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ちょっと前のこと。昨年末LOFTで見かけて、かわいいな、と思っていたのがマップトレイ。ただのトレイに非ず、中面がなんとパリの地図になっており、ピューター仕様(かな)のエッフェル塔と凱旋門が、それぞれ定位置に配置されています。 これ、何に使うのかって、まぁ灰皿とか、あるいはエッフェル塔などの突起部を使って、アクセサリー用のトレイにするのですが、単純に飾ってあっても楽しい。 すっかり気になっていたのに、年末の忙しさにかまけて、いつか時間のある時に、と思っていて先日お店を見たら品切れ。痛っ!! で、ネット上でも在庫切れが多かったのですが、実はこの商品、問い合わせたところ、在庫限り、増産の予定もないとのこと。もはやあるだけ…という状況とか。 結果的には駆け込みで、ギリギリ買うことができましたが、ホント、フツーに置いてますが、眺めているだけでも楽しいです。(了)マップトレイ パリ▲カラーはブラックとホワイトの二色です。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/30
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本日書評をアップしまして、とうとうと言うべきか、ようやくと言うべきか、書評カテゴリ200タイトルに王手がかかりました。 すでに記事でも書いているように、このカテゴリに登場した書籍は、一つの書評記事内に数冊をまとめて絡ませながら取り上げたりしているので、200冊はすでに超えていますし、また実際に読んでも書評として取り上げなかった書籍もあり(また当然ブログ開設前には遡及していません)、「書評カテゴリ199件」、という数字は必ずしも書籍数と同じではないのですが、仮にも『バベルの図書館』と名を冠した当ブログ、内心は、やっと200に王手、という心境です。 今後も、やはり主軸は書評関係になってきます。ブログある限り、このカテゴリを大事に、記事を更新していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(了)何のために生き、死ぬの?
2008/01/30
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見出し:熟した柿は、万有引力によって落ちる。中西輝政『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書) 亡国論、憂国論なら、ちょっと敬遠したいところだ。その手の議論や問 題提起をするだけの本なら、数知れずあるし、結局時代性に即した指摘が目新しいだけで、その都度建設的な解決方法を提示しているものは少ないからだ。その点、本書はこうした肩透かしを喰らわせるようなことはない。 本書のタイトルは刺激的で、「あぁ、またか」と思わせてしまうが、このタイトルこそが他の文献と一線を画している所以でもある。つまり、なぜ日本は?ではなく、なぜ国家は衰亡するのか?なのである。 この際、色眼鏡をはずして内容を吟味すれば、まさに、古代ローマ、ギリシャの例を丹念に引きながら、国家といえども、有機物の如く、一定のライフサイクルを免れ得ないことを説いてみせる。国家の衰亡は、やはり必然であり、歴史の論理的法則に違いない。時に、出版当時にはリアルタイムだった、ポスト・バブル崩壊の苦肉のカンフル剤的“改革オンパレード”政権下への懸念がパラレルで記述される点も、今読むと面白い。 では、熟した柿が地に落ちた後、あるいは落ち切る前に、どうするか。そのまま地に落ちるを無力に眺め腐るのを座して待つのか、もぎって齧るのか。 必ず訪れる国家の危機に、他の国はどうだったのか、近代イギリスを追いかけた件は実に興味深いし、グローバリズムにおけるポジショニングの論理を“腕力”だけで作ってしまったアメリカと、中華思想のお膝元・中国の特性に類似点を見つけ、比較して展望するあたりも私には新しかった。 「経済一本槍」への批判、甘えたリベラリズムではない「自由」の解釈、改革と身体感覚の距離など、考え方の近いものも、点的にはあった。 しかし、この衰亡(あえて我が国の、という必要があろうか)に歯止めをかけるのが、やはり武士道的な観念論を越えないところはいかにも惜しい。 ただ、一時の“田沼意次主義の見直し”の風潮には共感できない部分が多かった私としては、松平定信を再評価する本書で、武士道的な理想的知性の復権に期待を寄せて締める点には片目を瞑らねばならないだろう。(了)なぜ国家は衰亡するのか■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/30
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先日、かつてフランスのルルドに同行した仲間から数名、テレビでルルドの特集がやっているとメールをもらって早速チェックした。フジテレビ『NONFIX 信仰と医学の狭間 ルルド』「信仰と医学の狭間ルルド」1/23(水)深夜2:30-3:38という番組で、番組紹介では、「“年間600万もの人々を集める世界有数の聖地がフランス南西部にある。1862年にバチカンから公認された聖地ルルドである。ルルドの泉の水で身体を清め、祈りを捧げると不治の病も癒されるという奇跡が伝えられている。医学では説明不可能な治癒の事例が報告され、 仏教徒やイスラム教徒など宗教を超えて、病や障害からの回復を願って人々が訪れる。”」(公式HPより。関連ページはコチラ)と説明されている。 この比較的新しい聖地の奇跡は、特に病に関する報告が多いため、奇跡の認定については、医療局による厳正な審査と多面的な分析が重ねられる。そして、実際には奇跡と認定されないほう報告の方がはるかに多い。 過日出版社の専務とミーティングをしていて、専務曰く、共著『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)における第1章小生パートは、現在世の中に流通している情報の中で、とりわけ奇跡の泉の沐浴に関しては一番詳細な描写がなされているということだった。 本そのもののコンセプトを、生老病死をホリスティックに扱うということであったが、そのフックとして挿入したルルドの体験記が、それだけの価値があることを知ったことは非常に書き手冥利に尽きることである。(了)何のために生き、死ぬの?
2008/01/28
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悶々、モーン。『ブラック・スネーク・モーン』、観ました。何故って、理由は一つ。サミュエル・ジャクソンがブルースマンを演じるから。 なぜそこの理由一点でこの作品を観たのか。サミュエル・ジャクソンって、多分ミュージシャン役ってやってないんじゃないかなぁ。で、顔と役柄の対応のマッチ度というのがあると思うんですけど、例えばモーガン・フリーマンは、“プリーチャー(牧師)顔”“メンター(指導者、教師など)顔”ですが、“ブルースマン顔”ではない。でも、サミュエル・ジャクソンは、もうドンピシャ、ワケありの“Dirty Old Bluesman”顔なんですよ。だから、彼がブルースマンの役を演る、ときたらこれは観るしかないでしょう。 で話の内容は、過去に傷つく少女・レイ(クリスティーナ・リッチの演技は迫真、女優魂です)と、弟に妻を寝取られたしがない中年男・ラザラス(サミュエル・ジャクソン)が、衝突しながら交流することで癒し合う(というより、過去を受け入れ、当面のそれぞれの道へ向かって一歩を踏み出す)という話なんですが、解釈は多種多様な可能性があり、評価の難しい映画です。 販促上は、本音話題性推しでしょう。少女を、中年男が鎖でつないで更正させる、ってな話。パッケージ的には、ちょっとブラック・スプロイテーション的(ブラック・スプロイテーションの場合は、黒人のヒロインが、ちょっと白人的に描かれるか、もろブラックパワー的な形で描かれます)な構図やタッチ、あるいはロッキンジェリービーンさんのホットロッドな感じ、さらには、70年代ディスコ迷盤のジャケットにでもありそうな少女を鎖で…の絵巻なり。 内容は、ヘビ、いやヘビーです。いや、ヘビでもあるんですけど。アフリカン・アメリカンの中年男性が、保守的で差別的な歴史を持つアメリカ南部で、白人少女を、更正のためとはいえ鎖につなぐ。それも、身持ちが悪いと街で噂の少女だから、相手の性格に関わらず、これは白人の女性と行為を持ったことを疑われても仕方がないことで、人種問題としてはすごくテンションの張った状態に身を置いた主人公の葛藤もまたコンシャスだったりするのです。 また、ブルースは“悪魔の音楽”と呼ばれますが、かつてはこの“悪魔の音楽”でフロアを揺らした男が、ギターを封印し、畑仕事に精を出していたら、退屈といって妻に逃げられた。そして、いままた、傷ついた少女との、逃げ場も、無論逃走もない心の通い合いの中で、己を見つめなおすためにギターを取る…。 やっぱり合うわぁ、サミュエル・ジャクソンとブルース。「黒いヘビがのたくってるぅ~♪」、ってのが、つまりはタイトルにもなっているブルースの曲“Black Snake Moan”なんですけど、この黒いヘビは、つまり象徴。聖書源流から行けば、まず欲望と誘惑、悪魔の象徴、しかも黒いヘビですから。不吉な影でもある。もしくは、いつまでもこの人生にのたくり、横たわるしがらみや運命の象徴。邪まなファロス…。鎖。 話の中身から言うと、もともとラザラスが、妻・ローズと喧嘩別れする冒頭のローズの捨て台詞に出てくる「何度も火傷しそうになったヒーター」。ラザラスは、このヒーターに、悪夢のフラッシュバックに我を忘れて徘徊しそうになるレイを鎖でつないで、“擬似家庭(ホーム)”を作り上げ、やがて送り出すのですが、別れの中で否定的に取り上げられたヒーターが、新たな紐帯を(鎖で!!)編み上げる動かぬ礎石としている。この転換がまた面白い。 あくまでプラトニックな関係、人種を超えた親子のような関係、あるいは同志のような共感しあえる関係を築いていくラザラスとレイにはセクシャルな関係はまったくなく、だからこそ無意識や潜在意識の中で焚きつけられるラザラスの中の“男”が、捨てたギターを再度取るという行動へ放射・噴出する、このマグマのブルース化のプロセスがまた、もろにブルージーなんです。 確かに評価の難しい映画です。メッセージだけでも、話題性だけでも、理解できないし、癒し系ヒューマンドラマだけでもなく、アフリカン・アメリカン映画史(ブラック・ムービー史)、アメリカ南部の今昔事情にも目を配っておいたほうがより誤解なく鑑賞できる。こうした意外に複雑なプロットは、脚本家自身の懊悩の投射でもあったようですが…(監督・脚本のクレイグ・ブリューワーは、“ナイーブなトロイ・ダフィー”、“結果オーライを認めることができない、アップダウンの激しい初期タランティーノ”といった感じもある、しかしストイックで地元愛の強い個性派とお見受けしましたが)。 ただ、もう全編ブルース。映画そのものがブルース。人生そのものがブルースだ、という視点で描かれているから当然ですけど、キャスト、演技、音楽、テーマ。すべてがブルースな映画です。それだけ汲み取れれば、十分お釣りが来る、濃厚ドロップ。 人生、恋愛、仕事に誘惑。間男、駆け落ち、むせび泣き。ひじ鉄打って打たれてへこたれて。悶々モーン!!これぞ、ブルースのエキスです。(了)*ジャスティン・ティンバーレイクの出演は、微妙でした。どうせなら、もっとシーン増やしてあげるとかしないと、逆に彼の起用は誤解されるだろうなぁ。ブラック・スネーク・モーン スペシャル・コレクターズ・エディション(DVD) ◆20%OFF!スネーク・フライト ▲しかし、すっかりヘビ俳優だなぁ、サミュエル・ジャクソン。次はアナコンダシリーズ参入かな…。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/25
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俳優のヒース・レジャーが28歳の若さで亡くなった。原因は今のところドラッグ。デビュー時は、なんだかもう一つパッとしないような、ビジュアルで行くのか演技で行くのか、どっちつかずな売られ方をしていたけれど、『ブロークバック・マウンテン』以降、やっと本領発揮で、演技派としても、また歳の割りに渋いルックスになって、嘱望されていたオーラを破棄し始めたときだっただけに惜しいことです。ドラッグなどに未来を奪われたとすれば、馬鹿馬鹿しいこと。 ところで、ヒース、今年公開予定の『バットマン:ダーク・ナイト』(クリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベール主演)に、なんとジョーカー役として出演が決まっており、すでに撮影に入っていたはず。 ジョーカー役といえば、ティム・バートン版バットマンでのジャック・ニコルソンの怪演の後を受けての、通しシリーズでは二代目ジョーカーを張ることになるわけですが、なにせ、ビギンズ以降のバットマンは、クリスチャン・ベールがもう一つ…。頼みの綱は、監督の、これまたティム・バートンとは違うダークな世界観。 クリストファー・ノーラン監督であるがゆえに、私は『バットマン:ダーク・ナイト』を楽しみにしていたのですが、その宣伝用写真の中で見たヒース演じるジョーカー。 死相が漂っていたんです。だからニュースを知ったときには、なんだか嫌な感じがしました。写真の中のジョーカーは、死神そのもの。一枚の写真からでも、鬼気迫るなりきりぶりが伝わってくるし、どこか、変死したブランドン・リー(父ブルース・リーも変死)演じたクロウと同じ匂いがした…。(了)ヒース・レジャー/ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディションクロウ/飛翔伝説 DTSエディション(スマイルBEST)(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/23
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映画『ルネッサンス』、観ました。構想10年、総製作費23億円のアニメ大作。アヌシー国際アニメーション映画祭(フランス映画祭)2006 長編部門グランプリ受賞作品。主役刑事の声に、新ボンド、ダニエル“肉団子”クレイグってのも話題になりました。 とにかくスゴイ。久しぶりにぶっ飛びました。全編CGアニメながら、近未来ハードボイルドタッチ・フィルムノワール(長っ)。格好イイんですよ、とにかく。 モーション・キャプチャーで入念に掬い上げたキャラクターの動きに関する膨大なデータが、丹念に、丁寧に扱われていると一目で分かります。 ストーリーそのものはありきたり。遺伝子研究、女性研究員の誘拐、悩みを抱える刑事…。なぜ女性研究員は誘拐されたのか?彼女が抱える秘密とは?と、近未来モノでは定番的な設定と筋立てで、昔流行ったゲームブックみたいなシナリオ(このニュアンス、伝わるかでしょうか)。そうですねぇ、寺沢武一先生や、大友克洋先生が先取りした世界観に、ブレードランナーの舞台を持ってきて、そこに、それこそ昔マックで出ていたCGバリバリのスタイリッシュなゲーム「ガジェット」を嵌め込んだような、そんな感じもあります。 使い古されたテーマながら、逆に普遍的だからこそ、ストーリーがこの実験的な映像を邪魔しないんですね。これはむしろ映像が、シンプルなストーリーに説得力と深さを与えていくような、そんな作品です。 とにかく、フィルム・ノワールですから、モノクロなんですけど、未来のパリや、そこに生きる人々にかかる陰影が、ものすごく寡黙でいて饒舌。語りすぎずに、物語る。そして、一番のストーリーテラーは、登場人物の目の動き。これがすごい。目の動きも、実際に本物の眼球の動きをスキャンしたものから創っているのですが、この目の表情が、作中印象的に使われます。 この作品は文字通り、アニメを通じた“銀幕のルネッサンス”。それほどまでに、懐かしく、滑らかで、ほろ苦くて甘美。この倒錯、転倒をぜひとも体験していただきたいです。 あまり書くとネタバレになってしまいますが、2054年のパリでは、エッフェル塔も健在でしたが、生老病死の問題も相変わらず人類にとって公平で残酷な存在でした。しかし、「死のない生は無意味」(作中台詞より)。お返しに、「人は死ぬために生きているが、同時に命一杯生きるために死ぬのだ」(共著拙文より)という一文を送りたいです。(了)【送料無料選択可!】ルネッサンス / アニメ■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/21
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桜は、散り際は美しいけれど、咲いている間はどこか猥雑な感じがして、あまり好きになれない。私は二十年来、断然“梅派”である。 先週は、いつもの通い路の梅が、枝の先の方からすでに咲き始めていた。梅は、花も可憐だが、鈴なりの蕾みもまた雪の舞うように夢幻めいて美しい。 この週末、これはまた別の場所でだが、梅の木と遭遇した。こちらは三分咲きといったところだが、強い海風を避けてたくさんの蕾みを付けていた。携帯電話のカメラで写真を撮ろうと歩み寄ると、意識が散って鼻が利かない。その馥郁とした香りを嗅がせてくれないのだ。これはうっかりしたことだ、と、携帯電話を閉じて満腔に梅の香を吸い込むと、頭の内側にびっしりと梅のエッセンスが結露する。 挨拶を終え、礼を尽くして改めて、特別に寒い日の梅を景色から切り取った。(了) ■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/21
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絵馬を見ると受験のシーズンだな、と思います。実は私、受験の思い出がほとんどない。強いて言えば、大学から大学院に進むとき、まったく違う大学の大学院、それも違う学部を独学で受験して、受かったけれど、冷や冷やモノだった記憶くらいしか…。 受験と言えば、これまた我が弟が登場するのですが、コイツ、当時は笑えなかったでしょうけれど、今になると面白おかしく話しますよ。面白トークに事欠かない(笑)。 エピソードはいくらもあるのですが、受験の日、志望校の門の前で雪でスベったとか、第一志望だけ受かったとか、すごいヤツなのです。 でも一番面白かったのは、どこから入手したのか、エジプトの砂(だったような)を小瓶に持っていて、この小瓶を飛び越えると、願いがかなう、なんて言って飛び越えたは良いが、結果は出なかったという。 でも、結果オーライだから、エジプトの砂もまんざらご利益がなかったワケでもないのかも。 結果はともかく、悔いがないよう燃えることができたか。それが一番大事なこと。受験を控える皆さんには、その瞬間に全力で集中してぶつかって欲しいものです。 同時に、受験が全てではないということも、やがて知るでしょう。世の中が見えてくればくるほど、受験戦争真っ只中にいた私としては、あれは一体なんだったのだろう?という疑問と淡い追憶が募るのです。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/17
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目標を掲げ、脇目もふらずに邁進する人は強く逞しい。『何のために生き、死ぬの?ー意味を探る旅』(地湧社)の共著者である近藤裕氏が、自身89冊目の本を出版された。著述家としては、「100歳で100冊」を、目下至上命題と掲げる氏が、100歳を待たずしてその目標を達成されることはほぼ間違いなさそうである。 タイトルは、そのものズバリ『生涯青春!―定年後の人生を楽しむ10の習慣』(河出書房新社)。これは氏自身、何をおいても、まず一番の座右の銘とする、まさに氏を体現するキーワードが、そのままタイトルになったものだ。氏の年末年始にかけてのスペイン旅行からは、青春謳歌の歌声が聞こえて来そうだ。そのヒントが、本書にあるに違いない。今回の推薦文は、日野原重明先生だそうである。 僭越ながら、個人的には縁浅からぬ日野原先生とは、不思議なことに実はまだ対面したことがないが、年齢が単に数字でしかないことを先頭に立って教えて下さるその活動は、高齢化社会に眉ひそめる日本にとって学ぶことは計り知れない。 さて、ふたたび『生涯青春!―定年後の人生を楽しむ10の習慣』である。生涯青春を貫きたい方は是非手に取ってみてはいかがだろうか。(了)生涯青春!■著書です:何のために生き、死ぬの? 意味を探る旅。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/16
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昨年末でしたか。サイフの話、書きました。そう、“マネークリップ&小銭はジャラっとポケット”ってスタイルが長かった私としては、フェリージのマネークリップが傷んだのを境に、今度こそはマネークリップからサイフ派に転向し、貴重品周りを集約しよう!!と誓ったにもかかわらず、結局スリムタイプのお札入れと、10年近く使って来たカード専用のサイフの併用から抜け出せなかったのです。 折りも折り、それはそうとて、とにかくカード専用サイフ、これはこれでもうかなり傷んでまして、普段は持ち歩かないからなんとかこの長い年月を持ち堪えてきたようなもの。 ところで、年始にサイフを変えると金運が上がる、なんて話、ありませんでしたっけ?だからというワケではないのですが、思い立ったら気にかかる。チャンスを見つけてはお店やネットでバシッと来るものを探していましたが、なかなかないんですね。これだけ長く使って来たものを変えるのですから、使い始めてすぐにしっくり来ないとなんかヘンだ。 で、気がついた。あ、どうせサイフの小銭入れ、使わないんだ。だったら、小銭入れなしのものから選べば、サイフで膨らみたくない私のお目当てが見つかるはず。 とかなんとか言いながら、探すこと数日、何のことはない、やっぱりフェリージに回帰してしまった。うーん、これも縁なのでしょうか…。でも、結果的にはイメージ通りだったので、これまた春から縁起がイイのでありました。 そして、この場を借りて、私の二十代を支えた盟友に、そっと「お疲れさま」と言いたいです。(了)フェリージ二ツ折ラウンドファスナー(小銭入れなし)◇【623/1A:ブラック】*写真は歴戦の古兵。そのテカリ具合が、容赦なくこちらを睨み付けております。買った当時は、とにかくカラーの妙に一目惚れしたものです。マスターピース GROW OLD キャメル▲今にして思えば、きっとコレの昔のモデルだったのでしょう。
2008/01/16
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その昔、アナログレコードのカタログが、一斉にCDに乗り換えした時、一番儲かったのは…もちろん、レコード会社ですよね。乗り換え特需。すでにレコードであるものを、単にCDに置き換えるだけで、あら不思議、二度美味しいワケです。 さてさて、AV機器関連の技術の進歩もまたとんでもないスピードですね。メーカー向けの、プロダクトサイクルを長くする機械を開発したら、その企業、成長しますよ(笑)。 とはいえ、必要は発明の母と申しまして(え?小咄?)、ニーズがあるから新しい製品が開発される。あるいは、開発して消費されてみないと、技術は進歩しない。ここ、双方の共犯関係。 これは冗談ではなくて技術史上、テクノロジーが見せ物や嗜み、趣味の世界から、産業社会の担い手になった瞬間から、このイタチごっこは始まっているワケでして、こうしてそれらのモノに縛られずには生活できない我々は、ただただ「時代に乗り遅れてはならない」という強迫観念の中、否応なく新しモノに手を伸ばしてしまうのです。 で、Blu-rayとHD DVD?正直、どっちでもイイ。イイ加減がちょうど良く、いい加減にして欲しい、というのが一方の本音。ただこれまで、中よりは上で、という現代型ハイソをマス・ターゲットとしてきた業界が、あまりにこのターゲットに対して必要十分なパフォーマンスを持つ製品を矢継ぎ早にリリースして来たここ数年、果たしてBlu-rayという新しいフォーマットが、同じターゲットにピタリと当てはまるか、これは疑問です。 当然、私は静観です。(了)ポイント3倍☆送料無料 HDD搭載ブルーレイディスクレコーダSONY 「Blu-ray Discレコーダー」 BDZ-T50(HDD :250GB■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/16
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人間の宿命、宿星というものは因果なもので、荒木飛呂彦先生の作中の言を借りるならば、我々は眠れる運命の奴隷なのかも知れない…。 ともあれ、私は生まれついての逆転の星の下に生まれているらしいのです。当たるも八卦、当たらぬも八卦。ただ、なんか占いたくなるオーラが出ているようで、好き者や専門家によって、これまで幾度となく、東西の占いやら数秘術やら、なにやらかにやら、この私の運命は赤裸々に暴かれてきたワケですが、どうも、常にギリギリのところで大逆転をかます、強力な尻尾を持っているんだとか。正義の毒針…ね。 確かに、今まで色んなことありました。大人になる、成長する、ということは、常に抜き差しならない状況に身を置くことであり、その克服なのかも知れませんが、不思議と比較的ヘビーな窮地に立たされ、あわや一敗地にまみれるかと思われる矢先、不思議とそれを切り抜け、さらに願ってもない優位に形成逆転してきたことばかりなんですね。 ホントは、ピンチもない代わりに穏やかな人生が望ましいです。こんなこと書くと、嘘言え、とか無頼を気取るな、とか言われそうですが、私はギャンブルもしないし、本当に波瀾万丈とは無縁の生き方こそが最高だと思っていますから。ピンチって、ラクじゃないです。 まぁ、それでも大逆転が常に宿命づけられているから、難にある時には意識しませんけど、後になって、あぁ、また助かった。追い風が吹いた、とお星様見上げて感慨に耽るのです(笑)。 偶然教習所で同室になった霊媒師の方(どういう縁なんだ)も、「強力な守護霊がついているから、これはちょっとやそっとではやられないねぇ」と仰っていました。 大逆転上等。ピンチが大きければ大きいほど、収穫も大きいのです。いやぁ、素晴らしいなぁ、人生は…って、ただしピンチにならないと発動しないんだ、この“スタンド”!!(了)【新刊】 STEEL BALL RUN [スティール・ボール・ラン](1-14巻 続巻)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/16
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見出し:『ザ・シークレット』の秘密。1: ロンダ・バーン著、山川紘矢・山川亜希子・佐野美代子訳『ザ・シークレット』(角川書店)2:カレン・ケリー著、早野依子訳『ザ・シークレットの真実』(PHP研究所) 『ザ・シークレット』(以下1)。世界的ベストセラーだそうである。この休みに書店で手にとったのは、訳者のファンだからである。既に、あらゆるメディアにおいて毀誉褒貶の渦中にある本書に、仮にも目を通すのであれば、その反証本たる『ザ・シークレットの真実』(以下2)も併読せねば公平さを欠く。事実、“ザ・シークレット=秘密”は、この二冊をもって一つのメッセージを発信しており、そのいずれのスタンスを選ぶかは読者の主体性に委ねられているというべきかも知れない。 1に関して厳密に言えば、まずこれは所謂スピリチュアル本ではない。スピリットではなくマインドに訴えかけるモチベーショナルな内容で、大抵の読者なら、私と同じように、2を読むまでもなく、それほど新しいことが書いてあることではないことに気づくだろう。確かに、深く読めば思考や考察の幅は広がりそうだが、サラリと読ませるように書かれた本であり、だからまた、スヒリチュアルについて感覚するだけの情報も見当たらない。暗示的に読み進むうちに“その気”にさせるシンプルな仕掛けだ。思い切って、もっとオカルトに寄れば、それはまたそれで、新しさがあったはずだが、無論そういうつもりは著者にはないし、畑違いでもある。本書を貫くのはただ一つ、「念ずれば、かなう」(「引き寄せの法則」と呼ばれている)ということである。この昔から言い古されてきた根性論を、巧みなマーケティング戦略(個人的には、造本の巧みさや、それこそ『ダ・ヴィンチ・コード』の聖杯の謎解きでもしでかしそうな装丁といった、出版マーケティングの妙に唸らされた)とメディアミックスの魔法で、ちょっとした“秘密”、それも、誰にでも開かれているが、基本的にはそれを求める人へのダイレクトに響くメッセージ(そう、あたかもVIP会員向けの案内状のようだ)のように仕立てているところに、“秘密の秘密”たる所以があるのだ。 2に盛り込まれる批判が本質的なのは、1で述べられたポジティヴィティが、現実世界では激しく矛盾すること、また1が暗に引用する諸宗教の教義に反して、利己的なモチベーション開発を促進していること、そしてさらには、1で、古今の成功者・偉人たちがあたかもみなこの“秘密”を秘かに使ってきたかのようなイメージを打ち出しているが、これらはまったく根拠のない援用、言葉尻を捉まえての独断的解釈であり、捏造であることを比較的丁寧(この種の本にしては、であるが)に証明して見せている点である。ふたたびどちらのスタンスを採るかは読者次第であるが、両著者に私も加えた三者の意見の共通するところは、「ポジティブに考えることは、悪いことではない」ということ(2の著者と私は、「ただし、ポジティブなだけでは健全ではない」という意見を共有するに違いない)。 さて、スピリチュアルという言葉は、そろそろ一括りではなく、さらに分化して理解されてゆく時代にすでに突入している、と個人的には感じている。大衆社会論や歴史的に見ると、洋の東西を問わず、スピリチュアリズムが十把ひとからげにされて手放しで称揚される時代というのは、社会不安の強い時期であり、しかもその直後には、必ずスピリチュアル批判がヒステリックに展開され、やがてさらなる物質至上主義社会がやってきて、社会が殺伐とする。精神主義への強力な反発、反動である。 ちなみに、私が共著『何のために生き、死ぬの?―意味を探る旅』(地湧社)で述べたスピリチュアリズムとは、より包括的で、かつ人間を構成する要素の一つとして考えられたものであった。つまりは、学力や、知識、経験だけではないインテリジェンス、つまりは知性であり、少し前に流行った言い方をすれば、品格にあたるようなものであった。これは、スピリチュアリティが神秘主義にいたる前段階のスピリチュアリティと呼ぶべきものかもしれない。私は、一気に神秘主義へと飛躍してしまうのは、2の著者と同じように、“神秘的なるものからの大きな裏切りへの逆恨み”を人々の心身に刻み付けることになるのではないかと危惧している。そうでなくとも、神秘主義が、閉じこもりと逃避のシェルターへと安易に手段化されてしまう危険性もある。さらに、人間という弱い存在は、メッセージを己の都合よく曲解してしまうものだ。スピリチュリティが利己的な自己実現のツールとして喝采を浴びるとき、そこに潜む危険信号を看過してはならないだろう(その意味で1は、スピリチュアリティの理解を、世界的には数年遅らせてしまう本かもしれない)。 インテリジェントなスピリチュアリズムを経て、さらに神秘的な世界を求めるものには、よりクリアな精神世界へのチャンネルが開かれるのではないだろうか。(了)ザ・シークレットの真実ザ・シークレットの真実何のために生き、死ぬの?
2008/01/15
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で、続き。昨日は古くなった自宅の小物を一新しようと出かけたワケですが、台所や洗面所など、特に水周りのものは数年使うと傷んでしまうもの。昨日思わず手に取ったのが、ティッシュケース。その名もティッシュケースBar。 色使いがビビッド過ぎずお洒落だし、これ、見かけによらず重いんです。そこが決めてでしょうか。とにかく、ティッシュはサッと引き出しますから、箱(あるいはそれを押さえるケース)そのものに重みがないと、ティッシュと一緒に箱が持ち上がっちゃう。最近よくある、ハーフサイズのティッシュペーパーの箱なんか、すぐに持ち上がっちゃう(笑)。で、横着だから、箱振り落とそうとすると、余計に中身が出てきたり。 ということで、重い、重いこのティッシュケース、イイんですよ。カラーバリエーションも豊富なので、自分の好みやインテリアと合わせて使えるし。 ちなみに洗面所で使う私は、グリーンを選びました。濃色だと、石鹸やシェービングフォーム、歯磨き粉などの汚れが目立つし、水垢も目立つ。ブルー系だと、ちょっと銭湯みたいで、使う場所に合わないし。でも、リビングや自分の仕事部屋で使うなら、ダークな色合いのものもいいですよね。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/15
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昨日のこと。街を散歩していて、ふとカフェで一服しようとしたところ、隣には小学生高学年~中学生と思しき少年が二人、なにやら話しこんでいます。 耳を欹(そばだ)てるってのも野暮ですが、聞こえてくるから仕方がない。ゲームの話、ケータイの話。で、そんな他愛のない会話の中に出てきたのです、カラオケの話が。 少年A曰く、「○○の曲、超イイんだよ。で、昨日カラオケに行ったんだけどさ、キーが高くて苦しかったんだ…」。フムフム。と、そのとき!! 「俺、多分変声期なんだと思う。」 え?一瞬耳を疑いましたけど。この冷静な分析。しかも自身を客観視する大人びた発言。お前は声楽志望か!?とツッコミを入れそうになる自分を抑えながらも、なんとも微笑ましい光景でした。うーん、自分の同じ年頃はもっと牧歌的で幼かった様な気が…。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/15
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ようやく、ですよ。愛弟のブログが蘇生しました(笑)。というか笑うに笑えん。半年に一回程度、生存表明的に更新していましたけど、しばらく本当に死に体でした。ところが、年明けてから、いきなり更新し始めてる。本人曰く、毎日更新!!と思うと気が重いので、気楽に、自然体にやるとのこと。そう言ってる時点でリスクヘッジしてるような、すでにプレッシャーに感じているような、ですが、当ブログをご覧に下さる皆様、どうぞ弟のブログにも遊びに行ってあげてみて下さい。コメントなどいただけると、きっと泣いて喜びますので。プライベートでは世話の焼ける弟です。仕事では逆かも…ですが。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/14
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久しぶりに定点観測。一年前の1月12日の記事は…「 “ユウリョウ”のハードル。」でした。「ユウリョウって言葉、実にハードルが高いですよ。有料=優良であることは、薄利多売の大量消費社会にあっては稀ですから。」 なんてことが書いてありますね。ちなみに前後数日以内で何を書いていたか見てみると、ありました。濃厚なのが。 まず、本物の城が売ってる!!なんて記事。ちなみにこの城、まだ売ってるんですね(汗)。あと一個です、って書いてありますけど、そりゃそうだ…。入荷待ち、なんて書いてあったら吃驚でしょ。 それから大きなところでは、ジェイムズ・ブラウンの追悼日記、書いてますね。ヘンなところでは、味付き歯磨きペーストについて、かなり熱いトーンで、複数の日記書いてます。そうそう、ラ・フランス味のクリアクリーン、ハマって、まとめ買いしてたなぁ。 とまぁ、時々定点観測記事を書くのですが、今回は自身で振り返って結構面白かったです。(了) ■■■■■川内戦国村■■■■■■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/12
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見出し:綿密な調査があぶり出す原題の標準家庭。岩村暢子著『普通の家族がいちばん怖い!-徹底調査!破滅する日本の食卓』(新潮社) クリスマスの過ごし方と、お正月の過ごし方を対象に、著者(の属する企業の調査室)の豊富な経験と、徹底的な科学的調査手法にこだわったデータおよび分析結果の労作である。 そこに浮かび上がってきたのは、「子供のため」と称して、「私」の「ノリ」のコントロールの下、「私が楽しむ」ためクリスマスというイベントに労を惜しまない「私たち」と、あたかも「客」のように実家に遊びに行き、日本古来の伝統は守りたいとしながらあくまで作業には参加せず、「親」や旧世代に属する「親戚」の御節料理を座して食し、あるいは自宅ではばらばらな時間帯に起き出して、お屠蘇代わりのコーラで乾杯する「私たち」の姿。あまつさえ、お正月には「私たち」が盛り上がれるツールが不足している、手がかかって「私たち」が楽しめないお正月は、実家任せでのんびり休養するバケーションと割り切る。この主語、「私たち」とは、本書で調査対象になった日本の、主に30代~50代の主婦である。 もって、食卓不在を指摘し、普通の家族の意識が一連の社会問題の原因となるのではないか、と結んでいる。 まず、私はこの本を読んで、「どこに普通の家族が出てくるのだろう」という疑問が絶えなかった。もちろん、意図する結果を誘引するために調査対象を操作することはないと断られているし、事実そうだろう。しかし、少なくとも、ここに挙げられた「私たち」は普通じゃない。さらに言えば、こうした「普通とはいえない普通の家庭」が、社会問題に直結すると最後に簡単に結ばれるところは、やや安直な印象を拭えないし、冒頭では本書を憂国論でも社会不安を煽るものでもないと断っているのに、おかしなことである。強いて言えば、コマーシャルな書名とストイックな内容がマッチせず、それがこの労作への懐疑を掻き立てるのかもしれない。 「私たち」は、ヴィジュアルなイベント(=クリスマス)には積極的、で、ヴィジュアルでもなければ盛り上がれもしないイベント(=お正月)は、「他の家庭ではやったのに、ウチではやらなかった、というのではかわいそうだから」渋々、手を煩わせずに形だけ執り行う、という指摘は本質的だが、これまたよく考えれば、エクスポーズする対象が、ここに登場する「普通でない普通の家庭」であるなら(つまり、こうした破滅した家庭が普通でスタンダードならば)、そこまで反応を意識する必要もないのだから、同じ穴で狢が堂々巡りしあっているようなもので、指摘そのものの意義も慎重に見直さなくてはならないだろう。 また、調査とは本来野暮なものである。だからそれを否定することはできないが、人間社会には、データ分析だけでは読み落としてしまう、風流の要素がある。「私たち」の具現化した想いはお粗末かもしれないが、そこには“彼女たちなり”、ではあるにせよ、わが子や伝統への愛情が垣間見えないわけではない。その点にも注目しておくのがよいだろう。 怖いのは家庭だけではない。つまりは、なし崩し的に起こる変化そのものが怖いのである。そして、万物は変化を避けられない。そして、変化しながらも、世界は廻っている。不易流行。私とて、すべての変化を受け入れるものではないが、行為の主体が人間であるならば、主観的・主体的(そう、本書の「私たち」は、自分たちの都合のために主体性を遺憾なく発揮する。ライフスタイルのカスタマイズの御伽噺に囚われているのかもしれない)操作を前提にした変化の力を建設的なベクトルに逃がしてやる方法を提案する姿勢も必要なのではないだろうか。(了)普通の家族がいちばん怖い■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/10
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昨年末、弟に薦められてちょっとハマっていた『戦国無双2 猛将伝』。ときどき、10代の頃に、キャラクターも少ない『信長の野望』や『三国志』で遊んでいた頃、そしてゲームも私たち兄弟も随分と成長してしまったなぁ、と感慨に耽ったり。 ところで、ゲームもさることながら、このソフト、キャラクターの衣装のデザインがすごく奇抜で面白いんです。正統派戦国武将風であるのに、必ず突飛なアクセントがうまくまぶされているんです。そんなことを考えながら、昨年末フラリと実家近くの書店に足を運んだら、あるんですね、キャラクターの『戦国無双2 公式設定資料集』というヤツが。 要するに、キャラクターデザイン集なんですが、イメージラフからデザイナーのコメント、さらにはキャラクターの体格や特徴などが、美麗図版で取り上げられています。残念ながら、猛将伝のキャラクターは完全網羅はされていないのですが、十分に楽しめます。 特に、各キャラクターの武器のデザイン画も収録されていて、これがまたすごいアレンジではあるのですが、随所に歴史的考証が散見され、ちょっとした刀剣カタログのような趣もあって、なかなかに粋なのです。 聞けば、ファンたちはこうした設定集などを使って、コスプレ用の衣装を作ったりするそうですが、確かにこれだけ資料がしっかりしていれば、結構再現性は高くなるのでしょうね。(了)戦国無双2 公式設定資料集【PS2】戦国無双2 TREASURE BOX 日本版■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/09
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公約通り、まずは新春一発目、劇場で『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』、観ました。これ、三作目、狙ってるよなぁ。そんでもって、ディズニーランドにアトラクションでも作るんでしょうか。 今作は、とにかく謎解きよりもアクション。それも、インディ・ジョーンズ直系のアクション。仕掛けに罠、太古の遺跡に黄金の…おっと、それ以上は野暮ですね。 この映画の面白さは、リンカーンという合衆国の英雄の暗殺の謎に絡めたところにあるはずですが、肝心のリンカーン暗殺の謎は解かれません。むしろ、史実でリンカーンが担った政治的影響力と、南北戦争の歴史的意味に絡んだ暗殺に関する謎が描かれるのです。ここは若干肩すかし。 作品本筋に関して言うと、まぁ、キャスティングが前作と変わらないのがまずいいですね。こういう作品は、長続きしてもあまりコケない。特に光ったのが、天才ハッカーでニコラス・ケイジ演じるベン・ゲイツの相棒、ライリーを演じるジャスティン・バーサ。よく見れば結構イイ男なんだけど、ニコラス・ケイジのキャラには負けるか。でも、今回はかなり活躍しますし、役者自身のコメディタッチの演技のテンポや呼吸も良く、かなり高レベルのムードメーカーかと…。粋なはからいで一行を見守る大統領役のブルース・グリーンウッドも良かったなぁ。おそらく、ケネディ・シンドロームみたいなものが生み出した「映画の中の大統領」の一人なのでしょうけれど。 この作品を観て感じたことは、改めて、アメリカ合衆国というものが、大統領というポジションをいかに大切にしているか、信頼しているか、ということと、ワシントン、フランクリン、リンカーン、ルーズベルト、ケネディなど、偉大な業績を残した大統領をヒーロー視しているか、ということ。現実の大統領がどうでも構わないのです。大統領というのは、スーパーマンであり、憧れの対象であり、国のヒーローなのです。国を束ねる統領の中の統領。だからこそ、フィクションの中で好印象で描かれるとき、彼らは同じような俳優に同じような性格を持たせて、正義と真実の人として登場させるのです。これは、現代アメリカが抱えるヒーロー待望論の裏返しのようでもあります。 そして、これはおそらく現実世界でもかなりの程度でいえるのではないかと思いますが、合衆国憲法そのもの、そしてそれが生きている憲法であり、国民の声によって修正され、いまだに育ち続けている憲法である(少なくとも建前上は)、ということへの誇りを感じます。民主主義への誇り。これがときに、排他的かつ独善的な暴力を引き起こすのですが…。 この映画を観て、改めてアメリカ合衆国という、ローカルな歴史を書き換えた上に出来上がった人工国家の特殊性を感じた次第です。 ハーヴェイ・カイテルにエド・ハリス、ジョン・ヴォイド、ヘレン・ミレンが脇を固めるなんて、なんとまぁ渋いというべきか、贅沢な映画です(ところで、ますます最近アンジェリーナ・ジョリーが父親にそっくりになってきたので、なんか、アンジェリーナ・ジョリーが共演してるみたいに見えて仕方がない…)。ダイアン・クルーガー、イイですね。やっぱり。この作品が合ってるんじゃないかなぁ。 これはもう、細かいこと抜きでスコーンっと楽しむ映画です。 ところで私、かなり昔、オカルト系&陰謀説&都市伝説満載の本で読んだように記憶しているのですが、リンカーンとケネディには、奇妙に重なり合う共通点があり、それが伝説化されています。うんちくの宝箱さんがうまくまとめていらっしゃいます。 リンカーン ケネディ 初めて議会選出 1846年 1946年 (100年違い)大統領当選 1860年 1960年 (100年違い)暗殺者の誕生年 1839年 1939年 (100年違い)暗殺された曜日 金曜日 金曜日 撃たれた箇所 頭 頭 撃たれた状況 妻の目の前 妻の目の前 後任大統領 ジョンソン ジョンソン 後任大統領の誕生年 1808年 1908年 (100年違い)秘書の名前 ケネディ リンカーン (同サイトより) ということです。私が読んだ本には、もっと細かい話が載っていたように記憶しているのですが…と思ったらウィキにもあるじゃないですか。そんなに有名な伝説ならオカルトじゃないじゃん!!で、読んでいくと、知らなかったものもあるし、こじつけっぽいなぁ、というものもありますね。そして、やっぱり私が読んだ本には、暗殺者の名前や秘書の名前の符号、それに下記のウィキペディアからの引用文がありましたね。■暗殺された場所 リンカーンはフォード劇場 ケネディはフォード車(フォード社が製造する「リンカーン・コンチネンタル」)の上) この手の話は馬鹿馬鹿しい、なんて思ってしまう反面、やっぱり面白いなぁ。こういう虚実ない交ぜのシーケンスから、『ナショナル・トレジャー』のような映画が生れるわけですしね。(了)ニコラス・ケイジ/ナショナル・トレジャー 特別版■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/07
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見出し:2007年の知の鉱脈を束ねた一冊。原研二著『グロテスクの部屋―人工洞窟と書斎のアナロギア』(作品社) スペクタクルとしての人工洞窟やストゥディオーロ(書斎)という名の洞窟は、しばしば、いやほとんど常にコンセプチュアルであり、発案者や所有者の知性や趣味、センスをお披露目する劇場兼博物館であった。そこに収められるのは、普遍主義に根ざすコレクションであり、これらはディティールまでとどめおいてこそ賞賛に値する。それも、可能なら実物で、無理なら最高の技術を用いて。あるいは騙し絵を用いても。 雑多なようでいて、こと本選びに関しては私は自身のアンテナを強く信じている。昨年末を締めくくる一冊に本書を選んだのはまさに大正解であったのである。 書評に取り上げた知の鉱脈を構成する一冊一冊を挙げることはしないが、それらはすべて、闇、薄暗がり、バロックでシュールで、秘密めいたもの。それらの開示の手法(マニエラ)や欲求。血流、歯車、人体、機械。愛、旅、死、幻想。感覚的なことを理知的に探り、奇なるもの=怪物的なるものを愛撫してきた。振り返れば、これらはすべて、洞窟に隠しておきたいものであり、そして洞窟の暗がりでひっそりと検められればこそ、絢爛たる光の下で華やぎを放つ。 私的な内的世界と呼応する洞窟は、公的世界でかぶる仮面=ペルソナを造型する秘密の工房であり、錬金術の実験室である。 本書に登場する洞窟(その多くは人工洞窟であるが)は、こうした内的世界と外的世界、マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)の秘密を思弁し、感覚し、展示する子宮なのである。ストゥディオーロもまた、洞窟であり、フラスコでありランビキなのであった。 2007年に私が辿った興味関心の旅は、ひとまずこの一冊という目的地を得て、幕を閉じた。実に、我が意を得たりの心境である。(了) 追)人文主義文学の巨人ペトラルカが、書斎に座す知識人のピンナップとなっていたと指摘する件は興味深い。追)スター・ウォーズにおける、ダース・ベイダーのメディテーション・チェンバーは、まさにペルソナを調える小洞窟であった。グロテスクの部屋■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/07
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拙著にも登場しているトニー・ガトリフ。好きなんですよね。さて新春一発目のDVD鑑賞日記はトニー・ガトリフ監督作品『トランシルヴァニア』。『愛より強い旅』を観たとき、もうトニーはこういう作品しか撮らないんだろうなぁ、という気がしていましたが、やっぱり『トランシルヴァニア』も、トニー・ガトリフ節はさらに濃く、深く、象徴的。抽象的と言ってもいいくらいかな。 この自分探しの旅は、一種のヴィジュアル・ドラッグのように、何か呪術的なメディテーションへと引き込んでいくように、ただただ愛を求めての彷徨が続いていきます。 あるいは、ミュージック・ドキュメンタリーのように、この作品では常に、ロマの音楽が、時に扇情的に、時に傷口に塩をもみ込むようにかき鳴らされます。もう、トランスとしか呼べないような状態になってくる(笑)。 いつしか、観る者は、忘我と失意の主人公(アーシア姐さん)我が身を奪われ、重ねていく…。 では、この作品は単にロマン・デュリスをアーシア・アルジェントに置き換えただけの作品か、と言えばそうでもなく、お得意のテーマである自分探しではあっても、むしろ命(新しい息吹)はどこから来て、どこへゆくのかを辿る、そんな流離いなのでした。 「音楽は生きるための力だ。苦しむためじゃない」(作中、憤るロマが語るセリフより)(了)トランシルヴァニア(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/07
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まったくカンケーない話ですが、若かりしマット・デイモン…。誰かに似ているな、と思っていたら、エヴァ・メンデスに似てた。。。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/07
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年末にお伝えしていた、書きこぼしたDVD鑑賞日記がこれ。2007年中にルコント作品を網羅する、という予定で、観るには観たのですが、日記アップまで漕ぎ着けませんでした。 歓楽通り。それが良い場所だったとは思わないけれど、決して悪いだけの場所ではなかった。むしろ、人情に溢れた、一つのコミュニティを形成していたのは間違いないわけです。 1945年には、パリの街から娼館と呼ばれる場所は一掃されてしまうのですが、この街と人間の倫理観の象徴的転換のタイミングの激動の中を、きわめてミクロな世界の中で、これまた激しく燃える純真無垢な恋物語。 娼館で生まれ育ったプチ・ルイの、待ち続けた運命の女性である、これまた運命を待ち続ける娼婦・マリオンへの愛は無償。見返りのない、けれども大きな愛情なのです。 プチ・ルイを演じたパトリック・ティムシットは、カジモドを演じたことがあるようですが、そうとは知らずに観たこの作品、確かに主題は代理恋愛なのですが、コピーにあるような“シラノ・ド・ベルジュラック系”に属する作品ではなく、むしろ“ノートルダム寺院のカジモド・もしくはオペラ座のファントム”といった、捧げ尽くす、という至難の業に愛のみを携えて立ち向かい葛藤する“ガーディアン系”恋愛映画に属するのではないでしょうか。ただし、この作品の個性的なところは、代理恋愛でありながら主人公は完璧に幸福であり、またカジモドやファントムと違い、捧げ尽くすことから外れなかった。 マリオンは歌手を夢見る娼婦なワケですが、彼女がこだわったオーディションシーンおよびホールでの歌唱シーンでのレティシア・カスタの演技は素晴らしいけれど、それにも増して、作品全編に流れる、ひとときの夢の舞台である娼館の最後の灯を煽るようなジャジーな選曲が素晴らしいんです。選曲についてコメントするなんてのも野暮ですが、一言でいえば、欲しいシーンにぴったりの曲が流れる。ありそうで、案外ないものです。まして映像が美しければ、なおさら。 本作、ハッピーエンドではないのですが、プチ・ルイの一途な愛をバックアップする娼館の女性たちの、粋で気っ風のいいこと!!このくだりは本作最高の爽快シーンかも。 それにしてもしかし、ルコント作品は“M男”が主人公の作品が多いですねぇ。“M”といっても、「待つ男」の“M”ですけど。相手は、女性であることもあるし男性であることもあるし、劇的な変化であったりするのですけど。 作中のセリフを借りれば「娼婦が神秘的でなくなった」=街からファンタジーが消えた今、昔日へ捧げるオマージュに溢れた映画です。 突飛と思えるかもしれませんが、ちょっと忍びの世界に通じるような寂寥感がありますね。戦国時代が終わって、人知れず日本各地へと散っていった忍びたちの生き様…。作り手や役者による、居場所を失ったものたちへ放射状の愛が、主人公プチ・ルイの直線状の愛と交錯しあう、そういう映画でした。 ふと思い出しましたけど、こんな映画日本にもあったような…。あ。『寒椿』。(了)歓楽通り(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/07
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今年は、大作系はやっぱり劇場で観たいかな。昨年は劇場に足を運ぶ機会が本当に少なかったですから。と言って何でもかんでも、というワケにもいかないのですが、当面この冬、絶対にハズしたくないのが次の三本。 ■『ナショナルトレジャー リンカーン暗殺者の日記』 ■『スウィーニー・トッド』■『エリザベス:ゴールデン・エイジ』 完全に時系列です(笑)。公開順、ね。『ナショナル・トレジャー』はですね、単純にスコーンと楽しみたい。それに、アメリカがアメリカ史をどうエンタテイメント化するのか、というのは非常に興味があるんです。タブロイド紙やオカルト雑誌めいた陰謀説のようななものを真剣にエンタメ化する一方で、映画の中の話のような陰謀が現実に渦巻いていたりする。そういう虚虚実実の交錯に、アメリカという国の不思議さがあると思うのです。あ、それにあまり笑顔の印象がないダイアン・クルーガーが、このシリーズでは可愛らしいんですよね。これもお目当て。 『スウィーニー・トッド』は、待ちに待ったティム・バートン×ジョニー・デップのダークな御伽噺。ある意味、本当のジョニーが帰ってきたぞ、と。『シザーハンズ』から抜け出せないのもどうかと反省したりしますが、やっぱりティム・バートンの世界観を具現化できる役者はジョニーをおいてほかになく、だからむしろ、ティム・バートンの最高の作品を待ちわびている、という心境でしょうか。悪くはなかったけど、やっぱりユアンじゃないんだよなぁ@『ビッグ・フィッシュ』。ジョニー・デップは、本作品では歌を披露するようですが、ジョニー主演作品でも個人的には上位入りする『クライ・ベイビー』では、ジェイムズ・イントベルドが歌ったロックナンバーを、ジョニーは劇中では口パクしてたんだもんな…。ま、とにかく『リバティーン』と『スリーピー・ホロウ』を『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』で合えたような、ダークだけどスプラッター・オンリーじゃない作品と期待している次第。 で、本命は『エリザベス:ゴールデン・エイジ』。ついに来ましたよ、あのエリザベスの第二作。今回はスペインの無敵艦隊との一戦をスペクタクルに、英国と結婚したというエリザベス一世の王座と人間性の間に挟まっての葛藤が描かれるのではないかと期待しています。前作でエリザベスの恋人を演じたジョセフ・ファインズは、実は個人的にご贔屓の俳優。レイフ・ファインズとは違う路線で、地味ながら濃い演技を続けています(顔も濃い)。そのジョセフ・ファインズに代わって、今回エリザベス=ケイト・ブランシェットの相手をつとめるのが、これまた濃厚顔のクライヴ・オーウェン。ちょっと神経質そう&細面のアーティスティック顔のジョセフ・ファインズから一転、おおらか&マッチョ顔のクライヴへのバトンタッチは上手く行くのか???でも、写真やサイトで見る限り、クライヴ・オーウェンは引き締まって精悍(というか、激ヤセか)、いいフェロモン出してますねぇ。またファンが増えそうですね。 当時ジョセフ・ファインズ絡みというコトで言えば、『恋に落ちたシェイクスピア』か、はたまた『エリザベス』か…とハムレットばりに悩んでいたのです。何をって、グウィネス・パルトロウかケイトか、どちらが素敵か、と。最終的には圧倒的な「思い込み」(笑)で、ケイト・ブランシェットの方が雰囲気があって素敵だなぁ、とケイトに軍配を上げたものですが、それほどに前作での彼女の演技は素晴らしかったんです。王権神授説じゃないですけど、この世のものならざる存在として戴冠される人間=女王の、両界的な佇まいがよく似合っていたんです。 サンチャゴの十字架を掲げる沈まぬ国に肩入れするか、クライヴ“特濃”オーウェン&ケイトを応援するか。ま、歴史ですから結果は決まってるんですけど、そんな高揚した気持ちで公開を待ちたいです。ところで、個人的には前作でスペインからの大使として出演していた、これまた濃厚アクターさん(ただしチョイ役)、今回は出ないんですかね?あのライオンヘアー&黒を基調とした衣装が素敵だったんですけど。。。(了)ティム・バートン×ジョニー・デップ お買い得パック 〈2枚組〉『リバティーン』『スリーピー・ホロウ』『エリザベス ゴールデン・エイジ』サントラ■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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続いて「映画で振り返る2007年」と題して、私自身の2007年を象徴した作品をピックアップしてみます。■『マルコムX』■『スター・ウォーズ EP3 シスの復讐』■『L.A コンフィデンシャル』■『アマデウス』■『処刑人』■『ルパン』 こんなところかなぁ。って、殆どライフタイム・フェイヴァリットじゃないか、というカンジですけど。『L.A コンフィデンシャル』はそうでもないか…。2007年限定になってないなぁ。 ということは、これらの作品に共通するキーワードやテーマが、ある意味私自身の背負うべき十字架なのかも。。。誰でも、自分自身の十字架を持っているワケでして、そんな性(さが)を映画で振り返るというのもまた乙か…と。(了)『マルコムX』『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』『ルパン』■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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『グッド・ウィル・ハンティング』、観ました。今更かよ、という突っ込みは置いておいて…。たびたび書いているように、私は「時」を重視するので、変なことやものに敏感だったりする反面、当たり前のことに疎かったりするのですが、この有名な作品も例に漏れず、思い入れの深い作品だけに、ずっと手元に置いて、その「時」を待っていました。 時は平成十九年…って赤穂浪士の討ち入りじゃないですが、昨年末30日に鑑賞。心を閉ざした天才少年と、妻を失ったセラピスト。大人のエゴイズムと嫌らしさの中で、二人が心を通わすまでの話ですが、昨年『ボーン・アルティメイタム』でマット・デイモンを再評価&イチオシしたので、観たくなったんです。いやしかし、マット・デイモンのお面相の綺麗なこと。もともと演技もできる知的美形俳優だったんですもんね。よっぽど『オーシャンズ~』シリーズのお惚け&イケテナイぶりが頭に染み付いてしまっていたのでしょう。ま、“世界が選ぶセクシーな男性”(でしたっけ)にも選ばれちゃったようですし、その意味では本質は変わっていない&源流はあったのですね。こんなこと書くとファンに叱られそうですが、ベン・アフレックの野暮ったさと、マットの切れ味鋭いシャープなイメージのコントラストが強くて…。ベンはその後も、役者としては野暮ったいけど。 本題に戻ります。脚本も素晴らしく、アカデミーも受賞したこの作品。確かに、いい作品です。ただ、今観ると古い気がしてしまう。“トラウマ推し”全盛期の作品だからかな。それに、ロビン・ウイリアムス演じるセラピストがステレオティピカルだし、茫洋としていて…。結局、トラウマに物語の決着の鍵をすべて背負わせているから、なおさら作品が御伽噺に見えてしまうんです(心の問題というのは、必ずしもトラウマだけが原因ではなし、トラウマに執着するばかりに自家中毒に陥る例もあるからです)。リアリズムだけがすべてではないのですが、あまりに安直に“いい話”に見えてしまう。もしかしたら、私自身が「時」を誤ったのかもしれません。 ただ、癒す人も癒される人も、傷を抱え、弱さやエゴイズムも持っている、つまりは人間でしかない、ということを思い出させてくれる作品です。医者にしろ先生にしろ、歌手にしろ政治家にしろ、そしてセラピストにしろカウンセラーにしろ、神様じゃない。彼らを頼りすがるのは、頼り何かを求める側が、最終的には職業的専門性=ニーズをも満たすものを第一に求めているのだ、ということを忘れてはいけないということです。誰も神様になってはいけないし、神様のように振舞うこともいけない。まして神様と過信し、信じさせることは言語道断なのです。己の分を弁え、倫理に背くことなく、なすべきことをなす。その中ではじめて、心の交流やふれあいが生じるのではないでしょうか。先に、あたかも神様のように慈愛もたっぷりに振舞って職業的専門性をあとまわしにしたならば、きっと、それはいつか己をアイドル=偶像へと変えてしまう、虚しい営みになってしまうことでしょう。気をつけたいものです。(了)グッド・ウィル・ハンティング-旅立ち-◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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新年早々、ある知人から賀状が届いた。職場の人間関係にトラブルを抱えている人だ。この人には、共著者の『「大切な人」の心を離さない本』を贈呈したいと思った。 と同時に、人間関係について、人は神経質になりすぎる嫌いがあるような気がしてならない。見渡せば、人間関係の構築の方法、コミュニケーションスキル向上、上手な自己PRの方法…と手段は数限りなく溢れているが、これらがかえって人間関係を複雑にしているような気がする。そして、これらも結局は、自己の幸福に還元する関係構築の手段でしかない。つまり、誰かを負かして己を利する、幸福幻想の虜の発想を越えない。 人間関係とは、自己中心的なものではないし、自分を“裸の王様”にするために築くものではない。また、小手先の技に頼って自分にとって幸福な関係を手に入れたと思ったそのすぐ刹那、人はふたたび複雑で即興的な関係の大海に放り出されることになる。その繰り返しが常である。 私は、人間関係に“あきらめ”を持ち込むことを薦める。諦めではなく、“明ら目(あきらめ)”である。あきらめは、言葉の本来の意味からいえば明ら目が正しいのであり、明らかな目で状況を見据え趨勢を把握する深い知恵を意味するのである。 確かに、そこには諦念も入り込む点もあろうが、方法論にこだわって泥沼に陥ってしまうよりも、明らかな目で見て関係を整理してことの方がはるかに建設的な場合もある。そうして、明ら目によって清算される関係があっても、今度はまた明らかな目を持つ人々によって、より健全な関係へと引き戻されていく。これが、古来より続いてきたシンプルな人間関係のあり方ではないだろうか。 私は先の知人に、突き放すのではない意味であきらめの理を説き、「人間関係に難しい能書きは要らない。人間関係など天気みたいなもの。いい時もあれば、悪いときもある。暖かい太陽がこの身を焦がすこともあれば、好んだ雨音に憂鬱になることもある」と答えた。誰でも人は嫌われることを恐れるものだが、理不尽な執着は、人を壊してしまう。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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さて、少しずつ昨年末に書きこぼした日記など。まずはDVD鑑賞日記、一発目は『レミーのおいしいレストラン』。まぁ、すごい設定ですよ。格式とスノビズムと政治性とアートが最高度にミックスされたフレンチ・レストランにねずみを活躍させようっていうのですから、荒唐無稽。ストーリーの中でもたびたび言及されますが、レストランにねずみ、というのはもうタブーというか、命取りですから。 これ、ご存知のようにディズニー映画ですが、ねずみが人間をコントロールする(そう、文字通り、帽子の中でねずみが主人公の髪の毛をハンドルに“操る”のです)、というディズニー帝国の野望か自虐が込められているのかな、などと片頬をゆがめつつ鑑賞(笑)。 さすがにアニメーションも美麗です。あそび心も健在(評論家・イーゴの棺桶型、使うタイプライターは髑髏のトロンプ・ルイユ、グストー亡き後のシェフ・スキナーとレミーのターミネーター風のカーチェイス風追跡劇など)。しかし何より素晴らしいのは、料理の楽しさ、素晴らしさが映画全体からこれでもかと伝わってくるところ。カラフルな具や材料の調理は音楽的にテンポよく、またスピーディーに盛られ並べられる料理の数々(ラタトゥーユ!!)は、改めて料理というアートの素晴らしさ、本来持っている楽しさを教えてくれます(ねずみのレミーの様子は、まさにオーケストラの指揮者のごとし、です)。お腹を満たすためだけなら料理はいらない。けれど、そこに技はもちろん、物語や新しい可能性、無限の世界が広がっており、それをして人の心を蕩けさせ、また動かすのだ、ということに気づかせてくれました。 この映画には友情、過去との和解、伝統と革新、恋愛、そして自ら限界を設けてそれに閉じこもることの愚かさなど、さまざなシーケンスが盛り込まれていますが、ともあれ、この「料理の魔法の力」を嗅ぎ、味わうので十分なのではないでしょうか。 奇しくも、子年を迎えるにぴったりな、大人も子供楽しめる作品。こいつは春から縁起が、いやねずみの演技がいいや!!(了)初回仕様!レミーのおいしいレストラン◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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皆様、明けましておめでとうございます。干支も一巡し、新たなる気持ちでお正月を迎えられたことと存じます。今年のテーマは、「自分にとって最優先で大切にすべきものを守る」ことです。あとは、とにかくシンプルに行きますよ、2008年。 さて、昨年末もやりました。恒例のお節作りのお手伝い。そしてやはり今年一発目の日記も、お節コレクション2008、Winter&Spring、なのです。 今年のお正月三が日は二日目が勝負で、この日に一斉に親戚などが集まるため、逆にそれ以外の日は静かなもの。それで若い人はあまりお節も食べないのでは…ということで、お節そのものの分量は少なめで、私自身のお手伝いはそれほどハードなものではありませんでした。 今回もきんとんの芋の裏ごしや淡雪寒や錦卵のための卵黄、卵白の裏漉しが中心でしたが、比較的スムーズでした。ただ、今年のお節で使った卵の種類が例年と違っていたことは記しておきましょう。今年お節で使用した卵は、味は濃厚なれど小振りな卵黄に、たっぷりの卵白、という種類の卵。 したがって、卵黄の裏漉し係りになった人、ラッキーです(笑)。それは冗談として、錦卵を作ったとき、上段の黄身と下段の白身のバランスが少々よろしくなく、●十年来こだわりつづけてきた私としては、「うーん、ちょっと比率が…」と納得のいかない心境。ともあれ、静かに暮れ行く年、裏漉しに万感の思いを込めつつ、新年は一族団結・団欒の中、清新な心で迎えた年を「迎え撃つ」気概で志を新たにした次第です。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/01/03
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