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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(3) ハンニバル戦記(上)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************アルプス越え、緒についたところ。シリーズ10分の一分を登頂。名将ハンニバル、登場。もう一人のハンニバルが主人公の映画『ハンニバル』を劇場に観に行った時のことをなぜか思い出す。チケット売り場で、中年男性客がスタッフに向かって「この映画は、あのカルタゴとローマの、あのハンニバルの映画ですか?そうなんですか?違う?紛らわしいタイトルだなぁ」とクレーム(?)をつけていた。歴史が好きなんだろう。でもチケット売り場に言われても…。いや、そもそも違うからなぁ。あのお客さん、結局『ハンニバル』、観たのかな。随分と、違っただろうな。予想と。(了)ローマ人の物語(3)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/29
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見出し:世界を埋め尽くし縁取る、輝ける緑の触手への誘い。鶴岡真弓著『ケルト 装飾的思考』(ちくま学芸文庫) ケルト文化が、主に音楽をきっかけに、もう長いこと現代で注目され続けて来たことを知っている。しかし、この西欧世界の隔絶した深き森、最果ての異境の神秘に触れる時が私の中で熟さない時間が長過ぎた。 果たして、本書は、およそケルト文化を知る上で、現状入手できる最も詳細で、最も信憑性高く、かつ広範なテーマが網羅・分析されており、ケルトの世界に分け入るにあたって、何より最初に手にするべき一冊である。 ケルト文化に触れるタイミングを待っていたのだから、本書を手にした時点で、少なくとも現時点で私が知り得ていて、なおかつ散らかってしまっている西欧世界の文化や思考のモードへの理解や認識、歴史やそれの成り立ち、それらを形成する事実についての知識が、ケルトというクリップでもってしっかり束ねられるだろうという予測と期待はあった。そしてそれは、当面私が求めていたレベルでは実現された。 ケルト文化というクリップで束ねるまでもなく、ケルト文化は、あたかも蔓のように、すでに私が親しんできた世界にしっかりと有機的に絡み、静謐に、しかし激しく主張していたのだ。ケルト文化を、あるいはその影響や模倣を見出せない西欧文明や西洋美術は皆無なのだ。それらは、やはりまた有機的文様のように、スパイラルを描きながらリバイバルしていく。アール・ヌーボーは、動物たちの目が生き生きと輝くケルトの森の、ディスカバー&エクスパンションだったのだ。都会を、摩天楼を、文明を、森の緑が覆ったのである。この森林浴のなんと刺激的な、なんと官能的なことか。 渦巻いて、そこかしこにはびこるリバイバル。なるほど、私にとってケルト的思考、いや『ダロウの書』的オブセッションの原風景は、エッシャーの円環、あの視界=世界を埋め尽くすことが目的化された装飾の迷宮だったのだ。 聖コルンバーヌスの尚学の精神は、スクリプトリウムのスクリベ(写字僧)の黙々とした、しかし密かに挑戦的な作業を経て、いわゆるケルト写本を生み出していく。あの独特のイニシャルをはじめとする装飾性は、イラストレーション(挿絵)ではなく、聖書の純粋性を際立たせ光り輝かせるイリュミネーションだとする著者の指摘は興味深く刺激的だ。 かように、本書は点を結ぶ線(つなぐ蔦)としての価値高く、記述された事実それ自体が私にとっては目から鱗の落ちるようなものばかりなのだが、同時に、悩ましいことにも、濃厚であるがゆえに、やはりハードルは高かった。何より、読みこなすのにそれなりのエネルギーがいる。このハードルの高さゆえに、ケルトを理解する上で早々に古典的一冊となりながら相変わらずその王位を守り続けているといえるかも知れない。少なくとも、これまで非ケルト・反ケルト的思考に寄った視点から、西欧史や西欧文化を眺め、考察して来た私にとって、視点を180度変えて知識を追いかけ直すことは、想像以上に高いハードルに挑む作業となった。私は、今後もたびたび、驚きと興奮を伴いつつ本書を手繰らねばならないだろう。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/26
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北京オリンピックの閉幕とともに、夏も閉幕を迎えたような今日この頃。少し寂しい気もする。 北京オリンピック自体は、世代交代あり、ニュー・ヒーロー&ヒロインあり、番狂わせあり、選手それぞれにバックストーリーあり、と、結果はともかく話題性十分な大会だったようだ。一瞬の勝負、刹那に込める集中力のために、4年間という長い長い、孤独な、静かな、あるいは情熱的な自分との闘いを続けてきた各国選手一人ひとりに労いの意と敬意を表したい。 ところで、アマチュア精神の復権が、大会のたびに唱えられるものの、もはや国家的式典と化したオリンピックが、国際政治の一つの場であることに異論をはさむことはできない。 たとえば、北京オリンピックについて、ある一点に注目すれば、これは中国の国家レベルでのセキュリティやテロ対策など、危機管理意識およびスキルが試され、また中国にとっては、それがすべて世界基準に達していることを披露し照明し、誇示する場であった。 博覧会が、技術や文化、繁栄の誇示の場だとするならば、オリンピックもまた、国威発揚のフィールド。文字通り、国力をアピールする競技場・熾烈なコロッセオなのである。 そうした、国際政治の文脈を措いて、いざオリンピックが始まるや、にわかに、しかし心の底から応援に熱くなれる日本国民は実にピュアだと思う。この純粋さが、時に世界大会での勝負弱さに繋がっている、という指摘も一方にあるとして、だ。背負っているものが精神論の国と、命から物理的な恩恵まで、抜き差しならない形而下の国とでは、どちらがよいか別として、やはり自ずと違いが出てしまうのは万国共通、人間のさがだろう。 仮に、メダルの数=保有可能な兵器の数、と置き換えて想像すると恐ろしい。そのようなことは実際にはないが、ポリティカルな意味では、等価、と考えてみても、まったく外れではない。 オリンピックはスポーツの祭典である。応援すべし、である。しかしまた、オリンピックは政治である。政治だけど、応援すべし、である。そして、願わくはそのピュアな国民性で、勝ち負けのないこと(特に、ただ政治、というだけで批判されてしまうような国政など)にも応援の目線を忘れたくないものだ。すべて、それらは、意外なほどに強く繋がっているのだから。(了)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/26
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DVD『野良犬たちの掟』、観ました。2005年、伊・仏・英作品、イタリアのアカデミー賞ことダヴィッド・ディ・ドナッテロ賞で8部門を受賞。 行き場のない、貧しい少年たちがいつか暗黒社会でのし上がり、ビッグになることを夢見て…というありきたりなストーリーなんですが、エンタテインメント映画としてなかなか面白かったです。いわゆるマフィア映画とも違い、どちらかと言えば、90年代に流行した、ブラック・ムービーのギャングものに近いテイストでしょうか。特別ガンファイトが派手なわけでもないし、暗黒社会の大物とのスリリングな駆け引きが丁寧に描かれるわけでもない。あるいは、ものすごく重厚なドラマ性があるわけでもない。ロマンスも、あるにはあるけどちょっと中途半端。 じゃあ一体何が面白いの?というと、たとえばロマンスの場合を採り上げると、これが中途半端なのにも理由がありまして、この映画、メインとなる登場人物レバノン、フレッド、ダンディの三名の、“それぞれの物語”が、オムニバスとは言わないまでも、あるいは同時進行的に複雑に絡み合うわけでもないのですが、半独立的に一本の作品の中に存在していて、各人のパートの中で、キャラクター固有のテーマ(レバノンは権力、フレッドは愛、ダンディは富と名声、といったように)として扱われているから、ロマンスなども、そういうぶつ切りの文脈の中で登場してしまうからなんです。そして、このぶつ切りのシナリオは、アクションや権謀術数ではなく、キャラクターを立たせるのに大きな役割を果たしています。そう、この映画の面白さは、テーマではなく、レバノン、フレッド、ダンディ、ほか、登場人物それぞれの生き様やキャラクター造形の妙にあるのです。 加えて、私、イタリア語は全然分からないので字幕で追う限りですが、台詞がイイんです。台詞がイイ、ということはキャラクターの造りがしっかりしてないないと成立し得ないもの。「(人を)撃った後目を見たか?俺は必ず見る。あの瞬間に本性が見える。」「卑怯者は図々しい。勇敢な奴は泣く。不信心者は祈る。」「おれらはどうなるかな?」 ドンパチばかりの毎日を送る仲間が、フレッドに向かって言う台詞。気が利いてるし、味わい深いですねぇ。 ミケーレ・プラチド監督作品ということですが、シーケンスの扱い方や、舞台設定(70年代から90年代イタリアが舞台)を強く意識しすぎた挿入曲のセレクション(なんか、ソウル・ナンバーのカバーとかふんだんに使われてましたけど…)のセンス、作中に事実を織り込むスタイルなど、技巧的な面では、ちょっとタランティーノ崩れ的だったり、トロイ・ダフィー監督『処刑人』っぽかったりするんですけど、そのあたりも裏目には出ていないから良しとしましょう。 ところで、なんだかんだ言いましたけど、サントラ、出ないかな。結構格好イイんですよね、流れる曲が(笑)。(了)野良犬たちの掟(DVD) ◆20%OFF!■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/21
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塩野七生著『ローマ人の物語』1巻~31巻(新潮文庫) ひょんなことから手を出してしまった。幸か不幸か、実にひょんなことからだ。ひょんなことから、だから、当然必然的に読み始めたのではない。今私が掘り下げているテーマとは、厳密には(あるいは将来的には)関係があっても、まだ手を出すルート上にこの作品集はない。 もともと私は、シリーズものを読むのが得意でない。好きでない、というのが正直なところだ。私は、シリーズ物ではない、一見まったく関係のない本を、自分なりの興味関心の軸を立て、それを追いながらあたかもシリーズを編集するように読むのが好きなのだ。 シリーズものを読み始めると、もともと没頭してしまう性格もあるが、一通り読み通さないと気が済まないこともあって、それが結局縛りとなって、目の前を浮遊する、本来ならば今その瞬間に手にすべき知識を掴み損ねることが嫌なのだ。単に、タイミングを逸する、ということではない。私の軸が、その機会損失によって途中で修正を迫られると、それはまた再編集に大きく手を入れなくてはならないことが厄介なのだ。 とはいえ、いかなる理由であれ本シリーズに着手してしまったのも縁だろう。かつて遠い昔、恩師に「塩野七生を歴史として読まないように」と注意を受けた同門がいたが、歴史なんてみんなフィクションじゃないか、などと嘯いたのは若気の至りゆえの難癖。塩野七生は歴史家じゃない。小説家だから、それをフィクションとして読むのが当たり前なのだ。とにかく小説として、ローマ人の壮大な歴史と作家の一大作業を読んでみようというわけだ。 もともと書籍版は15巻となっており、1巻:ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず2巻:ハンニバル戦記3巻:勝者の混迷4巻:ユリウス・カエサル ルビコン以前5巻:ユリウス・カエサル ルビコン以前6巻:パクス・ロマーナ7巻:悪名高き皇帝たち 8巻:危機と克服9巻:賢帝の世紀10巻:すべての道はローマに通ず11巻:終わりの始まり 12巻:迷走する帝国13巻:最後の努力14巻:キリストの勝利15巻:ローマ世界の終焉という、それぞれタイトルになっていた。これを分冊にして文庫化したのだから、ほぼ倍の冊数になるのも仕方がない。 今回、シリーズものを延々と読みふけることになったが、ただ労力に任せて読破するのも興がない。そこで、自分の苦手なシリーズものを読むにあたって、そこに、大きく歴史の潮流を体感する=苦手で、かつ膨大な読書時間に歴史の重さを重ねてリアリティを我が身に叩き込む、という仕掛けを頭に描いて読むことにした。 しかし、その一冊一冊について書評をアップするのも骨が折れる。いちいち立ち止まって熟考していては、歴史の疑似体験のリズムも狂う。そこで、書評はアップしないが、達成度を実感・告知する方法はないかと考えあぐねていたが、フォームを作ってそれを備忘録的にアップすることにしたい。特に、読破進捗状況はゲージ形式にしてみた。 こうした形式を考えている間に、二冊を読み終えたわけだが、それを例にとって、下記に示す。***********************************************************記事タイトル:塩野七生『ローマ人の物語』ゲージ本文:塩野七生著『ローマ人の物語』(1) ローマは一日にして成らず(上)(新潮文庫)塩野七生著『ローマ人の物語』(2) ローマは一日にして成らず(下)(新潮文庫)読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■*********************************************************** さてしかし、へんな例えではあるが、文庫シリーズ二冊読んだところで、果たしてスクラップ&デストロイド&ビルトの繰り返しをその宿命=歴史としてきたローマという都市および国家は、まさしく昔あったゲーム『ポピュラス』や『シムシティ』と同じだな(いや、むしろこれらゲームが歴史や神話に範を取ったのではあるが)、と感じてしまった。ローマも読破も、一日にして成らず。さぁ、次の一歩である。(了)ローマ人の物語(1)ローマ人の物語(2)■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/21
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スペランカー。その名を聞いて、胸がキュンと来る人は少なくない。いや、胃の底がズンと来る人が…。1985年、アイレム(カートリッジに発光ダイオードのランプがついてるのがオシャレでしたねぇ)から発売された、洞窟探検のファミコン・ソフト、スペランカー。とにかく、グラフィックが当時にしては美麗で、同じような時期に発売されたグーニーズのゲーム版などよりもよっぽどグーニーズみたい。特筆に値するのは、黄金の秘宝と、水の流れるグラフィックのあしらいがすごく神秘的で、85年という時代に、これだけ立体を予感させる涼しげな水を画面上に描き出したのはこのゲームが初めてではないでしょうか。 って、そういう話が聞きたいんじゃない。ですよね。そう。特筆に価するのはグラフィックではなく、その「弱さ」。本当に洞窟探検家なのか?と思うほど、すぐにミスになる。軽快なBGMに乗ってゲームスタート。リフトの段差につま先が当たってミス。気を取り直して数歩進んで、小さな塚につま先が当たってミス。「ぬぬぬぅ。おのれぇ~!!なぜこの小石程度の塚でミスかぁぁっっ!!」と憤る間に、コウモリのフンでミス。あ、まぁゲームだからこれは仕方がないか。ゲーム性優先だから。と余裕をかます寛容さを裏切ってジャンプの落ち方でミス。おい!!さっきはもっと激しいアクションしてただろ!! とまぁ、フラストレーションが達成感をはるかに凌いでしまうこの名作にエピソードが一つ。当時ファミコン通信で裏技が毎号掲載されていましたが、クイズ形式で、一本ウソテク(存在しない、ウソの裏技)が紛れ込んでいまして。これを当てて応募すると、プレゼントがもらえたのかな。ともあれ、ある号に、「スペランカー無敵技」というのがありまして、飛びつきましたねぇ。とにかく、オープニング画面のイントロに合わせて、二つのコントローラーのボタンを押す、という技なんですけど、この荒唐無稽さ、あの時点で気付くべきでしたが、スペランカー制覇したい一心が周りを見えなくさせてしまったのですね。何度挑戦してもうまくいかず、挙句は2コントローラー担当の弟を叱りつける始末。 果てしないトライの果てに疲れ果て諦めた翌号に、ウソテクとして「スペランカー無敵技」が紹介されており…正解率は高かったね、簡単すぎたかな?的コメントまで(汗)。弟に平謝り。は当時は出来なかったので、しばらくはムッツリしてましたよ。 ずっと後で謝って、今でも私にとっては強烈にイタイ笑い話なんですが、そうやって大人になったワケです(なんじゃそりゃ)。そんな最弱ヒーローに振り回された日本全国1000万人のスペランカーファンの皆さんの怨念と希望に応えて、あろうことかスペランカーのキャラクターがフィギュアに。こんな復活の仕方、あるんですね(ちなみに“最弱ヒーロー”ってのもフィギュアのキャッチコピーですが、「これは巧い」と唸りましたね)。 それにしても、あらためてフィギュアでよく見ると、すごく頼りなさそうな表情してますね。パッケージは勇ましかったのに…。まさか、テレビ画面では分からなかったけれど、「このキャラ、弱いよ」ってな開発者の布石だったりして、この表情。(了)ソフビフィギュア スペランカー (在庫僅少)ボーフォード・ジャパン スペランカー サウンドボトルキャップコレクション (1BOX)【11月予約】▲こんなモノまで…。スペランカー、人気だけは強し。■「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/21
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『ダークナイト』、観て来ました。バットマン最新作、ジョーカー役のヒース・レジャーの急死、そして公開後の爆発的ヒット…。話題性十分。いち早く観に行けてラッキーでした。 ところで、まず、『バットマン・ビギンズ』。単体としては好きだし、クリストファー・ノーラン監督は、なんとも居心地の悪いあのテイストが好きで、ファンなんですけど、やはりティム・バートンが作り上げた『バットマン』の世界の衝撃が大き過ぎて、ちょっと淡白に思えたのも事実。ティムの『バットマン』は、それまではコメディアン出身のキワモノ系実力派俳優だったマイケル・キートンを、顎のラインだけで女性ファンを失神させる男にまで育て上げたのだからスゴイ。その後、バットマンことブルース役はヴァル・キルマーやジョージ・クルーニーが演じましたけど、イマイチ。キャスティングで上手い!!と思えたのは、ロビンのクリス・オドネルと、バットガールのアリシア・シルバーストーン。後は、もう敵役のハマり具合と豪華さがウリのサーカス映画になってしまったようで(でも好き)。監督は途中で交代しましたけど、ティムの作った路線(not世界観)は踏襲しての4作。その後を受けて、クリストファー・ノーランはブルース役にクリスチャン・ベールを持って来た。これが悪くないのに、なんか映えない。色気がないのかなぁ。 と思いながらの『ダークナイト』。完全にやられました。あぁ、『バットマン・ビギンズ』は、クリストファー・ノーランの実験作だったのか。完成してしまったバットマンのイメージを、自分の色に染め直すための難産だったのだな、と納得してしまいました。 それほどに、余計な説明不要な、重厚で、荘厳で、完璧に隙のない作品に仕上がってます。この監督、やっぱり頭の回転速いんだなぁ。 もう、『ダークナイト』に関しては、アメコミ映画、とかヒーローもの、なんていうジャンル分けは一切不要です。したがって、この手の作品には縁がない方も絶対に楽しめると思います。 まず、「2つのリアル」というキーワードを挙げたいと思います。一つは、とにかく脚本から演出、ディティールまですべて含めて、これは完全に、超正統派にして骨太の、一級品クライムムービーであるという点で、リアルなんです。別にLA市警とか、CIAとか、出て来ませんけど、これは『ブラック・ダリア』や『L.Aコンフィデンシャル』と同種です。 今ひとつのリアル、というのは、先ほども述べたように、これはバットマンが、コミックのヒーローではなく、ある都市の犯罪と闘う、生身の、文字通り現実を生きる“人”として描かれている、という意味です。コミカルでない、つまり作品中の、比較的我々に身近な一般人と同じ扱いでバットマンを描くことが、これほどに成功するどころか、かえって作品を誠実味のあるものにしてしまうとは、脱帽です。 だからこそ、でしょうか。クリスチャン・ベールのブルース・ウェインがすごく魅力的になっている。そのことには、前作から引き続いての出演となる、セクシーにして哲学的、粋な執事・アルフレッドことマイケル・ケインと、スマートでチャーミングなモラリストにして天才技術者/経営者・ルーシャスことモーガン・フリーマン、この二大俳優の脇の固め方がまた、本当に味わい深いんですよね。こんなに頼れるオヤヂたちがいるから、クリスチャン・ベールの青さがまた新鮮さを放つんです。今作は、見事にこの布陣がハマりましたね。 さて。ジョーカーです。惜しいなぁ。この強烈な演技は、正当に評価されるべきでしょう。ヒース生前最後の演技だから…なんてのはナシにしましょうよ(といいつつ、どこかブランドン・リーの『クロウ』の超絶演技を思い出してしまう…)。文句なしにスゴいんですから。上映開始数分から、もうタダモノでない登場の仕方。 神経質な小刻みな震え、アナーキーに泳ぐ目、抜群にエキセントリックなのに汚らしいファッション、どこか現実感のない切り取ったような動き、そしてどうしようもなく迸る悪戯なインテリジェンス。そこにきて、メイクの向うに、ヒースの顔が透けて見えて、ますますジョーカーの切れ味の鋭さが際立つんです。そう、ジョーカーが、時々ふと(たとえば、それは呼吸の合間、会話の合間、動作の合間の刹那)見せる、我に返ったような“正気の瞬間”が、ものすごく静かで、この間合いがヒースのジョーカーをとてつもなくコワイ存在にしているんです。正気を垣間見せる狂気。あるいは、狂気の合間の正気。この呼吸が、神がかり的に素晴らしいんです、ヒース。 ブリリアントでグラマラス、そしてコミカルな犯罪芸術家としてのジョーカーを、体型のハンデをものともせず、これまたキレキレの演技で完全に作り上げてしまったジャック・ニコルソンに対して、ヒースのジョーカーの魅力は、やはりジョーカーをコミックから抜け出させてしまったことと、それが生む現実的な怖さ=あり得る怖さを演じてみせた、という「さかしま」にあるのではないかと思います。 印象的なシーンは、人間の性悪説を逆手に取ったジョーカーによる「二択ゲーム」の場面。ここは、すごく宗教的(religious)でした。皆石投げること能わざるに関わらず人が囚人を裁くのか、それとも囚人が、己に罪なしと信じる“罪人”を裁くのか。人が我が身を守る上でもっとも大切なことは、信じる、ということなのかも知れません。信頼を逆手に取ったり、人間に巣喰う猜疑心を操ってキングになろうとしたジョーカーは、やはりただの山師・ジョーカーだったのでしょう。この一連のシーン、二艘の舟を象徴的に使っての、感情と、時間と、リスクの天秤が絡み合って揺れ動きやがて均衡するプロセスは、実に深いです。 ファンにはおなじみのトゥーフェイスことハーヴィ・デントを熱演したアーロン・エッカートや、まさかまさかのゲイリー・オールドマン@ゴードン。冒頭、前作の敵だったスケアクロウとしてキリアン・マーフィもカメオ的に出演してましたね。ブルースの恋人・レイチェルには、クルーズ夫人からマギー・ギレンホールへバトンタッチ。とまぁ、何気にキャスティング一つとっても、語ればキリがないのですが、まずはこの『ダークナイト』。偏見も食わず嫌いもなしに、劇場で観てみて下さい。(了)バットマン ダークナイト グラップリングランチャー プロップレプリカ バットマン ダークナイト バットラング プロップレプリカ【予約】DC Direct社 Batman / The Dark Knight - Statue: The Joker(7月/バットマン/ダークナイト)【予約】DC Direct社 Batman / The Dark Knight - Statue: Batman(7月/バットマン/ダークナイト)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/15
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どっぷりお盆休みです。フリーだったときは基本的に自己管理ですから、あまり意識することはなかったのですが、経営者としては、やっぱりちゃんと考えないといけないかな、と思います。 数年前までは、実は会社にお盆休みはありませんでした。一応設けてあるんですが、形骸化していて、要するに、クライアント本位であろうとするために、かえってけじめがないという状況になっていました。これには二つの弊害があります。 一つは、勿論、 ■社員にきちんと夏休みを取らせることができない。 ↓ ■仕事へのモチベーションや、気分転換が図れない。 ↓■社員自身のスケジュール管理意識が低下する。 特にスケジュール管理意識が下がると、お盆や年末年始の場合、自分たちの休みが形骸化していることはまだ良いとしても、他の協力関係にある会社はきちんと休みをとる場合、第三者の休日に影響や迷惑をかけてしまう可能性があり、ひいてはクライアントに迷惑をかけることになります。 もう一点の弊害は、休むときにきちんと休む、と決めて励行しないと、これまたクライアントが困ってしまいます。「一応休みですが、誰かは出社していると思います」とか「お盆休みですが、お客様の都合に合わせます」というのは、一見親切で、働き者のような印象に映りますが、実際そう言われてもクライアントは困ってしまいます。 結局、「休みを取る」ということに対して、罪悪感というか、臆病さがあるのではないかと思いまして、一昨年あたりから、しっかりお盆や年末年始の休みを設定しました。 しかし、いざその段になると、これが結構休めない。会社としてそういう習慣になっていないと、やっぱり臆してしまうんですね、皆。 それが年々定着してきて、ようやくこのお盆は、しっかり、スタッフそれぞれのスケジュール管理の下に、基本的には設定日にはしっかり休暇を取りました。こうなって分かったことは、お休みをいただく、ということは、考え方を転換し、自己管理を徹底すれば、決して難しいことではない、ということ。また、自分たちが休むことで、協力関係にある各業界も遠慮なく休養できるということでした。 ついつい、我々の業界はそのオンオフがアバウトになってしまいがちですが、仕事にも休むにも、けじめがあるほうが健全ではないかと思います。 そうしたワケで、いざお盆休みに入ると、個人的には、細々とした雑事が多々あり、結局それに忙殺され、あまりリフレッシュした感はないのですが、映画(『ダークナイト』!!)を観たり、本を読んだり、徹底的に掃除をしたり、整理をしたり…と、充実してました。 しばらくブログもお休みしていましたが、休み明けからボチボチ復活です。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/15
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『インクレディブル・ハルク』に『ダークナイト(バットマン)』と、まぁ「夏はアメコミ映画」、ってのが日本でもすっかり定着しましたね。でも、日本の子供たちにとって、海外のヒーローって、そんなに馴染まないんじゃないかなぁ。結局「夏のアメコミ映画」ってムードは、大人のためのものなのかも。 私、『ハルク』も『バットマン』も観てましたよ、子供の頃。TV版です。ブラジルでも包装していたんです(なぜか日本の特撮も放送していまして、学校では『スペクトルマン』が人気でした。ウルトラマンとの違いが分かってないようでしたけど)。あの頃観てたTV版『ハルク』の方(ヘンな表現だ)、『インクレディブル・ハルク』にも友情出演されているらしいですね。特撮なき時代に、鍛え上げた肉体を緑にペイントして車を持ち上げたアナタはエラかった!!ところで、なんで主演はエリック・バナからエドワード・ノートンにバトンタッチ?ま、作品自体も初映画化の前作とは別物と考えた方が良さそうですけど、個人的にはエリック・バナが良かったなぁ。エドワード・ノートン、巧いけど、ちょっと苦手なんですよねぇ。 誰が誰を演じるの?というのは、かなり重要なコトで、大好きな『ゴースト・ライダー』、これまた大好きなニコラス・ケイジが演じたのに、なんかちょっと違ったなぁ(困)とか。あるワケですよ。 そこ行くと、『アイアンマン』。イイじゃないですか。ロバート・ダウニーJr.。好きなんだよなぁ、あのクマのような濃い目周り。巧い人なのに、ハチャメチャ人生で遠回りしているので、ここいらで当たり役に巡り合って欲しいですよ。それがアメコミ映画でも全然オッケーでしょう。で、もう事前情報だけどもかなりイイ感じなんですよ。 これまで日本ではあまり紹介されてこなかった『アイアンマン』ですが、ちょっと無表情なお面相(?)ながら、メカニックなキャラクターは、もしかしたらロボ好き日本人にはマッチするかも。一号機、二号機、三号機、ってな具合に装着するメカが変わったりするし…。 公開までまだもう少し時間がありますが、バットマンがダーク路線転向二作目にしてようやくマスをターゲットにしたエンタテインメント映画として大成功した今、オーソドックスなアメコミ・ストーリーの路線を踏襲するであろう『アイアンマン』、日本でのブレイクを期待したいところです。(了)【2008年9月頃発売予定】マーベル 等身大フィギュア アイアンマン【MUCKLE MANNEQUINS】【2008年9月発売予定】マーベル ライフサイズ バスト:アイアンマン【サイドショウ】【送料無料】【9月発売予約】サイドショー アイアンマン・ザ・ムービー アイアンマンMkIII ヘルメット【送料無料】【9月発売予約】サイドショー アイアンマン・ザ・ムービー アイアンマンMkI ヘルメットHOTTOYS Movie Masterpiece IRON MAN- Mark 3 1/6 Scale Model予約商品ホットトイズ ムービーマスターピース【2008年9月頃発売予定】マーベル 等身大フィギュア ハルク【MUCKLE MANNEQUINS】▲この方、家にいたらちょっと狭いかも…。■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長
2008/08/11
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暑い。この時期、肌で感じる夏は年々変わってきているような気がするが、内側に感じる熱さにはあの日以来変わりがない。 初めて長崎を訪れたのが、小学6年生の夏のことだったと思うが、あの旅で受けた衝撃はいつまでも鮮烈なままだ。そして、あの当時少年だった私は「ボクが大人になるころには、この原爆の悲劇の語り部はどれだけ生きてるんだろう?」と不安に思ったものだった。そして、私は、「あの頃不安だった未来」である大人になってしまった。不安は的中し、原爆投下から60余年経ったいま、人類規模の悲劇を、知恵として後世に伝える人々は減りつつある。 このような話を記事のネタにするのは気が引けたが、実際著作『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)の中で、私と原爆の、時を隔てた闘い、ある種の代理戦争的な思い入れは記しているから、別段隠し立てすることもないだろう。 どうあれこの身体には、少なくとも象徴的には間違いなく、放射能が、いささかなりとも残存しているのだ。何より、愛する人が負った心の傷は、私の傷として今も血を流しているのだ。熱を感じているのだ。 平和が一番。だが、教条主義的にそう語るのは意味がない。浅薄な博愛主義も、バックボーンのない人間愛も、ことなかれ主義的なヒューマニズムも、馴れ合った赦し合いもまったくいらない。だが流血はなお御免だ。 必要なことは、あの愚考の温度を保持しつつ、人間の叡智を武器に、平和に向けた闘争をするべきだ。叡智で闘う。残念ながら、歴史上まだ人類は一度もこれをなし得ていない。叡智より先に、すぐ矛が出る。 だがもし、あの夏の悲劇を、単に歴史の教科書の1ページとして次代に託すつもりがないのであれば、今すぐ人類は前人未到の闘争に挑戦すべきだ。 明日、お墓参りに行く。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/08
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見出し:“塩野流・平家物語”は無常の香り。塩野七生著『ロードス島攻防記』(新潮文庫) 中世ヨーロッパ、名だたる騎士団にあって、そのホスピタリティで生き残った聖ヨハネ騎士団が、みずからの存在理由の象徴であるロードス島を、トルコの破竹の勢い持つ黄金時代から死守すべく繰り広げた攻防戦を綴る、塩野七生の短篇である。 他の作品とは語り口を異にするこの作品は、いつものようにフィクションを通じて事実を味わうのではなく、逆に事実を補う為の装置として物語が機能している。ここに綴られる激戦からは、当時の戦術、航海術、操船術、築城法、建築技術がよく伝わってくる。これら無機的な描写が、ロマンチシズムと距離を取ったリアリズムを醸し出すのに奏功しているが、その中で展開する、退けば掛かり、掛かれば退く、互いに譲らぬ五ヶ月にわたる戦闘の様子は、あたかもチェスや将棋の模擬戦のように、著者の“神の目線”によって、息もつかせぬ戦術合戦として読者に披瀝される。 加えて、技術革新(兵器の開発)および戦法の変化はまた、騎士道精神の終焉を峻厳に告げているが、その淡々とした軍記作者の如き筆致は、波の満ち引きを観察する者の報告に似て実にドライで、騎士団が殉じた理想、騎士道精神、あるいは「青い血」に代わって迫り来る新しき者たちに、慄きつつ抗おうとする名誉への執念など、抽象的なメンタリティといったような要素は感じ取ることが出来ない(皮肉なことだが、騎士団の敵であるスルタン・スレイマン一世が、華麗にして優雅な騎士道精神を、いささか浪花節的に見せて男を上げる描写は物語後半に用意されている)。そうしたウェットな記述を排することで、むしろかえって、散り行く一つの時代精神への残酷な運命を際立たせているのだとしても、いささかの寂しさが残る。この醒めた質感、平家物語を語る琵琶法師の無常の境地のそれを、実験的に体現してみせたかのようである。(了)ロードス島攻防記■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/04
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ただいま東京では雷鳴が轟いています。唐突ですが、私、雷鳴が好きなんです。雨はそんなに好きではないし、かといって特別好きな天気や気象があるわけでもないのですが、なぜか昔から雷鳴が聞こえると、自分の中でスイッチが入るような感覚があります。雷鳴を独り占めしたくなる、そんな疼きを感じるんです。 そんなワケで、携帯のメール着信音は数種類の雷鳴になっているのですが、これがマナー・モードにし忘れた時に鳴ると、ちょっと恥ずかしいんですよね。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/04
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毎年恒例(ここ15年くらいでしょうか)となりました、花火大会、無事終了です。と書くとなんだか花火大会を主催しているみたいですが、そんなはずもなく。 実家の屋上から、海岸に上がる花火が道を隔てて見える、ということで、毎年花火大会の時期には、家族や親戚、友人が万障お繰り合わせの上参加する(笑)という、イベント。毎年顔ぶれは違ったりもしますが、今年は従兄弟も賭け付け、賑やかな夏の夜となりました。一時不参加がちだった(というのも、この日はあらゆる交通手段が大混雑するので、それに巻き込まれて懲りてしまったのです)弟たちも今年は参加。花火を見る前に腹ごしらえするワケですが、その準備で、なぜか弟がおにぎりを作っていました。 今年はそのおにぎりに、皿うどん、そして実家特製・鶏の唐揚げに、それぞれ好きな飲み物片手に最初の一発待ち。 実は、この一年の間に、ちょうど屋上の視界の先に、微妙な高さのマンションが立ちまして。正直、「もしかしたら鑑賞に支障が出るかもなぁ」と一同無言のうちにも感じていたわけですが、今年は花火の打ち上げ場所を少しずらたのか、まったく影響が出ることもなく、存分に堪能できました。 この花火大会は、夏の風物詩であると同時に、我が家にとっては互いの近況を知らせ合う重要なイベント。集まった皆、そしてそれを準備してくれた人たちの存在や、人知れぬ気遣いに感謝しながら、夜空を彩る大花火を見上げた週末でした。(了)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/04
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またまたアーサー王伝説ネタ映画鑑賞記事です。今度は『エクスカリバー』。しかしまた直球なタイトルだなぁ…と思ったら変化球でした。さて、この映画、これだけの大作(テーマも豪華キャストも日本人好みでしょう)なのに、なんでこれまで記憶になかったのかな、と思ったら、これ海外で放送されたTV番組なんですね。 それで、なんとなく全編に漂う微妙なしょっぱさの理由が分かりました。そう、B級大作映画を観たときのあのしょっぱさ…。でもTVだとしたら、こんなにすごい作品、滅多にないですよ。主演・“恐竜遊園地の志垣太郎”ことサム・ニール(地味だ…でも、この人声がいいなぁ)を筆頭に、ミランダ・リチャードソン(この人の演技、コワ過ぎる)、イザベラ・ロッセリーニ、ルトガー・ハウアー(御大、まだちょっとふっくらしていて、ちょっとワイルドになったビル・クリントン風なんだよな)まで!!一応パッケージには8大豪華キャスト、となっています。 さて、じゃあこの作品のどこが変化球なのか、と言いますと、実はこの作品、原題は“Merlin”なんです。どこがエクスカリバーなんだ!!そう、この映画は、アーサーを王位につける伝説の魔術師・マーリンが主人公の話なんですね。しかも、生い立ちから青春、そして老後まで描くというから、もう実在の人物の伝記並みです。そういう意味では、若干羊頭狗肉の感も否めませんが、超有名なテーマを扱っているにしても貴重な切り口の作品と言えるでしょう。 アーサー王伝説という視点から観ると、ちょっと荒唐無稽に思えるストーリーも、実際には、謎の結晶であるマーリンを取り巻く民話や伝承に忠実に作られているようで、マーリンサイドから観た場合にはかなり正統派…のようです。少なくとも、“西欧人の記憶”には近いのでしょう。 先ほど“しょっぱさ”と表現したニュアンスは、きっと見世物小屋的いかがわしさや胡散臭さと言い換えられるのではないかと思うのですが、これが、マーリンと、彼が往来するフェアリーな世界、さらには現実世界(これもまぁ、現実には架空なんですけど)をうまく接合する仕掛けになっているな、というのは後から湧いた感想。そうか、あの“しょっぱさ”は、混沌の生み出すカコフォニーへの居心地の悪さだったのか。 8大豪華キャストの未紹介者、いきます。ジェームス・アール・ジョーンズ。言わずと知れた名優にして、ダース・ベイダー卿の“声=魂”の方です。って、山の神様みたいな役なんですけど、また声だけかいっ!!うーん、美声は身を助く、を地で行くなぁ。しかも、“卿”つながりですね。 さらにはヘレナ・ボナム=カーター!!またこんな役か…。妖姫モルガンです。キレキレ演技はコワいです、この方も。 カンケーないですけど、グィネヴィア役の方、仲間由紀恵氏顔だなぁ。ランスロットは…おぉ!!来た、来た。レトロ・ハンサム。濃いですね、お面相が。でも登場場面&役の重要度、かなり低空飛行です。 とまぁ、賑やかな作品ですが、ストーリー展開は全体的にファンタジック(悪く言えば子供っぽい)のですが、不思議なことに、マーリンが敵対する魔法使い(であり創造の母)と対決する後半シーン。その勝利の仕方が、妙にアーティスティックなんですよ。前衛の舞台みたいな。なんでここだけアートしてるんだ!!と突っ込みたくなるのですが、さておき、一番驚いたのは、この作品、撮影期間六ヶ月だそうで、メイキング観てましたらスティーブ・バロン監督が一言「とにかくやるしかなかった」。リアルに切羽詰りすぎてて、ちょっと可笑しかったのですが、ツボとずれてます…よね?(了)『エクスカリバー/聖剣伝説』(ノーカット完全版)■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/01
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アーサー王伝説に瞬間的にのめり込んでいる今日この頃です。関連書評もDVD評も追いついていないのですが、まずはちょっと前の話。ワンコインDVD(500円!?)『円卓の騎士』、観ました。 そう、ロバート・テイラーの。ヒロインは、エヴァ・ガードナー@グィネヴィア。?。ということは…。そう、これ、アーサー王の物語なんですけど、主人公はランスロット。となれば当然、テーマはランスロットと王妃の道ならぬ恋です。 何ていうんでしょうか。とにかく1953年の作品ですから。簡単に言うと、“エルヴィス以前”の映画。ハリウッドのエンタテイメントが円熟し、黄金期を迎えた時代の作品ですから、それはもう、スペクタクルですよ。歴史絵巻。うーん、そうだなぁ、スペクタクルって言葉がぴったり来る映画の系譜。ベンハー直系です(大きな意味で、ですがね)。 しかしまぁ、先ほどはランスロットが主人公、なんてニュアンスで書きましたけど、一応アーサー王の物語をなぞっていまして、アーサー戴冠から、モルドレッド(通称・引き金)の糾弾から最後戦い、そして破滅へ、という筋で進行していきます。初っ端からモルドレッドが、もう鼻息荒かったり、ランスロット登場の解釈がドラマ的だったり、と脚色が随所に施されていますが、もともとアーサー王伝説はヴァリエーションの宝庫なので、脚色がストーリーの雰囲気を壊すなんてコトはありません。 かように、一連の栄枯盛衰をなぞっていますが、ダイジェスト的だな、という物足りなさもなく、むしろスピード感に痛快さすら感じます。そう、この作品におけるアーサー王伝説の扱いって、ど真ん中ストレート過ぎるほどに“ハリウッド風活劇”的なんです。だから、絵に描いたように刺激的、いや史劇的(なんか、ちょっと舞台俳優の本番直前の稽古っぽいムードもあるんですよね、全体に)なのに、エロール・フリンやダグラス・フェアバンクス的痛快さもある。『哀愁』って気分じゃないですよ。 しかし、“ミスター・哀愁”ことロバート・テイラー、イイですねぇ。こんな剛毅な雰囲気も合うんだなぁ、なんて。一般的には、ランスロットっていうと、やっぱりちょっと王子様風のお面相、金髪なびかせ白馬に跨る若者、ってのがファン心理としては望ましいのかもしれませんけど、私は断然ロバートのランスロットを推しますね。いや、他のアーサー王伝説系映画でのランスロットに適役がいないからかもしれませんけど、それを差し引いても、タイツ姿がちょっとオヤジくさいロバートのランスロットは格好いいですよ~。もうちょっとシャープだとなお良かったんですけどなぁ(この作品観て、ロバート・テイラーって、結構スタイルは良くないかも、とか思ってしまいました)。誉めてるのかけなしてるのか分からなくなってしまいましたけど、誉めますよ。これから。 ロバート演じるランスロットがなぜ魅力的か。文字通り、本当にチャーミングなんです。この作品の中では、彼以外の登場人物がマネキンに見えてしまうほど(実際は名優ぞろいなんですけどね)です。気品、知性、洗練。これをちょっとした演技やしぐさで醸しつつ、気障なユーモアや大袈裟な台詞も飄々と楽しげに言ってのける。 そんなワケですから、ロバート・テイラーのランスロットは、当然、中世フランスの宮廷風騎士道のテイストを踏襲した役作りとなっているのですが、これが見事にマッチしているんです。この『円卓の騎士』を観ると、ランスロット像が良い意味で大きく変わるかもしれませんよ。(了)ロバート・テイラー、エヴァ・ガードナー『円卓の騎士』/[CLASSIC MOVIES COLLECTION] ■著作です:何のために生き、死ぬの?。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。
2008/08/01
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