。魔法陣の真下にうっかり足を踏み入れ、身動きの取れなくなったメグ姐さんはあっさり降参。椅子に縛られて、父の安否を尋問される。最初は突っぱねるも、サムがラテン語でエクソシズムを始めると、途端に暴れだし、衰弱して父の居場所を吐いてしまう。悪魔の気性とは言え、悪魔を祓えばメグ姐さんは普通の女性。しかも、何の罪もなく、かつ一度高所から落ちた体。悪魔が去れば、普通の人間のメグは死んでしまう。良心の呵責に苛まれながらも、ディーンは、覚悟を決めてサムに悪魔祓いを遂行させる。 ボビーの協力を得てメグから父の居場所を聞いた兄弟は、悪魔との最後の対決に挑み、父が監禁される病院に向かう。悪魔は、攻撃しにくいところに獲物を閉じ込めているのだ。 ディーンとサムのいつもの機転で病院にしのびこみ、父のいる部屋へ。そこに、二人の悪魔が立ちはだかる。コルトを一発ぶっ放し、すんでのところで父を抱えて脱出に成功。ひとまずアジトに戻る家族の、短すぎる再会。 しばし、休息の時を得て、互いに生きて再会できたことを喜び合う家族。「でも、父さん、俺は大切な銃弾を、悪魔の下っ端に使っちまった。」悔やむディーンに、「いや、いい判断だった。俺を助けてくれたお前を、俺は誇りに思うよ」とジョンは優しく礼を述べる。取り敢えず、悪魔との最後の対決に備えようと気持ちを一つしようとする家族・・・・。サムがちょっと部屋を出た間の出来事だった。どこか釈然としないディーンは、おもむろにコルトを抜き、父に向ける。部屋に戻って来て驚くサム。「サムっ!!ディーンがおかしくなった…」。「いいや、お前は父さんじゃない。サム、騙されるな。父さんなら、無駄に銃を使った俺を誇りに思ったりなんかしないさ。きっと叱られていたはずだ。病院にいる間に、親父に悪魔が乗り移っていたんだ!!」とディーン。そこは、父の一番近くにいてハンターとしての英才教育を受けて来たディーン、親子の絆までは悪魔は騙せなかった。 そうと知るや、突然豹変して二人を襲う父/悪魔。サムは魔力で首を締め上げられ、ディーンもまともに太刀打ちできない。まさに、最後の死闘が始まった!! 一瞬、父の正気が悪魔を制するような瞬間がある。「躊躇わず撃て」と叫ぶ父。しかし、これも悪魔の罠かも知れない。どれが本当でどれが嘘なのか?時に甘くささやきかけ、時に心の傷に土足で上がり込み、時に家族の信頼を覆す嘘の証言で揺さぶり…。まさに、悪魔に誘惑される聖アントニウスかくあろうかという葛藤の中で、父は救うも、悪魔は仕留め損ねてしまう。 リターンマッチを誓って、一度体勢を整えに夜の闇に車を走らせる「家族に戻った」三人。そこには、悔しさと同時に、しかし次の闘いへの希望と士気が、ゆるやかにたゆとうていた…。ところが!! ショックです。 衝撃の結末。ただ、そこには闘いの合間に休息する天使のような微笑みが。これ以上は言えませんが、まぁ、やられました。 これでスパナチュ鑑賞日記はおしまい。これまで、連続ドラマをまともに通しで観たことがなかった私ですが、生まれて初めて、最初から最後まで、ドラマを観通すことが出来ました。記念すべき作品となりました。もっとも、これが単なるホラー作品や超常現象やSFモノだったら続かなかったと思いますが、家族、特に兄弟の絆の揺れ動きに一喜一憂し、そしてきわめて宗教的・儀式的なモチーフも盛り込まれていたからこそ、最後まで観続けられたのかも知れません。 さて、次は何にしようか。何か、イイのありません?(了) SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/23
コメント(0)
![]()
スーパー・ナチュラル鑑賞日記、最終話。引っ張ってるワケじゃないのですが、書きますよ。今しばらくお待ちください。というか、あまりに衝撃的なラストに、まだ納得いかない状態でありマス。 ところで、ここ終盤で気になったこと。そして全体のトーンと音楽について一言。20話で、父と兄弟が落ち合うのに使った郵便局。そのドアの番号が、かの有名な813号室だったのですが、アルセーヌ・ルパンの名エピソードと関係があるのでしょうか?考えすぎかな。 それから、このドラマ、ロック大好きな兄・ディーンのイメージに合わせている(実際メインキャストは弟のサムなんですけど)のか、ちょい古めのロックの名曲が使われています。メタリカやカンザスなど、今更…なセレクションなのですが、ディーンはちょっとオールドファッションで、好きなものには頑固な性格に描かれているんですね。で、面白かったのが、シカゴなんかに舞台が移ると、泥臭いブルースがガンガンかかったりする。でも、ロックはもともと黒人文化がルーツですし、いわゆるロックンロールが挿入されても、傍流となったいわゆる白人のロック、メタル、などが流れても、ディーンという人物のパーソナリティをフィルターにすると、ちゃんと一本のミュージック・ツリーになるんです。 ディーンというキャラクターの持つ、ジャンルにはこだわってるつもりでも、ちょっと時流とずれたアナクロで、知らずと幅広い嗜好のレンジが、結果的にブルース、ゴスペル、R&B、ロックンロール、ロックミュージックをつなげてしまっているんですね。 音楽に限らず、美術でもファッションでも、ライフスタイルでも、時代感覚(時間軸)に多少のズレがある方が、さまざまな文化に寛容なのかもしれません。(了) カンサス/ベスト・オブ・カンサス(CD)
2007/03/22
コメント(2)
おぼっちゃまくんの飼っている亀は、ピエール、カトリーヌ、フランソワーズ、ミッシェルである。いつも聞かれるが、覚えていられないので。(了)
2007/03/20
コメント(0)
![]()
いよいよ終盤スパナチュ鑑賞日記。今回は20話、21話です。 バーカウンターに座る何かに憑かれたかのような老人は、山小屋からの客。バーに、ロッカー風の集団が現れるや、突如、老人は山小屋に帰る。と、そこにはすでに、先ほどのロッカー達が。ロッカー達は吸血鬼だった!!そしてこの老人は、時にはディーン&サム兄弟の父、ジョン・ウィンチェスターとも仕事をしてきた吸血鬼ハンターだった。その老人が、吸血鬼から必死に守ろうとしたもの・・・つまり、吸血鬼が血眼になって探していたもの。それが今、無残にも老人の手から奪い去られた。 その重要なアイテムとは、かつて1800年代、名匠コルトの手によって作られた、どんな悪魔も退治できる究極の銃。ということは、この銃を狙っているのは、吸血鬼だけじゃない。そう、ディーン&サムの母親を殺したあの悪魔も、この銃をハンターから奪おうとしているのだ。 しかしまずは、吸血鬼から銃を取り返さなくては!!兄弟に意外な助っ人が登場。そう、彼らのホテルには父の姿があった。何も言わずに、指揮を執る父に、サムはまたも反発心を隠せない。「何も言わずに従うだなんて!!」。ディーンは、弟の気持ちを察しながらも、せっかく家族で敵と向き合える絆を壊すことを恐れ、なだめることしかできない。 いよいよ、親子三人で、吸血鬼と命の駆け引き。兄弟はアジトに、父は吸血鬼のリーダーと真っ向対決。うまく銃を取り返せるのか?果たして、危機を救われた父は、もはや兄弟が想像以上に成長していたことを認めざるを得なかった。しかし、だからこそ、悪魔との最期の対決に息子たちを関わらせたくない親心も疼いて…。ところで、吸血鬼に十字架やニンニクが効かない、というのは知っていましたけど、まさか死人の血のついた矢を打ち込むと、一時的に衰弱するとは知らなんだ。はい、20話。 さらにさらに、21話。無事コルト銃を取り返せば、当然それを奪いたい悪魔が黙っちゃいない。そう、16話で死んだはずの“ショートカットのメグ姐さん”、やっぱり復活で、しょっぱなから父・ジョンの友人をその毒牙にかける。同時に、悪魔は一人ではなく、複数、それもかなりの数で来襲していることを察知した一行に、今度は弟・サムの予知夢が襲う。同じシチュエーションで、また赤ん坊が襲われ、その母は天井に貼り付けにされて家は燃える!!悪魔は、生後6ヶ月の赤ん坊を、常にターゲットにしていた。ディーンとサムは予知夢のプレ犠牲者を救いに行けば、母を殺した悪魔と対決できると期待を抱き、コルト銃を抱いて目的地に向かう。 一方父は、時間稼ぎのために、これ以上友人を殺させないよう、メグとの取引のため、ニセモノの銃を持って約束の場所に向かう。 メグと落ち合うジョン。しかし、その奥から新たな悪魔が。ディーンと同じ遺伝子か、軽妙にしてドスの効いたハッタリをかますも、すぐに銃がニセモノとばれてしまうが、事前準備の賜物で、なんとか時間稼ぎをすることには成功。しかし、その代償は大きかった。ジョンは、悪魔に捕まってしまう。 ディーンとサムの兄弟は、悪魔を待ち伏せする。いよいよ対決のときが来る…かに思われたが、思わぬ事態に、犠牲者は出さなかったものの、悪魔を仕留め損ねてしまう。しかも、特別な効力を持つ残弾数3発のうち、1発を使ってしまったのに…。見上げた窓の向こうに、炎に包まれて不適に嗤う悪魔。怒るサム。「やめろサム」「行かせてくれ」。「サム、お前と父さんは同じだ。二人とも愛する人を亡くしているから、復讐に執着しすぎる。だから、俺が二人をクールダウンさせなくちゃいけないんだ。今は親父と落ち合って、策を練ろう」。しかし、父にかけた携帯電話の向こうで出たのは…もちろん、“ショートカットのメグ姐さん”だった!! このエピソード、はじめて、終わり方が「続く」なんですよね。ま、次回が最終回ですから。いやぁ、なんか親子の再会については、若干引っ張りすぎて、感情的に移入でいないんですが、兄弟の絆を20話余り追ってくると、二人の成長ぶりにジーンと来ますね。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/20
コメント(0)
![]()
見出し:人間関係在るところに、この一冊。近藤裕著『「伝心力」の育て方』(アチーブメント出版) コミュニケーションの達人が送る、“コミュニケーション不在の世の中”への福音書。内容は平易かつ明瞭。すぐに実践できる「伝心力」。職場で、家庭で、友人で。人間関係の在るところに、この一冊。著者は、近日刊行の拙著の共著者でもあります。(了)心と心が通じ合う「伝心力」の育て方
2007/03/20
コメント(0)
![]()
まだまだ踏ん張っております、スーパー・ナチュラル鑑賞日記。今回は18、19話をお届けします。 ある街。早々に別れた父が残した次の目的地。なぜかここには子供が少ない。なんでも、ここ数日の間に、子供たちばかりが原因不明の病気にかかってしまうという。既存の医療技術では処置もできず、ただただ子供たちの衰弱を黙って見ているしかない親たち。 しかし、ディーンとサムの悪霊狩り兄弟は、それがストリーガーという、生命力を吸って生き延びる悪霊の仕業と突き止める。と、昨晩泊まったモーテルにいた兄弟の弟がやはり犠牲に。 このストリーガー、かなりの間をあけて活動し、今回退治できなければまた何年も待つことになる。「それが分かっていてなぜ父さんは、自分で退治せずに場所を指定したんだろう」。無邪気に問うサムに、ディーンの表情は苦渋に満ちている。「今回、仕留めなくちゃいけないんだ」ディーンは、苦しい胸のうちを語りだす。「今もストリーガーが犠牲者を出しているのは、俺のせいなのさ。かつて父は一度対決している。サム、お前に襲い掛かっていたのさ。俺はオヤジの言いつけを守らず、ちょっとの間、オヤジの留守番をサボった。それが原因で、お前を危険にさらし、オヤジはストリーガーを仕留め損ねた。だから、俺にケリをつけろ、ということさ」。ディーンの幼い日の想い出が自責の念とともに甦る。 問題は、ストリーガーは、誰かを襲っている最中にしか攻撃できないということ。じゃぁ、誰かを囮に?「そうだ」とディーン。決意は固い。果たして、その囮役たる協力者に名乗りをあげたのは・・・? モーテルのオーナーの子供たち兄弟と、自分の幼い日の失態を重ねあわせ、自ら運命に立ち向かい、乗り越えようとするディーンの内面がにじみ出るエピソードでした。そう、不思議なのは、この兄弟が旅を続ける中で、ドライを気取って軽薄で虚無的に生きていたディーンが弟を通じて人間らしさを取り戻し、サムは普通の生活に“逃げて”いた自分を発見し、家族への憧憬を取り戻しながら、ハンターとしてたくましくなっていく。そういう逆転現象に近い成長の過程もこのドラマの魅力ですね。 あ、ストリーガーが、スター・ウォーズのパルパティーン皇帝に見えて仕方がないのですが。 続いて19話。これは個人的には好きなエピソードですね。内容はダークなんですけど、ちょっと『ドリアン・グレイの肖像』っぽい、デカダンな感じがします。 手にしたものが必ず殺される謎の“一家の肖像画”。今日も、死んだ持ち主から手が離れた一家の肖像画は、オークションハウスに出品されている。「とにかく、その作品は売ってはいけない!!」。 とにかく話は早い、それを焼いちまえばいい!!あの手この手でオークションハウスに接近するディーンとサムの兄弟。あっという間に絵をゲットして、夜陰に乗じて火をつける二人。「これでよし」。 ところが!!サムとちょいとイイ感じになったオークションハウスのオーナーの娘・サラに別れを告げに行ったその目で、あの呪われた肖像画を見つけてしまう!!「焼いたはずなのに、なぜ?」 事態を調査する間に、強欲なオーナーは忠告を聞かず、またも絵を売ってしまう。そして、新たな犠牲者が。 サラに事実を話すもやはり受け入れられず。しかし、勇気と行動力で、自身の傷から立ち直ろうとしていたサラは、果敢に兄弟と行動をともにする。 肖像画の中の、あの謎の動く人物が犯人なのか?絵でなければ、何が悪霊を呼び出しているのか?はたまた、呪いを宿す絵も遺骨も焼き払ったのに、殺戮がやまない理由とは???あまりに意外、あまりに怖くて、ホントにビックリしました。けど内緒。 このエピソードでは、母のときと同じ悪霊によって恋人ジェシカを殺されたサムのトラウマが、サラという女性によって癒されていくシーケンスも盛り込まれ、サムにとっては、シリーズ終盤への大きなターニングポイントになっています。オトナのスパナチュです。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/19
コメント(0)
![]()
見出し:“羊頭をかけて牛肉を売る”現代アメリカ史。鈴木透著『現代アメリカを観る―映画が描く超大国の鼓動』(丸善) 現代アメリカの鼓動は、9.11事件を境に、まったく違うビートを刻むようになってしまった。この本が出版された1998年のアメリカが、その数年後に大きな文化基盤の変更を迫られるとは、著者も予想もつかなかったであろう。したがって、本書は、今読むとあまりに理想主義的で、緊張感漂う論旨の中にも牧歌的なムードさえ漂う。さらに、“映画に描かれるアメリカ”を通じてアメリカ史のキーポイントを浮き立たせるといいつつ、映画についての言及はあまりに数が少なく、かつ分析も物足りない。 ただ一点、丁寧かつ明瞭にまとめあげられた冒頭の、現代アメリカの軌跡については、ポスト9.11の時代にあっても十分に分かりやすく、あるいは9.11事件への不穏な足音が無意識的に盛り込まれていて価値がある。“羊頭をかけて、牛肉を得る”ような一冊。(了)ワールド・トレード・センター スペシャル・コレクターズ・エディション
2007/03/19
コメント(0)
速水もこみち氏の弟が芸能界デビューしたとかしないとか。いや、したとか。イケメン兄弟だそうだ。とか。その通りだ、とか。 ともかく、快筆紳士の弟もデビュー(ブログだけど)したとか、しないとか。いや、したとか。まだ発見されないんだとか。ぜひモチベーションを下げないで、発見されて欲しいものだ。まずはコンシリエーリに相談だ。とか。(了)
2007/03/18
コメント(4)
過日は従兄弟の結婚式。若干気温低めなれど、雲一つない日本晴れ。実弟と従兄弟三人、私の5人は、離ればなれに暮らしていても、本当に兄弟のようにして育って来ました。特に、長じるにしたがって、お互いの個性やそれぞれの持ち味を尊重し合い、軽い話から真面目な話まで、何でも言い合える存在でした。一人一人が社会人になってからは、まったく違うフィールドで、時には意見交換したり、応援し合ったり。 その“五人兄弟”の四男、つまり、従兄弟の次男が、結婚しました。とにかく、几帳面で、面白いこと大好き、周囲への気配りは欠かさない男なので、どんな式になるか楽しみでしたが、予想通り、家族と友人に徹底的に捧げられた、素晴らしい式でした。兄がプロフィール紹介をすれば、弟がビデオを回す。飛び道具で、“長兄”の私がお祝い挨拶に指名され、アドリブが利いたのかどうか…。 家族が増えるのは嬉しいこと。特に、これからは、日本全体が新しい価値観や縁(かつての地縁や血縁にかわるもの)を構築して行かなければ、きわめて無味乾燥な味気ない殺伐とした国になってしまうでしょう。新しい文化の基盤として、きわめて原始的な家族の見直しがキーポイントになってくるはずです。 その模範、その道を照らすカップルになって欲しいものです。(了)
2007/03/18
コメント(2)
![]()
17話は、一転オトボケ…というか、絶叫系B級ホラー映画をあえて茶化したような内容になっています。でも、ちゃんとスーパー・ナチュラルですからご安心を。 せっかく再会できた父と別れ、とにかく今は目の前の事件を解決していくしかないと覚悟を決めた兄弟は、“うわさの幽霊屋敷”にまつわる調査に乗り出す。 これがまた明らかにおバカなティーンたちが、肝だめしするわけですよ。きっかけは。ところが、このエピソードの面白いところは、どこまでが噂で、どこまでが作為で、どこまでが悪霊の仕業なのかをうまく錯綜させているところ。 幽霊屋敷の恐怖は、都市伝説なのか?その真偽を探るうちに、これまたおバカなサイトを運営する、心霊オタク二人組みと鉢合わせて、いよいよ話の虚実が綯いまぜに。このオタク二人がなかなかふるっていて、本物の悪霊狩り兄弟に向かって「俺たちはプロだ。仕事の邪魔をしないでくれ」なんて言って、得意げに武勇伝や小道具を自慢するところがまた。「で、お前ら霊を見たことは?」と問うディーンに、「あぁ、一度。いや、正確には音を聞いた」とまたも得意げ、話にならん!! ところが、幽霊屋敷で本当の殺人が起こったからさぁ大変。ただならぬと、ディーン&サム。厄介で邪魔なオタクコンビ。誰も彼もが入り乱れて、雑然とした常態で分かったこと。それは、この悪霊は、人々の想念やイメージの集合によって性格が変わるタイプだということ。 この掴みどころのない悪霊と野次馬を、どう利用して解決するか、その駆け引きはなかなかスマートで痛快。 ところで、このエピソード、兄弟での悪戯合戦が何回も続いて、全体的にはほのぼのストーリーなのですが、私たち兄弟も、幾つになってもよく悪戯合戦して、エスカレートして喧嘩になったり…。ま、大抵仕掛けるのは私なんですけど。一点気になったのは、なぜか弟・サムのボディが、あたかも「見せるためか?」と思わせるほど異様にムキムキに鍛えられてるんですけど。最初の頃とは別人だ…。おかしい…。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/16
コメント(0)
![]()
さぁさぁ、スパナチュ日記、続いて16話のはじまり、はじまり~。 完全密室のバラバラ猟奇殺人事件を調査に、シカゴにやってきた兄・ディーンと弟・サム。広大なアメリカの、小さな街の、そのまた乱立するバーの一軒で、なんと奇跡の再会が。そう、サムと以前カリフォルニアに向かうバス停でであったショートカットの女性・メグ。再会を喜ぶメグ、冷やかすディーン。しかし、サムはこの出来すぎた偶然を素直に喜べない。 調査を進めるうち、過去に同じように起こったこの街での事件の共通項は、出身地がディーンとサムの故郷と同じことだった。偶然か…いや、罠かも…。 事件現場で謎の紋章に気づいたディーンだが、その意味までたどり着けない。一方、怪しいメグを張り込むサムは、古びた倉庫で驚異の儀式を目撃してしまう。 互いの調査を報告しあううち、あの謎の紋章がゾロアスター教の悪魔召還の鍵であることを突き止める。「今度の相手はメジャー級だ」。そうつぶやくディーンは、父の助力を求めて電話をする。 「じゃぁ、この相手を倒したら母さんの仇は討てるんだね?普通の暮らしに戻れるんだね?」とサム。「お前、学校に戻るのか?」とディーン。「当たり前さ、こんな暮らしは続けられない」とサム。「一緒に、またオヤジとサムと三人で、家族に戻りたかった…」。目を潤ませて珍しく素直に呟くディーン。このぱっと見軽薄な裏側にある虚無感や、家族への想いがいいんですよね、ディーンは。 果たして、この悪魔の本当の狙いは???「父さんだ!!」。しかし、そこは熟練の悪霊狩りオヤジ、危険を察知して現場には来ない。窮地を脱した兄弟が、ホテルに戻るとそこには、父の姿が。悪魔や悪霊は、この父を一番恐れていたのだ。 しばし家族の再会。特に、喧嘩別れしたサムは、和解の抱擁に涙を隠せない。と、そこに、嗅ぎつけた悪魔が襲いかかる!!「一緒にいちゃダメだ」と父。「せっかく一緒になれたのに」とサム。しかし、悪魔への切り札をここで死なせるわけには行かないと知るディーンは、サムの心中を察しながら、ただ黙って父を行かせるしかない。再会をかみ締める間もなく、父は闇へと車を飛ばす。ディーンとサムも、逃げるようにしてこの街を去るが・・・。 このエピソードは、まだまだ先の話の複線になってる感じですよ~。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/16
コメント(0)
三日にわたり、著者校正(ゲラ前ですけど)をしていました。まず、量が多い。表記統一が面倒くさい。さらに、何度も読んでいるので、うっかり読み飛ばしそうになる。 ということで、文字通り目を皿のようにしてのチェックだったのですが、なんせ今日は、出版社にゲラ(初校)を出してもらうための最終打ち合わせだったもので。タイトル、表記のルール、装丁、その他もろもろ合意し合ってようやく、進行するのです。 さて。それがですね、先日の日記にも書いたように、ダメもと、というか、大ラフのつもりで、パワポレベルで簡単にイメージした装丁案を持参しまして、はじめて出版社に見せたんです。共著者はすでに絶賛してくれていましたけど、やっぱり装丁は専門家の仕事なので心配しつつ。 そしたら、出版社の方でも装丁家や案をアタリで準備して下さっていたのですが、私の案を見るなり、「もう資料は必要ないですね」。気に入ってくれたのです。どうも、著作に対するイメージや想いは一緒だったようで、ピッタリと合意に達し、実に嬉しい瞬間でした。もしかしたら、装丁家ではなく、グラフィックデザイナーの方にブラッシュアップをお願いするだけで良いかも、などと意外な展開も見えてきて…。共著者にいたっては「装丁デザインデビューじゃないの」などと仰ってくださって、木に登りそうになりましたが。 ともあれ、いよいよ着地も具体的に見えて来ました。(了)Comming Soon!!『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(近藤裕共著、地湧社より)
2007/03/15
コメント(0)
志茂大蔵『ラクーン・ハンターJ』(ムード書房) 「この世にはタヌキが多すぎる」。それが口癖のラクーン・ハンターJは、代々狩猟を稼業としてきた血筋。そのJが幼き日、静かだった彼らの村に、金の亡者達が土地開発を持ちかけ、ブルドーザーで辺りを一掃してしまう。仕事を失った家族は酒に溺れたり、開発に伴う自己でこの世を去った。狸や土地との連鎖も失われた。 独り、途方に暮れる少年Jの前に、やはり、住処と家族を失った狸一族の長の魂が現れる。「少年よ、わしに代わって、“この世のタヌキ”を成敗するのじゃ。わしの力をそなたにあげよう」。一条のまばゆい光が、少年が祖父からもらった形見のお守りに乗り移る。「さぁ、行くのじゃ。ラクーン・ハンターJよ!!」 以来Jは、声なき弱者を“この世のタヌキ”から守るため、欲望の渦に立ち向かう。 「動いても無駄だ。オレの照準に入ってらぁ」。この言葉を聞いたが最後、金の亡者、人を騙して苦しめる者、小知恵で困らせるタヌキどもは、Jのライフルから放たれるポンポコ弾によって、狸汁にされてしまう。 この世のタヌキの狸汁を平らげて一言、 「この世にはタヌキが多すぎる」。そうしてまたJは、楊枝をくわえていずこへともなくアテのない旅に出かける。(了)
2007/03/15
コメント(2)
![]()
はい、本日のスーパー・ナチュラルの時間です。今日は一気に、14、15話、行きます。 14話はですね・・・X-MENですよ。相変わらず予知夢にうなされる弟・サムと、彼を気遣う兄・ディーン。半信半疑のディーンの背中を押して、悪夢の現場に急行する二人。そこでは、すでに事件が。警察は自殺と判定するも、今度は被害者の兄が無惨な死を遂げる。これも予知夢で見た!!そして、「予知夢なのに、事件を止めることが出来ない…。ならこの力は何の役に立つ?それに、なぜあの一家の事件ばかりを夢に見るんだ?何か関係が???」。自分の力を制御できないサムは、またも予知夢を見る。今度は最初の被害者の妻が危ない!!現場に急行する兄弟。今度は間に合った…ようだが、そこで二人が目にしたものとは!?そして、この一家とサムの予知夢には何の関係が???さらに、今度はサムに、新たな力が発言する。「超能力を身につけてしまった弟を、世間から守ることが俺の使命だ」とディーンの決意も改まる。 続いて15話。これは…肩すかしですね。一種の。バーで今夜のモーテルを探す悪霊狩り兄弟。店から先に出たサムが、一瞬にして消息を絶つ。聞けばこの一帯は、謎の失踪事件のメッカ。手がかりは、道路に据え付けられた監視カメラ。「命に代えても、生きてサムを探し出す」。ディーンは躍起になるが、共に捜索にあたる女警官に、途中で身分詐称がバレてしまう。ディーンの弟への愛情を信じた婦警は、逮捕を捜索後に延期する。彼女もまた、この街で弟の消息を失った心の傷を抱えていた。 監視カメラに写った謎の車を手がかりに、不気味な家にたどり着く。ここにサムは、失踪者は監禁されているのか??? このエピソードでは、兄弟は武器を使えません。悪霊相手なら躊躇いはいらないのですが、15話の相手は・……えい、面倒くさい、言ってしまえ。人間です。ただし、悪魔のような、人間。さすがの兄弟も人間を殺めることはできない訳で、その意味では、肩すかしなのです。 ただ、日本人が思っている以上に、アメリカでは失踪事件が跡を断ちません。そうした社会背景に潜む、スーパー・ナチュラル(超常現象)ではない“悪意/狂気”についてのエピソードを盛り込んだことは、このドラマをちょっとコンシャスにしていて、いかにもアメリカだな、という感じです。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/15
コメント(0)
![]()
スパナチュネタが続いていますが、暇なワケではなく。4月に出版予定の本の校正や推敲に追われ、その現実逃避でしょうか???逃げちゃダメです!! ところで、私ブームに疎いので今さら知ったのですが、スーパー・ナチュラルの日本語吹き替えは、次長課長の井上聡氏(兄・ディーン役)、成宮寛貴氏(弟・サム役)だったのですね。いやぁ、そう思って観たことなかったから…。皆さん多芸です。 吹き替えって、私が常に推してきた芸人・なだぎ武氏のディランのような、独特のテンポってありますよね。あれって、声優さんの職人芸なワケですが、なかなかどうして、回を重ねるごとに、井上氏も成宮氏も、いい雰囲気出してるから吃驚。時々英語で観ると、全然吹き替えと声が違っていて、それはそれでまた楽し、です。追)あの、これも今さらですが、ディーンと入力すると、なぜか一番最初に変換候補でDEENが出て来てしまうのですが・・・。ちょっと痛いなぁ。SUPERNATURAL スーパーナチュラル<ファースト・シーズン>コレクターズ・ボックス(2)Vol.6~10
2007/03/14
コメント(2)
突然ですが、江東区の区名が変わります。新しい区名は、山下区となります。という夢を見ました。ビジュアル的にもすごくリアルな夢で、新しい山下区のマークまで見えました。蛇足ですが、弟と“変な顔合戦”をしている夢も見たらしく、ふと目が覚めたら、口をとがらせ頬を膨らませていました。どんな夢だ?(了)
2007/03/14
コメント(0)
して今日は共著者と出版の打ち合わせ。互いに忙しい時間の合間を縫ってのミーティングですが、今にして振り返れば、よくここまで漕ぎ着けたなぁ、と。ただ横組の完全データが、縦組になっただけでも、これまでの著者同士のやりとりが走馬灯のように駆け巡ります。これからが本番ですけど。 で、先日装丁の大ラフを作った話を書きましたけど、その実物(モックアップ)を共著者に見せたんです。そしたら、これが意外にも好評。実際、出版社の方で「ここまでイメージ押し付けられても…」と困られてしまうかもしれませんが、方向性としては「コレで行こう!!」ということになり、段々、“我が子”の顔かたちが見えて来たようで嬉しいです。 こんなとき、絵画や編集、デザインなど、様々な世界に足を突っ込んでおいてよかったなぁ、などとしみじみ感じたりしますけど。さぁ、目下朱入れと推敲に取組中。今週は勝負時ぞ!!(了)
2007/03/13
コメント(0)
![]()
ところで、スーパー・ナチュラルの話題が続いていますが、先にアップした『12話 取り引き』(原題“Faith”)のエピソードは、実は我々カウンセリングの仕事をする立場の者にとっては、非常に奥の深い話なんですね。 さらにその前に書評で採り上げた、鬼塚 五十一 、 白井 一男 著『サタンよ去れ!戦慄の悪魔ばらい(エクソシズム)―人間にとりついた悪魔との恐怖の対決』(学研)という本の後半には、心理学分野への心霊学の台頭について、警鐘も込めて言及していますが、カウンセリング含め、心の問題を扱う場合、オカルティズムとはしっかり分別しておかなくてはなりません。たとえ、心霊学やオカルティズムの中に、癒しの奇跡や要素があったとしても、です。 スーパー・ナチュラル12話では、まさに癒しとオカルトを融合してしまった人間の弱さ(人間の力を信じる心、つまりFaithの弱さ)が、オカルティズムの介入を呼び込んだ象徴的なエピソードだと思うのです。 信仰、神、そして神秘。昨今、これらはともすればいっしょくたに“スピリチュアル”と呼ばれ、何の抵抗もなしに受け入れられていますが、こと心の問題に携わる立場の者は、よくわきまえた上で、しかるべき時には、メンタル・ケアの名の下に、スピリチュアリティとの統合を慎重に行わなければならないと考えています。(了)スピリチュアル・ケアの生き方
2007/03/13
コメント(0)
![]()
12話のリビューが長くなりましたので、13話はもう一本に分けてご紹介。さて、こちらのエピソードも一味違うのですが、むしろ「オトナのスパナチュ」と言った方が正しいでしょうか。これまた深いですよ。 兄ディーンの携帯に、かつての恋人からの連絡が。「え?兄貴、恋人いたの?」「あぁ」「でも何でいきなり電話が?しかも仕事の話?」「仕事のことでしかもうかかってこない」「ってことは兄貴、あれだけ僕には釘を刺しておきながら、自分はぺらぺら、悪霊狩りのこと、彼女に話してたんだ!!ひどいなぁ」「いいから、とにかく彼女のトコへ行こう」…ってなやりとりがあって向かった先では、かつての恋人キャシーが待っていた。「父が殺されたの。他に車輪の跡がないから、自動車事故だって警察はとりあってくれないけれど、車体を見たらどうみても事故じゃないわ」。ここで、また一味違うんです。人種問題が絡んできます。アメリカの人種問題は、研究室時代のテーマでしたが、このキャシーは、父親がアフリカン・アメリカンつまり黒人、母親が白人。今でこそそれなりに平等になってきています(問題そのものは決して解決していませんが)が、キャシーを生んだこの医人種カップルが出来上がった時代は、黒人差別真っ只中。まして、白人の旧家があたりを仕切っている街という設定。 さらに続いて、またも黒人がキャシーの父と同じ原因で事故死。「黒人だから取り上げないの?」と白人市長に詰め寄るキャシーはジャーナリストなんでしょうね。いずれにせよ、「事件を取り上げないのは差別からじゃない。そのことは、キャシー、気味のお母さんが一番知っているはずだ」。意味深な言葉を残す市長。 それを裏付けるように、今度は市長が謎の事故死を遂げる!!彼らを殺すのは人種が基準になっているんじゃない。特殊な、個人的な恨みだ。そして、その正体は、真っ黒で大きな車の霊!!怨念が乗り移った暴走車だった!! 果たして、この暴走車の霊は、何が理由で殺戮を繰り返すのか?その謎解きがまた非常に複雑であり、結構コンシャスであったりもします。アメリカならでは…というコトで。13話は、結構社会派です。 で肝心の“オトナの”という点ですが、お分かりですよね?そう、ディーンが自分の仕事をキャシーに話したのは、愛していたから。そしてまた、立ち去ったのも愛していたから。なんとかヨリを戻させようとするサムのいたずらっぽい表情もまたストーリーにリズムを与えてますね。まぁ、それまで能天気で女好き、ちゃらんぽらんな兄貴だと思っていたのが、実は結構ストイックで、しかも本気で愛した女性がいたなんて知ったら、弟だってちょっとニヤけるでしょう。色んな意味で。 で、スパナチュ、初のラブシーン登場です。なんか、スパナチュっぽくない、恋愛ドラマみたいなシーンが、結構長回しで入ってくるのですが、今まで人間的な深みを感じさせなかった兄ディーンのキャラクターを今後追っていく上では必然的かつ象徴的なシーンではないかと。 さぁ、次回はどんなスーパー・ナチュラルが見れることでしょうか???(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/12
コメント(0)
![]()
スパナチュ。もうこの呼び名が自分の中で定着してしまったことが、すでに超常現象名ワケですが。さて、今日はタイトル、一味違います。だって、内容も一味違うから。 まず12話。これ邦題は『取り引き』となっています。冒頭、いきなり悪霊狩りシーンからスタート。いつものコンビネーションで、無事悪霊から犠牲者を救う兄弟。しかし今日は運が悪かった…。最後の詰めで、自らの体と引き換えに悪霊を倒す兄・ディーンは、強い感電で心臓を傷め、余命いくばくもない体に。「危険な仕事さ、死は怖くない」と嘯く兄を放っておけない弟・サムは、必死に「死の運命」を覆す方法を探す。「だって、僕らにはお手のものだろう」? サムが探し出したのは、神の名の下にどんな病も癒す、奇跡を起こす牧師。みすぼらしいテントには、奇跡を求めて今日も信徒が溢れかえる。仕事柄、こんなオカルトにはうんざりのディーンを引っ張って、テントに入ると、なぜか奇跡の指名を待ちわびる信徒衆の中からディーンが指名される。そして、牧師が手をかざすと、たちまちディーンの病は癒されてしまった。喜ぶサムに、ディーンは「これは奇跡じゃない。俺は、牧師の後ろに死神を見てしまった」。ディーンが奇跡を受けたまさに同じ時刻、一人の青年が変死した。何か関連が? 今度は、重病の老人が癒された同じ時刻、若者が突然死を迎える。「取り引きによって死神の力を借りて、人の命を交換しているんだ。それは、思い上がりだ」。憤りながらも、自らがその奇跡の恩恵に預かってしまった葛藤から、苦悩するディーン。そう、一味違うのは、それまでは、一見チャラチャラしていても、実は自分たちの仕事は孤独で虚無的な感覚を持っていないと続けられないということを自覚しており、ほとんど人間的な部分を見せなかったディーンが、自分の人間性をはじめて覗かせるんです。 次の犠牲者はこの奇跡を詐欺と非難する男。彼を救わなきゃ!!と、間が悪いことに、次の犠牲者と引き換えに奇跡に預かるのは、長年集会に出席し、今か今かと指名を待ち続けてきた脳腫瘍を抱える若い女性。この集会に訪れた日に出会った、けなげな女性だ。犠牲者を救えば彼女の病は癒されない。どうする?苦悩の末、「やはり、人間が死神の力を借りて、人の命を奪ったり与えたりしてはいけない」、そう決意したディーンは苦渋の中で、奇跡を阻む。一方サムは、奇跡を起こすのが黒魔術と突き止め、その魔術を行う魔術師の正体を突き止める。「自分の倫理観に合わない人をターゲットにしてきたのか…」。正体を突き止められた黒魔術師は、次のターゲットをディーンに再設定、死神がディーンに迫る。サムと魔術師の対決の結果は??? 最期に、脳腫瘍を抱えながら軌跡に預かれなかった女性と、ディーンが交わすきわめて人間的な感情は、このエピソードの邦題ではなく、原題から観ると、その味わいが深まります。ちなみに、原題は“Faith”、つまり「信仰/信念」です。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2)
2007/03/12
コメント(0)
![]()
案外続く、スパナチュ(この略語は一体なんなんだ!!)鑑賞レポート。今日は10話と11話をお送りします。 肝試しスポットとして有名な廃屋と化した精神病院。悪戯キッズ達を取り締まりに、今夜も警官二人が見回りに。「こらー!!立ち入り禁止だぞ」。と、その夜まで一緒に仕事をした同僚警官が、帰宅後妻を殺し、自身も銃をくわえて発砲。 過去のニュースから、この精神病院には何かとてつもない怨念や怒りが漂っていると悪霊狩り兄弟は究明。さっそく調査に乗り出せば、いるわいるわ、怨霊のオンパレード。しかし、なぜかこの霊達に攻撃の意思が観られない。なぜ?懲りないバカップルからヒントを得た兄弟は、この病院にまつわる事件に鍵があると知る。そう、ここはかつて、治療の名のもとに人体実験を繰り返して来たマッド・ドクターが、患者らの暴動によって殺された場所だったのだ。そして、霊達は、狂った医者の霊への怒りと、その退治を訴えていたのだ。 別々に、悪霊の出所たる地下の実験室を探す兄・ディーンと弟・サム。しかしサムが、悪霊の力によって憎しみを増幅させられて、ディーンに怒りをぶちまける!!ここでも、兄弟の葛藤がまたもや顔を覗かせます。これ、10話。 ぶつかりながらも結局は旅路を共にする兄弟。しかし、今朝は携帯電話に意外な人物から電話があり、兄弟に動揺が走る。そして、その人物のせいで、兄弟は喧嘩となり、それぞれ別の道を歩むことに。 ただただ、母と、恋人を殺した悪霊の正体を追う父との合流を望む弟・サムは、一人カリフォルニアへ。途上、ショートカットの小粋な女性と意気投合。この11話のタイトルが『出会い』ってのも意味深ですね。 一方、カップルが必ず殺される閉鎖的な山奥の街にたどりつく兄・ディーン。「かかしが人を殺すって?」助けた一組のカップルを襲う“かかし”から命からがら逃走。不気味なリンゴ園の謎を解きに、調べもの専門の弟がそばにいないのを悔やみながら、街の歴史学者に聞き込みに行く。なるほど、塩の散弾銃が効かなかったのも、かかしは異教の神様だったからか。しかし、どうもヘンだ。って、街全体がグルだったのだ!! しかし一体何故?どんな理由で、一組のカップルが生け贄にされるのか?そして、今度は、気のいい街のガソリンスタンドの老夫婦に育てられた少女と自分が、“かかし”のために捧げられようとしている。縛られて絶体絶命。 三日も連絡のない兄が気になって仕方がないサムは、カリフォルニア行きのバスに乗らず、車を盗んで兄のとらわれている街へと向かう。果たして、最強コンビ復活。そして、あのショートカットの女性との出会いの行方は???11話はなんだか重要なエピソードのようですね。先が気になります。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス2(5枚組)
2007/03/11
コメント(0)
一昨日は出版の打ち合わせ。出版社の事情で、若干進行が遅れているようですが、少しずつ形になって来てはいるようです。普段はデザイン事務所と仕事をすることも多いので、いざ自分の本のこととなると、段々とこだわりが出てくるのも当然と言えば当然。それは、本の内容や原稿だけでなく、本の顔である装丁についても同じです。 私は絵心は多少なりともあるつもりですが、装丁となるとまったくの素人。でも、少しでも内容が伝わる、雰囲気の良い装丁はどんなものだろうか、と、様々な資料をあたりつつ、模索したりしています。 最後は装丁家先生に作っていただくので、あくまでこちらで用意するのはイメージだけなのですが、やっぱり全部お任せでは寂しいので、パワーポイントなんぞを駆使して、簡単な大ラフなど作ったりして装丁を想定したりしています。Comming Soon!!『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(近藤裕共著、地湧社より)
2007/03/10
コメント(2)
見出し:悪魔を祓う“仕事人”たちの“実録”。鬼塚 五十一 、 白井 一男 著『サタンよ去れ!戦慄の悪魔ばらい(エクソシズム)―人間にとりついた悪魔との恐怖の対決』(学研) ムー、である。1985年に刊行された本書は、随所に時代性が反映されていて面白い。特に、2000年に悪魔がこの世を支配する、などといった件は、小学生の時にはノストラダムスの予言におののいた私でさえ、少々苦笑いを禁じ得なかった。映画『エクソシスト』が実話を元にした映画であるとした上で、日夜悪魔と闘うエクソシストの活躍をルポルタージュ風にまとめたもので、奇書として読んでも、普通に読んでも、結構面白い。まして、キリスト教の知識があると、案外真面目に読めてしまうのも不思議だ。 後半、心霊学(今で言うならば、コマーシャル的なスピリチュアリティは、当時の心霊学クラスの権威を得ているのであろう)について触れられているが、心理学との当時の距離感が分かって興味深い。また、こうした一見荒唐無稽なテーマを、あくまで真面目に、緊張感たっぷりに、理路整然と読ませるムーのマジックに、改めて頭が下がる。 本書の最後に、「ETたちは地球侵略を開始している!!」などと新刊案内が掲載されているのもご愛嬌だが、同じページに『ルールドの奇跡』なる本が紹介されているのは若干不穏だ。なお、私の著書に登場するルールドは、場所こそ同じだが、オカルティズム的な観点で語ってはいないことは先に述べておきたい。(了)
2007/03/10
コメント(0)
![]()
さぁ、今度はスーパー・ナチュラル、8話と9話のご紹介。先に言いますとね、8話はキツい。正直、キツいです。ともあれ、先に進みましょう。 閑静な郊外の住宅地で、リッチな暮らしを!!とばかりに、そこではディベロッパーによる住宅販売のお披露目パーティが。しかしこの地区、姿の見えない何かによって変死させられる事件が相次いで発生中。一体何が?どんな理由で?手がかりは、常に死体の側に発見される、黄金虫やクモといった昆虫たち。 PRをかねて最初に“入植”したディベロッパーの部下が謎の死を遂げ、事態は深刻に。「父さんはなにも気付いちゃいないんだ」。物静かな少年は、野心家ディベロッパーの父と折り合いが悪く、ダメ息子扱いされているが、学校では自然科学の上級クラスで生態学を勉強している。そして、最近この地区で、虫の数が激増していることを知っていた。 虫を呼び寄せる磁石と化したこの一帯は、かつて先住民が入植者の白人達に追いやられながらも、なんとか暮らしていた土地。突如現れた白人将校達に、6日間にわたる強奪と乱暴にさらされ辱めを受けたこの土地の部族の最後の生き残りは、息を引き取る寸前に「次に白人がこの土地を荒らせば、我々と同じ日数だけの苦しみを味わい皆殺しにされるだろう」と呪いをかけた。 最初の犠牲者から6日目は今晩。少年達が危ない!!時すでに遅し、異様な低音の唸りをあげて、夜空のムコウからは、空をも覆う蟲、蟲、蟲!!いやぁ、蟲、苦手なんですよね、私。このエピソードはパスだったなぁ@8話。 相変わらず悪夢にうなされる弟サム。しかし今朝の夢はちょっと違う。見覚えのある木・・・燃える女性のイメージ。木?どこで?父さんの手帳で見た覚えが!!はたして、サムの見た夢は、幼き日に親子で撮った写真のバックに写っていた木だった!!「兄貴、故郷へ戻ろう!!あの家に、また悪霊が戻って来て、新しい犠牲者が出る!!」。 哀しい過去のゆえに、故郷の家には戻りたくない兄ディーンは、弟の霊感を信じきれないこともあって、帰郷を渋るが、いつになく強気の弟に引っ張られて故郷に戻る。「父さんも戻っているかも知れない」!! かつて住んだ忌まわしい過去を持つ家には、人生の新たなスタートを切ろうとする家族が住んでいた。「おかしなところ?そうね、ちょっと傷んでるのと、ネズミがいることかしら」。それって悪霊だ!! どうしたらこの邪悪な場所から悪霊を追い払えるか。過去の傷が疼いて、いつもの行動力と判断力が目覚めない兄ディーンは、弟に隠れて、家の影でいっこうに返事をしない父の携帯電話に助けを求め、一人泣く。 しかしもちろん父は現れない。父のかつての友人から、あの事件以来父が占いに凝っていたことを知らされ、電話帳で一斉検索。「ミズーリ・・・モズリー」とサム。「ミズーリだって?そりゃ、人の名前だったのか!!てっきり親父の行き先かと思ってた!!サム、ミズーリ・モズリーに会いに行かなきゃ」!! ミズーリ・モズリーに経緯を話せば、一緒に悪霊祓いに協力してくれることに。若干肝っ玉母さん風の占い師には、ディーンも頭が上がらない。さぁ、準備は整った。激しい闘いの勝利には、息子達への愛のゆえに、力強い味方が降臨。その死せる魂を賭して、兄弟を業火で守った!!その味方こそ、サムが知らない母の姿だった。「母さん」。兄弟の涙の向うに母は姿を消して行く。 複雑な想いを抱えながらも、何か、胸のつかえが取れた兄弟は、この事件で気持ちをリセットしてまた旅に向かうが、同じ街に、意外な人物が訪れていた…。というのが8話。 これまた8話がいいですね。兄弟の和解、兄の隠れた繊細さ、弟の新たな力の発現、そして“記憶との再会”。ベタながらも、ちょっと甘酸っぱい仕上がりになってます。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス1
2007/03/09
コメント(6)
今日は出版の打ち合わせがありました。完全にデータ入稿をしたものを、まずは縦組みになおしたプリントを受け取っての打ち合わせ。同じ原稿でも、横組みで見ていたのと、縦組みで見るのとはまた全然違うもの。普段の仕事で慣れてはいましたが、改めて「おおっ」と感動しました。 現状で300ページ・オーバーと判明。目次や見出し、扉を入れると、やっぱり膨らみました。少しシェイプアップしなくてはなりません。来週には装丁作家の決定も行わねば…。 と、ペースに乗るにはもう一山あるのですが、ともあれ、こうして具体的に形になってくると、著者としては何とも言えない充実感があります。『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(近藤裕共著/地湧社より)出版まで、あと少しです。
2007/03/08
コメント(4)
![]()
さて、案外続いているスーパー・ナチュラル鑑賞日記。今回は6話と7話をご紹介。 シーン冒頭、折檻を受ける若い女性。踏み込む警察。その銃の先には意外な人物が!!話は一週間前に戻って、とある街。弟サムは、かつての大学の友人から「兄が殺人を犯して捕まった」とのメールを受ける。励ましたいサムは、兄ディーンを説得して無理やり友人に会いに行く。すると、友人は「兄が殺人を犯したはずはないわ。だって、犯行時刻には、私とここでお酒を飲んでいたのに」。アリバイ工作か、はたまた悪霊の仕業か。判断をつけかねるディーンを尻目に、サムは悪霊の仕業と判断。真相の究明に乗り出す。 果たしてやはり、一度見た相手の姿のみならず、記憶までダウンロードして誰にでもなりすますシェイプシフターの仕業と判明。しかし、二手に分かれて追跡するうちに、兄ディーンが体をのっとられ、サムの前に登場。「お前は兄貴じゃない!!」。ここから事態は錯綜して、サムは、兄の知らなかった苦悩を知ることになるが、兄弟は力を合わせて、この禍々しい悪霊の退治に立ち向かう…というのが6話。 続いて、7話。これは都市伝説を思わせる内容。デート中に、彼氏を殺された少女。彼女が見たのは、車の屋根や標識を引き裂く爪痕と、逆さに吊り上げられた彼氏の最期の姿。 厳格な牧師の娘である少女は、寮生活の仲間が夜遊びに誘うのに少々困っていた。まして、牧師である父はその友達付き合いが許せない。「あたしは大人よ」と告げて父と別れたその夜が明けると、向かいのベッドには少女のルームメイトの無残な姿が。 鉤爪、少女の証言、綿密な記録の分析の結果、兄弟は“フックマン”の霊の仕業と究明。かつて、肉欲の罪を呪って、娼婦を連続殺人した片腕に鉤爪を持つ牧師の怨念が蘇ったのだ。 シチュエーションの類似から、少女の父へのフックマンの憑依を疑い、見張る弟サム。霊を地獄に返すため、名無しの墓場に埋められた殺人牧師の遺骨を焼き払いに向かう兄ディーン。ディーンがすべてことを終えた、同じ時刻、“被疑者”であった少女の父がフックマンの犠牲に!!まだ、フックマンは地獄に帰っちゃいない。焼き残したものとは一体?そして、フックマンを償還しているのは一体誰なのか? とまぁ、こんな具合です。全体的に、ネタやモチーフは入れ替わり立ち代りで飽きさせないのですが、面白みが増してくるのはむしろ、父を探し、悪霊を狩る旅を続けるうちに、兄弟の絆に変化が生れてくること。葛藤、すれ違い、それぞれの秘めた苦悩、そして“同じ遺伝子”を受け入れていく過程。このキャラクターの造形の深まり方が、その後の物語に新たなメリハリを与えてくれることでしょう。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス1
2007/03/08
コメント(0)
過日は恩師の一周忌であった。詳述はしないが、恩師との出会いについては様々な重層的な想いがある。私自身の光と影を作り出す大きく、そして激しい光源であった。今、胸を張ってその目を見つめ返すことができるであろうか。自問。 昨年バルセロナにて再会を果たした、これまた恩人が苦難の日々に直面している。私のルーツを探す旅の鍵を、天国のペテロから一時拝借してきてくれた方が、今、ご自身のルーツを忘却しかけている。今は日本におられるが、面会もままならないのがもどかしい。ただ、ただ祈る。(了)
2007/03/07
コメント(0)
![]()
見出し:17歳という、メモリアルな境界線をはさんで、情報を紡ぐ。松岡 正剛 著『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義 』 (春秋社) 十七歳というのは、とかく大事な年齢らしい。アルチュール・ランボオしかり、尾崎豊しかり、である。私自身に照らし合わせてみると、なんとも不毛でドライな年頃だった(正直十七歳の自分はほとんど記憶にない)が、仮に一般論として十七歳をメモリアルな境界線とするならば、本書を手にとって、老いも若きも、十七歳に戻ってみるに如くはない。 アンダー17であれば、おそらく皆、少しばかり背伸びして世の中を先読みし、己の地平を広げることが出来るであろうし、オーバー17であれば、十七歳以降に貯めこんだ様々な「点」としての経験値(知)を整理しなおし線で結ぶ(本書的にいえば、編集する)、強力な糸となってくれることであろう。 私が松岡正剛の名を知ったのは、案外新しいことで、ちょうど7年ほど前のことであろうか。当時すでにメモリアルな年齢でもなかったが、なぜかそのときは縁(えにし)を感じず、あるいは意図的に接近せずにその名のみ頭の片隅にとどめて時を過ごしてきた。もし十七歳、いや、7年前に、この本に出会うことができていたならば―無論、本書は昨年末に刊行された本であるから、「歴史のもしも」はすでにして成立しないのであるが―、果たして、私の十七歳は、そしてその後の世界の見え方は、今と変わっていたであろうか。(了)17歳のための世界と日本の見方13歳のハローワーク
2007/03/07
コメント(4)
昨日、東京都江東区のティアラこうとうにて行われた、法政大学アカペラサークルBe Bap!春ライブ~a Cappella Joyfully!に、予告なくまたも快筆紳士が現れた。 出会いと別れの季節にふさわしいテーマを、湿っぽくではなく、あたたかく元気に盛り込んだアカペラライブについて快筆紳士は、「改めて“声の力”、“声の伝達力”を思い出させてくれる内容であったよ」と語っている。 どうやら、相変わらずの神出鬼没ぶりゆえに、次の出没場所への移動があったのか、ライブ前半しか聴くことができなかったことを「実に心残りだ」とも述懐している。くわえて、「やはりライブといえば、主に仲間が駆けつけてくれるもの。お誘いいただいた方には挨拶をしたかったが、場の雰囲気を壊すことに遠慮しすぎて、もう一歩社交的になれなかったなぁ。本来は社交をこそ十八番とする男なのに!!意外にも内気なヤツなんだなぁ」と自身について、もどかしい胸の内をこぼしている。(了)
2007/03/07
コメント(2)
![]()
皆さん、スネークマン・ショーってご存知でしょうか。これ、何ですか?ってヤツ。ま、それはともかくです。これ、何ですか?魚の頭。違います。正解は寒ブリの頭。 ではなく、しゃもじ立てです。今どき、炊飯器を買うと、しゃもじ立てが付いてるんですね。知らなかった。で、なんか気になりだしたら気になって、「何かに似てるなぁ」と。で、目とヒレを付けてみたら……あ、魚だ。 忙中閑あり。多忙な毎日ですが、こうしたふとした瞬間のくだらない、悪戯心いや、創造的好奇心こそ、最高の贅沢だなぁ、なんて思ったり。して。(了)これ、なんですか?スネークマンショー
2007/03/06
コメント(4)
![]()
人間にはみな、サディスティックな側面とマゾヒスティックな側面があることでしょう。要は、どちらが、何に対して、どうなると一方に傾くのか、ということかと思いますが、私、“ドS”なんです。 もともと好戦的ではなく、あんまり揉め事とは関わりたくない性質なのですが、ひとたびゆえなく攻撃を受けると、途端に“ドS”が発現します。 あるいは、徹底的に保守的なカタブツなのですが、悪弊や、馴れ合いがうず高く積もっていると、もう無性に肌が粟立ちます。ぞわ~ぁっと。 ずっと保守的に我慢しておいて、旧弊が臨界点に達したときに、革新的ではなく、古典的な方法で、徹底的に破壊し、そこから新たな地平を作り上げていくのが堪らないんです。 その“ドS”状態で破壊したあとが、改悪でないという自信はありませんが、少なくとも壊してから作る。これが気持ちがいいんですね。創造的破壊という言葉は、時に悪用されるので、できれば避けたいですけれど。ともあれ、こうして振り返ってみると、自分って結構サディスティックだなぁ、と最近感じます。(了)チェーザレ(1)チェーザレ(2)
2007/03/05
コメント(2)
![]()
素直になれない記事が続いてますけど、別に本当にへそ曲がりなワケじゃないんです。今日は、劇場との関係。 いや、昨晩ですね、不思議なことが起こりましたよ。そう、『ドリームガールズ』を、夢の中でもう一回観たんです。しかも、冒頭から、エンドロールまで。先に夢で全部観てたら、観なくて済んだ、金返せ…って嘘です、嘘。 やっぱり、単に映画の出来そのものだけでなく、私自身と音楽の関係について、久しぶりに大きなインパクトがあったんでしょうね。 で、また夜泣きしちゃいましたよ。幾つなんだ、一体。まぁ、劇場では涙を見せられなかったので、その代わりに夢の中の劇場で存分に感涙にむせんだワケです。素直になれなくて…ごめん。(了)追)なお、この映画の最大の笑いどころは、白人が“キャディラック”をカバーするシーン。実際は深刻なメッセージが込められているんですけど。【CD】サントラ/ドリームガールズ~デラックス・エディション【DVD付限定盤】<2007/1/31>
2007/03/05
コメント(2)
![]()
さて。なぜここまでどうでもいいような、よくもないようなことを、ダラダラと書いて来たのか。そう、ビヨンセ、惚れました。正味な話、今までビヨンセ、ちょっと無視してました。デスチャ時代から。好きな子にはわざと意地悪する感覚と言うか。素っ気なくしてみたワケですが。でも御免、素直になれなくて…。好きでした。 ま、ホントは私、エフィ役のジェニファー・ハドソンみたいな女性が好きなんですよ。ちょっと個性的で、独特の色気を持っている女性。そして事実、この映画、ビヨンセよりもジェニファー・ハドソンのための映画、って感じでしたし。 でも、大画面でビヨンセを見たら、まぁ、お奇麗。ダイアナよりも、全然歌えるし(歌唱力は評価してましたよ、そりゃ)。それまで、確信犯のつもりが、うっかり本気でB級になっちゃったような映画ばかりに出ていて、「やっぱビヨンセ、違うんだなぁ」と気のないフリに拍車を掛けまくっていましたが、堰、切っちゃいました。 嗚呼、やっぱりこの映画を遠ざけていたのも、何となくこうなることが怖かったのかも。なんてバカだったんだ、今度こそは素直に言うよ…(BGMは、Hi-Fiveって、古い?)って、いや、なれんでしょ。やっぱり。これぞ、乱歩直伝『人でなしの恋』。(了)《送料無料》(サントラ) ドリームガールズ:デラックス・エディション(完全生産限定盤/2CD...*意味もなく、画像まで貼っておく。っと。 ↓
2007/03/04
コメント(0)
![]()
観て来ましたよ、『ドリームガールズ』。久しぶりに私の仕事のルーツに血が沸き立った映画でした。あ、俺やっぱりR&Bが好きなんだな、って。 実はあんまりチェックしてなかったんです、この映画。ま、そのうちDVDで観ようかな、なんて程度で。アカデミー賞での賑わいもそれほど注目してませんでしたし、正直。 一方ではダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスが下敷きになっているとか、そうかと思えば、それは飽くまで観る側のイマジネーションで、実際はそうじゃないとか、そんな曖昧な戦略が姑息な感じがして、どうも…ね。特に、マーヴィン・ゲイ贔屓、アンチ・ダイアナの私としては、なおのことそんな“売り上手”が鼻についてしまって。重なってしまうわけです、黙っていても。 でも、ですよ。疼くんです。サタデーナイト・ライヴ時代のエディ・マーフィを愛する私。モータウン偏愛の私。今の仕事のきっかけとなった音楽ビジネスの物語。 ダメ。抗いきれませんでした。結果として、モロ、“ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス物語”です。ま、パンフには「違う」と書いてありましたけど。その布石なのか、ジェイミー・フォックス演じるカーティスのレーベルがモータウンでないかを匂わせるかのように、モータウンとは関係ないとは言え、実在の当時のスターの名前がガンガン、台詞に飛び出して、虚々実々にしてあるワケですが。この辺りの蘊蓄、書こうと思ってましたけど、パンフに全部書いてあったのでほぼ割愛。 でも、ツッコミは少々。■カーティスのモデルとなったベリー・ゴーディJr.元モータウン社長、ホントにギャンブルでお金作ったのかな?■映画冒頭のコンテストで登場する、“フォートップスくさいテンプテーションズ”(緑のサテンのスーツ、四人組!!)の振り付けは、どう見てもマーヴィンの初期のヒット曲、“Hitchhike”…でしょ?■曲。もう“ソウルの歴史”のいいトコ取り。マーヴィンの“What's Going On”はあからさま、なぜかホウィットニー・ヒューストンなんて、時代背景にしては新しい方の曲っぽいものまで。。。■ジャクソン5もどきのグループ、ホントにデビューして欲しいなぁ。なりきり系アーティストでは一番良かったかも。■あの…なんで、エディ・マーフィ演じるジミーは、ジャッキー・ウィルソンを思わせる柏手ダンスなのに、最後はニット帽にデニムでマーヴィン・ゲイになってしまうのでしょう?しかも、エディ、ジェイミーに怒られてるし。そうでなくてもこぢんまりとしてるし。相変わらず、ヒールは高いし。個人的には、“交差点で交通整理するJBネタ”の物真似をもっとステージアクションに入れて欲しかったなぁ。■しかも、マーヴィンにスライドしたジミー、ステージでストリップするトコまで御本家と同じですけど、あんなお茶目ではなかったハズ。マーヴィンの場合は、止むに止まれぬ強迫観念と、自身のイメージのミスリードと、異様で性(さが)な高揚感ゆえ、だったのですが。この周辺の解釈は、四月刊行の著書『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(近藤裕共著/地湧社より)を参照下さい。テストに出ますから。■映画の舞台のモデルはモータウン、さらにモデルにされた方々もモータウンのアーティスト。モータウンはユニバーサル・ミュージック傘下ですけど、この映画、ソニーから配給されてますねぇ。大丈夫?■ジェイミー・フォックス、いい役者になったなぁ。でも、目が逆三角で、漫画『怪物君』の中のオオカミ男(変身前)みたいなんですよねぇ。 とか、まぁ色々あるわけですが、やはりこの映画が単なるモデル映画にならなかったのは、“ミュージカル仕立て”という演出と編集の妙にあるような気がします(『ジーザス・クライスト・スーパースター』のカール・アンダーソン=ユダ役の時代とは隔世の感あり。ミュージカルが映画になるというより、映画がミュージカル化するかのような重心の倒置!!)。ストーリーはもちろん、キャラクターの設定も編集の妙。日本盤リリース熱烈希望の、やはり音楽ビジネスを描いた映画『The Five Heratbeats』(日本未公開)と一線を画したのは、この辺りのさじ加減かなぁ、と思った次第。ちなみにこの『The Five Heratbeats』もイイ映画ですよ(こちらのモデルはデルズのようですが、テンプテーションズっぽくもあるし…。で、実際同映画でイイ演技していたレオンは、米TVドラマ『The Temptations』で、強烈なデイヴィド・ラフィンのなりきり演技で喜ばせてくれましたけど。レオン、ってもしかして『クールランニング』で有名?)。サントラもすごいし、架空のグループThe Five Heratbeatsのデビュー曲なんか、テンプテーションズの“Get Ready”のリズム&メロディ&コーラス、まんまだし。(つづく)ドリームガールズ デラックス・エディション オリジナル・サウンドトラック(2枚組CD+DVD)*ジェイミーの目が逆三角。カメラの都合で間延びしてしまった…。
2007/03/04
コメント(2)
今年も出足から何かと慌ただしく、昨年よりもさらに、映画を劇場で鑑賞することが出来ていません。一昨年なんか、三月にはすでに二桁くらい観ていたのだけど。ちょっとストレスです。 ところで、今日は気分転換に、朝一で映画を観て来ました。その話は後に譲るとして、パンフレット。まとめ買いしました。 もともと、映画はもちろん、パンフのコレクションにはこだわりがあって、劇場/自宅に関わらず、とにかく観た映画のパンフは必ず、揃えていました。神田の古書店などに行くと、ワゴンセールなどもあって、結構買い貯めてしまったり。時々お宝もありますしね。ここ10年くらいは、パンフの質が高くなっており、単に鑑賞の記念やPRツールとしてではなく、旬な評論家や専門家の記事が読めるので、そこが結構ポイントになってます。 そんなこんなで、部屋の本棚には●百、いや1000冊近い(実数分からず)パンフが・・・。今日は4冊。『パフューム』。匂いフェチには不可欠です。さらに『ドリームガールズ』、『バブルへGO!!』、そして『マリー・アントワネット』。あ、『ゴーストライダー』、買い忘れた・・・。 こうしてパンフを買い貯めするのも、大好きな映画を劇場で鑑賞するチャンスが減っているという不吉な予感のゆえなのかも…。(了)*ワタシ、ゴーストライターはしてませんから。 ↓ゴーストライダー ムービー/ゴーストライダー バストスタチュー
2007/03/04
コメント(0)
![]()
見出し:「カッコ悪さ」を笑い飛ばしてマナーを愉しむ傑作本。『大人たばこ養成講座』(美術出版社) 愛煙家には厳しい時代になった。もっとも、愛煙家、と自認するためには、それだけのマナーを遵守していることが条件になってくるわけだが、電車の中吊り広告でもお馴染みの「大人たばこ養成講座」が一冊の本になった。中吊り広告に不似合いな細々とした文字やイラスト、思わず納得してしまう、ツボを押さえた読ませ方に、密かに気になっていた方も多いかと思う。愛煙家冬の時代に、説教臭くマナーを説くのではなく、むしろ喫煙マナーに着想を得た“人間の心の象徴”を酒脱に笑いとばす傑作本となっている。秀逸な解釈が施されたイラストも楽しい。隅から隅まで熟読して、満載のネタを残さず味わうのが読者の“マナー”かも知れない。(了)大人たばこ養成講座大人たばこ養成講座(2)
2007/03/04
コメント(0)
広大な自然がご馳走。そう、胸を張って言い切れる北海道がうらやましいですね。旭川市街地から約30kmの場所に位置する広大なレジャー施設を総称して「旭川21世紀の森」といい、その中に、旭川市立の21世紀の森と、北海道立の21世紀の森が一緒に存在しています。この旭川21世紀の森は、「自然とのふれあいを通して、遊び、学ぶ、体験型野外活動ゾーン」をテーマとした、まさに、豊かな自然の中に体を投げ出し、おいしい空気を胸いっぱいに吸って、一日かけてノフレッシュできる北海道ならではのレジャー施設です。施設内を流れる米飯川を境に2つの区域に分かれる21世紀の森の中には、大規模なキャンプ場があり、なんと、約400人がキャンプできます。家族や仲間同士で自然に親しむことを目的としたファミリーゾーンをベースにしたこちら旭川市立21世紀の森では、バンガロー、ログハウスはもちろん、醤油樽を利用したユニークなタルハウス(利用期間は5月1日?11月30日まで)が人気です。一方道立は、自然とのふれあいを通して、自然や、森林のもつ機能や役割を学べる森林学習展示館を中心に、自然観察やキャンプのできる施設となっています。また、こちらにある展望台は中鶴根山(678m)山頂にあり、旭川のシンボルでもある大雪山連峰の雄大な景色が楽しめます。大自然の中で汗を流し、森林学習展示館で自然に関する知識を吸収したら、そのあとは‥やっぱり温泉です! 21世紀の森には、施設を利用している人のみ入浴可能な「21世紀の森の湯」があります。雰囲気たっぷりの木造の建物の中に男女別の内湯があり、泉質はアルカリ性、利用温度は42度と、疲れを癒すには最適。神経痛やリウマチ、冷え性などに効果があるようです(シャンプー、石鹸の使用はできません)。厳冬の土地柄、各施設の利用可能期間はつどお問い合わせください。(了)21世紀の森ファミリーゾーン〒078?1274 旭川市東旭川町瑞穂937番地TEL:0166?76?2454北海道立旭川21世紀の森(森林学習館)〒078?1274 旭川市東旭川町瑞穂741番地TEL:0166?76?2001 FAX:0166?76?2001
2007/03/04
コメント(0)
岩井温泉は平安時代の歴史書にもその名が記されているという、山陰地方でも最も古い温泉で、その歴史は1300年にもなります。歴史の古さもさることながら、岩井温泉を語る上で大変興味深く、また欠かせないのは、江戸時代の後期に誕生したとされる奇習“ゆかむり”でしょう。「ヤレヤレで始まる、はじめたところは因州因幡の岩井の温泉ゆかむりの唄だよ…」。こんな唄いだしで始まる音頭に合わせて、手にした柄杓でポッカポッカとお湯をたたいては手拭を乗せた頭からお湯をかぶるこの“ゆかむり”の風習は、少しでも長く温泉の恵みにあずかろうとした昔の人達の知恵が反映しているのかも知れません。(了)
2007/03/04
コメント(2)
![]()
映画『バベル』は賞レースで前哨戦は大盛り上がりするも、日本人の受賞はならず、いきなりクールダウン。バベル、バベル、ってもう。 当ブログにとっては死活問題ですよ、実に。タイトルがタイトルですから。開設当初は、検索してもバベルの塔とか、御本家ボルヘスの『バベルの図書館』関連しか上がってこなかったんですが、最近はちょっと上の方に来てたんです。ま、バベルなんてワードはほかにあんまり使いようがないですからね。もし、あの崩れ去った塔やボルヘスの作品がなかったら、普通に「もしかしてバビル」とお節介(でも便利)な表示が出て、クリックすればバビル二世あたりの情報でも出て来たのでしょうけれど。 で、ここのところは、もう『バベル』と言えば、映画、それも内容よりも賞レースの話題ばかり。ま、間違って当図書館に彷徨っていただき、ちょっとでも記事を読んでいただけたなら、むしろ光栄なのですが、クリックするやココにたどり着き、「ちぇっ、違うか」とスルーされた日には、ちょっと寂しいです。 私の図書館も、ボルヘス先生の図書館も、まして映画も、バベルという意味ではみな二匹目、三匹目のどぜう、模倣の産物でして、一番怒っているのは、オリジナルのオリジナルであるバベルの塔そのものかもしれませんが…。(了)*だからバビルじゃないから。 ↓バビル2世(宇宙衛星731の巻)*ボルヘスの『バベルの図書館』は『伝奇集』に収録。
2007/03/03
コメント(0)
全58件 (58件中 1-50件目)