2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全16件 (16件中 1-16件目)
1
先日、実験的に、ある書評について、二本の記事をアップした。これまで、書評記事のタイトルには見出しを充てていた。これは、本の中身に依らず、見出しで記事に興味を持っていただきたい、という個人的なこだわりのゆえに、開設以来励行してきたもので、毎回見出しを考えるのがまた楽しみであった。 ところが、書評記事の件数が増えてくると、過去の書評を読み返したり、遡ったりする際に、見出しをタイトルにしていると、検索性が非常に低くなることにあるときに気がついた。 それでも、なんとか当初の手法のまま記事を更新し続けてきたが、残念ながら、このたび、過去の書評記事および今後更新する書評記事の体裁の統一および修正に取り掛かることにした。 利便性に屈するのはなんとも口惜しいが、これもまた、3年ブログを続けてきたからこそ迫られた決定であり、むしろより読みやすいブログへのバージョン・アップをすべき時が北のだと、前向きに捉えたい。 今後、時間をかけて、過去の記事も修正していくが、大きな変更点としては、■記事タイトルは書名(書名のみ、著者・訳者などは本文に掲載)。■こだわってきた見出しは、本文の冒頭に挿入。 の二点である。これまた手がかかるが、今はこうした地味な作業が案外大事に思える。(了)追)併せて、実験用にアップしたダミー記事は近々削除する。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/31
コメント(2)
![]()
私、以前からフィギュアや海外トイが好きなことを記事にアップしてきましたが、要するにこれらのグッズへの嗜好を支えているのは、一つには造形の良し悪しを愉しむことがあり、しかし最大の要素はやっぱり映画への愛情なんです。 先日、海外トイの造形では年々クオリティを上げ、モチーフ選びのマニアックさにおいても他の追随を許さぬマクファーレン・トイズから、なんと映画『ゴッド・ファーザー』から、あのドン・ビトー・コルレオーネが発売されました。国内流通量も少なかったようで、入手困難だったようですが、順次再入荷があるとかないとか。 いやぁ、箱を開けたときには嬉しかったですねぇ。まさかドンが我が家ににやって来るなんて。『ゴッド・ファーザー』パート1のビトーなので、当然マーロン・ブランドーがモデルなんですが、ちょうどファミリーが厄介ごとを抱え、その新旧世代交代の狭間にいた頃のフィギュアなので、そのせいか若干表情は困り顔(いや、考えすぎでしょうか…)。 さらに彩色ですが、少々赤ら顔で、これもまた、凶弾から一命を取り留めたとはいえ、その後病に倒れる、そんな展開を予想して、やや高血圧気味のカラーリングかと(いや、それも考えすぎでしょう…)。 とまぁ、あらぬ妄想や空想に耽ったりしながら楽しんでいるわけですが、モックの写真の造形があまりに上出来だったので、商品化後の仕上がりについてはやや落差があるような気がしないでもなかったり。 しかしマクファーレン・トイズは、ムービー・マニアックスというシリーズが好評継続中名だけに、ホント渋いセレクションして来るよなぁ。(了)【新入荷しました!】マクファーレン・トイズ 6インチフィギュア THEゴッドファーザー『ドン・ビトー・コルレオーネ』■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/24
コメント(0)
![]()
午後から雨30パーセント。判断が難しい…。荷物が多くて、傘一本を持ち歩くのはちょっと厳しいしなぁ。とまぁ、そんなときに重宝するのが折り畳み傘ですが、これが案外「持っていて楽しい」アイテムが少ない。上等なモノはあっても、重かったり。 私は出張をきっかけに、4年前からこのtotes/ブレラのタイニーを愛用していますが、これ、不意の雨降りにも十分対応できるのは勿論、とにかく小さく折りたためて抜群に軽い。海外旅行でも重宝しました。 UVカット機能もついて晴雨両方OK、しかもデザインのバリエーションも豊富なので、女性の方にもお勧めです。携行しやすさから、母や祖母にもプレゼントしました。こういうのを、“傘は機能+デザイン=楽しいグッズ”の鑑というのでしょうか。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/24
コメント(0)
携帯の不具合から、機種変更をする。そんな記事を何度かアップしていましたが、発売遅延の連続で悪名高きW54SAへ機種変更して二週間。その後について書きます。 なぜこの機種を、待ってまで選んだかといえば、これは携帯電話のスリム化傾向に原因がありまして、まずスリムになると、当然厚味が減る分幅が広くなる。こうなると、男性にしては手の小さい私にとっては、メールの文字が打ちづらい…。さらに言えば、たとえば最薄モデルなどにいたっては、当然削らねばならない機能やスペックが出てきてしまって、これがまたテレビ機能ならまったく問題ないのですが、カメラ機能の性能低下や支払い機能のアンマウントにつながり、非常に不便だったりするのです。 それで、これまでソニー・エリクソン社製一本槍で来ていたところ、機種編時点で、一番スペックの高いものを選んだ結果(もう一つは、インターフェイスが、ソニー・エリクソン社製と非常に近かった)、W54SAへの変更を決意したのでした。 結果として、後付になりますが、コンセプトに従ったデザインは美しく、いまどきの携帯電話にしてはゴツくてホールド感もよく、なかなか気に入っています。ただ、やはり余程の携帯電話マスターでない限りは、ヒイキニしているメーカーの後継機を追うべし、というのが鉄則ですね。もともとW54SAは、諸コマンドに対してのレスポンスにいまひとつスピード感がないという話は聞いていましたが、スペック向上したとはいえ、やっぱり以前使っていた機種のサクサク感とは雲泥の差。それに加えて、同じ機能名でもパフォーマンスが違っていたり、使い慣れるまではあまり手元に置いておきたくなかったりして(苦笑)。う~ん、ハードが季節ごとに多種多様になり、機能面も日進月歩。携帯電話一つ選ぶのもなかなか大変な時代になったものだな、と痛感しています。と同時に、同機継続使用二年縛り、というのは重たいなぁ。(了)*写真のとおり、色使いやデザインは本当に素敵なんですが。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/24
コメント(0)
![]()
見出し:女王の寵愛を冒険した男。櫻井正一郎著『サー・ウォルター・ローリー―植民と黄金』(龍谷叢書) 映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で、前作女王以前のエリザベスが愛したジョセフ・ファインズ演じたレスター伯ダドリーに代わって、女王となったエリザベスの疑似恋愛のお相手となったのがクライヴ・オーウェン演じる、まさに本書の主人公、サー・ウォルター・ローリーである。 本国では非常に人気が高い毀誉褒貶の人、歴史家、詩人、探検家、哲学者、海戦記作者、宮廷人、政治家、兵士、軍将、海賊、船主、交易商、愛国者、化学者、植民企画者、議員、総督、行政官、文人のパトロン、不可知論者、策士にして殉教者として、数々の研究所や関連文献が存在するにも関わらず、日本で入手できる資料は非常に少ない。 映画の中では、様々な肩書きのどれよりも、この帝国の港の先に広がる未知の世界の風と自由の気風を象徴し体現する好漢として人物造形がされたウォルター・ローリーを契機に、16世紀末~17世紀イギリスの政治や宮廷の様子、そして階級制度と植民政策初期の様子が、貴重にして豊富な図版や写真とともに記述される。それは同時に、ウォルター・ローリーの人物伝としては物足りない(本書の主旨には合致しない)ことを意味しており、かの劇中のヒーローの人となりを知るには別のソースを俟たねばならない。 どちらかといえば、歴史の潮流を通じてローリーをあぶり出す本書は、それ故に、生々しく現実的な検証が目立ち、好漢というよりは、当時のイギリスにおいて、宮廷に入り込むこと、あるいは土地を所有するということ、ジェントリー階級から国家の要人として功成り名を遂げることの難しさに、時には敢然と立ち向かい、時には彷徨う脆い一人の男性像が浮かび上がって来る。 一族の存亡が、ローリーのように、あるいは他の先達のように、女王陛下のご機嫌次第となれば、これはまた相当に不安定なものだが、寵愛を一身に受けている頃のローリーの得意が、この不確定要素の影響力の甚大さを物語って余りある。 副題にもある通り、本書はまた、世界が植民地政策に乗り出し始めた頃の様子をよく伝えており、ローリーが歴史の中で演じた先駆者としての功罪を丁寧に追いかけている。植民の指導者・牽引者となる。これは、まさに虎口に入るに等しい。義理人情とはまったく無縁の、ただ黄金郷での一攫千金や略奪を夢見る強欲の輩に、ほとんど保証も確証もないままに「かの地へ参れば、黄金がある」と夢見させて、孤独な航海を続け、また味方のいない土地に導いていくのだから、もしそれが果たされなかったことを想像すれば、並みの勇気でこれをなすこと能わず、である。ローリーの場合、アイルランドおよび南米ギアナの植民に携わったが、特に黄金伝説に関連したギアナ行の場合、金が出なかったことは、植民に同意・賛同した出資者や同行者のみならず、王の期待を裏切ったことで、二重の悲惨があった。 女王の近衛隊長就任や爵位授受など数々の輝かしいハイライトから、寵愛の喪失、新王からの不信、ロンドン塔幽閉、断首という最期、と海の男の浮き沈み人生は、「女王の気分」という不穏な海に立ち向かった冒険家のそれとぴったり重なる。 惜しむらくは、下手な翻訳と見紛うばかりの文章(訳本でないか、何度も確認してしまったほどである)で、これは非常に読みづらい。(了)サー・ウォルター・ローリー■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/23
コメント(0)
![]()
見出し:名訳、というより翻訳という名の翻案を味わう。東 雅夫編、エドガー・アラン・ポオ、ホレス・ウォルポール、小泉八雲、ドモンド・ドウニイ著『ゴシック名訳集成西洋伝奇物語―伝奇ノ匣〈7〉』(学研M文庫) 本書を手に取ったのは、唯一つホレス・ウォルポール「おとらんと城奇譚」を読みたかったからであるが、この作品を読める文献を探していて、他の収録作品もまた興味をそそった(というよりも、何やら一貫した、強固なコンセプトが編者に感じられた)ので、この一冊を手に取った。 しかし、ページを繰って唖然。何しろ、“名訳”にこだわった一冊にて、イギリス源流ゴシック怪奇小説を、その紹介時の薫り高い訳で読ませると言うのだから、これは手強い。古文なのである。したがって、通読するだけで、通常の文献の三倍近くの時間を要してしまった(「開港驚奇 龍動鬼談」!?)。 訳者に挙がっているのは、学匠詩人・日夏耿之介から平井呈一、黒岩涙香らまで。もはや、それらは単に訳文ではなく、訳者が原作を完全に自分の“節”に置き換えた、独立した作品になってしまっている。しかし、テクスト理解ということになれば、訳本を読むことはすでに原典と別のテクストを読むことに他ならず、その意味では、この天下に名の聞こえた大翻訳家達が、“忠実ではあるが、やはり原典とイコールにはならない翻訳”を捨て、最初から創作と意訳の間を取った、それぞれにユニークな翻訳を試み、火花を散らしているところにこの選集の面白さがある。 きわめて古典的な展開を持ちながら、どこか寓話めいた教訓を宿していたり、唐突で荒削りな、しかしそれだけに意外性のある物語力を持つ「おとらんと城奇譚」は、文字通りゴシック小説の王道。期待通りに楽しめた。 個人的に特筆すべきはもう一篇、エドモンド・ドウニ「怪の物」で、これは黒岩涙香による訳だが、まさに涙香節全開の名調子は、他の収録作品とは少々趣きを異にする(SF小説黎明期への匂いと、所謂ゴシック小説の粋が絶妙な、しかしギリギリのところでバランスを取っているのだ)同作品を、ミステリアスでいて、同時にホラーテイストを持った、極上の奇譚に仕上げている。 ギュスターヴ・ドレの版画による挿絵とともにポオの「大鴉」を扉に配する辺りは、編者の思い入れの強さを伺わせるが、少々芝居がかかっていて、わざとらしくもあり、美しくはあるがやり過ぎにも思え、少し陳腐な印象を与えている。 とはいえ、これだけ趣味性が強く、また個性を前面に打ち出したアンソロジーがシリーズ化されるあたり、こうした取り組みには心からエールと賞賛を送りたい。 なお余談だが、古文というのは不思議なもので、500ページ程度の小説集を一冊読んでいると、意外に最後の方は違和感なく読めてしまうのもので、訳者それぞれに表記が不統一でも、あるいは特有の言い回しがされていても、普通に追いかけられるようになる。そして、普段まったく使わないこの忘却された言葉を、日常でも少しなら使用できるようになってしまうから、まこともって今や古文は外国語に近いものだ、という一抹の寂しさとともに、言葉の美しさや楽しさは、その理解の可否や難易という障壁を超えさせてしまうものだと再認識した次第である。(了)ゴシック名訳集成西洋伝奇物語■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/23
コメント(0)
1111。うーん、何ということか、実にキリのいい見事なゾロ目。何のことかと言えば、偶然管理画面で気がついたのですが、なんと今日はブログ開設から1111日目だったようです。しかし、揃いもいいけれど、良くもまぁ1111日も続けてこられたものだ、とちょっと吃驚。 徒然なるままに記事を綴ること3年余、月日の経つのは実にはやいものです。その間にあった、あんなことやこんなことを回想しながら、久しぶりに過去記事を振り返ったり読み返したり。次なる“開設2222日目”を迎えられるよう、更新し続けていきます。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/18
コメント(0)
![]()
最近没頭していたこと、もう一つ。蔵書のデータベース作成。時すでに遅し、やむを得ず処分した本については遡ることはせず、現時点からスタートする蔵書目録を作成しようと思い立ったワケで。 ウインドウズ機では、DVDソフトの普及などもあってか、データベース作成ソフトは結構出ているのですが、マック用でははなかなかイイのが見つからず。ところが、ようやく海外にDelicious Libraryなるソフトを発見。これ、PC本体についているカメラをリーダーにしてバーコードを読み取り、amazonにアクセスしてデータを取得する形式のもの。有料ソフトながら、試しにダウンロードしてみると、心配していたバーコード読み取りが実にスムーズで驚きました。 で、つい片端からバーコードを読み込んではデータを取得…を繰り返しているうちに、気がつけばあっという間に100冊くらいになっていた、と言う…。それくらいサクサク、データベース化できるのですが、ついわれを忘れてしまうので、気をつけねば。 データベース作成のポイントは、購入時に必ずバーコードに通すこと(漏れがないようにするためと、データベース化開始以降の作業が重複&増えないように)と、私はこまめに本棚の並べ替えをする性質なのですが、同じように頭の中でジャンル分けを予めしっかりしておき、シマごとにまとめてデータ化することでしょうか。 まだ着手して間もないですが、なかなか楽しい、そして先が思いやられる作業です。(了)apple新製品!◎Apple MacBook Air 13インチ 1.6GHz Core 2 Duo/2G/80G/micro-DVI/BT■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/17
コメント(0)
これだけブログの更新が空いたのは、実に久しぶりのこと。もしかしたら初めてか…。一寸思い出せないが、いずれにしろそうあることではない。 その間いったい何をしていたか、と言えば、これまた久しぶりに初心に返っていたのである。雑誌にコラムを書いていたのだが、創刊間もない媒体、あるいは自分が初めて書く媒体の記事には、やっぱり独特の緊張感と面白さがある。企画の主旨だけではなく、媒体そのもののトータルイメージやトーン&マナーのようなものは、それぞれ固有で、それを感覚した上で自由に筆を奔らせるのが楽しい。同時に、初心を思い出させてくれる仕事である。 はじめて記事を書くようになったのはもう10年ほど前になるが、とにかくデビュー一発目から名前入りで書いていたので、最初は先輩の記事を精読したり、関連分野の雑誌や資料に没頭して目を通した。 これは、文筆業の、というよりは自分自身のスタイルとして、闇雲に自分のテイストを出したり、独りよがりになるよりは、目に見えない“土俵”そのものをまずしっかり把握した上で存分に暴れたい、そういう意識が強かったからだが、これが意外に没頭してしまうのである。 勉強している、という感じよりもむしろ、誰かの世界に没入してしまうような感覚。下調べと言うよりも、筆跡を味わうのに近く、知らずに愉しくなってしまう。 そんなこんなで、原稿はとっくに脱稿したにも係わらず、しばらく没頭モードから抜け出せずにいたが、やはり一言一句にも鮮度を保っていたいもの。この空白が、当ブログの鮮度も高めてくれるものと信じている。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/17
コメント(0)
![]()
見出し:奇譚で世界をひとめぐり。G・カブレラ=インファンテ・、レイモン・クノー、ナギーブ・マフフーズほか、 若島正編『 エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇 [異色作家短篇集] (異色作家短篇集 20 アンソロジー 世界篇)』(早川書房) 過去の書評でも書いているとおり、私はミステリ小説をあまり読まない。特定の作品を単体として読むことがあっても、ジャンルとして網羅していくような嗜好はない。今回本書を手にしたのは、普段あまり接することがない国の文学作品を読んでみたい、という目的と、純然たるミステリというよりは、奇譚を集めた短編集というコンセプトに食指を動かされたからである。また、レイモン・クノーの実験的作品が採録されている点も決め手となった。本書では、順にエジプト、チェコ、カナダ、ウルグアイ、フランス、ポーランド、イタリア、台湾、ベルギー、スコットランド、キューバ各国の作家が筆比べを繰り広げるわけだが、個人的には南米圏作家には、この本をきっかけに注目したい。 作品からいえば、ロバートソン・デイヴィス「トリニティ・カレッジに逃げた猫」(カ)、アイザック・バシェヴィス・シンガー(ポ)「死んだバイオリン弾き」あたりの怪奇譚、“これぞ大衆短編小説”的痛快さを味わえるジャン・レイ(ベ)「金歯」、壮大で歴史ロマン的要素もあるヨゼフ・シュクヴォレツキー(チ)「奇妙な考古学」、少なくとも私の知る範囲では、きわめて南米文学的なオラシオ・キローガ(ウ)「オレンジ・ブランデーをつくる男たち」あたりがお気に入りだ。 心理描写を軸にした象徴主義的作品であるリー・アン(台)「セクシードール」は、土俗的・呪術的な神秘感と、洗練された透明度の高い官能美で驚かせてくれる。レイモン・クノー(フ)の「トロイの馬」は、まさに不条理な実験小説。アンソロジーとしては唐突な感も。同じ理湯で、タイトルにもなっているG・カブレラ=インファンテ(キ)「エソルド座の怪人」は、スラップスティックな印象が強すぎて、元ネタとなる作品に私の思い入れが強い分だけ、ちょっと悪ノリが過ぎる感じがして、違和感を覚えてしまった。 が同時に、「エソルド座の怪人」などの扱いを見るにつけても、そこには選者の一貫したコンセプトが存在しているのであり、げにアンソロジーというものは、目利きのなせる業にて、余人の考えの及ばぬ別個の目線を必要不可欠とするものなのだと再認識したのである。(了)エソルド座の怪人■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/11
コメント(2)
![]()
共著『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)が、このたび出版社24社からなるヤングアダルト出版会によって、冊子『朝の読書』の青少年版『13歳からの読書 YA(ヤングアダルト)朝の読書2008年度版』に、180冊のうちの1冊として推薦図書に選出されました。 同冊子には「生きる」「知る」「楽しむ」「小説・ファンタジー」「絵本」などのカテゴリがあり、私たちの本は「生きる」のジャンルに掲載されています。 青少年向けの推薦図書、というと少々堅い感じがしますが、若者の文字離れ、活字離れが進む中、本を読むこと、知識を得ること、考えることの楽しさや面白さを再確認するために続けられたこの出版会の活動は非常にコンシャスで、また書き手としては、とにかく面白い、世界が広がった、今は難しくて分からない…なんでもいい。書き手のメッセージに、読者それぞれのリアクションを抱いていただけたら、それに優る喜びはありません。 この冊子を通じて、『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)が、若い読者の方の未来と交歓できましたら幸甚です。(了)*同冊子の趣旨はコチラでチェックできます(ただし2006年度時点)。何のために生き、死ぬの?出版社からの内容紹介異文化コミュニケーション、沖縄ブーム、IT社会、心身の健康、生と死、愛、スピリチュアリティと、多様にして普遍的なテーマに、およそ半世紀分の年齢差のある著者二人が対峙。各章の合間には、心の問題に取り組む二人らしい、ダイアローグを挿入。回答を提示するというよりも、読者に問いかけ、また読者の反応をもって著者二人も自問することで、読み手と書き手のインタラクティビティの喚起を企図した"現代の赤本"的一冊。薦薦文には帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/05
コメント(4)
![]()
東方神起、スゴイ。そんないまさらな話を以前アップしましたけど、個人的にはずっと気になっていた&ジャンル的にもチェックしておかなくてはならなかった韓国R&Bミュージシャン。それが、ピ(Rain)。 CD買おうかな、なんて思ったんですけど、R&Bとはいえ聴きなれた英語圏のアーティストでないことと、とにかくライヴ・パフォーマンスがスゴイという評判が気になっていたことから、ライヴDVDから入門することに。で、こういう場合は、ショーアップされすぎる前の“ファーストもの”をチョイス、がイイんです。 『RAIN'S FIRST LIVE CONCERT』。2005年1月29日、ソウル・オリンピック公園内オリンピックホールにて行なわれた、初のソロ・コンサートとのこと。私、全然知らないのですが、この方、ソロ以前の経歴もあるのかな??? ともあれ内容ですが、まぁ素晴らしい。雰囲気的には、ちょっと古いけどマイケル・ジャクソン全盛期的演出に、アッシャーのセンスを取り入れたような、懐かしいけど現代風、という韓国エンタテイメントのイイところが出ています。でも雰囲気とかセットとか、演出とか。そんなことより何より、ピ、いいじゃないですか。音もなかなかバラエティに富んでいます。モロ今様なナンバーから、ちょっと80年代風ブラコン寄り、さらにはモータウン風ポップソウルな曲調もあり、で楽しめます。歌は、スムースな歌い手さんかな。グロウルする場面も見られたけど、ゴリゴリ押すタイプじゃないし、声量もそこそこ太いけど声質は思ったよりソフト&メロウ。バラードもマッチするタイプながら、本DVDではアップ系の曲が目立ったかな。 そりゃそうだ、何せダンス・パフォーマンスがひとつの大きな魅力なワケですから。とにかくダンスのキレもいいし、動きも大きくて画になります。DVD観ている限りでは、ほぼ99.9パーセント(?)が女性ファンなんですけど、ちょいと腰をグラインドしたり、適度にマッチョ(あの童顔とマッチョのバランスがお好きなんでしょう?)な上半身をむき出す場面では、そりゃあ女性ファン悶絶するでしょう(笑)。“It's Raining”の「スゥ~、ハァ~」が、ね。格好いいんですよ。ダース・ベイダーかピか、というくらいに(ん?)。 ファン・サービスも、ベタながら微笑ましく、ポライトで好感が持てます。それにしても、これだけのスターでありながら、結構お茶目ですし、一番驚いたのは、セルフイメージの一環とはいえ、ここまで飾らない、というか本音のMCまでしちゃうのって、やっぱり韓国ならでは、かなぁ。そういうトコロがまたファンの心を鷲掴みにするのでしょうけれど。こういうイメージの作り方って、アメリカのR&Bシーンではあんまりないですね。そういう意味では、“隣のセックス・シンボル”って感じでしょうか。親しみやすいセックス・シンボル。って、そんな人実際にいたらヘンですけど。ま、それだけ個性的だということ。 ともあれ、ピ。“雨”も滴るいい男。新旧R&Bを追いかけてきた私としては、こりゃ目が離せない存在です。やっぱCDもチェックしよう、っと。(了)レインズ・ファースト・ライブ・コンサート”レイニー・デイ”(DVD) ◆20%OFF!■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/05
コメント(0)
![]()
以前も書きましたこのネタ。ケータイ電話、昨年の秋冬モデルだったW54SA、延期に延期を重ねて、先月末から沖縄を皮切りに順次発売(というか再販売)開始。システムの不具合から販売延期、回収、さらにはあわや販売中止か、とまで噂されていたらしい同機種、モロに機種変更(正確には現行使用機種の故障のための機種変)の乗り換え対象機種だったため、ちょっと待ちぼうけに心中穏やかならぬものを抱き始めていた矢先、ついに関東では3月8日に発売することがauのHPでも公式発表されました。これまでの経緯を振り返ると、「今度は本当に本当か?」とまだ心配してしまう(なんたって、もう2007年秋冬どころか、2008年春モデルのタイミングですもんね)のですが、他地域での販売状況を見ていますと、今回は間違いなさそうです。 たかがケータイ、されどケータイ。これほどまでにケータイの新機種発売にやきもきしたのは初めてですが、使用中の機種の一部故障という事情を差し引いても、ケータイという端末が携帯電話という枠を超え、それ以上の意味を私にも持ち始めたのだな、とこれまた初めて実感するきっかけになった一連の顛末でした。次回このネタをアップするときは、「使ってみましたレポート」的な内容となることを祈る次第(了)太陽光などの映り込みを制御し!!キズに強いハードコート加工【AU W54SA用】液晶画面保護シート▲先に保護フィルムだけ買って待ってたのです…(涙)。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/05
コメント(0)
![]()
見出し:爽やかなり軍師。欲と野心のために生きる者どもこそ哀れなり。笹沢 左保著『軍師 竹中半兵衛』(角川文庫) 木枯らし紋次郎シリーズで知られる著者による歴史小説である。そも、なぜ著者が竹中半兵衛重治を扱ったのか。あとがきによれば、笹沢は別の視点から、やはり戦国時代に、一つの頑な選択から滅亡の道を歩んだ近江の浅井長政を扱った敗残の美学を描いた作品を書いているという。浅井長政と言えば、飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長の妹・市を娶り、信長の天下取りにおいても片腕として将来を嘱望された若い有能な大名である。長政が、時代を読み違え、立てるべきでない方の義理を選んだがゆえに、輝かしく若々しい未来は、文字通り跡形もなくこの世から殲滅させられてしまった。これはこれで、立派に歴史小説として柱になる話である。 しかし、吾が竹中半兵衛はそうではない。これは、合戦にあって、一番槍を馳走するでもなく、綺羅星のごとき武将を率いて敵軍に突撃するのでもなく、戦の趨勢を頭の中で組み立て、武将たちが勝利、あるいは最小限のダメージでの敗戦できるよう策を献じる軍師の物語である。時には外交や人心掌握のためにその智謀を使うこともあるが、武士(もののふ)であっても武将ではない、そういう役割を徹底的に生きた男の物語なのである。蜀に諸葛孔明あればこそ、軍師は古来よりステイタスを得ているが、三顧の礼をもって迎えられる存在であり、また得がたき一将とされながらも、合戦を華とする時代にあっては地味な存在であったようだ。だからこそ、その策のもとに、スタープレーヤーたちが縦横無尽に駆け巡り、獅子奮迅の激闘を繰り広げ、己の頭脳の中で築き上げた図柄通りにことが運ぶことをもって軍師の生きがいと呼ぶのだ。ゆえに同時に、誰かに手柄を立てさせるために、軍師がいるのである。個人的な野心や野望など、望むべくもないのだ。軍師は、軍略のアーティストであり、加えて竹中半兵衛は武士としてスタイリストだった。真のアーティストやスタイリストに、即物的な褒美が必要なはずがない。 そんな、アートやスタイルに準じた男の物語を、野望に準じた大名の物語に対置して描くことで、戦乱の世の男道(おとこどう=江戸期の武士道のこと)を、著者なりに把握しておきたい、しっかり分析しておきたいという想いが、竹中半兵衛の人生を作品のテーマに選ばせたのかもしれない。 歴史の表舞台に立つことのない世捨人。本作での半兵衛は、そうキャラクター造形がされている。実際には、歴史という舞台の埒外に自らを置いた人物と呼ぶべきだろう。いずれにしても、早々に城を弟に譲ってからは、自身の城も家臣も持たず、身分の保証も求めず、一つの理想の実現のみにこだわった生き様は、ある意味で生まれる時代を誤った男の、せめてもの現実世界との繋がりの確保へ挑戦だったのかもしれない。重ねて、無私無欲の人、と半兵衛は描かれる。これはもしかしたら著者が、この奇妙な人物に肩入れし過ぎたがゆえのミスリードのゆえかもしれない。正確に言えば、誤解である。同じ誤解を、作中、その持てるすべてを半兵衛が捧げた羽柴秀吉がする。この不可思議な現象を解き明かすと次のようなことだろう。 つまり、確かに竹中半兵衛は無私無欲だったかもしれない。野心も野望もなかった。しかし、彼には理想があった。決して揺るがない、燕雀に計り知れぬ高邁な理想があった。この理想を、秀吉は野心ではないかと疑い、作者は半兵衛による秀吉への弁明を表現しなかった。作者は、半兵衛を徹底的に無私無欲の人として描くことで、俗世で繰り広げられる骨肉の争いから無縁の人の達観した美しさを立たせようとしたに違いない。だが、理想は甘い空想ではない。理想は、ときに野心や野望を凌駕する。それも、圧倒的な美しさと説得力、そして迫力を持って。そして理想は、本質的には徹底的に理想者のためのものだ。竹中半兵衛というスタイリストが、その最高度に洗練された理想を、野心や欲と疑われる件には、己が身を重ねて痛切この上ないものを感じた。理想の対価は、決して物質的な利益ではない。それを超えた価値があるから、理想者は理想を抱く。 理想の「理」とは「ことわり」である。理想という余人には理解できない宝を抱く古今東西の半兵衛が、理路整然としてものの道理を説くとき、人は、恐怖を抱いてそれを力で組み伏せようとする。理想の対価と、野望や野心の対価とを区別する審美眼のない者は、理想を追う者に対して疑心暗鬼に駆られ、器量の狭さを露呈する。馬脚を現すとはこのことである。作品に戻れば、歴史小説にも時代小説的な呼吸やリズムを巧みに配し、かつ綿密な調査や事実の考証を下敷きに、歴史的ダイナミズムと人物描写をしっかりと絡ませていて読み応えがある。また、間を取るように時折挿入される解説的シーケンスが小気味よく、戦国風の語彙の説明は、簡潔なだけに作品の要所をピン留めするような効果にもなっており、これぞ“笹沢節”と呼べる個性的でいてニヒルな、男くさい世界が堪能できる。 享年三十六歳。歴史を俯瞰する境界人の目線に在りながら、その痩躯に軍略のみを携えて強力な時代の渦に抗いながら生きた生涯一軍師の物語。早すぎた死は、懺悔した秀吉さえ悲しませたというが、半兵衛、そなたの理想は、アートは十分にこの世で完成させることができたのだろうか。「だが半兵衛重治。そのほうには、欲も野心もなかった。」「欲と野心のために苦難の道を歩み、今後も生き続けていこうとする者どもこそ、哀れと思うがよい。」(本文より)(了)軍師竹中半兵衛竹中半兵衛 蒔絵シール「蒔絵紋」■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/03
コメント(0)
■ここ数年、茶杓に注目して追いかけて来た。茶杓は茶人の刀とのこと。どうも茶杓へのアンテナは間違ってなかったようだ。■永楽善五郎の魅力に取りつかれつつ、成金趣味的な豪華さにはひどく嫌悪感を抱いてきたので、今後は小堀遠州、片桐石州ときて、ここから鎮信の流派を追いかけ、同時に同じ石州の枝から不昧公の流れをなぞって、“きれいさび”と呼ばれる茶の湯の美意識を追求をすれば良いのか…。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/02
コメント(0)
![]()
見出し:“さわさわ”して、愛ある野生を取り戻せ。ふじわらかずえ著『どうぶつさわさわさわり隊』(ブルーム・ブックス) 人はいつから動物を檻の向うで「観る」ようになったのだろう。原始時代に遡れば、動物と人間に垣根はなく、弱肉強食と棲み分けの連鎖の中で、ある種は滅び、ある種は生き延びて来た。少なくとも、そこに「観る」「観られる」という関係はなく、ただ互いが生存を賭けて精一杯、同じ目線で生命を謳歌していたに違いない。これが野生である。しかし野生にはまた、動物との関係において、現代人が失ってしまった愛や情があったはずだ。 しかし、動物の中で、個体としては最も弱い人間が、集団を作り、道具を通じて自然を組み伏せようとする試みが始まった頃から、文明の側の人間に対置されるように、動物は自然という名の柵の向うに追い立てられ、いつしか、それらは陳列されるモノ化してしまった。古くにも、洋の東西を問わず、王侯への貢ぎ物に珍獣が献じられたことは最高の贈り物として殊勝とされたし、またその系譜に個々人の消費欲求が挿し込まれた近代には、エキゾチズムの対象として、想像の中のステレオタイプ的ジオラマとしての動物園が誕生して来る。 それらは、「珍しい宝物」から始まり「市民の見せ物」へと変遷していくが、そのプロセスにおいて、人間と動物の距離が遠ざかることはあっても近づくことはなかった。ヒトは、いつしか人になり、高見の見物席を得た代わりに野生を失った。 と大真面目なことをアレコレ捏ねる前に、まずは本書を読むことだ。コンセプトはいたってシンプル。動物を“さわさわ”したい、動物達に埋もれてみたい、触れ合いたい。じゃ、それができるところに行きましょう!!というきわめて野性的な発想。始点がシンプルだからこそ、高い目線から動物を消費するかのような嫌らしさがない。このヒト達…本当に、“さわさわ”したいだけなんだ…。 全編を彩るふじこ(=ふじわらかずえ)氏の漫画は、同じ想いを抱く仲間“さわり隊”とともに訪れた日本全国11カ所の動物園や公園で体験できる、動物達とのリアルな触れ合いへのリアクションが中心となっているが、その一見何でもなさそうな驚きや感動、“さわさわしたい”という欲求への飽くなきこだわりが、動物に、支配関係のない純粋な愛情を持って接することがいかに愉しい発見と、自己洞察のきっかけに溢れているかを教えてくれる。コマの隅などに小さく書かれたコメントやミニ蘊蓄、ツッコミなどが、小ネタ的で笑えてしまう(妙にに頷けるツボだったりするのだ)。 本書を通じて驚くことが二つ。一つは、日本に、これほど動物と触れ合い、時にムリなく共同作業(?)のできるスポットがあったのか、ということ。それらは、珍しい動物から大型動物、肉食動物に鳥類、小動物とバラエティに富み不足なし、まさに灯台下暗しの感である。今ひとつは、規模の大小はあれ、各スポットがそれぞれに工夫を凝らし、動物への愛情と理解を来園者や来場者に伝えようという努力がなされていることが、本書からよく伝わってくること。その意気やよし、これなら、動物を“さわさわ”しないでは勿体ない!! 短いながら、要所で挿入される編集者によるコラムに影響されたわけではないが、確かに、動物との心的/物理的距離感や、接触、それも愛玩動物でない動物との接触という身体的行為に直面した時、動物達を通じて私の、誰かのパーソナリティが赤裸々に浮き彫りにされるというのは、本書を通読することで分かるような気がして来る。 個人的には、ハードルは少々高いが北海道で犬ぞりを体験し、犬たちと信頼関係を確かめあいつつエゾシカ・シチューをテントで食べてみたいが、寒さに弱い私は、当面南国仕様のケープペンギンと戯るあたりから始めようか。(了)どうぶつさわさわさわり隊■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/03/01
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1